摩周湖(1992)

@ 藍川由美=百武由紀、木村茉莉 TYCY5369,70 1993.5.1

A 藍川由美=百武由紀、木村茉莉 30CM-391,2 1995.2.1

B 藍川由美=百武由紀、遠藤郁子 30CM-391,2 1995.2.27

 

ソプラノ、ピアノ、ヴィオラという珍しい編成による歌曲である。作詞は

伊福部との名コンビである更科源蔵氏である。ピアノをハープとする版も

あり@とAはそのハープ版による演奏である。詩は摩周湖に伝わる悲しい

伝説とアイヌの悲劇の歴史を重ね合わせた作品で音楽もその雰囲気をうまく

伝えている。摩周湖の中には小さな小島がひとつあり、それを「カムイシュ」

と呼んでいる。その昔にアイヌの部族間で争いが起こり酋長の幼い子供とその

祖母が命からがら逃れてきたが不運なことに幼い孫と老母ははぐれてしまった。

孫の姿を何日も探すが見つからず老母は摩周湖のほとりに辿りつく。そこでつ

いに力尽き小さな小島になった。そんな伝説だ。伊福部も林務官時代この摩周

湖を訪ねており、その悲しい伝説に想いを馳せたに違いない。伊福部が訪れた

ころの摩周湖は多分透明度世界一の時代で観光道路もわけの分からない近代的

展望台も無かったころだったろうからさぞかし素晴らしかったに違いない。秋

の摩周湖は神秘的ブルーの湖面に真っ赤なナナカマドの実が映えて素晴らしい

のひとことだ。さて、演奏だがAのハープ版の新しい方をベストとして挙げた

い。オリジナルはピアノ版だが伴奏の不協和音があまりきれいに聞こえてこな

いのと摩周湖の透明度が伝わらないのとでハープ版のほうが私は好きだ。ただ

しAとBは同じCDに入っているのでぜひ両方を聴き比べしてもらいたい。ピ

アノ版がいいという人も必ずいるはずだ。

さて私はこの「摩周湖」という詩があまり好きではない。なぜならどうして摩

周湖の伝説とアイヌ民族の滅亡を重ね合わせる必要があるのか甚だ理解できな

いからである。詩の中で「さすらひて行く暗き種族」とか「狩猟の民の火は消

えて」とかいうフレーズが出てくるがアイヌの人からすれば面白くもないだろ

う。摩周湖の伝説は日本人が北海道に移住する前から伝わっていたもので、ア

イヌ弾圧の歴史となんらシンクロするものではないはずである。「対話体牧歌」

のところでも述べたがアイヌへのアプローチがともすれば「滅びゆくもの」と

してのアプローチになりかねない危険を孕んでいることを我々はもっと意識す

べきだろう。私は更科の作品を全て知っているわけではないのだが、更科のア

イヌへのアプローチについてこんな見方もあるんだということをぜひ知ってほ

しいのだ。チカップ美恵子氏というアイヌ人をご存知の方はいるだろうか。あ

の有名なアイヌ肖像権裁判の原告者である。もともとの発端は北海道開拓百年

を記念して出版された「アイヌ民族誌」にこのチカップ氏の民族衣装を着た写

真が無断掲載されたということなのだが、事の本質はもっと根が深い。要はこの

本の編集方針自体がアイヌを「滅びゆくもの」と捉えていること、またアイヌ民

族研究と称してアイヌを「もの(標本)」扱いしていることなどがアイヌの人々

からすると許しがたい行為であり、アイヌ民族の存在自体を否定していると捉え

られたからである。この裁判の被告が「アイヌ民族誌」に写真を提供した更科氏

であったわけである。この裁判提訴後更科氏は死去してしまい、代わりにこの本

の監修者の大学教授が追加被告となる。この後裁判は謝罪文と和解金をもって和

解となるのだ。この件についてはチカップ氏本人が岩波ブックレットから出して

いる「アイヌ文様刺繍のこころ」という本がわりあいに手に入りやすいのでそれ

を読んでいただきたい。いずれにしても更科氏の詩を鑑賞する場合はこのへんの

周辺知識を持った上でないと、とんでもない認識違いを引き起こす恐れがあること

を知って欲しい。