福 岡 県
  

 ≪北九州圏≫

   北九州市〔門司区、小倉北区、小倉南区、八幡東区、八幡西区、戸畑区、若松区〕
   中間市
   遠賀郡〔芦屋町、水巻町、岡垣町、遠賀町〕

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 【北九州市
 ≪門司区≫
      門司:門司、田野浦、小森江
      大里:大里、廿町、柳、原町、馬寄、新町
      東郷:大積、白野江、黒川、喜多久、柄杓田
      松ヶ江:猿喰(さるはみ)、畑、今津、吉志(きし)、恒見、伊川
門司3492 和布刈神社
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旧・1/1 和布刈神事 旧・県社
5/4土日 例祭 門司みなと祭りに合わせて実施
和布刈神事=県指定無形民俗文化財。李部王記によれば、和銅3年(710)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録がある。
ちなみに戦前までは神事を見ると目が潰れるとされ、非公開だったが、現在は公開されている。
 神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われる。三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供える。
わかめは、万物に先んじて、芽を出し自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として昔から重んじられてきた。
旧門司一丁目7−18 甲宗八幡神社公式HPへ 10/15頃の土日 神幸祭 旧・郷社
関門海峡の三綱石(三韓征伐の際に船を繋ぐ止めるための綱をかけた岩)に付着のサザエを献じる。
大久保1−11 大久保住吉神社 8/26、27 例祭
田野浦2丁目4−4 春日神社 9/1、2 提灯山3台出た
 【田野浦提灯山笠】
江戸期、田野浦地区は北前船の西廻り航路の寄港地として栄えていた。船から振りかざされていた提灯が夜間に水面に映る光景に因んで作られたと伝えられる。
田野浦2丁目(旧・北の町)にある春日神社の境内社の祇園様の祭礼の出し物として提灯山が北の町、中の町、南の町から計3台の提灯山が出た。当時の高さは約8mあったと伝えられるが、大正期に電線が架けられ廃れた。
 門司みなと祭りの参加要請により、地元有志が提灯山笠3台を作成し、昭和35年5月の門司みなと祭りに出演し、田野浦提灯山笠が復活した。ただし高さは以前の半分の4mだある。
これ以降ほぼ毎年「門司みなと祭」に出演している。その後は少子化のため山笠は3台から2台となっている。
 「門司みなと祭」の前日に田野浦に出演するが、2014年よりふるさと祭りが始まり、田野浦市民センター周辺で山笠が曳かれる。
庄司14−33 貴船神社 9/22、23 例祭
大里戸ノ上1丁目11−25 御所神社 10/23頃の土日 神幸祭
大里戸ノ上4丁目4−2 戸上神社 旧・県社
流鏑馬廃絶
■土曜 13:00〜 戸上神社にて神輿出発祭 戸ノ上通りを下り 本町八坂神社にて塩掻神事。御旅所柳御所にて御一泊。
■日曜 18:00〜 柳御所神輿出発 戸上神社還御
大里本町2丁目 八坂神社 6/15 例祭
奥田4丁目9−5 淡島神社 4/13 神賑(神楽、詩吟 等奉納)
9/13 子供神輿御神幸 神賑(神楽、詩吟 等奉納)
大積1272 天疫神社 11/3 大積神楽
大積神楽=市指定無形民俗文化財。大正10年頃(1921)、赤幡神楽(築城町)から伝授して復活。以前は甲宗八幡神社の神官を中心に組織された神楽座によって行われていたらしい。
白野江3丁目23−1 御祖神社
黒川1026 貴布稲神社
喜多久281 貴布祢神社
柄杓田222 柄杓田天疫神社 10/3土日(元・23) 子供神輿1基 以前は各町(向の浜、角方、中条、種池)ごとに大人、子供神輿があった。
大里電照山笠=昭和61年より始まる。山笠2台(萩が丘小学校区、大里南小学校区)。イベントの山笠。出るのは門司みなと祭(5/下旬)とわっしょい百万夏まつり(8/上旬)のみ。
猿喰524 厳島神社 9/17 例祭
畑貴船神社 9/12 例祭
今津378 八坂神社 6/10 例祭
吉志7−28 吉志天疫神社 4/26(毎年) ろくや 神幸祭
9/12〜13 例祭
ろくや=天疫神社の境内にある五穀神の春祭り。旧吉志村の時代の旱魃の時、村人が「笠松」の下に集まって雨乞いをしたところ効験があった。
  その後、その神恩にむくいるため天疫神社の境内に五穀神を祀り、雨が降った旧暦7月26日に祭礼を行うようになったと伝えられている。
  祭りの特徴は、御神幸に「花傘鉾」が随従する。花傘鉾は高さ約2.5m、直径約2m、先端に白幣を立て、その下に60本の造花(1本の竹ヒゴに赤、白、紺の造花と5色の幣を付けたもの)を傘形に仕上げた飾り物。御神幸は昼過ぎ、神興を先頭にして花傘がお供し、吉志区内を回り、約1km離れたお旅所の「笠松」まで行く。
恒見町3−1 恒見八幡神社 4/17、18 神幸祭
10/12、13 夜神楽 旧・郷社
伊川宮山681 天疫神社 9/13、14 例祭
 【門司みなと祭】
5月4土日開催。門司港に国際航路が開通したことを記念し、昭和9年(1934)から始まる。会場は門司港一円。2023年で78回を数える。主催は門司みなと祭協賛会。
土曜:海峡太鼓&ダンスフェスタ(門司港駅前)=13:00〜17:00。田野浦提灯山パレード&競演(栄町お祭り広場・門司港地区)=18:30〜21:00。
総踊り(栄町銀天街〜栄町お祭広場)=18:00〜20:00。
日曜:祝賀パレード(門司港地区)=13:00〜15:00。祝賀パレード(大里地区)=大里電照山笠が出る。15:30〜16:30。
ミュージックスクエア(門司港レトロ多目的広場)=10:00〜17:00。
よさこいフェスタin門司港レトロ(門司港駅前広場)=15:00〜17:00。

