北 海 道

  ≪檜山地方≫

   
檜山郡[江差町、上ノ国町、厚沢部町]、爾志郡[乙部町]、瀬棚郡[せたな町、今金町]、奥尻郡[奥尻町]

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪檜山郡≫
 江差町
姥神町99 姥神大神宮 8/9~11(毎年) 神輿 4基
山車13台 神功山(愛宕町)、新栄山(新栄町)、豊栄山(豊川町)、清正山(本町)、源氏山(上野町)、聖武山(橋本町)、豊年山(姥神町)、金剛山(新地町、円山、緑丘)、蛭子山(中歌町)、楠公山(津花山)、松宝丸(海岸町・陣屋町)、義公山(柏町・南浜町)、誉山(茂尻町)
神輿=元禄7年(1694)大阪で制作。
この他3基あるが担ぐのは1基だけ。残りはトラックに乗せて回る。
 ●上町
清正山(本町)=昭和54年(1979)8月制作。大工は山本道雄。彫刻金具漆師は名古屋の(株)善光堂。
 人形は昭和27年制作。「加藤清正」。人形師は西海谷厳(北龍)。
その後、昭和59年に修復、頭面の修復は鈴木柳蔵。鎧・衣裳制作は東京・浅草橋の光山堂の作。
水引は昭和27年、(株)川島織物作で「虎などの図柄」。
山車紋は「蛇の目 桔梗」。
源氏山(上野町)=昭和21年(1946)創建。大工は梅澤吉五郎(江差町)。
人形は昭和21年(1946)制作で「武蔵坊弁慶」。人形師は西海谷巌(北龍)。

水引幕は「橋弁慶の図」、「船弁慶の図」、「勧進帳の図」。
扁額:「源氏山」。金丸悟舟 筆。
山車紋は「笹竜胆」。
聖武山(橋本町)=人形は日本武尊、明治22年(1889)、大阪 心斎橋、大江良助の作。
山車紋は「唐獅子牡丹」。
政宗山(新地町、円山、緑丘)=平成16年(2004)、人形新調に伴い政宗山と改称。
 平成10年(1998)8月創建。大工は江差町の辻久建設(辻芳則)。
 人形は江差町の二代目西海谷 北龍(西海谷 望)の作。
以前も伊達政宗で平成5年7月制作。政宗会。町民有志の手作りであった。
車輪は江差町の高山自動車工業(高山政次郎)の作。
扁額の揮毫は千葉 軒岳。
山車紋は「仙台笹、九曜」。

平成4年から他町内の山車を借りて祭典を行うようになる。当時は金剛山
楠公山(津花町)=昭和53年(1978)8月制作。3代目。先代の山車土台部分と金具を利用。大工は飯川寿史(津花町)。
平成12年、塗装修復。14年、金具修復。18年、馬印復調。
人形:「楠木正成」。制作年は明治初期以前の作と言われる。人形師は不詳。岩手県方面とも弘前で制作とも云われるが?。
御首の最近の修理は平成14年、二代目西海谷 北龍(西海谷 望)による。
水引:大正中期で早川国彦作。平成8年、福岡県久留米市で修復。
右は「正行 父よりの形見の短刀にて追腹せんとするを母に七生報国を諭される正行の図」、左は「後醍醐天皇を迎える正成の図」、後ろは「大楠公(正成)、小楠公(正行)を祀る湊川神社の図」。
扁額は「楠公山」。大正15年7月19日、大谷派江差別院輪番西田寛祐氏の書。

