記事タイトル:分類基準について 


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お名前: 岡本 完   
赤真先生のおっしゃるように「分類基準とは、臨床試験をしたり、疫学調査をする上で
患者群をできるだけ少ない項目で選別可能とするように作成されたもの」と思います。
診断は山中先生の御指摘のように、治療方針を決定するためのものであり、ある患者さ
んの病態の中でたまたま我々の目に触れた任意の時点における診断は必ずしも普遍的な
ものではなく、経過を追って行く中で明らかになることが有るように思います。従っ
て、ある時点において診断を議論するのは重要ですが、必ずしも治療方針が大きく変わ
らなければ、「SLEのようなフェルティの症例」として診断においての議論の内容をカル
テに残す事の方が、確定診断を付けて完全に分かったつもりになるよりも良いように思
いますが、いかがでしょうか?
[2003年1月1日 20時47分34秒]

お名前: 谷口敦夫   
ゲノムから得られる情報は客観的判断(診断)のなかで大きなウエートを占めるように
なると思われます。
分類基準で診断することの欠点は各々どの項目も事実上1点とカウントされることで
す。同じSLEでもこの症例のポイントはここ、という所があるはずです。そういうところ
が1回のpresentationで見抜けるようになりたいと思います。
[2002年12月31日 20時27分34秒]

お名前: 小竹 茂   
『診断』と『分類基準』についてくりかえし話題になるので私見を書いてみます。

『診断』はできるだけ病因に近いところでなされるように医学は『進歩』してきています。たとえば、かつての『労咳(ろうがい)』がコッホにより
結核菌が原因であると証明され結核菌の証明で『診断』されるようになりました。感染症以外の疾患ではこれほど単純ではないわけですが膠原病関連
疾患でも病因にできるだけ近い基準で『診断』されるようになってくるのではないでしょうか。したがって本当に正しい『診断』は現在の医学では非
常に困難であるわけです。

一方、『分類基準』は「本当の『診断』は、おいといて、(治療のために、あるいは『科学的』検討のために)とりあえず『分類』しておきましょ
う」、という発想だと思います。たとえば、精神科領域のDsm IV: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersなどは、「原因はいまは
よくわからないからそれは問わずに、とりあえず症状で分類しましょう」、という考えでできている思います。まさにアメリカにおいて発展した極め
て現実的な発想です。ACRの分類基準も同じような発想だと思います。
[2002年12月31日 15時2分45秒]

お名前: 赤真秀人   
分類基準をそのまま当てはめるととにかく検討会での症例のようなSLEとしては非典型例が
SLEに入ってしまう、ということになります。私にはこれこそが分類基準を用いて診断する
ことの限界であると思えます。
RA(確か平均罹病期間5-6年くらい)、SLE、OA、その他いくつかの疾患を専門医から提出
させ、これらの症例のなかからRAを充分な感度/特異度で選び出す基準を求めたものが1987
年のRAの分類基準だと理解しています。すなわち専門医がすでに診断した症例をさらに均
質化するために作成された基準と考えるべきで(だから除外基準は不必要だと私は解釈し
ています)、個々の症例の診断に用いる目的で作成されていません。

という、谷口先生の意見に賛成です。(ただ、以下は私個人の意見です。)

分類基準は経験に基づいたものであり、個々の患者に対して、特定の診断が適切か否かを
意味するものではない、と私は解釈しています。分類基準とは、臨床試験をしたり、疫学
調査をする上で患者群をできるだけ少ない項目で選別可能とするように作成されたものと
思います。よって個々の患者の診断用として必要な情報量が必ずしも考慮されていないと
思われます。

患者、医学生や一般の医師が分類基準をそのまま診断基準と置き換え、この基準を用いて
個々の症例を診断することは、やむを得ないと思います。私たちリウマチ科医師も分類基
準をもとに診断を下すことが完全に間違いとは言えません。しかし当センターでは、SLE分
類基準を4項目以上満たすことからSLEと判定してもよいだろう、とまず頭の中で考えた上
で、不明点が有ればいろいろと自ら調べ(いわゆる知識や経験のある医師の意見を聞くの
も良い)、debateし、最終的に担当医が熟慮、悩んだ後にSLEと判断した場合、SLEと診断
してよい(あるいは逆の場合はSLEとは診断しない)し、その過程は尊重されてよい、との
立場をとるべきと私は主張しておきます。少々、大袈裟に言えば、それが「臨床」なので
はないのか、と考えています。

