秋 田 県
≪能代・山本≫
能代市、山本郡[三種町、八峰町、藤里町]
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 |
≪能代市≫ 平成18年(2006)3/21、能代市+山本郡二ツ井町が合併。 |
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◎旧・能代市 | ||||
■能代港地区 ⇒能代上町、能代大町、能代万町、能代幸町、能代長根町、能代上後町、能代赤館町、能代柳町、能代畠町、能代富町、能代御指南町、能代馬喰町、能代中町、能代羽立町、能代上川反町、能代清助町、能代後町、能代下川反町、能代新町、能代鍛冶町、能代出戸町、能代本町、能代南中町、能代盤若町、能代能代町 |
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御指南町3−24 | 日吉神社 | 7/26、27 | 神輿 | |
丁山5台 | 大町組、上町組、萬町組、清助町組、後町組 | |||
今の日吉神社から元の宮地(清助町にあるお旅所)へ神輿に神様を乗せて巡幸する。猿田彦行列の後ろに五丁山が並んで巡行する。 丁山は昭和24年の火災で山車や人形が全て焼失するが、昭和51年に揃って復興した。 |
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第一番=大丁組(大町・富町・下川端町)。祭神は三番叟。普段はお面をしているが、26日の親丁の大町を廻る時にお面がはずされるらしい。 第二番=上丁組(上町・畑町・鍛冶町)。祭神は鍾馗様。 第三番=萬丁組(万町・仲町・羽立町・上川反町)。祭神は猩々。 第四番=清助丁組(清助町・馬喰町)祭神は恵比須。 第五番=後丁組(後町・新町・柳町)祭神は大黒天。 |
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柳町13−8 | 能代八幡神社 | 9/連休土日(元・旧8/15) | 神輿 | 稚児行事、巫女の奉納舞 |
【こども七夕】 8/3、18:00〜21:00。能代商店青年クラブ主催で畠町通りで行われる。 市内の子供会が赤組、白組に分かれ21町が約40台ほどのアニメキャラクターなどを形どった小若燈篭が、畠町通りを練り歩く。 なお予備日は8/5。 |
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【能代役七夕】 8/6、16:00〜22:00。2台の灯籠。 |
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【シャチ流し(ねぶ流し)】 8/7、20:00〜。笛や太鼓を先頭に、夏の夜空に赤々と燈る大若太鼓を繰り出す。最後には城郭の姿をした「シャチ」を米代川に焼流し、祭りはフィナーレとなる。 |
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【おなごりフェスティバル in 能代】 9/1土曜開催。会場は畠町(はたまち)通り。 東北を中心とした日本全国の有名な祭りが一堂に集まるフェスティバル。 青森ねぶた、盛岡さんさ、秋田竿燈、浅草カーニバル、能代七夕大若などが登場。 |
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■東雲地区 ⇒向能代(むかいのしろ)、朴瀬、比八田、吹越、真壁地、落合、須田、竹生、磐 |
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向能代字上野152 | 稲荷神社 | 5/10 | 例祭 | |
竹生字神田44 | 菅原神社 | 4/25 | 例祭 | |
比八田字八幡下55 | 八幡神社 | 旧・3/15 | 例祭 | 旧称は荷八田 |
磐字杉沢23 | 杉沢熊野神社 | 6/28 | 例祭 | |
坂形字堂ノ後3 | 熊野神社 | 4/8 | 例祭 | |
■榊地区 ⇒出戸、内養蚕、橋中、豊祥岱、仁井田、機織 |
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出戸57−3 | 出戸山神社 | 7/26 | 例祭 | |
機織轌ノ目1 | 機織神明社 | 9/15 | 例祭 | |
新山前97 | 新山神社 | 7/27 | 例祭 | |
柏子所112 | 八幡神社 | 7/26 | 例祭 | |
大塚113 | 神明社 | 7/27 | 例祭 | |
河戸川字新屋布116 | 熊野神社 | 4/27 | 湯立神事 | |
河戸川字相染森62 | 相染神社 | 7/27 | 例祭 | |
河戸川字二ノ沢171 | 磯前神社 | 7/27 | 例祭 | |
■扇淵地区 ⇒扇田、鰔淵(かいらふち) |
