自 由 市 場

巴里をナメきった女達……最初のお題がこれなんて強烈かしら?

1渡欧決定(00/04/07)
2.
渡欧前日(00/04/12)
3.
日本脱出(00/05/11)
4.
長い昼(00/06/18)
5.
第1日目〜地下鉄乗るまで〜(00/07/22)
6.近くて遠い凱旋門???(01/04/16)
7.街中が「PARIS」(01/05/19)
8.
危機一髪?!(01/11/17)

 

1.渡欧決定

今まで海外には色々行った私が'96年に行く場所として選んだのはなんとパリでした。どっから見ても欧羅巴の雰囲気がまるで無い私がどうしてここにしたかというと、一緒に行くことにしたタニさん(仮名)と話しているうちになんとなく「ヨーロッパにしよう!」となったのです。ただ数カ所を回るには私の時間と予算がどうしても許さないので、タニさんには泣く泣く1都市に絞ってもらうことになり、そうなると食事がイマイチという話を聞いていたロンドンは却下となり、パリ1都市のみの旅行という事に落ちつきました。
 その話をタニさんと私の共通の知人のウスイさんとキシダさん(共に仮名)にしたところ、「へ”っ???!!!」と切り返されました。
「本当に2人だけで行くの????」と真面目な顔をして2人から言われて頭をよぎったのが、さかのぼる事4年前のタニさんといったハワイ旅行でした。
別の機会でハワイ旅行の件は書く事になると思いますが、その旅行はまだ私が若かったこともあり、疲れたという記憶しか残っていません。
 お互いのいびき歯軋りで寝られなかったり、私のせいでジェットスキーで腰を痛めたタニさんが夜中腰をさすっている姿を「あちゃ〜っ!!!」という思いでこっそり見ていたり、知らずにスラム街を歩いて後で冷や汗をかいたりとか、そんなことばっかりでした。
 その話を知っている2人がビックリするのも無理ありません。しかもタニさんは自他共に認める「他力本願主義」。ということは旅行手配から予定を組むのは全て私のやることなのです。この時も「行くところとかは全てアナタにお任せするからよろしくね〜っ♪」とはっきり言われました。
行きたいところはいろいろあったのでそれは困らなかったのですが、突然タニさんより、「1日ショッピングの日とヴェルサイユ宮殿は入れておいてね!」といわれたのには「おいおい……」と正直思いました。
買い物好き・ブランド好きのタニさんがパリのショッピングをしないわけないので勿論予定してました。さらにパリまで来てヴェルサイユに行かないなんて「ベルサイユのばら」読破の私は絶対我慢できないので、勿論計画にいれてました。それなのに…

所詮こんなもんです、私の苦労って。
初めての事じゃないので慣れてます。

 

 

2.渡欧前日

 パリには7月11日に行く事になりました。これは私が月初から10日まで超忙しいのと、月末には早何度目かの某国家試験が控えていた為、どうしても11日から18日くらいまでしか日程が取れなかったためでした。会社のみんなには「試験前によく行く気になるよな〜っ!余裕ぢゃん。」と思いっきり嫌味を言われてしまいました。

今だに後遺症を引きずってます……。

 それなのに超忙しいのに私は何を血迷ったか、10日に大好きな大江千里さんの大宮ソニックシティのコンサートに行くことにしてしまったんです。チケットが取れたという事もあるんですが、これもファンの弱いとこでございます。ところが10日に全部残った仕事を終わらせなければならないのと、10日は所得税や住民税納付とかや大きな支払いがあり、残務処理がてんこ盛りでありました。定時は5時なんですが、勿論余裕で仕事は終わりませんでした。山のような仕事に囲まれ私は半べそ状態で「千様〜っ!!!」と心の中で絶叫し黙々と片付けていきました。コンサートには30分遅れで行く事が出来ました。外では夏の雨が降っていました。


 家に帰ったら荷造りが待ってます。

 

