記事タイトル:どうでもいい話 


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お名前: 鎌谷直之   
山中、岡本、山田先生ありがとうございます。

実は私も自分に訴訟が降りかかるとすごくいやだと思います。良い傾向というのは患者さ
んにとってのことです。

しかし、我々も準備しておいた方がいたみは少ないと思うのですが。

それに、今度また保険の自己負担が増えますよね。金も出すけど口も出す、
という患者さんが増える事が予想されます。

心研の事故の場合、医局が昔ながらの雰囲気でパターナリズムに凝り固まっていたようで
す。術前のインフォームドコンセントでしつこく聞く家族に主治医が怒って鉛筆(ペ
ン?)を投げたそうです。患者はだまって医師の言う事を聞けばよい。という雰囲気だっ
たそうです。

女子医大は心研の事故の反省無しに再生する事は不可能です。皆さん、できる限り外部調
査の内容なども吟味していただくようお願いします。

心研の問題は終わったと考えるのは間違いです。外部の目はまだまだ相当厳しいと考える
べきです。このような討論も是非活発に行いましょう。
[2002年12月26日 13時55分41秒]

お名前: 谷口敦夫   
弁護士氏の「説明したことはカルテに書いて患者さんのサインももらうと良い」はなるほ
どとも思いますが、細かいことまでは無理ですよね。また、訴訟を前提にしたうえでの診
療の様にも思えます。診療は訴訟を前提にすべきでしょうか?少なくとも一部はyesと思い
ます。医師-患者の信頼関係というのはやはり大事で、しかしそれが大きい場合にこそ訴訟
のリスクも大きいと思います。ん〜むづかしい。
[2002年12月26日 13時52分30秒]

お名前: 山中 寿   
鎌谷先生は訴訟は増えるほうが良いと言われますが、裁判はいやなものです。

私が書いた診断書のために、民事訴訟の参考人として東京家庭裁判所に招致されたことが
あります。

「仕事がうまくいった場合、医師は全員から感謝されるが、弁護士は50%から恨まれる」
この事実を身をもって体験しました。

貴重な経験でしたが、できることなら二度と経験したくありません。
[2002年12月26日 10時53分52秒]

お名前: 山中 寿   
ひとつ確実なことは、「時代は変わる」ことです。

20年前のことを思い起こすと、
・癌を本人に告知するなどごく例外的なことであった。
・承認されていない新薬(治験薬とは言わなかった)が同意なしに患者に手渡されてい
た。
・薬剤師が服薬指導をする場がなかった。
などなど・・・今となっては考えも及びません。

現時点で常識と考えていることが常識でなくなる可能性は確実にあります。
[2002年12月26日 10時41分29秒]

お名前: 岡本 完   
山田先生の言う、ヒューマニズムと鎌谷先生のおっしゃるリスクの確率と重大性を起き
る前から評価すると言う事とは、必ずしも相反する事ではなく。リスクの確率と重大性
を起きる前から評価し、それを患者および家族と話し合って方針を決める過程において
ヒューマニズムは生きてくると思いますし、医療関係者ー患者の関係が重要だと思いま
す。今までは、医療関係者ー患者の関係を過信して文章として残さない事が多かった
り、そのような時間的な余裕を持たなかったのだと思います。これからは、このような
話し合いや契約文章の作成に時間が取られるでしょう。それをするためには、今の出来
高払いの診療報酬制度の改革など国が制度改革をしなければ実際には実行不可能と思い
ます。アメリカの医療のように、患者と十分に話ができるような外来診療ができるよう
な環境作りが必要なのだと思います。それまでの移行期には我々医療関係者側に過剰な
負担がかかる事が予想されます。
[2002年12月25日 23時45分38秒]

