兵 庫 県
【東播磨】 
  
明石市 
   

 住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪明石市≫
 ■明石地区
材木町8−10 岩屋神社
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10/2土日 神輿 神輿、子供神輿 
布団太鼓1台 宮太鼓=元・東戎町
獅子舞
だんじり廃絶 明石組が大佐より購入したが?
宵宮:13時から明石浦の氏子地を巡行。
■本宮:10時頃から神輿1基、子供神輿2基、布団太鼓1台と獅子舞が町内を巡行しながら明石公園へ。兵庫県漁連、魚の棚商店街、明石公園で練る。
午後から明石公園から神戸市西区の氏子地を巡行し練る。
17時頃宮入り。
宮太鼓=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.4m。幅2m。長さ4m(以前は4.5m)。
元・東戎町太鼓。昭和30年に神戸市灘区敏馬神社の氏子町より購入。
挟間は「龍」。木鼻は「獅子」。

昼提灯・水引幕は「龍と虎」。高欄掛は「一の谷の合戦」。
材木町・中町=明治2年(1869)9月13日の明石城入城には参加したが廃絶した。
出崎町=昭和28年、二見より購入。
 西二見にはかつて地区内に4台の屋台があり、戦後2台残ったうちの1台を明石の新浜(出崎町周辺)に売却したと云われている。古老の話では、水引きが龍、高欄掛けが源平合戦であったこと、明石地区に少ない狭間が入っているとのことで、出崎町の屋台と良く似ているのでこれだと思われる。
昭和42年まで担がれた。平成7年の阪神大震災で屋台蔵が損壊し、雨漏りなどで屋台が傷んだので、平成10年のとんど(左義長)で焼却処分。
狭間のみ個人所有。

 戦前より太鼓台保有していたが、戦災で焼失。
 昭和20年代は大蔵町、淡路、林などから借りて担いだ。
渡海組=目録が発見され、そこには太鼓台運営困難につき奉納とあるが、3年ほど後に、運営出来るようになったので払い下げてもらったとある、やがて明治後期に港湾荷役関係の組が統廃合となる。
 【神戸市西区】
西河原=明治初期に岩屋神社に出す太鼓が有ったといわれる。

新方(しんぽ)=だんじり(布団太鼓)を昭和初期に二ッ屋?に売却説もあるが、
神社に寄贈したらしい。その太鼓は鳴尾組(港湾荷役関係の組)へ。なお所有権は神社が保有していたかどうかは不明。彫刻の多い太鼓だが、空襲で焼失。
 【明治2年の祭礼】
明石市史(89、90P)によると、「明治2年(1869)9/13岩屋神社祭礼は、屋台の太鼓20台が城内の武家屋敷町へ入り、城内の壕端から追手町へ引廻した。その太鼓は、渡海組、茶船組、魚船組、松陰新田、大久保町、和坂、水谷、菅野、林、高浜、松江、大蔵谷、山田、西垂水、東垂水、西樽屋町、中之庄、中町、材木町から出した、そのうち2台は淡路から借りてきた。見物人は群集し、大変な賑わいであった。明石城の曲輪内へだんじりが入るのは享保17年(1732)9月以来の例で、城主や引退した前城主は城の櫓から見物した」とある。
 なお渡海組、茶船組、魚船組は明石港の港湾荷役関係の組。中之庄は新浜・出崎地区。
 【沖仲仕の組】
資料が無いのでよく分からないが港湾荷役事業者の組で太鼓台を担いだ。
明石市史(89、90P)によると明治2年の祭礼には渡海組、茶船組、魚船組がそれであり、鳴尾組というのも一時誕生したようだ。
明治後期には統廃合して明石組となったらしい?
岬町19−8 伊弉冊神社 10/2土日 海上渡御
布団太鼓2台 西部3丁目、神社 
布団太鼓廃絶 御幸道、御旅町、七軒町
 ■宵宮
(18:00〜)例祭
 ■本宮
(7:00〜)海上渡御
(10:00〜)神輿、布団太鼓が巡行
(18:30〜)布団太鼓宮入り
 【海上渡御】
明石浦漁協がノリ養殖業を始めた昭和53年頃に、漁場をはらい清めたのが起源。漁場を神事を執り行いながら航行する。
時、「先導船」と神輿を載せた「御座船」、「御供船」の6隻が、大漁旗やのぼりをはためかせ、明石港を出航。法被姿の氏子らを乗せ、ノリ養殖の浮きなどが浮かぶ海上を航行した。八木沖、魚住沖、江井島港南約5kmに広がる「カンタマ瀬」の三カ所では、全漁船が集まった。
 【正遷宮】
明石市史(91P)によると、「明治12年6/1は伊弉冊神社正遷宮で6日間奉祝祭がおこなわれたが、雨天で二日間日延べされた。樽屋町はだんじりと大江山人形、西新町は舞、新町はだんじりと龍宮城の乙姫舞で大賑いであった。7/2に同社は県社に昇格した」とある。 
新浜3丁目(岬町西部3丁目)=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.45m。幅2.6m。長さ5.75m。
龍太鼓と称する。昭和32年(1957)、梶内だんじり店で新調。
平成15年、姫路の毛利工務店で改修。