3.日本脱出

 出発の朝は前日の雨が嘘のようによく晴れました。スーツケースは重いけど足取りは軽く駅まで向かい、空港直行のバスに乗って到着まで爆睡してました。
 フライトが10時台でしたので中野区在住のタニさんとは直接空港で8時に待ち合わせしました。
 国内某航空社の飛行機でしたので、成田は第二ターミナルからの出発でした。この時確かここから出発するのが2度目だったと思います。まだ真新しいこのターミナルの広さに感動するも、どうしても、TVドラマ「高校教師」で高校教師(真田広之)が恋人の女子高校生(桜井幸子)の父(峰岸徹)をナイフで刺したのがここだったので、そのシーンを思い出してしまうんです。
 タニさんと会い、遅い朝食をとり、ようやく離陸と相成りました。
 席は勿論エコノミー。実は計画中にタニさんから「ビジネスクラスで行きたいんだけど……・」と提案があったんです。確かにエコノミー席は狭い。しかも当のタニさんはふくよかな、まるで京塚昌子の若い版と言えるような体型をしていまして、キツイのはよくわかりました。で値段を調べたら「うげ―――――っっ!」と目が飛び出るくらい高くてこれじゃ私は行けませんっと訴えたのです。それでもビジネスで行きたいと渋るタニさんに困った私を助けてくれたのがウスイさんとキシダさんでした。
「正味1日の飛行機のランク上げるなら、4日滞在するホテルのランクあげた方がいいと思うよ。どうせ飛行機の中は寝てるんでしょ?そんなら尚更勿体無いよ。」
 そこまでいわれたタニさんは渋々おれました。私はホッとしました(~_~;)
 案の定、タニさんは食事以外ず――――――っと寝てました。
 もともと寝つきはすばらしく良い人で、横になると数秒後には寝息が聞こえてくるくらいどこでもバッチリ寝ることができるのです。それに引き換え私は行きの飛行機と深夜バスだけはどうしても目がランラン・気持ちは興奮して寝る事が出来ないのです。
 パリのシャルルドゴール空港までの10時間、私は隣で気持ち良く寝ているタニさんを恨めしく見ながら、3度の食事を平らげ、2度の映画も音なしで見て、時折体の位置を変えて寝ようと試みながら寝られず、機内販売の某ブランドのブレスレットを買おうか買うまいか悩みながら過ごしていました。

トホホ…

 

 

