兵 庫 県

   【淡路】
     

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪洲本市≫
  平成18年(2006)2/11、洲本市+津名郡五色町が合併。
 ◎旧・洲本市
山手2丁目1-10 洲本八幡神社 4/29 曳き壇尻8台
宮壇尻、本町5・6丁目、本町7丁目、漁師町、内通町、細工町、山下町、馬場町
曳き壇尻3台保存中 船場町、幸町、川西町
子供獅子舞 細工町
獅子舞 物部、中島
宮壇尻=洲本型。 

本町5・6丁目
=洲本型。

本町7丁目(センター街)=洲本型。昭和27年制作。平成14年。20年ぶりに出す。

漁師町
=洲本型。平成14年頃制作。
 先代は昭和30年代前半制作で神社境内に放置。担ぎ壇尻は昭和48年より休止。

内通町=洲本型。 

細工町
=洲本型。昭和初期の作。担ぎ壇尻もあった。

山下町=洲本型。担ぎ壇尻もあった。

馬場町
=洲本型。昭和30年頃制作。
 【壇尻廃絶】
本町8丁目=担ぎ壇尻があったが廃絶。
下屋敷=大阪型の壇尻があったが、市立淡路文化資料館に寄贈。同館は屋外展示。
「淡路名所図会」には氏子18町より地車を出し云々とある。
炬口2丁目13-17 炬口八幡神社 3/最終日曜 神輿   
曳き壇尻6台 東中之町、西中之町、西相之町、新浜町、西之町、塩屋町
布団壇尻2台 東之町、東相之町
 炬口には往古は大小の布団壇尻があったが、昭和24、5年頃の火事のため、飾り物を焼失したので、昭和26年頃(1年遅れの町もあったらしいが)に一斉に新調する。
これは東仲之町の提灯箱に昭和26年9/27調製と記されていることからも推測される。
 なお先代の大の布団壇尻は現・東仲之町のだんじり小屋の奥に保管。これは元々ここが炬口の壇尻小屋のためで泥台が保管。彫物は公民館に保管。
塩屋は平成13年頃に500万円をかけて梶内だんじり店で制作。先代は老朽化で廃棄。
下加茂1-9 加茂神社 4/1or2日曜 曳き壇尻3台 下加茂、桑間1丁目、山崎 
獅子舞 下加茂町内会
由良3-5-2 由良湊神社 2/11&7/31 神輿 あり
布団壇尻7台
南、仲之町、仲小路、紺屋町、4丁目、天川、内田
子供壇尻1台 紺屋町
 【ねりこ祭り】
2/11の建国記念日に行われる。数え年3歳になった子供が、両親、親族に伴われて、御旅所(事代主神社の若宮)まで御神輿と共にねり歩き、神前に御幣を奉って、今まで無事に育った感謝と今後の健やかな成長を祈る。一番乗りをめざして数組のねり子が御旅所までの約700mを疾走したが、最近は下火になっている。このねりこ祭りにも壇尻は出る。
(1丁目)=平成14年頃制作。徳島の青山みこし店の作。幕は梶内の作か?

仲之町( 2丁目)=平成18年(2006)制作。52年ぶり新調と伝わる。枡会:「龍二面」、?、?。

紺屋町(3丁目)=平成15年(2005)、35年ぶりに新調。㈱池田建設 だんじり部の作。

仲小路=平成18年6月制作。㈱池田建設 だんじり部の作。
 先代は小型で紺屋町の子供壇尻となる。

4丁目平成10年(1998)改修。徳島の青山みこし店による。

天川
=?

内田
=平成初期に新調。㈱池田建設 だんじり部の作。
 初代は下取り。
上内膳片山1194 八幡神社 3/最終日曜 神輿 鶴ヶ丘神社とも称する  
曳き壇尻2台 大森谷、尾筋
布団壇尻1台 里 
大森谷=昭和25年創建。これは洲本市制10周年記念に作られた。地元出身で由良在住の大工の作。以前は獅子舞のみ。

尾筋
=平成18年の聞取りで75歳(昭和6年=1931)生まれの人が生まれた時よりあるという事から昭和初期よりあったと分かる。

=昭和末期に手作りで制作。初年は泥台無しで軽トラックに乗せたという。
 先代は本格的な布団壇尻だったが、台風で潰れる。
中川原町中川原 琴平神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
昭和7年1932)制作。「梶内だんじり店」の作。三代目?彫師は川原啓秀。
先代も練習台として保存。
中川原町三木田 琴平神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
大正7、8年制作。「大歳」の作。彫師は玉井九馬一。
中川原町市原 琴平神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
市原=明治27年制作。平成4年修復。その時に彫物入れる。創建と云われるが、往古に曳き壇尻あったとも云われる。
水引幕は小泉久吉の作。「龍」、「熊」、「渡辺 綱」、「源 頼光」。
金屋1013 新宮神社 4/2日曜 布団壇尻1台  
大野1294 白髭神社 4/3日曜 芸壇尻1台
子供壇尻1台
  
芸壇尻(曳き壇尻)=明治期よりある。

子供壇尻
=曳き壇尻タイプ。平成14年、神輿と同時に作る。
かき壇尻=戦前に潰れる。また往古は宇原も宮入り。
新村284 和霊神社 4/下旬 神輿(大小)
布団壇尻1台 彫師は二代目黒田正勝。 
池内410 妙見宮 4/2日曜 神輿 餅まき
曳き壇尻1台  
安乎町平安浦1465 八幡神社 3/春分の日 布団壇尻4台 浜、南、中田、北谷[きただに]
曳き壇尻1台 直田[じきでん]
獅子 古宮
=大工、彫師は不詳。挟間は「龍」、「虎」、「海の生き物に乗る人物もの二面」。
 水引幕は「赤地の追い龍」。昼提灯は「二見ヶ浦」。

