福 岡 県
  
     ≪筑 後≫
     
     【有明圏】

     大牟田市、柳川市、みやま市 

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
  ■有明圏
 ≪大牟田市≫
本町 大牟田神社 7/最終土日
“大牟田夏祭り”
大蛇山6台
三池新町山(御前山)、三池本町山、銀座住吉山(2区)、大正山(3区)、本町山(4区)、諏訪山
本町 八剣神社
大正町 八剣神社
諏訪町 諏訪神社
三池本町 祇園宮
三池新町 弥剣神社
※子供大蛇山は7/20、21最終日曜
 【大牟田大蛇山祭り】
 昭和37年(1962)、それまで行われていた三池祇園「大蛇山」、港まつり、炭都まつりが合併し現在に至る。
ただし昭和39年(1964)のみ三池炭鉱の炭じん爆発事故と水害の影響で中止された。

記録によると、嘉永5年(1852年)三池祇園のお祭りで、30人が山を曳き、製作には竹、角縄、煙硝,、硫黄が使われていて、これが原型らしい。
三池には新町(旧三池藩)と本町(旧柳川藩)の祇園があり、祭りで張り合っていた。
明治4年、現在の本町5丁目の祇園(本宮本町彌劔神社)で、三池祇園の大蛇山に習い作り始め、大牟田の各区に広がり六山になった。これが大蛇山祇園六山である。
 また神社もその後、本宮彌劔神社より第三区祇園八剣神社・諏訪神社に分祀された。
大蛇山は大牟田に広まり現在では十数山が作製されている。 

近年になって、大正町おまつり広場にて上記の祇園六山に加え商店街や公民館などの各参加団体、近隣の大蛇山、一部の祇園六山による大蛇山大集合パレードが行われるようになった。
 【大蛇山祇園六山】
大牟田神社第二区祇園山(銀座住吉山)2区とも呼ばれる。炭坑華やかし頃の大牟田の中心商店街。(大牟田祇園)
平成10年より自主制作。
謎の玉を大蛇の口の中に持つ。御堂筋パレ―ドや博多どんたく等に出場したことがある。

大正山3区とも呼ばれる。(大牟田祇園)。本宮彌劔神社より分祠された。(大牟田祇園)
大蛇山は昭和初期からはじめられ、昭和57年より自主制作。平成3年から5年毎に金色を基調とした大蛇を製作している。

本宮彌劔神社(本町山)=大牟田祇園で最初に大蛇山を取り入れており、大牟田祇園・諏訪祇園の本宮でもある。(大牟田祇園)
諏訪山=諏訪神社の境内に本宮彌劔神社より分祠された八剣神社がある。(諏訪祇園)
特徴ある顔を持つので男大蛇とも呼ばれ
首を大きく左右に振りながら練り歩く。数年に一度、白色の大蛇を製作している。
三池新町山御前山とも呼ばれる。(三池祇園)。
嘉永5年(1852)に賜ったと伝えられる。
雲龍の彫刻と朱色に塗られた山車が特徴

