記事タイトル:庄司さんの講義に思う 


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お名前: 赤真秀人   
私の考えが主流派とは少々驚きました。うれしいような、いや,逆につまらないような気がしま
す。(私は、鎌谷先生のように本当に統計がわかって主張しているのではなく、単に感と印象
(と屁理屈)で自説を組み立てているようなものですから)。
理論的に間違いでないなら、かえって少数派の方がやりがいがあり?ます。これからは、いわゆ
る少数派の考え方を尊重し、それを常に念頭に置き、その面からも物事を見ていきたいと思いま
す。

Minimal Clinically Important Difference(MCID)がどのようなものか私は全く知らないの
で、その内容に期待します。MCIDでは、私の考え方が,今度は少数派になるのかもしれません
ネ。その時こそ,やりがいがあります。負けずに反論,主張できるようにいろいろと考えておこ
うと思っています。
[2002年5月22日 23時12分46秒]

お名前: 猪狩勝則   
私は解析結果としてのP<0.0001とP<0.05の違いそのものに意味があると考えているわけ
ではなく(いや全く考えていないわけではありませんが)、戦略を変える分水嶺である
αを事前に設定するためには山中先生のおっしゃるMinimal Clinically Important 
Difference(MCID)の概念が必要であり、事前にサンプル数とMCIDからαを求めておくこ
とが大事ということを表現したかったのです。

臨床的有意性がある程度判断できなければ事前にαを定めることは難しいと思うのです
がいかがでしょうか。

とはいうものの実際には私も事前に何らの判断をすることもなく解析し、微妙なPを得て
から右往左往しています。JARAMISの解析で右往左往した結果、はじめて稚拙ながら
Minimal Clinically Important Differenceについて思いを馳せた次第です(もちろんこ
の表現そのものは山中先生の受け売りです)。

また実際にMinimal Clinically Important Difference(MCID)を確実に設定することが困
難である以上、解析結果を公開する場合にP値はP<0.0001といった表現ではなく、P=
0.00009(同様にP>0.05ではなくP=9.45等)というように値そのものを示し、情報の受け
手がMinimal Clinically Important Difference(MCID)とサンプル数からその差を判断で
きるようにすることが望ましいのではとも考えています。もちろんどの水準をもって有
意とするかという自分の考えは示した上での話です。そうすれば例えばCRPが0.001の差
でも有意な差があると考える人にも、CRPの差が1あっても有意な差とは考えない人にも
対応できます。いかがでしょうか。
[2002年5月21日 19時28分50秒]

お名前: 鎌谷直之   
この問題は統計学の中でも議論のある問題だと思います。

私は赤真先生の立場で、現在の統計学の主流もそのような考えです。
フィッシャーはどちらかというと山中、猪狩派、ネイマン、ワルドはどちらかというと赤
真、鎌谷派です。

後者では、対立仮説に意味があるかどうかは決められないと考えます。そして、仮説検定
はその仮説の正しさの加減については全く何も言う事ができないと考えます。そうではな
く、統計的検定推定は、それにより戦略を変える道具であり、それを用いたほうが利益を
得る事ができることが重要だと考えます。

例えば、フィッシャーは仮説検定でP<0.0001とP<0.05の違いは意味があると考えます。し
かしネイマンはPは最初からどの程度なら戦略を変えると決めてから検定を行うべきで、
それがどのような基準であろうとかまわないし、その差に意味は無い、と考えます。

以上のような事から私は臨床的有為性を強調する事には賛成ではないのです。しかし、以
上のようにこれは統計学の間でも議論のあるところであり、どのような立場でも間違って
いるわけではありません。
[2002年5月21日 17時37分13秒]

お名前: 赤真秀人   
しつこくてすみません。しかし,私の意見は普遍ではないのでしょうが、不変です。科学的に
(科学的なんてちょっと大げさだけど)明らかな間違いであれば直しますが、許容される範囲内
であれば直したくありません。

「それでも例えばCRP0.01に臨床的に意味はないと考えることは臨床家の大きな仕事の一つだと
考えます。」

意味がないかは本当は誰にも決められない。他の会社の薬よりもCRPを少しでも下げる薬を有す
る製薬企業は,意味があると主張し,プロモーションに励むかもしれません。それはそれで良い
のではないか。何が真実(に近い)なのか実際には分かりようがないのだから、臨床研究で得ら
れた統計学的結果を尊重することも大切ではないか、というのが私の立場です。だからといっ
て、CRPが0.01だけ高い目の前のある患者に対して,貴方は0.01低い人より関節破壊がきっと進
みますよ、とは私も言いませんが。

