<伊福部昭の魅力とは?>

  伊福部音楽に惹かれる理由とは何だろうか。私が一番最初に伊福部音楽の洗礼を受けたのは昭和53年の

  高校1年生の時である。オーケストラ部から手伝いでブラスバンドのコンクールの練習をしていたが、そのとき

  の自由曲が伊福部の「交響譚詩」だったのである。伊福部の代表作は「ゴジラ」なので子供のときから伊福部

  の音楽と認識しないでそのメロディーには慣れ親しんでいたのであるが、この高校1年の出会いは大変強烈

  で鮮烈なものであった。伊福部音楽の魅力はひとことでは言い表せない。が、もしひとことでというのであれば

  それは「違和感のなさ」であろう。もともと管弦楽というのはヨーロッパから輸入されたものであり日本古来のも

  のではない。そのオーケストラという西洋文化の表現方法を利用して日本人が表現を行うこと、それ自体無理

  があった。だから伊福部以外の作曲家の作品というのは正直言って違和感を感ずるのである。たとえば主題に

  日本民謡を直接使用したり、楽器として伝統的楽器を用いて精一杯「日本らしさ」を表現したりする試みも私から

  言わせると何もわざわざオーケストラを使って表現するほどのものでもなく、それこそ日本の伝統的楽器を使用

  して演奏すればいい代物としか思われなかった。また、西洋風な作品も単なる二番煎じ(猿まね)としか思えず、

  日本人作曲家の作る諸作品にはどれもこれも「違和感」を感じていたのである。そんなときに現われたのが

  「伊福部昭」の音楽なのて゛ある。伊福部の音楽には民謡こそ直接登場しないが、どんな民謡よりもそのメロ

  ディーは日本的なのである。聞いていて違和感のないしっくりいく音楽。それが伊福部昭の最大の魅力といえよう。

  伊福部は幼少期を十勝の音更で過ごし、青春時代を札幌、厚岸で過ごした。彼の音楽はアイヌ音楽の影響を

  受けているという評論家も多い。確かにアイヌ音楽の影響は受けたであろうが、何よりもあの広大な「北の大地」

  が伊福部音楽のバックボーンになっているのではないかと私は考えている。伊福部の音楽を聞くときあの北の

  広々とした大地を、もの悲しい藍色をしたオホーツク海を思い起こすのは私だけではあるまい。西洋の表現手法

  を利用して日本というものの表現を行った伊福部の音楽は、一時日本の楽壇からは異端として取り扱われ不遇

  の時代を過ごした。ちょうど絵画の世界で例えるなら「東山魁夷」や「平山郁夫」の作品を「民芸品」といって馬鹿に

  する現代美術評論家連中と音楽界も同じ環境だったのである。1980年代のはじめから始まった今日のブームが

  起こる前は作品を耳にしたくとも耳に出来ない時代が長く続いた訳である。今回、約22年間伊福部音楽を追求し

  てきた私が各曲の決定盤を紹介し、みなさんに伊福部音楽を更に親しんでもらえばという気持ちを込めて「伊福部

  昭ディスコグラフィー」のコーナーを開設した。みなさんの鑑賞の手引きとなれば幸いである。(平成11年10月24日)

 

  ※ なお文中では全て敬称を略させていただきます。なにとぞご了承下さい。