福 岡 県
  

 ≪筑豊地域≫

     ■田川地区
(=旧・豊前国)

       
田川市、田川郡〔糸田町、糸田町、福智町、川崎町、香春町、添田町、大任町、赤村〕

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
  ≪田川市≫ 
       後藤寺:川宮=大藪・新生町・高住町・平岡
            奈良=青葉町、大浦、会社町、霞ケ丘、後藤寺西団地、後藤寺東団地、希望ケ丘、松の木、三井後藤寺、緑町、月見ケ丘、
            弓削田:角銅原、野上、船尾、見立、文字山
       伊田:伊田、伊加利、夏吉、糒
       猪位金:猪国(猪位金1〜3区)、位登(猪位金4〜7区、清美町)
宮尾町6−13 春日神社
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5/4土日 神輿
山笠7台 宮尾区、大黒町区、本町区、桜町区、上本町区、丸山区、奈良区
神幸祭は以前は中元寺川の川辺にお旅所があったらしいが、現在は3ヶ所(桜町、丸山公園、後藤寺駅前)を巡行している。
川宮433 若狭神社 5/2土日 山笠2台 1番、2番
川宮三井大藪 5/2土日 山笠1台
下弓削田 須佐神社 5/2土日 神輿1基
山笠(大人・子供)2台 上弓削田、下弓削田
獅子舞
弓削田見立(弓削田3361) 貴布禰神社 5/1土日 獅子舞
魚町2−30 風治八幡宮
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“川渡り神幸祭”
5/3土日 神輿 あり
山笠(幟山)10台 栄町、新町、番田町、橘区、上伊田東、下魚町、川端町、大通り、下伊田、鉄砲町、三井伊田
獅子舞 上伊田西
伊田2251−1 白鳥神社 5/3土日 神輿 あり
元々商業地域は踊り山(町部は道幅も狭く、電線が張られていることと踊り手の確保も容易であったことから)、農村部は幟山笠という決まりだったが、近年の山笠新調時に幟山笠に変わっていった。
神輿=大正9年(1920)に京都で購入。京都府南丹市の業者により平成21年修復。以前は昭和39年(1964)に修復。
栄町=平成17年(2005)12/11新調入魂式。55年ぶり新調。これで一枚屋根の踊り山が無くなり全て幟山となった。高さ4m。長さ3、4m。
 往古踊り山笠があったが、栄町を12区(栄町東)と13区(栄町西)に分割により山笠を大衆の前で両区長がジャンケンで12区の物となる。このため13区は数年間弓削田地区より借りて祭礼をし、そして昭和25年踊り山笠新調。やがて炭鉱閉山による人口減のため昭和30年代後半に合併となるが、今度は13区の山笠を栄町として使うことになる。この山笠は昭和55年に幟山笠に改造。

新町
=大型。平成15年2/23(2003)新調入魂式。(有)小林住宅産業の作。
彫物:前は「鬼、龍、虎、象型」、後ろは「鬼、怒涛、二見ヶ浦の日の出」。
幕の紋は「三蓋菱」。腰幕は「怒濤」。
 明治期までは戸数が7、8戸しかなく、山笠を出せなかった。
 昭和2年創建。翌3年より使用。1度のみ踊り山笠として使用され、幟山笠に改造。昭和10年代は日の出町と共に西6区となり、共同で山笠を作った。
戦後は11区となり、新町単独で山笠を出す。

番田町=小型。昭和63年、幟山笠制作。幕の紋は「左三つ巴」。腰幕は「番田の文字」。
 往古は踊り山笠。戦時中に防空壕の材料に利用。
 昭和53年、太鼓山笠制作。

橘区
=中型。昭和55年制作。彫物は昭和初期制作の先代を利用。幕の紋は「左三つ巴」。腰幕は「怒濤」。

 川渡りを行わない踊り山笠があり、祭り両日は伊田商店街内で引き回しを行い、お子さんたちの舞踊が披露される。

日の出町=踊り山笠があったが、現在は山笠無し

上伊田東
=中型。幕の紋:左右は「左三つ巴」、後ろは「三蓋菱」。腰幕は「怒濤」。

下魚町
=中型。平成24年(2012)4月8日、新調入魂式。
彫物:前は「鬼、鯉、龍」、後ろは「鬼型」。
幕の紋は「左三つ巴」。腰幕は「怒濤」。
昭和56年、幟山笠復活。