古くは延宝2年(1674)に
賜ったと伝えられる。

三池祇園宮(三池本町山)=(三池祇園)。
台車部分の雲龍の彫刻と朱色に塗られた山車が特徴。島原の乱の軍功のご祝儀として柳川藩藩主からの賜物と云われている。

 その他各地の山
西浜田公民館大蛇山(西浜田山)=昭和60年頃に子供大蛇山として始まる。

手鎌大蛇玄武會=詳細不祥。

南関ぎおん大蛇山=熊本県より来援。

金龍会下里山=詳細不祥。

童龍会大蛇山(不知火原山山)不知火・原山両町よりなる。

新栄町龍山會(新栄町山)=フィナ―レは地元新栄町で新栄町龍山曾、吉野睦曾、南関大蛇による三山競演で最高潮を迎える。

吉野睦會大蛇(吉野大蛇山)=平成13年(2001)会を作る。

夏祭り振興旭栄会子供大蛇山(旭栄山)=旭栄公民館の地域活動の一環として発足。
 鎮守は三笠神社(鳥塚町87)。


上官上龍会(上官山)=詳細不祥。

船津翔龍会=詳細不祥。

栄町龍栄会(栄町山)=商店街活動の一環として、平成元年に「栄町龍栄会」を結成し、大蛇山を製作。
 鎮守は三笠神社(鳥塚町87)。


通町大蛇山龍神會=詳細不祥。

県堺港祭り実行委員会=三川・三里地区。海の日にみなと校区を巡行。

明治泰龍会=明治校区。

※本宮彌劔神社も参加。
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鳥塚町87 熊野神社 11/2、3 神幸祭 相殿の三笠神社から大牟田夏祭り
三笠神社 7/最終土日 大蛇山2基 旭栄会、龍栄会。大牟田夏祭りに参加
2日:9:00〜神輿巡幸。3日:9:00〜子供奉納相撲、弓道奉納大会。18:00〜演芸奉納。
草木902 草木八幡神社 10/15 浦安の舞 奉納演芸大会、抽選会
上内八幡宮 12/16 仮装行列
倉永875−2 倉永諏訪神社 10/20 例祭
諏訪2−22 諏訪神社 10/15 神輿 夕方より余興
本町4丁目 矢剱神社 7/最終土日 神輿
大蛇山
初日、9時に式典 氏子への神輿巡幸、大蛇山大集合パレード参加。
二日目は神社で大蛇山へのかませを行い総代青年氏子の皆さんによる川尻校区、諏訪校区を大蛇山を引いての巡行
岬2375−2 玉垂神社 10/15 例祭
手鎌 手鎌綿積神社 9/22、23 神楽

 ≪柳川市≫ 
  
平成17年(2005)321、柳川市+山門郡三橋町、大和町が合併。     
 ◎旧・柳川市・三橋町
三橋町高畑323−1 三柱神社 10/三連休 どろつくどん5台 保加町、蟹町、京町三丁目、上町、飛龍どろつくどん
踊り山車7〜8台
おにぎえ=三柱神社秋の大祭で、旧柳河藩領域で最大の祭りである。「大賑わい」の発音がつまって「おにぎえ」と発音されたことからその名が付いたお祭りである。
三日間の中日は御神幸が行われ、どろつくどんや踊り山車もお供して御神幸行列が練り歩く。
神幸行列は三柱神社から出発し、日吉神社(坂本町)、中町の八剣神社に立ち寄り、再び三柱神社へと帰還する約1、5kmのコースである。踊り山車7〜8台(外町、蟹町、飛龍町、京町3丁目、上町など)で道々お囃子を奏でながら町を練り歩き、日吉神社・八剣神社では踊りが奉納される。
どろつくどん=県指定無形民俗文化財。中央に御幣を飾った山鉾を立てたもので、上部にお囃子と踊りを披露する舞台がある。
文政9年、柳川藩主立花鑑賢によって造営された三柱神社の御遷座祭へ奉納されたことに始まる。
八柱神社造営の基礎工事の際、旧柳河町の商人たちは女衆を交え、三味・太鼓を演奏しましたが、問屋場のあった外町(現・保加町)はこれに加わらなかったため周囲から疎まれた。これを挽回するため、北川新十郎、弥永久右衛門という人物が江戸の神田囃子(実際は葛西囃子?)と京都祇園の山鉾を参考に、現在のお囃子と山車を工夫し、遷座式当日に披露し好評を博した。
 現在では保加町のほか、上町、蟹町、京町三丁目(旧・瀬高町)が一年交代で出している。
「どろつくどん」のお囃子に用いられる楽器は、大太鼓・小太鼓・横笛・ドラ・スリガネの五楽器です。この囃子のリズムにのって、天狗やお多福、般若などの面を付けた踊り手が、神話をモチーフにした舞を舞い、祭りの雰囲気を盛り上げる。
飛龍どろつくどんの会=平成9年に飛龍どろつくどんの会が発足し、町内会の枠を超え誰でも参加出来る会で、5基目の山車として登場。
山車(どろつくどんも含む)は以前は約20町が山車を所有していたが、第二次大戦中に山車が防空壕の材料に使われるなどして台数が減った。
沖端町 沖端水天宮 5/3〜5 神幸祭
稲荷社、祇園社、水天宮を祀る沖端水天宮では、毎年5月3日から5日までの3日間、神社横の掘割で沖端水天宮祭が行われる。
水天宮横掘割に浮かべられた舟舞台「三神丸」(川舟6隻を組み合わせて作られる)の上では舟舞台囃子保存会の会員が三味線、笛、締太鼓、つり太鼓などの楽器で3日3晩演奏。
掘割を行き交う「三神丸」の動きに合わせ「上り・下り・溜まり」の三楽章で京風で上品な音色に異国のかおりを感じさせ、別名「オランダ囃子」と呼ばれている。

