記事タイトル:客観的であること 


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お名前: 鎌谷直之   
私の考えも山中先生と基本的に同じです。

実は客観性だけが一番良いわけではない。実際には患者さんのためには個別性の方が大切
でしょう。

しかし、裁判や意思決定など、どちらかを強引に選択しなければならないときには必ず客
観性が要求される。そして、その究極として統計がある。

ただし、患者さん個人個人に対応するときにはその個人の幸福を考えねばならない。
それは必ずしも客観的なものではないでしょう。しかし、一旦、その患者さんや
家族が医師の対応に不満を持ち、訴えるなどという事になるとやはり客観性が問題となる。
その時、最後に決着をつけるのはもちろん客観性でしょう。ただし、訴えるか否かという
点については、やさしく対応したとか、親身になって考えたとかいう客観性以外の要素が
関係してくる。しかし、残念ながらやさしい医師だから無罪という事はない。

おそらく以前の医療においては客観性はそれほど必要なかったと思います。それは対立と
いう要素があまりなかったからでしょう。私自身は医療にはある程度の対立が望ましいと
考えますが、おそらくほとんどの日本の医師は対立は好ましくないものと考えているで
しょう。

好むと好まないとにかかわらず、これからの医療には対立の要素が増加し、従って客観性
が必要となってくると思います。

我々は限られた時間で、できるだけ効率的に医療情報を知らなければならない。この掲示
板の果たす役割は大きいと考えています。情報はお互いに提供しあう事が大切です。積極
的に投稿していない人は是非提供していただくようお願いします。
[2002年3月31日 18時58分55秒]

お名前: 山中 寿   
客観的であることをどのように定義し、どのように運用するかに依存すると考えます。
臨床研究の困難さは、対象が社会生活を送る患者さんであり、それぞれが独自に考え、
それぞれが行動することにあります。RCTではこれらの多くの要因には二群間で差がない
と仮定して行っているわけで、それはそれで理解できるのですが、多くの要素を無視し
ていることには変わりないと思います。科学的真実は求めやすく(言い過ぎです
か?)、社会的真理は求めにくいものです。科学的研究により証明された客観性は、あ
くまでその研究システムにおける客観性であり、現実の患者さんにとっての真実である
と考えることには危険があると思います。
我々医師には、科学者としての一面と社会人としての一面が要求されています。科学者
として真実を求める姿勢は重要で、そのために我々は多くを学ばねばなりません。しか
し、昨今の情勢では、社会における我々の立場を正しく認識する必要性を強く要求され
ているように思います。何に対して客観的であるのかを常に問い掛ける姿勢は必要と考
えます。
言うは易し、行うは難し、ですが・・・・・・・・・・・
[2002年3月31日 15時44分7秒]

お名前: 鎌谷直之   
それでは、本当に客観的であること、真実を追究することが常にいいことか?

例えば、祈祷についていえば、「祈祷により治る」という主張は客観的とは言えない。
しかし、祈祷によって治ると「誤解」すれば、患者はより幸せであり、治る可能性
も高くなる可能性があることが認めざるを得ない。

しかし、医師が祈祷を使ったらどうだろうか。おそらく、「祈祷により治る」という
主張がどこかで整合性を失い、医師は信頼を失うであろう。例えば、癌でいくばくの
命もない患者がいるとして、科学的方法で全くなんの手段もなくなったとすると、祈祷
の方が有効である事がある可能性もあると思われる。

このあたりの関係は本当に難しいと思います。
皆さんどう思いますか?
[2002年3月31日 7時50分31秒]

お名前: 鎌谷直之   
疫学ことはじめに、教科書の要点を書いています。これからも続けますので興味のある方
は見てください。

面白い記述がありました。

どこかの大講堂で外科の偉い先生が講演をしていた。
「自分は1000以上の手術をして全例成功した。」
長い講演の後、後ろのほうで小さな声で質問する人が居た。
「コントロールはありますか。」
外科の先生は言った。
「それは手術をしない半分の患者がいるかということですか。」
質問者
「そうです」
外科医は憤慨して、机をたたいてこういった。
「私が手術をしないでそのままにしておく患者がいるかって。そんなことをしたら半分の
患者を死なすことになる。」
会場は静まり返った。
最後に質問者が小さな小さな声でいったことは。
「どっちの半分?」

また、欧米で祈祷の治療効果についての研究もなされていることも書かれている。
一つの結果は、祈祷には治療効果なし、別の研究の結果は「治療効果あり」という
事であった。

祈祷のような前近代的方法でも、予断を持つことなく近代的手法で研究するところ
が面白い。
[2002年3月30日 10時39分35秒]

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