ちなみに私の考えでは、3項目しか満たさなくともSLEのことはあり得るし、4項目満たし
てもSLEでないことはあり得るわけです。ただ、3項目しか満たさないSLEをたとえば疫学
調査の対象として組み入れてはならないでしょう。

以上、(やや極論すれば、)リウマチ科医師が分類基準によらずとも個々の患者に対し疾
患の診断をすること、逆に除外診断をすることも(例外的に)可能であり、このことは
もっと強調されるべきでないか、と私は考えています。もちろんあまり独善的になりすぎ
ないように留意しなければなりませんが。
[2002年12月31日 13時18分53秒]

お名前: 山中 寿   
1982年の改訂SLE分類基準の中心人物であったEng Tanが1982年に来日したとき、鎌谷先
生は「では誰がその症例をSLEと診断したのか」と激論していました。
20年前の話ですが、確かに鎌谷先生の主張は一貫しています。
[2002年12月29日 16時13分48秒]

お名前: 山中 寿   
我々は臨床の現場にいるのですから、診断の目的を常に念頭において考えるべきだと思
います。

1.臨床の現場で患者の治療に当たるときには、まず治療方針を念頭に置いて考える。
極論すれば治療方針が変わらないのなら診断は別につけなくても良い。診断により治療
方針が異なる場合は現時点で考えうる手段を尽くして診断に近づける。谷口先生の
chronicityを重視する立場はこれに当たると思います。

2.学会報告などで症例を提示する場合、またそのような症例を集めて論じる場合には
分類基準を満たすことが必要。

いずれの場合も診断に至るプロセスが重要で、特に所見の取り方に習熟する必要があり
ます。例えば本当に関節炎なのか、本当にレイノー現象なのか、本当に蝶形紅斑なの
か、そのあたりが信頼できないと診断自体の信頼性が無くなります。
[2002年12月29日 15時55分28秒]

お名前: 鎌谷直之   
これは非常に重要な、面白い問題だと思います。
客観的判断と主観的判断のどちらを基準にすべきかの問題が関係していると思います。

これまでの日本では比較的客観的判断基準は必要なかったのだと思います。
もともと人に序列ができていて、それに逆らわない事が良い事だと教えられてきたので、
自分を主張する人は多くは無かった。

一方、欧米では以前から、自分が自分がという人が非常に多かった。そのような状況では
客観的判断が問題になってきます。これから日本でも俺が俺がという人をどんどん作って
いかなければなりません。そのような社会をうまく機能させるシステムも考えなければな
りません。

分類基準とはちょっと違うと感じる人が多いと思いますけど。
[2002年12月29日 8時0分3秒]

お名前: 谷口敦夫   
分類基準を用いての診断の話です。先日の症例検討でも話題になりました。その時は
フェルティかSLEかが問題になりましたが、診断がどちらかはともかくとして、分類基準
をそのまま当てはめるととにかく検討会での症例のようなSLEとしては非典型例がSLEに
入ってしまう、ということになります。私にはこれこそが分類基準を用いて診断するこ
との限界であると思えます。
RA(確か平均罹病期間5-6年くらい)、SLE、OA、その他いくつかの疾患を専門医から提
出させ、これらの症例のなかからRAを充分な感度/特異度で選び出す基準を求めたものが
1987年のRAの分類基準だと理解しています。すなわち専門医がすでに診断した症例をさ
らに均質化するために作成された基準と考えるべきで(だから除外基準は不必要だと私
は解釈しています)、個々の症例の診断に用いる目的で作成されていません。ちなみに
RAにおいては、分類基準を診断に用いた場合の有用性についての論文もありますが、最
近は関節炎を診た場合、RAと診断することよりもむしろchronicityを診断すべきである
との考え方が出てきています。RAであってもmonocyclicであれば別にRAと診断しなくて
も構わないわけです。
[2002年12月28日 23時28分40秒]

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