=大工、彫師は不詳。挟間は「矢の根の場」、「名和長年後醍醐天皇御迎えの場」、「鎮西八郎為朝の剛弓」、「頼朝朽木隠れ」。 
 水引幕は「赤地で加藤清正虎退治と武将の龍退治の二場面」。昼提灯は「二見ヶ浦」。

中田=
大工、彫師は不詳。挟間は「三豪傑桃園の誓い」、「三顧の礼」、「長坂坡の戦い」、「龍」。
 水引幕は梶内作の「追龍」。昼提灯は「二見ヶ浦」。

北谷
=大工、彫師は不詳。挟間は「竹に虎、酒呑童子の酒宴の場(鬼のみ)、「張飛」 など。
直田[じきでん]=彫師は開正藤。
宇原603 香椎神社 3/中旬 布団だんじり 老朽化が激しい
 ◎旧・津名郡五色町
五色町鳥飼中314 鳥飼八幡神社 10/3土日 神輿2基
布団壇尻4台 鳥飼中組、鳥飼上組、鳥飼南組、都志角川南
舟壇尻2台 鳥飼浜組、鳥飼北組
獅子舞 鳥飼当若祭礼団
鳥飼中組=彫師は齋藤萬琳斎。

鳥飼上組
=彫師は開正勝。銘は開 藤太郎。

鳥飼南組、都志角川南=詳細不詳。
五色町都志大宮63 都志八幡神社 4/1日曜(元・3/30) 神輿 あり
舟神輿2台 大浜、新在家
布団壇尻7台 大宮、大浜、新在家、万歳、本村、葛尾、米山、
布団壇尻休止 角川北、大日
獅子 都志万歳ねりもの団  
御旅所は住吉神社(都志288)。秋祭り(10/10)は以前は神輿渡御だったが、今は神輿が社殿を三周巡る。霜月祭(12/14)も神輿が社殿を三周巡る。
大浜(八幡丸=天保6年制作。三代目。

新在家(鳳凰丸)
=高田屋嘉平衛寄贈と云われている。
大宮=彫師は高松彦四郎。狭間:正面は「景清 阿古やを見初る」、右は「大江山 鬼退治」、左は「大江山 酒呑門前」、後は「佐久間玄藩 猛攻」。

大浜=彫師は二代目黒田正勝。

新在家
=彫師は?狭間:正面は「頼朝 鶴岡八幡宮戦勝祈願の場」、右は「楠公子別れ 桜井の駅」、左は「神功皇后応神天皇平産す」、後は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」。

万歳=
彫師は開正藤。 狭間:正面は「頼朝 鶴岡八幡宮戦勝祈願の場」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、左は「楠公子別れ 桜井の駅」、後は「安宅の関 弁慶勧進帳」。

本村=
三代目黒田正勝。狭間:正面は「天の岩屋戸の変」、「三国志 三顧の礼」、「?」、「清盛 怪異を見る」。

葛尾
[つづらお]=彫師は二代目黒田正勝。狭間:正面は「安宅の関 弁慶義経懲打」、右は「楠公子別れ 桜井の駅」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」、後は「神功皇后応神天皇平産す」。

米山
=彫師は二代目黒田正勝。狭間:「?」、「?」、「安宅の関 弁慶義経懲打」、「本能寺の変」。

角川北=2009年より休止。
彫師は?。
狭間:正面は「曽我兄弟 祐経陣屋討入」、右は「巴御前の勇姿」、左は「加藤清正の虎退治」、後は「安宅の関 弁慶勧進帳」。

大日=明治20年代の作。彫師は山北廣信。縫師は小泉久吉。
大正期に大改修。先代の彫物を利用した新調と言ってもいい。本体、幕は大歳屋の作。この際に布団締めが刺繍から金綱に変更。また大歳屋所蔵の記念撮影の写真があると云われる。
狭間:「親子龍」、「高砂」、「富士の巻狩り」、「鞍馬山」。
幕:「雌雄の龍」。
五色町鮎原南谷562 河上天満宮 4/29(元・25) 神輿 あり
布団壇尻10台 吉田、南谷、三野畑、塔下、中、田処、西村、小山田、栢野、宇谷
獅子 上村
吉田=制作年不詳。彫師は斎藤萬林斎。平成13年「梶内だんじり店」で修復。幕は「追龍」。梶内の作。

南谷
=大正14年制作。平成14年4/21改修入魂式。彫師は川原啓秀。幕は「追龍」。梶内の作。

三野畑
=明治15年制作。彫師は高松彦四郎。幕は「追龍」。梶内の作。

塔下
=明治15年制作。彫師は高松彦四郎。狭間は「安宅の関 弁慶義経徴打す」、「義経鵯越え」。

=制作年不詳。彫師は高松彦四郎。幕は「追龍」。梶内の作。

田処[たどころ]=明治期制作。大正期に東浦より購入。彫師は不詳。幕は「追龍」。梶内の作。
 
先代は台風で壊れたと云われる。

西村=明治23年制作。彫師は高松彦四郎。幕は「追龍」。梶内の作。

小山田=
明治23年制作。彫師は高松彦四郎。狭間は「浦島太郎」。幕は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。日本刺繍の作。

栢野
[かやの]=彫師は玉井行陽。幕は「追龍」。作者は不詳。  
宇谷…休止中。現在は奉納旗のみの参加。
五色町下堺699 堺八幡神社 10/4日曜 神輿 あり
布団壇尻2台 上堺、下堺
獅子舞 上堺、下堺
上堺=彫師は二代目黒田正勝。