もちろん,臨床的に意味がないと考える人,主張する人,判断する人が多いことは予想していま
す。それはそれで尊重しますが、その考えにも実は根拠がないのでは?!。
[2002年5月20日 17時20分41秒]

お名前: 猪狩勝則   
CRPが関係していないという帰無仮説のもとに研究デザインをたてる場合に、少なくとも
どの程度の差をもって有意とするかはやはり事前に考えるべきことだと思います。結果
的に微妙な数字になって悩むことは多いのでしょうが。それでも例えばCRP0.01に臨床的
に意味はないと考えることは臨床家の大きな仕事の一つだと考えます。

山中先生のMinimal Clinically Important Difference(MCID)についての説明に大いに期
待しています。
[2002年5月20日 12時55分20秒]

お名前: 赤真秀人   
猪狩先生の「この場合はあらかじめ臨床的に有意と考えるCRPの差を検出する水準を統計的に有
意とすることで解決すると思います。」 に反対はしませんし、その考えも正しいと思います。

しかし、・・・・・

スタデイ前には、CRPがいくつの差なら臨床的に有意とは残念ながら決定できないのだけれど
も、CRPが影響しているんじゃないか?、それならやってみよう。その結果、CRP0.01
の差でも統計学的に有意であった。これは,些細な差に過ぎないけれども,もしかしたら臨床的
にも有意義なのかもしれない(本質を突いているのかもしれない)。

もちろんそんな差に臨床的な有意性などないと考える人も存在して良いとは思います。
[2002年5月20日 12時30分26秒]

お名前: 山中 寿   
私の表現が少し誤解を与えたようですので追記します。

「統計学的に有意でも臨床的に有意でない研究」にはいくつかの意味があり、
1.研究デザイン自体に問題があって臨床医には評価されない研究
2.研究デザイン自体に問題はないが結果の解釈が統計学者と臨床医で異なる研究
などがあるでしょう。

私が最初からするべきではない研究、と言ったのは1.であって2.ではありません。
田中先生も書いているように、やはり研究デザインは大変大きな問題であり、J-ARAMISを
うまく機能させるためにも相当勉強しないといけないとつくづく感じています。

このスレッドでの谷口先生・赤真先生・猪狩先生の論点は、どれだけ差があれば臨床的に
有用か、という事かと思います。これはMinimal Clinically Important Difference(MCID)
として最近注目されている概念です。

MCIDは最近特にRAの臨床研究で注目されており、Smallest detectable difference (SDD)
の閾値を統計学的に検討するアプローチとOpinion-baseで定義するアプローチがOMERACTで
も行われています。これに関しては私ももう少し勉強して別スレッドで解説します。
[2002年5月20日 10時11分33秒]

お名前: 田中 栄一   
J-ARAMISで実際に数千人のRA患者を解析していて、初めて、いろんな困難に出くわしま
す。

例えば、私がやっているGIでは、
1) 最初に患者さんをNSAIDs内服あり・なしの2群に分ける場合:
 あり群とする場合、
  study開始時点で最低何か月 or 何日以上のNSAIDs使用が必要か?
  これを数年追っていく時、ずっと NSAIDs使用がないといけないかどうか?
  記載漏れがあったら、dataが1回でも抜けていたら、脱落になるか?カルテを調べる
  べきか?(3-5年も追えば、千人単位のかなりのdata抜けが予想されます。)
  NSAIDsが間欠投与をどうするか?錠数は?NSAID併用(内服+坐剤)はどうする?
  後で、潰瘍が発症したとき、NSAIDsをずっとのんでいたが、潰瘍発見の数か月前から
  たまたま (症状があって?)NSAIDsをやめていたらどうなるのか?
  薬剤種類でわけるか?胃薬の併用はどうする?
2) 最初に患者さんをRA活動性あり・なしの2群に分ける場合:
 あり群とする場合、
 CRP・ESRなど、項目として何を採用するか?
 ワンポイントのdataでよいか or 経時的に活動性を評価すべきか?
 CRPなら、いくつ以上(経時的には、いくつ以上の上昇)を活動性ありとするか?