 ≪小倉北区≫
      小倉町:小倉城下25町(京町・博労町・船頭町・舟町・船場町・古船場町・新魚町・魚町・西魚町・鳥町・大坂町・宝町・米町・鍛冶町・西鍛冶町・堺町・紺屋町・西紺屋町・馬借町・室町・八百屋町・大門町・堅町・田町・鋳物師町)砂原村の一部(長松浦)、干上村の一部(平松浦)
      板櫃:板櫃、中井、槻田、小熊野、篠崎:藍島、馬島
      足立:足原、三萩野、砂津、富野(現・須賀・常盤・富野台など)、赤坂
城内2−2 八坂神社
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7/3金土日 神輿
太鼓山車 平成15年は大人組38、少年組28、一般16出た。
神輿=小笠原藩ゆかりの神輿が3基あり、御神幸に使われるが、3基のうち2基は長浜に、1基1体は平松に安置されていたが、現在では1基が破損したため、2基の神輿で御神幸が行われている。
第61回小倉祇園太鼓競演大会には、町内の大人組38、少年組31と職域や学校などの一般が16出た。
【大人組】=高校生以上
船場町、古船場町1・2丁目、堅町、京町1丁目、魚町1丁目、魚町2・3丁目、魚町4丁目、中島本町1丁目、中央銀座、高田町、西鍛治町1丁目、京町銀天街、堅町本町、大門町、大門1丁目、金田仲通り、米町1丁目、且過町、宝町、末広2・3丁目、長浜東 など
【少年組】=中学生以下
【一般】
NTTグループ、井筒屋、日専連ベネフル、如月会、小倉會、小倉記念病院、三郎丸太鼓塾、酔翔會、天晴会、天舞会、独立法人国立小倉病院機構小倉医療センター、にしてつグループ、毘曾、響會、松五郎會、無法松之碑保存会、九州電力、福岡教育大附属小学校 など
※江戸期には笠鉾、人形飾り山、踊り屋台、踊り子等多種類のものが神幸に従った。
 ちなみに文久2年(1862)の小倉祇園には、山車21台、踊車11台、人形飾山4台、傘鉾16台が参加したとの記録が残っているらしい。
明治になり据え祇園として町に据えたまま山鉾が出された。しかし次第に姿を減じ、さらに戦争で5台の山車が残るのみとなり、県指定有形民俗文化財と指定されたが、全て展示保存されている。
 これらの山車の囃子として付き従った太鼓だけが残された
大門町=明治21年制作。高さ4、4m。最上端。次は雲、その下に大門町の扁額に龍の彫物。
紺屋町
=安政3年建造。高さ4、5m。最上端は金の鳳凰。次は桐、その下に雲をあしらった彫物と白毛のバレン。
堺町=明治22年建造。高さ4、63m。最上部は宝剣、次が雲、その下に銀杏と巻物紋の飾物、さらに波形の彫物と白毛のバレン。
西鍛冶町
=明治31年建造。高さ4、58m。最上部に金幣を配し宝珠が三宝に乗り、次に西鍛治町の扁額、その下に稲穂を咥えた白狐が波の上を飛んでいる彫物。
上到津1−8 到津八幡神社 10/14、15 神幸祭
萩崎町13 綿津見神社 1/16 ワイワイ祭り
昔、萩崎町に思いがけない病気や災難を受ける者が度々出るので、鬼門除けのお祓いをするようになったのが始まり。夕刻に、人々が集まり、行列をつくって町内を廻る。神官がお祓いをして、「ひとつ祝ってくれ」というと、氏子が「わーいわーい」と大声で応える。この「ワイワイ」は、「お祓いだお祓いだ」という意味である。
須賀町12−24 須賀神社 富野岩戸神楽 昭和28年の集中豪雨のため神楽の道具が流され休止
篠崎1丁目7−1 篠崎八幡神社公式HPへ 10/4土日 子供みこし 地域の町内会による「子供みこし」の御神幸
妙見町17−1 妙見神社 11月中旬 例祭 旧・県社
8/23 子供相撲 明治42年に合祀した足立村の水神社の例祭。雨天の時は子供相撲は中止。
 “わっしょい百万夏まつり”
8/1金土日に行われる。土曜日の夜、小文字通り(JR小倉駅〜西小倉駅間)において、北九州市の代表的な祭りが集合する
 【藍島(あいのしま)】
面積は0.68km2。周囲は13.5km。最高標高は25m。
人口は194人(2023年、住民基本台帳)。243人(平成27年、国勢調査)。
元和4年(1618)、長門国向津浦の海士であった両羽十右衛門が、小倉藩主細川忠興に領内での海士業を願い出て、その許可を得て当時無人島であった藍島へ入島し、漁場を開拓したのが始まりと云われている。
寄瀬浦 大江権現 4/3 相撲大会、演芸
藍島33(本村) 五社大神社 7/26(元・旧6/25) 神輿
元は蒲生神社の氏子なので蒲生神社の神官が来島し、神事を行い御霊の入った玉を神輿に入れる。26日にその神輿を青年団が担いで家々を回って厄払いをする。
大泊 荒神社 6/26 例祭
 【馬島】
面積は0.26km2。周囲は5.4km。最高標高は34m。昔は金崎島と離れていたが現在は繋がっている。
人口は26人(2023年、住民基本台帳)。31人(平成27年、国勢調査)。65人(平成7年、国勢調査)。
馬島130 大山祇神社 9/27 神輿