元治年間は「神船(七福神)」。
楠公山となったのは、明治7年頃。
 先代は大正15年(1926)制作。
松宝丸(海岸町・陣屋町)=弘化2年(1845)3月に大阪で建造された弁財型和船造りの御座船。道指定有形民俗文化財。
注文人は近江屋利兵衛竹蔵。船棟梁は大阪の太秦屋徳八郎・鏡屋 茂兵衛。塗師は大阪の左兵衛。鏡屋は大阪の茂兵衛。
水引幕は弘化2年(1845)、正面が「二見ヶ浦」、左が「比良の暮雪」、右が「唐松の松」。
山車紋は「丸に武田菱」(松前藩の家紋)。
 最近の修復は船体は昭和50年~51年、秩父市の業者。水引幕は昭和60年~61年、京都の業者。帆一式は平成18年、コミュニティ助成事業。
義公山(柏町・南浜町)=昭和51年(1976)制作。大工は辻喜久雄(江差町)。
人形は昭和24年(1949)制作で「水戸黄門」。人形師は西海谷厳(北龍)。なお町内の子供が人形の前に座り助さん、格さんとなる。
水引は昭和51年(1976)、水野房子作、「水戸の景色の梅と城」。
山車紋は「水戸德川葵」。
 昭和23年までは乃木将軍(乃木山)だった。
誉山(茂尻町)=昭和6年(1931)7月に梅沢吉五郎師により制作。昭和61年(1986)、小路隆により修復。
 人形は平成6年7月復元新調、人形師は京都の有職御人形司12世伊東久氏重。「大石内蔵助」。衣装は片岡光春。
以前のは昭和28年7月制作。人形師は有職御人形司10世伊東久氏重。
 従来茂尻山として曳かれていたが、昭和4年江差町法華寺町の竹林堂野沢悦雄師が制作した人形を使い出してから誉山となる。

水引幕は「龍、虎、唐獅子」。
漆は札幌の土居豊。
金物彫刻は(株)米原仏具店(竹中裕幸)。

扁額は山田草峰の作。
大旗は金糸、銀糸、巴の紋入り。昭和61年、京都の㈱石川の作。
 ●下町
神功山(愛宕町)
=昭和40年(1965)7月制作。大工は本間松蔵(江差町)。
人形は宝暦4年(1754)制作で神功皇后。納入は京都五条橋通り塩竈町松尾七郎兵衛。この制作にあたっては「細工人中川久兵衛、御首面師伊東正義、御胴細工人浜口次兵衛、八木枡次、道具師安田新太郎」。
 水引幕は宝暦11年(1761)に京都で誂えた「寒山拾得、麒麟、張良と黄石公」。道文化財。
昭和58年、京都・宇佐美松鶴堂で修復。
扁額は「棆楽」。宝暦年間と推定される。昭和35年字体を模写し黒羅紗にて改製した。棆楽(わらく)と讀み字体を模写し改製した
山車紋は「抱き菊の葉に菊」。
新栄山(新栄町)=昭和30年(1955)制作。大工は新栄町の吉井春蔵、吉井清吉。
人形は昭和30年制作で武田信玄。人形師は西海谷北龍(江差町)。以前は京都より購入した「新田義貞」。
水引幕は昭和24年作。「新榮山」。
山車紋は「武田菱」。

 以前は「稲荷山」(明治26年)。「鶏山」(大正10年)。大正13年に「新栄山」となる。
豊栄山(豊川町)=昭和63年(1988)7月制作。総漆塗り。町民から寄贈された欅の大丸太6本を使い、屋形は総檜造り、町内13台の山車のうち唯一の3段高欄はホウノキ材。
大工は小割建設(小割利雄)
漆・金物は札幌の(株)米原仏具店。
人形は昭和25年制作で迩迩芸命(ににぎのみこと)。人形師は西海谷北龍(江差町)。
水引は京都で誂えたもので、「智、仁、勇」。
豊年山(姥神町)=明治12年(1879)当町在住江州商人の西澤喜蔵、田口伊右衛門氏らが大阪より北前船で運ぶ。昭和44年に赤平鶴蔵師が改装。
人形は昭和55年(1980)制作で「神武天皇」。人形師は京都の12世伊東久重。
水引は文化年間、京絵師山田芳州筆による「唐獅子四季戯図の三枚組」。また明治45年、中歌町蛭子山制作の「日本三景之図」を昭和12年の字地番改正時に豊年山の水引とした。
扁額は「豊年山」。雪城澤俊卿書。
山車紋は「変わり抱き稲」。
蛭子山(中歌町)=明治44年(1911)制作。大工は山田丑蔵(江差町)。
人形は明治以前の制作で「蛭子様」。人形彫刻師は京都の常川又右衛門。
水引幕は天明元年(1781)制作。「布袋、龍、虎」。本来は旧・九艘川町の山車「神鏡山」であったが、昭和12年、中歌町との合併で蛭子山の水引になる。

