愛知県

     ≪知多≫
     常滑市、武豊町、美浜町、南知多町、阿久比町

住所  神社 祭礼日 内容 備考
 ≪常滑市≫
 ■常滑地区
   ⇒常滑
栄町6−200
奥条7−23 
神明社
常石神社
4/2土日 神輿 あり
山車6台 神明車(北条)、世楽車(瀬木)、常石車(奥条)、保楽車(保示)、常盤車(市場)、常山車(山方)
神明車(北条)⇒山車蔵は新開町3−131。
=知多型。知多型で外輪という型式は、常滑市内では神明車だけである。明治42年(1909)に高横須賀町南脇(現・東海市)より購入。
昭和38〜40年にかけて二代目彫常によって彫物が加えられる。昭和38年、岡戸一郎により改修。長さ5.6m。幅2.4m。高さ5.45m。
彫物は檀箱「四神。力神」、蹴込「唐獅子に手鞠」、持送り「北の文字角くずしに梅鉢と源氏香の紋」、脇障子「昇龍、降龍」、蟇股「火炎太鼓と楽人」、懸魚「鳳凰」。
からくりは無し。
水引幕:平成5年、復元新調「梅にうぐいす」。
大幕:昭和36年、松坂屋、赤羅紗。
世楽車(瀬木)⇒山車蔵は瀬木町1−32(瀬木会館)。
=知多型。天保13年上半田南組新調。大正3年に半田市上半田南組より購入。昭和24年改造。大工は岸幕賢隆。彫師は彫常。長さ5.44m。幅2.25m。高さ5.51m。
山車蔵は昭和9年、瀬木会館東隣りに建造。
壇箱は「神功皇后 宝物受取り」。
脇障子:【太閤記】右は「太閤鳳輦迎えの場」、左は「日吉丸矢矧橋小六との出会い」。
蹴込みは「波、千鳥に水車」。
前棚人形は江戸末期、浅野新助作で采振り人形。
水引は平成2年復元新調。下絵は山本香雲。「松に鷹」。
大幕は平成2年、無地で大須金松仏具製。

 初代は明治10年に武豊町富貴村より購入するが南知多町大井南組に売却し、現・南知多町吹越。
常石車(奥条)⇒山車蔵は奥条7−31。
=知多型。明治45年制作。長さ5.45m。幅2.06m。高さ5.45m。
大工は岡戸峯次郎。
彫師は初代彫常(大正期の作品)、二代目彫常(昭和初期。持送り、蟇股、懸魚など)。
からくりは大正10年、6代目玉屋庄兵衛と昭和54年、7代目玉屋庄兵衛。「三番叟」。
水引幕は平成13年、復元新調。龍村美術織物の作。金刺繍「金のしま海老」。
大幕は松坂屋。以前のは明治45年製。

 創建は明治38年。日露戦争の凱旋祭りとして花車を作る。
保楽車(保示)⇒山車蔵は保示町2−166。
=知多型。大正13年に宮大工岡戸峰次郎によって建造。平成4年堂山高欄斗形を改修。
彫師は不詳。檀箱「浦島太郎」、蹴込「宝船に七福神」、持送りは「波に千鳥」、脇障子「須佐之男命。日本武尊」、蟇股「竹林の七賢人」、懸魚「鳩」。
からくりは大正13年、6代目玉屋庄兵衛作の「桃太郎」。
水引幕:白羅紗「鯉」。
大幕:緋色羅紗無地。
常磐車(市場)⇒山車蔵は市場町4−123(市場会館)。
=知多型。大正12年(1923)6月28日起工。大正13年(1924)4月13日上棟式。阿久比町の宮大工、岡戸峯次郎の作。長さ5.55m。幅2.05m。高さ5m。
彫師は彫常彫師は彫常が多い。檀箱「桃太郎鬼退治」、蹴込「恵比寿大黒」、持送り「唐草」、脇障子「天の岩戸」、蟇股「風神雷神」、懸魚「鳳凰」。
からくりは平成22年、復元新調。萬屋仁兵衛の作。以前は昭和10年、内藤金次郎(玉屋一門)で「采振り」。
平成13年、大幕「赤羅紗」、追幕「蘭陵王」、吹流しを新調。
水引は昭和60年、京都・西陣「紺地に鳳凰の刺繍」。

 先代は名古屋市西区明道町より購入の舟山車を曳いていた。
常山車(山方)⇒山車蔵は山方町5−47。
=知多型。大正4年(1915)に阿久比町の宮大工岡戸峯次郎の作。
平成5年に岡戸昭夫により堂山の高欄、斗形を改修。
彫師は初代彫常。昭和初期の作。檀箱「仁田四郎忠常 富士の巻狩り」、蹴込「猿鶏倶楽部」、持送り「力神」、脇障子「神功皇后・武内宿禰」、蟇股「松に鷹」、懸魚「牛若丸に烏天狗」。
からくりは大正8年、6代目玉屋庄兵衛作の「巫女の舞」。
水引幕は昭和元年、稲葉喜美司の作。「白羅紗地に唐獅子牡丹」。
大幕は「緋羅紗の無地」。
 ■青海地区
   ⇒大野、小倉、矢田、久米、前山、石瀬、宮山
大野町2−211 小倉社 5/3、4 名古屋型山車3台 唐子車(高須賀町)
大野町2−210 天満社 梅栄車(十王町)
大野町5−24 風の宮 紅葉車(橋詰町)
大野町4−132 江崎社 巻藁舟「権丸」 権現町・江崎社所属
唐子車(高須賀町)=名古屋型。寛保元年(1741)8月創建。天明4年(1784)修復。制作費用は車・幕・染代・人形・装束・高欄・塗り代合計で金10両1貫332文かかったと記録される。
現在曳かれている知多半島の山車では最も古いと云われる山車である。
長さ5.44m。幅2.25m。高さ5.51m。
前山人形は肩車唐子。天明5年(1785)、名古屋の蔦屋藤吉作で「采振り、塩土老翁、大唐子、小唐子」の4体。
彫師は瀬川治助重光。欄間は「松」、麾振り台は「龍」、懸魚は「雲」。
水引幕:森高雅画の「鳩群飛」。
前幕: 「唐子車の文字」。
大幕:「緋羅紗の無地」。
梅栄車(十王町)=名古屋型。嘉永元年(1848)建造。建造費は約575両。
大工は酒井屋久七。楫棒は袋町下ル板屋太蔵、彫物は長者町彫雲堂勝蔵、蒔絵は同町蒔絵師万七。塗師は伊勢町の桔梗屋小兵衛、そして人形は名切町・石橋屋仁兵衛(後に二代目隅田仁兵衛・藤原真守と判明)等など山車の台輪にも刻記されているのだが、殆どが名古屋の職人の手によるものである。長さ5.47m。幅2.56m。高さ5.53m。
からくり人形は4体。前山人形は隅田仁兵衛藤原真守作「摩振唐子」。二層は隅田仁兵衛藤原真守作「笛吹き童子・陵王面かぶり」。大将座は隅田仁兵衛藤原真守作「渡御天神」。
代表彫刻は「松、梅、雲に太陽、雲に月」。
前幕は市河米庵による「十王町」。
水引幕は大丸屋作「唐織錦の蜀江の錦」。
大幕はから喜屋作「緋羅紗に十王の文字」。