下堺=昭和2年(1927)昭和天皇御即位を祝い新調。平成20年(2008)、約80年ぶりに修復。総費用約1500万円。
彫師は川原啓秀。「忠臣蔵」。
水引幕は「平清盛のもとに現れた弁財天」。昼提灯「夫婦岩」。 
 往古は松の木の台座に簡単な彫刻を乗せた引きだんじり。
五色町広石中40 広石八幡神社 10/2日曜 神輿 あり
布団壇尻4台
(上、中、下、北)
※氏地の角川中は無し
獅子舞 4祭礼団が持ち回りで奉納
広石上=詳細不詳。

広石中=彫師は二代目黒田正勝。

広石下=詳細不詳。

広石北
=彫師は二代目黒田正勝。
五色町都志万歳975 長林寺  7/17 つかい壇尻1台 万歳ねりもの団 
  長林寺の本尊十一面観世音菩薩の縁日である7月17日に行われる行事。東北出身の本高上人が故郷の奇祭を取り入れて、文明年間(1469~86にはじまったとされている。担ぎ手が威勢のよい掛声でだんじりを回転、横転させ、柱に縛られた2人は横になろうと、逆さになろうとリズムを崩さず打ち続ける。
 ☆旧・五色町全域で32台(布団29台、舟2、つかい1台)の壇尻がある

 ≪淡路市≫
  平成17年(2005)4/1、津名郡淡路町+北淡町+東浦町+津名町+一宮町が合併で誕生。
 ◎旧・淡路町
岩屋799 石屋・八幡神社 5/中旬&9/15頃の土日 神輿
曳き壇尻8台
布団壇尻1台
中之町、東之町、西之町、橋本、片浜、長浜、神之前・田の代鵜崎
廃絶 茶間
中之町、東之町、西之町、橋本、片浜、長浜=詳細不詳。

神之前・田の代=昭和47年制作。大工等は不詳。

鵜崎=詳細不詳。
茶間=平成20年(2008)11月に小屋と壇尻が解体。
※町内13地区よりそれぞれだんじりが出たが、昭和28年に公団フェリ-が開通してからは神社前の混雑がひどくな り1、2台しか出せなくなった。 現在、曳きだんじり9台、布団だんじり1台の中から、大体3台ぐらいが参加する。
 ◎旧・北淡町
石田767 富島八幡神社 4/3土日 神輿 あり
布団壇尻3台 浅野南、富島中之町、富島東之町、水越
廃絶 富島西之町、石田、岡畑、仁井
獅子舞 浅野南青年団
氏子は浅野南、富島中之町、富島東之町、水越、富島西之町、石田、岡畑、仁井
昭和40年代までは秋祭りが行われ、壇尻を出した。
浅野南=大正期に中古で購入。大工は大歳。彫師は開正藤。平成9年の秋祭りに震災後の復活。
枡合:正面は鶴岡八幡宮放生会」、他に「本能寺の変、小桜責め、新田義貞稲村ヶ崎」。
水引幕は「龍」。提灯は「伊勢神宮」、「春日大社」、「住吉大社」、「厳島神社」。
子供神輿も曳く。富山刑務所の作か?。

富島中之町=平成10年以降の秋祭りに震災後の復活。

富島東之町=平成10年以降の秋祭りに震災後の復活。
彫師は萬屋正幸。狭間は「鶴岡八幡宮」、「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、「生田の森」、「秀吉本陣佐久間の乱入」。
水引幕は「韓のけつ童子」。
提灯は「伊勢神宮」、「春日大社」、「住吉大社」、「厳島神社」。


水越=平成9年の秋祭りに震災後の復活。
 【廃絶】
富島西之町=この地区のみ曳き壇尻だった。昭和40年代に祭礼中に子供の人身事故で中止となる。

石田=平成7年1/17の阪神大震災で檀尻小屋ごと大破。現在は北淡町民俗資料館に解体して寄付。
大正9年(1920)制作。彫師は開正藤。


岡畑=昭和末期より檀尻を出していなかったが、平成7年1/17の阪神大震災で檀尻小屋が潰れ、土地は借地なので地主に返還した。

仁井=平成7年1/17の阪神大震災で檀尻小屋ごと大破し売却。土地は借地なので地主に返還した。
大正期制作で、彫師は開正勝・宮地弥助だった。
狭間:正面は「養老の滝」、右は「本能寺の変」、左は「安宅の関」。地車かわら版第99号にこの3面の写真が載っている。
野島649 八幡神社 9/最終日曜 神輿 あり
布団壇尻3台 野島浜、平林、舟木
布団壇尻休止2台 江崎、常盤
野島浜=彫師は不詳。狭間は「大江山鬼退治」、「生田の森」、「村上義光錦の御旗奪還す」、「忠臣蔵 両国橋引揚げ」。
水引幕は「源頼光」。提燈は「?」。

平林
=彫師は二代目黒田正勝。

舟木
=彫師は不詳。狭間は「天の岩戸」、「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、「夜討ち曽我」。
江崎???

常盤
=彫師は開正藤。
斗ノ内1089 河上神社 5/9頃の日曜 神輿2基 あり
布団壇尻2台 浜、里
=彫師は不詳。狭間は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、「仁田四郎忠常の高名」、「曽我兄弟夜討ち」、「?」。
水引幕は「龍」。提燈は「鶴」。

=彫師は平間勝利。狭間は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、「大江山鬼退治」、後二面は不詳。土呂幕は「花鳥物」。
水引幕は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
提燈は「義経能登守教経の血戦」、「宇治川の先陣争い」、
「一の谷合戦」。
育波1696 育波八幡神社 4/2日曜&10/1土日 神輿4基 あり
布団壇尻2台 浜、里
=貝塚型。明治末期頃に貝塚市堀之町より購入説や堺より購入説もある。
大工は岸谷清平・清蔵。彫師は二代目高松彦四郎。平成12年に大改修を本体は姫路で、彫刻は木下彫刻工芸で土呂幕を復元新調。
狭間は「富士の巻狩」、「仁田四郎忠常猪退治」。
平成18年、姫路の川村刺繡で新調。水引幕は「浦島太郎」。以前は「龍」。提燈は「近江八景」。