新浜4丁目(大西)=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.6m。幅3.5m。長さ7.3m。
昭和33年(1957)、梶内だんじり店で新調。
人出不足で平成20年より出場していない。平成30年に伊弉冊神社に寄進。
なお令和元年は神社境内に出したと聞く。
 子供太鼓もあり。5枚屋根。昭和30年代に新調するが、担がれなくなり2018年の左義長(とんど)で焼却。
新浜1丁目(七軒町)=三枚布団太鼓だった。昭和30年(1955)三木(加佐?)より購入。
昭和38年(1963)が最後で、その後岩屋神社の境内にシートをかけて保管。私も見たことがある。今となれば写真撮っておけばよかった。
平成10年≪1998≫に垂水区舞子に譲渡。


新浜2丁目(御幸道)=五枚布団屋根。昭和32年(1957)大阪(河内)で購入。
梶内だんじり店で水引幕と高欄掛を作る。
交通規制が厳しくなり昭和38年で中止。しばらく担がなかったが、その後昭和43年(1968)の明治100年で銀座、錦江橋で担いだ。
昭和38年、播磨町本荘に売却。平成に入り神戸市垂水区塩屋へ。

 
往古は出崎や林の太鼓を借りて3町(御幸道・仲之町・西仲之町)で担いだ。

新浜3丁目(御旅町)
=昭和32年(1957)三木で購入。昭和37年が最後。その後昭和43年(1968)の明治100年で銀座、錦江橋で担いだ。。
平成11年(1999)明石市文化博物館に寄贈され、収蔵庫に保管されている。

 往古は出崎や林の太鼓を借りて担いだ。
大観町16−15 伊弉諾神社 10/8 例祭 18:00〜
 ■大蔵谷地区
   ⇒現・大蔵天神町・大蔵本町・大蔵中町・大蔵町・大蔵八幡町・大蔵谷・東人丸町・太寺1〜4丁目・太寺大野町・太寺天王町・荷山町・東野町・朝霧町1〜3丁目・東朝霧丘・中朝霧丘・西朝霧・松が丘1〜5丁目
人丸町1−26 柿本神社
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4/2日曜 春祭り 子供みこし
10/18 秋季防火大祭
御祭神である柿本人麻呂の命日(旧暦3/18)に合わせ、春祭りを行い御祭神を神輿に遷し近くの町内子供神輿と合わせて4基で練り歩く。
大蔵本町6−10 稲爪神社 10/連休土日(元・9) 神輿 子供樽みこし約12基
献灯屋台 娘神輿
宮太鼓廃絶  
獅子舞2組 大蔵谷西之組獅子舞保存会
大蔵谷獅子舞保存会(中之組)
だんじり廃絶 相生町
 ■宵宮
(17:00〜)西之組獅子舞、囃口流し、大蔵谷獅子舞。
 ■本宮
(11:00〜)例祭 (12:20〜)魚の棚で神輿練り (16:30〜)ブラスバンド・子供ぱれーど・牛乗り神事
大蔵谷獅子舞保存会=中之組。雌雄2頭の獅子、太鼓、笛、鐘、天狗、おたやん、ひょっとこ。
 獅子だんじりは平成24年制作。荻野工芸より寄贈。

