≪飛騨≫

     高山市(旧・高山市)

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪高山市≫
  平成17年(2005)2/1、高山市大野郡宮村、丹生川村、清見村、荘川村、久々野村、朝日村、高根村吉城郡国府町、上宝村が合併。
 ◎旧・高山市
 ■高山地区
城山156 日枝神社 4/14、15(毎年) 神輿 2基
屋台12台 神楽台(上一之町上組)、三番(上一之町中組)、 麒麟台(上一之町下組)、石橋台(上二之町上組)、五台山(上二之町中組)、鳳凰台(上二之町下組)、 恵比須台(上三之町上組)、龍神台(上三之町下組)、崑崗台(片原町)、琴高台(本町一丁目)、大国台(上川原町)、青龍台(川原町)
獅子舞 森下組
神輿=文化13年(1816)6月建造。谷口五兵衛の作。縦1、64m。横1、64m。高さ2、22m。2基あり、1基は日枝神社境内神輿庫に、もう1基は御旅所神輿庫に保管。神輿組は12組よりなる。
慶祥組(本町一丁目裏町)=天領時代からの神輿組。現在は船坂酒造のレストランと長瀬旅館。

有楽組=昔は裏町(浦町)と言った神輿組。

瓢箪組(上三之町下組)=神輿組。

三安組(上三之町の一部)。神輿組。

敬慎組(上二之町中)=神輿組。長瀬屋弥兵衛という家が中心で12戸ほどあった組で、南車台組にも石橋台組にも属さない組だった。NTTの駐車場のところにたくさん家があったが、現在は長瀬旅館一軒の組。

石橋神明組=詳細不詳。

橘組=麒麟臺から分れた神輿組。

城坂組(馬場町1丁目)=明治24年に三番叟より独立して神輿組になった。

絃上組神明町3丁目にあたる。

上神明組
(神明町)=石橋台組から分かれた。

森下組
(森下町)=神社入口。徳兵衛獅子。

片野組
=平成24年(2012)、子供たちによって奉納される神楽舞が約50年ぶりに復活、同神社御旅所(同市川原町)で披露された。男児が受け継いできたが、子供の減少と、指導者が亡くなったことが重なり、1958年頃に途絶えた。 平成22年(2010)かつて舞を経験した同会の60代以上の男性たちが「神楽舞保存会」を立ち上げ復活に尽力した。
神楽台(上一之町上組=屋根無。太鼓昇降。四輪外御所車。
初めは白木の枠に太鼓を吊って2人で歩いていたが、文化年間(1804〜18)に屋台にする。
 嘉永7年(1854)に改修して現台形になる。大工は谷口延儔。
明治26年3月改修。大工は村山民次郎。塗師は田近宇之助。金具は井上芳之助。
彫物は制作年不明で“白彫獅子”。彫師は谷口与鹿。

 祭礼時に、侍烏帽子、素襖姿の5人の楽人を乗せ、獅子を舞わせて全屋台に先行する。
三番叟(上一之町中組)=切破風屋根。四輪内板車。屋台曳行順のくじは、必ず「一番」を引くことになっていて、神楽台についで他の屋台に先行する慣例である。
 創建は宝暦年間(1751〜64)で“恩雀”と呼ばれていた。天明年間(1781〜89)に“翁台”と改称。文化年間に“三番叟 と改称。
大工は牧野屋忠三郎・彦三郎親子。人形は4代目で大正5年に京都で3000円余りで制作。
からくりは演技時間約10分。三番叟人形が謡曲「浦島」に合わせて機関樋を前進。三番叟人形が謡に合わせて膝をかがめ、聯台の上の扇子を左手に、鈴を右手に取る。箱の中に顔を伏せ、再び顔を上げると、「翁の面」となり、謡曲「翁」の仕舞いを演じる。