=彫師は不詳。狭間は「神功皇后」(二面)、「武内宿禰」(二面)。水引幕は「韓のけつ童子」。提燈は「龍」。
室津1860 八幡神社 9/4土日or10/1土日 神輿4基 神輿、子供神輿約4基
布団壇尻3台 宮田組、里組、西濱組
廃絶 大坪、田尻
 ≪行事予定≫
 ■宵宮
(17:30~18:00頃)壇尻宮入り

(~22:00)神社前にて練り合わせを披露。その後、壇尻唄を披露。
 ■本宮
(11:30頃~)宮入り。神輿1基(厄年の人が担ぐ)、子供神輿。宮入り後、壇尻唄披露。厄年の男による餅まき。終了後、神社前にて各壇尻練り合わせ。
(~17:00頃)神社⇒御旅所神社
(18:00頃)壇尻・神輿宮入り。
宮田組(東地区)=詳細不詳。

里組
(里地区)=詳細不詳。

西濱組
(西地区)=詳細不詳。
生田畑958 河内神社 10/3 布団だんじり廃絶 昭和40年の水害で潰れる
※旧・北淡町全域で16台の壇尻がある
 ◎旧・東浦町
仮屋170 事代主神社 9/2土日 神輿
布団壇尻3台
子供壇尻1台
戎ノ丁(大小)、南ノ丁、中ノ丁
久留麻2033 伊勢久留麻神社 5/5 布団壇尻
曳き壇尻1台 引野は松帆神社例祭に出る年もあれば、当社例祭に出る年もある。
釜口1932 釜口八幡神社 10/1日曜 布団壇尻1台
現在は釜口として運行。昔は氏子各町に壇尻があった …小井、野田、上畠、里、津田、下田浦
久留麻256 松帆神社 10/1日曜(元・3) 布団壇尻6台 中北町、大北町、戎町、谷町、中ノ丁、南ノ丁
曳き壇尻1台 引野
※旧・東浦町全域で9台(布団13台、曳き2台) の壇尻がある
 ◎旧・津名町
生穂2505 賀茂神社 4/19までの日曜 布団壇尻7台 生野組、中組、土器屋、札場、覗、野田尾、大谷南
布団太鼓廃絶 大谷本村、摩耶
生野組=彫師は開正藤。水引幕は京美刺繍の作。「向龍」。

中組
=大正6年(1917)制作。狭間の彫師は開正藤。「神功皇后」、「姉川に火花を散らす木村又蔵」、「朝比奈三郎義秀錣曳き」、「頼義霊泉を得て官軍の渇を助く」。
平成14年、水引幕、提灯復元新調。京美刺繍の作。「清盛の日招き」。
 先代は明治22年制作。


土器屋
(かわらけ)=彫師は開正藤。昭和56年700万円かけて修復。水引幕は梶内だんじり店の作。「双龍」。

札場
=彫師は開正藤。水引幕は梶内だんじり店の作。「源平合戦図」。

=彫師は開正藤。昭和60年500万円かけて修復。水引幕は不詳。

野田尾=彫師は開正藤。水引幕は梶内だんじり店の作。「護長親王幽閉図」。

大谷南
=平成3年(1991)3/31新調入魂式。「梶内」だんじり店作。水引幕は平成3年、梶内だんじり店の作。
 以前は昭和57年より樽神輿。しかし往古は布団壇尻。
志筑1912 志筑八幡神社 4/29 布団壇尻8台 石神、北、南、明神、連東、西谷、田井、天神
子供壇尻2台 連上、殿下
石神=彫師は開正藤。

北、南
=??  

明神
=彫師は開正藤。銘は 開 藤太郎。
狭間:「鶴ヶ岡八幡宮」、「新田義貞 宝刀を奉ず 稲村ヶ崎」、「楠公子別れ 櫻井の駅」、「神功皇后 応神天皇を平産す」。

連東、西谷、田井、天神
=??
連上=??
殿下=元は大きな壇尻があったが、八幡神社から降りる坂道でこかしてしまい、壊れてしまった。そこで、同じ町内会の梶内だんじりが子供壇尻を寄贈された。
廃絶…中部(曳き壇尻)
佐野2106 佐野八幡神社 10/1日曜 布団壇尻1台 小田ノ前
※ 戦前は6台のだんじり(生野組、南浜、たから組、小井、柏原、井筒)が出て、競馬など多彩な神事が行われた。北浜は休止中。
木曾上畑380  高倉神社 5/1日曜 布団壇尻1台 木曾上畑 
木曾上畑=大正7年制作。初代か?。大工は大歳。彫師は不詳。
木曾 春日八幡神社 4/2日曜 布団壇尻3台 木曾上、木曾下、木曾西 
木曾上組=彫師は開正藤。 枡合:正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「頼朝 鶴岡八幡宮戦勝祈願の場」、左は「布引四段目 小櫻責」、後ろは「本能寺の変」。

木曾下組=昭和9年(1934)完成。制作費は6,956円。彫師は川原啓秀。枡合:「川中島の合戦  信玄と謙信竜虎相打つ」、「頼朝 鶴岡八幡宮戦勝祈願の場」、「村上義光 錦の御旗奪還す」、「神功皇后応神天皇平産す」。