大蔵谷西之組獅子舞保存会=県指定無形民俗文化財。雌雄2頭の獅子、太鼓、笛、鐘、天狗、おたやん、ひょっとこ。
 獅子だんじりは平成21年制作。建築工房堺屋の作。
宮太鼓=昭和15年が最後。中之組、浜之組、西之組三組が輪番で担いだ。
囃口(はやくち)流し=秋祭りの宵宮に神社の桜門前に流しの船屋台を引き込む。囃子方は揃いの浴衣に鳥追笠を被り、三味線・締太鼓・摺鉦を持ち、その囃子で歌い手が歌い出す。祗園ばやしで宮入りし、数曲奉納すると、町内に出て各家を門付けする。
 現在歌われている曲名はうぐいす・山づくし・赤づくし・魚づくし・ 豊年づくし・扇の由来の6曲である。
相生町=旧称は東新町。だんじりがあったが、大正末期か昭和初期に神戸市西区出合に売却。野ざらしになって現存せず。
大蔵本町2571−1 穂蓼八幡神社 10/連休(元・9) 宮太鼓
宮太鼓=平屋根五枚布団太鼓。昭和56年(1981)、梶内だんじり店より購入。昭和61年を最後に休止となるも、平成24年、23年ぶりに復活。
布団締めは「金綱」。水引幕は「竹に虎」と金綱。高欄掛は「龍」。挟間は「牡丹に唐獅子」。昼提灯は「二見ヶ浦に旭日」。

 先代は戦後も担がれていたが、分解され本体、太鼓、布団締め 等は神社の蔵に保管されている。
令和3年(2021)明石の布団太鼓プロジェクトらが解体保存されてされていた部材を確認し60年ぶりに組立、担がれた。詳細は「激動をつなぐ 穂蓼八幡神社布団太鼓 調査報告書」に詳しい。地元では城下の桜町から購入と伝わるが、桜町には布団太鼓があった記録が無く、明治2年9月13日に明石城に城入りした隣町の中町あたりではと推測されている。
担ぎ棒を含む全長が5.75m。土呂台幅は1.3m。高さ3m。高欄掛は江戸末期〜明治初期の作。
水引幕は「四頭の龍」。布団締めは「龍」。高欄掛は「海女の珠取り」。
太寺天王町2840 素盞鳴神社 10/連休日曜 例祭 14時より御旅所祭
 ■林崎地区
   ⇒林、和坂、松江、藤江、小久保、鳥羽
宮の上5−1
(旧・林字上の宮703)
林神社公式HPへ 10/15頃の土日 神輿 旧・県社
布団太鼓1台 和坂
子供みこし
太鼓廃絶 川端町、田町、高東町、八黒町、西松江
神輿廃絶 高西町
■日曜(9:30〜)布団太鼓、子供みこしの地区巡行 (13:00〜)布団太鼓を担ぎ石段を登り宮入り
往古の宮入り順は川端町、和坂、八黒町、高東町、西松江である。
和坂(かにがさか)=平屋根一枚布団太鼓。地元では一丁カマセと呼ばれる。高さ4.06m。幅2.67m。長さ8m。高欄掛は「蟹」。
天保8年(1837)和坂の役人と村人の間の祭礼の取決めの古文書あり、また太鼓の胴の内部には安永2年(1773)9月2日と記されている。
子供みこし=和坂を除く氏子の子供たちで担ぐ。地域で言うと、大道1・2丁目、硯町1・2・3丁目、新明町、船上町、貴崎1・2・3・4・5丁目、林3丁目などである。

ファミールハイツ明石=平成元年〜3年に建てられ、3棟約600戸である。神輿屋根の屋台制作し、当初は当初はマンション近くの商店街の西明石祭りにのみ参加していたが、現在は林神社の秋祭りにも参加するようになった。子供みこしもあり。
川端町=平屋根一枚布団太鼓(一丁カマセ)。昭和20年7月7日の空襲で焼失。

高東町=五枚布団屋根。ただし1枚ずつは薄い。昭和43年を最後に休止、のち廃絶。集会所に布団台彫刻、太鼓 などが残されている。

八黒町(高中町・高戎町・八黒町の3町で運営)=三枚布団屋根。元は五枚。昭和43年を最後に休止、のち廃絶。
布団締めは「伊勢海老」。水引幕は「阿吽の龍」。高欄掛は「龍虎」。跳高欄。昼提灯は無し。

