記事タイトル:RAに対する治験の倫理性 


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お名前: 赤真秀人   
臨床試験を受けるか否かを当センターの臨床試験担当責任医師が決めることに対し、私に
全く異議はありません。倫理的にどうか、の詳細を知りませんので、ハッキリはわかりま
せんが、倫理的にうんぬんの「科学的根拠」はないと推察します。それでも責任医師が熟
慮した上で引き受けないと判断されたのであれば、それを尊重しますし、それで良いと思
います。だれかが判断しなければならないわけですので。しかし、以下のことは主張して
おきたいことです。

私は、いまさら新たなDMARDといっても、実際に臨床試験はやりにくいだろうし、たぶん仮
に自分が一担当医師になっても一例も登録できない気はします。けれども、私が強調した
いことは、倫理性に乏しいのかを判断するのは難しい、と感じることです。臨床試験は、
対象となる個々の患者のためではなく、全国ないし世界中の患者のために行なうものです
から、私が自分の患者に試したくない、というだけでは議論になりません。ひょっとする
と極めて有用な薬剤なのかもしれません。その芽を摘むかもしれないことに関し、それな
りにリスクとべネフィットを考慮した上で判断すること、判断されたことに異論は有りま
せん。しかし、その判断にどれだけの「科学的根拠」があるのか、は知りたいのです。繰
り返しになりますが、私は科学的根拠などない、と思います。しかし、根拠がないことが
悪いとは全然、思っていません。「感」、で判断している部分が非常に多いのではないで
しょうか。しつこいですが、私はそれで良い、と考えているわけです。そんなことこんな
こともひっくるめて、「臨床」なのだと考えています。

私はDr. Pincusらの論文を読んでいないので、これまた私が間違っている危険性も有るこ
とを承知の上で言いますが、Pincusの言い分がすべて「正しい」のか、根拠にたるものな
のか、はわかりません。そのうちPincusらの論文を読んだら、自分の考えを記載したいと
思います。
[2002年12月31日 13時21分4秒]

お名前: 鎌谷直之   
治験を受けないという態度が評価される時が来るでしょう。

我々は常に、倫理に対して徹底的な議論と考察を繰り返す必要があります。
しかも情緒的な倫理感ではなく、ディベートに裏打ちされた倫理観が必要だと思います。
[2002年12月27日 18時28分36秒]

お名前: 山中 寿   
RAに対する治験の正当性・倫理性が今後問題になると思います。
最近、ある製薬会社から6か月のプラセボを含む早期2相試験の依頼がありましたが、
倫理性に問題ありと判断して断りました。
即効性のあるDMARDが存在する以上、長期間プラセボを投与するような治験デザインはも
はや認められません。私の感覚ではとんでもないと思いましたが明確な根拠が無く、何
となく不安に思っていましたが、最近、この件についての論文を見つけました。この論
文では、RAに対するDMARDのプラセボ投与は最大3か月ぐらいだろうと述べています。

Stein CM, Pincus T.
Placebo-controlled studies in rheumatoid arthritis: ethical issues.
Lancet. 1999 Jan 30;353(9150):400-3. 

勧められるままに治験をする時代は終わり、各々の施設が判断する時代になっていま
す。
[2002年12月27日 17時18分24秒]

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