川端町
=中型。
彫物:前は「鬼、龍、虎、唐獅子」、後ろは「鬼型」。
幕の紋は「三蓋菱」。腰幕は「桐紋、怒濤」。

大通り(大通り地区HPへ)
=山笠格納庫は武徳殿にある。
 中型。平成15年(2003)制作。田丸泰博・武父子の作。
彫物は先代を利用。前は「龍、唐獅子」、後ろは「十二支?」。
幕の紋は「左三つ巴」。腰幕は「紺地の無地」。幅1.7m。長さ2.24m。高さ1.7m。
 昭和54年、夏吉より山笠借りて川渡り神幸祭に参加。
 昭和55年に山笠創建。小池 保の作。

下伊田(下伊田誠友会HPへ
=大型。平成19年(2007)3/1、新調入魂式。26年ぶりの新造。
彫物:前は「鬼、鶴、猪」、後ろは「鬼」。
幕の紋は「三蓋菱」。腰幕は「三蓋菱、怒濤」。
全長9.4m。高さ3.8m。重さ約3.8トン。
 創建は江戸期に遡る。
三先代は昭和40年(1965)まで使われる。組立式。
先々代は1966年、夏吉(吉田地区)より購入。昭和57年(1982)まで使われ、田川市石炭・歴史博物館に寄贈。
先代は昭和58年(1983)3/13、新調入魂式。30年ぶりの新造。新町の本多春次郎の作。
平成18年(2006)川崎町友心会[天降神社氏地]に譲渡。

鉄砲町
=小型。京都郡久保村から山笠を購入。その時に、鉦も購入。
彫物:前は「猿、鯉、石楠花」、後ろは「松、鳳凰」。
幕の紋は「三蓋菱」。腰幕は「怒濤」。
 大正末期まで、下井田と合同で山笠があり、後に下伊田に譲った。

三井伊田=大型。平成13年(2001)1/28、新調入魂式。初代である。
幅3m。全長8.5m。重さは約4トン。
詳しくは川渡り神幸祭HP
 【三井松原炭鉱社宅】
田川鉱業所の社宅で約1700戸あった。5月中旬の山の神の神幸祭には、神輿3基が出た。
1基は消息不明だが、1基は位登八幡神社へ。もう1基は田川市石炭・歴史博物館へ。ちなみに昭和12年(1937)制作。
伊加利1072 岩亀八幡神社 5/2土日 山笠2台(直方系曳山) 平原、伊加利
夏吉1646 須佐神社 4/4土日 神輿
山笠3台 吉田、御禊(みそぎ)、夏吉 
山笠休止 糸飛
吉田=以前のは1966年、田川市下伊田に売却。昭和57年(1982)まで使われ、田川市石炭・歴史博物館に寄贈。

御禊
=詳細不詳。
夏吉区=平成18年(2006)2/19、山笠並びに山笠格納庫の竣工式。
山笠新調は、およそ50年ぶり。これは平成16年9月の台風で、格納庫前にあった樫の木が倒れ、格納庫もろとも山笠が倒壊したことから新調することになった。
二段屋根。幅3.2m。長さ9m。高さ3.4m。彫物:正面に龍、屋根には鬼。
糸飛=2005年現在休止。2005年は行われていたが。
夏吉岩屋(ごうや) 須佐神社 5/2土日(元・11) 神輿
獅子舞
糒632 日吉神社 5/1土日 山笠4台
猪国1721−1 白鳥神社 5/2、3 神輿
提灯山笠1台 夜の神幸祭
位登681 位登八幡神社 4/最終土日 神輿
鉾山2台 上位登、下位登 
獅子舞 猪位金
かつては神楽と獅子舞が奉納され、上位登、下位登、新庄から3基の舁き山が出ていた。現在平成2年に復活した鉾山が2台出ている。、田川地区では珍しく、バレンを飾っていない。また下位登の鉾山には見事な彫刻が施されており、これも他の地区では見られない特徴である。
猪位金6区(清美町) 4/4日曜 子供山笠1台