山車紋は「三つの蔓柏」。
伏木戸 川裾神社 8/15 山車休止(明神山) 伏木戸は以前より単独曳行。
尾山 岩城神社 8/15 山車1台 岩城山
泊町 泊神社 8/15 山車休止 清正山
大澗 三光稲荷神社 8/15 山車1台(恵比寿山)
かつて江差祭りに参加していたが、過疎化並びに遠いので平成元年を最後に江差祭りに参加せず、町内曳きとなった。また尾山・泊町・大澗は3地区は連合曳きをしていた。現在は尾山と田沢は連合曳き。
水堀 水堀稲荷神社 8/中旬 山車1台 稲荷山
小黒部 若宮神社 9/7初旬(元・8) 山車1台 大黒山
中綱 中綱神社 9/9、10 山車1台 豊年山
柏町216 柏森神社 9/9 例祭
田沢町347 田沢稲荷神社 8/14、15 山車1台 龍神山
柳崎 柳崎八幡神社 8/15、16 山車1台 八幡山
鹿子舞 江差土場鹿子舞保存会
越前 豊丘神社 山車休止 弁慶山
朝日 大谷地速玉稲荷神社 山車休止 稲荷山
江差土場鹿子舞=津軽地方に残るものよりも原型に近いとも云われている。小刻みに足をまげてバランスをとりながら踊り、木場で働く筏師の姿を現している。木々振り舞は、笛、太鼓、ササラを用いる囃子に合わせて、大きな杵をふり廻す、曲芸踊り。
 【鴎島(かもめじま)】
面積0.09km2。周囲2.6km。人口は11人(平成21年)。防波堤で江差とつながる。
 【江差の民俗芸能】
江差五勝手鹿子舞(江差町五勝手鹿子舞保存会)=道指定無形民俗文化財。青、赤、黒、白の雄鹿子4頭が1頭の雌鹿子を争い、闘い、和解していく勇壮で格調の高い踊り。

田沢鹿子舞=数人の若者が松前公の命により、谷川へヤマベを取りに出かけた折、山奥に入っていくうちに五頭の鹿が争っているのを見て一つの舞にまとめたとされている。
 踊りは、小川の丸木橋を中心に心配そうに見ている母鹿の前に若雌鹿をおき雄鹿三頭が角をつきあわせ、我こそはこの若雌鹿を我がものにと、落とされては、はい上がり、最後に勝ち残った一頭の雄鹿が若雌鹿を連れ去っていく様を表している。


土場鹿子舞=厚沢部川河口の集落、柳崎の木場で働く杣夫や筏師の作業から発達したもので、鹿子の動作は小刻みで、下肢を曲げてバランスをとり、木場で働く筏師の姿を巧みに表現している。
 木々振り舞は、笛、太鼓、ササラのリズミカルな囃子で大きな杵をふり廻す、曲芸踊り。津軽鹿子の影響を強く受けている。