木曾西
明治17年制作。彫師は高松彦四郎、堀江弥三郎。
枡合:正面は「安宅の関 弁慶義経を懲打す」、右は「西南の役」、左は「布引四段目 小櫻責」、後ろは「仁田四郎忠常猪退治」(これのみ堀江弥三郎。裏に墨書きあり)。
池ノ内528 伊勢神社 4/初旬 布団壇尻1台  
中田1402-1 伊勢の森神社 4/2日曜 布団壇尻3台 氏子11ヶ村が北、中、南の三組に分かれて各組より1台の壇尻を出す
子供みこし 東岡=新興地区
梯子獅子
北=彫師は川原啓秀。

中、南=彫師は開正藤。
太鼓が鳴り響く中、高さ10mあまりの綱と梯子の上で獅子舞が行われる。この獅子舞は享保13年(1728)に社殿を設けた際に奉納が始まる。
 塩尾  春日神社 4/4日曜 神輿2基
布団壇尻3台 塩尾在、宮野原、下司
船檀尻1台
塩尾在=彫師は川原啓秀。

宮野原=彫師は高松彦四郎。
松帆神社 4/4日曜(元・4/25) 布団壇尻1台 塩田下司[くだし]
下司大名行列 随時行われる

下司(くだし)=平成19年(2007)3月25日、新調入魂式。約90年ぶりの新調で復活。同時に壇尻庫も新調。
㈱池田建設 だんじり部の作。高さ4.2m。横3m。かき棒の長さ8メートル。小屋建造費も合わせて制作費約3000万円

 先代は老朽化のため平成元年頃より出なくなり、その後処分された。

下司大名行列=淡路市指定無形民俗文化財。徳島藩主蜂須賀公の参勤交代時の大名行列と本陣に到着したときの「宿入り」の礼法所作をまねたもので、地元では「ヨイヤナの行列」として親しまれ、江戸期後期より淡路市の下司地区に伝えられる民俗伝統文化。
 ☆旧・津名町全域で31台(布団30台、曳き1台)の壇尻がある

 ◎旧・一宮町
尾崎遠田 日吉神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
多賀740 伊弉諾(いざなぎ)神宮 4/21、22 神輿  
布団壇尻8台 中村、多賀、大町上、大町下、井出、北山、撫、下河合
船壇尻1台、曳き1台
神輿文化5年(1808)阿波藩主が寄進した。六角鳳輦型。神輿庫は平成8年建造。
中村=昭和10年制作。彫師は開生珉、川原啓秀。狭間以外の彫刻は川原啓秀師の作。衣装は播州白浜の麦本の作。
狭間:正面は「大徳寺 焼香の場」、右は「川中島の合戦」、左は「頼朝 朽木隠れ」、背面は「新田義貞 宝刀を奉ず」。

多賀
=提灯には大木とある。昭和6年頃の作。彫師は開正藤。右の狭間のみ息子の開生珉。
挟間:正面は「天の岩屋戸の変」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、背面は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
虹梁:「富士の巻狩り」。

大町上=狭間:正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「布引四段目 小桜責め」、左は「野津少将と桐野利秋の血戦」、背面は「大江山酒宴の場」。

大町下
=昭和4年(1929)制作。製作費は6379円。大工は大歳茂平。彫師は開正藤。
挟間:正面は「巴御前の雄姿」、右は「鶴ヶ岡八幡宮 放生会」、左は「箙の梅 生田の森」、背面は「安宅の関 弁慶 義経を徴打す」。
虹梁:正面は「藤吉郎 小牧山の樹木を算う」、右は「藤吉郎 清州城修復」、左は「藤吉郎 信長公に見参の図」、後ろは「日吉丸 小六 矢矧橋の出会い」
幕は「生穂 大歳」

井出
=明治中期以降の作。彫師は平間勝利、永田道春。 
狭間:正面は「伊弉諾神宮」、右は「天の岩屋戸の変」、左は「神功皇后」、背面は「厳島神社」。

北山
=明治15年制作。彫師は高松彦四郎。
狭間:正面は「鶴ヶ岡八幡宮 放生会の図」、右は「川中島合戦」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」、背面は「朝比奈三郎 草摺引き」。

=狭間:正面は「鶴ヶ岡八幡宮 放生会の図」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「新田義貞 宝刀を稲村ヶ崎に奉ず」、背面は「箙の梅 梶原景季 生田の梅」。

下河合
=大工は大歳茂平。彫師は開生珉。狭間二面に「開公輝」と銘あり。

狭間:正面は「頼朝朽木隠れ」、右は「川中島合戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、背面は「布引四段目 小桜責め」。
船壇尻(一宮丸)=二代目。
 元禄6年(1693)に大王崎(三重県)で遭難した江戸廻船の郡家浦出身の船乗り12人が、漂流中に伊弉諾の神に祈念して助かったので奉納。この船壇尻「一宮丸」は、淡路文化史料館に保存されている。
郡家里組=平成25年(2013)年2月11日、壇尻曳継式。搬入は前年の11月4日。
岸和田型。昭和61年(1986)9月21日、高石市大園で新調入魂式。(屋根廻りに少し、古い彫物利用)。
大工は吉為工務店(吉野為雄)。彫師は筒井和男。助は岸田恭司、近藤晃。本体2035万円。(広報たかいしより)。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞嗚尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇 東征」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「義経 八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「那須与一 扇の的」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「鞍馬山 牛若修業の場」、左は「義経主従高館落ちの場」。
大連子:正面は「藤吉郎 伊藤日向守討取り」、右は「今川義元の最期」、左は「四天王 但馬守の強力」。
小連子:【富士の巻狩り】正面は「頼朝報償の場」、右は「狩場」風景」、左は「仁田四郎忠常の猪退治」。
土呂幕:正面は「佐久間玄蕃の雄姿」、右は「巴御前、畠山重忠との奮戦」、左は「加藤清正、新納武蔵守の血戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。
番号持ち:「勧進帳」。