西松江=三枚布団太鼓でトンボ付き。戦災で焼失。
以前のは元は五段だが、三枚布団太鼓に変更。
。昭和10年頃に、東二見の仲之町に200円で売却し、野球道具一式を購入。現・王子の布団太鼓。
林2丁目2−21 若宮神社 10/15頃の土日 例祭 17:00〜
布団太鼓廃絶 大丁、中之丁、西之丁
往古の宮入り順は大丁、中之丁、西之丁である。
大丁(=宮之町・獅子投町・大丁・東之町の四町合同)⇒昭和20年7月7日の空襲で焼失。
平屋根一枚布団太鼓(一丁カマセ)。布団締めは「綱」。水引幕は「龍」。ふとんだいには「龍」の彫刻。高欄掛は「竹に虎」。跳高欄だった。

中之丁=三枚布団屋根。昭和20年代に淡路より購入。昭和40年代初期に休止。
 平成20年12月に姫路の屋台文化保存連絡会に水引幕、高欄掛、昼提灯、布団締を寄贈。
 先々代は空襲で太鼓蔵と共に焼失。

西之丁=元は五枚布団だったが、布団屋根が壊れ三枚屋根に改造されたが、昭和38年を最後に廃絶。昭和26年頃、淡路島より購入。
戦前の布団太鼓は昭和20年の空襲で焼失。水引幕は「阿吽の龍」。跳高欄。高欄掛は「海女の珠取り」。
戦後しばらくは稲爪神社の布団太鼓を借用。
東藤江2丁目15−12 御崎神社 1/19頃の日曜 藤江の的射
10/15頃の土日 布団太鼓廃絶 田町
藤江の的射=市指定無形民俗文化財。御崎神社に祀られる山王権現が、弓矢を用いて悪霊を退治したという「藤江の伝説」に基づいて行われる。当日は、大前や弓立衆と呼ばれる5人の氏子が、30m先の的に21本の矢を射って、悪霊を払い、豊作、豊漁を祈願する。
田町=昭和20年7月7日の空襲で焼失。太鼓蔵は田町2丁目のまんてん堂西側の現在は空地にあった。
以上3神社で合同の布団太鼓運行を行ったらしい。
松江496 八雲神社 10/14 例祭 11:00〜
西新町2丁目10−5 王子神社 10/3土日 神輿、ギャルみこし
布団太鼓1台
 ■土曜
(11:00〜)男子学生の神輿巡幸
(17:00〜)布団太鼓巡行

 ■日曜
(9:30〜)ギャル神輿巡行、王子太鼓の演奏
(16:00〜)布団太鼓巡行
王子=三枚布団屋根。平成26年(2014)11月23日、御披露目。
元・二見の仲之町の屋台で昭和57年より休止され金刀比羅神社に分解保存されていた。

布団屋根に掲げられた額や水引幕の箱に「林神社」「西松江」の墨書きがあることから元・西松江の布団太鼓と分る。
西松江では明治2年9月13日に明石城に入場した20台のうちの1台であった。

布団締め・提灯は「龍」。水引幕は「龍の珠取り」。
藤江1191 青龍神社 10/2日曜 神輿
布団太鼓1台
神輿=昭和40年代に竹内錺金具店で修復。費用は600万円と聞く。
藤江=三枚布団屋根。高さ3.8m。幅3.2m。長さ7.6m。
平成17年(2005)制作。梶内だんじり店の作。水引幕は「珠取り龍」。
 先代は明治初期に淡路より購入。新調に伴い下取り。
 【西明石まつり】
10月開催。2017年で37回を数える。JR西日本西明石駅の駅南広場(明石市西明石南町1)と周辺地域で開催。
実行委員会主催。これは花園校区連合協議会を中心に商店街や各種団体からなっている。
みこしパレードがあり、2008年は9台のみこしが出た。2017年は雨天のため中止。
小久保2丁目9−4 三社神社 10/2土日 だんじり1台
獅子舞
 ■土曜
(15:30〜)だんじり巡行、獅子舞奉納
 ■日曜
(11:30〜)だんじり巡行 (13:30〜)宮入り (15:30〜)獅子舞奉納、天狗、おかめ、ひょっとこ (19:00〜)だんじり巡行。
小久保=昭和初期に淡路より購入。高さ2.8m。幅2.1m。長さ3m。
 先代もあった。
野々上3丁目6−2 鳥羽八幡神社 10/15頃の土日 布団太鼓1台 鳥羽
引き壇尻1台 野々上
獅子舞
 ■土曜(夜宮)
布団太鼓は13時蔵出。19時宮入り。
 ■日曜(昼宮
布団太鼓は10時蔵出。18時宮入り。合わせてだんじり宮入り、獅子舞奉納
鳥羽=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.8m。幅3.31m。長さ8m。
昭和45年、三木市平田より購入。平成10年、姫路の河野屋台製作所で改修。
平成24年(2014)10月6日、屋台大改修御披露目会。この改修で。平成26年4月にかけて新調。宮脇建築(三木市)で土台・骨組、城戸商店(三木市)で水引幕・高欄掛・布団締め・昼提灯など屋台衣装一式、石水彫刻所(愛媛県西条市)で彫刻、谷口錺金具店(たつの市)で錺金具が製作され、最終的には宮脇建築で組み立てられた。
平田から続くのは雲板と挟間のみとなる
狭間は「武松の虎退治」。
水引幕は絹常作の「龍と虎」。

