ゴジラ(1954)

 

伊福部昭の代表作はやっぱり「ゴジラ」だろう。いまの伊福部ファンの相当数はゴジラをはじめとする映

画音楽から入った人ではないかと思う。数あるゴジラの中でも昭和29年封切りの初代「ゴジラ」は名作

中の名作だ。この後ゴジラシリーズは数多く作られるが私から言わせるとみんな駄作といっていい。そ

れほどこの第1作がいいのだ。白黒の画面がなんともいえぬ雰囲気を作り出しておりゴジラも一番こわ

い感じがする。物語もよくできており終戦後9年しか経過していないその当時の雰囲気をよく出している。

私のいちばん好きなシーンは芹沢博士と緒方がオキシジェンデストロイヤーを持って海底に潜っていくところだ。

あの「オホーツクの海」の旋律にのってゴジラが海底を歩いてくるシーンは何度観ても感動する。芹沢

と緒方の二人はきっと海底で神を見たと思ったに違いない。伊福部は自ら望むことなく滅んでいく民族

アイヌとゴジラとを重ね合わせてここの音楽を選曲したのだろうか。また、平和への祈りの女子学生た

ちの合唱も素晴らしい。このシーンは伊福部昭本人が指揮しているとのことであるがもちろん映画には

写っていない。また、帝都の惨状という病院のシーンは思わず東京大空襲や広島の惨状を重ね合わせ

てしまうシーンだ。ゴジラという神をも超える存在が東京をめちゃめちゃにしたわけだが、わずか10年前

に人間はそれよりもっと凄いことをしたのだ。人間はゴジラよりもとんでもない存在だとこのシーンは訴え

ているように見える。ゴジラというのは作品、作品でいろんな社会問題や人間の弱い部分などをテーマ

にしている。この第1作も原水爆問題をやんわり批判しているのだが、当時はそれがかえって不評だっ

たともいう。いずれにしてもゴジラは日本の高度成長時代のひとつの象徴ともいえる怪獣だったのでは

ないだろうか。いまゴジラが日本に現われれば景気回復の救世主ということでゼネコン各社から大歓迎

されること間違いなしである。そのうちゼネコンと政府が結託してゴジラを周期的に日本に上陸させ適当

に建物を破壊させるという「ゴジラ ゼネコン疑惑編」などができると面白いのだが。

さて、伊福部昭の映画音楽についてちょっとふれたい。伊福部の映画音楽は膨大な数に上り、名作も

多いのだが、中には明らかに映画と音楽がミスマッチだと感じるものがある。好い例が内田吐夢の「宮

本武蔵第1部」である。はっきりいって宮本武蔵の豪快な物語と伊福部の音楽が合っていないのである。

そのせいかどうかは知らないが宮本武蔵シリーズは第2部から小杉太一郎に代わってしまった。「宮本

武蔵」に関していえば主役の萬屋錦之介とのつりあいやその後のストーリー展開を考えると音楽が変わっ

て正解といえるだろう。もし、あの5部作全部を伊福部で通していたなら大分雰囲気の違った「宮本武蔵」

が出来あがったに違いない。伊福部の音楽はあくが強いので合わない話には合わないのだ。だからこれ

は監督の責任といえるのかもしれない。これとは逆に市川雷蔵主演の眠狂四郎シリーズ中最高傑作とし

て名高い「眠狂四郎 無頼剣」は素晴らしい。これは伊福部にしては珍しくチェンバロを使用しているのだ

が、市川雷蔵のニヒリズムと良くマッチしていて最高の作品に仕上がっている。この映画は相手役の天知

茂もいいし、物語も傑出していてお勧めの一本である。

 

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