お名前: 鎌谷直之   
申し訳ないが、昔ながらのヒューマニズムは現在では危険だと思います。

危険と言うのは、医師だけではなく、患者さんに対しても。

患者さんはすべて訴える権利がありますよ。それは医師を嫌いだとか憎んでいるとかとは
違うと思います。ミスに対しては補償を受ける権利は誰でもあるでしょう。

しかし、ミスを冒した医師が処罰される事は間違いだと思います。それを行う前の時点で
正当な理由があってそれを行った場合にはね。誰でもミスを冒すわけですからね。しか
し、それでも患者さんは賠償を受ける権利はあるでしょう。だから、医師は皆、保険に入
るべきだと思います。

「交通事故を起こしたくないから車運転しない」というのは間違いでしょう。しかし「重
大な交通事故を起こす確率が高ければ、当然運転すべきではないでしょう」
だから確率と言う概念を抜けば、リスクのあることはやらないという、消極的な態度を取
らざるを得ないでしょう。リスクを十分値踏みして行う事が、これからは必要だと思うの
です。ゼロリスク症候群とは、リスクの確率と重大性を考えずに、それを恐れて消極的に
なった状態でしょう。しかし、リスクを十分値踏みするには、周囲の状況や色々の事を考
慮する深い洞察がいりますよ。そこが純粋な心だけではすまないところでしょう。せちが
らいと言われればそうかも知れません。

私はこのような考え方が、今の日本でどんなに抵抗を受けるかが良くわかっています。や
はりこれまでの日本人の価値観からは許せない事ですからね。しかし、私はこのような道
以外に進む道はないと思います。私はわりとこのような状況は好きですけどね。

ところで、ここで言いたいのですが、掲示板では積極的に討論しましょう。考え方に反論
したり、議論するのは自由にしましょう。しかし、人格や個人を攻撃するのはいけないこ
とにしましょう。心配ないとは思いますが「ころばぬ先の杖でね」
[2002年12月25日 19時6分13秒]

お名前: furuya   
先日、弁護士(息子の友人のお父さん)と話す機会がありました。なるべくなんでも説明するよ
うに心がけること。説明したこと、同意したことは、その都度、できるだけカルテに書いて患者
さんのサインをもらうようにしておくといいそうです。そうすれば、事故や副作用が出て訴訟に
なってもいいそうです。
ひとは、そのときそのときで変わることが多いので(つまり今は従順な患者でも明日は訴訟相
手)必ず文書で残してサインをもらうようにすべきだと思います。あとで“こんなことはまった
く聞いていない”ということは、本当に多いそうです。しかし、そんな時でもカルテに書いてあ
って本人のサインがあれば、法律上は聞いていると判断されるそうです。
[2002年12月25日 17時59分49秒]

お名前: 山田 徹   
結局のところ医療従事者は、もっと世知辛い現実を知れということなのでしょう。仮に医
師が、患者さんおよびその家族の方と治療方針などにつき親身になって話し合いをして
いったとしても、現実問題として患者が亡くなるような状況になったとしたら、家族はそ
の医師に対して不信を抱くかもしれないし、ひょっとしたら手のひらを返したかのように
その医師を何らかの形で訴えるかもしれないですよね。今後はこのような状況が確実に増
えていくことと思います。結局はリスクを伴う医療行為というのは、患者さんへのベネ
フィットを第一に考えて施すべきものですが、それ以前にまず医療サイドのリスクを考え
た上で行う、というような方向に行ってしまうのではないでしょうか?でもこの考え方っ
て、「交通事故を起こしたくないから車運転しない」、「ちんぴらに絡まれたくないから
繁華街へ行かない」と言う考え方と同じ気がします。ますます無気力・保守的、またある
意味神経質なくらい周りの見渡せる医師が増えていくことでしょう。まあ、私のような
ヒューマニズムなどという古い言葉をまだ信じて仕事している人間は考えを改めないとい
けないと言うことなんでしょうね。何か今後は、医療を行う上で医療行為上のリスク、そ
して患者および患者さんの家族との間で見えない駆け引きを行っていかなければならない
世界になっていく、そんな気がします。
ところで「リスクの確率と重大性の評価」という言葉が何度も出ていますが、今までの医
師はこういうことをあまり考えていなかったと言うことなのでしょうか?私にはそうは思
えないのですが。
[2002年12月25日 16時45分5秒]

