愛知県

       

 ≪名古屋市中央≫

     中区、東区、昭和区、熱田区、瑞穂区

 ≪名古屋市
住所  神社 祭礼日 内容 備考
 【梵天祭】
名古屋市の城下町の町々で行われていた祭礼であるが、第二次大戦で焼失してしまい廃絶した。絵巻物は徳川美術館にあるので見ることが出来る。
これは6月から8月にかけて夏の邪鬼を祓い安全を祈願する祭礼で、京都・祗園会に倣い山車を作り、山車を曳き廻した。これは小型の山車に御幣をつけたものでこの山車を梵天と称した。
 ≪中区≫
丸の内2丁目3−17 那古野神社 7/15、16 車楽1台 ※江戸時代は毎年6/15、16に行われ、車楽(だんじり)という大型の山車2輌と小型の見舞車16輌出た
那古野神社とは江戸期城内三の丸にあった“三之丸天王社”であったが、明治9年名古屋鎮台設置のために移転。明治32年に那古野神社となる。
 【見舞車廃絶】
和布刈車(車町=昔は胡蝶車。
靱猿車(益屋町)=昔は司馬温公車。この明治初年に売却して、現・美濃市上有知町。

 ◎名古屋村
翁車(新道)=戦災で焼失。
殺生石車(新道)=戦災で焼失。
散手車(郷)=戦災で焼失。
湯取車(小伝馬町)=戦災で焼失。桑名町の人形とよく似ている。
浦島車(万松寺領)=先代は戦災で焼失。
 先々代は天保13年(1842)制作。明治12年に美濃市泉町に売却。

 ◎広井村
神功皇后車(新屋敷)=文政7年(1824)制作。明治19年に東区西筒井町に売却。これは笹島停車場(現・JR名古屋駅)建設に伴い村が解村のため。
弁天車(戸田道)戦災で焼失。
胡蝶車(禰宜町)=明治20年頃焼失。
神楽車(古江)=明治期に某所に売却。
張良車(中之切)=天保13年(1842)に広井村中之切で“張良車”として三之丸天王祭りで曳かれていたが、明治維新で三之丸天王祭りが中止と  なり、明治11年に金150円で常滑市西之口に一式売却し、“龍神車”と名付けられる。その後明治26年には雷神車と改名。
人形不定車(禰宜町)=所在不明。
車楽(だんじり)という大型の山車2輌あったが、戦災で焼失。現在は茶屋町所有の車楽が飾り置き。
丸の内2丁目3−37 東照宮 4/16、17(毎年) 山車9台廃絶 戦災で焼失
現在は16日の17時〜20時に舞楽奉納神事。17日の11時より大祭。
橋弁慶車(七間町)=別名は“源氏車”元和6年(1619)制作。天明5年(1785)改造。同時に波の彫物を新造。
 創建は元和5年(1619)に大八車を二両組み合わせ、その上に西行桜の能人形を飾る。

林和靖車(傳馬町)=享保17年(1732)制作。
 慶安3年(1650)に宮町・駿河町・富澤町と合同で田植えの警固を出す。元禄4年(1691)警固を廃して梵天王の車を作る。からくりは梵天王と天女。

雷電車(和泉町・五條町・上畠町)=承応元年(1652)制作。二番目に出来た車で天井が無かった。和泉町と総称するが、五條町・上畠町・和泉町と合同である。享保10年、八つ太鼓改造。安永5年雷神を修復。嘉永6年車体を改良。同時に雷神の修復。
 慶安3年(1650)に五條町・上畠町・和泉町と合同で巡礼花そろいの警固を出す。

二福神車(長者町)=享保17年(1732)制作。明和6年と天保元年に天井勾欄を替える。元治元年車体を修復並びに浪の彫物と人形台新調。
明和6年と天保元年 天井勾欄を仕替える

 明暦2年(1656)に道成寺車制作。3番目に出来た車で天井が無い。人形は「大黒様」、「采振り」。

湯取神子車(桑名町)=天保2年(1831)制作。人形師は隅田仁兵衛。万治元年 湯取神子車を造る 
   先代は万冶元年(1658)湯取車として制作。天保5年(1834)に情妙寺前町が購入。現・東区の“湯取車”。


唐古車(宮町)=宝暦6年(1756)制作。大幕は安政6年(1859)新調。前の立浪の幕は売却され刈谷の祭車に使われる。
 慶安3年(1650)に田植え早乙女の警固を出す。
 寛文2年(1662)に石引車を造る。宝永4年(1707)に“竹生島”別名“龍神車”を造る。