 ≪小倉南区≫
     企救:城野、横代、石田、隠蓑(かくれみの)、堀越、蜷田、北方、守恒(もりつね)、徳力、南方、蒲生
     両谷:長行、辻三(つじみつ)、合馬(おうま)、田代、徳吉、高津尾、山本、春吉、道原、頂吉
     曽根:曽根、曽根新田、霧岳(湯川、沼、葛原、吉田)、芝津(貫、長野、津田)、朽網
     東谷:石原町、新道寺、母原、井手浦、木下、市丸、小森、呼野(よぶの)
若園1丁目5−3 若宮神社 10/3土日 宮神輿 氏地の上城野・中城野、重住、若杉、富士見1〜2丁目、若園を廻る
神輿、手作り山車多数
下城野2丁目13−2 砥石山天疫神社
横代南町4−3−1 高倉八幡神社 10/8、9 神幸祭、横代神楽奉納
蜷田若園1丁目3−20 白髭神社 5/2日曜 神輿
北方1丁目7−11 天疫神社
蒲生5丁目6―6 蒲生八幡神社 10/1土日 子供みこし 旧・県社
氏子:小倉南区⇒蒲生(上蒲生・下蒲生)、石田(上石田・下石田)、南方(上南方・下南方)、北方(北方一丁目・北方三丁目)、高野、長尾1・2丁目(旧・祇園町)、葉山町、守恒本町、企救丘、日の出町、山手、星和台
小倉北区⇒室町1〜3丁目、魚町、京町、堺町、鍛治町、米町、船頭町、紺屋町、船場町、浅野、長浜町、末広
長尾1丁目8 祇園神社 5/4、5 幟山6台 祇園町、能行、桜橋、溝尻、長尾、伊崎
 明治2年(1869)に創建1000年記念祭を行ったが、この時の企救郡の奉納金で作った3台の山車が始まり。
以後毎年陰暦
3/15に祭礼をしていたが、現在は5/4、5と変わり山車も6台となっている。
長尾4丁目24 八旗八幡神社 神輿
辻三307 豊日神社
合馬1590 天疫神社 9月中旬 合馬神楽
合馬神楽=市指定無形民俗文化財。享保年間(1716〜36)に基金が続いたので、村人が他所より神楽を招いて天疫神社に奉納したのが始まりと伝わる。明治期に廃れるが明治末期に京都郡の神楽を習得し復活させる。
山本80 西大野八幡神社 9/24、25 例祭 旧・郷社
11/2日曜 神輿3基 午後より神輿3基が境内から紫川そばの御旅所まで練る。
頂吉468 八坂神社
曽根新田南2丁目5−5 綿都美神社 4/20〜5/3 飾り山笠7台 上曽根、中曽根、下曽根、新田、朽網、朽網東
曽根神幸祭=北九州市指定無形民俗文化財。文政2年(1819年)の創立以来行なわれていた龍神祭に、天保2年(1841年)桃燈山(提灯山)を出したのが、開作神事の始まりと伝えられている。4月中旬に灯山(提灯山笠)、4/29に幟山、5/3に人形飾り山と三種に姿を変える。
昔、干拓地曽根新田の堤防が決壊し、多くの死者がでたことから、人々は「海を埋め立てたので神様が怒った」と怒りを静めるために神事をはじめたと言われている。綿都美神社境内に山笠が列を組んで入ってくる。勢揃いしたら、神社で祭典が執り行われる。
湯川3丁目3−30 湯川水神社 10月 芸能、バザー
沼本町4丁目19−1 沼八幡神社 5/3 沼楽
11/3 秋期大祭
沼楽=県指定無形民俗文化財。沼八幡神社及び小倉池水神様で奉納。平成8年(1966)、沼楽保存会に移管。豊作、除疫を祈願する太鼓踊りとして古くから伝承されてきたもの。扮装は、向こう鉢巻の結び目両端は赤、手甲脚半は藍色、腰みのの下半分も藍色染めなど総体的に鮮やか。大うちわには大願成就の祈りを込め「叶」と大書きされている。
葛原4丁目3−1 葛原八幡神社公式HPへ 10/4土日 葛原新町楽 旧・郷社
葛原新町楽=市指定無形民俗文化財。享保年間、この地に悪疫が流行し、特に牛馬が多く死にました。その為、里人は牛の守り神の天神様に祈願したところ、忽ち悪疫が治り、そのお礼として願解きに楽打ちを奉納したのが葛原新町楽の始まりだと伝えられている。その後、毎年小笠原藩のお達しで葛原村は「子供角力」、葛原新町は「楽」を八幡神社に奉納するようになった。
何度か中断するが、昭和51年に葛原新町楽保存会を組織し再度復活した。
中吉田1丁目23−10 綿都美神社 4/21か前の日曜 神幸祭 氏子は上吉田、中吉田、下吉田
7/20 夏越水神祭 茅の輪くぐり、子供相撲
10/20 秋季大祭 神楽奉納
元和5年(1619)豊前・豊後両国の大主細川忠興候が宇佐八幡宮に参内し、天下泰平の祈念の為、神輿を造り放生会を御執行、当神社においても神輿を造り武運長久・五穀豊穣を祈念して「大祓い」の大祭を斎行された。後の小笠原侯に至っても、大祭には御代参を立てて代々当神社を崇敬した。
吉田子供神輿=秋祭りに参加?。子供会で吉田町内全域を交代で巡行。
中貫本町3−1 荘八幡神社 大人神輿3基、子供みこし10基
11/14、15 神輿 旧・郷社
田原3丁目13−2 天疫神社 10/8 山車2台
起源は不詳。元々花笠が神輿に随従していたが、今は新たに作った山車に花笠を飾って曳くようになった。
長野本町2丁目8 若宮八幡神社
津田3丁目2−18 津田八幡神社 子供みこし
10/14、15 例祭 氏地は津田、長野、田原
朽網東1丁目18−8 貴船神社 10/13 例祭 曽根神幸祭にも参加
石原町468 天疫神社
新道寺476 天疫神社
母原55 東大野八幡神社公式HPへ 11/3 神幸祭 旧・郷社
木下 天疫神社 天疫神社
市丸 大清水神社
小森 天疫神社
呼野303 大山祇神社
 【昭和池】
大字朽網。昭和9年の旱魃を契機に、県・国に対して貯水池築造の運動が展開され、昭和12曽根、新田地区の農業用水確保のため、県が工事を行うことを決定し、昭和14年3月工事着手し、戦争中の物資難の中、昭和19年ようやく完成。池の大きさは、約10万m2、貯水量76万トン。この池を築造するに当たって、6世帯の人々が移転した。