 ≪田川郡≫     
 糸田町
本町(糸田町1145) 須佐神社 5/2土日(元・16) 神輿
山笠16台(担き山5台) 上糸田A、中下(中・下糸田)、南糸田、北区、西部、原、打越、大熊、宮川1・2.、宮床、宮床団地、桃山、真岡、嵐ヶ池
糸田祇園山笠=宝永3年(1706)行橋の祇園社より須佐神社を勧請、翌年から山笠を出したと伝えられている。また宝永5年(1708)説もある。この須佐神社は金村神社に合祀された。
当初は今井系の鉾山だったと思われるが、飯塚に近い事もあってか、いつの頃からか人形山笠へと変遷。石炭不況で一時中断されてしたが、昭和41年に復活した。

 例祭日は旧暦6/20、21(明治中期まで)⇒5/15、16⇒5/2土日(昭和55年より)と代わった。

 福智町
 平成18年(2006)3/6、金田町+方城町+赤池町が合併して誕生。
 ◎旧・金田町
金田405 金田稲荷神社 10/20前の土日 神輿
山笠6台 一区(東西金田)、二区(上金田)、三・四区(町部)、五区(宝見)、六区(人見)、13区(平原) 、祭囃子同好会
獅子舞
一区(東西金田)=地区の色は桃色。

二区(上金田)
=紫色。 

三・四区(町部)=水色。

五区(宝見)
=橙色。

六区(人見)
=赤。 

13区(平原)
=紺色。平原青年団「山笠企画部」が中心となり、設計から施工まですべて手作りである。

祭囃子同好会13区
獅子舞=宝暦3年(1753)に獅子頭の寄進があったことが、神社の古文書に記されている。また安政5年(1858)にと舞楽に堪能だった虚無僧山本平八が、獅子楽に工夫を重ねて獅子舞の振興をはかった。
神崎905 飯土井(いどの)神社 10/2土日 神輿 花火大会
山笠4台 1〜4区 
昭和35年、神崎2区が実施したのが始まり。当時は子供山笠に人形を乗せたようなもので、この後町部の山笠と一緒に廻った。
やがて飯土井神社の改築(1985)御旅所建設(1987)を契機に神輿1基、山笠4本を新調し、10月第2土日曜日を神幸祭とした。
神崎220 南木菅原神社 5/2、3 神輿 獅子舞
神幸祭は明治初年から行われており、当初は8月25日であったが、後に5月1、2日になり、その後5月2、3日に変更された。
神幸祭における獅子楽は、明治20年代、嘉穂郡庄内町綱分より伝授したと伝わる。綱分からの帰り道の烏尾峠でも復習したという話が伝わっている。