4.長い昼

ようやく10時間にわたる(私にとって)苦痛のフライト時間から開放され、仏国のシャルル・ド・ゴール空港に着きました。ほとんど寝ていないので頭の中はボ――――ッ、足はパンパンにむくんでいて最悪の状態の中、出国手続を済ませ空港の中心部に進んだのですが、「はぁぁぁぁ―――っ???」と驚いてしまいました!
 真ん中がふきぬけとなっているこの空港は、各階をエスカレーターで結んでいるのですが吹き抜けの間を通っている数あるエスカレーターがまるで宇宙基地のパイプやスロープに見えたのです。さすが外国の空港は洒落ているな〜って感動しましたよ。空港の中の装飾は地味でしたね。今でも灰色、コンクリート色のイメージがあります。仏国にはもうひとつオルリー空港があるのですが、国際線はほとんどシャルル・ド・ゴール空港発着だそうです。そのシャルル・ド・ゴール空港も最近は発着枠がめいいっぱいとなっているとかで、数年後には新しい国際空港が完成するんですって。東京もそうですが国際都市は大変ですね。
 到着は確か午後2時頃でした。現地係員に順番にホテルへ送ってもらったのですが、パリはよく晴れていましたね。まぶしいくらいでしたよ。
 初日は午後の到着だった事もあり、何も予定は入れていませんでした。私達のホテルは第16区(パリ市は1〜19区に分かれていて中央1区からエスカルゴの貝状に区が並んでいます。)のポルト・マイヨ広場に近いメリディアンホテルでした。ちょっと中心から外れてはいますが、地下鉄駅へは徒歩2分、地下鉄さえ乗ればどこにだって簡単に行けますから、何の心配もしてませんでした。
 ホテルへ入ってすぐ右側がフロントなんですが、いやぁ〜、国際色豊かでしたね。日本人が私達だけ、あとはいろんな人種が入り乱れていました。それも其の筈、数日後にはパリ祭があってそのために諸外国から沢山の人が来ていたのですから。
 チェックインが終わり現地係員と別れ部屋に案内してもらったのですが、ホテルの建物の形がいびつなのかくにゃくにゃしているんです。エレベーターで2つあがり、廊下を歩いていると周りの装飾が黒と赤で異様な感じがして夜は怖いだろうなとまず思いました。こんなところならいつ襲われても不思議じゃないです。なにせここはパリ、思ったほど治安が良くないと聞いていたので、エレベーターから部屋に行くまで何度往復しても不安だけは解消されませんでした。
 部屋の中はまあまあの広さでした。欧米のホテルは欧米人の大きい体に合わせているのか大抵どこも大きめに出来ていると思っていたのですが、ここはそれほどでは無かったです。ただしトイレだけは別で、気を緩めて用を足しているとお尻が(私でもですっ!)すっぽりはまってしまいそうでした。トイレなんてホッとする場所なのに、これは困ったもんでした…。
 少し落ちついたところで、タニさんが「へっへっへ〜っ♪ウスイからいいものもらっちゃったんだぁ〜〜〜〜っ。」と持ってきたスーツケースを開けました。中から出てきたものは…
な、なんとアルファ米&カップラーメンのやまっ!!!!
壁に張り付いた机の上に全部出してみると、おめぇら一体どのくらい日本に帰らないんだよ〜っ???ってくらいありました。なんでも渡欧数日前に私達に餞別を送ろうとしたウスイさんはタニさんの家に電話したのですが、あいにくタニさんはまだ家に帰っていなく、電話に出たタニさんのお母さんとウスイさんは本人不在なのに2人で私達の仏国旅行で話が盛りあがったそうです。(タニさんのお母さんと私達はとっても仲良しなんです)
タニ母「餞別ね、どうもありがとうね。でもイヌちゃん(私です)も一緒なのよ〜」と2人分催促するタニ母…(^_^;)
 仕方なくウスイさんは後日2人分以上のアルファ米のパック・おにぎりセットを雨の降る中、タニさんに持っていったそうです。その時ウスイさんは「さすがに全部は持っていかないよな〜っ。」と思っていたらしいのですが、ご丁寧に全部持ってきたというわけです。
 既に仏国に行った事のあるウスイさん曰く、この国で一番困ったのがご飯が手に入りにくいということだったらしいのです。勿論日系ホテルもいくつかあったのですが、たかがおにぎりで1000円もしたらしいのです。同行のタニさんは1日1食ご飯を食べないとイライラするという海外旅行には困った方で、それを知っているウスイさんは水さえあればご飯が食べられるアルファ米を餞別にくれたわけです。
「これ空にしてお土産入れていくんだからいっぱい食べてねん♪」とタニさん。
…あのう〜、タニさん、アルファ米の他、カップラーメン・焼きそば・うどん・そばもあるんですよぉ…。この山のような食料が後日私達の爆笑旅行の原因になるとは、この時夢にも思いませんでした。
 その晩はホテルの外に出るのがかったるくなってしまったので、目の前のご飯で済ませる事にしました。お風呂も済み窓から外を覗いてみたのですがまだ外はとても明るかったのです。何時だろうと時計を見たら……
 げげ――――っ!10時近くっ!!!
 まるで6時ぐらいの明るさだったんですよ!これじゃパリの人達は夜遊びするわけです。だって夜っていう意識にならないですもん、この明るさじゃ。
 本当に世界って広いんですね。

 

 

5.第2日目〜地下鉄乗るまで〜

一晩明けてホテルのカフェに朝食を取りにいきました。今回の旅行、食事はコンチネンタル形式の朝食だけはついていまして、ビンボーな私達にはとても助かりました。
 コンチネンタルと言う事で付いているのはフランスパン始めとするパンバスケットとオレンジジュースとコーヒー又は紅茶のみ。でも、このフランスパンおいしかったんですよ!!今までいろんなところでフランスパンを食しましたが「やはり本場もんにはかなわんなぁ〜」って正直思いました。現在でもホテルで食べたフランスパン以上においしいと思ったフランスパンは無いんですよ、残念ながら。