お名前: 鎌谷直之   
私は岡本先生の言うように、皆がリスクを認めざるを得ない社会になると思います。

これまでは、患者さんもリスクは無いと、医者を信じ、医者もリスクにうすうす気づいては
いても、起きてから考えればよいという態度です。

リスクを認めると、当然リスクがあるならやるべきではないという考えが出てきます。し
かし、本当に賢い方法はリスクの確率と重大性を起きる前から評価するという事です。も
し、現時点で評価できなくても、我々は常にそれを評価できるような行動様式を取らなけ
ればならないという事です。

リスクについては起きてから考えればよい。そんな事考えていたら思い切って行動できな
い、という考えは未来には許されないと思います。リスクがあっても、その確率と重大性
を評価した上で行うと言う事です。もし、現時点で評価できなくても、それを今は評価で
きないということを知っており、これからの行動によりそれを評価できるようなデータを
出していくという態度が重要だと思います。

私は以前から色々の場面で主張しているのですが、日本人には「実感と納得」としての統
計学教育が欠損しています。ただ、統計的解析法の技術を学んでいるだけです。

これから情報化社会になり、すべてが隠せなくなります。自分の行動をすべてアカウント
できなければなりません。決定論では自分の行動をアカウントできません。非決定論に基
づいて自分の行動を説明するしかないのです。

副作用が出ると知っていながら投薬しなければなりません。事故がおきると覚悟しながら
手術をしなければなりません。それを正当化するのは起きる確率とその重大性、それに対
抗する効果とその恩恵の大きさです。

今までは、そんなことを考えなくても「尊敬できる先生のすること」として信頼してくれ
た。起きた後でも、医師のかばいあいにより何とか免れる事ができた。これからは自分で
自分の行動を説明できなければなりません。
[2002年12月25日 15時8分43秒]

お名前: 岡本 完   
結局、以前のゼロリスク症候群の話になりますが、何にでもリスクが伴うと言うことを
みんなが認める社会になれば、それに合わせた対策をしなければならないと言う事と思
います。以前のように何となく有耶無耶ファジィ−な世の中では無くなってきていると
いうことで、ある意味では良い事なのでしょう。
学校も一つの例で、学校での生活にもリスクがあり、ナイフで怪我をする人をゼロにす
るために排除し、体罰で怪我したり死んだりする人が出てそれをゼロにするために体罰
を排除し、そんな安全なはずの学校を作ったらいじめ、学級崩壊に溢れた学校になりま
した。(個人的観測ですが)
これと同じでリスクを伴う医療行為を排除したら、医療行為は成り立たず病気自体で死
ぬ人が増えることになるんじゃないでしょうか?
[2002年12月24日 23時19分50秒]

お名前: 鎌谷直之   
もちろん、訴訟を完全に逃れるには医師をやめるしかないでしょう。
しかし、どんな職業でも訴訟はありますよ。

訴訟を逃れる事はどんな場合でも働く以上は不可能ではないですかね。

しかし、訴訟の無いのが良い事とは思いません。

医療に限らずなんでもリスクはあるでしょう。
必要な処置をおこたるのももちろん訴訟の対象でしょう。

私は訴訟がもっとあるべきだと思っているのですが、これは例外ですかね?
[2002年12月24日 0時35分22秒]

お名前: 田中 栄一   
結局、医師は危険なこと(手技)はやるな。
当直もするな。
外来も他人に任せる。
わからなければ、他に全部まかせる。

究極的には、そうでもしないと訴訟は逃れられません???
[2002年12月23日 23時32分43秒]