 「梅栄御車元記」によると、天明5年〜6年(1786)にかけて山車「榮遊車」が新調されたが、破損されたので、現・山車を新調し宮山に売却するが、その後不明。
紅葉車(橋詰町)⇒山車蔵は大野町5−25(風の宮)。
=名古屋型。文久3年(1863)8月創建と伝えられる。大工は酒井久七。長さ5.75m。幅2.65m。高さ5.73m。
からくりは「紅葉の木で倒立」。人形衣裳箱に天保六歳乙未八月吉日(1835)と記載あり。
前山人形は逆立ち唐子。5代目玉屋庄兵衛作と伝えられる。大将座は豊太閤。
彫師は瀬川治助重光。代表彫刻は「源氏物語、紅葉」。
水引幕は伊藤次郎佐衛門の作。下絵は喜田華道。「鶴の刺繍」。
前幕は「緋羅紗に橋詰町の文字」。
大幕は「緋羅紗の無地。追幕も同じ」。


 先代は天保6年(1835)に新調され米70俵で西之口に売却。さらに往古よりあったと伝わる。
巻藁舟「権丸」=権現町・江崎社所属。29年ぶりに昭和63年4月復活。難を逃れた櫓と提灯台座を使用し、新たに2艘の船を復元建造した。
 屋台幕から安政2年(1855)には祭りをしていたと分る。この権丸は昭和34年9月の伊勢湾台風で流出破損した。

この巻藁船は、2艘の船の上に櫓を組み、中央の神柱に12ヶ月を表す赤い提灯と、365個の提灯が半球状に広がって、船が方向を変える際に、囃子に合わせ回転する 荘厳にして華麗なものだった。
小倉町1−25 天神社 4/15頃の土日 山車1台 平成3年復活 
小倉車⇒山車蔵は小倉町1−25。
=名古屋型。昭和34年に青年会が解散し、33年休んでいたが、平成になって山車復活検討会ができ、平成3年に復活した。
文政年間に名古屋市熱田区伝馬町の宮車を購入と伝えられる。雨具の箱に嘉永元年(1848)、提灯箱に小倉組の名と共に天保15年(1844)の記載がある。
水引幕:「白羅紗」。
大幕:「狐塚と衣掛松」。
追幕:「緋羅紗に小倉区の文字」。
矢田字谷海道53 八幡神社 4/2土日 山車2台 御幣車、矢田車
御幣車(矢田)=知多型。昭和62年(1987)子供会と地区の協力で制作。
代表彫刻は「力神、龍」。
水引幕:「松に鷹、竹に虎、獅子と龍」。
大幕:緋羅紗地で平成16年、手芸グループの作。
「向かい鳩」。
大幕:「矢田万歳の刺繍」
矢田車(矢田)=知多型。平成12年(2000)制作。宝くじの助成と地区の協力で制作。
代表彫刻は「鶏」。
水引幕:「鶴」。
大幕:「紺羅紗の無地」。
久米字東郷43 八幡神社 4/3土日 祭り囃子 子供みこし
往古は祭りばやしと共に、午前中は幣と桜の2頭の飾り馬を引き回し、午後から夜にかけて旅芸者を呼んで芝居見物をした。
子供みこし=平成11年4月新調。
前山(金山字菖蒲池61) 諏訪神社 4/3日曜 子供神輿
戦前・戦後の一時期は飾り馬3頭(ヘン馬、桜馬、柳馬)また、夕方より地方回り芝居(夕、夜)2回開演を行った。
子供神輿は昭和36年より手作りによみこしを創建し、現在では立派な子供みこしとなる。
石瀬(金山字屋敷24) 石瀬熊野神社 4/1日曜 子供神輿2基
石瀬=“城山まつり”(宮山区合同)。子供みこしは2基あり、平成15年9月新調。以前はダンボールの手作り。
宮山(金山字城山46−20) 佐治神社 4/1日曜 囃子
 ■鬼崎地区
   ⇒西之口、蒲池、榎戸、多屋
西之口8−60 神明社 4/3土日 山車2台 雷神車(鉄砲津)、西宝車(西之口)
雷神車(鉄砲津)⇒山車蔵は西之口8丁目2。
=名古屋型。平成5年修復し30年ぶりに復活。
平成20年(2008)3月30日、お披露目。大工は静岡・小池工務店。
唐破風の屋根、皿天井、四本柱、手高欄は新たに部材を新調。浜縁や鬼板・懸魚等の彫刻類は修理して使用。
天保13年(1842)に広井村中之切(現・名古屋市中村区名駅5丁目)で“張良車”として三之丸天王祭りで曳かれていたが、明治維新で三之丸天王祭りが中止となり、明治11年(1878)に金150円で一式購入し、“龍神車”と名付けられる。その後明治26年には雷神車と改名。
昭和37年を最後に祭礼に曳かれなくなっていたが、平成5年には修復され祭礼に出す。
からくり人形は前棚は「摩振り人形」。弘化4年、隅田仁兵衛真守作。大将座は「張良、龍神」。弘化4年、隅田仁兵衛真守作。
平成9年、横井誠により修復。衣装制作は間瀬仙一。
水引幕:明治26年、「伊藤呉服店、白羅紗に蝙蝠」。

 先代は明治9年に本地村(名古屋市南区本地)に売却した。
西宝車(西之口)=名古屋型。天保6年(1835)に大野橋詰町で新調され文久3年(1863)に同町より米70俵で購入。また道具類に嘉永4年(1851)の記載があることからこの頃より祭礼が行われたと思われる。昭和32年から中絶するが、平成4年に復活。平成16年、高欄高蘭、高欄彫刻、屋根、大輪の修理が完了。
からくりは前棚で「摩振り」。明治25年の作。文字書き唐子2体は平成10年、恵比寿人形は平成11年に 横井誠により制作。
水引幕:大正13年、生地は名古屋の加藤宗七、仕立ては金子條前膳の作。銀糸で刺繍「波に千鳥」。
大幕:慶応年間(1865〜68)の作。「緋羅紗の無地」。