神輿の出発・到着のときに獅子舞と楽打が奉納されている。
伊方字犬星3727 菅原神社 4/3土日 山笠5台
この春祭りには町部地区だけが山笠を出していたが、平成17年頃より、宝見地区も出すようになった。平成21年は上金田、平原、神崎も山笠を出すようになった。
秋の神幸祭とは違い、子供が中心となった子供山笠が出る。
旧・金田町内に13行政区があるが、そのうち青年団が今でも残っているのは9区で、同好会の山笠を除くとちょうど9台となり、青年団の存在が山笠に関わっていることが分かる。
 ◎旧・方城町
      ⇒伊方、弁城
伊方2628 白髪神社 5/4、5 神輿
山笠4台 東古門、中古門、西古門、野添
獅子舞 中古門子供会
伊方字宮ノ脇4485−1 赤坂八幡宮 5/4、5 神輿
山笠4台
夜に両神社の山笠は伊方神幸祭は明治6年(1873)から行われてきたと伝えられる。
弁城新町(弁城字貴船1841) 岩屋神社 5/3土日 神輿
山笠7台  
大正末期は弁城地区3ヶ所で大型の山笠を3基作り練り歩いていた山笠は、第二次大戦中は一時中断したが、戦後復興。しかし昭和30年〜50年に再び中断した。その後復興したが弁城区が7常会になったことから7基の山笠を立てるようになった。2000年に山笠を立てるのは隔年と決める。前回は平成21年。
弁城迫(弁城字森本4079) 貴船神社 5/2土日 山笠1台 直方系曳山
 ◎旧・赤池町
   
⇒上野[上野、鋤木田]、市場[市場、草場]、赤池
 【赤池統一秋祭り】 
西暦偶数年の10月上旬に開催。昭和40年代まで地区や氏神ごとに行われ、時期もまちまちだったが、昭和50年に正式発足した「お祭り対策協議会」により一体化した秋祭りとなった。
近年は、「山笠競演会」の夜間開催も行っている。平成17年(2005)は生方、第9区、第10区、十八支所と有志の団体である赤池山笠会が出場。
山笠は直方系で10台あるらしい。神社は貴船(赤池)、福智(上野)、日吉(市場)、春日(市場)、諏訪(草場)の各神社
上野1220 熊野神社 幟山笠廃絶 昭和10年頃に廃絶

 川崎町
    川崎:川崎、池尻、田原
    安真木:安宅、黒木、木城、荒平、上真崎、下真崎
川崎3868(永井) 天降神社 5/4、5 神輿 昭和25、6年に炭鉱主の寄贈
獅子舞 太田、永井、東川崎
山笠5台 本町、米田、友心会、吉原、丸山 
氏子は永井・太田・東川崎・櫛毛・米田・丸山・本町・吉原 など。
本町、米田=詳細不詳。

友心会
(=大島・宝町両地区の青年団よりなり、平成18年発足)=田川市下伊田区新調。昭和58年(1983)3/13、新調入魂式。新町の本多春次郎の作。平成18年(2006)譲渡。
 以前は大島で担がれた。


吉原、丸山
=詳細不詳。
池尻1482−2 大石神社 5/2土日(元・13) 神輿
獅子舞 田川市位登より習った。
毎年、池尻地区と森安地区合同で行われ、1年ごとに獅子舞と神輿の担当が入れ替わる。
神輿=明治39年(1906)製作。
昭和15年(1940)頃までは、御旅所に築上郡築城町の赤幡神楽を招いて神楽奉納が行われていた。
田原894 正八幡神社 5/3、4 神輿
獅子舞、杖楽
久寿元年(1154)、京都を追われた源為朝が田川、香春町に至り、鎮西原城を築いて勢威を振るった。
この時、正八幡神社の神徳を尊崇して源氏の繁栄を祈願し、獅子舞と杖楽を奉納したのが始まりとされている
安宅(安真木5226) 須佐神社 5/4、5(元・11) 神輿
獅子舞
山笠 大人、子供各1台 
以前は上、下両地区に大人山笠と子供山笠があったが、川への転倒事故のため1台となったらしい。山笠の鐘には、江戸中期の銘がある。
真崎(安真木3393) 住吉八幡神社 7/2土日 神輿  
山笠1台  
以前は上真崎・下真崎・木城の3区で行われ、下真崎の御旅所まで渡御があり、木城の獅子が神輿を先導し、上真崎・下真崎が山笠を出したが、木城が離脱してからは子供神輿が出る程度になった。
黒木 淡島神社 5/3 餅まき 神幸祭りと言うが神輿は無い
木城(安真木7459) 菅原神社 5/4、5 神幸祭 獅子舞