 ≪戸畑区≫
浅生2丁目2−2 飛幡八幡宮 7/4土曜をはさむ
前後3日間
(元・7/13〜15)
大山笠4台
小若笠4台
子供山笠多数
東大山笠、西大山笠
菅原1丁目10−15 菅原神社
天籟寺大山笠
中原東3丁目12−1 中原八幡宮 中原大山笠
区内の4地区(東・西・中・天)ごとに、大山笠と小若山笠(中学生が担ぐ)が計8基。
それと、各小学校の学区ごとに子供山笠(人形山笠・旗山笠)がある。戸畑祇園大山笠行事は享和3年(1803)に始まった。
東大山笠=戸畑駅周辺から高峰、浅生地区。見送りは「天翔る金鷲」。
 昭和58年1983)に小東山笠復活。

西大山笠
=銀座、沿洞海地区。見送りは「鳳凰」。
 昭和51年(1976)小西山笠復活。

中原大山笠=沢見、中原地区。見送りは「天に咆哮する虎」。
 昭和35年1960)に小中山笠出来る。

天籟寺大山笠=天籟寺、大谷、鞘ヶ谷地区。見送りは「牡丹に唐獅子」。
 
昭和59年(1984)に小天山笠復活。
 【いいっちゃ戸畑  ヨイトサまつり】
8月下旬に中本町商店街周辺で行われる。戸畑音頭総踊りやステージイベント、パレードなどが行われる。
そして
女提灯山が出る。これは高さ6m、棒の長さ8m、8段141個の提灯をつけた山笠で、女性だけで担がれる。

 ≪八幡東区≫
大蔵2丁目丁目16―33 乳山八幡神社 7/上旬 神輿
子供山笠8台 大蔵祗園として名高い
乳山八幡神社での神事の後、神輿は勝山勝田神社(勝山1丁目16ー17)を経て、年毎に異なるコースを神幸する。山笠は、勝山勝田神社まで随行し、後は各町内を運行する。
祇園町2丁目5−1 仲宿八幡宮 7/21頃の金土日 神輿2基
山笠3台(直方系曳山) 本宮、一番、二番
山笠廃絶 桃園山
本宮山=祗園3丁目、祗園原町。昭和61年頃復活。

一番山
=前田。平成4年復活。 

二番山
=祗園1・2丁目。昭和61年頃復活。 
桃園山(笹山笠)=行政上は油田町。昭和25〜31年にかけて順次建設された新日鉄の社宅群。完成時は40棟。1366戸を数えた。18年現在は約900人。
 祭礼は平成5年復活。16年まで出ていたが、社宅用地売却で過疎化になり17年は有志は神輿に奉仕となる。18年は遂に二番山の町会と合併に至る。
“前田祗園本宮山笠HP”にこの行事が詳しく載っている。
往古は山笠だが、事故が起こり永らく休止となる。休止中は樽みこし出していた。
春の町4丁目4−1 豊山八幡宮 7/20頃の土日 山笠1台 直方系曳山  
ねぶた 氏地は尾倉、中央町地区
山笠=西。小振りの山笠。