 また、沖端の青年たちが神輿を担いで町内を回る御神幸行列も行われる。
 祭りは、沖端地区の6町(沖端町、南町東、南町西、札の辻、宗信町、元稲荷町)で、毎年1町ずつ順番に世話方を行っていたが、世話方の人数が少なくなってきたことから、近年は、2、3町合同で運営。青年部は舟舞台や囃子、婦人部はおみくじの販売、総代などの「中老子」は、おふだやひょうたんの販売など、当番町全体で運営にあたる。
 往古はお宮の前に町内から小舟3隻を出し、1隻には神輿、、2隻にお囃子を乗せ、お宮から立花屋敷まで行ったり来たりしていたが、。
水天宮として合祀されてからは3隻2列計6隻の船をつないだ舟舞台となり「三神丸」と名付けられた。
古賀246 日子山神社 10/体育の日 日子山神社風流
日子山神社風流=県指定無形民俗文化財。元和年間(1615〜24)の頃、古賀の村境を流れる沖端川に流れ着いた蓑をかぶった大臼を子ども達が拾い上げたところ、臼の中から輝く鏡を発見、不思議な瑞事と喜び、鏡を神社に奉納し更にこれを記念し、その喜びを風流としたのが始まりとされている。
下宮永 玉垂宮 10/連休 下宮永風流
鷹尾 鷹尾神社 10/3日曜 鷹尾神社風流
皿垣 江越八幡神社 10/2日曜 皿垣風流 はんや舞
北徳益 愛宕神社 10/2日曜 北徳益風流
北徳益風流=享保年間(1716〜36)に始まったと云われ、何度かの中断をはさみ昭和42年頃、北徳益地区親和会により復活した。舞は「風流の舞」、「高砂の舞」、「君が代の舞」の3つから成る。
三橋町今古賀 竜神宮(三島神社境内社) 10/2日曜 今古賀風流 今古賀風流保存会
今古賀風流=県指定無形民俗文化財。室町時代、この地域では梅雨期になると有明海から海水が逆流し、川が氾濫して凶作になることがある、そこで当時の人々が村の守護神として龍神を祀り、穏やかな天候を祈願したことに始まると伝えられている。
三橋町藤吉 風浪神社 10/2日曜 藤吉風流 藤吉風流保存会
藤吉風流=御神体は女神で、舞、謡などもある。袴姿の子どもが3名一組で、百人一首からの謡曲に合わせて太鼓を打ち舞う。
 【崩道(くえど)観音堂祇園祭】
旧暦6月17日、南浜武の「崩道観音堂」で「祇園祭」を開く。
同地区の子供達をはじめ住民が、有明海の潟泥や貝殻等を使って体長約10mの大蛇雄雌2体を作り、「無病息災」を祈願する。

干拓地である南浜武近辺は風水害甚大な被害を受けるので、嘉永2年(1850)に、崩道に観音様を勧請、観音堂を建立した。
祇園祭は観音堂建立以来、毎年行われてきたといわれている。ただ明治初期までは大蛇は藁と縄のみの小さく素朴なものだったが、明治中期以降は現在とほぼ同様の形となったと云われる。
 ◎旧・山門郡大和町     
中島東上町 八剣神社 7/4土日(元・旧6/15) 大蛇山1台
獅子山1台
踊り山1台
他に殿様行列 
 祇園祭の起源は八剣神社の建立に溯るが、建立当時は大蛇山車のみで、殿様行列、踊り山車、獅子山車は後に始められたと云われている。
昭和39年の祭りで事故のため昭和47年まで休止。昭和48年に復活した。以前は3基の大蛇山車を含む11基の山車があったが、現在は4基の山車と殿様行列となっている。
大蛇山(東上町)=昭和25年新調。
 八剣神社建立は天保4年(1843)だが、当初は、大蛇山のみが巡行。
先代は24年に大火により焼失。