このからくりの人形扇子を平成14年(2002)龍村美術織物で復元新調。
麒麟台(上一之町下組)=切破風屋根。四輪外御所車。
国主金森氏より拝領した麒麟の香炉が組内(石川家)にあったので文化10年(1813)に改称した。
 弘化2年(1845)秋に初め2年後に完成。大工は谷口延恭。彫物は谷口与鹿により「唐子群遊」。中川吉兵衛は「牡丹」が彫られる。塗師は輪島屋藤兵衛。
 大正改修で彫師は村山群鳳。中段の麒麟の彫刻など。塗師は田近卯之助。
 昭和46年修理。

 天明4年(1784)3月に、組内の今見屋藤左衛門より出火し焼失。
 文化3年(1806)に鉄縄(かんなわ)という名で再建。翌年に“よしの静”と改称。
石橋台(上二之町上組)=切破風屋根。四輪内板車。
文久3年(1863)に起工して慶応元年(1865)に完成。設計は村山勘四郎。大工は畠中久造。
彫師は下段獅子(玉取獅子)が村山勘四郎、中段龍が浅井一之、牡丹が中川吉兵衛。
からくりの石橋人形は明治25年(1892)に風紀上よくないと禁止され、百余年を経過したが、昭和59年(1984)新しく再現された。
からくりは演技時間約10分。艶麗な美女が「英執着獅子」の長唄に合わせて扇を手に舞う。続いて扇を毛獅子に持ち替えて舞う。踊っているうちに打掛けがまくれ、尻から獅子頭が飛び出して獅子舞を披露。再び美女に戻り、紅白の牡丹を手に舞う。

見送り幕は朝鮮の段通。

 創建は天明年間(1781〜1789)と伝えられ、文久3年(1863)頃に古川町一之町下組へ譲渡するが元治2年(1865)2/25の大火で焼失。
五台山(上二之町中組)=切破風屋根。四輪内御所車。
天保8年(1837)再建。大工は谷口延恭。
明治20〜23年改修。大工は、村山民次郎 。二代目立川和四郎により“飛獅子”が彫られる。昭和48年修理。
車は京都御所御用車師中川万吉の作。
見送り幕は「雲龍昇天図」。明治の帝室技芸員幸野楳嶺の下絵。平成14年(2002)龍村美術織物で復元新調。以前のは京都西陣で作られた綴錦織。
 創建は不詳だが、古記録に寛政年間(1789〜1801)に盧生の台名で操り人形があったとされる。
文化年間(1804〜18)に改修され、中国名山の「五台山」と名を改めた。しかしながら天保3年(1832)の火災でに焼失。
鳳凰台(上二之町下組)=切破風屋根。四輪内板車。
天保6年(1835)再建。大工は原屋喜助、牧屋忠三郎・彦三郎親子。5代目?。明治8年(1875)、大正年間に小修理。昭和37年〜39年に大修理。
初期の屋台形態を残す堅牢で質実な屋台。
 創建は不明だが、寛政11年(1799)の古記録には大黒天のからくりの人形を大国台に譲るとある。
その後文化4年(1807)には「迦陵頻(かりょうびん)」の名で曳行している。またその当時、「鹿島台」と呼ばれていたこともあるが、文政5年(1822)に「鳳凰台」と改称した。
 先代は天保3年(1832)に完成したが、わずか1回曳いたのみで、天保3年の火災で焼失した。
恵比須台(上三之町上組)=切破風屋根。四輪内板車。
明和年間(1764〜1772)、越前宰相より大幕等が下附されたことは高山富裕町人の大名貸を想起させ、当時すでに屋台があったことがわかる。初めは「花子」と呼び文化7年(1810)に「殺生石」と改名。祭神に恵比寿神を祀ることから「蛭子」と呼ばれることもあったが、天保年間(1830〜1844)頃から「恵比寿台」となった。弘化3年(1846)から三年間かけて大改造。谷口与鹿により“雌雄龍、子連れ龍、手長足長”が彫られる。昭和43年修理。
見送りは幡見送りといわれる形式で、西欧の風俗を画材とした綴錦織。
御簾は平成14年(2002)龍村美術織物で復元新調。
鯉の伊達柱は藤原家孝卿の牛車に使用されたものである。
龍神台(上三之町下組)=切破風屋根。四輪内板車。
明治13〜15年の大改造で唐破風屋根を現在の切破風に替えた。大工は谷口宗之、塗師は小谷屋正三郎。
昭和43年12/8に入魂式して村山群鳳(二代目)作の下段に彫物“龍神”を入れる。
平成13年4/5、修復入魂式。120年ぶりの全面修理で漆、金箔塗り替え。欠損していた彫刻の補充。大板車(車輪)の新調。総経費は4,900万円。
 からくり人形は昭和53年(1978)制作。
からくりは演技時間約10分。屋台上段に突き出している8尺余りの機関樋を古代錦に包んだ壷を持った唐子が先端の輦台に置いて引き返す。竹生島の謡曲が始まると突然に壷が開き、2倍もある大きな赤ら顔の龍神が現れて撞木を振りかざして紙吹雪を撒き散らしながら荒々しく舞う。
 先代は文政7年(1824)頃から昭和52年まで使われた。
見送りは試楽祭には望月玉泉筆の「雲龍昇天図」。本楽祭は久邇宮朝彦親王の書で、明治天皇の鳳輦の裂れで表装されたものを用いる。
 創建は不明だが、安永4年(1775)に弁財天像に猿楽を舞わせたとの記録がある。
 文化4年(1807)に屋台曳順の「龍神」という台名がみえる。またこの頃、竹生島弁財天にちなみ、「竹生島」とも呼ばれた。
崑崗台(片原町)=切破風屋根。四輪内板車。
嘉永2年(1849)に大改造。大工は上野屋宗次。塗師は島田屋小三郎。その後、昭和9年〜11年、昭和41年修理。
切妻屋根の妻側に三本の金色御弊を立て、屋根の中央に金魂を現す宝珠を載せている。
かつて林和靖と唐子のからくりがあり、その名残の唐子人形を載せている。人形師は京都の幸左ェ門。
見送り幕は中国産の刺繍「寿老と鹿の図」。
 創建は安永3年(1774)の組内古記録があるのでこれ以前と思われる。文化4年(1807)には「「花手まり」、「林和靖」、「金剛台」の名を経て嘉永2年(1849)の改造時に現台名となる。
琴高台(本町一丁目。元・上向町)=切破風屋根。四輪内板車。
天保7年(1836)から9年にかけて組内に住んでいた谷口与鹿が大改造。金具は伊勢屋治左衛門。塗師は輪島屋儀兵衛。
明治26年改修。大工は岩瀬嘉七。塗師は町田吉兵衛。彫師は津田亮定。昭和41年修理。

