愛 媛 県

 
四国中央市

 平成16年(2004)41、川之江市+伊予三島市+宇摩郡土居町、新宮村の合併により誕生。
   

住所

神社名

祭礼日

内容

備考

 ≪旧・川之江市≫

 ■川之江地区

川之江町2567

川之江八幡宮

10/13〜15

神輿3基 仲哀天皇、応神天皇、神功皇后

関船1台

東浜

太鼓台12台

中須、川原町、西ノ浜、旭町、農人町、鉄砲町、馬場、塩谷、栄町、大門、東町、古町

子供太鼓台9台

井地、山下、二名、 新町、駅前、西新町、新通、宮ノ谷、天生津、栄橋、大門

飛地のため子供太鼓台所曳き

柴生町長持

だんじり&獅子舞

中所獅子組

【関船】
東浜(八幡丸)=二代目。昭和9年(1934)制作。幕は山下縫師の作。当時初代梶内が16歳の時で、山下氏の下で手伝っていたという。長さ7m。幅1.8m。高さ3.3m。重量1、53トン。鉢巻は紫。
 初代は江戸後期創建。

中須(第壱號 龍)=飾り幕は布団締めは昭和63年、高橋縫師の作。四ツ幕は平成8年、石川一三縫師の作。掛布団は平成4年、高橋縫師の作。鉢巻は黒。
平成5年に集会所の火災で旧・掛布団と旧・四ツ幕を焼失。

川原町
(第貮號 乕[こひ])=飾り幕は平成2年(1990)、梶内だんじり鰍フ作。鉢巻は白。
 先代は一式全て大門に売却。

西ノ浜(第参號 雲龍)=飾り物は山下八郎縫師。鉢巻は黄。

旭町(第四號 鯱[シャチ])=平成15年(2004)、従来の子供太鼓台の土台のかさを高くし、七重を大きく改造して、舁棒を12mの大人太鼓台用のものに代えて運行する。鉢巻は薄緑。
 往古は裏ノ町と称し川之江町太鼓台について明記されている最古の文献にも登場している歴史ある町。

農人町(第六號 舞鶴)=平成8年(1996)制作。梶内だんじり叶ァ作。四つ幕は一つ幕。掛布団は「獅子と牡丹」。鉢巻は赤。
 先代太鼓台は掛布団を4枚所有。明治7年に2枚。大正5年に2枚新調。最後の年(平成6年)には4枚の掛布団をつけて運行。唐木は古町に譲渡。

鉄砲町(第七號 名月)=平成15年(2003)10/12新調御披露目。西山縫師。掛布団は先々代の復元新調。「飛龍」。鉢巻は橙。
 先代は豊浜町須賀より購入(布団締めは山下八郎縫師)。掛布団は菅原縫師。

馬場(第九號 菊)=平成8年(1996)制作。藤野縫師。鉢巻は薄紫。

塩谷(第拾號 亀)=平成6年(1994)制作。飾り物は山下八郎縫師。但し布団締めは石川縫師。鉢巻は桃。

栄町(第十二號 昇龍)=平成7年(1995)9/17御披露目。観音寺市竹成より購入。
掛布団は川之江市上分町下之町太鼓台より譲り受けたもので、平成14年に藤野工芸で金糸張替えをした。これは山下二代目が昭和10年代に制作。
布団締めは平成19年、藤野縫師の作。四ツ幕は菅原縫師の作?。
前の掛布団は今は旭町子供太鼓台が使用。平成15年には唐木を新調。鉢巻は緑。

大門(第十三號 あららぎ)=平成2年(1990)制作。初年度は川之江町川原町旧太鼓台を購入して運行。
現在は唐木は新調。
飾り幕は平成11年掛布団新調。平成14年四ツ幕2枚新調。平成15年、四ツ幕2枚新調。高橋縫師の作。鉢巻は黄。
 先代の飾り幕は平成15年より大門子供太鼓台として使用された後、住吉町太鼓台へ売却。

東町(第十六号 東雲)=平成2年(1990)制作。
飾り幕は藤田縫師の作。布団締めは平成6年、四ツ幕&掛布団は平成7年制作。鉢巻は空。
復活初年度は、先代川之江町鉄砲町太鼓台(元は豊浜町須賀太鼓台)より購入した金物一式を使用。その後、この金物の布団締めと幕は金田町金川太鼓台に売却。