 先代は神社収納蔵に神輿と共に保存。
明治23年に他所より購入。初代と云われる。
新村 金毘羅神社 4/10 布団壇尻1台
草香408 草香八幡神社 10/1日曜 遣いだんじり
布団壇尻3台 北、南、中
宵宮は、遣いだんじりが登場。三人の乗り子がたたく太鼓の合図で、だんじりをぐるぐる回したり、地面すれすれに横倒しにしたり、妙技を繰り広げる。
本宮は各地区からだんじりが登場し、練りこみがされる。
上河合417 木本神社 10/17 布団壇尻1台  
竹谷496 貴船神社 10/20 布団壇尻1台
原則として隔年出場と言われているが、。2015年は4年ぶり、2009年は6年ぶりに出場。 
柳沢乙614 岩上神社 4/1日曜 神輿
布団壇尻3台 西上、西下、東
西上=彫師は開正藤。

西下
=詳細不詳。

=昭和4年制作。彫師は開正藤。刺繍は梶内だんじり店。
狭間:正面は「天の岩屋戸の変」、右は「川中島の合戦」、左は「箙の梅 梶原景季 生田の森」、後ろは「鶴岡八幡宮」。
虹梁:正面は「矢矧橋の出会い」。右は「清洲城 割普請」、
左は「藤吉郎 小牧山の樹木を算う」、後ろは「?」。
幕は「平清盛 日招きの場」。
江井2586 平見神社 4/1日曜
10/1土日

神輿
布団壇尻4台 西桃川、東桃川、東之町
向谷 …休止
曳き壇尻3台 中之町、西之町、神見[しがらみ]町…宮入りしない所曳きのみ)
春は1台のみ。
※舟壇尻(鍵之町 …少さい町のため維持できず洲本市立淡路文化史料館に展示)
山田乙178 山田八幡神社 4/1日曜&10/2土日 布団壇尻2台 山田、入野
遣い壇尻1台 高山
獅子舞 旧・郷社
山田=明治中期以降の作。彫師は平間勝利。

入野
=??? 
高山=江戸期より続いていたが、平成22年、3年ぶりに復活。
平成20年より少子高齢化のより名物の頭上にだんじりを持ち上げ、上下左右に激しく揺さぶったり、横倒しにしたりするなど荒技が中止。
深草25 八幡神社 4/15頃の日曜 布団壇尻1台  

 ≪南あわじ市≫  
   
平成17年(2005)1/11、三原郡三原町+緑町+西淡町+南淡町が合併して誕生。   
 ◎旧・三原町
神代社家344-1 上田八幡神社 /4 神輿 あり
布団壇尻12台
社家、上中原、神代浦壁、円行寺、三條、善光寺、寺内、寺田、段、小井、市、青木
投げ壇尻3台 市、久保、青木
巫女舞
社家、上中原、神代浦壁=???

円行寺土台は大歳の作。彫師は松田正幸。「源頼朝 朽木隠れ」。水引は梶内の作。昭和54年改修。

三條
=彫師は開正藤・開生珉(正面に銘あり)。挟間:正面は「鶴ヶ丘八幡宮」。

善光寺
=???

福永
=水引幕は「天の岩屋戸の変」。

寺内、寺田、段、小井
=???

久保=大工は㈱池田建設 だんじり部。


青木
=???
志知中島1020 中島八幡神社 4/14前の土日 布団壇尻2台 上所[かみじょ]、大屋所[おやじょ]
八木養宜上917 八幡神社 4/20頃の土日 布団壇尻3台
子供壇尻1台
上八木[壮年、青年、子供]、中八木
上八木[壮年、青年、子供]=壮年会(中若会。~55歳)は平成18年(2005)西淡・津井の内原より購入。狭間は「龍」(二面)、「牛若丸の鞍馬山修行」、「天の岩戸」。
 先代(初代)は戦前に購入。彫物は保管。彫師は斉藤萬琳斎らしい。
青年会(~35歳)は投げ壇尻。3台の中で一番古い。大正期よりあり。
子供壇尻は戦後購入。


中八木
=懸魚は「鷲」。枡合:正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「平忠信碁盤投げ?」、左は「船」。車板:正面は「司馬温公の瓶割り」、後ろは「神功皇后応神天皇平産す」。
八木天野馬廻 天野神社 3/最終日曜(元・4/10) 神輿 獅子
布団壇尻4台 馬廻、寺内、鳥井、大久保
馬廻、寺内=詳細不詳。

鳥井=
西淡町古津路より購入。
 先代もあり。

大久保
=平成13年(2001)頃制作。㈱池田建設 だんじり部の作。
彫物は再利用。彫師は玉井行陽か?。狭間:正面は「龍」、左面は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、右は「?」、後ろは「唐獅子牡丹」。
水引幕:小泉久吉の作。「碓井定光」、「鬼童丸」、「坂田金時」、「源頼光」。
八木新庄 稲荷神社 4/下旬 布団壇尻1台  
八木徳野190 笑原神社 4/1土日 布団壇尻2台 野原、鳥井笑原
獅子 徳野
榎列松田180 松田八幡神社 3/最終日曜 神輿
布団壇尻1台 戦前の作
榎列小榎列161 府中八幡神社 4/2土日 布団壇尻3台 大榎列[おえなみ]、西川、小榎列
9/4(秋祭り) ささら踊り
大榎列[おえなみ]=詳細不詳。

西川
=彫師は松田正幸。狭間に銘あり。
正面は「鶴ヶ岡八幡宮」、右は「川中島合戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、背面は「頼朝 朽木隠れ」。