ねぶた(
八幡東ねぶた振興会HPへ=東。平成12年(2000)長崎県・福江のそのねぶたを頂いて、それを改造して始まった。
翌年の
北九州博には手作りのキャラクターねぶたを出し、軌道に乗る。
宮の町2丁目2−1(茶屋町) 天疫神社 7/3土日頃 ちょうちん山笠 子供山笠
夏越祭の山笠として、昭和41年に地区有志が始めたらしい。
 【八幡中央祇園山笠】
中央地区。7月中旬開催。山笠1台。戦前から始まり、最盛期は6、7台を有したが、現在は1台のみ。
川渕町2−11 荒生田神社 10/16、17 演芸大会
中央2丁目8−1 日開神社 7月 神輿
高見1丁目1−1 高見神社 10/18、19 神輿、樽みこし 神楽
枝光2丁目1−14 枝光八幡宮 7/24〜26 神輿
山笠2台 枝光本町、白川町
山笠廃絶 上本町
10/21 神輿 子供相撲、筑前御殿神楽
神輿=例祭日の前の日曜に巡幸。トラック渡御だったが、平成13年秋祭りに57年ぶりに巡幸。
山笠=直方系。大正時代には、小石と同型の幟山笠が出ていたらしい。かつて八幡製鉄所の本事務所があった街で、最盛期には町内各地で山笠が出ていた。。現在は山笠2台が出ていて第1区は子供山笠で土日。第2区は山笠で24〜26日出る。
夏祭りは疫病を表す赤鬼や青鬼も登場する。神輿は枝光各地区を一日ごとに御神幸する。山笠は3台出た。
秋祭りは神輿は例祭日の前の日曜に担ぐ。例祭日は子供相撲、筑前御殿神楽奉納。
大谷1丁目2−5 菅原神社 9/12 例祭
河内1丁目5−6 白山神社

 ≪八幡西区≫
      黒崎:熊手、藤田、鳴水
      洞南:折尾、本城、陣原、則松、永犬丸(えいのまる)
      上津役:相生、竹末、引野、穴生(あのう)、上上津役(かみこうじゃく)、下上津役、市瀬
      香月:香月、楠橋、馬場山、畑
      木屋瀬:木屋瀬、野面(のぶ)、笹田、金剛
山寺町12−36 一宮神社 7/三連休
(元・20〜23)
山笠2台 山寺、熊西
岡田町1―46 岡田神社公式HPへ 山笠3台 熊手一番、熊手二番、熊手三番
藤田1丁目10―44 春日神社 山笠3台 東町、藤田東、藤田西
廃絶 紅梅町、八千代町、屋敷町、田町、舟町
※以上の三社の祭りを“黒崎祇園”という。台は一つでまず笹山を作り、町内を一巡してからすぐ取り壊される。その後人形を飾付け山笠となる。昭和末年頃までは熊手は台が2台あったので常時笹山を出していたが老朽化のため廃絶。直方系曳山。
 ≪行事予定≫
7月初旬日曜と翌週日曜
=お汐井取り神事、笹山運行。

金曜(前夜祭)=(18:00〜21:00)黒崎駅前ふれあい通り。

土曜=(10:30)一宮神社御神幸。(11:10)山笠8基集合:松並木公園。(13:30)岡田宮御神幸。(19:30〜21:00)街中巡行。

日曜=(13:00〜)春日神社御神幸。(19:30〜21:00)街中巡行。

海の日=(19:00〜20:30)。解散式(フィナーレ):黒崎駅前ふれあい通り
山寺=東山寺、西山寺、桜山寺よりなる。

熊西
=戦後、山寺山笠より分かれる。子供山笠として発足。
 ◎熊手=昭和28年頃、人口増加に伴い3本に分割した。
熊手一番

熊手二番(双黒会)
黒崎2丁目南、黒崎4丁目、熊手2丁目、熊手2、3丁目、岡田町
熊手三番
東町、藤田東
藤田西
=藤田横町、藤田2〜4丁目、八千代町中南町、八千代町中北町、八千代町中二町、八千代町東2丁目、八千代町西二中町、八千代町西二南町、八千代町西二北町、西通り5丁目町、ソネット黒崎町、アネシス黒崎町、グリーンパレス町などから成る。
 【山笠廃絶】
かつて多くの町より山笠がでたが、石炭景気が醒め郊外の町が山笠を出さなくなった。
紅梅町
もともと藤田の一部で、紅梅地蔵に因んで昭和の初め頃から紅梅町と称した。かつて山笠があったが、現在は藤田東の一部になっている。

田町=現在は藤田東の一部に成っている?。

八千代町=現在は藤田西の一部に成っている。

屋敷町、舟町=JRより海側。
東鳴水5丁目3−1 貴船神社 7/2土日 神輿
山笠2台 一番、二番
一番山笠=東神原、東鳴水1丁目、2丁目、3丁目よりなる。

二番山笠=東鳴水4丁目、5丁目、西鳴水、鳴水町よりなる。
 「藤田村書上帳」には文化3年(1806)7月、屋敷の妙見神社で、遷宮祭が行われ、それに鳴水の山笠が参加したとある。この時の山笠の使用材とみられるものが永らく貴船神社の床下に残っていた。
 昭和33年、奉賛会で子供山笠を創建した。笹山笠で2本であった。翌年も同様であった。
 昭和35年、人形山笠となる。
 昭和37年、5区と8区が合併して山笠が3本になる。
往古は一番が西神原、東鳴水1丁目。二番が東鳴水2丁目、3丁目。三番が
東鳴水4丁目、5丁目。
3基が飾り山笠、岩山、笹山笠など交代で奉納した。
 昭和46年より津屋崎の人形師に花尾帆柱城の人形を車台に乗せて自前で飾った。これは区内の寄付金で3本の人形山笠を作ることが困難になったためである。この山笠が昭和55年まで10年続くが奉賛会が55年10月に解散し一時途絶える。
 折尾山笠】
7月下旬土日開催。1台曳行。平成22年(2010)、第一回折尾山笠として復活。この山笠は氏子や自治会ではなく、個人が主催して運営。
平成末期に終了。最終年は飾り山笠だった。