獅子山(下町)=明治5年(1872)創建。柱や屋台骨の差し替えはしている。
5頭の操り獅子を山車に乗せて巡行する。獅子は約50cmで、男性2名が紐を操り、囃子に合わせて上下左右に踊る。

踊り山(西上町)=昭和36年新調。踊りの名称は「日本舞踊泉流泉徳弓」で、昔の歌謡曲の中に時折現代の歌謡曲を織り交ぜたもの。その曲を背景に山車前方にある舞台の上で6名の踊り手が交代で舞う。

 昭和初期までは三段山だったが、電線の設置などの影響により、二段山となった。
【廃絶】
◎大蛇山=北二重、西二重;南二重=明治中期廃絶  
北二重=踊り山があったが、昭和38年に事故のため8月7日に焼却処分。
その後昭和47年に上はベニヤ板、下は車の簡易山を作り翌年も使用したが、再び廃絶。
大和町豊原野田 万風神社(日吉神社境内社) 10/20頃の日曜 風流、仁寿平
柳川藩の殿様や野田村の人々が、正徳3年(1713)の大風水害の折、決壊した堤防修復のため人柱にたった、野田の庄屋万風八十吉夫妻を慰霊するために建てた祠の前に集まり、(明治44年に日吉神社に合祀)和楽や余興を奉納したのが仁寿平踊り、風流の始まりではないかと云われている。
仁寿平は、挟箱を担いだ男を先頭に、歌い方の柏子木を打つ音に合わせて大勢の子毛槍隊が練り歩く、大名行列を真似た踊り。
風流(ドンキャンキャン)=小獅子装束を着た3人の子供が飾り太鼓を叩き、赤鬼、青鬼に扮した男たちと、鉦に合わせて舞う。「君が代は、久しかるべき…」という謡の仕舞もある。
 【柳川の風流】
風流(ふうりゅう・ふりゅう)とは、神社の秋祭りの日に、飾付けをした大太鼓を着飾った打ち手が舞いながら打つ。
大太鼓や鉦を打ち鳴らし練り歩くので、「どんきゃんきゃん」とも呼ばれる。室町時代に始まったと伝えられ、江戸時代に今の形になったと云われる。
現在、市内では古賀・下宮永・鷹尾・皿垣・北徳益・野田・今古賀・藤吉の8か所で行われている。