 往古は平屋根一枚布団。
 先々代は平屋根三枚布団屋台。老朽化のため昭和44年に焼却処分。
野々上=壇尻。高さ3.62m。屋根幅2.2m。舞台幅1.8m。長さ3.02m。
平成11年制作。樺J尾(大阪府豊能郡能勢町)の作。

見送り幕は「素盞鳴命の八岐大蛇退治)。
 先代は屋根が切妻で一回り小さかった。
鳥羽新田(鳥羽1655) 八幡神社 10/15頃の土日 例祭 11:00〜

 ■大久保地区
   ⇒大久保町、西脇、八木、谷八木、松陰、松陰新田、森田、大窪、江井島、西島、福田
大久保町大窪1478 大窪八幡宮 5/2日曜 獅子舞 獅子だんじり
10/2土日 神輿
布団太鼓5台 大窪、中ノ番、山ノ下、西大窪、松陰
獅子舞
 ■土曜
(19:00〜
布団太鼓4台宮入り、練行燈
21:30〜)獅子舞奉納。
 ■日曜 
12:00〜)布団太鼓5台宮入り
(16:00〜)5台一斉差し。
大窪=平屋根三枚布団太鼓。令和4年(2022)10月2日、新調入魂式。梶内だんじり店の作。
 先代は明治23年(1890)の作。三木より購入。高さ3.55m。幅3.58m。長さ7m。
 布団締、水引幕、高欄掛、昼提灯 など龍で統一。

中ノ番
=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.7m。幅3.5m。長さ7.61m。
平成15年制作。高欄掛は退治物。
 獅子だんじりもあり。
 先々代は昭和20年の水害で流失。
 先代は三木より購入。

山ノ下
=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.65m。幅3.38m。長さ5.78m。

西大窪
=平屋根三枚布団太鼓。布団締、水引幕、高欄掛、昼提灯 など龍で統一。
松陰⇒鎮守は住吉神社(松陰235)。
=平屋根三枚布団太鼓。平成17年制作。
 練行燈・だんじり・獅子舞あり。日曜に大窪八幡神社に布団太鼓宮入り。
大久保町西脇635 宗賢神社 10/1土日 神輿
布団太鼓1台
獅子舞
 ■土曜
(20:00〜)獅子舞奉納
 ■日曜
13:30〜:太鼓、神輿宮入り。15:30〜:獅子舞奉納。
西脇=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.36m。幅3.93m。長さ5.97m。
 高欄掛は「竹に虎」。
 獅子だんじりもあり。
大久保町大久保町910 住吉神社
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5/18頃の日曜 獅子舞 獅子だんじり
10/3日曜(元・19) 神輿
布団太鼓2台 東、西
獅子舞
東講中=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.6m。幅3.6m。長さ6.8m。
 明治43年制作。昭和33年、平成14年修復。大工は河野屋台制作所。衣裳は京美刺繍。

西講中=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.74m。幅3.62m。長さ7.2m。
 平成12年修復。
大久保町谷八木654 住吉神社 10/2土日 神輿
布団太鼓1台
獅子舞
(9:30〜)布団太鼓宮入り、獅子舞、子供神輿 (17:00〜)八木遺跡公園で合同練り合わせ
谷八木=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.6m。幅3.4m。長さ8m。
平成14年(2002)制作。大工は河野屋台製作所。彫師は姫路市の井上準司。狭間は「安宅の関」、「義経、弁慶五条大橋の出会い」、「頼朝朽木隠れ」、
衣装は京美刺繍。
水引幕は「龍の珠取り」。高欄掛は「退治物」。

