いわなの短編

保護者懇談




        保護者懇談
            
       
 
 ツトム君のお母さんはすごい美人だという噂がたって以来、山川先生はそわそわと落ちつきません。山川先生はツトム君のクラスの担任です。今年大学を卒業して、先生になったばかりなので、何をするにも力が入っています。だから今回の保護者懇談も、一段と張り切っています。
 
 いよいよ懇談の日がやってきました。いつもとちがう、ちょっとおめかししたス−ツとネクタイ・スタイルで、やって来る保護者たちを待ちました。
 ツトム君のお母さんは1時30分の約束です。お昼ごはんを食べて、濃いコーヒーで一服して、ついでにタバコも一本吸いました。約束の時間の20分前には、懇談場所の教室に入って、先生らしく、イゲンを保ってお母さんを待ちました。
 1時28分、コン、コン、とノックの音がして、
「失礼します。」
と、いう声が聞こえました。
「はい、どうぞ。」
と、言うと、
すいっと音もなく誰か入ってきました。その人はきちょうめんに両手をそろえて、とびらの前で一礼し、
「ツトムの母でございます。」
と、言いました。
「どうぞ、どうぞ、よくいらっしゃいました。」
 山川先生は、あいそよく挨拶して、
「どうぞ、おかけ下さい。」
と、前に置いてある木の椅子をすすめました。
 ツトム君のお母さんはは、言われたとおり椅子にすわりました。そしてあらためて山川先生に深々とお辞儀をし、
「ツトムの母でございます。いつもツトムがお世話になっております。」
と、言いました。

 ここまでは、他のお母さんと同じで、何も変わったところはありません。山川先生はツトム君のお母さんの方を見ました。はじめは、遠慮して右斜め下から少しだけ、そのあとは、かなりマジマジと見てしまいました。
 なぜかというと、ツトム君のお母さんはとても変わっていたのです。びっくりするほど目が大きくて、目の色も黒というよりはむしろ金色に光輝いています。
 髪の毛もとてもきれいにセットしてあるのですが、黒色と茶色の毛が交互に波うって渦をまいています。山川先生は、
「何というヘアスタイルだろう。なんなんだろう、この人は。」
 と心の中で思いましたが、もちろん声に出す勇気はありません。山川先生が絶句していると、
「ツトムはとてもいい子ですのよ。」
 と、お母さんの方から切り出しました。
「は、はあ。」
 と、山川先生もやっとの思いで返事します。
「ツトムは人間のカガミであり、モハンです。朝早くから、夜遅くまで、勉強をよくするし、家のお手伝いもよくします。」
「ハテ?」
 と山川先生は思いました。この間もツトム君は、山川先生が出した算数の宿題をやって来なかったのです。
「ツトム君は、お家で勉強してますか。」
 山川先生は、お母さんにたずねました。
「はい。昨日も、夕飯を食べたあと、テレビも見ずに算数の練習問題を百問もやりました。私がもう遅いので寝なさいというまで、いつまでも、いつまでも、算数の練習問題をしていました。」
「その勉強した分は、どうなったでしょうか。」
「明日、学校へ持って行くと言って大切にカバンの中にしまたのに、朝、学校へ行く途中に、悪いカラスがやってきて、ツトムのノートを持って行ってしまいましたの。」
「この間は作文の宿題を出したのですが、ツトム君はやって来なかったのですよ。そのことはご存じでしたか。」
「はい、もちろん。ツトムは宿題の作文を、百枚も書きました。それもカバンの中に大事にしまったのに、それも学校へ行く途中に悪いタヌキがやって来て持って行ってしまいました。」
「その前に出した、理科の実験のまとめはどうでしょう。」
「はい、それも、百枚も書いたのに、また悪い中学生が持って行ってしまいました。」
「その前に出した、漢字の書き取りはどうでしょうか。」
「はい、それがですね。悪い大人が現れて、漢字の書き取りを全部破いてしまいました。」
 山川先生は、だんだん質問する気力がなくなって来ました。
 ツトム君のお母さんは、金色の大きな目をますます大きく見開いて、大変真剣な表情になってきました。
「そういうことですので、ツトムを放課後、あまり学校に残して宿題をやるまで帰さないとか、言わないで下さい。ツトムが早く帰って来ないと、みんな困るんです。」
 ツトム君のお母さんの目は、すっかりうるんでいます。
「先生、ツトムはとてもいい子ですのよ。それでは、ごきげんよう。」
 最後にそう言って、ツトム君のお母さんは帰って行きました。山川先生はすっかり、わけがわからなくなってしまいました。

