記事タイトル:統計と運用 


書き込み欄へ  ヘルプ
お名前: 斎藤仁之@遺伝統計G   
凄いところを書き間違えていました。汗

賭の話、実験で確かめたときに圧倒的に選ぶのは賭けA(100万 or 10万)の方です。
私自身もAの方がいいです。‥参加賞10万円が確保されているのですから‥
[2002年1月11日 21時19分2秒]

お名前: 斎藤仁之@遺伝統計G   
突然乱入して申し訳ありませんが、私にも発言させてください。

いま読んでいる本(ベイズ統計入門:繁桝算男著、東大出版)に以下のような
例がありましたのでちょっとだけ紹介させてください。

いまの先生方の議論とはちょっとだけ離れてしまうかもしれませんがご了承下さい。

----

いま2つの賭け、A、Bのどちらか一方に参加することを考えます。

△ 賭けAは、コインの1回投げて表が出れば100万円を手に入れられるけど、
もし裏が出れば10万円しか貰えない。

△ 賭けBは、コインを1回投げて表が出れば110万円手をに入れられるけど、
もし裏がでれば何も貰えない。

このような状況で最適な決定ルールを構成することを考えることにします。
思いつくルールとして貰える金額の期待値の大きい方を選ぶというものがあります。

もしコインの表の出る確率を1/2とすると、賭けAに参加する事によって得られる
と予想される金額(金額の期待値)は55万円、
賭けBに参加する事での得られる金額の期待値も55万円(賭けAの期待値と一緒)。

つまり期待金額の大きい方の賭を選ぶルール(期待金額最大化ルール)によると
賭けAと賭けBはまったく同等ということになります。

ところが実際にこれを実験で確かめてみると圧倒的に賭けBを選ぶ人が多いそうです。
理由は決定に影響を与えるのは金額自体ではなく、効用(どれだけの金額が望ましいか)
である‥という事に起因するからだそうです。

もちろん、金額と効用が直線関係ならばどちらでも同じことになると思います。

この効用と金額の関係曲線を書くと、実際には何もないときから10万円貰う時の
10万円の価値は、100万円貰っている人がさらに10万円貰う時の10万円の
価値よりも遙かに大きいという事がわかります。

そして、それぞれの賭けでの各効用を主観確率で重み付けした平均を期待効用として
これが最大になるような行動を選ぶ(期待効用最大化)こと(ベイズ決定のルール)が
決定のルールに近い‥というような事が書かれていました。

------

先の鎌谷先生が出された例での死亡率とは、上の例で云うところの賭で貰える「金額」に
あたるのではないか‥と考えられます。そしてそれは効用とは直線関係にはなっていない
可能性もあります。治療の際の効用とは患者さんが得られる満足度になろうかと思います。

ここの部分に先に山中先生やその後に鎌谷先生がご指摘されていた、「患者個人には1%、
10%の違いは意味がない可能性もある‥」という考えが含まれるのではないかと思います。

おそらく鎌谷先生は幸福度関数を提唱されていらっしゃるので上の事を全てをご承知の上で
話を展開されていらっしゃるのだと思います。例えば‥「いま患者さんにどの処置をしても
患者さんへの負担は全く同等である」という前提を"仮定して"考えている‥ということかも。

先の鎌谷先生の文章を読まれた他の先生の中には、
「死亡率の統計的な数字の比較での選択法で本当に良いのか?」と不思議に感じられた
先生がいらっしゃるかもしれません。その「しっくりこない」感覚は大切かなと思います。
逆に「それだけでいいのか!」と膝を叩かれたら‥患者の立場としてはちょっと怖いです。

おそらく‥鎌谷先生の真意としては‥この死亡率の統計的な取り扱い法を熟知された上で
さらに患者さんの幸福度を考慮する方向にまで確率統計の感覚を各自磨いていただきたい‥
ということなのではなかろうか‥と考えております。