小榎列
=昭和9年制作。費用は4,500円。大工は柏木福平。
下幡多415 自凝島神社公式HPへ /3 布団壇尻5~8台 戦前は西川、松田、下幡多、小榎列の4地区も壇尻を出した
獅子舞
大榎列[おえなみ]大正期の作と聞くが?。彫師は中山龍雲。
下幡多=平成20年(2008)制作。19年9月から制作を開始した榎列下幡多子どもだんじり制作実行委員会作の手作り壇尻。長さ5.5m。幅2.2m。高さ3、2m。制作費は約50万円。県からの助成金を受けて制作し、材料も工夫し、金綱は洗濯機の排水用ホースで代用。水引には貸衣装店から提供された花嫁衣装を活用。彫刻は家の欄間を再利用。
神代地頭方630 神代八幡神社 3/2日曜
(元・15頃の土日)
神輿 あり
布団壇尻9台 北所、小路、国上、富田、経所、城家、喜来、南所、籠池
獅子 南上、黒道
北所=大工・彫師は不詳。狭間は「龍虎」。
往古は傘付き。

小路
=平成17年制作。大工は㈱池田建設 だんじり部 。彫師は不詳。狭間は「安宅の関」。

国上
=制作年、大工は不詳。挟間は「如意輪堂の小楠公」 他。

富田
=制作年、大工は不詳。
平成7年に彫物追加。彫師は岸和田の筒井一門。狭間:「楠公子別れ櫻井の駅」、「湊川の合戦」、「賤ヶ岳の戦い」、「荒木又右衛門 高田馬場」。

経所
=制作年、大工は不詳。挟間は「唐獅子牡丹」 他。

城家
=大工は㈱池田建設 だんじり部 。彫師は高松彦四郎。「碁盤忠信」 他。

喜来=大正期の作と聞くが?。彫師は不詳。幕は川村刺繍。

南所
=大工は大歳太三郎。彫師は二代目黒田正勝。
 かつては南。南所と南上に分離する時にじゃんけんで総当りで勝ったので壇尻を取る。負けた南上は獅子舞奉納へ。

籠池=制作年は不詳。大正11年(1922)大修理。
彫師は狭間が堀江弥三郎。虹梁の彫師が開正藤。
狭間:正面は「鶴ヶ岡八幡宮 頼朝放生会」、右は「巴御前の勇姿」、左は「佐久間玄蕃 秀吉本陣に乱入」、後は「頼朝 朽木隠れ」。
虹梁:正面は「藤吉郎小牧山の樹木を算う」、右は「藤吉郎 清洲城修復」、左は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、後は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。

幕は梶内だんじり店の作。「韓けつ童子」。
平成21年(2009)2月18日、修復入魂式・お披露目。水引幕、金綱、胴綱、提灯、棒などを新調。以前の衣裳は南あわじ市内の他地区へ譲る。
タイヤは平成20年更新。以前のは戦時中の練習機のタイヤ。
“三原町春まつり”5/3。平成3年より始まる。三原町の数多くの壇尻が健康広場に集合した。合併に伴い廃止。
☆旧・三原町全域で32台(布団29台、舟2、つかい1台)の壇尻があ
 ◎旧・緑町
広田広田1034 広田八幡神社 4/1日曜 神輿
芸壇尻、獅子壇尻各1台 広田
獅子舞 広田獅子舞保存会
例祭日は3/15⇒4/1⇒4/1日曜と変化した。
戦前はだんじりが10台(山添、徳原、金屋、前平、木戸、木戸新村、池の内、宇原、大野)出た。山添は布団壇尻だった。 今は広田の連合で出している。
倭文庄田346-2 庄田八幡神社 4/2日曜(元・15) 布団壇尻6台 庄田、神道、土井、安住寺、委文、高
庄田、神道、土井=???
安住寺
彫師は川原啓秀。
委文、高
=???
倭文長田1336 長田八幡神社 12/12 氏子は長田のみ
 ☆旧・緑町全域で17台(布団6台、曳き2台) の壇尻がある
 ◎旧・西淡町
       松帆:瑞井、笥飯野、高田、七江
       湊:湊里、湊浦

       津井:津井
     
  伊加利:伊加利
      志知:志知、片田、高島、河内
       阿那賀:阿那賀浦、西路山、志知川山
松帆西路207 西路八幡神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
獅子1匹、猿狐1対 西路青年団
西路=大工は柏木福平。彫師は川原啓秀。昭和21年の南海大地震で小屋が潰れ大破し、4,5年休止するも、地元の人により修復し復活。 
松帆志知川535-2 日吉神社 4/16 神輿 大小
布団壇尻1台  
獅子舞
松帆北方421 瑞井八幡神社 4/3 神輿 氏子所有
獅子1匹 脇田
4/14前の日曜 神輿 大小
布団壇尻2台 江尻、北方
松帆古津路339-1 八幡神社 4/1日曜 神輿1基
布団壇尻2台 古津路、松原 
古津路=平成2、3年制作。村の人による三段の子供壇尻。
 先代は昭和56年頃、諸事情により三原町鳥井に売却。
松原=昭和45年梶内で新調。狭間の彫物は先代のを利用。彫師は玉井行陽。平成12年、㈱池田建設 だんじり部で土台新調の大修復。
松帆慶野1 慶野八幡神社 4/1日曜 神輿1基
布団壇尻1台  
獅子舞 慶野祭礼団
松帆北浜30 春日神社 4/1日曜&10/1日曜 布団壇尻1台  
北浜=明治期の作?彫師は三代目黒田正勝?
松帆櫟田1132-1 八幡神社 4/1日曜 布団壇尻1台  
檪田(いちだ)=平成18年頃に梶内だんじり店で大改修。彫師は開正藤。改修時に幕や提灯など衣装は新調。
挟間:「鶴岡八幡宮」、「布引四段目 小桜責め」、「新田義貞稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、「産ノ宮神社の景」。
提灯は「伊勢神宮」。
湊里1287 湊八幡神社 2/4日曜&10/2日曜 神輿 あり
投げ壇尻2台 湊西、湊里
布団壇尻4台 湊里、湊東、湊浜、湊西
曳き壇尻1台 毛槍
西=詳細不詳。

