SF交響ファンタジー第1番(1983)
@ 汐澤安彦=東京交響楽団 K20G−7169,70 1983.8.5
A 石井真木=新交響楽団 FOCD3140 1984.11.23
B 小松一彦=東京交響楽団 LD32−5105 1989.4.8
C 原田幸一郎=新交響楽団 TYCY−5424,25 1994.10.10
D 広上淳一=日本フィルハーモニー交響楽団 KICC178 1995.9.1
E 金洪才=大阪シンフォニカー VPCD-81036,7 1987.9.13
F 佐藤勝=大阪シンフォニカー SLCS-5029 1993.11.23
その昔ニッポン放送の番組で「デーモン・オーケンのラジオ巌流島」という番組があった。
聖飢魔Uのデーモン小暮と筋肉少女帯の大槻ケンヂのふたりがおもしろいトークを聞か
せる番組で、私も欠かさずに聞いていた。この番組のオープニングとエンディングにかか
っていたのが伊福部の映画音楽「地球防衛軍」のマーチだ。SF交響ファンタジーだと第3
番の最後の音楽だ。なせ゛これがテーマ音楽かというとデーモンもオーケンも伊福部昭の
ファンということでの選曲だったらしい。不思議なことにロックアーティストに伊福部のファン
は多い。ジャンルを問わず愛されている現代日本の作曲家は伊福部だけだろう。逆にクラ
シックの愛好家で伊福部の音楽を聞くという人は多いのだろうか?私の知る限りではNOだ。
アマオケなどで「伊福部昭のファン」とかいうと今はどうだか知らないが昔はゲテモノ扱いされ
たものだ。基本的に伊福部のような音楽を認めるという行為自体がクラシック愛好者からする
と自分の鑑賞者としての品格を傷つけると考えている節があるような気がする。日本のクラシッ
ク愛好者はどちらかという音楽を純粋に楽しむ前に「知識」または「教養」としてクラシック音楽
を「理解」しようとしているのではないか。具体的な例を挙げよう。たとえばベートーヴェンの第9
交響曲。この名曲の決定盤は巷ではフルトヴェングラー=バイロイト祝祭管ということになって
いる。多分100人のクラシックファンに聞けば100人とも「第9だったらフルヴェン」と答えるだ
ろう。しかし本当にそう思っているのだろうか?「フルヴェンの第9が素晴らしい」と言えることが
自分の教養の高さを示していると感じているからではないか?多分に「知識先行」の部分がある
のではと思うのだ。逆にカラヤンの第9がいいとかいうと「こいつはその程度か」と鼻で笑われたり
するのだ。どうしてだろう。これは日本のクラシック愛好者が予備知識や情報に振りまわされいて
自分の耳で判断するという「基本」を放棄しているに他ならない。良い例がCDやLPに必ずついて
いる「ライナーノーツ」、「解説」である。ほかのジャンルの音楽で「解説」のついているものなどある
だろうか?あるのはクラシックだけではなかろうか。はたして音楽に解説は必要不可欠なのだろう
か?私は不要だと考える。基本的に録音データだけで充分だろう。あと最低限の作曲者の言葉が
あればそれで良いのではないか。何の予備知識も与えずさきほどの「第9」を聞かせたとしよう。
もちろんフルヴェンの演奏はすばらしいからそれをベストとして選ぶ人もいるだろう。だが逆に録音
のすばらしさ等からカラヤンを選ぶ人だって必ずいるはずだ。基本的にクラシックを聞く人は頭が
良すぎるのだろう。ロックミュージシャンや映画音楽から伊福部のファンになった人々は基本的に
現代音楽の予備知識やら情報を持っておらず、そのぶん純粋に伊福部昭の音楽に感動したのだ
ろう。この「純粋に感動」するというところが重要で、今のクラシックファンに一番欠けているのがこ
れだと思う。さて、話がかなり飛躍したがこの曲はそんな「純粋に感動した」ファン達の熱い思いか
ら登場したエンターテーメントな曲だ。こんなことができる作曲家は伊福部だけだ。この曲の誕生の
いきさつは初演の模様を録音したLP「SF特撮映画音楽の夕べ」(@のレコード)に詳細が記してあ
るのでここでは省略するが、これをみると今日の伊福部ブームの基礎を作ったのはこの頃大学生
や高校生だった世代の映画音楽ファンであったことが一目瞭然である。現代日本音楽ファンでない
ところが私などからすると寂しい限りなのだが。第1番は「モスラ対ゴジラ」のゴジラ登場のシーンから
はじまり、ゴシラのメインテーマ、「キングコング対ゴジラ」のメインテーマ、「宇宙大戦争」の愛のテーマ
「フランケンシュタイン対地底怪獣」からバラゴンのテーマ、「三大怪獣地球最大の決戦」の闘争シーン
最後は「宇宙大戦争」メインタイトルマーチ、「怪獣総進撃」のマーチと繋げる作品だ。個人的には愛の
テーマが一番の聴かせどころだと思う。さて、演奏だが初演の@は記念碑的演奏会のライブなのだが
一般に評判はよろしくないようである。指揮者の汐澤氏はここに出てくる音楽の映画そのものを知らず
表面的な演奏になっているというのがその論拠らしいが、そういう先入観なしに聞いても平凡な演奏と
いう印象だ。わたしがベストに挙げたいのはBの小松=東響盤だ。小松一彦が怪獣映画ファンだかど
うかは知らないが白熱した名演奏だ。これは理屈抜きに楽しめる演奏といっていいだろう。小松という
のは日本人指揮者の中では珍しくオペラを得意なジャンルとする指揮者であり、そのドラマ性の一致
するところがこの名演を生んだ原因かもしれない。