昭和30年代は6台(八幡、日の出、日吉、大膳、光明、浅川)出ていたが、高度成長期に途絶える。
南鷹見町10−56 鷹見神社
本城2丁目1−56 八剣神社
陣原5丁目10−64 旗頭神社 10/14 山笠1台(直方系曳山)
則松字縄手口864 高見神社 7/中旬 山笠1台(直方系曳山) 戦後しばらくは博多系の岩山笠
永犬丸字宮谷2308 鷹見神社
 洞南四地区合同山笠競演会】
相生・引野・竹末・穴生の各自治区会の山笠行事を、平成11年より競演会として実施。会場は相生商店街など。7/20頃の金土日に相生、引野、穴生、竹末の山笠4台(直方系曳山)が出たが、令和元年(2019)7月21日の4地区競演会で相生は退会となった。
竹末=鎮守は龍王神社(竹末1−4−17)。
引野
=鎮守は十二所神社(引野2−12−16)。引野、割子川、別所、養福寺などからなる。
穴生=鎮守は鷹見神社(穴生2−13−6)。
相生=鎮守は龍王神社。令和元年(2019)7月22日の黒崎祇園の解散式に特別参加し、最後の雄姿を見せて25年の歴史を閉じた。なお前日の4地区競演会にも参加した。
竹末自治会が運営する山笠より独立。相生商連が運営。製鉄所のアパートが無くなり、少子化、青年部も無くなり、商店街も力が無くなかったので解散に至った。
上上津役1丁目20−13 熊野神社 7/20頃の土日 山笠1台(直方系曳山)
下上津役元町4−6 熊野神社
上の原1丁目20−22 涼天満宮
上津役地区の馬場、足水、町上津役、上の原の四地区が持ち回りで山笠を出している。直方系黒崎型の山笠で、三本の舁き棒と大きな遣り出しを持っている。
市瀬11 鷹見神社 旧・郷社
上香月4丁目2−1 杉守神社 7月 山笠1台(直方系曳山) 各町内で持ちまわり
10/20 例祭 氏子は香月・池田・石坂・畑・馬場山・千代・茶屋原・船越・椋枝・白岩町・吉祥寺町
楠橋上方1丁目4−1 廣旗八幡社 氏子は楠橋・岩崎・真名子・高江
馬場山東2丁目9−1 熊野神社
畑1030 尺岳神社  7/2土曜 神輿
山笠2台(曳山) 白木谷、本谷 
畑祇園は、畑貯水池の奥に鎮座する尺岳神社の境内社である須賀神社の祭礼である。例祭日は7/11、12⇒昭和52年より7/10、11⇒昭和60年より7/2土曜。
白木谷山笠=昭和13年までの祇園は白木、田床の2集落。水引幕の図柄は「近江八幡」。三越制作。

本谷山笠
=昭和13年までの祇園は奥畑、中畑、下畑の3集落。水引幕の図柄は鯉の滝のぼり」。
木屋瀬3−19−1 須賀神社 7/13頃の土日 山笠2台 博多系舁山
往古は獅子頭を先頭に神輿、山笠などが並んで地域内を廻わる御神幸祭だったが、現在は2台の山笠が町を練り廻る祭りとなった。
青山流れ[新町7町]=中道町、芝原町、感田町、改盛町、新町、日ノ出町、中央町

赤山流れ[本町6町]=本町、中町、東中町、下町、新地町、真名子団地
野面1丁目18−53 八所神社 10/2日曜 山笠1台(直方系曳山) 手作り
笹田977 舞岳神社 7/13に近い日曜 山笠1台
金剛1丁目11−1 前岳神社
 【畑貯水池
昭和14年(1939)着工。戦争で一時中断。昭和25年8月工事再開。昭和30年(1955)竣工。下畑部落全部と中畑・白木の一部を残して、畑分校外60戸が水没した。