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扇田字扇田10 | 神明社 | 7/27 | 例祭 | |
扇田字道地11 | 開道神社 | 7/27 | 例祭 | |
8/13、14、17、20 | 道地ささら | |||
道地ささら舞(道地ささら保存会)=県指定無形民俗文化財。常州下御供佐々楽とも称する。元は「獅子踊り」と言っていた。 佐竹義宣公が常陸から秋田遷封の際、行列の前後を警護していた足軽衆が道中の慰めに常陸で行われていた獅子舞を演じた。その後、後部にいた足軽衆35人が道地に住み、その舞を伝えた。 |
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鰄渕字鰄渕61 | 神明社 | 7/27 | 湯立神事 | |
■檜山地区 ⇒檜山、大森、中沢、母体(もたい)、田床内 |
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桧山字越王下21 | 檜山神社 | 9/8 | 例祭 | |
大森字立山下32 | 八幡神社 | 9/15 | 例祭 | |
母体字上母体家ノ下14 | 八幡神社 | 旧・8/15 | 神幸祭 | 12年に1度の丑年 |
檜山舞 | ||||
檜山舞(檜山舞保存会=県指定無形民俗文化財。母体番楽とも称する。例祭の他盆の13日と15日、20日にも演じられてきた。 番楽の起源について、永禄の頃とも、天正の頃ともいうが、不詳である。その頃、上母体八幡神社の別当安部氏の三代目大鏡院がかかわっていると考えられる。 安部氏は、修験衆徒として八幡神社の興隆に努めてきており、この番楽もその宗勢拡大の一環として始められたものかも知れない。以来、連綿として上母体の部落の行事として、演じ続けられてきた。 |
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■鶴形地区 鶴形:字として鶴形、田中谷地、大台野 など8自治会 |
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鶴形226 | 釣潟神社 | 9/18 | 子供みこし | |
轟221 | 神明社 | 4/29 | 例祭 | 明治43年9月12日鶴形村社釣潟神社へ合祀。昭和22年4月21日釣潟神社より分離。 |
【鍾馗様】 鶴形の鍾馗様は体長2m程、体は藁で整え、頭部は木の根を角に見立て恐ろしい形相で大木に祀られている。 守り神として集落の境目6ヶ所に祀られている。鶴形地域の特徴は男女各3人ずつ3組の夫婦になっている。駅前(女性)と上部(男性)、中部(女性)と横町(男性)、下坂(女性)と下部(男性)がしれぞれ夫婦となっている。 |
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■浅内地区 ⇒浅内、内戸川 |
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浅内字沢辺104 | 成合神社 | 7/27 | 例祭 | |
浅内字上ノ山7 | 浅内神社 | 7/27 | 例祭 | |
浅内字頭無上100−1 | 福田神社 | 7/27 | 例祭 | |
■常盤地区 ⇒常盤、天内、外割田、槐、久喜沢 |
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天内字白岩下60 | 常盤神社 | 4/29 | 例祭 | 明治10年郷社に昇格、明治43年に26社を合併 |
◎旧・二ツ井町 二ッ井 荷上場:荷上場、加護山 富根:駒形、飛根 種梅:梅石、種 七座(ななくら):小繋、麻生 響:切石、小掛、田代、仁鮒、檜山村濁川地区 |
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二ツ井町字山根72 | 岩関神社 | 5/3 | 神輿 | 重さ100貫目(375kg) |
二ツ井町飛根字富根190 | 愛宕神社 | 7/24(毎年) | 神輿 | |
羽立大神楽、富根報徳番楽 | ||||
羽立大神楽(羽立大神楽保存会)=県指定無形民俗文化財。その昔、芸人がこの里を訪れ、その芸人に魅せられた里の人たちが習い伝えたと言われている。 | ||||
二ツ井町仁鮒字坊中146 | 銀杏山神社 | 5/8 | 例祭 | |
二ツ井町荷上場字五輪台23 | 高岩神社 | 5/8 | 例祭 | |
二ツ井町梅内字筒ヶ沢103 | 梅内神社 | 5/3 | 例祭 | |
二ツ井町切石字山根8 | 兜神社 | 5/10(毎年) | 神輿 | |
二ツ井町種字熊野堂前93 | 熊野神社 | 5/3 | 例祭 | |
二ツ井町小掛字払川59 | 山神社 | 5/3 | 例祭 | |
