交響頌偈「釈迦」(1989)

 

@ 小松一彦  東京交響楽団   LD32-5105 1989.4.8

A 石井真木  新交響楽団     FOCD3140 1991.1.19

 

頌偈とは仏教用語で「仏徳を賛美する歌」との意味である。この曲は現時点での

伊福部昭の全作品の中での最高傑作と私は感じている。もしひとつ選べといわれ

たら文句なし「釈迦」だ。ちなみに3つ選べといわれたら「タプカーラ」、「リトミカ」の

2つを加える。この曲は浄土宗東京教区青年会の委嘱により作曲され1989年の

4月8日に行われた「釈尊降誕会(はなまつり)コンサート」に於いて初演された。@

はそのときの演奏である。この曲には元になるものが2つある。バレエ「人間釈迦」

と大映の映画「釈迦」である。バレエは石井真木の父上の石井漠振り付けで約300

回も上演されたらしい。このバレエ音楽のスコアは永らく東京交響楽団の倉庫に眠っ

ていたらしい。このバレエの振り付け練習の時、ピアノ伴奏をしていたのが石井真木

であった。そのときの思い出から後年伊福部の弟子が師の叙勲のお祝いに贈った曲

「伊福部昭讃」の中で石井は「幻の曲」としてこの「釈迦」の音楽を再現している。合唱

の歌詞にはパーリ語(古代インド語?)が用いられている。第2楽章の歌詞は「煩悩」

を表わした言葉13語が、第3楽章の歌詞は「諸仏は思議を超えたもので、諸仏の法も

亦思惟を超えたものである」(作曲者意訳 小松盤解説より)という意味合いの言葉が

歌われる。

演奏は文句なし@小松=東響だ。演奏、録音ともに素晴らしい。Aはなんとなくこもった

感じのする録音である。小松盤の良さは合唱の素晴らしさにあるといってもいい。第2楽章

の歯切れのよさ、第3楽章の「悟り」の境地を具現した悠久なる演奏。ここに人類の至宝が

あるといっても過言ではない名演奏だ。 

「悟り」の境地とは奢侈でもなく、禁欲でもない「中道」の境地を指す。平凡社から出版されて

いる「イメージの博物誌33 ブッダ」によれば「悟り」とは「無理な力の入っていない状態」をいい、

この悟りのイメージが仏教芸術においてその形象に夢のような柔らかさをもたらしたという。

この第3楽章はまさに「悟り」の音楽そのものだ。私はこの3楽章の音楽を聴いていると、

ずっとこのまま永遠に続いて欲しいという気分になってくるのだ。力まずに全身の力を抜いて、

ずっと聞いていたくなる永遠なる音楽がここにあるのである。

 

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