朝食も終わりパリを探索しに出かける事としました。まずはホテルの近くにと地下鉄に乗り二つ先の駅にある凱旋門に行きました。外国人のパリ探索には一番地下鉄が便利でして、ツアー会社からは外国人旅行者専用の3日間有効の切符「フォーミュラー3」が渡されていました。地下鉄の切符ははどの切符も緑色が共通の色で意外とチャチな作り。裏側に磁気の読み取り部分が真ん中に棒状に貼りつけられている物です。4日目にカルネと呼ばれている回数券を買い余ったのをしばらく取っていましたが、あまりのチャチさに結局捨ててしまいました。(^^ゞ
 こりゃ良いやと思っていたのですが、ポルトマイヨ駅の自動改札でこの切符が通らないっ?!何度通しても通らなくて、同行者のタニさんは隣で何事も無く通っているのにすっかり困ってしまいました。切符売場のおばちゃんに訴えても言葉が通じずわかってもらえずトホホな状態でした。結局その切符は無事通ったんですが、何せもう4年前のこと、その頃の記憶が薄れてきた現在、どうして通ったかよくわからなくなってしまいました。へへへ(^^ゞ

無事改札を通り地下鉄に乗る事となったんですが、まず改札。
自動改札だって事は既に書きましたが、日本の自動改札を想像しちゃいけません!パリのそれはすっごく簡素な作りになっているんですよ。入口は格子状のドアとなっていてまるで拘置場。手前に切符を挿入するところがあって、切符を入れると格子状のドアが観音開きになって入場できるというしくみです。で入ったところで出てきた切符を取るとなるわけです。
 反対に出口は格子ドアの前に立つだけで自動的に開くようになっています。確かに切符買ってホームに入るわけだから出口で切符のチェックする必要は無いということなんでしょうが、なんとまあ無防備な…。これじゃいくらでもキセルできそうだよなぁと正直思いました。一応不正乗車者には罰則があるそうなんですが、本当に取り締まっているのかなぁ…(・・;)だって市内どこ行くにも7フラン(7/21現在1フラン=約15.5円)の均一料金なんですよ。取り締まるほうが高かったり〜。
 そしてホーム中なんですが、パリの地下鉄と言うのはなんて暗くて陰湿なんでしょう!。言うならば洞窟もしくは要塞の中に地下鉄の駅を作ったってとこでしょうか?。ガイドブックには「夜遅くの利用は避けた方が良いでしょう」とありましたが、実際構内を見て明るいイメージが全く感じられなかった私は即納得しました!実際電車内でジプシー風の物乞いの子供達が回ってきたときにはマジでビビりました。これが昼間ですから夜こんなメンツと出会ったらどうなるのかしらん。私がここまで思うのはこのあとある場所でとんでもない目に会いそうになったからなんですよ。それはまた後日に。
 電車の乗り降りは手動でドアのノブを回してドアを開けてからなんです。最初どきどきしてドアを開けていましたが、慣れてくると減速して電車が止まる前にノブを回してドアを開けていました。こんなこと、せっかちな日本では万が一の事故が起こるとも限らないのでまず無理でしょうね。事故や飛び込み防止からか最新の地下鉄線には電車とホームの間に仕切が出来ちゃうくらいですもの。
 こんな風に私達の観光は始まりました。

 

 

6.近くて遠い凱旋門???

ホテルの地下鉄最寄駅(1号線ポルトマイヨ駅)より2つ目の駅が凱旋門の最寄駅「シャルルドゴールエトワール駅」でした。まずは有名な凱旋門を見てみようと言う事になりました。駅を降り地上への階段を上ると車道の向こうには大きな凱旋門がででで〜ん!!!「ををを――――っ!!」と感動し、凱旋門のふもとまで行こうとしました。が、どう行っていいかさっぱり分からない!
 むこうがわに階段の出口があるのは見えるのですが、その階段がこっち側のどこにつながっているのかが分からない…(~_~;)私達はまるでもぐらたたきゲームのようにこっち側の階段を降りたり上ったり繰り返しておりました。そのうち同じように凱旋門に行くに行けない中年のご夫婦と一緒に階段の上り下りを続けていました。
 そのうちひとつの階段の左側の壁に蒼いプレートが貼ってありました。それをよく見ると凱旋門らしき絵とフランス語の説明が書いてありました。
 「あーっ!!!これだあぁぁぁぁぁっ!!!」
そうです、さっきから上り下りしていた一番道路よりの階段が実は凱旋門のふもとに行く階段だったのです。もうとほほでした…(;_;)
 ようやく凱旋門のふもとに行く事が出来ました。本当に大きかった〜。下から見上げて二人で「はぁ――っ」と大きいため息ひとつ。凱旋門はてっぺんまで登ることが出来るのですが(有料よん♪)階段を探すのにすっかりへとへとになってしまい、それでなくても体力の無いタニさんと一緒でしたので、凱旋門の頂上に行くのには断念いたしました。だって本当に大きくて上るのが大変そうだったのよ。