二ツ井町荷上場字五輪台23 | 高岩神社 | 5/8 | 例祭 | |
二ツ井町田代字堂ノ下182 | 田代神社 | 5/1 | 例祭 | |
二ツ井町小繋字天神道上67 | 七座神社 | 5/8 | 例祭 | 旧・県社 |
二ツ井町槻木138 | 鎧神社 | 5/3 | 例祭 | |
【仁鮒(にぶな)七夕】 8月6、7日、二ツ井町地区の6つの町内会がそれぞれ灯篭を作り、シャチを上げて町内を曳き歩く。7日の夜には銀杏橋からシャチに火を付け流す。米代川の川面を真っ赤に染めてシャチが流れていく。 |
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【民俗芸能】 ●仁鮒ささら踊(仁鮒郷土芸術保存会)=県指定無形民俗文化財。二ツ井町仁鮒。佐竹義宣公が常陸から秋田へ遷封の際、随従してきた道地村の藤原一族の間に踊り伝えられるささら踊りに由来している。 ●切石ささら踊(切石郷土芸術振興会)=県指定無形民俗文化財。二ツ井町切石。8/13〜14。佐竹義宣公が常陸から秋田へ遷封の際、随従してきた道地村の藤原一族の間に踊り伝えられるささら踊りに由来している。 |
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【消滅集落】 長五郎沢=昭和41年廃村。開拓集落。 柾山沢=戦後5戸。昭和50年集落再編事業の適用を受け集団移転。 根小屋沢=昭和50年集落再編事業の適用を受け集団移転。 |
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≪山本郡≫ | ||||
三種町 平成18年(2006)、3/20、山本郡八竜町+山本町+琴丘町が合併して誕生。 |
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◎旧・八竜町 鵜川:鵜川、富岡新田、川尻、久米岡新田 浜口:浜田、大口、芦崎 |
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鵜川字大曲家ノ上20 | 宮比神社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
鵜川字宮比台26 | 熊野神社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
川尻字熊屋布14 | 薬師神社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
川尻字横沢森崎139 | 八幡神社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
久米岡新田字吉岡59 | 神明社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
大口字地蔵脇142 | 湧出神社 | 9/連休(元・15) | 神輿(大人、子供) | |
芦崎字芦崎308 | 姥御前神社 | 9/連休(元・15) | 例祭 | |
※八竜町役場企画開発課によると、この日は全町での祭りだが、神社出発するのは、湧出神社のみと思われるとのこと。 | ||||
◎旧・山本町 ⇒森岳、外岡、志戸橋、豊岡金田、下岩川 |
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森岳字岩瀬32 | 森岳八幡神社 | 9/3日曜(元・旧8/15) | 神輿 | |
歌舞伎奉納 | ||||
森岳歌舞伎= 発祥等については、大正14年の大火により八幡神社・社務所が焼失し、記録となるものを失ってしまったため明らかではないが、古老の言伝えなどで、文化・文政年代(1804〜30)と云われている。その昔、巡国の山伏(六部)がこの地にきて病み臥してしまいました。山伏は土地の神社に篭もり祈願し、村人の看護もあり全治しました。その御にと演じたのが始まりと言われています。これが毎年、旧8月15日の祭典に奉納劇として演じられた。大正時代には各地へおもむき、森岳芝居と称され、田舎芝居として自他共に容認されてきたものです。現在では、森岳八幡神社境内の芸術会館において9月第3日曜日の祭典当日に奉納されている。 | ||||
外岡字外岡南96 | 外岡熊野神社 | 5/5 | 湯立神事 | |
外岡字羽立東66 | 保量神社 | 5/5 | 例祭 | |
志戸橋字前田面5 | 志戸橋七星神社 | 8/15 | 志戸橋番楽 | 県指定無形文化財 |
志戸橋番楽=天正年代(1573〜92)、能代市母体の神官、安部降順氏(25代目当主)の祖で、修験者安部家3代目大鏡院昭山師が修練のため上方にのぼり、田楽の一種山伏神楽を習得して帰り、桧山舞い(母体番楽)を始めたと記録にあり、その系統に属するとされている。 | ||||