大幕は鯉魚と波浪。伊達柱は黒塗地に鯉の滝昇りの大金具。欄間は鯉魚遊泳の彫刻があるなど、鯉づくしの意匠。
本見送りは徳川家16代家達書の琴高仙人の詩。替見送りは垣内雲りんの琴高仙人図。
 文化4年(1807)創建か?。嶋倉屋新七組“布袋”で名が出る。12年に“琴高”と改称。
大国台(上川原町)=切破風屋根。四輪内板車。
弘化4年(1847)大改修。大工は石田春皐。彫物は明治16年に“白彫獅子”。彫師は土村英斎。最近では昭和39年修復。

 創建は寛政8年(1796)。当時は日枝神社の宮寺松樹院にちなみ、「松樹台」と称した。
 寛政11年(1799)3月に、上二之町下組の鹿島台(現・鳳凰台)から大黒天像を譲りうけて大国台と改名した。
青龍台(川原町)=入母屋造屋根。四輪内板車。
嘉永4年(1851)焼失より18年目に再建。明治23年大改修。昭和30年修理。唯一の入母屋造り。全体が天守閣の屋根を表現。明治期の改修時の大工は船坂栄蔵他。
 創建は不詳だが、明和3年(1766)には能舞台形式の屋台があり、“道成寺”という名称で曳行し、「娘道成寺」のからくりをしたが、天保3年(1832)8/17に組内より出火のため焼失した。
 【屋台廃絶】
黄鶴台
(上一之町2丁目西側の組)=創建は寛政10年(1798)以後か?
 文化4年(1807)には“鉢ノ木”として曳いている。“黄鶴台”と名乗るのは文化13年(1813)である。
 黄鶴台の廃台の理由は安政の初めに屋台を道路で組み立てている時に火事があり、通る火消しが屋台が邪魔と言って鳶口で叩いたことから火消し組と屋台組が喧嘩となる。火消し組に謝らせたもののこうしたことから、安政6年(1859)に古川の殿町に売却。現在の青龍台である。
 その後記録では、明治26年に太平楽を23円で購入とあるが、金額的に旗台旗のようなものか?