 香春町
 ■香春地区
上香春(殿町537) 須佐神社 5/4、5 神輿3基
下香春(香春733) 香春神社 子供山笠8台  本町、山下町、魚町、中組、前村、長畑、新町、昭和区
 ■勾金地区
   ⇒鏡山、柿下、高野、中津原
鏡山705 鏡山大神社 5/2 神幸祭
中津原421 鶴岡八幡神社 4/最終土日 神輿3基 平成元年、神輿三体改修。
子供山笠5台
提灯山笠1台(休止中) 竹原、中津原、柿下、上高野、下高野
中津原一本松 一本松神社 4/4土日 神輿
山笠1台、子供山車
 ■採銅所地区
採銅所2611 古宮八幡神社 4/最終土日
(元・4/30、5/1)
神輿3基   
子供山笠5台 長光、町、須川、向井堀、宮原 
神輿=杉の葉葺きである。これは奈良時代(8世紀初頭)から、大分県宇佐市にある全国の八幡宮の総本宮、宇佐神宮に銅の御神鏡を奉納。その際に杉の葉ぶきのみこしで運んだからである。

 添田町
 ■添田地区
   ⇒庄、添田、中元寺、野田
添田872 須佐神社  5/2土日 神幸祭
山笠5基 上添田
子供神輿
平成4年発行の添田町史(上)の1106、7ページには添田町神幸祭として「昭和61年、上添田の山笠、上中元寺の山笠の復元を希望する町民の声を受け、添田町山笠保存会設立準備会が、地元有志の協賛と上添田財団区並びに上中元寺行政区の世話人により復元させた。以来、山笠保存会の会員、および地元世話人により約1ヶ月間に亘り山笠、山笠飾り付作業及び準備をして、添田神幸(5月第二土、日曜日)に合わせてJR添田駅横ふれあい広場で復元展示をしている。また地区の子供山笠(町内各地区17台)が山笠、山鉾を囲むように集結し、バレンが揺れ幟旗がひるがえる姿は、まさに往時をしのばせるものがある。
 【そえだ夏まつり】
8月第1土曜に添田サンスポーツランド(庄952)で開催。時間は21:00〜21:30。青森のねぶた祭をイメージして作られた各団体自慢のねぶた8基が練り歩く。
フィナーレは花火
野田1627 加茂神社 5/2土日 神幸祭
野田獅子楽
野田獅子楽=万年願として奉納されている獅子楽。文化元年(1804)、日向の国から伝来したとも、悪病の流行に苦しみ獅子楽を奉納して神助を祈願したとも云われる。
往古は旧暦7月末日と8月初日。大正期は9/15、16.現在は5/2土日である。
獅子舞は「舞音和(まいねわ)の舞、護壇の舞、神馬場の舞、馬場入りの舞、神殿移しの舞」の5種からなり、神輿の渡御および還幸にともなって舞う。楽打ちの舞は1年12ヶ月になぞらえ農作業の所作を織り込んだ12種の回り楽があり、これに後楽を加えて13種となる。
 ■彦山地区
   ⇒英彦山、落合、枡田
英彦山27 高住神社 9/中旬 神幸祭 旧・県社
御由緒を案内板より抜粋すると、「高住神社は明治まで豊前坊と呼ばれていましたが、神仏分離令により,現在は高住神社となっています。
豊前坊天狗神として有名で、欲深く奢りに狂った人には天狗を飛ばせて子供をさらい、家に火を付けたりして慈悲の鉄槌を下し,心正しく信仰する人には家来の八天狗をはじめ総ての天狗を集めて,願い事を遂げさせ其の身を守ると伝えられてきました。」とある。
 ■土曜
(13:00〜)祭典。(14:00〜)神輿お下り)。(15:00〜)御旅所、稚児舞のちに着輿祭。
 ■日曜
(14:00〜)御旅所お発ち、稚児舞のちに発輿祭。(15:00頃)神社お着き。
桝田753 八幡神社
上落合(落合1150 上落合太祖神社 5月 上落合獅子楽 境内社須佐神社
下落合(落合3583) 高木神社 5月 下落合獅子楽
 ■津野地区
上津野 高木神社 5月 神幸祭 神輿
神楽 津野神楽
下津野 高木神社 5月 神幸祭 神輿
神楽
津野神楽=高木神社(上津野、下津野)の神幸祭に奉納される神楽で、演目は10 数種に及ぶ。豊前地方に伝わる岩戸神楽の基本的な型とほぼ同様であり、その源流は、旧築上郡上城井村伝法寺、岩戸見神社にさかのぼると伝えられる。
昭和20年に津野神楽講が発足。さらに昭和46年(1971)に保存会が発足した。
 【油木(あぶらき)ダム】
昭和38年(1963)着工。昭和46年(1971)竣工。155戸、津野支所・小学校・中学校・郵便局・駐在所・消防支所・公民館・農協支所が水没。
 【陣屋ダム】
昭和42年(1967)着工。昭和50年(1975)12月竣工。1世帯水没。