              
 
 山川先生は、その日の放課後、職員室に戻ってからも、しばらく呆然としていました。
 いいお母さんはいいお母さんだけど、何か変だなあ。美人といえば美人かもしれないけど、あんな目の色をした人は見たことがない。ツトムにも似てないし・・・。ツトムのことは心配しているようだけど、いちいち悪い変な奴がやってきて、ツトムの宿題を持っていくかしらん。やっぱり変だ。ツトムのお母さんは何か変だ。
 山川先生は、疑問をそのままほっておくようなタイプではありませんでした。次の日、やっぱりツトム君は、山川先生の出した宿題である、日本地図の色塗りをやって来ませんでした。山川先生は、
「全部やり終えるまで、一人で学校に残ってなさい。」
と、言いました。
 ツトム君は、おとなしい子なので、今まで山川先生に反抗したことはありません。言われたことは、いやだなあ、と思ってもしぶしぶやります。
 今回も、ツトム君は、ムスッとした顔で、だまって色塗りを始めました。全部の色塗りが終わるのに、二時間はかかります。山川先生は、その間にツトム君の家にこっそり、行ってみることにしました。

             3
 
 愛用の自転車に乗って、山川先生はツトム君の家を訪ねていきました。ツトム君の家は学校の近くの住宅街にあります。家はすぐ見つかりました。近所の人に不審に思われてはいけないので、自転車で行ったり来たりしながら、何か手がかりはないか、と家のまわりをウロウロしていました。
「あのう、何かご用でしょうか。」
 突然、背後から声がしました。ギョッとして振り向くと、買い物袋を両手に下げた、ツトム君とよく似た顔の女の人が立っていました。
「ああっ、あなたはもしかして。」
 山川先生は、先生らしいイゲンを保つのも忘れて、大声を出してしまいました。
「あなたは、あなたは、もしかして、ツトム君のお母さんでは?」
「はい、ツトムは私の子でございますが。」
「いやあ、やっぱり、そうですか。そうですよね、あなたがそうですよね。」
 山川先生は、喜びのあまり、自転車に乗ったまま、ツトム君のお母さんの手を取ろうとして、そのまま溝の中に落っこちそうになりました。
「あの、失礼ですが、どなた様でしょう。」と、言われて、やっと我に返り、
「ツトム君の担任の山川です。」
と、あらためて挨拶しました。
 ツトム君のお母さんもびっくりして、
「まあ、失礼しました。いつもお世話になっています。ツトムの母でございます。」
と挨拶しました。
 そして、
「いったい、ツトムが何か?」
と、山川先生にたずねました。山川先生は、保護者懇談の話を一部始終しました。
 お母さんは驚きあきれながら、山川先生の話を聞いていましたが、聞けば聞くほどに、お母さんの顔は青くなったり、赤くなったりしました。

 二人は、家の中でゆっくり話をすることにしました。お母さんとあらためて話をする中で、次々と重大な事実がわかりました。ツトム君のお母さんは、昨日の懇談会のことなど全く知りませんでした。
「いったい誰が私のかわりに、懇談に行ったのかしら。」
 ツトム君のお母さんは気味悪そうに顔をくもらせながら、お茶を一杯すすりました。それにツトム君は、家で全く勉強していなくて、お母さんは宿題が出ていることも、ツトム君が宿題をやって行かないために、ほとんど毎日学校に残らされていることも、知りませんでした。もちろん、ツトム君が朝学校にでかける時に、悪いカラスや中学生がやって来るという話も、お母さんは、
「聞いたことがないわ。」
と眉をひそめました。
「目が金色がかっていて、髪の毛が、黒と茶のしま模様で、とてもおしゃれで、はっと目立つ感じの女の人なんですよ。ツトム君のことをとてもよく知っていて、かわいがっている様子でしたが。」
 ツトム君のお母さんは、一生けん命考えていましたが、
「ツトムが帰って来てから聞くことにしましょう。」
と力なく言いました。

             
 