豊岡金田字金光寺31 | 金光寺白山神社 | 5/5 | 湯立神事 | |
豊岡金田字田倉館76 | 豊岡神明社 | 5/5 | 例祭 | |
富岡新田字富岡52 | 神明社 | 9/15 | 例祭 | |
下岩川字長面向台65 | 神明社 | 5/5 | 例祭 | |
【森岳温泉夏祭り】 8月下旬12:00〜開催。会場は惣三郎沼公園。主催は三種町山本地域活性化イベント実行委員会事務局。じゅんさい踊り、山本中学吹奏楽演奏、子供みこし、わんこじゅんさい競技などのイベントがある。夜は花火大会。 |
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【山本の郷土芸能】 ●向達子番楽 ⇒向達子番才楽とも言う。この番楽の起源については、安政元年(1854)に阿仁根子番楽の流れを組む二ツ井町仁鮒(旧轟村)の神官を招き、集落の若者一同がその教えを受けた。また一部は明治の中頃、当集落の北林東吉という者が五城目の馬場目へ出稼ぎ中、その地で舞われていたものを習って帰り、それまでのものと合わせて今のような形に整えたとされています。 戦前は若勢組が継承してきましたが、終戦後は向達子番楽保存会で運営している。 ●泉八日ささら ⇒森岳泉八日。斉明天皇期の阿部比羅夫東征の時、その配下の一軍が八竜町の明神裏手に上陸、この地の民の人心安定に用いられ、船頭藤原某より泉八日「ささら」が伝えられたとされている。 現在は8月14日に神社、境内で披露されている。 ●羽立ささら(羽立獅子舞) ⇒言伝えによれば、どこからともなく来た3匹の獅子のうち2匹は長旅のあまりの疲労にどこかにはぐれ、最も体力があった雄獅子だけがかろうじてここまでたどりついたといいます。そこで村人は、雄獅子の面を手本に中獅子と雌獅子の面を作り、3匹そろえて「ささら」の面にしたと伝えられています。現在は、8月14日、15日に神社境内、集落「宿」で披露されている。 ●和田ささら ⇒豊岡金田。起源には2説ある。1つは吉朗兵衛という人の家に、古い柊(ひいらぎ)の木があり、ある日その木の枝に、どこから飛んで来たのか1つの獅子の面が引っ掛っていた。吉朗兵衛は、村人に、ぜひ獅子舞をして村の安全と繁栄を祈るべきだと説いたそうで、村人もこの不思議なことは村によいことだと考え、獅子舞を始めたといいます。もう1つは、阿仁のある村へ和田村から何人かの若者が出稼ぎに行き、その先の村人から習い覚えて帰り、和田の「ささら」を造りあげたといいますが、その阿仁の村の名や若者の名、その家については言伝えが残されていません。8月13日、14日に「宿」や地域で披露されている。 ●達子ささら(達子ささら保存会) ⇒下岩川。能代市、道地の流れをくみ、町内で唯一女性(子供も舞う)が奴を舞っている。現在のささらは、昭和58年に40年ぶりに集落若者たちにより、伝承者から身振りや口笛などを聞きながら復活したものである。奴踊りは。8月13日、14日に神社、集落「宿」で披露される。 |
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【消滅集落】 卯ノ沢(うのさわ)=下岩川の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後の最盛期4戸、昭和40年代前半に1戸転出。集落再編成事業により、昭和47年に3戸が転出し廃村。 萱落(かやおとし)=下岩川の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後の最盛期3戸、昭和40年代に2戸転出。集落再編成事業により、昭和47年に残り1戸が転出し廃村。 |
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◎旧・琴丘町 ⇒鹿渡(かど)、鯉川、天瀬川、上岩川(かみいわかわ) |
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鹿渡字腰巡35−1 | 鹿渡神社 | 5/5 | 例祭 | |
【鯉みこし】 浜鯉川で5月5日に行われる。鯉みこしをかつぎ、浜鯉川地区を練り歩く。 |
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内鯉川の子供みこし祭り=平成3年(1991)始まる。神輿は当時の校長の手作り。少子化で参加者が減少のため、平成16年(2004)を最後に中断。 その後Uターンで地元に戻る住民が増えたことで小学生が10人近くに増え、地域内でも祭りを復活させる気運が高まり、平成27年(2015)、11年ぶりに子供みこし祭りが復活。 5月5日、内鯉川地域交流センター(旧・鯉川小学校)スタート。 |
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天瀬川 | 磯前神社 | ? | ― | |