 先代は嘉永4年(1851)頃には既にあったようである。
蒲池(神明町3−72) 神明社 5/4 子供みこし3基
往古は曳馬、旅芝居だった。現在は子供みこしが3基出ている。子供みこしがそれぞれの出発点から保存会のお囃子を伴って区内を練り歩き、松仙寺境内へ勢揃いする。境内では、松寿会やお母さん、消防団らによる餅つき・バザーが子供たちを迎える。 区長・町内長さんがこれらの支え役を果たし、お囃子を伴って神事を行っている。
榎戸 神明社 4/1土日 飾り馬、ぼんねん馬、やなぎ馬、御幣馬、さくら馬
先祖が現在の新田町、新浜町あたりの海岸を干拓し、松を植え、田畑にしようと努力した。しかし、築いた堤防が度重なる災害で決壊を繰り返し、くじけそうになる事も度々あった。
その堤防を守るため、生きた馬を生け贄として捧げたこともあったそうである。
歯を食いしばって頑張ったお陰で、江戸時代中期ごろには生活も安定してきた。
それを祝って、犠牲になった馬の霊を慰め、村の安全を祈って、金・銀糸であしらった飾り幕をつけ、ボンネン・桜・柳の飾り花を乗せた飾り馬3頭を巡行、奉納する祭である。
多屋(森西町3−29) 海椙(うすぎ)神社 4/1土日 山車1台 海椙車
子供用ミニ山車1台、太鼓台2台 山車が通れない町内を巡回
海椙車(多屋)⇒山車蔵は大和町6丁目75(多屋公民館)。
=知多型。平成元年(1988)に地元の大工始め地元の人の作。平成13年頃より、前部に彫物を付けたり高欄の改良を行いより豪華になる。
代表彫刻:「力神、龍、鯉の滝登り」。
水引幕:「紺羅紗に龍」。
追幕:地元の友禅作家の作。「鳳凰」。
大幕:「獅子」。

 往古は舟山車だったらしい。
 ■南陵地区
   ⇒小鈴谷、広目、大谷、樽水、西阿野、檜原、熊野、古場、苅屋
小鈴谷字赤松30 白山社 4/1土日(元・3) 神輿
獅子舞 安政年間にはしていた
獅子館 館を担いで奉納した
山車1台 白山車(小鈴谷)
白山車(小鈴谷)⇒山車蔵は小鈴谷北山下9。
=知多型。明治元年(1868)阿久比村(現阿久比町)横松新調。大正7年9/22契約。8年10/17収納。翌9年4/3の祭礼より引き廻される。長さ3.2m。幅1.6m。高さ5.45m。
大工は
阿久比村横松の江原新助。彫師は彫常。制作費1,086、56円。幕修繕費38円。

彫師は彫常。檀箱「七福神」、蹴込「波に龍鳥」、持送り「力神」、脇障子「張良と黄石公」、蟇股「松」、懸魚「鳳凰と仙人」。
上山人形は昭和6年、地元の大工の若子武一。「三番叟」。
水引幕:平成5年、龍村美術織物作「紺羅紗に波に千鳥の刺繍」。
大幕:平成5年、名古屋の兼松仏具店作「赤、緋羅紗」。
追幕:平成6年、「波に千鳥と鈴の刺繍」。


 先代は重箱車と呼ばれていた。この一部である前壇の一部は宝珠院大黒堂の厨子、堂山の一部は柱を利用し板を貼りお墓にある賽銭箱の囲いとして永らく利用されていたが、平成10年の台風で壊滅してしまった。
獅子館=安政2年(1855)、盛田太助寄進。平成12年、修復。彫師は立川流の立川和四朗重富門人、上野間の中野甚右衛門重富。
広目字竹ノ奥15 広石神社 3/下旬 獅子舞
大谷字奥條150−2 八幡社 4/1土日 山車2台(知多型) 蓬莱車(浜条組)、東桜車(奥条)
蓬莱車(浜条組)⇒山車蔵は大谷浜條13。
=知多型。天保13年(1840)6月吉日に横松の岸幕善兵衛の作。
長さ3.2m。幅1.83m。高さ5.8m。
彫師は立川常蔵昌敬。檀箱「唐子と犬」、蹴込「龍」、脇障子「関羽と張飛」、蟇股「中国仙人列伝」。
からくり:三番叟の翁。
水引幕:「波に雀」。
大幕:平成元年、「波―銀と海老ー金の刺繍、濱の字の刺繍」。
追幕:平成元年、「赤地に蓬莱車の金刺繍」。

 先代は天保11年(1840)に大見村(現・武豊町)に売却。
東桜車(奥条)⇒山車蔵は大谷奥條111
=知多型。明治初期の作。大正7年(1918)大改修。大工は江原新助(阿久比町横松)。
彫師は初代彫常。檀箱「力神」、蹴込「竹に虎」、脇障子「日本武尊・須佐之男」。
からくり:三番叟の媼
水引幕:「紫 金の鶴」。
大幕:「赤羅紗」。
追幕:「赤地に梅の花」。

 先代は明治初期に布土村平田(現・美浜町)に売却。
坂井字天王13 松尾神社 4/1土日 山車1台
松尾車⇒山車蔵は坂井字天王13(松尾神社)。
=知多型。明治元年(1868)制作。大工は不詳。
彫師は立川流の中野甚右衛門。檀箱は「丸玉と獅子」、脇障子は「乗馬の武士」、檀箱下は「波に鯛」。
からくりは「軍術拳白旗鬼一法眼の段」。
水引幕:平成16年、「白地に波と亀」。

寛政年代には山車があった。東光寺の開山堂の天井板に昔の山車の一部が使われ寛政5歳(1793)2月と記されている。
樽水町4−77 津島神社 4/中旬 囃子
花車廃絶
明治・大正期は川船が2台あった。これは津島天王祭に出る「川舟」を模したお祭であった。
昭和初期には上山の無い花車に変わったが、昭和中期に公会堂の移転と共に処分し、現在は囃子保存会として活動。
西阿野字半月263 七社神社 4/2日曜 浦安の舞 昭和59年より始まる。小学5年生の巫女により奉納。
檜原字神水2 白山神社 4/上旬 子供みこし
檜原=平成10年宝くじ助成金により、コミュニティークラブへ3台のお神輿が贈呈されたが、子供会の人数の減少によって、3台担ぐ事は無くなった。
熊野町2−77 熊野神社 4月 例祭
古場字五反田18−1 神明社 4/3土日 山車1台 古場車
古場車=岸和田型。平成26年より曳かれる。45年ぶりの復活。
昭和59年、泉佐野市下瓦原南町新調。地元の大工(彫物も含む)貴田吉松の作。平成元年9月1日に芦屋市三条に350万円で売却。三条で外輪、担い棒を付け神戸型に改造され14年まで使われる。