古町(第二十號 丸龍)=平成9年(1997)に約80年ぶりに復活時は、飾り物(布団締め、幕、掛布団、房、金縄)と叩き大鼓を上分の金沢より購入、唐木一式は川之江町農人町太鼓台より購入。舁棒は川之江町塩谷太鼓台より購入、とんぼは川之江町東町太鼓台より譲渡。その後、平成10年に古町子供太鼓台に付けていた布団締めを自町内で改良して大人太鼓台に使用。またこの年は金縄も自町内有志で作製。
平成11年にゴマを新調。それと四本柱と土台の高さを町内有志で高く改造。
平成13〜14年にかけて、掛布団の金糸張替えを町内有志で行う。
平成15年は左右の幕2枚金糸張替え、四本柱新調、とんぼ新調。飾り物は山下茂太郎縫師。布団締めは石川縫師。
鉢巻はえんじ。
先代太鼓台は大正6年前後に売却し廃絶。
 昭和中期に樽神輿を作り子供会が運行。続いて宝船を運行。
 昭和50年代に子供太鼓台を新調。飾り幕は石川一三縫師の作。
 平成9年(1997)、農人町より唐木を購入し、金沢の飾りを付けて約80年ぶりに大人太鼓台復活。 

 ≪子供太鼓≫
井地(橘)子供太鼓台=第五号。鉢巻は空。

山下(朝日)子供太鼓台=第八号。休止中。

二名町子供太鼓台=第十一号。鉢巻は柿。

西新町子供太鼓台=第十八号。休止中。
 1968年、運動公園整備と共に作られた団地。

港通子供太鼓台=第十九号。休止中。

宮ノ谷子供太鼓台=第二十一号。昭和後期制作。平成19年、唐木類・台車新調。布団締め・掛布団は他太鼓台より借りている。鉢巻は桃色。

天生津子供太鼓台=第二十二号。鉢巻は緑。
 大門地区にある住宅地で、天生津山を切り開いた新興地。2006年、布団締め新調。

長持子供太鼓台=第二十三号。川滝町長持は川之江八幡神社の氏子で柴生町より子供太鼓台創建年のみに川之江八幡神社へまで奉納した。
太鼓台は無いが、道に提灯や灯籠は付けている。


栄橋通子供太鼓台=番外。金生町と川之江町にまたがる新興町で、元は山だった。
まず前年に豊浜町より借りて初運行。
平成18年より古町子供太鼓台一式を借りて運行。鉢巻は緑。

大門町=平成15年(2003)制作。金縄以外の金物は旧・川原町太鼓のもの。前年までは伊予三島より借りていた。鉢巻は黄。

新町子供太鼓台=休止中。

駅前子供太鼓台=休止中。

中所獅子組=詳細不詳。

 ■金生(きんせい)地区
  ⇒下分(しもぶん)、山田井(やまだい)。下分はさらに大道、川原田(かわらだ)、春日(かすが)、住吉(すみよし)、通町(とおりちょう)、川関(かわせき)、小山(こやま)の各集落に分かれる。

金生町下分1654?2

金生八幡宮

10/13〜15

神輿3基

太鼓台6台

金生1号、金生2号、山田井、金生東、住吉町、春日町

子供太鼓台8台

大道、川関、小山上、小山下西、川原田、通町、山田井上、 山田井下

昭和22年までは川之江八幡宮に宮入りしていたが、浜地区と金生町大道の太鼓台の殺傷事件にまで至ったケンカが元で八幡宮を別にした。
平成18年では大人太鼓台2台と子供太鼓台10台だったが、子供⇒大人の変更などで大人6台、子供8台となっている。

第壱號 金生 飛龍=平成6年から運行。飾り幕は観音寺市豊浜町北原より。唐木は鉄砲町より購入して運行を始める。
布団締めは昭和17年、高木縫師の作。四ツ幕&掛布団は山下八郎縫師。昭和10年代制作で平成14年に高橋直孝縫師に修復してもらう。