江差鮫踊り(江差鮫踊り保存会)=町指定無形民俗文化財。五勝手。ニシン漁の際、サメは網を食い破り、網についたニシンを食い荒らすなど漁の妨げになっていたため、そこで、漁夫達は手に手にこん棒を持ち網の中に入ったサメを処分していた。しかしながら鮫やシャチが追ってきたからこそ、ニシンを江差にもたらしたのでそのサメを感謝の意味を込めて供養する意味で、サメが網の中でのたうち回る様を踊りに脚色して、お盆に供養として踊るようになった。現在は5月のゴールデンウィークなどに江差追分会館で披露する。
 【休止中の鹿子舞】
豊部内鹿子舞、泊鹿子舞、小黒部鹿子舞、鰔川鹿子舞
 上ノ国町
      ⇒上ノ国、木ノ子村、汐吹村、石崎村、小砂子村、大留村、北
上ノ国238 八幡神社 9/中旬(元・14、15 神輿
山車2台 信廣山、蛭子山
大崎 稲荷神社 8/8、9 山車休止 恵比寿山 
木ノ子151 稲荷神社 8/11 山車1台 豊栄山
扇石300 滝沢神社 8/12 山車1台 楠公山
汐吹 愛宕神社 8/12 山車1台 恵比寿山
桂岡 愛宕神社 8/16 山車1台 愛宕山
石崎204 石崎八幡神社 8/18 神輿
山車1台 恵比須大黒山
神幸祭には神輿、道中奴、山車などが出る。
石崎奴=町指定有形民俗文化財。奴の道中振りで、長紋付き、手甲、脚絆、腰には印籠などをつけて、熊毛の槍を振り立てて行進する。一人が上の句を吟うと一人が下の句を吟う。
北村96 砂館神社 9/2、3(毎年) 神幸祭
山車1台 大黒山
新村267 新村稲荷神社 9/10 山車1台  
新村=平成4年(1992)に江差町より譲り受ける。山車人形は大黒天で平成24年(2012)11月25日、御披露目。江差町の人形社(西海谷望)の作。約300万円。今までは藁で手作りしていた。
大留 大留山神社 9/11、12 山車1台 楠公山
鹿子舞 大留鹿子舞
大留鹿子舞(大留鹿子舞保存会)=町指定無形民俗文化財。大留山神社例祭。大留地区に入植した人々が、大千軒岳に住んでいるといわれた鹿を形どり、魔よけと五穀豊穣や地域の平和を願い、大留山神社に奉納したことが起源とされる。
 【上ノ国の民俗芸能】
上ノ国むかし踊り(上ノ国むかし踊り保存会)=休止中。長禄元年(1457)コシャマインとの戦いに辛くも勝利した武田信広が、凱旋の感動に天の川の川原で踊り狂ったという故事が起源。盆踊りとなって残っていた踊りを「むかし踊り」として保存している。
 厚沢部町
本町137 神明社 9/中旬(元・16) 山車1台 神明山 
美和 八幡神社 9/上旬 山車1台 稲荷山
緑町 椰子の木神社 9/中旬 山車1台 緑山
鶉町368 大豊神社 8/下旬(元・29) 山車1台 豊年山
豊栄 神明社 9/上旬(元・7 山車1台 大黒山
赤沼 赤沼神社 9/上旬(元・8 山車1台 赤誠山
館町 館神社 9/中旬(元・15) 山車1台 信弘山
富里 神明社 8/25、26 山車1台? 休止中?
滝野355 滝廼神社 8/21 例祭
 【厚沢部の民俗芸能】
土橋鹿子舞(富栄鹿子舞保存会)=富栄。町指定無形民俗文化財。神社祭典や墓参など、新築祝い、公共施設落成祝賀会など。神楽舞の足さばきを取り入れた踊りといわれる優雅な動きが特徴。
近宝2年(1674)頃、津軽平内からの土橋へ最初の移住者があったと伝えられており、津軽・南部方面からの移住者によって伝承されたと思われる。
 文化年間の「旧記抜書」という古記録の中の文化5年(1808)の記事に「土橋の鹿子舞が江差市中で踊られている」ことが記されている。


上俄虫鹿子舞(上里獅子舞保存会)=上里。町指定無形民俗文化財。
文化年間に陸奥国福島から伝承されたと云われている。すり足に近い足さばきと、常に鹿子頭を動かし続ける細やかな踊りが特徴。


安野呂鹿子舞(滝野鹿子舞保存会)=滝野。町指定無形民俗文化財。滝野神社祭典(8月13日)、お盆(墓参り)・新築祝いなど。南部津軽より入植してきた仙夫や出家者によって伝承されたと思われるが、いつから踊られていたのかは分らない。

当路鹿子舞(当路鹿子舞保存会)=当路。町指定無形民俗文化財。明治30年(1897)に木材の流送などで関わりのあった厚沢部川下流の土場集落から鹿子分けがされた。明治40年頃に踊りが改良され、現在の激しい中腰踊りとなる。

美和権現獅子舞=美和。町指定無形民俗文化財。正月、墓参り(8/13)、八幡神社例祭(9/5,6)。
目名権現獅子舞とも称する。目名とは美和の旧地名。
二人立ちの神楽系獅子舞で確実な伝承はないが、美和集落の奥の山に住んでいた行者がこの芸能を伝えたという言い伝えがある。
また「権現」の名が冠されることから、東北地方北部で修験者などによって行われていた舞の系譜につながるものと思われる。
使用する楽器は大太鼓、小太鼓、鐘で、道具は獅子頭、白ギツネ面2つ(親・子)である。
演目は、「道行き、舞、詠」で構成されており、舞の中ほどで親子の白ギツネが登場し、獅子をからかうような動作を見せる。
赤沼鹿子舞=赤沼。休止中。現在伝承されている鹿子舞は、明治44年に安野呂から鹿子分けを受けて再興される。元々の赤沼鹿子舞は、独自の踊りを保持しており江差町豊部内へ鹿子分けをしたとも伝えられており、古い歴史をもつと思われる。