海抜150mの筑紫岳頂上に鎮座していたが、昭和33年農林省の八郎潟干拓事業の護岸用石材採取用地に指定され遷座した。 | ||||
上岩川字塚ノ岱107−1 | 岩川神社 | 5/5&9/8 | 例祭 | |
【琴丘の郷土芸能】 かつては小新沢(こあらさわ)番楽、落合番楽、二本杉番楽、増浦ささら、上岩川新屋敷(かみいわかわあらやしき)ささら等、数多く伝承されたが、現在では山谷ささら、中館(なかだて)番楽、上砂子沢(かみいさござわ)番楽の三つが伝承される。 ●山谷(やまや)ささら ⇒鹿渡山谷。天和元年(1618年)、佐竹義処公が領内巡見の折りに、同行した足軽たちによって伝授されたといわれ、先祖の供養、悪霊の排除、雨乞いなどの意味を持っている。。8月13日に松庵寺境内で行われる。 ●中館番楽(なかだてばんがく) ⇒鹿渡字中沢・舘村。猟師によって伝えられたと云われている。山間地に残る土臭い民俗芸能の中に、古代人の情熱を漂わせるとともに、勇壮なマタギと武人の血と面影を伝えている。 8月13日に館村地区で、15日には中沢地区で行われる。 ●上砂子沢番楽(かみいさござわばんがく) ⇒上岩川上砂子沢。中館番楽と同じく旧・北秋田郡阿仁町に伝わる「根子番楽」の流れをくむもので平成3年に地元の若者たちによって30年ぶりに復活した。 |
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【消滅集落】 昭和47年(1972)集落再編事業の適用を受け集団移転。 茨島=最盛期の戸数8戸。 滝の上=最盛期の戸数8戸。 西又=最盛期の戸数12戸。 |
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八峰町 八森町+峰浜村が合併。 |
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◎旧・八森町 ⇒八森(はちもり)、岩館(いわだて) |
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八森字舘10 | 白爆(しらたき)神社 | 8/1 | 神輿 | みこしの滝あび |
八森字岩館64 | 神明社 | 7/16 | 例祭 | |
【ハタハタの里ブリコ祭り、雄島花火大会】 平成2年(1990)より始まるが、現在は花火だけ。 8月15日、南の八森地区と北の岩館地区からハタハタ灯篭やハタハタ山車、ハタハタ音頭踊りなどが練り歩き、町の真中の中浜地区にある八森町文化交流施設の駐車場前で合流した。 夜には、海上に浮かぶ雄島から約1、000発の花火が打ちあがる。 |
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◎旧・峰浜村 塙川:塙、石川、畑谷、小手萩、内荒巻、坂形 沢目:水沢、目名潟、沼田、田中、高野々 |
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峰浜塙字八幡台123 | 八幡神社 | 旧・3/15 | 例祭 | |
峰浜石川字石川59 | 曽布沢神社 | 5/8 | 例祭 | |
峰浜畑谷字川端146 | 熊野神社 | 5/8 | 例祭 | |
峰浜坂形字上強坂18 | 一岐嶋神社 | 4/15 | 例祭 | |
峰浜坂形字強坂235 | 金鋳神社 | 5/8 | 例祭 | |
峰浜水沢字寺ノ後54 | 沢目神社 | 5/1 | 例祭 | |
【消滅集落】 長木沢(なかきさわ)=塙の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後最盛時7戸。昭和42年〜47年にかけそれぞれが離村。 夏井(なつい)=石川の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦前は10戸、戦後9戸。昭和47年の火災で2戸転出。その後、次第に転出。昭和52年に最後の世帯が転出し無住になる。神社もあった。 |
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藤里町 藤琴(ふじこと):藤琴、大沢(おおさわ):太良(だいら) 粕毛(かすげ):粕毛、矢坂 |
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藤琴字馬坂3 | 浅間神社 | 9/7、8(毎年) | 神幸祭 | |
豊作踊り | ||||
豊作踊り=県指定無形文化財。上若・志茂輪かによって演じられる。藤琴地区の伝統芸能で、大名行列を模した隊列が、行列を組み町内を練り歩き、「奴踊り」、「棒使い」、「駒踊り」、「獅子舞」を演ずる藤琴の豊作踊り。 秋田藩主の佐竹候が水戸より秋田にお国替えの際に旅の無聊をお慰めするすために行われた道中芸である。 |