ちなみに‥私見ですが、
患者の効用曲線より、医師の効用曲線の方が死亡率期待値曲線に近い事があるのかなと思いま
す。
死亡率の改善だけを見ている場合、何かの時にトラブルの元になるかもしれないな〜と思うのは
そこにいったい誰の為に治療いたのか?と患者に疑われる可能性が潜んでいるからだと思いま
す。

長文失礼いたしました。
[2002年1月11日 21時6分40秒]

お名前: 鎌谷直之   
これは、ありうる話しなので考えて下さい。

SNP Aの人が500人、SNP Bの人が500人いるとします。
SNP Aの人はほっておけば死亡率10%、Bの人は死亡率1%とします。

1%と10%でもどうせ死ぬときは死ぬ。死んでしまえば100%だ。10%の割合で死んでいるとい
うことは一人のひとにはありえない。たしかにその通りです。しかし、つぎのように考え
てみましょう。

ある薬Cを投与するとSNP A,Bのどちらのひとも50%の確率で助かるとします。しかし、残念
なことに3%の人は副作用で死亡するとします。

もし、薬剤Cを投与しないでほっておくと死亡者の数は、
500 x 0.1 + 500 x 0.01=55人(平均)

もし、薬剤Cを全員に投与すると死亡者の数は
500 x 0.1 x 0.5 + 500 x 0.9 x 0.03+500 x 0.01 x 0.5+ 500 x 0.99 x 0.03=55.85人
(平均)

もし、薬剤CをSNP Aに投与し、SNP Bに投与しないとすると死亡者の数は
500 x 0.1 x 0.5 + 500 x 0.9 x 0.03+500 x 0.01=43.5人(平均)

このように統計を使うと確実に死亡者を減らせます。この1%, 10%, 3%、500人という数字
を変えるとどうなるでしょうか。そうすると、すべての人に薬を投与したほうが良い場合
と、だれにも投与しないほうが良い場合と、SNP Aだけに投与するほうが良い場合にわかれ
ます。

全く統計を使わない戦略だと、全員に薬剤を投与するか、全員に投与しないという選択し
かありません。
これは未来の展望を持たずに目をつぶってじっとしているか、逆に展望なしに目をつぶっ
て猪突猛進する場合に相当します。日本では、このどちらかの方針の人が多いようです。
統計を使うと、この二つの他に、ある条件の患者だけに投与するという選択がでます。一
般にそれを使ったほうが患者が死亡する確率は低くなる。
しかし、一人の人については死ぬか死なないかのどちらかで、1%、10%の違いは私には意味
がないという考えもありえます。
確かに患者のレベルでは確率を理解することは難しいかも知れません。しかし、少なくと
も医師のレベルでは理解して欲しいと思います。もちろん医学に知識は大切です。しか
し、知識以外の能力として確率統計の感覚は大切だと思います。
[2002年1月9日 13時38分37秒]

お名前: 鎌谷直之   
Pの有意水準についての歴史はよくわかりません。

雑誌には平均20位論文があって、その一つくらいは間違っていても良い
ということでしょうか(冗談)。
でも必ずしも5%ではないですよ。
[2002年1月8日 8時18分24秒]

お名前: 山中 寿   
不勉強で申し訳ありませんが、また疑問を一つ。
「統計的に有為である」ことの判定基準の一つとして危険率5%における判定が多く、
これは一種のコンセンサスになっているようです。この5%という数字の根拠に歴史的
変遷や、研究者間の意見の相違などはないのでしょうか?
線引きを考えるうえの手がかりになるように思います。
[2002年1月8日 1時30分18秒]

お名前: 鎌谷直之   
確かに、危険が1%でも10%でも行動にかわりはない、という感じはよく理解できます。

また、49%だと投与しない、50%だと投与するというこの根拠がわからないという
のも非常に良く理解できます。
これが、統計を実際に運用するときの一番の疑問点です。