沼ノ沢鹿子舞(館鹿子舞保存会)=南館町。町指定無形民俗文化財。休止中。明治34年(1901)土橋鹿子舞から鹿子分けを受けた。
 【厚沢部町新春町内鹿子舞交流会】
1月中旬、厚沢部町町民交流センター「あゆみ」で開催。
厚沢部町は、南部津軽からおとずれた杣夫たちよって、江戸時代の初め頃から現在の集落の基礎が築かれたと考えられている。
そのとき、厚沢部に定住した杣夫たちが持ち込んだと考えられる芸能が鹿子舞で、町内に伝わる鹿子舞の保存団体が一堂に会して演舞する。

 ≪爾志郡≫ 
 乙部町
字元町254 八幡神社 8/14~16(毎年) 神輿
山車6台 宿弥山(元町1)、稲荷山(元町2)、大黒山(緑町1)、蛭子山(緑町2)、弁慶山(滝瀬)、楠公山(館浦)
宿禰山(元町1)=人形は武内宿禰。
稲荷山(元町2)
=大正4年11月制作と云われている。
大黒山(緑町1)=昭和55年創建。人形は大黒様。以前は緑町2と共有で蛭子山を曳いていた。
蛭子山(緑町2)
=6台最古である。道具箱の中に明治20年(1887)9月 氏子中と墨書きがあるのでこの頃には祭礼を初めていたことが分る。
弁慶山(滝瀬)
=詳細不詳。
楠公山(館浦)
=昭和5年頃の作。人形は楠木正成。
栄浜326 栄浜八幡神社 8/11、12(毎年) 山車1台 大黒山
乙部町史によると「高齢者からの聞き取りによると大正から昭和初期にかけては日本武尊の山車もあった。山車の通り道には浜砂を筋状に盛り上げていたが、国道が舗装されてからは廃れた。山車の行列は御幣(雄馬に積む)、猿田彦、神輿、神主、山車、三匹獅子の順番である。かつてはオナゴ臼を使ってキネフリ舞も行っていた。」とある。
鳥山410 鳥山神社 8/16、17 山車1台 大黒山
乙部町史によると「小茂内青年会文書では大正5年(1916)に記述がみられるので、これ以前よりあったと考えられる。以前は山車の通り道にシロコ土を筋状に盛り上げて各家庭の玄関まで導いていたが、昭和40年代に道路を舗装してからは、雨が降ると汚れるので廃れた。」とある。
元和117 元和八幡神社 8/17、18 山車1台 布袋山
乙部町史によると「30年ほど前までは、宝船のもう1台の山車があったが、部落の人数が減ったため、1台となった。山車の通り道には海砂を筋状に盛り上げていたが、道路の舗装化により廃れた。」とある。
姫川542 姫川稲荷神社 8/24、25(毎年) 山車休止 稲荷山
神賑 宵宮:19:00~ビンゴ大会 等を行う。
乙部町史によると「平成6年より、人手が減ったり地域で不幸があったりしたので、山車の運行をしていない。」とある。
旭岱351 旭岱大山神社 8/26、27(毎年) 山車1台 豊年山
神賑 宵宮:18:30~ビンゴ大会 等を行う。
乙部町史によると「本庁地区と異なり、午前中に天狗(猿田彦)が集落内を回り、午後から山車が練り歩き、その際にご祝儀を出した家の前では盆踊りを行う。」とある。
三ッ谷265 三ッ谷八幡神社 8/下旬金土 神輿
山車3台 恵比寿山(=影歌)、稲荷山(=潮見)、義士山=向歌)
乙部町史によると「影歌地区の恵比寿山、潮見地区の稲荷山、向歌地区の義士山の3台がある。山車の通り道には海砂を筋状に盛り上げて玄関まで導いていたが、道路の舗装化により廃れた。かつての行列の順番は、御幣、金幣、猿田彦、太鼓、神輿、山車であったが、参加者が減ったため、現在は、旗、神輿、山車となっている。山車の順番はその集落の山車が先頭であったが、地元では騒いで先に進まないため、終戦後からはその集落の山車を最後とするようになった。」とある。
花磯3 諏訪神社 9/下旬金土(元・27 神輿
山車3台 花咲山、浦島山、大黒山
乙部町史によると「花磯の浦島山、沢の花咲山、豊浜の恵比寿山の3台がある。沢の花咲山は、昭和35年ごろ誕生した。かつては山車の通り道には海砂を筋状に盛り上げていた。行列は、旗、しめ縄、猿田彦、神輿、獅子舞(シシコ)、山車の順番で、獅子舞は三鹿獅子を舞う。」とある。
富岡 富岡神社 9/22、23(毎年)
 【乙部の民俗芸能】
姫川
鹿子舞=休止中。昭和25年に鹿子分けを受けた。
 ≪瀬棚郡≫
 せたな町
 平成17年(2005)9/1、瀬棚郡瀬棚町、北檜山町+久遠郡大成町が合併して誕生。