小鍛冶車(京町)=宝永4年(1707)新調。
 寛永11年(1634)より長安の作物を出す。正保元年(1644)に金襴着の禰宜30人の警固となる。


石橋車(中市場町)宝永元年(1704)新調。明和元年、人形と獅子を修復。文化8年、車体一式を改造。旧車は愛知郡某所に売却。文化15年、大幕新調。安政5年、勾欄等の改修。
 慶安3年(1650)に金襴着の禰宜の警固となる。

猩々車(本町)=万冶元年(1658)新調。
 慶安元年(1648)に
鯛つりのの警固を出す。
石引車(宮町)=寛文2年(1662)制作するが早くに廃絶。
栄1丁目31−25 洲崎神社 5/13、14 提灯まつり
山車廃絶
 七代藩主宗春の時代の享保17年(1732))には堀川で船祭が開始された。当時の例祭日は6/15、16であった。
御葭船を先頭に、神具を乗せた船、神輿を乗せた船等が行列をつくり、巾下付近の御旅所へ御渡し、帰りには陸路を行列して還幸した。
船行列には氏子達が祭り船を出し、夜には御葭流しの神事も行なわれるなど多くの見物人で賑わったが、宗春の隠居とともに船行列が廃止され明治21年頃(1888)には船祭も行なわれなくなった。

 明治27年頃(1894)氏子の花園町・常盤町から若宮祭の黒船に類似した船車(常盤町は名古屋型)を2輛新調して祭礼に曳出したが、4・5年で止め、それからは提灯祭りとなった。
 【山車廃絶】
船車(花園町)=明治26年(1893)若宮祭の黒船車を参考に制作。
明治期に久屋町の金比羅神社の氏子に売却されたらしい。

?(常盤町)=制作年 等不詳。明治27年(1894)には所有で新調か他町より購入かは不明。
旭廓移転につき、昭和3年(1928)に田原町新町に売却。新町では応神天皇車と称されている。


唐子車(内屋敷町)=山車があったと言伝えあり。
栄3丁目35―30 若宮八幡宮 5/15、16 山車1台 福禄寿車(末広町)
福禄寿車=延宝4年(1676)に大久保見町(明治5年に鉄砲町3丁目と改称。昭和41年栄町3丁目と改称)新調。明治25年より曳かれなくなり、昭和22年出来町に売却するが、24年に払い戻してもらう。人形も同時期に作られるが、明和4年(1768)に竹田寿三郎により改造。現在は若宮八幡社の所有で、氏子町内が順に当番町を務める。
からくりは「蓮台倒立する唐子」。

水引幕は松山梅山の下絵で「郡鶴」。大幕の猩々緋は天保6年(1835)に尾張藩10代藩主斉朝からの拝領。
 【山車廃絶】
黒船車末広町)=延宝元年(1673)制作するが、戦災で焼失。大工は野間の舟大工三太夫。
 先代は明和9年=安永元年(1772)制作。新調に伴い金5両で上有和村二の中。現・岐阜県美濃市相生町に売却され改修され“八幡丸”となる。
 創建は寛文11年(1671)の傘鉾。

西王母車(上玉屋町)=享保9年(1724)制作するが、戦災で焼失。

布袋車(下玉屋町
延宝5年(1677)制作。しかしながら明治20年に袋町の道具屋に売却。明治24年に緑区有松東組の有志が約1300円を出してこの山車を購入。当町の祭事の始まりは侍4人の警固を出し、延宝4年(1676)に富士山の車と風車を出した。

寿老人車(鉄砲町2丁目。旧名は中須賀町)=寛保元年(1741)制作するが戦災で焼失。
 宝永5年(1708)に碁盤車(旧称は佐夜姫車)制作

陵王車(門前町)明和5年(1768)に制作するが戦災で焼失。
 延宝2年(1674)に花車を出す。
翌4年に源頼政の車を作るが、天和4年(1684)に中絶。享保3年(1718)に太神楽の車を作り復活。