しかし、確かに49%と50%の間で線を引くのはおかしいという議論もわかりますが、
どこにも線を引かない(即ち、どのような結果でも同じ行動を取る)という行動
と、どこかに線を引いて、それにより行動を変えるという戦略をとるとします。
このような二種類の行動を1000人ずつの人が取ったとすると、後者の方が良好な
結果を得る人が多いということが証明できます。生死にかかわるものなら、後者
の行動のグループの方が死亡者が少ないでしょう。

また、リスクが1%と10%で同じ行動を取るグループと、行動を変えるグループが
いるとします。そうすると後者のグループの方が死亡者が少なくなることが
わかります。

しかし、もちろん一人の人については生きるか死ぬかのどちらかです。
ここのところが、どうしても統計が理解されない理由だと思います。

この問題をどのように説明するか、本当にむずかしい問題です。
[2002年1月7日 19時43分50秒]

お名前: 赤真秀人   
たとえばでですが、コレステロール値が245mg/dlだと240mg/dlのときと比較して、心筋梗
塞の相対危険が有意に増加して1.1倍になる、と大規模試験で結果が出ていると仮定しま
す。副作用や通院の手間、費用などの問題を除いて(食事や運動療法も除く)考えれば、
現在の臨床医学では薬剤を投与することこそが科学的なのではないでしょうか。それはそ
れで良いのですが、私は、そこにEBMの限界があると思っています。やはり目の前の患者
さんに投与するかは、EBIMの世界に入らないとすっきりしない、と感じています。

私は、なんだかんだ言っても極論?すれば、EBMはfor patients, or for the peopleの要
素が強い(強すぎることが多々ある)。
一方、EBIMはfor my patient, or for a patient of mine、
と思っています。もちろんEBMを否定する気は毛頭ありません。

以上、もしかしたら私が大きく勘違いしているのかもしれませんので、反論、異論大歓迎
です。
[2002年1月7日 12時14分6秒]

お名前: 山中 寿   
不勉強で申し訳ないのですが、既に回答のあることであれば、すみませんがお教え下さ
い。
EBMが浸透して行くうえで、統計や確率の考えが本当に理解されなければならないと思いま
すが、現実の社会や日々の臨床の中で、統計で出された数字がどのように運用されるかを
考えてみる必要があるように思います。
1.危険度などの数字は連続的だが、社会や臨床においては、危険か危険でないかという
all or nothingの判断を求められることが多い。一定のレベルで線引きが出来るのか? 
例えば、薬剤が有用である、ないしは危険であると考える根拠は何に依存するか。「有用
度」が50%なら有用で、49%なら有用でない、重篤な副作用の可能性が0.1%であれば危険
で、0.01%であれば危険でないというように一定の線引きをする根拠は何か。根拠があり
コンセンサスになっているとすると、そのコンセンサス自体の見直しも時々は必要ではな
いか。
2.重篤な疾患に罹患する可能性があると言われた患者の反応は、その確率が1%でも10%
でも大きくは違わないのではないだろうか。コレステロール値が240mg/dlを超えると心筋
梗塞の確率が**倍になる、だから薬を飲みましょう、と医者に言われて患者が薬をのみ
始めるかどうかは、結局は患者の意識と医者の説得力にかかっている。

したがって、危険度に関する社会の認識を高めるためには、統計学を用いて説得力のある
資料を作ることと、それを運用するソフトウエアの両者が必要であると考えます。
わかりやすいのは、リスクが高いと保険金が高くなる保険のシステムです。このようなシ
ステムをいろいろな場面に導入すると、危機管理に対する認識が高まり、データの運用が
しやすくなると思いますが、如何でしょうか?
【余談ですが、最近の生命保険は、高リスクでも保険料が変わらないことを歌い文句にし
たものが出ています。これは保険の先進性を損なうような気がします】
[2002年1月7日 9時51分33秒]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL
※ 書き込みはご自分がいれた改行+カラム端でも自動改行されます。

半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る