南車台(上二之町中組の魚横丁(本局通り)をまたいだ組)=天保年間(文政説もあり)に味噌醤油商の森七(七左衛門、彦兵衛と一代毎に交互に名乗る)が森七左衛門が寄贈したもので、俗に“森七の屋台”と呼ばれ曳くのも殆ど森七の使用人だったらしい。。さて明治31年の火災は森家が火元で組内が全部類焼した。ちょうど郡上八幡の本町が買いに来て売却が決まる。代金は一軒に5円ずつ分けたということから5、60円か?。八幡町では2年ほど曳くが解体保存中に大正初年の火災で焼却したとも、空地に放棄して破損消滅したともいう。
 天保5年(1834)に“指南人形”の記録がある。文化13年(1816)の曳き順から“南車台”となる。

太平楽
⇒文化8年(1811)3月に神楽台組より分離。10年より屋台を出す。以後明治25年まで曳いて75年の歴史を閉じ、再び神楽台組に合同。=明治26年6月に“太平楽”を黄鶴台組に23円で売却し、代金を“神楽台”の改修費に入れた。

応龍台(本町二丁目。元・中向町)=文政年間制作。谷口与鹿、松田亮長、今村面平といった当時の有名な彫刻師たちが関わった屋台だが、
明治5年旧2/13に上向町(現・本町1丁目)の南部屋より青木庄兵衛宅から出火のため焼失。
陵王台(西町と中町=西川原町、中川原町)=屋台曳順に姿を見せるのは安政4年(1857)ではあるが、屋台は未だ作らず。
獅子舞=神社入口の森下町が奉仕。森下組は、もともと神輿組であったが、昭和27年以降は獅子組を作り、神楽組と共に神社に奉仕している。

桜町178 桜山八幡宮 10/9、10 神輿
屋台11台 神楽台(八幡町・桜町)、布袋台(下一之町上組)、金鳳台(下一之町中組)、大八台(下一之町下組)、鳩峯車(下二之町上組)、神馬台(下二之町中組)、仙人台(下三之町上組)、行神台(下三之町中組)、宝珠台(下三之町下組)、豊明台(大新町一丁目)、鳳凰台(大新町一・二・三丁目)
御神幸は、警固、榊、獅子舞、闘鶏楽、大太神楽、雅楽、神輿、警固の行列である。
神輿=明治21年から5ヶ年かかって建造。八角形。重さ約二トン半の大神輿。
以前は文政年間に建造されるが、明治8年の大火のため焼失。
神楽台(八幡町・桜町)=屋根無。太鼓昇降。三輪外御所車。
 享保3年(1718)には氏子の有力者風井屋長右衛門が神楽台を新調寄付した。
 文化12年(1815)に大改造。設計は田中大秀。大工は風井屋長右衛門。
 嘉永年間(1848〜54)に修理。明治37年に現在の台形に改造された。大工は村山民次郎。
 昭和9年、昭和41年修理。
彫物は明治37年“狂獅子”の彫師は浅井一之。菊の彫師は村山民次郎。
棟飾りの鳳凰。天照、八幡、春日の三神を表した金幣束がある。
 塗師は長倉助五郎。
 幕は西陣刺繍。下絵は村山民次郎。
 祭礼時に、侍烏帽子、素襖姿の5人の楽人を乗せ、獅子を舞わせて祭礼に巡行。