 落ち着いた私達は大工事中のノートルダム寺院へ行き、ステンドグラスの美しさに目を奪われました。

 

7.街中が「PARIS」

とにかく私達は4泊6日の短い間に色んな所へ行きまくりました。いつもは動き回るのが嫌いタニさんも、流石自分からパリに行きたいと言ったこともあって今回も私が考えたプランに素直に乗ってくれました。というか他力本願のタニさんと行くときはいつも私がプラン考えないと、何もしないで終わってしまう危険があるからですけどね…(~_~;)
 凱旋門のあとはノートルダム寺院に行ったのですが、その頃大修繕の真っ只中で外見は見るも悲しい鉄骨だらけでした。ノートルダム寺院は歴史の重みゆえ外見も素晴らしく、寺院独特の荘厳さを楽しみにしていたのに、鉄骨だらけなんだもんなぁぁぁあ〜っ(;_;)
 後世に残すための修繕で確か期間も5〜10年ほどかかるとのこと。中のステンドグラスは確かに綺麗だったのですが、外の鉄骨のせいで光りがよく差し込まず、魅力が半減でしたね。
 今はもう修繕は終わったのかなぁ???今度行くときはちゃんと建物の全容が見れるといいなぁ。

オペラ座にも行きましたよ。意外にもこれは街中にど〜んと建っていまして、外の階段では市井の人や観光客でごった返していました。ここは通常ステージリハがない時は中に入って観光できるのです。しかし私たちが行ったときは運悪くリハーサルの真っ最中。他の観光客とともに入り口にたち、残念に思いながら見ることの出来ない奥のステージのほうを見ていました。
オペラ座のそばにタニさんが行きたがっていた「フーシェ」というチョコレートの専門店があるとのことで(日本にいるときからそういうチョコレート屋の存在は知っていましたが、この時初めて読み方を知りました!)街中を徘徊してようやく見つけました。入るなりお買い物大好きタニさんはチョコレートを買いあさっていました。

最後の日にはクリニャンクールの蚤の市まで足を伸ばしました。キッチュなおみやげ物があったらいいなと地下鉄の終点にあるこの街まで行ったのはいいのですが、正直いい時間つぶしくらいにしかなりませんでした。東京上野の「アメ横」を彷彿させるものがありますが、パリの人達がやっている分ちょっと品はいいかなぁ?
 狭い道の中にほんと色んなお店が所狭しと並んでいて見ている分には楽しかったですよ。2時間ほどしか時間が無かったのでさわりしか見ることが出来ませんでした。
 でももうここはいいかなぁ〜っていうのが正直な気持ちでした。

 私達の旅行には食事が朝しかついていなかったので、中日にはガイドブックを見て街中のお惣菜屋さんにも行きました。日本でも有名な「フォーション」は確かオペラ座の近くに本店があったはずだし、新宿小田急の地下にだけある「トロワグロ」もどこかにあるんじゃないかなぁ。
 ガイドブックでもページを割くくらいお惣菜屋は充実していました。総菜屋だけでなく地下鉄の駅の構内のお店にはほとんどと言っていいくらいバケットのサンドイッチが並んでいました。私達が行ったのはパリの市民が普通に行くこじんまりとしたお店やさん。夕方だったから結構品数が無くなっていまして、それでもガラスケースの中にはサラダを始めいろいろな惣菜が並んでいました。
 のんべのふたりはビールのつまみになるようなマリネなんぞを買って帰りました。
 もしパリに行かれるような事があり、食事がついてないときはどうぞ街中のお惣菜とかサンドイッチとかを食べてみてください。お店に行くだけでも楽しいですよ。

 

 

8.危機一髪?!