 大任町
    大行事:福田、元松、白土、安永、成光、柿原、秋永
      現在の大字:成光、秋永、島台、安高(あだか)、梅田、大峰、小林、柿原、熊本、幸神町、小峰、下伊原、上元松、下元松、西白土、根床、灰ノ木、万才町、東伊原、東白土、福田、森山、安永
    今任原:上今任、下今任、桑原

      現在の大字:上今任、下今任、池本、上峰、皿山、桑原、玉川、道善、日豊、不動、峰、向田 など
成光(大行事2496−1) 高木神社 5/2、3 神輿
幟山1台
昭和45年頃までは下今任と同じく野原八幡神社氏地で下今任と合同で5/7、8に神幸祭を行い、幟建てや神輿担ぎ3名、諸経費の1/3を負担したが、高木神社を勧請して独立した。
秋永(大行事) 貴船神社 5/3、4 神輿
鳥台(大行事) 5/3 神輿
安高(大行事) 5/2、3 神輿
梅田(大行事) 菅原神社 5/2、3 神輿
小林(大行事) 貴船神社 5/1土日 神輿1、子供神輿3
担ぎ山笠休止
神輿=平成9年に神社の改築を機に神輿1基、子供神輿3基が寄進された。

山笠=担ぎ山笠で担ぎ手も多くいったが、添田から迎えがきたので添田町の庄地区まで運行されたこともある。しかし炭鉱の閉山等で人口減少したので、昭和32年頃より運行を休止。
柿原(大行事2986 あたり) 菅原神社 5/2、3 神幸祭 神輿
お仮屋には出店があり、夜には赤村より大内田神楽社中を招いて一緒に神楽を奉納したが、現在はカラオケ大会になっている。
元松(大行事) 丹波神社 5/2、3 例祭
西白土(大行事) 菅原神社 5/2、3 神輿
灰ノ木(大行事) 5/2、3 神輿、子供神輿
東白土(大行事) 貴船神社 5/2、3 神輿
福田(大行事) 高木神社 5/2、3 例祭
安永(大行事4199) 安永神社 5/2、3 神幸祭
子供山笠
上今任 野原八幡神社 4/下旬 神幸祭 神輿、子供神輿、樽みこし など
幟山1台 休止
山笠=犀川町の生立八幡神社のもうのを購入。昭和26年頃までは神輿と共に廻った。そして昭和29年まで運行した。
下今任(今任原3124) 野原八幡神社 5/2、3 神輿 飾付け
幟山1台
神輿=8人担ぎの大きなものだったが、現在は飾付けで、子供樽みこしを曳いている。