 山川先生は、学校に戻ることにしました。自転車に乗って走っていると、ある古い家の塀の影から、黒と茶のしま模様をした立派な毛並みの猫が現れました。そして、金色の目で、山川先生を見ると、
「ごきげんよう。」
と言って、にやっと笑いました。そして驚いている山川先生に、
「ほっ、ほっ、ほっ。どうぞこちらへ。」
としま模様の前足で合図しました。
 山川先生が案内されたのは古い大きなお屋敷でした。古くて頑丈そうな門は錆びついて、いかめしいライオンの顔をした把手も、茶色い錆がまだらについています。庭のあちこちには苔むした岩がころがっており、家の敷地全体が、背の高い雑草に覆われていて、どこが玄関で、どこが台所なのかもわかりません。ちくちくした雑草の葉をかき分けると、やっと玄関らしい木の扉が見えました。猫は山川先生を家の中へ招き入れました。

 玄関を入ると、左手には居間のような部屋があって、ゆったりとした革のソファが置いてありました。ソファのまわりには、たくさんの本が並び、テ−ブルの上にはペンやノートも置いてあります。
「ほっ、ほっ、ほっ、山川先生。どうぞ、かつおぶし茶でも召し上がれ。」
 そう言って、猫はほかほかと湯気の立ったポットとコップを持って来ました。猫がポットの中の液体をコップに注ぐと、かつおぶしの香りが部屋中に広がりました。
「おお、おいしい。このお茶はなかなかいけますね。」
 山川先生は、イゲンを保つことも忘れ、思わず歓声を上げました。
「ほっ、ほっ、ほっ。気に入っていただいてうれしゅうございます。」
 猫も一口、それはおいしそうに、のどをゴロゴロ鳴らしながら飲みました。そして、飲み終えると、
「ぜひ先生とお話したくて。ずっとお待ちしておりましたの。」
と、言いました。
「はあ、私とですか。」
山川先生は、いぶかしげに答えました。
「私、めったに人を招いたりしませんのよ。でも今日は、特別。ツトム君があとで叱られたりしたらいけませんから、ぜひ先生とお話したくて。」
「はあ、そうですか。」
「ツトム君は、とてもいい子ですのよ。一人暮らしをしている私を気づかって、とてもよくしてくれますの。毎日のように訪ねて来てくれますし、この間なんか、サッカーの試合にも一緒に連れて行ってくれましたの。ツトム君のお友達の、テツオ君やマキオ君もご一緒でしたわ。」
「ははーん。」
と、山川先生は思いました。クラスでツトム君のお母さんについての噂がたったのもその当たりからでしょう。
「でも先生、先生が担任をされてから、ツトム君、少しさえませんの。毎日、学校に残って宿題をやらされるとかで、とてもかわいそうですの。」
「はあ、そう言われましても、宿題は小学生の義務ですから・・・。」
「でもツトム君、それで時間とエネルギーを取られてしまって、他の方のお世話ができませんのよ。」
「他の方のお世話と言いますと。」
「ツトム君は、私だけではありませんのよ。他にも、池に住んでいるカエルや亀のお世話もしていますのよ。具合が悪い動物を見つけた時は、徹夜で看病していますの。」

「その通りですじゃ。」
 突然、部屋の奥から、ごそごそ音がして、顔を赤く火照らせた亀が現れました。顔が赤いだけではなく、鼻もずるずる言わせて、何だか苦しそうです。手には何か赤いかけらを持っています。
「いやあ、実は風邪をひいてしまいましてな。この通り、まだ熱が下がりませんのじゃ。でもツトム君が薬をくれましてな。それをもらって飲んでいるうち、だいぶよくなりました。ほれ栄養補給じゃゆうて、このウィンナーもくれましたわ。給食のおかずを残して持ってきてくれましたんじゃ。こんな贅沢なもん、ありがたいことじゃ。もうすぐ、池に帰れそうですじゃ。」
そう言って、亀はゴホンゴホンとせきをし、ウィンナーをパクンと食べました。
「先生、宿題をもう少し、減らしてやっておくんなせえ。近頃の子は、勉強ばかりで、かわいそうじゃ。ツトム君みたいな子も、昔はたくさんおったじゃが、今はおらんようなりましてな。もう少し子どもは、他人の世話をした方がええ。」
そう言って、またコホン、コホン、とせきをしました。
「そうよ、先生。勉強なんていつでもできますわ。私なんて、このお家に来てから、この家のご主人に、世界の歴史や、生物の進化の話、宇宙の年齢のことなど教えていただきましたのよ。やさしいご主人でした。私、退屈で、時々意地悪して、ご主人の読んでいる本の上にわざと乗ったり、しっぽで本の字を隠したりしましたのに。ご主人は一度も私を怒ったりしなかった。やさしく私のしっぽを払って、また本の続きを読む、そういう人でした。」