 先代は昭和40年に中止し34年間休止。
大久保町八木488 八木住吉神社 10/2土日 神輿
布団太鼓2台
子供太鼓2台
八木、西八木
(10:00〜)布団太鼓宮入り (13:00〜)神輿 (17:00〜)八木遺跡公園で合同練り合わせ
八木=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.4m。幅3.3m。長さ7.6m。
平成10年制作。(有)梶内だんじり店の作。
水引幕は「阿吽の向い龍」。高欄掛は「源平屋島の合戦」。
布団締は「金綱」。布団締め隠しは「烏天狗」。
昼提灯は「伊勢神宮」、「大宰府天満宮」、「厳島神社」、「瀬田の唐橋」。


 先代は
大正12年頃制作。昭和43年から一時休止するが、56年に復活。
西八木=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.4m。幅3.2m。長さ7.4m。
平成5年(1993)制作。大工は荻野建設。
彫師は岸和田の木下彫刻工芸。挟間は「本能寺の変」、「清洲城修復」、「秀吉本陣佐久間の乱入」、「日吉丸初陣 富士川の合戦」。
雲板は「梅に鶯。松に鷲」。

衣裳は姫路の川村刺繍。水引幕は「桶狭間の合戦」。高欄掛は「川中島の合戦」。
布団締めは「昇龍、降龍」。布団締め隠しは「扇に獅子」。


 先代は市立博物館に寄贈後、三木市芝町へ。
大久保町森田141−2 住吉神社 10/3日曜(元・19) 子供神輿
東江井(大久保町江井島83) 大歳神社 10/3土日 布団太鼓1台 東江井 
東江井=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.25m。幅3.3m。長さ6m。
昭和7年、麦本政雄の請負で購入。衣裳は絹常の作。布団締、水引幕、提灯は「阿吽の龍」。高欄掛は「竹に虎」2面、「獅子」2面。
西江井(大久保町江井島318) 住吉神社 10/3土日 布団太鼓1台 西江井
西江井=平屋根三枚布団太鼓。
布団締・水引幕は「阿吽の龍」。高欄掛は「退治物」。
東島(大久保町江井島590) 住吉神社 10/3土日 布団太鼓1台 東島
東島=水引幕は「阿吽の龍」。高欄掛は「海老」。昼提灯は「二見ヶ浦 夫婦岩 日の出」。 
大久保町江井島は鎮守は別々だが、3地区屋台練りが行われる。2014年は本宮の11:45〜に西江井・住吉神社。14:30〜に東嶋・住吉神社。17:00〜に東江井・住吉神社で行われた。
13日:13:00〜布団太鼓宮入、子ども相撲
大久保町松陰新田741 宗賢神社 10/2土日 布団太鼓1台 子供相撲 
松陰新田=平屋根三枚布団太鼓。平成19年購入。
狭間は「獅子と龍」二面ずつ。布団締は「鯱」。高欄掛は「獅子」。水引幕は「龍」。

 先々代は昭和20年の水害で池に水没。
 先代は昭和22年購入。平屋根三枚布団太鼓。
大久保町福田2丁目1−7 住吉神社 10/2日曜 布団太鼓廃絶 9:00〜:神事
獅子舞休止
福田=明治後期に三木の志染より購入。昭和37年が最後で、のちに廃絶。

獅子舞=平成初期まで練られたが、現在は休止。

 ■魚住地区
    ⇒金ヶ崎、清水、長坂寺、中尾、西岡
魚住町金ヶ崎1452 金ヶ崎神社 10/2土日(元・17) 神幸式
布団太鼓1台
獅子舞奉納
 ■土曜
(19:00〜)布団太鼓宮入り、獅子舞奉納
 ■日曜
(13:00〜)布団太鼓・神輿宮入り
(14:30〜)餅まき
金ヶ崎=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.5m。幅3.2m。長さ7m。
 昭和5年頃に、三木から購入。平成16年、大改修。
魚住町金ヶ崎928 住吉神社 10/2土日(元・17) 布団太鼓廃絶
獅子舞廃絶
柳井=森より購入するが、昭和40年代初期に獅子舞と共に廃絶。
平屋根三枚布団太鼓。雲板・挟間彫刻は無かった。水引幕は「唐獅子」。布団締めは「龍」。昼提灯は「龍」。
魚住町清水886 清水神社 10/2土日(元・17) 神輿
布団太鼓1台   
獅子舞 清水獅子舞保存会
 ■土曜
(10:00〜)布団太鼓、天狗の地区巡行
(18:00〜)宮入り

