記事タイトル:確率統計学とは何か 


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お名前: 鎌谷直之   
岩波が出す「統計科学のフロンティア」というシリーズに折り込みで何か書いてくれとい
う依頼があったので、次の原稿を書きました。

参考になれば幸いです。

遺伝学、医学の立場から統計科学への期待

東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター
大学院先端生命医科学系専攻遺伝子医学分野
鎌谷直之

私の現在の主な仕事は臨床医療と臨床医学の教育である。また、これまでの研究者として
の経歴は実験生物学者としてのものである。しかし、約30年前に大学を卒業して以来、遺
伝学、統計学、計算機が最も重要視されるようになるであろうと予測し、そのような手法
を研究と教育に取り入れてきたつもりである。
今回、遺伝学、医学の立場から統計科学への期待について執筆してほしいというご依頼が
あったので喜んでお引き受けし、日ごろ思っている事を以下に主張するものである。
私の統計学(特に統計学教育)に関しての主張は以下の4つの項目にまとめられる。
1. 確率統計学教育を大幅に拡充し、大衆化すべきである。
2. 現実世界と理論を結びつける概念の習得に重点をおくべきである。
3. 用語を改正し統一すべきである。
4. 遺伝学の題材を大幅に取り入れるべきである。
これらについて一つずつ説明をしたい。まず、本誌の読者には統計学の専門家が多いであ
ろうから、統計学教育を拡充すべきであると言う1の主張にはだれも異論が無いであろう。
しかし、私は社会における必要性の面から確率統計学教育の重要性を主張したいのである。
現代の日本は大きな転換期に立っており、多くの人は日本の将来を悲観し、自分の将来に
ついても希望を失っているようにも見える。私はこれを、決定論的教育を受けた人々が、
非決定論的社会に直面した結果の反応であると見るのである。これまで日本のほとんどの
人たちは上の指示に従う事でことたりるような人生を送ってきた。どの大学に入れば、ど
の会社に就職すれば人生の安定は保証されていたのである。そのような人々に最も有効な
教育は決定論的立場に立った教育であり、上の指示、社会の支持に従う事の利益を教え込
む事であった。非決定論的社会にどのように立ち向かうかは高級官僚やオーナー社長など
限られた人だけが知れば良かったのである。
しかし、時代は一変し、非常に多くの人々が自分で考え、自分で行動しなければならない社
会になりつつある。そこに必要なのは非決定論の社会に対処する行動学である。現在の日
本人はそのような教育は受けておらず、決定論の社会に対処する能力しか備えていない。
そのような現実に直面した個人の苦悩が、うつの多発、自殺者の増加に反映されているよ
うに思われる。
一般的に、決定論的教育を受けた個人が非決定論の社会に対処する方法は3つある。第一
に、何もしないで引きこもる事である。第二は方向を定めず、やみくもに猪突猛進すること
である。第三は、うらないに頼る事である。しかし、最も賢く、個人にとっても幸せな対
処法は、自分の行動について非決定論的理論に基づき考察する事である。行動する前に、
シミュレーションを行い(一つの実験を定義し)、行動によりありうる結果をすべてまとめ
あげ(標本空間を定義し)、それぞれの結果の良いところ悪いところを検討できる指標を
考え(ランダム変数を定義し)、それぞれの結果や、その集合である出来事(事象)、あ
るいは指標の起きる可能性を考え(確率測度、分布関数を定義し)、その上で行動に移す
事である。さらには実際の行動により観察されるデータを収集して、どのような結果の集
合(出来事)が起きたのか、どういう行動様式を取れば良かったのかを徹底的に分析する
事である。即ち、確率統計学を学ぶ事である。
このような教育こそ、いまの日本において最も重要な教育であると主張したい。以上のよ
うな主張は必然的に、第2の、確率統計学教育の重点を(純粋数学理論や検定の技法ではな
く)現実社会と理論を結びつける概念の習得に置くべきであるという主張に直結する。も
ちろんこれは高等な数理的な確率、統計学の理論の重要性を軽視するものではない。
例えば、現在の日本の医師や医学生物学者が統計学をどのように捉えているかと言うと、
それはPを計算する道具だと思っている。従って、統計学を実践する事とは即ち、Macや
Windowsのソフトを立ち上げ、その中にデータを入れて出てくるPという数値を記録するこ
となのである。このような状況を統計学の教育者は見たくはないであろう。種々の検定の
技法の教育ももちろん大切である。しかし、少なくとも大学までの教育としては、検定の
技法でも、純粋の数学理論でもなく、現実社会と理論を結びつける概念の習得に重点を置
くべきである。
それを達成するため、第3の用語の改正と統一、第4の遺伝学の題材の大幅な取り入れを主
張したい。数理的に確率統計学を教育する目的では用語は単なる記号にすぎない。しか
し、現実世界と理論を結びつけるためには用語は決定的な意味を持つ。日本では「全事象
の生起する確率は1、空事象の生起する確率は0」と教えている一方で、米国では「確実な
出来事の起きる確率は1、不可能な出来事の起きる確率は0」と教えているのである。この
差は大きいというのが私の主張である。また、離散のランダム変数(確率変数という用語
にも私は反対である)の分布を表す関数に、確率分布、確率密度関数、確率量関数のどの
用語を用いるか、さらには分布関数と累積分布関数のどちらを用いるかなども統一すべき
であると考える。
さらに、遺伝学の題材を確率統計教育に大幅に取り入れることを主張したい。そもそも統
計学の歴史は遺伝学と密接な関係を持つものである。ゴールトンが親と子の遺伝的関係を
解析するために回帰の概念を用いた事、K. ピアソンとフィッシャーが遺伝的問題で大きく
対立した事はよく知られている。例えば、K. ピアソンとフィッシャーの対立を考えて見て
も、これは本質的にメンデルの法則を認めるか認めないかの一点に集約されると言うのが
私の考えである。メンデルの法則とは、即ち仮説でありフィッシャーの最尤法や仮説検定
の考え方がメンデルの法則を認め(即ち仮説を設定し)、その下で観察データの得られる
確率(即ち尤度)を考える事を意味していた事は確実である。そのような手法は自然科学
では行うべきではないとK. ピアソンは考えたのである。
このような遺伝的問題を考える事無しに記述統計学と近代統計学の違いの本質を捉える事
は(少なくとも初心者には)難しいのではないだろうか。例えば、遺伝学的データの分析
においては、真の分布、あるいは真の相関とは観察データにより考察されるべきものでは
なく、まずメンデルの法則により定義されるものなのである。これは統計学が応用される
他の分野とはかなり異なった性質のものである。
私が統計学の遺伝学以外への応用に異を唱えていると解釈されると心外である。ただ、少
なくとも初心者には遺伝学的題材を用いて、確率統計学を現実世界へ応用する事への意義
と信頼性を植え付けるべきであると言うのが私の主張である。更に、最後に、統計学を行
い、数学、物理学、その他すべての人間活動を行う主体(即ち個人)が、遺伝学の対象と
する遺伝子の産物そのものである事を述べ、遺伝学が将来にも重要な学問でありつづける
であろうことを予測したい。
[2002年10月24日 14時8分35秒]

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