 猫は夢見るような、うるんだ目をしました。
「それは幸せな毎日でしたわ。もうご主人はいませんけど、今でも私、ここでご主人の残した本を読んだりしていますの。ツトム君ともよく話をしますのよ。昨日は二人でミジンコとアリンコの集合と拡散について、観察しました。とてもかわいいミジンコとアリンコで、見ていて飽きませんわ。ご覧になりますか。」
「いいえ、けっこうです。」
 山川先生は言いました。先生としてのプライドが少し傷ついたのです。何しろ、山川先生は、先生になったばかり、生徒になめられてないか、先生としてのイゲンが保たれているか、いつも気になって仕方がないのです。
「ほっ、ほっ、ほっ、先生。」
 猫はまた、おおらかに笑って、かつおぶし茶をすすり、
「もう一杯いかがですか。」
と、山川先生にもすすめました。
「いいえ、もうけっこうです。」
と、断ったのに、猫はなおもなみなみとお茶をつぎました。
「この家に入ったら、お茶を飲むのを断れませんのよ。」
 そう言って今度は、さっきよりいっそう濃いお茶を持ってきて、山川先生のカップにつぎ足しました。甘い強烈なにおいがしました。
「ああら、いいにおい。さあ、どうぞ、どうぞ、召し上がれ。」
 山川先生は頭がくらくらしてきました。何かお茶の中に入っていたのかもしれない、このままここで寝てはだめだ。しっかりしなくては、と意識の中では思うのに、眠気はどんどん増してきて、もう目を開けてもいられません。
「ああ、もうだめだ。」
 そう言うと、カクンと頭をたれて床の上に倒れてしまいました。
「あああああ、なんておいしいんでしょう、この最高級またたび茶は。」
 うっとりと言う猫の声が、遠くから聞こえました。
 
           5
 
 山川先生はいつのまにか大きな川べりを歩いていました。引越しでもするかのように、荷物を一つにまとめて、背中にくくっています。不思議と重さは感じません。川べりは背丈ほどもある長い葦の葉で埋もれています。山川先生は長い草を踏み分け、川の土手を上ったり、下ったりしながら、
「さて、どうしよう、さて、どうしよう。」と独り言を言っています。そのあとのことは覚えていません。

 山川先生が目を覚ますと、学校の近くの公園のベンチの上にいました。ベンチのそばには古い池があり、亀が一匹ごそごそ動いています。
「もしや。」
と、思って見ると、先程の亀によく似た赤い顔をしています。
「あのう、もしや、あなたは。」
 山川先生が話かけると、亀は一瞬びくっとした顔で山川先生の方を見ましたが、そのまま返事をせず、チャポンと池の中へ沈んでしまいました。

 時計を見ると、もう六時をまわっています。とにかく早く学校に戻って、ツトム君を家に帰してやらなくてはなりません。自転車もどこにあるのかわからず、山川先生は仕方なく、とぼとぼと道を歩いて、学校まで戻りました。すっかり疲れていました。 
 学校に戻ると、ツトム君はもういませんでした。日本地図の色塗りは出来上がって、きちんと山川先生の机の上に置いてあります。夢だったのかもしれません。でも着ているスーツのにおいをかぐと、ほんのりとかつおぶしのにおいがします。

            6
 
 次の日、ツトム君に猫のことをたずねると、ツトム君はうれしそうな顔をして、
「あの猫ね、リンリンさんていうんだよ。もともと中国の生まれなんだって。パンダの友だちもいるんだよ。すごくもの知りで、かしこいんだ。」
と、言いました。
 それからツトム君は、何か決意するようにぐっと口もとをひきしめ、山川先生の方を、まっすぐに向きました。やや上ずってはいますが、はっきりした声で、
「あのね、先生。宿題多すぎると思うんだ。」
と、言いました。ツトム君が山川先生に向かって、こんなふうに自分の意見を言うのは初めてだったので、山川先生は、思わぬパンチをくらった思いで、しばらく、ぼおっとしてしまいました。

「どうしてかね、ツトム君。」
 やっとイゲンを取り戻した山川先生が、おそるおそるたずねると、ツトム君はさっきより幾分細い声で、
「どうしてって、先生。」
 それだけ言いました。もっと何か言いたいことがあるようでしたが、黙って運動場の方を見ていました。
「どうしてって言われてもさあ・・・。」
そう言ってツトム君はにやっと笑いました。

 それから勢いよく運動場に飛び出して行きました。
 


トップに戻る