その後常滑市小鈴谷の個人が所有。平成25年に当地区に寄贈となり、地車の小屋根を前山にするなどの改修が行われた。
 常滑市祭り推進委員会編「古場の祭り」(平成13年調査)よると、古場には明治末頃に地元の大工により上山のない小振りの山車があった。
上山には獅子館を乗せ曳き廻していたが、15年ほどで獅子館は壊れ、その後上山を製作し竹ひごに上の造花を付けたものと提灯で飾り曳き廻したらしい。
当初は若衆組によって運営されていた組織は後に青年団によって行われることになるが、青年団への入団者も徐々に減少し、昭和44年には団員5名となってしまう。
この年は何とか山車は組み上げたものの、警察への曳き廻し届けは許可されず、曳き廻しは中止となる。
 安養寺のお堂の床下に先代の山車の台輪などの一部の部材が今でも残っている。
 その後、平成14年11月に有志、OB、顧問24名により古場区囃子保存会が設立され、春の祭礼・農神祭・新嘗祭に奉納行事として参加した。平成16年2月より少年少女囃子が加入した。
苅屋字洞ノ脇51 多賀神社 3/中旬 勇み奉納、巫女舞、子供囃子

 ≪知多郡≫
 武豊町
長尾部 武雄神社 4/2土日 山車6台 長北車(馬場)、鳳凰車(小迎)、神宮車(市場)、八幡車(下門)、宮本車(上ヶ)、玉神車(玉貫)
長北車(馬場)=文政10年(1827)制作。藤原常光ら5人で制作。大正14年に300円で上郷村(現・豊田市)より購入し改造し、15年2/28上棟。長さ5、6m。幅2、1m。高さ5、2m。
彫師は初代彫常(新美常次郎)が檀箱「七福神」、脇障子「張良と黄石公」。
彫長一門が上山懸魚「鶴飛翔」、前山懸魚「鳳凰」、蹴込「龍」。
水引は大正15年、松坂屋作の「緑地の竹に雀の刺繍」。
大幕は大正15年、松坂屋作の「赤」。

追幕は大正15年、松坂屋作の「赤地で長北車の刺繍」。
鳳凰車(小迎)=文久3年(1863)制作。大工は横松村(阿久比町)の岸幕善兵衛ら。長さ5、7m。幅2、26m。高さ5、92m。
彫師は立川一門が檀箱「粟穂に鶉」、脇障子「武内宿禰」。
初代彫常(新美常次郎)が持送り「力神」、蹴込「項羽と張良」。
前棚人形は
「三人遣い巫女舞」。上山人形は「逆立ち、面かぶり、肩車唐子」。

水引は大正15年、松坂屋作の「白地で鳳凰の縫いつぶし」。
大幕は大正15年、松坂屋作の「赤の羅紗地」。
追幕は昭和62年、松坂屋作の「鳳凰車の刺繍」。

神宮車(市場)=大正15年(1926)制作。大工は石川慶次郎。長さ5、5m。幅2、2m。高さ約6m。
彫師は初代彫常(新美常次郎)。檀箱「七福神」、脇障子「三種の神器、神功皇后・武内宿禰」、太平鰭「神武東征」、蟇股「天の岩戸」、懸魚「鶴に松」。
子供が舞台の上で「三番叟」を舞う。
水引は昭和62年、「紺地に清流に鮎、松の刺繍」。
大幕は昭和62年、「赤に三番叟の刺繍」。
追幕は昭和62年、「神宮車巴金糸」。
八幡車(下門)=制作年不明なれど壇箱の墨書きより安政6年以前の建造と思われる。明治中期に壊れ大正12年に大修復を行う。この時に彫物多数加える。長さ4.5m。幅2.2m。高さ5.5m。
彫師は初代彫常(新美常次郎)。檀箱「八岐大蛇」、懸魚「費長房」、脇障子「神武東征」、持送り「角つなぎ」。
榊原冬花が昭和59年、蹴込「老松に鳩」。
前棚人形は「応神天皇」。上山人形は「神功皇后、武内宿禰」。
水引は昭和60年、「濃緑地に御幣の刺繍」。
大幕は大正12年、「緋羅紗地」。
追幕は平成元年、「緋羅紗地に八幡車の刺繍」。
宮本車(上ヶ)=慶応3年(1867)制作。長さ5、5m。幅2、2m。高さ6m。
彫師は初代彫常(新美常次郎)。檀箱「太平楽人」、前山懸魚「松に鷹」、蟇股「神功皇后」、蹴込「竹に虎」。
前棚人形は「三人遣い三番叟」。上山人形は「逆立ち唐子」。
水引は「緑地に御幣」。
大幕は「赤無地」。