宝永5年(1708)に飛騨の領主の弟の金森重勝から寄進されていた大太鼓を、径2尺くらいの寸胴切りの荷車に欄干を付けたものに載せ獅子舞を舞わせて祭礼に巡行したのが始まり。
布袋台(下一之町上組)=切破風屋根。四輪内板車。
文化8年(1811)7/28再建。8/8付けの再営決算書も保存。総費用は85両1分と銀2匁2分。大工は古田与次平、彫師は中川吉兵衛。
 蒔絵は山崎要兵衛。
 金具は袋屋忠蔵。
 最近では昭和42年修理。
カラクリは男女2人の唐子が綾(フランコ)に飛び付き、3つの綾と2つの巻を交互に回転しながら前方に進んで機関樋(からくりどい)の先に居る布袋和尚の背と右手に乗ると、和尚が持っている軍配が「和光同塵」の旗に変わるという趣向で、通称「綾渡り」と言われている離れカラクリである。

 創建年代は不詳だが、緋羅紗幕の箱書には寛政3年(1791)とあるので、宝暦から明和初年(1760)に創建されたと考えられている。
金鳳台(下一之町中組)=切破風屋根。四輪内板車。
文政元年(1818)に再興。酒造家の吉野屋の寄贈。文化15年(=文政元年)3/5〜7/14まで大工半三郎他名。塗りは和島屋勘兵衛の請負。
嘉永五年(1852)に改修。大工は角竹屋茂助、塗師は大野某。その後数度の修理をする。
人形は二代目で神功皇后と応神天皇を抱く武内宿禰。前は神功皇后の鮎占い。
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っている。中段欄間には、四条派風に四季の草花が描かれている。

 創建は不明だが、享保3年(1718)に笠鉾「七五三」として曳行に加わったという伝承があり、また天明年間(1781〜89)に曳行の記録もある。文化年間(1804〜18)に一時休台。
大八台(下一之町下組)=切破風屋根。三輪外輪御所車。
文化末年に文政台組(下一之町中組)と分かれ、文政元年(1818)に高山で最初の三輪の屋台として創建された。最近では昭和46年修理。文政創建時の大工は光賀屋清七。塗師は輪島屋儀兵衛。明治改修の大工は村山民次郎。
屋根飾りは両端に八幡、春日大神を表す大金幣束。
鳩峯車(下二之町上組)=切破風屋根。三輪外輪御所車。
天保8年(1837)に再建。この時四輪より三輪御所車となり、台名も「鳩峯車」と改めた。大工は牧屋忠三郎・彦三郎親子。塗師は源右衛門(古川)。彫師は角竹屋茂助、安政年間(1854〜60)にも大破のため休台し、慶応3年(1867)修理、明治27年(1894)大修理その後も数度の修理を重ね現在に至る。明治改修時の大工は村山民次郎。 彫物は文久元年(1861)で“双龍”。彫師は江黒尚古。
 人形は元・大津絵の外法梯子剃りの福禄寿と童子の繰り人形があったが、大破し今は高砂人形(神馬台より譲受)を祭神としている。
見送り幕、胴掛けは綴錦織の高価なもので、天保再建の際、購入したもの。

 創建は延享四年(1747)。当時は「大津絵」という台名で「外法の梯子剃り」と呼ばれる福禄寿と唐子のからくり人形があった。文政9年(1826)、神馬台に破損され大破のため休台した。代償として高砂人形を譲られる。この屋台本体を天保7年に金山町の八幡神社に売却。車は牛若台に譲渡。
神馬台(下二之町中組)=切破風屋根。四輪内板車。
明和6年(1769)再建。

文化13年(1816)に神馬と烏帽子姿の白丁2人の人形を新調し、この頃から「神馬台」と呼ばれた。文政13年(1830)再改造。明治35年修理。その後も何度も修復している。
御簾は平成14年(2002)龍村美術織物で復元新調。