ざっと簡単にあげても、(簡単に解決できる項目も多々ありますが)最初の設定の時点で
無限の可能性があります。

最初の研究デザインの重要性は大事なのはよく分かりますが、
実際、いろいろと勉強して、考えてデザインを立てていかないと、
臨床的 にはあまり意味のない、統計的有意差を、とてつもない労力をかけて追い求めてい
るということになりかねない印象があります。

今は、実際、いろいろやってみて初めて、様々な問題が初めて分かるというかんじです。

要するに、鎌谷先生がおっしゃるように臨床、統計のどちらもよく勉強しなさいというこ
とでしょう。
 
[2002年5月20日 0時37分50秒]

お名前: 猪狩勝則   
私は<疫学解析のポイント>のスレッドでも何度か述べたように、そもそも臨床的に有
意でないなら統計学的に有意とすべきではないと思います。ただ臨床的に有意であるこ
との線引きは非常に難しいですよね。鎌谷先生がおっしゃるように臨床、統計のどちら
にも精通して、両方の立場から判断するようになることが最もよいことに違いはないの
ですが、仮に精通したとしても臨床的に有意であると言い切ってしまうのは、もしくは
臨床的に意味がないと言い切ってしまうのは依然としてかなり難しい問題だと思いま
す。常にグレーゾーンが存在しますよね。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ior/keijiban2/550689697265625.html

山中先生がおっしゃる研究デザインが重要であるということには強く賛同します。<
「統計学的に有意でも臨床的に有意でない研究」=「結果が出ても有用と思われない研
究」は意味がない、すなわち、最初からするべきではない研究>というくだりも部分的
には理解できます。
しかし例えば今までエヴィデンスは得られていないが経験的に行ってきた医療を検証す
るために大規模疫学研究(n=数千)を行なったとします。結果が明らかに有意であれば
今まで経験的に行ってきたことの裏づけがとれるわけですし、そうでなければ今まで経
験的に行なってきた医療を否定する結果になるわけでいづれにしても面白いリサーチだ
と思います。問題はその医療を受けた患者と受けていない患者の間でごくわずかの差
(例えばCRP0.01など)でP<0.05程度の統計学的な差が得られた場合ですよね。これを
「統計学的に有意でも臨床的に有意でない研究」と呼ぶのなら結果的にこういうデータ
になっただけであり、そもそもの研究デザインは悪くないと思います。やはり問題解決
のポイントは臨床的な有意をもって統計学的な有意を設定することだとおもいます。こ
の場合はあらかじめ臨床的に有意と考えるCRPの差を検出する水準を統計的に有意とする
ことで解決すると思います。結局問題はどのレベルに臨床的に有意と考えるCRPの差を設
定するかにつきあたるのですが。

私は庄司さんの講義を拝聴できませんでしたので多少ピント外れの部分もあるかもしれ
ません。お許し下さい。
[2002年5月19日 12時15分49秒]

お名前: 谷口敦夫   
臨床的有意性を判断するのに、赤真先生の言われるように「ある時点でのCRPの差が0.01で
あっても、CRPが低い方が10年後に寝たきりや車椅子を要するようになることが統計学的に
有意に少ない、とのデータ」があれば、有意性をより客観的に判断できると思います。し
かし、現実にはこういうデータは少ないのでは?
SASPとLFMですが、前回はCRPのみのデータを出しましたが、実際は投与12週目でSASPとLFM
で差があったのはHAQ,CRP,RF,ESRで、差がなかったのは圧痛・腫脹関節数、朝のこわば
り、患者・医師の改善度でした。論文の結論は、SASPとLFMは同様の効果、でした(Lancet 
1999 vol 353,259-)。でもこれで、本当に同様なのか?LFMの方が良いのではないか?こう
いうときには、ACR20を満たすから云々、ということになるのでしょうが、そうすると、た
しかに「学会のコンセンサス」に行き着きますね。
[2002年5月18日 9時43分43秒]

お名前: 赤真秀人    
統計学的有意と臨床的有意性、とはよい用語と思います。以前、私は臨床的に有意義、を用いま
した。

仮に、日本中のRA40万人を調べたら、ある時点でのCRPの差が0.01であっても、CRPが低い方が
10年後に寝たきりや車椅子を要するようになることが統計学的に有意に少ない、とのデータが出
たとします。40万人できちんとstudyすればこの様な結果は得られるのでは? それはともか
く、そのようなことが得られても、実際に目の前に存在する患者個人に当てはまるのだろうか、
CRPで0.01の違いなんて、あまり意味がないような気もしてしまいます。臨床的有意性を判断す
るのは医師であり,患者なのだと思います。 

私は、あくまで

LFMはSASPよりもCRPを良く下げるようですから、値段,副作用、飲みやすさ、その他の条件が
すべて同じであれば(ところが現実は決して同じではないし、他にも薬剤があるし、薬剤を使用
しない手もあるし、などと迷ってしまう)、LFMの方を使用します。
[2002年5月17日 15時46分5秒]