追幕は「赤に宮本車」。


 先代もあり。上山のからくりは先代の唐子人形である。
玉神車(玉貫)=弘化3年(1846)上半田北組新調⇒成岩西組⇒昭和24年購入⇒京都の映画会社⇒買い戻す。
 伊勢湾台風で山車蔵とも倒壊して傷んだため25万円で京都の映画会社に売却するが、映画会社の不況で売りに出たので昭和55年に買い戻した。
平成2年より岸本観冶により彫物新たにしている。
彫師は岸本観冶。壇箱「唐獅子に牡丹」、持送り「力神」以前は「菊」、蹴込「波に千鳥」。
彫師不詳が前山蟇股「八股大蛇」、脇障子「張良と黄石公」。
水引は「白に見返り龍の刺繍」。
大幕は「赤の羅紗地に唐獅子の刺繍」。
追幕は「赤に唐獅子の刺繍
大足 豊石神社 7/3土日 山車1台 蛇車
蛇車(大足)=寛政8年(1796)大谷村新調。大工・彫師は横松村の善兵衛。11年(1799)、大谷村の塗師仁左衛門が彩色を施す。天保10年(1839)購入。長さ約4m。幅2、4m。高さ約4m。
彫師は寛政8年分は不詳。壇箱は「牡丹と唐子」、蹴込「波に龍」、蟇股「鳳凰」、懸魚「麒麟」。
昭和60年制作は吉田信久。脇障子「昇龍」。
水引は昭和56年、「西陣織 龍」。
大幕は「荒波に雲龍」の刺繍。
後幕は「赤の羅紗地に鳳凰」。
市原 県神社 4/1土日 山車1台 懸車
文化12年(1815)制作。昭和4年半田市成岩砂子組より本体のみ購入。昭和24〜26年に彫物追加。平成4年、亀井信之により改修。長さ3m。幅1、7m。高さ6、2m。
彫師は二代目彫常(新美茂登司)。前檀「力神・干支」、脇障子「鹿と紅葉」、蹴込「風神」、前山懸魚「鶴」、蟇股「龍」。
水引は昭和4年「白色無地」。
大幕は昭和4年、「赤色無地」。
追幕は昭和4年、「赤地に懸車」。 
富貴字郷北101 八幡社・白山社 4/1土日 山車2台 本若車(富貴)、天王丸(市場組)
本若車(富貴組)=明治元年(1868)横松村(阿久比町)の江原庄蔵と地元の田中菊蔵により制作。
彫師は瀬川治助重光。檀箱「牡丹に唐獅子」、太平鯱は「猩々」。脇障子「桃源」。前山蟇股「粟穂に鶉」。
からくりは上山人形は「蓮台逆立ち唐子」。
水引は昭和4年、「白。鳩の刺繍」。
大幕は「赤羅紗の無地」。追幕は「唐獅子牡丹」。
天王丸(市場組)〔市場区祭礼HPへ〕=棟札に「文久3年(1863)5月奉再造船車」とある。船は文久2年(1862)11月制作。常滑大工、利右衛門と塗屋太蔵が船を、上野間大工丈助が台を作る。
彫師は中野甚右衛門重富。壇箱は「力神、牛若丸と烏天狗」。前山懸魚は「雲に鶴」。脇障子:右は「蘆高仙人」、左は「琴高仙人」。蹴込みは「獅子と唐子遊び」。
水引は「緑地で波に二羽鶴の刺繍」。
大幕は「赤羅紗に金刺繍」。
東大高 知里府神社 4/1土日 山車1台 知里付車(ちりうしゃ)
知里付車(東大高)=形態からみて寛政末から享和、文化の初め頃か?。また山車の長持裏面に天保14年と墨跡があるという。古い水引の裏に天保5年(1834)6月の墨書きがあり、これ以前と思われる。平成元年には漆塗り、金箔貼りの修復をする。
大工、彫師は不詳。檀箱は「格狭間に獅子」。
前山蟇股は「龍」と薄彫りの「紗綾形」。前山懸魚は「鳳凰」。脇障子は「張良と黄石公」。
水引は平成3年、「紺地に鳳凰の織込み」。
大幕は平成10年、「赤無地羅紗」。

 美浜町
 ■東部
河和北屋敷83 河和天神社 4/1土日 神輿
山車2台 力神車(北組)、汐吹車(中組)
提灯山車2台 土曜の夜に出す
 安永年間(1772〜80)に書かれた「張州雑志」に山車が1台あった事が記されている。
また天神社の「村社沿革誌」には,『明治22年南組の山車が火災で焼失,明治30年に新調,北組,中組の山車修繕』と記録されている。このことから明治中期には北・中・南の3台の山車があったことが推測される。その後、若家組織の北組は山車と神輿、獅子舞。中組が山車。南組が神輿(大太鼓)を担ぐなど昭和30年頃までは盛大に行われた。
昭和34年4月の祭礼から北・中・南組の組織が統合され河和区祭礼として2台の山車を曳いたが、昭和37年以降、中組の山車は人で不足のため解体保存となる。
平成元年、河和区、河和山車保存会などの尽力で中組の山車は復活した。
 また,これらの山車の他に,提灯山車(上山の無い山車)も曳き廻される。
力神車(北組)=町指定有形文化財。昭和11年(1936)制作。
大工は半田の石堂喜一。
彫師は初代彫常。檀箱「七福神」、脇障子「神功皇后・武内宿禰」。
上山は寛政2年(1790)、竹田藤吉作。「唐子遊び」。
水引は「龍の金糸刺繍」。大幕は「赤羅紗の無地」。
からくりは寛政2年(1790)、蔦屋藤吉の作。演題は「肩車唐子遊び」。人形は2体。
 明治21年、火災で焼失。
 その後、明治30年に岡崎橋目町から山車を購入と伝えられるが?
汐吹車(河和中組)=町指定有形文化財。前段中央の貝の彫り物が大きく汐を吹いていることから汐吹車とも前段の彫刻と飾り物が艶やかに彩られ、金箔が華麗に施されており、須弥壇に似ているため仏壇車とも呼ばれる。
宝暦5年(1755)制作。上山の棟木の墨書による。大工は知多郡横松村の奉納大工藤原朝臣と岸幕善兵衛宗次。
明治36年(1903)、半田市乙川南組より購入と伝わる。二度の休止を経て平成元年に復活。
平成16年祭礼後、漆塗りや金具の補修を石川県輪島で行う。
彫師は早瀬長兵衛・仲蔵の合作。檀箱「蛤の夢見」、蹴込「唐獅子」。
前棚は「青蔵」。上山は「三番叟 社変わり」。
人形は三番叟人形で、もともとは河和城主戸田孫八郎守光の末孫、水野家で毎年あやつり人形として披露されていたが、天神社の祭礼に奉納され、山車の上で演じるようになったと云われている。
三番叟人形は復元新調されたが、元は寛政年間の作。アオゾウは昭和10年頃、河和在住の磯部嘉吉の作であり、現在も祭礼で使われる。
大幕は「緋・羅紗」
南組=現存せず。
明治22年に焼失。
明治30年新調。亀崎田中組より購入説もあるが、どちらにしても廃れる。
その後、神輿を担いだりするが、現在は河和として一体化。
提灯山(夜山)=試楽(土曜)の夜に曳かれる。昔は地元の商工会(河和発展会)が夏に一宮の津島神社のちんとろ船と同じように船の上で付けられていたらしい。
昭和26年頃から河和の春祭りに山車を作り山車の上で提灯を点けられるようになった。
 長い間北組だけでしたが中組もの声が高まり中組の夜山も復活し試楽の宮入は北中二台での宮入りが復活した。
ちなみに北組の山車は台座に昭和26年4月夜山新調との記載がある。この台座に付けられている輪は戦時中河和にあった河和海軍航空隊で使われていた荷車の輪が使われていると言われている。
布土平井39 神明社 4/1土日 山車3台 護王車(上村組)、山王車(大池組)、天王車(平田組)
布土明山3 津島神社
護王車(上村組)=町指定有形文化財。明治14年(1868)3月15日、半田市下半田南組より購入。長さ5.2m。幅2.1m。高さ5.2m。
内海村東端の前野小兵衛治の作。彫師は立川和四郎富重。檀箱「護王の夢物語」、蹴込「格子」、脇障子「ざくろに猿」、前山懸魚「龍」、持送り「力神」。
からくりは4体。護王車購入以前からあった倒立からくり2体「唐子遊び」。文政10年頃の玉屋庄兵衛作と護王車と共に購入した2体「恵比寿・大黒」。
水引は「松の木に鷹」。大幕は「緋羅紗の無地」。追幕は「緋羅紗の無地」。
山王車(大池組)=町指定有形文化財。昭和24年青年団より山車建造の声があり、総代、世話人、役員 等が探したところ半田の中埜酢店の倉庫に大屋根と前壇のあることを確認し、所有者の山車工匠 石堂武雄氏より購入、それを基にして石堂武雄氏の指導により地元の大工の協力にて再興された。
 作者は不詳なれど、前檀の屋根裏に嘉永5年(1853)子6月の作 月磯先生の書と書かれている。
長さ3.8m。幅1.69m。高さ5.3m。
壇箱「七福神」、蹴込「唐獅子に牡丹」、脇障子「鯉の滝登り」、前山懸魚「鶴」、持送り「三角木」。
水引は昭和54年、石田豪澄作、「昇り龍、降り龍」。