 ≪みやま市≫ 
  
平成19年(2007)129、山門郡瀬高町、山川町+三池郡高田町が合併して誕生。 
 ◎旧・山門郡瀬高町
 ■瀬高地区
瀬高町上庄155 八坂神社
瀬高町上庄897 八坂神社
瀬高町上庄1210−1 日天尺神社
瀬高町上庄1652 天満神社
瀬高町下庄673 天満神社
瀬高町下庄1316−2 乙姫神社
瀬高町下庄1397 下庄八幡神社
瀬高町下庄1751 松尾神社
瀬高町下庄1782−1 生竹天満神社
瀬高町下庄2436−1 八幡神社
 ■河沿地区
   ⇒高柳、東津留、浜田、泰仙寺、河内
瀬高町高柳408 日吉神社
瀬高町東津留野上566 天満神社
瀬高町濱田103−1 天満神社
瀬高町濱田736 天満神社
瀬高町泰仙寺芦高14 聖母神社
瀬高町河内2030 天満神社
 ■本郷地区
   ⇒本郷、文広
瀬高町本郷608 八幡神社
瀬高町本郷962−1 八幡神社
瀬高町文廣172 広田八幡神社 11/3(元・旧11/19) ドンキャンキャン 県指定無形民俗文化財
ドンキャンキャン(神幸行事)=県指定無形民俗文化財。毎年11月3日(以前は旧暦11月19日)、芳司広田八幡宮と本郷聖母宮間の送迎の御神幸の神事が行われる。
この御神幸は、前方の行列は江戸時代の大名行列を模したものである。
神輿の後方の行列は、すぐ後ろに「楽打」が付き、さらに「田楽太鼓」(胴長大太鼓1基)・鉦3面が、みゆき衆(横笛・楽太鼓)及び高張提灯を挟んで前後に2組編成される。
また獅子頭(しゃぐま)を戴いた少年たちが鉦や囃子声に合わせて舞いながら太鼓を打ち鳴らす。
 この太鼓・鉦などの音から、祭りの名称「どんきゃんきゃん」と名づけられた。かつては、この御神幸に付随して流鏑馬神事も行っていたが、廃絶した。
 ■緑地区
   ⇒松田、大広園、清水、河内松原
瀬高町松田1073 天満神社
瀬高町松田1533 八幡神社
瀬高町大広園1 妻神社
瀬高町大広園48 天満神社
瀬高町大広園350 天満神社
瀬高町河内松原1139 玉垂神社
 ■小川地区
   ⇒大江、太神、小川
瀬高町大江273−1 若宮神社
瀬高町大江960 大江天満神社 12/15 例祭
瀬高町太神1166 八幡神社 11月第2日曜(元・旧11/19) 下小川風流 市指定無形民俗文化財
下小川風流=市指定無形民俗文化財。大名行列を模した風流。
風流行列50人・神事30人の計80人が参加し、太鼓打ち・鐘打ち・スッポ・大傘・番原・鋏箱・花(1番〜5番)・笛吹・太鼓担・鐘担ぎより成る。
13:00出発。座組・神社まで約4時間かけて村内を行列し、社前で太鼓の舞打ちをして練り歩く。
瀬高町小川366−1 八幡神社
 ■清水地区
   ⇒大草、山門、本吉
瀬高町大草262 天満神社
瀬高町大草876 日子神社 3/15 田植え神事
瀬高町大草1519 香椎神社
瀬高町山門1195 天満神社
瀬高町山門1543 香椎神社
瀬高町本吉835−1
諏訪神社
瀬高町本吉1669 七社神社
 ■水上地区
   ⇒広瀬、小田、長田、坂田
瀬高町広瀬137−1 天満神社
瀬高町小田1094 八坂神社 7/3土曜(元・旧6/11) 小田祇園 市指定無形民俗文化財
小田祇園=市指定無形民俗文化財。風流の起こりは安永4年(1775)、柳川藩主より仰せ付けられて行ったのが始まりと言われている。
 初期の風流は、神輿に神主・楽人が付き従い、次に小田・平田・唐尾・中島の順序で、鉦・太鼓・高張傘・鉾などの行列を仕立て、各村を巡行し神前に奉安するものだった。だが寛政6年(1794)に平田の小供踊が無くなって以降は、唐尾のみの行事となった。
明治5年(1872)に唐尾の小供踊も止み、現在では風流だけが奉納されている。
瀬高町長田3566 長田日子神社 3/15 田植え神事 水分神、農耕神で、霊験あらたかな長田の権現さんに、田植前に田の神を祭ったのが始まり。春のやわらかな日差しのなか早乙女(女装の男児)が豊作を祈って田植踊りを奉納する。
瀬高町坂田312 天満神社
 ◎旧・山門郡山川町
   ⇒尾野(おの)、河原内(かわらうち)、北関(きたのうち)、甲田(こうだ)、重富(しげとみ)、清水(しみず)、立山(たちやま)、原町(はらまち)、真弓(まゆみ)
山川町尾野663 熊野神社
山川町河原内275 若宮神社
山川町北関392 熊野神社
山川町甲田2196 佐野天満宮 11/3 佐野風流
山川町甲田字本村(甲田485) 白山神社 11/3 中原風流
中原風流(なかばるふりゅう)=大正期に、中原風流に関する巻物などの資料が全て焼失し、詳細は定かではない。近隣の八女橘松尾部落の神社の古文書に、中原風流を伝承したとの記載が残っている。 大太鼓 1、鉦1、鼓2、横笛8、小太鼓4。元来風流は男性だけで行っていたが、横笛と小太鼓は小学生の女子が受け持っている。
風流の所作は昔ながらであり、素朴な動きが特徴。風流の謡曲は11種あり、時と所により使い分ける。奉納する時や各地区にて舞う時は、「テコテンニャ、」「サデンコデン」、「ドンドコドン」、「タンタンタカンハ」、「テコテンテコテン、」「デンデンデコデン」。まくりの「ドンドコドン」と「タンタンタカボコ」の8種の謡曲を一連の流れとし、約20分かけて舞う。移動中は「みちがき」、「あとすざり」の時は「1234567」、「カーネガバーサン」の2曲を使用。「あとすざり」とは、白山宮から天満宮までと、要川公園(旧道)で行なう後向きに進む所作のことで、神様に後ろ姿を見せないためのものと言われている。
山川町重冨104 天満神社
山川町清水199 八幡神社
山川町立山237 天満神社
山川町真弓513 真弓天満宮 10/2日曜 真弓風流 小学生を中心に地区内を練り歩く
真弓風流=江戸時代末期から始まったと伝わる太鼓打ち(風流太鼓)。甲田地区から習得したと云われるが、熊本県南関町から習得したという曲も、一部取り入れられている。元々は本座が風流(太鼓打ち)を担当していた。女装や羽織、袴、面などで仮装して町内を練り歩いたという。