河水車(住吉町延宝2年(1674)に“産宮参の車”を制作。宝暦11年人形を替え、明和9年(1772)に改称した。昭和23年に新出来町が購入。

花車(門前町)=初め花車だったが、延宝3年(1675)に鵺の車に改造。一時中断の後、貞享3年(1686)に大神楽の山車になり、明和9年(1772)に陵王車に替わるが、明治末期にはすでに無し。
 【大車楽(だんじり)廃絶】
茶屋町、外堀町
大須1−30−47 白山神社 10/10 例祭
大須2−3−17 日出神社 10/15 例祭
大須2−12−21 北野神社
大須2−17−15 富士浅間神社 6/10、11 梵天車
梵天車は名古屋開府400年にあたる平成22年10月の大須大道町民祭りに14年ぶりに出た。
大須3−9−32 三輪神社 10/19 例祭
大須3−46−34 春日神社 10/19 例祭 旧・郷社
錦1−7−29 泥江県神社 10月 例祭
錦2−4−6 桜天神社 3/24、25 献茶祭、献書祭
9/24、25 献書祭
錦3−22−21 朝日神社公式HPへ 10/中旬 神輿
伊勢山1−5−19 伊勢山神明社 10/4、5 例祭
金山1−8−23 榊森白山社 10/5 例祭
正木2−6−18 闇之森八幡社 10/14、15 例祭
新栄3−27−24 白山神社 7/10 例祭 旧・郷社
橘1−3−21 日置神社 10/15 例祭

 ≪東区≫
筒井4丁目 須佐之男神社 6/1土日 山車2台 湯取車、神皇車
湯取車⇒旧・筒井町4丁目・車道町4丁目(元の情妙寺前)の湯取車山車保存会。
=万冶元年(1658)に東照宮の祭礼車として中区旧桑名町新調。天保5年(1834)に情妙寺前町が購入。
高さ6、3m。幅(車体)1、75m。(輪掛)は2、7m。長さ(車体)3、15m。(梶棒)6、3m。
元は湯取神子車(ゆとりかみこぐるま)と称していたが、同名の山車が西区比良にもあり、文化財指定に際し区別するため現在の名称にしたと伝えられる。
人形師は二郎八。からくり人形4体で前棚が「笛吹きと太鼓打ち」。上山人形は「湯取巫女、神官」。
水引幕は二種類。昼用が森高雅の下絵で雲龍刺繍。
夜用が渡辺清の下絵と伝えられる麒麟、鳳凰、亀。
神皇車⇒旧・筒井町1,2,3丁目(元の西筒井町。旧・建中寺)の神皇車保存会。
=文政7年(1824)制作。広井村字新屋敷(中村区)より明治19年購入。これは笹島停車場建設に伴い村が解村のため。
高さ(最上段)5、65m。幅(車体)1、78m。(輪掛)2、68m。長さ(車体)3、14m。(楫棒)6、08m。
からくり人形4体は安政4年(1857)、美濃三作が「面かぶりする巫女人形」。安政4年(1857)、竹田源吉作が「神功皇后、竹内宿禰」。
水引幕は森高雅、山本梅逸、渡辺清共作の下絵「十二支」。
出来町(古出来1−2−18) 須佐之男社 6/1土日 山車3台 鹿子神車、河水車、王羲之車
鹿子神車(新出来町。西之切奉賛会)=中区住吉町が宝暦12年(1761)に菊慈童車として新調。文化7年頃(1810)に購入。昭和62年に漆、金箔、赤幕などを修復。
高さ(最上段)6、5m。幅(車体)1、98m。(輪掛)2、9m。長さ(車体)3、06m。(楫棒)6、45m。
からくりは「蓮台倒立する唐子」。人形は屋台に大将と2体の唐子人形、前棚に麾振り1体。
水引幕は森 高雅下絵。「孔雀の総刺繍」。
河水車(出来町。旧・中之切)=中区住吉町が延宝2年(1674)に産宮車として制作。宝暦11年(1761)に人形とともに菊慈童車と名を変え、さらに明和9年(1772)に改造が加えられ、現在の河水車となったと伝えられる。昭和23年に購入。
高さ(最上段)5、98m。幅(車体)2、08m。(輪掛)3、08m。長さ(車体)3、25m。(楫棒)6、39m。 
からくりは「石橋獅子の糸からくり」。人形は大将と2体の唐子人形、前棚に麾振り。
水引幕は石橋車で使われていた物を平成2年復元新調。勇猛な唐獅子と華麗な牡丹が金糸銀糸の刺繍で描かれいる。大幕は昭和31年作。

 初代は文政4年(1821)に尾張藩主10代斉朝より頂戴の山車で石橋車と名づけられたが、昭和20年5月の空襲でからくり人形以外は焼失。
王羲之車(古出来町。旧・東之切)=昭和23年より5年がかりで復元した。
高さ(最上段)6、43m。幅(車体)1、92m。(輪掛)2、86m。長さ(車体)3、3m。(楫棒)6、43m。 
からくりは「肩の上で倒立する唐子」。人形は唐冠りの大将と親木偶・子木偶と呼ばれる唐子人形が各1体、前棚に麾振(ざいふ)り1体。
水引幕は地元の方が作られた。「麒麟、鳳凰、亀、龍、虎」の刺繍。