 ≪若松区≫
 ■若松中央校区(1〜6区、8〜11、17区)
 ■深町校区(12区、13区、15区、16区)
 ■修多羅地区(7区、18区、19区)
 ■古前校区(20区〜22区)         ※22区は古前校区だが、藤ノ木白山神社の氏子
浜町1丁目2−37 若松恵比寿神社 7/20頃 山笠廃絶  
白山3丁目1−1 白山神社
白山神社は寛永6年(1649)9月藤ノ木の白山神社を勧請して創建。祇園祭については享保20年(1736)6月「御山所中廻る」という記録があるが、これが山笠の事なのかどうかは不明。
かつては小石と同じ幟山笠が出ていたらしいが詳細は不祥。山笠の一部は、現在でも保管されているらしい。戦後の山笠は昭和23年に復活したが、戦前の事については不明。山笠の最盛期は昭和30年代前半の頃のようで、浜町から本町、修多羅にかけて、各自治会毎に山笠を出していた。
昭和30年代後半頃から数が減り始め、修多羅の18区が最後まで出していたらしい。
 起源等詳細は不明。戦後市街地を中心に自治会ごとに山笠が出ていた。また飾り山も多くの町内会より出た。
ただし5区は(商店街中心)山笠がなかった。
 しかし石炭不景気により昭和37年頃より40年代にかけて、市街地での山笠は、次々と廃絶消えていき、古前地区も昭和52,3年頃に姿を消した。最後まで小型山笠を出していた15区(老松町。昭和公民館がある)も平成18年を最後に休止となる。
 ■藤ノ木校区(23区、24区、東25区、西25区)
藤ノ木 白山神社 7月 山笠廃絶 藤の木村の鎮守
寛永5年(1648)創建、正徳3年(1713)再建。山笠は戦前にはあったらしい。
明治15年(1882)合祀された須賀神社(祇園社)の祇園祭として、山笠が出ていたらしい。この須賀神社は弘化3年(1846)立て替えられたという記録があり、この時の記録に「祇園社立替、神輿並上家」という記述があるが山笠の記録は無い。
 ■二島校区(東26区、西26区、32区、36区、37区) 
 ■鴨生田校区
(27区)
東二島2丁目16―6 日吉神社 7/15頃の土日 神輿
山笠3台(直方系曳山) 東ニ島2台、ニ島 
東ニ島=26区にあたる。古称は洞岸。昭和40年代後半に東西に分裂。東26区(一番山笠)は幕の色が水色。西26区(二番山笠)は幕の色が紫色。

ニ島
=27区に当たる。 
頓田145 菅原神社
頓田1790 日吉神社
 ■小石・赤崎校区(東中14区、西14区、東29区脇ノ浦、東29区外小竹)
宮前町 日吉神社 7/3土曜(雨天は日曜) 提灯山笠 小石提灯山笠保存会
平成9年、44年ぶりに復活するが、12段の提灯山笠は昔のように町内を担いで廻ってはいない。
小石小学校(宮前町3−1)と赤崎小学校(西小石8−1)で交互に開催。

昭和28年(1953)に山笠が倒れて以来の復活。
幕には天保4年(1834)牛次郎があるらしい。勾欄には明治12年とあり。
小石字菖蒲谷1574 石峯神社 10/2土日 神輿 下宮⇒上宮に巡幸
脇の浦 7/4土日頃 小型の人形山笠
昭和40年代初期頃までは、脇田と同型の大きな岩山が出ていたらしいが、現在は小型の人形山笠になっている。
 ■花房校区(20区、東20区、西29区脇田、西29区安屋)
竹並字池田2931 須賀神社 7/20過ぎの土日 神輿 平成18年新調
山笠1台 元・7/14、15  
昭和54年復活。往古より約3m低くなった。
安屋 大比叡神社 8/16、17 神輿
山笠2台 “脇田祗園”として名高い 
安屋字笠松1976 笠松神社 山笠廃絶
明治**六年と書かれた山笠図が残っている。描かれているのは現在の博多の飾り山笠をほうふつとさせるものです。昔は博多と同じ岩山が出ていたと思われる。
畠田57 須賀神社 山笠休止 台座が残っている
今光=明治後期に石炭で栄えた頃に始まるが、昭和30年代後半に廃絶。
 ■江川校区(30区、34区、39区)=有毛、乙丸、大鳥居、小敷、塩屋、蜑住、花野路。
有毛字岩屋2852 御寄神社 7/3土曜頃 子供山笠
乙丸777 戸脇神社 7/初旬 御獅子祭 氏子は乙丸・花野路・青葉台
御獅子祭=獅子舞の出る祭りでは無く、当地では例祭の後、直会をする。
大鳥居字和田15 戸明神社
小敷字本村311 八剣神社 10/20 山笠廃絶 戦前にはあった。
塩屋字花村455 八剣神社 11/6 例祭
蜑住866 戸明神社 7/22 獅子舞廃絶
蜑住字稲国1894 須賀神社 岩山廃絶 戦後は昭和23年が最後。
 ■高須校区(31区、33区、35区)
高須享松ヶ鼻80 戸明神社
小竹283−1 日吉神社 どちらかが上宮、下宮
小竹字白山1946 白山神社 どちらかが上宮、下宮
若松区は明治期には山笠が20台近くあったと云われる。少なくても竹並、二島、脇田、小敷、畠田、安屋、今光で山笠が出ていたようです。
 【白島(しらしま)】
筑前諸島で男島(おしま)・女島(めしま)からなる。基本的に無人島だが、男島の南東側に巨大な洋上石油備蓄基地がありそこでこで働く人たちがいる。ちなみに日本で消費される原油約10日分が備蓄されている。
男島の面積は0.29km2。周囲は3km。女島の面積は0.15km2。周囲は2.5km。
 【中ノ島】
洞海湾の入口にあり、江戸初期には若松城があった。明治初期にはコークス工場が出来るが、航路の邪魔になるので、昭和14年6月着工。昭和15年12月竣工で撤去となる。

 ≪中間市≫
     長津:中間、岩瀬
     底井野:上底井野、中底井野、垣生、下大隈
 【中間山笠】
7/下旬(元・14)。年によっては8月初旬の時もあり。長津祗園山笠、中間山笠の山笠団体(直方系曳山)
長津祗園山笠=旧・昭和町、栄町、屋島、片峰周辺の子供山笠として復活。高さ約3、5m。