 享保3年(1718)から「高砂」の名で曳行したという。
仙人台(下三之町上組)=唐破風屋根。四輪車内板車。
古記録には寛政5年(1793)頃には仙人台と称している。文政年間(1818〜30)改修。大工は古田与次兵衛、中川吉兵衛。彫師は谷口与鹿、浅井一之。その後数度の修理を重ねて現在に至る。

からくりは当初は久米の仙人と美女のからくり人形があったが、明治初期に禁止され現在は仙人の像のみ。
行神台(下三之町中組)=切破風屋根。四輪内板車。
享保3年(1718)の八幡まつりに参加した「湯の花台」が仙人台と行神台に分かれた。
明治8年の大火で一部類焼し、同16年に再興したが、10年ほどで再び休台。
昭和26年に大修理をして50年ぶりに復活。
宝珠台(下三之町下組)=切破風屋根。四輪内板車。
文政12年(1829)制作。大工は中洞村喜三郎。明治41年改修。大工は村山民次郎、遠藤秀之助、南城鉄之助。塗師は田近卯之助親子と直井惣三郎。
昭和57年、下段の彫物を東彫刻(東勝廣)が刻む。
 創建は不明だが、古記録には「文政10年(1827)屋台古び・・・」の記載がある。
豊明台(大新町一丁目)=切破風屋根。四輪外御所車。
創建時は不明だが、「芦刈」という台名でからくりがあったという。天保6年(1835)の古記録に名がある。この時に改造し、「豊明台」と改称。明治33年から3ヶ年の改修で立派になる。改修時の大工は村山民次郎。
  彫物は明治32年で“白彫獅子”。彫師は不詳。
鳳凰台(大新町一・二・三丁目)=切破風屋根。四輪内板車。
文政12年(1829)の古記録からこの時に創建か再建されたと思われる。その後嘉永4年(1851)の改修(大工は谷口延恭)を経て明治43年8月に完成。明治改修時の大工は村山民次郎。
彫物は安政2年(1855)で“谷越獅子”。彫師は谷口与鹿と弟子の浅井一之。
本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織、替見送りは西村五雲筆の龍の墨絵。
 ≪桐山焼き≫
 明治8年4/24に下二之町桐山源兵衛宅より出火した火事のため、下三町、新町、鉄砲町、若達町、寺内町の1,032戸と土蔵44棟、八幡神社が焼失し、屋台も多く焼失した。現在は台車。

浦島台(一之新町組)明治5年35両かけて大改修行うが明治8年の大火で焼失し今は無い。御所車三輪の小型屋台。からくりは白い鳩と白髪の老人。

文政台(下一之町中組の板屋組)=明治8年の大火で焼失。屋根は唐破風。伊達柱は無く、下段は黒銀砂子に朱塗りの格子で、板車四輪と伝えられる。
また享保3年の記録には、”猩々”という名前の屋台で何年か曳かれてとある。
 大正期に復元がもくろまれ、村山群鳳に設計を依頼したが、実現しなかった。


牛若台(寺内町組。下一之町)
=文政元年(1818)制作するが、明治8年の大火で焼失。
名工 水間相模とその一族の作。保管は、照蓮寺の縁の下へ解体して入れておき、付属品は組内で保管していた。
当初は“橋弁慶”と称す。天保元年(1829)に“牛若台”と改称。

舟鉾台(下二之町下組)=明治8年の大火で焼失。祗園祭の舟鉾を模したもので、碇を台紋としており、屋台の後部に大きな碇を載せていたので、「錨台」とも呼ばれていた。緋羅紗には裾に三本の青い筋を刺繍して水を表したという。唐破風の屋形船で四輪だった。
 ≪台車≫
大正台
(大新町四丁目)=大正年代に入って屋台組を作り、時の年号を台名としたが、屋台を作っていない。

水門台(大新町5・6丁目)=台名旗で祭りに参加。昭和43年、正式に屋台組として認められた。

佐久良組(下三之町桜組)⇒明治40年。行神台組より独立。
神田町2丁目114 飛騨総社 5/4、5 屋台1台 神楽台
飛騨地方18の神々などを祀る。御神幸は約1000人。県指定文化財の神楽台や、親子獅子舞も出る。
神楽台⇒屋台蔵は神田町2丁目100。
=飛騨総社を再興した国学者田中大秀の提唱で、初め箱形の台に高欄をめぐらし胴長太鼓をのせて2人で担いで祭礼に巡行したが、嘉永3年(1850)現在の台形に改造した。その後破損休台したが、昭和41年に修理した。

