愛知県

     ≪みよし市≫
   

住所  神社 祭礼日 内容 備考

 ≪みよし市≫
 ■三好地区
   ⇒三吉、福田、西一色
三好町天王46 天王神社 10/1日曜 神輿
山車1台 新屋
往古は三好上と三好下の山車も、新屋の山車と共に新屋の天王神社の祭礼に出ていた。
ところが、慶応元年に天王神社への奉納後、三好下の山車が畑に転落するという事故があり、それ以来、三好上と三好下は新屋の天王神社ではなく、三好八幡社の祭礼に出すようになった。
新屋=平成26年(2014)9月7日、再建記念式。10年ぶりの復活。幅2.5m。長さ3.8m。高さ5.7m。
制作費総額7、500万。野口工務店の作。

 先代は三好町誌によると、この山車は安政2年(1855)に知多郡生まれの大工が亀崎方面の山車を真似て造り、しばらくは素木のままだったが、明治12年(1879)に村芝居興行の純益で金箔を置いたと書かれている。
また地元の伝承では、明治25年(1892)頃に山本磯平棟梁を中心に建造され、明治29年(1896)に金箔を置いたと伝えられる。
昭和63年大修理するも、平成16年10月火災により焼失。
三好町宮ノ越30 三好八幡社 10/3日曜 山車2台 三好上、三好下
三好上=明治8年(1875)制作。大工は常滑市出身の石川貞蔵。明治18年(1885)に金箔を貼る。昭和62年に金箔・漆などの大修復。

三好下
=元治元年(1884)制作。名古屋山王前福田屋の墨書きがある。
明治初めに亀崎の方から購入と伝えられる。
昭和61年大修理。詳細は『「三好下の山車」調査報告書』1986年、三好下山車修復委員会発行に詳しい。

 三好町誌によれば、先代は安政5年(1858)制作。慶応元年(1865)に新屋天王神社へ奉納の帰り、四本松で水田に転落し使用不能になり、豊田市古瀬間か笹原方面に売却。
福田町杓子66 福田神明社 10/1日曜 囃子
西一色町〆林191 西一色神明社 10/1日曜 囃子
 【三好大提灯まつり】
三好稲荷閣は正式名を浄土宗西山深草派 東北山 満福寺と称する。8月下旬に大提灯祭りが行われる。
土曜は前夜祭と三好いいじゃんまつり。
日曜は本祭りで伝統芸能(お囃子、棒の手)奉納と奉納花火。
高さ約11mの3つの大提灯が空に浮かぶ。ラストは花火である。
 ■莇生地区
   ⇒莇生(あざぶ)、福谷、黒笹
莇生町小金下12−2 莇生神社 10/祝日 棒の手 三好棒の手保存会による
福谷町宮ノ前1 福谷八柱社 10/祝日 棒の手 氏地は福谷町・根浦町・三好丘・三好丘あおば・三好丘旭・三好丘桜
黒笹町寺山967 黒笹八幡神社 10/祝日 棒の手 氏地は黒笹・黒笹いずみ・黒笹町・黒笹山手
 ■明越地区
   ⇒明知、打越
明知町松葉池浦1 明知神明社 10/4日曜 お囃子
巫女舞、餅まき、籤
打越町上屋敷41 打越神明社 10/4日曜 子供神輿
巫女舞、餅なげ 氏地は打越町・南台
棒の手休止 三好町誌によると、昭和35年に棒の手を奉納。その後数年は奉納された。
三好棒の手保存会によると、「棒の手」の記録の表れる最終年は、黒笹村では明治43年(1910)、莇生村では明治41年(1908)の猿投神社の祭礼及び合属関係の文書が残っている。
「棒の手」に関する区有文書記録が残されているのは、この二つの村だけである。
いずれにしても、三好村では慶応以前、福谷村では昭和7年頃、打越村では昭和11年頃を最後に「棒の手」が行われなくなってしまったと伝えられている。