ツアー開始後3日目のことでございました。
そもそもの間違いは思い込みの激しさと、初心者観光客を紛らわす駅の装飾でした。

芸術の都パリに来たなら「ルーブル美術館」鑑賞は外せないでしょう!幸いにもタニさんは美術館めぐりが好きでしたし、私も素晴らしい芸術を見るのはとても興味がありました。ということで3日目は美術館めぐりと相成りました。
 「LOUVRE」(ルーブル)と名の着く地下鉄駅は2つあります。
 「LOUVRE RIVOLI」(ルーブル リヴォリ)と「PALAIS ROYAL MUSSE DU LOUVRE」(パレロワイヤル ミュゼ デュ ルーブル)です。美術館はこの2つの駅にわたって建っているんです。そう、ほーんとデカかったのです!それもその筈、太陽王ルイ14世の宮殿を美術館にしちゃったのですから。
 地下鉄に乗っていてある駅に着きました。メトロは薄暗くてきったない洞穴のような駅ばかりしかないと思っていたのが、目の中に入ってきたのが暖色系の明かりに包まれたガラスケース入りの美術館展示品のオブジェでした。
 「おお〜っ、ここだ、ここだっ!」と2人で歓喜をあげ、何の疑いも持たず電車を降りました。駅の名は「LOUVRE RIVOLI」でした。
 今思えばこのときの私(絶対”私たち”じゃないのぉぉぉ(T_T)は馬鹿だったよなぁとつくづく思います。どう考えても「MUSSE」と入っているほうがメインだろうとあっさり思うのですが、なぜかこの時ばかりはルーブルに関してはほとんど場所の確認をしなかったんですね。そんなわけで美しいオブジェのある駅のほうに降りてしまったわけです。
 地上に出ました。ちょっとした広場と奥にそびえる高い塀しか目に入りませんでした。人はほとんど歩いておらず、「これがあの有名なルーブルの外っ側なんかいな???」ととっても不安になったのです。それでも塀の右側に入り口があるのか、ほんの何人かがそちらに歩いていくのを見たのでそちらに歩いていくことにしました。
 ガイドブックで確認したら別の入り口のほうに出たらしく、とりあえず間違っていなかったことがわかりホッとしました。

この時タニさんと私は何故か離れて歩いていました。多分私が先に行ってここが入口で合っているのかどうかを事前に調べようかと思って先を歩いていたのでしょう。
 その時です。脇から外国人の女の子2人がやってきました。私に近づいて1枚のチラシを広げて英語で何か訴えていました。話す言葉はほとんど理解できなかったのですが、見せられたチラシで何となく「恵まれない子に愛の手を」らしいカンパのお願いであることが分かりました。
 こんなビンボーな旅行者捕まえて何がカンパだよっ!と思ったので一生懸命手を振り頭を横に振り「NO!NO!」と強く訴えました。しかし2人は一向に私から離れようとしないのです。さらに強く英語で喋りまくってました。このままじゃ埒があかないと思い、私は2人を振り切って走り出しました。
 2人は諦めたのか、私を追っては来ませんでした。

私の後ろからぜーぜーしたタニさんが追いついてきました。
「あんた!バック見てっ!!!!」そう切れた息で叫びました。何だろうとたすきがけにしていたバックを見ました。

げげげ―――――――っ!!!???( ̄□ ̄|||)
 カバンのファスナーが半分開いていたのです。。。。。
「私が叫んだの聞こえなかった?」全然聞こえてませんでした。
「チラシの下から手を伸ばしてファスナーあけていたんだよ。」まったく気が付きませんでした。

後日キシダさんに話を聞いたら、パリ祭に来た観光客めあてなのか、大陸内だからなのか国際都市だからかいろんな人種が来ていて、物乞いするヒッピーなんかも普段から結構いるそうです。確かに別の日に地下鉄乗ったときにも、ヒッピーの子供たちがカンパを募っていて、怖かった思いをしたことがありました。で、私が突き飛ばさず逃げ出したのは一番いい方法だったとも言われました。もし突き飛ばしていたりしたら人権尊重する国柄もめごとになったかもよって。

実は2人の女の子は私のところへ来る前に、タニさんところへ行ったらしいのです。が、体格がよろしいタニさんをみてかなわないと思ったのか諦めて、体の小さい私に寄って来たんではなかろうかと言ってました。

しかしお財布が無事でよかったよ〜ん(^▽^;)
 そのときの所持金は多分400フランあったと思う。「星の王子様」の絵柄の50フランも一緒に!(すっげ〜可愛いお札なのだ。ユーロで見れなくなると思うと。。使わずとっときゃよかった。。。(T_T)
 そして私たちは無事に激混みの正面玄関に行くことができ、美術品鑑賞を楽しみました。

 

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