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大沢字嘉兵ェ岱51 | 熊野神社 | 5/4(元・7) | 壮士舞 | |
壮士舞い=赤穂浪士の討入りを舞に表したもの。 明治30年(1897)頃、男女数名の武芸者が諸国巡業の際に大沢部落に立ち寄り滞在し、部落の人たちに剣、槍、長刀等の武技を披露したほか、好むものには武芸を伝授したことによる。 囃子手は台車に乗って回る。壮士舞は一幕と二幕のみで扇と刀を持って舞う。ほかに、おけさ・おはら・とおり音頭・鹿児島おはらなども披露される。 |
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粕毛字家後14 | 神明社 | 9/16 | 神輿 | |
昭和40年代までは青年会が神輿の行列と一緒に通り音頭を踊りながら薄井沢まで行き、帰りは囃し手と踊り手に分かれ、家々の座敷に上がって手踊りを披露した。 | ||||
粕毛字岩合2−1 | 素波里神社 | 7/28 | 例祭 | |
矢坂字冷水岱84 | 八坂神社 | 7/15(毎年) | 神輿 | 往古は神輿と共に青年会による手踊りが村中を廻った |
【藤里の郷土芸能】 ●金沢番楽=藤琴金沢。9月上旬披露。農作物の豊作を祝い感謝の為に演ずる。江戸期、この地へ回ってきたホゲン様(山伏か行者)がこの地に慰安のための芸能が無い事を知り、田植え過ぎから稲刈り時まで滞在して伝授したものと云われる。 |
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【消滅集落】 早飛沢(さびさわ)=藤琴の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後最盛時12戸。昭和35年〜50年にかけて9戸が移転。残り3戸がはがけ地危険区域に指定され移転。 水無(みずなし)=藤琴の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後6戸あったが、集落再編成事業により、昭和47年に6戸が転出し廃村。 水無(みずなし)=藤琴の小字。戦後の開拓集落。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、入植戸数4戸。移転は昭和36年。 奥小比内(おくこびない)=藤琴の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後の最盛期22戸、集落再編成事業により、昭和47年に当時の17戸が転出し廃村。 桂岱(かつらだい)=藤琴の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後最盛時4戸。昭和20年代に1戸が移転。残り3戸が地滑り危険地域に指定され移転。神社もあった。 名不知=大沢の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、最盛期の戸数18戸。昭和55年、移転し廃村。 大沢川沿いには名不知のほか、奥滝の沢、一の又、二の又、大川目という四つの廃村がある。 一の叉(いちのまた)=大沢の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後の最盛期4戸、集落再編成事業により、昭和47年に4戸が転出し廃村。 大川目(おおかわめ)=大沢の小字。「秋田・消えた村戦後の記録」によると、戦後最盛期の戸数7戸。昭和40年代にに2戸移転し集落再編成事業により、昭和47年残り5戸が転出。 太良=昭和32年8月の藤琴川大洪水で森林鉄道の流失のため太良鉱山閉山となる。 天保14年(1843)、125戸・758人(巡検使による)。養和25年、156人。神社は旧・村社の太良山神社(例祭日は7/12)があった。 大野岱(おおのだい)=粕毛の小字。昭和51年、廃村。戦後の開拓集落。 |
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【素波里ダム(素波里湖)】 「秋田・ダム湖に消えた村」によると、昭和42年着工。同45年10月完成。 大開(おおびらき)=粕毛の小字。戦後の最盛期は15戸。素波里ダム建設のため昭和42年、廃村。 |
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★展示場 | ||||
【能代エナジアムパーク】 能代市字大森山1−6。рO185−52−2955。9時30分〜午後4時30分。休館は月曜、年末年始。 能代火力発電所のPR館と熱帯植物園を併設した「サザンドームのしろ」、能代の祭を紹介する「能代ねぶながし館」、家族で楽しむ事が出来る「冒険広場」、全天候型テニスコートなどが設備されている「スポーツ広場」などがある。 「能代ねぶながし館」にはねぶながしの山車2台と能代凧を展示している。 |