森下卓少年 提供 マリオ武者野先生・・有難うございます

 マリオが三段で不動の本命だったころ、花村が福岡県北九州市から森下卓という小学六年生の少年を連れてきました。奨励会試験を受けるには、ちょっと背伸びが必要かなと思うような棋力だったのですが、見事合格。当時奨励会試験は十一月に行われ、合否発表は十二月だったのですが、善は急げとばかり冬休みの間に西日暮里の花村邸近くに引っ越しを済ませ、学校もわずか二ヶ月を残して東京の小学校に転校して、将棋修行にはもってこいの環境に身を置いたのでした。
 これからわずかあとにマリオが四段に昇進し、師匠の家に報告の挨拶に伺ったのですが、花村はちょうど森下卓少年と将棋を指しているところでした。特に用事がない日は、卓が学校から帰るとこうして将棋を教えてやるのだそうで、四段昇進報告のマリオを前に、卓を指さしてぬけぬけと「ようやくワシを越えるかもしれない弟子にめぐり会った」なんて言うんです。
 あのとき卓はまだ6級でしたから、利発ではあるものの将棋自体はまだどのようにも変わる粘土のような存在だったのですが、棋力が足りなくても合格する強運と、善は急げの素直さと熱心さに大成する資質を見いだしたらしく、日課のようだった競輪場通いをやめて、A級九段が将棋を指すために弟子の帰りを待つ毎日なのですから、これはもう前代未聞の師弟関係と言うより他ありません。こうした薫陶は卓が奨励会を卒業するころまで続いたのですから、二人の対戦数は楽に千局を越えていると思います。
 ところで卓が注目を浴びるようになってから気になる記述を何度か目にしました。曰く「花村の持ち味は自由奔放な攻めに対し、森下の持ち味は手厚い受けだから、この師弟の将棋は互いに異質だ」というもの。一般のファンが「二人の将棋は似ていない」と言うのだったらマリオもほほえむだけですが、将棋を生業とするライターが「異質」のひと言ですませるのでは不見識の謗りは免れません。せめて深層を流れる思考の源に着目し、『同根の発想だが指し手の表現方法は正反対』くらいの言い回しを用いて欲しいものだと考えているのですが。