福田山広楽寺



 開創年は不詳であるが、静岡県榛原郡東福田の要地に天台宗の庵として設立される。
 嘉貞一年(1235年)親鸞上人が関東より御帰洛の途中お立ち寄りになり、六字の名号を授けられて秘蔵とした(現存)。
 永禄一年(1558年)天台宗本楽寺(安城市)の僧祐寿は、甥である近江国の郷士今井権七郎の勧めにより、真宗に改宗。榛原町の広楽寺へ入寺、後にこの寺で生まれた長男の祐浄は広楽寺の後継ぎと定められることとなる。
 慶長五年(1600年)祐浄は掛川藩主山内一豊に召し抱えられ、掛川藩の祐筆となり、中町に所領を得、中興開基となる。


広楽寺本堂
御宗旨浄土真宗大谷派
御本尊阿弥陀如来










三代目尾上菊五郎の墓

三代目尾上菊五郎の墓  嘉永二年(1849年)四月二十四日、三代目尾上菊五郎丈、仲町捻金屋にて病死。当寺に自然石の墓が建立される。法名「榮松院菊寶梅寒」。
 尾上菊五郎は歌舞伎俳優の名跡で、屋号を音羽屋という。三代目菊五郎は、江戸の猿若町に住む菊屋万平というもので、初代松助の養子で、俳号を梅幸という。
 文化十二年に(1815年)に尾上菊五郎を襲名し、和事(恋愛などの情事物)・実事(写実的でシリアスな演出物)・女形を兼ね、南北の怪談劇に長じ、音羽屋型の演出を定めた名優であった。
 たまたま中町の仲町捻金屋治右衛門方で亡くなったため、葬儀の依頼に訪ねてきた。初代菊五郎は江戸今戸広楽寺の檀家だったので、同じ名の寺があると聞き及んでのことであった。江戸の広楽寺はこちらの長男が創建(1620年)した分寺であることを知らされ、不思議な因縁と喜び、境内(当時は紺屋町)に墓を建てた。
 掛川市市街地整備事業により昭和四十九年寺とともに当地へ移された。



尾上菊五郎ゆかりの絵画展示

 毎年七月十三日から七月十六日まで「東海道四谷怪談」(暁清)、「死神」(松岡緑芽)等四点の幽霊の絵画が展示される。
 「東海道四谷怪談」は鶴屋南北が三代目菊五郎のために書かれたものであり、この芝居で評判をとったのが「お岩の提灯抜け」であった。




主な年中行事
アクセス方法
 1月 1日      修正会
3月彼岸入りの日   春彼岸会
 7月12日      盂蘭盆会
7月13日〜7月16日  尾上菊五郎ゆかりの絵画展示
9月彼岸入りの日   秋彼岸会
11月最終日曜日   報恩講
    翌月曜日    報恩講
毎月28日        28日講(地区別報恩講)
・JR掛川駅より徒歩5分

・東名掛川インターより車で5分

<住所>
静岡県掛川市中央2-8-1番地

<電話>
(0537)22-2651


墓地 掛川市営富士見台霊園


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