お名前: 山中 寿   
鎌谷先生の「理性的な自我」というデカルト発想は大変面白いと思います。

ちょっと思ったのですが、普遍的な「理性的な自我」は価値観が多様化した現代社会で
は存在しないのではないでしょうか。大阪のおばちゃんと山の手の紳士では「理性的な
自我」は違うでしょう。

各個人(または各患者)にとっての「理性的な自我」があり、「100%主観」と「100%
客観」を両端とする直線上に位置すると仮定すると、「100%主観」から「理性的な自
我」までの距離が患者さんの満足度になるのでしょうか。QOLにはこのような視点は含ま
れるのでしょうかね?
[2002年5月17日 14時4分2秒]

お名前: 山中 寿   
続きです。

臨床的有用性を考えるうえで、研究デザインがやはり重要だとおもいます。「統計学的
に有意でも臨床的に有意でない研究」=「結果が出ても有用と思われない研究」は意味が
ない、すなわち、最初からするべきではない研究です。
我々が行っている研究(臨床研究だけでなく基礎研究も含む)も、常にそういう視点で
眺める習慣を付ける必要があります。順列組み合わせ的に研究する時代は終わったと思
います。
[2002年5月17日 13時49分18秒]

お名前: 鎌谷直之   
一番言いたいことを言い忘れました。

結局最も有意なものは患者さんの満足でしょう。しかし、その患者さんがだまされていた
としたらどこでその満足を評価するかという問題がありますよね。

例えば、健康食品などは患者さんがよくなったよくなったといいます。しかし、長年残る
ものが無いところを見ると本当は良くはなっていないのでしょう。

結局、患者さんの中に現在の彼らの意見からちょっと離れた「理性的な自我」を仮定し
て、その自我の満足というものを目的すべきなのでしょうか。
[2002年5月17日 12時42分56秒]

お名前: 鎌谷直之   
あまり臨床的有意性ということを考えすぎると難しくなると思います。
少し前までは結局これは医師の独断だったわけでしょう。

しかし、その独断の根拠を深く考えると学会のコンセンサスだったりするわけでしょう。

統計の専門家が臨床の有意性を強調する理由は良くわかります。結果について臨床から反
論されたとき、「結局判断するのはあなたですよ」といいたいからでしょう。

臨床家がこれを強調する理由も良くわかります。わけのわからない方法で統計の結果がで
ても結局は我々が決めるんだよ、といいたいのでしょう。

しかし、どちらにも精通して、両方の立場から判断するようになることが最もよいことで
しょう。
[2002年5月17日 12時29分39秒]

お名前: 山中 寿   
谷口先生の視点と少し異なりますが、私の考えを・・・
RCTでは選択基準や除外基準を設けて出来るだけ均一化した集団を対象にしますので、必
ずしも臨床の現場に即したモデルになっていない場合もある。リウマチ患者を50名も診
てやっと一人だけ適合する症例があるような選択基準の厳しい治験にどれほどの意味が
あるのか、とよく考えてしまいますが、これなど「統計学的に有意でも臨床的に有意で
ない」ものではないでしょうか。結局は、研究デザインの問題でしょう。極端な例です
が、4週間後のACR20改善をprimariy endpointとしてリマチルとプレドニン10mgの比較試
験を行えば、「統計学的に有意でも臨床的に有意でない」結果が出ます。
庄司さんの話はこんなことを指しているのかな、とぼんやり考えていました。
[2002年5月17日 10時30分22秒]

お名前: 谷口敦夫   
本日の庄司さんの講義の中で、講義中も議論がありましたが、統計的有意差と、臨床的有
意性について、そういえば自分はいままで考えていなかったように思います。たとえば、
SASPとLFM(leflunomide)を投与して、SASPでは0週に比べて12週目にCRPが1.0低下していた
が、LFM では2.2低下しており、P<0.03でLFMのCRP改善率が有意に優れていた。LFMは12週
では確かにSASPよりもCRPを低下させる力が強いが、それではこのCRPの1.2の差は臨床的に
どのような意味があるのか? あるいはLarsen scoreが3低下した、というときに、これが
どのくらい臨床的な意味があるのか、ということについて、自分は考えたことがありませ
んでした。というわけで、本日の話は(自分にとって)大変良かったと思います。「CRPが
1下がった」、「Larsenが5低下した」というがその臨床的意義付けはむずかしい、このよ
うな「差」が有意であるかないかも症例数によって変わってくる、ということをどのよう
にとらえたら良いのでしょうか?
[2002年5月16日 20時53分55秒]

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