 ◎旧・瀬棚町
瀬棚区三本杉53  事比羅神社 9/9、10 神輿
山車7台 恵比須舟山(三本杉)、金比羅丸舟山(本町1区)、西部花山(本町3区)、竜神花山(本町4区)、会津山(本町5区)、南花山(本町6区)、旭花山(本町7、9、10区)
山車廃絶 仲町花山(本町2区)
恵比須舟山(=瀬棚区〔三本杉〕)=人形は恵比須様。
金比羅丸舟山(本町1区)=詳細不詳。
西部花山(本町3区)=人形は娘道成寺。
竜神花山(本町4区)=人形は飛龍。
会津山(本町5区)=人形は松平容保公。
南花山(本町6区)=人形は花咲爺。
旭花山(本町7、9、10区)=人形は徳川家康。
仲町花山(本町2区)=平成22年解体。
瀬棚区元浦446 稲荷神社 6/11 例祭
瀬棚区島歌280 稲荷神社 7/10 例祭
 ◎旧・北檜山町
北桧山295 真駒内神社 9/15 山車5台 源平山〔本町・中央町〕、宝寿山〔寿町〕、緑新山〔緑町〕、元町
【だんじり】
『北檜山町史』(昭和56年発行)には「徳島よりの移住者が多かったので、明治末期から大正にかけては、当時、例祭には、唐破風造り、四本柱、土台まわりに丈夫な角材を用い、丸太を切って鉄輪をはめた車を4つつけた「だんじり」を作り10数人で曳き、神社から馬場と称する道をねり歩いたが、3年で「花山」に代わった。
丹羽7-5 玉川神社 9/6 山車1台 黄金山 
若松611 若松神社 9/2土日 山車2台 太鼓山、瑞穂山
トラック飾付の山車。大人の山車、子供会による瑞穂山が出る。
愛知1071 熱田神社 9/8 例祭
太櫓378 言代主神社 8/16 神輿
神輿は明治初期に能登から小樽に運ぶ予定だったが、嵐になり小樽の祭りに用をなさなくなり、当時太櫓の網元をしていた者が部落の人たちと相談し、200円の大金を立て替えて買い受けて神社に奉納した。昭和38年頃に若松の仏具師佐藤勝義により修復。
『北檜山町史』(昭和56年発行)の宗教の神社(657ページ~670ページ)には祭礼の記事がある。
 ◎旧・久遠郡大成町
本陣70 久遠神社 7/15、16(毎年) 山車3台 本陣丸山(=本陣町内会。船山車)、大黒山(=西部大黒山保存会)、 恵比須山(=東部町内会)
長磯116 長磯稲荷神社 8/11、12(毎年) 山車1台 恵比須山(=長磯町内会)
太田17 太田神社 6/27、28(毎年) 海上渡御、歌謡ショー、花火大会など
久遠神楽
久遠神楽=明治30年(1897)頃、青森県三本木町からニシン漁のために移住してきた二人の青年が、故郷をしのび地元の青年に故郷の神楽を教えたことが始まり。
神楽に用いられる刀や長刀には、自然との闘いと保身の意味が込められ、笛、太鼓、金具には開拓の精神が込められています。踊り子18名で構成され、神社祭典や大漁祈願等諸行事に鎮魂、除災の意を込めて踊る。
花歌210 稲荷神社 9/11、12 山車1台 弁財天山(=宮野・平浜子供育成会)
上浦190 上浦稲荷神社 7/9、10(毎年) 山車2台 稲荷山(=上浦町内会)、大黒山(=都子供育成会)
 【がっぱり海の幸フェスタinわっためがして大成】
7月最終土曜日、道の駅てっくいランド大成で開催。主催はがっぱり海の幸フェスタinわっためがして大成実行委員会
「がっぱり」とは「たくさん」という意味。その名のとおりアワビ・ウニなどの地元の新鮮な海産物が‘がっぱり’堪能できる大成の一大イベント。
ヒラメを素手でつかまえる『ヒラメつかみどり』や、千個のアワビが振りまくる『あわびもちまき』、趣向を凝らした海産物を使ったゲームを勝ち進み、豪華海の幸がもらえる『わっためがして選手権』のほか、久遠神楽と久遠太鼓の郷土芸能、よさこいソーラン競演、歌謡ショーなどのイベントが盛り沢山のフェスティバル。
 今金町 
    ⇒今金、種川、美利河、花石、宮島、中里、奥沢、住吉、稲穂、光台、御影、田代、白石、八束、金原、鈴金、豊田、神丘、鈴岡、日進、旭台
今金603 今金八幡神社 9/19~21(毎年) 神輿 宮神輿、御輿愛好会
山車3台 金龍山、鳳凰山、青栄山
金龍山(町内会)=制作年不明。町内会持ち回りで運営。
鳳凰山(秋祭りを盛り上げる会)=昭和62年制作。
青栄山(商工会青年部)
=昭和60年制作。

