マーラー ウィーン紀行 その1   2010.10.3-10.7

 

マーラー没後100年を記念してウィーンに行ってきました。やはりマーラーを語るのであればウィーンは

はずせない場所ですね。今回マーラーのお墓をはじめとして、彼が活躍した場所を訪ねました。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

まずウィーンに着いたらマーラーのお墓にお参りするのが礼儀というもの。朝一番でホテルを出発しました。

目指すはグリンツィング。ホテルがKarlsplatzのすぐそばだったので地下鉄U2でSchottentorへ移動。

ここでトラム38番に乗り換え。だらだらとした坂を上って20分近く走ります。

(Schottentorのトラム乗り場) (An den langen Lussenの停留所)(停留所を降りると墓地への案内板が)

 

終点のグリンツィングのひとつ手前の停留所 An den langen Lussen で下車。停留所左手の通りを行きます。

ここも緩やかな坂になっていて墓地は丘の上にあるようです。周辺はリング内とは違い低層住宅やアパートが

立ち並ぶ閑静な住宅街といった感じのところです。停留所からおよそ5分程度で墓地の入り口に到着です。

平日の朝なので私のほかはお母さんと娘さんといった感じの2人連れがお墓参りに来ているだけでした。

マーラーのお墓の場所は国際マーラー協会のホームページを見ると詳しい場所が分かります。

区画YとZのちょうど境のところにマーラーのお墓はひっそりとたたずんでいました。

(グリンツィング墓地入り口)     (入り口正面 ここを左に行く)  (区画YとZの境のところに墓地はある)

 

入り口の事務所でお花を売っていたのでかわいい赤い花の小さいバスケットを4ユーロで購入し墓前に捧げ

手を合わせました。墓前には訪れた人がおいたと思われる花が手向けられており手入れも行き届いています。

マーラーは「私の墓を訪れるものは私が何者かを知っている」ということで墓は質素なものを望んだそうです。

確かに中央墓地にあるベートーヴェンやブラームスのお墓と比較すると簡素なものですが、墓前に立って

みますと彼の言うとおりだなあと改めて感じる次第でした。彼の墓の斜め後ろにはアルマの墓がありますが

二人はあの世で仲良くやっているのでしょうか?

 

 (正面から見たお墓) (斜め後ろにはアルマの墓も) (ちょっと失礼して記念撮影)

 

非常に興味のあるところですね。天候もあまりよくなく10月とはいえウィーンは肌寒い陽気のため名残惜しくは

ありましたがマーラーのお墓に別れを告げました。グリンツィング墓地は丘の上にあり、ここからグリンツィングの

中心部へは下り坂になります。来た道とは別の坂を下っていくと、マーラーの葬儀が行われたというグリンツィング

の教会の塔が見えてきます。坂の左側はなにかの学校のようで生徒さんらしき人たちが授業を受けていました。

坂を下りきるとグリンツィングのメインストリートです。ここはウィーン有数のホイリゲ街となっておりいくつもの

ホイリゲが軒を連ねています。ちょうど季節なので新酒の濁り酒である「シュトルム」が出回っていました。

私も飲んでみましたが「これお酒?」と思うほど甘くて口当たりがいいのでぐいぐい飲めてしまいます。

あとから酔いが回ってくるというたちの悪いお酒です。ただホイリゲ自体は夕方の4時過ぎぐらいから開店する店が

多いため、昼前に訪れた時点で開いているお店は2,3軒しかありませんでした。次回はぜひ夜来ようと思いました。

マーラーもウィーンを去るにあたり送別会(こう書くと会社員の転勤みたいですが)をグリンツィングで開いたという話しが

アルマの回想録に出てきます。その時のレストランが残っているかなと思い調べてみましたが残念ながら見つかりません

(墓地から教会を望む) (教会の塔とメインストリート) (ホイリゲ Zum Martinsepp)

 

でした。もしかしたら名前が変わっているのかもしれません。グリンツィングまで来たので次は歩いてHohe Warte

カールモルハウスへ向かうことにします。カールモルはアルマの母親の2番目の夫でアルマにとっては義理の父に

あたります。アルマの回想にはマーラーと出会った頃の話しでここが登場します。Hohe Warteとは直訳すると

「高い展望台」という意味で隣接するハイリゲンシュタット公園からドナウ川を見下ろすようなロケーションのためついた

地名ではないかと思いますが、そんなに見晴らしのいい場所ではありませんでした。しかしたいへんな高級住宅地で

あることはひと目でわかるぐらい立派なお屋敷が並んでいます。ちょうどここはトラムの終着駅になっておりこの一角を

循環して電車が方向転換するような形になっているのです。Hohe Warteは回想等では「ホーヘワルテ」と訳されていますが、

現地読みですと「ヘーエヴァルテ」に近いです。カールモルの家はアルマがマーラーと出会った頃の家と、その後すぐそばの

 (Hohe Warte トラムの終点)       (最初のモルの家のあったところ)       (2番目のモルの家)

ならびに転居した2つ目の家があり、2つ目の家は当時のままのようでした。今では別のご家族が住んでいるようです。

最初のモルの家は昔のままかどうかはちょっと分かりませんでしたが建物が新しい感じがしたので建て直されているのかもしれません。

現在はサウジアラビア政府の施設に使われているらしく、サウジアラビアの国旗が掲げてありアラビア語でなにか書いてありました。

回想ではマーラーとアルマがDoblingまで散歩したりとか、Rennwegのマンションまでマーラーが歩いて帰ったなどの話しが出てくるので、

酔い覚ましも兼ねて当時の雰囲気を味わうべく自分も歩いてみることにしました。行きが上り坂なので当然帰りは下り坂になるのですが

写真のとおり雰囲気のある住宅街を歩いていきます。マーラーはアルマの家で遅くまで過ごして帰りの馬車がなくなってしまったので

歩いて帰ったそうですが、その当時のウィーンはもっと淋しかったのではないかと思います。でもひとりで1時間以上も夜歩くのだから

治安は良かったのでしょう。Schottentorとのちょうど中間ぐらいに位置するNussdorfer Strasseの駅の高架までだいたい30分弱で

着きましたのでSchottentorからリング通りを経由してRennwegのマーラーのマンションまで1時間30分はかかるかと思います。

健脚といえば健脚ですね。アルマの回想によるとマーラーはそんなにお酒は飲まなかったと書かれていますのでしらふでこの道を

夜中に歩いたのでしょう。さて本来ならマーラーのマンションまで歩くべきところなのですが折角なのでここで道を左に行くところを

右に行きマーラーの亡くなったレーヴ療養所に行くことにします。この続きは「その2」をご覧ください。

 (Hohe Warteからの帰り道 閑静な住宅街を歩く) (正面の鉄橋がU6Nussdorfer Strasse)