お名前: 岡本 完   
私が愛知県の病院に居た時(1年ほどですが)に、そこの院長が医局会で医療訴訟の具
体例を示して、医局員に注意を喚起するという事をしていました。どのように具体例を
手に入れていたかは不明ですが。伝統的日本人には世知辛いという感じはしますが、社
会全体が欧米化している以上対策は必要と思います。医療訴訟対策に医療行為にかかる
時間の多くをさくと言う危惧はありますが。
土曜日夜にテレビ朝日でスマステーションという番組をやっていて、その中に医療の
コーナーがあります。医者には批判的な内容が多いですが、日本のマスコミのなかでは
比較的根拠に基づいた内容で、ためになる事も多いと思います。
[2002年12月21日 22時20分46秒]

お名前: 山中 寿   
<肥満児治療訴訟>「足への負担注意怠る」国に賠償金支払い命令
 奈良市在住の少年(13)=当時小学5年=が、国立療養所西奈良病院で肥満治療中
に右足首を痛めたのは、担当保育士が運動療法の片足縄跳びをさせる際に注意義務を
怠ったためとして、国に損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、奈良地裁であった。地
裁は国の過失を認め、請求通り治療費など約20万円の支払いを命じた。(毎日新聞)
[12月19日20時14分更新]

この記事を見ると、日常的に行ってきた医療のかなりの部分に対しての見直しが必要に
なるのか、と暗たんとした気持ちになります。しだいに効果を犠牲にして安全性を重視
する防衛的な医療になる傾向は今後、ますます強くなるでしょう。

ただし、「社会が望むもの」と「患者が望むもの」は必ずしも一致せず、場合によって
は正反対の場合があります。社会の世論を構成する意見は必ずしも当事者の心情を反映
するとは限らないことは認識すべきと思います。

医療がいわゆる「社会」が望む姿になることが患者のためになるとはいえず、実際に医
療がそのようになるとは思いません。医療に携わる者の意見をもっと発信するべきであ
ると思います。

どうでもいい話が、どうでもいいとは言っていられない話になりました。
[2002年12月21日 12時25分13秒]

お名前: 鎌谷直之   
私自身は医療訴訟が増える事は結局は良い事だと思います。

確かに医師の思うような医療からは離れるでしょうが、患者さんにとっては良い医療にな
ると思います。

しかし、医師がそれを良い医療と考えるようになるためには意識改革が必要だと思いま
す。患者さんにも意識改革が必要でしょう。

これまでの考え方の人はこぞって悪い医療になると思うでしょう。

好き嫌いにかかわらず、そのような医療になっていくことだけは確かでしょう。
従って、我々は若い医師を指導するときには、訴訟社会になることを前提とした指導をす
べきだと思います。それは良くない医療だからといって時代に逆らうのは無責任だと私は
考えるのですが。別の意見があればお願いします。
[2002年12月20日 16時31分26秒]

お名前: 山中 寿   
病気の数は増えなくても、弁護士の増える分だけやはり訴訟は増えるということです
ね。

なるほど。
[2002年12月19日 23時25分7秒]

お名前: 赤真秀人   
先日、弁護士、その他の友人と話して得た事柄です。

1)和歌山カレーライス砒素事件で、亡くなった被害者の遺族が、救急病院を誤診で訴
えています。1審では、医療機関側の勝訴でしたが、今後、どうなるか不明です。
私が驚いたのは、(多分ですが・・・友人も実際のところは確認できていない)たとえ
医療機関側が負けなくても、医療機関側が雇った弁護費用は医療機関側が持つことにな
るらしい。

本当かいな? 私、および私以外の法曹関係者でない者は、とても信じられない、と驚
いていた。

2)現在、弁護士(検察官、裁判官を除き?)は日本に17000人。ロースクール制度がで
きれば、確実に弁護士が増えて、医療訴訟が頻発するようになるだろう。医師にとって
辛い世の中になってしまう、と私が話したら、そんなことはない、医師側につく優秀な
弁護士もどんどん生まれるはずだ、とのことでした。

なるほど。
[2002年12月19日 20時3分10秒]

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