大幕は昭和63年、鯉江功作。「緋羅紗地に牡丹」。追幕は昭和53年、小林虎吉作「竹に虎」。
天王車(平田組)=町指定有形文化財。明治初年に常滑市大谷奥条の東桜車を購入と伝えられる。文化4年(1807)制作。高さ約5m。重量2トン。
時志北郷中95 熊野神社 4/1日曜 子供山車1台
子供山車=昭和58年阿久比町横松制作。平成3年に山車復活後に購入。
北方東側43
北方十二神社 4/1日曜 小型山車1台 お囃子、餅まき
獅子舞廃絶
北神車(北方区)=平成20年(2008)4月より制作。21年より祭礼で使用。住民一丸の手作り。
北方子供会が、平成12年神輿で祭礼に参加。その後2代目も作るが、平成15年より子供用山車を制作し、北方の勇み囃子の伝統を守るため北方保存会が発足。さらに北神会に改組。
浦戸森下57 壬生神社 4/1日曜 例祭
古布九条13−20 津島神社 4/1日曜(元・3) 車の引きまわし 獅子舞、お囃子、奉納演芸
古布獅子舞=町指定文化財。古文書によると、天保期以前から行われている。現在の獅子芝居の演目は「阿波の鳴門、朝顔日記、神霊矢口の渡し、苅萱、忠臣蔵三段目・七段目」の6狂言。
矢梨(豊丘五宝75) 阿奈志神社 4/1日曜 子供囃子、奉納演芸
獅子舞 館もあり
切山(豊丘宮ノ脇1) 八幡神社 4/1日曜 簡易な山車 千歳の家から神社まで曳く
 ■西部
上野間高川16 野間神社 3/末or4/1日曜 山車2台 越智組、四嶋組
越智嶋車(越智組)=町指定有形文化財。安政5年(1858)制作?。3代目というが?。長さ2.4m。幅2m。
彫師は立川流一門の中野甚右衛門。檀箱「粟穂に鶉、力神、鍾馗の鬼退治(護王の夢物語)」、脇障子「三国志」、蹴込み「獅子に手毬」。
からくりは竹田源吉の作。「田村川神亀の釣竿 源義経日之出車 源氏烏帽子折之段」という人形浄瑠璃の演目。人形は源義経、五郎太郎の娘東雲(しののめ)、監物太郎頼方と馬の3体
水引は黒羅紗。
大幕は緋羅紗。

 先代は安政の上野間の大火で焼失。
四嶋組=町指定有形文化財。彫師は中野甚右衛門。長さ2.4m。幅2m。
からくりは明治末に乙川殿海道山より購入。「楓狩妹背御鏡山賊退治之段」。
水引は羅紗・鶴。大幕は緋羅紗。森 高雅筆。

 先代は安政の上野間の大火で焼失。
野間神明49 神明神社 4/1土日 お囃子、餅まき
野間冨具崎65 冨具神社 山車1台 餅まき
赤龍車(野間)=平成24年(2012)、地元青年団の作。
彫物は祥雲の作。脇障子「傘風子仙人」、「陣内仙人」、前山懸魚「赤龍」。桝組 等は南奥田の岩川修造の作。
幕は川島織物の作。水引幕は「白地に注連縄の金刺繍」。大幕は「緋羅紗無地」。
小野浦(小野字福島2) 八幡神社 旧暦8/15 船山車1台 八幡車
八幡丸(東組)=町指定有形文化財。元治2年(1865)に内海村東端の船大工の吉兵衛が前野定治郎の納屋でられる。名古屋の末広町の黒船車がモデル。昭和32年、大名行列と共に最後となる。
現在は船山車は三吉頌徳碑横の御車部屋に保管。子供大名行列の用具は小野浦公会堂に保管。
西組の船山車は明治11年に名古屋市緑区鳴海町に売却して廃絶。現・唐子車。
奥田字海道田181 大己貴神社 4/1土日 山車2台 北中組、南組
奥田字儀路8 八幡社
龍神車(北中組)⇒奥田の北組+中組
=平成16年(2004)制作。壇箱「岩戸開き」。
幕は川島織物の作。水引幕は「蜀江小花模様」。大幕は「阿吽の龍」。

南車(南組)=平成17年(2005)制作。壇箱「竜虎」、脇障子「風神雷神」、前山蟇股「七福神」、前山懸魚「鳳凰」、蹴込「唐獅子に手毬」、持送り「力神」。
大幕は平成18年、経団連会長の榊原定征氏寄贈。「牡丹と獅子」。

 まずは平成2年にお囃子復活。

 南知多町
内海中之郷22 入見神社 4/1日曜 山車 蛇車(馬場)
山車廃絶 北脇
馬場、中之郷、北脇地区の祭礼は三郷祭りと呼ばれている。馬場から山車、中之郷は手振り奴、北脇よりは棒の手が奉納される。
蛇車(馬場)=からくりは上山で文字書き唐子、柄太鼓を叩く唐子。
水引は丸に二つ引きの染め。大幕は緋羅紗の無地。
北脇=山車が大きく山車の曳き回しに難儀した。また追綱を張るのは養子の役であったが、北脇村へ養子へきた者たちから苦情が出たなどの理由で山車は解体されたまま放置されていた。そこで明治25年頃に東端に売却した。北脇には、現在はからくり人形と囃子の道具が残る。
内海東端(内海字山尾93) 熊野神社 4/1日曜 神輿 明治24年修復。
内海東端(内海字高平井26) 高ノ宮神社 山車1台     
天保以前に某所新調。明治25年(1892)頃に南知多町内海北脇より購入。これは北脇村が他村より山車を買ったが、大きすぎて村内での曳き回しができず解体されたまま放置されていた。それを購入したのが現在の山車である。大工は嘉四郎と伝えられる。
彫師は不詳。脇障子「唐獅子」、蹴込「格子」、持送り「力神」。
上山は明治26年作、人形師不明「神官 湯取り神子」。
水引は「白無地」。大幕は「緋羅紗の無地」。