第貮號 金生南 鮎
=平成8年(1996)に香川県満濃町方面より購入。これは平成3年まで観音寺市室本で使われた太鼓台である。

第参號 山田井(やまだい) 山粋=平成9年(1997)初運行。観音寺市豊浜町本村より太鼓台一式を購入。金生町山田井地区の幾つか自治会で運営
布団締めは昭和3年、和田縫師の作。四ツ幕は昭和12年の作。掛布団は昭和50年、(株)梶内だんじりの作。
平成10年、土台を新調。その後、房一式を新調


金生東=平成21年より小山東子供太鼓台から大人太鼓台の金生東太鼓台として運行開始。
飾り幕は平成10年頃に伊予三島の人の作。

第六號 住吉町瑞鳳=唐木類は大野原町の石川刺繍工房の作。
飾り幕は
高橋直孝縫師の作。布団締めは平成23年、四ツ幕は平成24年、掛布団は平成22年新調。
先代の飾り幕は川原町⇒大門⇒大門子供⇒住吉町。

春日町=平成19年に子供太鼓台として新調。21年より大人太鼓台として運行開始。
飾り幕は平成19年、(有)ネットワークの作。

大道=藤野縫師の作?。
往古は大道上、下(今の大道と春日)で所有。


川関=太鼓台は個人所有という説と豊浜から借りていたという説がある。詳細は不明。

川原田=あり。

住吉=あり。

通町=あり。

小山上=詳細不詳。

小山下西=飾り物は西山縫師の作。

山田井=上下2台で運行されていたが、少子化のため山田上子供太鼓台を山田井全体で運行。山田井下子供太鼓台は使われていない。
川原田団地太鼓台保存会=伊予三島市よりレンタルしていた。団地自体が少子高齢化のため2005年を最後に運行を中止。
 ■妻鳥(めんどり)地区

妻鳥町606

三皇神社

10/13〜15

太鼓台5台

綿市、新浜、中下、平木、浜田

子供太鼓7台

綿市、新浜、平木、山口・川東・土居、松木、中上、なかよし

第壱號 綿市(わたいち) 鳳凰=布団締めは昭和末期、滑%烽セんじりの作。四ツ幕は高木縫師の作。掛布団は平成期に滑%烽セんじりの作。 
 子供太鼓台もある。

第貮號新浜 =平成13年(2001)に香川県大野原町丸井南より買い戻す。

第参號中下=平成7年10/8、新調御披露目。藤田縫師の作。


平木 櫻=2008年10/5、新調御披露目。飾り幕は三島町東町より購入。山下八郎縫師の作。
 戦前に白とんぼの太鼓台があり、大阪天王寺(梶内だんじりか?)で制作されたらしい。昭和初期より休止されており、終戦直後に集会所建設費用捻出のため大野原町大野原に売却された。
もう1台個人所有の子供太鼓台があった。赤トンボに五色の七重の三島型太鼓台であったが、昭和30年代に老朽化で運行されなくなり、所有者が土地を売却時に廃棄された。
 先代は子供太鼓台で飾り幕は婦人会や愛護班の作。唐木などは地元の木工所と元大工の作。

浜田=飾り幕は平成23年頃購入。
経路は観音寺市室本⇒満濃町?⇒金生南⇒浜田。

綿市=幼児太鼓台。

第貮號新浜 大人太鼓台売却後に新たに作った太鼓台。愛護班が運行。
1995年までは子供太鼓台。
川之江市大人太鼓台統一運行が始まった際、台車をかさ上げしトンボを大きくして大人太鼓台に改造し、その後2001年に丸井南より先代太鼓台を買い戻すまで、大人太鼓台として運行した。

平木=あり。

山口・川東・土居=妻鳥上地区所有。
 明治期は土居が運行するが売却し、楽器を購入して楽団を奉納するが、昭和初期に途絶える。
 昭和中期に子供太鼓台を借りてきて山口・川東・土居の連合太鼓台として運行。

松木=昭和初期に太鼓台を借りて運行を再開。一時は松木・中之町子供太鼓台として運行していたが、再度松木のみである。
 明治期に売却。

中上=あり。

なかよし
=散髪屋さんが作った。宮入りはしない。
 ■上分地区

上分町549

上分神社

10/13〜15

太鼓台3台

上之町、金沢、下之町

子供太鼓台1台 荒ちび太鼓台

第壱號上之町=幕、掛布団は梶内縫師。布団締めは平成13年制作。西山縫師。
平成25年(2013)10/5(土)、御披露目。唐木、房、金縄、鳴物、ゴマの新調。唐木は以前は平成14年新調。