 先代は寛保年間(1741〜44)新調。文化2年(1805)に上町より購入するが、昭和20年の戦災で焼失。
 また長久手町前熊や守山区大森は古出来町より購入という言い伝えがあるが本当なら先々代か?
久屋町(泉1−14−5) 金刀比羅神社 山車2台廃絶 山車、船車
伊勢門水著の「名古屋祭」では『明治20年頃の後として「其後一二年氏子の花園町、常盤町(遊郭)より若宮祭りの黒船を二輌新調して曳きだしたが是も四五年にて止み、其後花園町の船車は久屋町の金比羅神社の氏子へ売却した』とある。
泉3−2−29 松山神社
白壁2−28−19 七尾神社
東桜1−4−12 冨士神社
芳野2−4−28 片山神社
矢田南1−6−37 六所社 2/26 例祭
矢田町2−42−1 白山社
徳川2−1−1 神明社
徳川2−13−26(大曽根町102) 片山八幡神社 10/18頃の日曜 神輿2基 橘会(大曽根みこし連)
山車廃絶
男神輿=高さ2、5m。屋根幅1、5m。担い棒長さ7m。
女神輿=高さ1、8m。屋根幅1、1m。担い棒長さ4m。
胡蝶車(大曽根)=空襲で焼失。
大松町2−12 稲荷神社
筒井3−31−21 物部神社
大幸4−7−28 八幡社

 ≪昭和区≫
伊勝町2−99 伊勝八幡宮 7/20 天王祭
10/20頃の土日 獅子舞、神輿
広路町石坂79−3 須佐之男神社公式HPへ 7/20 天王祭 巫女舞・赤丸神事
五軒家町19−14 神明社
汐見町114 須佐之男社
塩付通6−51−1 神明社
池端町1−18−3 八幡神社
御器所2−9−19 尾陽神社 10/28 例祭 旧・県社
御器所4−4−24 御器所八幡宮公式HPへ 10月 お馬塔神事 氏子は鶴舞、吹上、白金、村雲、御器所学区
川名本町4−4−11 川原神社公式HPへ 7/4、5 夏祭り 芽の輪・赤丸神事
10/17 例祭 餅なげ。旧・県社
石仏町1−71 白山社 7/31 赤丸神事
10/1 例祭

 ≪熱田区≫
神宮1−1−1   熱田神宮公式HPへ 5/5 神輿 本宮から西門(鎮皇門跡)まで
熱田神宮
(摂社の南新宮社)
6/5
(熱田まつり)
大山3台廃絶  旗屋町、大瀬子町、田中
車楽1台
車楽廃絶 戦災で焼失
熱田まつり(尚武祭)=堀川ぞいの熱田神宮公園での打上花火を始め、各種芸能大会・武道大会や子供神輿などが繰り広げられる。かつてのまきわら船は「献灯まきわら」として熱田神宮西門に飾られる。
旗屋町=江戸初期に廃絶。

大瀬子山(大瀬子町)
=高さ20m余りあったが、明治中期に電線が張られたので、中止となり明治末期に廃車となる。からくり人形が残されている。

田中=戦災で焼失。
瑞穣車(中瀬町)=昭和10年に飾られたのが最後に蔵の中で眠りに着くが、昭和51年に名古屋市博物館に移管される。
鬼板、懸魚は瀬川重光の作。
高蔵町9−9 高座結御子神社 6/1 高座井戸のぞき
外土居町45 外土居神社 獅子頭廃絶
千年2−36 千年八幡神社
森後町8−6 松岡神社
須賀町41 社宮司社 7/20 例祭
一番2−27−9 八剣社
一番2−45−8 波限神社
二番1−1−15 熱田神社
四番町3−143 神明社
六番1−2−7 瑞光宮
六番3−7−10
神明社
八番2−8−13 寶田社
伝馬3−3−7 神明社
神戸町402 景清社
新尾頭1−9−28 住吉神社
金山町1−16−19 金山神社 11/8 ふいごまつり 氏子は西金山町、花町
桜田町14−11 桜田神社
伝馬町2(旧・富江町22) 笹社 7/19 例祭
伝馬町2−25−2 熱田社
幡野町8 幡野神社
沢上町2−12
神明社
大宝1−8−13 八幡神社
木之免町303 白山社
神野町1 神野神社
切戸町2−26 斉宮社
 【堀川まつり】(紹介HPへ
6/1土日、宮の渡し公園周辺で開催。主催は特定非営利活動法人堀川まちネット。
平成2年(1990)にまきわらみこしからスタート。平成15年(2003)に堀川まつりと名称変更。
2014年現在、まきわら船は大中小3隻、大山(山車)も出ている。バザー、ステージイベント、太鼓演奏などもある。
 【2014年の行事予定】
 ■土曜(宵祭り) まきわら船曳き廻し
(14:00〜)開始:御葦流し神事
(15:00〜)ステージ・太鼓演奏開始(宮の渡し公園)
(18:00〜)大治太鼓演奏(宮の渡し公園)
(19:00〜)まきわら点灯の後、まきわら船曳き廻し(宮の渡し公園⇔紀左衛門橋)