幟山(山笠)あり。また往古は赤村より大内田神楽社中を招いた。
皿山(今任原3522) 白蛇神社 5/2、3 山笠
桑原(今任原2719) 桑原神社 5/2、3 例祭
玉川(今任原3992) 貴船神社 5/2、3 山笠
山笠=昭和34年頃までは、桑原地区と合同で行っていた。昭和40年代前半までは担ぎ山笠だったが、現在は曳き山笠。
道善(今任原3467) 吉武神社
峰(今任原1196 あたり) 貴船神社 5/1土日 神幸祭 神輿、子供神輿
山笠
向田(今任原1999) 出雲神社 5/2、3 幟山1台
幟山(山笠)平成12年新調。地元の大工の作。制作費は約300万円。風冶八幡神社川渡り神幸祭の山笠と同タイプ。
 初代は昭和29年5月創建。制作費は4万9500円で、今も区公民館には初代山笠の写真や世話人、奉納者、寄付金の氏名・金額が残されている。
富士見ヶ丘=5/2。神輿。
 ※神幸祭=4/下旬〜5/上旬に各地域ごとに色とりどりのバレンで飾りつけられた山車や神輿が舞い、町中が賑わう。

 赤村
   赤:上赤、下赤、山浦
   内田:大内田、小内田
上赤(大字赤1517) 光明八幡神社 5/4、5 幟山2台 本河内、枝河内
下赤(大字赤3602−1) 我鹿八幡神社 5/4、5 山笠1台 山笠保存会
子供会山笠 昭和59年地元の大工佐々木光之丞の作。
山笠(川東、油須原 川東は昭和36年が最後。
山笠(川西) 川東の5、6年後が最後。
平成5年13年ぶりに山笠を復活。復活にあたって今まで山笠と神輿の運営を川東が4つの組、川西が三つの組で順に持ち回りを山笠だけは取りやめ“山笠保存会”に委託という形にし、川西の山笠をベースに川東の部材も利用。また油須原の部材は焼却したものが多いが利用の許可を得た。 
神幸祭の記録は文化元年(1804)の記録が最古である。古くは「大山祭」と呼ばれ、下赤地区の集落(油須原・川東・川西・合田・山浦など)が山笠・神輿を持ち寄っていたが、次第に各集落単位で行われるようになった。
山笠については戦後人手不足のため消滅した。平成5年、山笠保存会により、かつての3基のうち1基が復活し、現在に至っている。神幸祭を取り仕切っていたのは、かつては組内の当番組であったが、のち青年団の手に委ねられ、現在は山笠保存会・子供会が中心となっている。
油須原 秋葉神社 10/1土日 山笠1台
昭和30年代初期までは、春の神幸祭に光明、我鹿と同型の大きな山笠が出ていた。諸般の事情により中止になったが、その後は秋の神幸祭に子供山笠が出るようになった。平成8年より一時休止になったが、再び出ている。
内田3862 大祖神社 4/28、29 神幸祭 休止
大内田神楽
大内田神楽=明暦元年(1655)に始まると伝えられている。大内田地区に牛馬の疫病が流行し、困り果てた村人が、氏神様である大祖神社にうかがいを立て、おみくじを引いたところ、「4月に神楽をすればよい」とのお告げがあったため、それ以来、「家が3軒になるまでやめない」という万年願として行なわれるようになった。
 現在の神楽は、築上郡の赤幡神楽から神太郎右衛門と言う神職の指導を受け、12名で神楽講を形成して始まった。戦時中は舞手が不足したため一時中断したが、戦後再興した。
 ★展示場
 【田川市石炭・歴史博物館】
田川市大字伊田2734−1。рヘ0947−44−5745.9:30〜17:30(入館は17:00)。定休日は月曜。(月曜日が休日にあたる時は、火曜日。火曜日以降も休日が続く場合は、連休終了日の翌日)。年末年始(12月29日〜1月3日)。
入口に下伊田の先々代の山笠を展示。この山笠は1966年、夏吉(吉田地区)より購入。昭和57年(1982)まで使われ、田川市石炭・歴史博物館に寄贈された。
また神輿が2階に展示。元・三井松原炭鉱社宅の神輿で昭和12年(1937)制作。