嘉永の改造の大工は松田亮長(すけなが)。屋根をもつ神楽台。屋根飾りに常世の長鳴鳥(ながなきどり)を配し、上段高欄には源氏物語の中の特に音楽に関連ある巻々の絵と源氏香を配し、下段に富士、鷹、茄子の彫刻。見送りは「岩と花に獅子を配した図柄の朝鮮綴」。
若達町1−74 東山白山神社 5/4、5 神輿
屋台1台 神楽台
神輿⇒神輿蔵は若達町1−3−1。神輿が出来て2年後の明治17年(1884)建造。史料「明治17年 神輿蔵新築雑費簿」から判る。
大正期には、道路付け替えにより、同敷地内で移転され向きを変更している。
神輿は市指定有形民俗文化財。棟札によれば、明治15年(1882)1月に新調。大正13年(1924)4月に改修。谷口宗之(与三郎)と松木徳兵衛の作。塗りは二木万治郎。
神楽台⇒屋台蔵は鉄砲町60−2。
=明治24年制作。大工は村山民次郎。昭和38年完成。起工より70余年。
創建は弘化4年(1847)5月起工。谷口与鹿の作。大太鼓枠は社宝になる。2頭の龍の彫刻。
天性寺町 東山神明神社 5/4、5 屋台1台 神楽台
八軒町3−9 一本杉白山神社 4/15 例祭
天満町2−30  飛騨天満宮 4/14、15 徳兵衛獅子舞 市無形民俗文化財
上野町671 松森神社 4/28 行列、獅子舞、闘鶏楽
松ノ木町109−2 大八賀神社 4/29 行列、獅子舞、闘鶏楽
天堤(あまつつみ) 天堤神社 9/1 祝詞のみ
大洞町364 白山神社 9/3 祝詞中、大太神楽
 ■灘地区
岡本町2−128 辻ヶ森三社 4/15 行列、獅子舞
下岡本町1611 富士神社 5/5 例祭
松本町1789 住吉神社 4/29 行列、獅子舞
本母町122 本母国都神社 9/15 子供神輿、裃姿の警固 獅子舞、伊勢神楽、闘鶏楽、大太神楽
冬頭町1670 冬頭神社 4/25 行列、獅子舞
 ■大名田地区
石浦町3204 若宮八幡神社 9/23 神輿、裃姿の警固行列
赤鬼、青鬼、神楽、槍踊り、獅子舞、闘鶏楽、雅楽、浦安の舞
千島町684 千島白山神社 4/15 獅子舞 徳兵衛獅子舞
西之一色町3丁目1004 東照宮 4/15 東照宮おかめ舞 市無形民俗文化財
江名子町368 錦山神社 5/4、5 獅子舞 徳兵衛獅子舞
神楽台廃絶 白川村飯島の八幡神社に売却
江名子町946 荏名神社 5/3 例祭
江名子町字宮ノ前1147(上江名子) 賀茂神社 4/29 行列、獅子舞、闘鶏楽
【賀茂神社記録】 に
     明治9年八月新造  間口四尺五寸。奥行八尺 。上に大太鼓を吊り
     太鼓叩き三人 笛二人を乗せ村中曳廻す。
     大工 高山西町 西田伊三郎 OO 保木保十郎郎

  神楽台売払
    年々例祭盛大になり 総て道具多くなりし故人足の不足より是を売り払う事とせり。
    一、売渡先   阿多野郷万石区
    一、代金    四円也
   明治25年8月   区長 谷口善五郎 」とある。