 ■日曜
(14:30〜)布団太鼓・神輿宮入り、獅子舞奉納
清水=黒反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.6m。幅2.65m。長さ6.5m。
昭和天皇の御大典のため曽根から購入。狭間は「巴御前の雄姿」。
魚住町清水574 浜西神明神社 10/2土日(元・17) 獅子舞 氏地は浜西地区
■土曜(19:00〜)獅子舞奉納
■日曜(7:00〜)獅子舞、天狗の地区巡行
清水新田(清水2606) 宗賢神社 10/2土日(元・17) 布団太鼓1台  
獅子舞
清水新田=赤反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.46m。幅3.58m。長さ8.25m。
平成初期制作。姫路の業者の作。高欄掛は「龍・虎・鷲・鵺」の退治物。
狭間は「曽我五郎大磯驀進」、「牛若、弁慶 
五条大橋の出会い」、「素盞嗚尊八岐大蛇退治」、「加藤清正虎退治」
長坂寺(魚住町長坂寺544) 住吉神社 10/2日曜(元・17) 獅子舞 9:00〜神事
布団太鼓1台  
長坂寺=平屋根三枚布団太鼓。淡路より購入。平成21年に久々に出るが休止している。
長池(魚住町長坂寺1254) 宗賢神社 10/2日曜(元・17) 例祭 8:30〜神事
魚住町中尾1031 中尾住吉神社
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10/最終土日 神輿 堺で作られた
布団太鼓4台 中尾、西岡、大見、大久保町西島
布団太鼓休止中 浜谷
11:40〜:布団太鼓宮入り。13:00〜:和太鼓奉納。14:00〜:神輿巡幸。
中尾平屋根三枚布団太鼓。幅2.95m。長さ6.6m。
明治期制作。狭間彫刻・雲板彫刻 等は無し。四本柱が直接布団台に付いている古い屋台の形式を残している。
衣裳は全て絹常の作。水引幕は「双龍」。ただしひげと鼻の点々は川村刺繍の修復時に変える。
高欄掛:川村刺繍にて復元新調。「蛇と野鼠」。
旧作品も保管されていると聞く。

西岡=平屋根三枚布団太鼓。幅3.3m。長さ6m。
平成14年(2002)制作。三木の宮脇建設の作。 彫師は井波の人。通に言わせると藤崎秀胤ではないかと。
衣裳は姫路の奥村。水引幕は「富士の巻狩り」。高欄掛は「義経八艘飛び」、「那須与一」、「弁慶」、「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
 先代は新調につき解体。

大見
=平屋根三枚布団太鼓。幅3.7m。長さ6.5m。
平成10年(1998)、河野屋台製作所請負。三代目。布団屋根は平成16年新調。
衣裳は京美刺繍。水引幕は「龍の珠取り」。高欄掛は「源平合戦」。
 先代は昭和38年、淡路で作ったと云われている。

大久保町西島
=平屋根三枚布団太鼓。幅3m。長さ5m。
平成9年(1997)制作。地元の壽建設の請負。
狭間の彫師は岸和田の木下一門と思われる。「五右衛門香炉取り」、「楠公父子 桜井の別れ」、「神功皇后応神天皇平産す」、「布引三段目 小櫻責め」。
衣裳は川村刺繍。高欄掛は「義経八艘飛び」、「平教経」、「平知盛」、「弁慶」。
浜谷=明治初期よりあったが、平成5年から休止。13年より公民館に展示保管。
平屋根三枚布団太鼓。布団締め・提灯は「龍」。水引幕は「龍の珠取り」。高欄掛は「退治物」。

 ■二見地区
     ⇒東二見、西二見、福里
二見町東二見1323 御厨神社
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10/20以降の土日 神輿 竹内錺金具店の作
布団屋台8台 上西、西之町、北之町、地蔵町、原之町、西二見、福里、岡の上
布団太鼓廃絶 東ノ町、出開地、仲ノ町、大城ノ町
宵宮:11:00〜。本宮:10:00〜:布団太鼓宮入り。13:00〜。神輿練り。13:50〜:御旅神事。
上西=反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.8m。幅3m。長さ8.42m。
昭和3年購入。平成10年改修。
淡路の池田建築、竹内錺金具店(竹内雅泉)の作。水引幕は「向い龍」。日本刺繍の作。高欄掛は無し。
 先代は平屋根三枚布団太鼓で、三木市大柿へ。