(20:10〜)小まきわら山車・提灯行列・迎え太鼓
(20:20〜)時の鐘合図・献灯会
(20:30頃)終了
 ■日曜(本祭り) 大山曳き廻し
(12:00〜14:00)大山曳行(宮の渡し公園駐車場)
(14:00〜)菓子まき(宮の渡し公園駐車場)
大山=平成22年(2010)名古屋開府400年、堀川開削400年の記念で制作。およそ110年ぶりに復活。ノーパンクタイヤと鉄骨の上に鉄製のやぐらを組んだ大山は高さ16m。色とりどりの幕と竹で飾付けされている。
 【熱田天王祭】
平安中期頃、熱田周辺で疫病が流行したため洲崎神社、南新宮天王社に人々が旗鉾を持って疫神を奉ったのが熱田天王祭(南新宮天王祭)の始めとされている。
室町中期になると京都祇園祭の影響もあり傘鉾型の山車が参加するようになる。その後、徐々に山車は高くなり、江戸中期には高さ約20mにもなる大山も登場。
しかし、明治に入ると市内に電線が架けられ大山の引き回しが難しくなり、さらに南新宮天王社が熱田神宮内に合祀し、祭例日も尚武祭(熱田まつり)に統一されるなどして明治40年頃には天王祭の継続が困難になる。
なんとか天王祭を継続しようと、大山の代わりとして津島天王祭のまきわら船を導入し、明治43年(1910)尚武祭(熱田まつり)でまきわら船を披露した。
戦後も熱田まつりの日にまきわら船は続けられていたが、諸種の事情で昭和50年(1975)を最後に途絶える

 ≪瑞穂区≫
津賀田町3−4 津賀田神社 10/2日曜 大山廃絶 井戸田
山車5台廃絶 北井戸田、本井戸田、河岸、堀田、穂波
井戸田大山=寛政6年(1794)制作するも、昭和20年5月に戦災のため焼失。
北井戸田=戦後制作。津賀田三町内(津賀田・松山・神前)の倉庫(天聖寺近くにあり)に保管され、昭和30年代前半まで曳かれるが、その後、廃車。

本井戸田昭和25年に、当時の氏子総代の発案で製作され、井戸田五町内(西町・中町・東町1丁目・東町2丁目・惣作町)の山車庫(長福寺の向かい)に保管されていた。
昭和38年までは毎年曳き出されたが、以後はたまに曳き出されるのみで、昭和48年の曳き出しをを最後に、以後は飾付けのみとなる。平成2年からは行列そものが廃止となり、平成11年に解体処分された。


河岸=河岸の浅井金成宅に保管されていた。昭和24年10月制作。一度は曳かれたが、その後は保管場所がないため、2〜3年で廃棄処分となる。

堀田=津賀田神社の社務所の地下に解体保存。祭礼の時には、組み立てて飾り付けを行い、堀田街区(柳ヶ枝一丁目)まで曳いて行った。神楽囃子はテープレコーダーを流していた。いつ頃まで続いていたかは不明。

穂波=津賀田神社の社務所の地下に解体保存。詳細は不明。
大喜新町3−23−24 田光八幡神社 10/連休の土日 石取祭車1台 下坂町4丁目
10/体育の日 石取祭車1台 瑞光車(堀田通7、8丁目
下山町1−41−2 山神社
田辺通2−21 正及神社
瑞穂通4−34 真好天神社
御劔町2−18 八剣神社
軍水町3−1 西八幡社 仁所村の鎮守
村上町2−3−2 村上神社
中山町2−5 神明社
直来町4−23 直会神社
雁道町4−35 富士八幡社
中根町3−40 東八幡社 10/2日曜 見当流棒の手保存会 中根村の鎮守
丸根町2−43 北條八幡社
平郷町5−13 一之御前社 10/中旬 例祭
本願寺町2−2 八幡社
北原町1−14−4 八幡社
東栄町5−18−4 八幡社