 ◎旧・三池郡高田町
   ⇒今福(いまぶく)、岩津(いわつ)、永冶(えいじ)、江浦(えのうら)、江浦町(えのうらまち)、海津(かいづ)、上楠田(かみくすだ)、亀谷(かめたに)、北新開(きたしんかい)、黒崎開(くろさきびらき)、下楠田(しもくすだ)、昭和開(しょうわびらき)、竹飯(たけい)、田尻(たじり)、田浦(たのうら)、徳島(とくしま)、濃施(のせ)、飯江(はえ)、原(はる)、舞鶴(まいづる)、南新開(みなみしんかい)
高田町下楠田1775 弥剣神社 夏休み最初の土曜 大蛇山1台 同神社で“三池新町山”を常設展示
渡瀬祇園=起源は不祥だが、現在使用している道具や神事の古式から、元禄年間(1688〜1704)に起こったものと思われる。
平成4年までは、開眼後、大名行列が出発し、大蛇山が続き、町内を巡回していた。町の広場で大蛇を取り壊し、青年たちによる目玉、各部分の争奪戦が祭りのハイライトだった。現在では参加者不足のため、また、火を使う祭事で危険を伴う事もあり、現在のような形に簡略化された。
高田町江浦 淀姫神社 7/3土曜 大蛇山3台 二ノ丸・吉原組、新町組、古町組
踊り山車1台 田中組
高田町北新開270 宝満八幡宮 10/17 能楽 県指定無形民俗文化財
久留米市大善寺の美麗田楽師梅津家が努め、寺社奉行が執行していた。当時から寶満神社の氏子は諸道具の運搬、手伝いをしており、やがて「ツレ」「ワキ」などを努めるようになり、氏子を中心として能楽が庶民化した。明治維新により、武家による保護が受けられなくなると、新開の氏子たちによる自主運営で行われるようになり、昭和20年のみ休止したが、以後は途絶えることなく奉納能楽を続けている。
高田町今福2 八幡神社
高田町岩津662 天満神社
高田町永治573−1 常磐神社
高田町海津302 天満神社
高田町海津南1484 若宮神社
高田町上楠田1264 上楠田天満宮 12/25 大注連縄送り 巨大な注連縄を担ぎ、地区内を練り歩く
高田町亀谷42 天満神社
高田町亀谷1353 八幡神社
高田町黒崎開203 天満神社
高田町下楠田2478 十王神社
高田町竹飯1476 竹飯八幡宮 10/2日曜 竹飯稚児風流 市指定無形民俗文化財
高田町竹飯東1054 天満神社
高田町竹飯西1388 天満神社
高田町田尻750
森山神社 10/16 例祭
高田町田浦260
北山神社
高田町徳島98 天満神社
高田町濃施867
熊野神社
高田町飯江443 春日神社
高田町飯江877 老松神社
高田町原659−1 天満神社
高田町舞鶴262 老松神社
高田町舞鶴422 天満神社
高田町海津209 早高神社
高田町舞鶴871 天満神社
高田町南新開568 天満神社
高田町南新開741 天満神社
高田町南新開827
天満神社
 ★展示場     
 【新大牟田駅観光プラザ】
大牟田市岩本2509−3(駅舎北側)。2013年3月16日(土)オープン。рO944−58−2216。年中無休。3月〜10月:9:30〜18:00、11月〜2月:9:30〜17:30。
五つのコーナー[観光情報、近郊の観光情報、イベント・交流情報、地場産品情報、販売・サービス]があり、中央に大牟田観光プラザから移設し、化粧直しされた大蛇山が鎮座している。

「おおむた大蛇山まつり」のビデオが常見れるし、大蛇山グッズも販売している。