全て手作り
種川 氷川神社 9/10 山車1台
神賑 歌謡ショー、奉納太鼓 など
豊栄山(種川ふるさとを築く会)=2007年新調。先代は昭和54年(1979)創建。老朽化のため2006年解体。
美利河 美利河八幡神社 9/15 例祭
花石 黄金神社 9/15 例祭
中里 中里天照皇 9/15 例祭
住吉 男山八幡神社 9/15 例祭
八束 八束八種神社 9/15 相撲、神賑
金原 金原神社 9/7 神輿
豊田 豊田大麻比古神社 9/15 例祭
神丘 神丘神社 9/7 神輿
鈴岡 秋葉神社 9/14 神賑 太鼓 など
日進 日進神社 9/15 例祭
 【檜山管内郷土芸能祭】
檜山管内の各町文化協会が持ち回りで開催する(奥尻町は離島のため参加していないようだ)。
各町自慢の伝統芸能が一同に会し、艶やかな舞踊、迫力ある津軽三味線、躍動感溢れる太鼓などを披露する。

 ≪奥尻郡≫
 奥尻町
     ⇒奥尻、稲穂、宮津、球浦、赤石、湯浜、青苗、米岡、豊里、松江、湯浜
 ■奥尻(おくしりとう)
面積は142.97km2。周囲は約84km。最高地点は584m(神威岳)。人口は2707人(2018年)。
奥尻358 奥津神社 8/13、14(毎年) 松前神楽 四箇散米
山車2台 神威山(奥尻)、子持山(谷地)
10時から祭りが開始され、猿田彦命を先頭に、御旗・獅子舞、祭神である事代主命が鎮座した大神輿・子供神輿・恵比須山車が、氏子の住んでいる青苗地区の約500戸を訪れる。
神威山(奥尻)=人形は武田信玄。
子持山(谷地)
=人形多数。
稲穂 鴎埼神社  8/上旬(元・2) 山車は震災で流失 宝山
宮津 中津島神社 8/中旬(元・17) 山車休止
東風泊(宮津) 海洋神社 8/19、20 ねぶた 弘前風。近年は出ていない。
抽選会 など
赤石162 保食神社 8/10頃 山車 人形は狐
松江169 少彦名神社 8/8 例祭
青苗189-19 青苗言代主神社 8/12~14(毎年) 神幸祭 猿田彦命を先頭に、御旗・獅子舞、大神輿・子供神輿・恵比須山車の順
山車1台 恵比須山
山車(船魂山)は震災で流失
山車=平成10年制作。大工等は不詳。青苗地区恵比寿山建設協賛会による。
 以前のは震災で流失。
勘太浜 稲荷神社 8/上旬 山車不詳
 ★展示場
 【江差山車会館・江差追分会館】(公式HPへ
江差町中歌町193。℡0139-52-0920。開館時間:9:00~17:00。無休。休館日:11月~翌3月は月曜、祝日の翌日、年末年始 。入館料:大人500円、小中・高校生250円。
2010年4月オープン。祭で巡行している山車(毎年2台ずつ交代)や渡御祭に関する資料を展示。150インチのスクリーンで臨場感溢れた映像を鑑賞できる(追分会館の入館料で入館できる)