※これは上江名子の賀茂神社から朝日町万石に譲渡された事を示す史料で、万石の神楽台は、上江名子から朝日町万石へ売却されたものであると思われる。
花里町2 花里八幡神社 4/15 浦安の舞
 ■上枝(ほずえ)地区
前原町149 諏訪神社 9/9 大太神楽、雅楽、獅子舞
赤保木町22 熊野神社 9/4 子供神輿、裃姿の警固
獅子舞、大太神楽
上切町1223 白山神社 9/7 子供神輿 獅子舞、神楽、雅楽
中切町1466 中切神社 9/5 神輿
獅子舞、大太神楽、雅楽
下切町1118−2 旭ヶ岡八幡神社 4/29 例祭
下切町2136 諏訪神社 9/6 神輿 獅子舞、金蔵獅子、神楽、雅楽
下切町2326 三枝神社 9/6 神輿 獅子舞、金蔵獅子、神楽、雅楽
下林町2387 白山神社 9/8 獅子舞
山田町69 白山神社 9/8 神輿、子供神輿、裃姿の警固
獅子舞 大太神楽、闘鶏楽
下之切町463 白山神社 9/2 子供神輿、裃姿の警固
獅子舞、大太神楽
新宮町1640 新宮神社 9/連休土日 神輿、高張提灯
獅子舞、闘鶏楽
八日町1642 白山神社 9/9 大太神楽、雅楽、獅子舞
 ■大八賀地区
松之木町109−2 大八賀神社 4/28 例祭 通称:松之木のお宮
松之木町2112−1 日の出天満神社 5/3 例祭
漆垣内町505−2 四天王神社 9/15 例祭 通称:天王神社
漆垣内町963 二之宮神社 9/連休 神輿
神楽、獅子舞、雅楽、闘鶏楽
漆垣内町2652−2 諏訪神社 9/15 例祭 通称:諏訪様
大洞町364 白山神社 9/3 祝詞中、大太神楽
塩屋町209 五社神社 9/1 例祭
塩屋町1600 白山神社 9/1 例祭
山口町182 櫻ヶ岡八幡神社 4/29 行列、獅子舞、闘鶏楽 通称:山口の八幡
大島町60−3 八幡神社 4/26 例祭
岩井町川原田2003 岩井神社 9/3土曜 神輿
扇の舞、浦安の舞、アサヒコの舞、獅子舞、闘鶏楽
滝町栗田洞1012 津島神社 9/19 獅子芝居
滝町字和田平2020(生井) 白山神社 9/20 獅子舞、大太神楽、闘鶏楽

 ★展示場     
 高山屋台会館
高山市桜町178。 0577−32−5100。8:30〜17:00(3月〜11月)、9:00〜16:30(12月〜2月)。年中無休。入館料は大人820円。
館内を赤い袴姿の巫女さんが案内してくれる。神輿や秋の高山祭の屋台11台を約4ヶ月ごとに4台ずつ入替展示している。
 【飛騨高山獅子会館 からくりミュージアム(公式HPへ)】
高山市桜町53−1(桜山八幡宮)。 0577−32−0881。9:05〜16:25。不定休。
からくり師による5種類の屋台からくりの上演を行っている。また全国各地から集められた獅子頭約300点を展示(在庫は800余点)。
 【まつりの森(公式HPへ)】
高山市千島町1111。рO577−37−1000。9:00〜17:00。(12月21日〜3月20日は年末年始、日曜祝日以外は休館)。
“日本初の地中ド-ムに実物の1/3で作られた秋の高山祭り屋台や日本一の神輿。世界一の大太鼓がある。
 【飛騨高山まちの博物館(公式HPへ)】
高山市上一之町75。рO577−32−1205。休館日は無休(ただし臨時休館あり)。開館時間は展示室:9:00〜19:00。研修室:9:00〜21:00。庭園:7:00〜21:00。入館料は無料。
かつての高山市郷土館。旧・米蔵展示室には恵比須台模型、屋台設計図、かつて活躍したからくり人形、祭り衣装、神楽台の太鼓わく、古文書などが展示。
太鼓枠=元・錦山神社⇒白川村・飯島八幡神社⇒白川村・鳩ヶ谷八幡神社⇒高山市郷土館へ。