西之町=緩やかな反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.4m。幅2.95m。長さ8.4m。
大正期に淡路より中古屋台を購入。
布団屋根には、正面に天満宮、左右に満月と三日月、裏面に松の扇が付けられている。
布団締めは「御神紋」。
水引幕は「追い龍」。梶内の作。高欄掛は無し。

北之町=やや反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.4m。幅2.74m。長さ8m。
大正期に購入。平成13年、彫物以外は新調。大工は荻野建設。平成24年にも改修。
水引幕は「向い龍」。高欄掛は「退治物」。絹常の作か?。
 元々は大正年間購入。

地蔵町⇒太鼓蔵は二見町東二見1925。
=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.5m。幅2.9m。長さ7.5m。
大正7年(1918)、尾上家新宅(現当主・尾上清茂氏)の寄贈により始まった。神戸市兵庫区川崎町より購入という記録あり。
水引幕は「退治物」。ネットワークの作。高欄掛は無し。

原之町=平成21年(2009)10月24日(土)御披露目。搬入は10月4日。
やや反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.25m。幅3.25m。大工は級ャ野建設。彫師は岸和田の木下彫刻工芸。
挟間:「景清のしころ曳き」、「義経弓流し」、「神功皇后」、「義経八艘飛び」。
水引幕は平成19年、復元修理。「向い龍」。梶内の作。布団締め、高欄掛:平成21年新調。「退治物」。
 先代は昭和初期に二見町福里から譲り受けた。

西二見=やや反り屋根三枚布団太鼓。高さ3.3m。幅2.97m。長さ8.2m。
平成13年(2001)9月23日、新調入魂式。大工は荻野建設。彫師は木下彫刻工芸(岸和田市)。
水引幕は「平 清盛 龍神の威勢」。高欄掛は「蛸、海老、鯛、鯱」。川村刺繍の作。
 戦前は西出町(=西ノ町。上村)と大城ノ町(=下村)に分かれていたが、戦後合併し西ノ町の屋台を使うことになる。
 先代(西出町=西ノ町)は明治末期制作。現在は明石市立文化博物館に展示。


福里
⇒鎮守は大年神社(福里575)
=平屋根三枚布団太鼓。高さ3.3m。幅2.9m。長さ8m。
昭和60年新調。大工は荻野建設。水引幕は「向い龍」。高欄掛は「退治物」。梶内の作。
狭間は再利用。
 往古は昭和初期、西二見の出開地屋台を購入。昭和40年の台風で屋台蔵ごと倒壊。
 そこで翌年、淡路にあった八尾の五枚布団屋台を三枚屋根に改造して使用。

岡の上=やや反り屋根三枚布団太鼓。
令和2年(2020)10月31日、新調入魂式。大工は宍粟市の上内工務店。
 明治末期より西二見に参加していた。
昭和54年製作。地元の大工の協力の下、地域の住民がみんなで協力し合って製作。63年より宮入り出来るようになる。
高さ2.96m。幅2.7m。長さ6.96m。平成9年、水引幕、高欄掛は川村刺繍の作。

新調につき、子供太鼓となる。
西二見は東西に下村(西ノ町と出開地)と上村(仲ノ町・東ノ町・大城ノ町)に分かれていたが、戦後合併で西二見となる。
東之町=平屋根三枚布団太鼓。昭和57年より休止し、その後播磨町古宮に売却。

仲之町=平屋根三枚布団太鼓。平成26年(2014)11月23日、王子に嫁入り。
昭和10年に西松江より購入。布団屋根に掲げられた額や水引幕の箱に「林神社」「西松江」の墨書きがあることから元・西松江の布団太鼓と分る。
昭和57年より休止され金刀比羅神社に分解保存されていた。


大城ノ町=平屋根三枚布団太鼓。昭和27年頃に出開地(岬町)に譲渡。

出開地=平屋根三枚布団太鼓。明治末期に淡路の大工が住み込みで制作。
昭和初期に福里に譲渡されるが、現存せず。

 ★展示場
 【明石市立文化博物館】(公式HPへ
明石市上の丸2丁目13−1п@078−913−4588。9:30〜18:30(入館は18:00まで)。
休館日は毎週月曜(国民の祝日又は休日及び特別展開催期間中を除く)、 年末年始(12月29日〜1月3日)。入館料:大人200円。
西二見より太鼓台の寄贈を受け展示。
伊弉冊神社氏地の御旅町(岬町)の太鼓台を収蔵庫に保管。