中間山笠
=新風會会長の山元氏が発起人となって、旧・中鶴1区の有志が平成11年頃に中間山笠を復活。平成12年(2000)に31年ぶりに市内巡行。
平成16年、青年団創設。
現在は大山(7、5m)、中山(6m)、小山(4、5m)、孫山(2、5m)と揃えているが全部は出ない。
炭鉱全盛時は昭和町、栄町に飾りつけてあった。
中尾1丁目4−3(中間4182) 惣社宮 10/19 例祭 旧・郷社
中央1丁目8−41 篠隈神社 10/19 例祭
岩瀬西町6−1 須賀神社 9/20 例祭
上底井野1696−1 月瀬八幡宮 10月連休 例祭
中底井野492 八剣神社 10/16、17 おくんち
垣生426 埴生神社 10/13 神楽 北九州市、遠賀郡、中間市の神職による「筑前御殿神楽」奉納
下大隈1175 十五社神社 10/15 例祭
 ≪遠賀郡≫     
 遠賀町
    浅木:浅木、木守、下底井野、別府[高家・花園・尾倉〕
    島門:島津、今古賀、老良、尾崎、鬼津、上別府、広渡、別府[本村・千代丸・三軒家・松ヶ崎〕、虫生津、若松
浅木3丁目21−1 浅木神社 10/17、18 神幸祭 5年に1度。17日の夜。
木守1576 井手神社
島津573 伊豆神社 7/15 山笠1台 直方系曳山  
老良67 老良神社 7/2日曜 山笠1台 直方系曳山  
尾崎859 牟田神社
鬼津1953 貴船神社
上別府1763 天満社
広渡1726 広渡八剣神社
別府3207 今泉神社
虫生津632 高田神社 7/15 子供山笠1台 直方系曳山  
若松2316 住吉神社
 
  水巻町
     ⇒猪熊、古賀、えぶり、頃末、立屋敷、吉田、下二、伊佐座、二
猪熊4丁目5−1 鷹見神社 7/3土日 山笠2台
10/9、10 神楽
古賀1丁目11−26 久我神社 10/14、15 神輿、子供相撲
えぶり1丁目8−17 伊豆神社 7/初旬日曜 子供みこし
10/11、12 子供相撲
頃末北2丁目9−1 伊豆神社 7/2日曜 山笠 氏子は末北区・南区
10/2土曜 子供相撲
立屋敷3丁目13−30 立屋敷神社(八剣神社) 7月下旬 子供相撲
10/18、19 おくんち
吉田東3丁目1−1 河守神社 9/28、29 神幸式、子供みこし、子供相撲 旧・郷社
吉田東4丁目5−3 貴船神社 10/24、25 神幸式、子供みこし、子供相撲
下二942 貴船神社 9/15 例祭
伊左座83 荒祭神社 10/16、17 例祭
二西4丁目1−1 八所神社 7/30 夏こしまつり
10/16、17 神楽
11月中旬 子供えびす

 芦屋町
    ⇒芦屋、山鹿
船頭町12−48 岡湊神社 7/中旬 山笠2台 博多系舁山 
10/16 例祭
昭和38年からは子供山笠の形となり現在に至っている。
岡湊神社所蔵の古文書に、明和4年(1767)「この山笠は古い伝統行事である」と記されている。
明治末期には、飾り山笠を境内に据えて、見物に供した年を続けたり、大正期には町を東西に分け、隔年ごとに当番制とし、1本の飾り山で町中を舁いていたという。
第二次大戦中は中断していたが戦後間もなく復活。昭和38年からは子供山笠の形となり現在に至っている。
山鹿 須賀神社 7/中旬 山笠1台 直方系曳山 
山鹿の祇園社に奉納された山笠図は弘化二年(1845)、慶応元年(1865)の奉納である。その頃は博多と同じ岩山である。

 岡垣町
    岡県:波津(はつ)、原、内浦(うつら)、手野、三吉、吉木
    矢矧:高倉、黒山、山田、糠塚、野間、上畑(じょうばた)、海老津、戸切
波津791 大年神社
原695 大原神社
内浦1125 若宮神社
手野1306 大国主神社
三吉735 山崎神社
吉木1554 熊野神社
吉木西1丁目15−11 熊野神社
高倉1113 高倉神社 10/連休 神幸祭 旧・県社。神輿3基。土曜にお下り、お上りがある。
おくんち=提灯を手にした行列取締役を先頭に旗や神輿などが連なる仮宮までの神幸、舞踏、カラオケ、相撲・剣道・弓道大会、神楽 など。
黒山737 厳島神社 7/14頃の土日 山笠1台(直方系曳山)  花山、旗山、台山の3様式
岡垣町で唯一残る山笠。起源については不明だが、4本の舁き棒を持つ舁山。山笠の様式は3通りあり、毎年違った姿になる。戦時中も兵隊に頼んで山笠を出していたそうで、今まで途切れずに続けられてきたそうです。博多から各地に伝わった山笠の、初期の頃の姿を彷彿とさせるものであり、大変貴重な山笠である。
山田931 氏森神社
糠塚480 須賀神社
上畑797 荒平神社
中央台6丁目2−4 須賀神社 野間の鎮守
海老津63 白峯神社
戸切1216 龍王神社

 ★展示場     
小倉城天守閣 北九州市小倉北区城内1−2  093−582−2747 紺屋町が展示されている
いのちのたび博物館 北九州市八幡東区東田2−4−1 093−661ー7503 小倉(古船場町山車)、戸畑祇園祭山笠、黒崎祗園笹山笠を展示している