第貮號 金沢=平成9年(1997)制作。飾り物は西山縫師の作。
 先代は古町に売却。
 子供太鼓台(荒ちび太鼓台)もあり。


第参號 下之町=平成5年制作。西山縫師の作。

 ■金田地区
   ⇒金川、半田、三角寺
13日:午後より金川太鼓台は上分町の太鼓台と共に金田公民館まで差し上げなどの合同練習。金川・三角寺地区は大西神社、半田地区は熊野三所神社へ氏参り。金川太鼓台は大西神社境内まで登る。

14日:8時、町外運行出発。夕方より町内運行。金川太鼓台は西金川地区まで運行。

15日:10時頃より子供太鼓台は熊野三所神社まで統一運行。金川太鼓台は半田地区内運行。金川太鼓台、17時頃よりカキ比べ参加。19時頃、上分町内を夜間運行、22時頃に終了。
金田町金川乙383 大西神社 5/4、5 笹踊り
10/13〜15 子供太鼓台3台 本村、半田北、池之奥
本村=あり。

半田北
=元・飼谷。少子化のため飼谷自治会での単独運行が困難になり、周辺自治会と連合太鼓台の半田北子供太鼓台を運行。

池ノ奥
=反り屋根。重は5段。

金田町半田乙372(西之坊)

熊野三所神社

10/13〜15

神輿 旧・郷社

太鼓台1台

金川

子供太鼓台8台

東金川、西金川三角寺、正地、走出井上、南部団地、西ノ坊、半田北、平山

金川 朱雀=平成7、8年頃制作。

東金川=あり。

西金川三角寺=あり。

正地=あり。

走出井上
=元は走り出で運行。少子化のため隣りの井之上との連合太鼓台となる。
 下之町新調時に飾りを購入。

南部団地
=あり。

西ノ坊=詳細不詳。

半田北=元・飼谷。少子化のため飼谷自治会での単独運行が困難になり、周辺自治会と連合太鼓台の半田北子供太鼓台を運行。

平山=少子化のため1997年頃に休止。
 ■川滝地区
   ⇒柴生(しぼう)、下川(しもかわ)、下山(しもやま)、領家(りょうけ)
柴生町336 荒魂神社 4/29 例祭
川滝町下川339 葱尾神社 10/13〜15 子供太鼓台休止? 葱尾
川滝町下山2378 新田神社 10/13〜15 神輿
子供太鼓台4台 石川、椿堂、中組、長持
石川=某所より購入。
 川滝で最初に太鼓台所有するが、大正5年に大野原町花稲の本村太鼓台に売却と伝わる。

椿堂、中組
=詳細不詳。

長持
=休止中。正確には飛地のため川之江八幡神社奉納らしく、太鼓台創建年に川之江まで運行した。
川滝町領家822 山城神社 10/5 例祭

 ☆旧・川之江市の大人太鼓台は22台、子供太鼓台は41台あるらしい。


 ≪旧・新宮村≫
   ⇒馬立、新瀬川、新宮、上山
新宮町馬立1174 中山神社 10/13 例祭
新宮町馬立4437 四社神社 10/19 例祭
新宮町新宮483 熊野神社 10/5 例祭
新宮町新瀬川493 住吉神社 10/9 例祭
新宮町上山2111 大山神社 旧・9/22(隔年) 例祭
新宮町上山3132 素鷲神社 10/最終日曜 神輿
屋台
新宮町上山6178 東、稲茎神社 10/21 例祭
新宮町上山922 西、稲茎神社 10/17 例祭
8/最終日曜 鐘踊り 境内社大西神社例祭奉納。県指定無形民俗文化財。御祭神大西備中守の慰霊の念仏踊りで22人の踊り子である。
 【新宮ダム】
昭和44年(1969)着工。昭和50年(1975)竣工。水没した世帯は、100世帯(うち新宮村75世帯、あとは伊予三島市)、公共施設4棟であった。 75世帯のうち村内に残ったのはわずか3世帯で96%の人々は川之江市方面に移転していった。