 先代は文政10年(1827)五代目前野小平治が唐子車の制作始める。しかしながら、明治8年(1875)に名古屋市緑区有松中組に100円で売却。
内海西端 山神社 旧・8/17 神楽船
提灯山車1台 休止中
神楽船=二艘仕立てで長さ7間半(約13、6m)。幅7尺5寸(約2、27m)。高さ5尺(約1、5m)。極彩色を施した彫刻、二艘の船に櫓が組まれる。
内海東座頭畑10 秋葉神社 4/1土日 山車1台 天保以前の作。大井より購入。
提灯山車1台
内海吹越=形状から寛政〜天保以前制作と思われる。武豊町本若組⇒常滑市瀬木(明治10年[1877]頃〜)⇒南知多町大井(大正初期に購入)⇒昭和50年代に購入し、昭和55年(1980)山車祭り復活。
檀箱「唐獅子」。
からくりは先代の山車に乗せていたものを利用。「上山で肩の上で倒立する唐子、柄太鼓をたたく唐子」。
大幕は「緋羅紗の無地」。
 先代は昭和34年の伊勢湾台風で流失。
内海岡部 神明社 4/1日曜 山車1台 制作年等は不詳。  
提灯山車1台
からくりは上山で梅の木で倒立する唐子、蓮台回しの唐子。
大幕は「緋羅紗の無地」。
内海内福寺(内海字内田61) 八幡社 4/1日曜 山車1台(休止中)  
7/3土曜 提灯山車1台
上山天井の棟札より万延元年(1860)10/20に制作と判る。彫師は中野甚左衛門連富(上野間)。檀箱「力神」。
からくりはチャッパ打ち唐子、石橋獅子唐子。
山海西村 乃野神社 10/4日曜 山車1台 昭和59年改修  
山海西村=大正4年(1915)旧9月に約800円で岡崎市矢作町上之切より購入。
制作年・大工は不詳だが、彫物制作年は幕収納箱の墨書きより嘉永7年(1854)6月と思われる。彫師は瀬川治助重光。
伊勢湾台風で小屋が倒壊して損傷ひどかったが、昭和59年に改修して復活。からくりは無いが、前棚、上山で小学生の女子4人が神楽を舞う。
山海神戸 乃々神社 10/4日曜 花車1台  
子供山車休止中
津島神社 7/2土日(元・16) 山車1台
大井字北側42 豊受神社 山車廃絶 北組
大井浜組=天保9年(1838)阿久比町萩で新調。大正13年購入。経路は阿久比町荻⇒半田市岩滑新田平井組⇒半田市下半田東組⇒大井浜組
師崎字明神山2
羽豆神社 10/2土日 神輿
山車5台 新井、東組(中)、西村、栄村、的場
明治30年頃より始められる。知多型ではあるが狭い道を曳けるようにいずれも小型で上山は無くその代わりに櫓を組み、幡や飾り物をする。
新井=山車上に飾る馬廉の受板に元禄6年(1693)と書かれている。檀箱に彫物無し。持送り「力神」。
東組(中)
=檀箱に彫物無し。脇障子「須佐之男命・稲田姫」。
西村
=檀箱「七福神と鳳凰」、前山懸魚は「鳳凰」、脇障子「武内宿禰・神功皇后」
栄村
=檀箱に彫物無し。脇障子「竹に虎」。
的場=檀箱に彫物無し。脇障子「菅原道真と小野道真」。
片名字稗田1 神明社 10/2土日 山車4台 長谷組、北組、中組、中浜組
豊浜字鷲麦5 須男神社 7/中旬 神輿 あり
山車2台(廃絶) 鯛祭りに変更
中村区=昭和36年頃までは祭礼に曳かれたが、現在は山車蔵で休止中。壇箱に名古屋市末廣町 彫物師瀬川治助重定作と墨書きがある。
明治期に半田より購入するが、からくり人形は付いていなかったと云われている。

半月区=明治7年、中須地区新調。明治12年、金5万円で購入。このお舟は鯛祭りが盛んになったため、昭和47年(40年説もあり)より曳かれなくなり、昭和55年10月に南知多町民俗資料館に寄贈された。
 【鯛祭り】
明治18年(1885)頃に祭礼に興を添えようと地元の船大工の森佐衛門(細工物が器用でいいかげんに作っても立派だったので“えいころさ”といった)が「ハツカネズミ」の張りぼてを作ったのが始まり。(江戸期に猪から始まったという説もあり)。
 その後、2年ごとに手持ちの材料で獣の形を作って祭りの景物としてのが人気を呼んだ。(ハツカネズミ⇒象⇒牛⇒虎⇒兎と続いた)。明治30年に「漁どころだから魚が良かろう」と、海の生き物が作られるようになり、大正初年に祭礼関係者が協議してイトヨリダイを作り⇒カツオ⇒マダイ。昭和9年に伊勢海老⇒鯨(昭和10年)⇒鯛(昭和12年)となった。また昭和初期より胴内で囃しながら海に泳がせるようになった。
このだし物は一年おきや、数年おいて作られたこともあった。また作る題材もその場の思いつきで決められていたので、祭りのだし物のことを思いつきと呼ばれた。
 この思いつき「鯛祭り」と呼ばれるようになったのは、昭和45年の日本ジャンボリーが富士の朝霧高原で開かれたときからである。全国各地から2万人あまりの少年たちが集まり、郷土の芸能を紹介しあうプログラムがあり、東海ブロック代表として、豊浜の鯛が選ばれることになった。ここで思いつきではピンとこないということから、「鯛祭り」にしようという話し合いがなされになったとされた。これ以後、思いつき「鯛祭り」と呼ばれるようになった
また土曜日に豊浜漁港で花火大会も行われる。
 ■篠島(しのじま)
面積は0.93km2。周囲は6.7km。最高標高は49.1m。人口は1763人(平成22年)。
篠島神戸101 神明神社 7/2金曜 船山車1台
9/15 例祭
船山車=平成4年創建。
 ■日間賀島(ひまかじま)
面積は0.77km2。周囲は6.6km。最高標高は30.2m。人口は2051人(2010年)。
日間賀島字北地78 日間賀神社 9/15 例祭
日間賀島字新井浜8 八幡社 7/3土曜 例祭

 阿久比町
  ⇒横松、萩、宮津、板山、福住、白沢、草木、卯之山、坂部、稗之宮、椋原、角岡、矢口、高岡、植、大古根
 ※卯坂(卯之山と坂部)、椋岡(椋原と角岡)、矢高(矢口と高岡)、植大(植と大古根)は明治17年に合併して一村になる。また稗之宮は阿久比と改称。
横松字西之海道65 横松神明社 4/4土日 山車1台
横車=町指定有形文化財。建造年は不詳だが、明治初期か?。大工は江原新助。
昭和34年の伊勢湾台風以前まで曳いていたが、休止となっていたが、町指定有形文化財になったのを機に、平成3年に33年ぶりに復活。
彫師は初代彫常。檀箱は「七福神」、蹴込「亀群」、脇障子「日本武尊」、持送り「波に千鳥」、蟇股「唐獅子」。

前山人形は「三人隠れ使いの三番叟」。三番叟は昭和初期以後奉納されていなかったが、平成16年より復活。
大幕は「緋羅紗の無地」。追幕は「緋羅紗の無地」。
水引は「白羅紗に松」。
子供山車=昭和58年制作。平成3年に横車復活後に美浜町時志に売却。
字白山西8 大山祇神社 4/2土日 山車1台 大山車
萩大山車=町指定有形民俗文化財。明治45年(1912)制作。費用は553円86銭。幅1.65m。高さ約5m。大工は岡戸峯次郎。
彫師は持送りは天保15年、作者不詳。蹴込は昭和9年、脇障子は明治44年、懸魚は昭和25年で彫常の作。
前山人形・三番水引・幕は昭和56年制作。
大幕は「緋羅紗の無地」。水引幕は「白無地」。

 創建は天保9年(1838)。阿久比町荻⇒半田市岩滑新田平井組⇒半田市下半田東組⇒大井浜組
宮津宮本30−1 熱田社 4/3土日 山車2台 北組、南組
三番叟、囃子、巫女舞奉納
宮津北車(北組)=町指定有形民俗文化財。彫師の墨書きから安政7年(1860)頃と思われる。彫師は瀬川治助重光、岸幕角三郎。明治36年に改造。長さ3.5m。幅1.85m。高さ5.1m。
彫師は二代目瀬川治助重光。檀箱「加藤清正朝鮮の役」、脇障子「源頼政鵺退治」、蟇股「牛若丸と烏天狗」、太平鰭「浦島太郎」。
岩田冬根が蹴込「乱獅子」。岡戸一郎が持送り「角つなぎ」。岸幕角三郎が懸魚「鶴に乗る仙人」。
前山人形は「三番叟」。上山人形は「恵比寿、大黒、布袋、唐子」。

大幕は「赤無地」。追幕は無し。水引幕は「白無地で鳳凰」。
宮津南車(南組)=町指定有形民俗文化財。組に残る文書「南車永代帳」から、宝暦元年(1751)以前より山車が存在した可能性が高い。
彫師は増井時三郎が檀箱「大江山鬼退治」。
後藤岩五郎が脇障子「須佐之男命・猪早太鵺退治」。
初代彫常が蟇股「勧進帳」、太平鰭「弁慶」。
山人形は昭和23年、舟橋広志作「三番叟」。
上山人形は昭和23年、舟橋広志作「
牛若丸、弁慶、京人形」。休止中。

水引幕は天保4年(1833)、「黒羅紗金糸の龍」。
大幕は大正14年作、「緋羅紗無地」。
板山川向38 熊野神社 4/2日曜 子供神輿2基 お囃子、巫女舞
福住東脇83 県神社 4月 例祭
白沢北根3 八幡神社 4/2日曜 神輿
白沢子供囃子保存会によるお囃子、神輿の地区内練り歩きや八幡神社で巫女舞の奉納が行われる。
草木多賀前65 多賀神社 4/3日曜 神輿
巫女舞、草木囃子保存会による神楽の奉納、子供神輿の練り歩き、厄年を迎える人たちで作られる厄歳会による「花火パレード」 など。
卯之山(卯坂北ノ浦58)
津島神社 4/2日曜 子供神輿 巫女舞
卯坂坂部 八幡神社 4/3日曜 餅投げ 巫女舞、神楽奉納
阿久比北下川49 阿久比神社 4/2日曜 神楽奉納 餅投げ
椋岡字南畑6 八幡神社 4/4土日 子供山車1台
矢口(矢高石根37) 箭比神社 4/1日曜 子供山車1台
山車2台(廃絶) 宝暦以前2台の山車あり。提灯車か?
高岡(矢高三ノ山高16) 天満社 4/1日曜 獅子館
子供神輿 神楽奉納、餅投げ
植大植向山2 神明社 4/3日曜 子供神輿4基 巫女舞奉納、餅投げ
植森後38 五郷社
植柿崎11 八幡社
大古根 大古根八幡社 4/3土日 山車1台 三番叟  
八幡車=町指定有形民俗文化財。制作年は不詳なれど、彫刻に岸幕角三郎の作が多いことより、弘化〜嘉永頃に建造されたものと思われる。長さ約5m。幅1.9m。高さ5.3m。
彫師は江戸後期の作は岸幕角三郎。檀箱「力神」、蟇股「松に鳩」、太平鰭「高砂」、懸魚「鶴」。
大正期は彫常。脇障子「神功皇后」、持送り「波に千鳥」。
有馬要冶は平成4年に蹴込「牡丹に唐獅子」。
前棚人形は3人使いの三番叟。
水引幕は「白地に鳩」。大幕は「赤無地で唐獅子と牡丹」。追幕は「赤地で松に鷹」。

 ★展示場
 【南知多町民俗資料館】
南知多町大字内海字柴井1−66。рO569−62−2218。開館は9:00〜17:00。休館日は月曜・祝祭日の翌日。年末年始(12月28日〜1月4日)。無料。
昭和52年開館。元・内海高校跡地。図書館の管理室に依頼し鍵をあけてもらう。
舟山車=豊浜半月区の寄贈。明治7年、中須地区新調。明治12年、金5万円で購入。お舟は鯛祭りが盛んになったため、昭和47年(40年説もあり)より曳かれなくなり、昭和55年10月に南知多町民俗資料館に寄贈された。