湊里
=平成17年(2005)制作。25年ぶりの復活。㈱池田建設 だんじり部の作か?。
湊里=平成14年(2002)頃の作。㈱池田建設の銘板あり。

湊東(毛槍)
=詳細は不詳だが、㈱池田建設の銘板あり。㈱池田建設 だんじり部で修復か?。

湊浜(関)=大工、制作年は不詳。彫師は川原啓秀。墨書きあり。挟間は「八幡宮」、「弁慶 牛若丸五条大橋の出会い」、「牛若丸と烏天狗」、「?」。


湊西
=詳細不詳。
湊東(毛槍)=やや小型の曳き壇尻。
津井46 春日神社 最終日曜
(元・4/2日曜)
布団壇尻2台 中津浦、中央
布団壇尻廃絶 内原、本村、西本村
子供壇尻1台 雁来
伊加利649 伊加利八幡神社 4/2日曜(元・10) 神輿 大小
布団壇尻1台 山口
布団壇尻休止 本村、下所
梯子獅子廃絶
山口=5段。大工、彫師 等 詳細は不詳。
本村=休止中。安政4年に上内膳村から沼島が購入。その後、文久元年に購入。

下所=休止中。大工、彫師 等 詳細は不詳。
志知南419 八幡神社 4/20前の日曜 布団壇尻1台 志知北
阿那賀954 阿那賀春日神社 10/2土日 神輿 氏子は阿那賀・丸山・伊毘
獅子2匹
 ☆旧・西淡町全域で17台の壇尻がある


 ◎旧・南淡町
        福良:福良甲、福良乙、福良丙
        賀集:賀集、福井、八幡
        阿万:本庄、阿万浦、阿万
        北阿万:稲田、新田、筒井
        灘:下灘、潮崎、吉野、宇野
        沼島:沼島(ぬしま)
福良甲131 福良八幡神社 4/1日曜(元・3) 神輿 あり
布団壇尻13台 東本町、東1丁目、西1丁目、西2丁目、南納屋町、備前町、戎町、住吉町、五分一町、網屋町、谷川町、十軒屋、築地町
リース 向谷
子供壇尻3台 本町、北納屋町、福良青年団OB
東本町=明治16年(1883)制作。大工は不詳。彫師は開正藤。
 改修のため新調時のものは、高欄、彫刻、四本柱、太鼓のみと云われている。

東1丁目=明治15年(1882)制作。大工は不詳。彫師は斉藤萬琳斎。挟間は「唐獅子牡丹」、「竹に虎」、「波に亀」 等。水引幕は「龍」。昼提灯は「鶴亀」。

西1丁目=大工、彫師は不詳。挟間は「獅子」、「麒麟と鳳凰」、「猿に鷲」、「関羽?」。水引幕は「神功皇后」。昼提灯は「二見ヶ浦」。

西2丁目
=大工、彫師は不詳。挟間は「漢高祖の龍退治」、「唐子と仙人」、「生田の森の合戦」。水引幕は「金毛九尾狐退治」。

南納屋町
=大工、彫師は不詳。挟間は「唐獅子牡丹」や「龍」など。水引幕は、「竹に虎」。

備前町=昭和初期?制作。大工、彫師は不詳。平成6、7年に土台新調の大修復。大工は㈱池田建設 だんじり部 。この時中古の水引購入。
 狭間は「源頼義霊泉を得て官軍の渇を助く」、「源頼朝朽木隠れ」、「天の岩屋戸」等。

戎町=大工、彫師は不詳。挟間は「和唐内の虎退治」など。
 水引幕は「龍」。昼提灯は「戎町と花の紋様」。

住吉町
=昭和13年「大歳」で制作。彫師は開正藤・正珉父子。挟間は「秀吉本陣佐久間の乱入」、「鶴岡八幡宮放生会」、「神功皇后御平産の場」、「布引四段目小桜責め」。
 水引幕は梶内作の「追龍」。昼提灯は「二見ヶ浦」。
 先代は焼却処分。

五分一町=明治16年(1883)頃制作。大工は不詳。彫師は開正藤・正珉父子。
 福良で一番大きな壇尻だが、平成12年頃の事故以来休止中。

網屋町
=???

谷川町
=制作年代・大工は不詳。彫師は開正藤・正珉父子。

十軒屋==明治16年(1883)頃制作。大工は不詳。彫師は開正藤・正珉父子。

築地町
=平成7年創建。大工は砂川(いさがわ)工務店。彫師はらんま職人。飾りは町の人の手作り。
向谷=平成12年頃よりリースで復活。㈱池田建設 だんじり部より借りている。
本町=昭和初期に中古で購入。昭和35年に「梶内だんじり店」で修復。水引幕は「素盞嗚尊八岐大蛇退治」。

北納屋町
福良青年団OB十軒屋の子供壇尻購入。
 【廃絶
中野町、仁尾
賀集734 賀集八幡神社 4/2日曜(元・12) 布団壇尻11台
子供壇尻1台
福井(大小)、福井北、賀集、生子、高萩、野田、立川瀬、鍛冶屋、八幡南、八幡中、八幡北
福井(大小)=昭和7年(1932)制作。大工は大歳茂平。彫師は川原啓秀。
 
狭間:「川中島の合戦」、「秀吉本陣 佐久間の乱入」、「神功皇后 応神天皇平産す」、「村上義光」。

福井北
=大工は大歳太三郎。彫師は二代目黒田正勝。

賀集
=彫師は開正藤・正珉父子。

生子
=明治15年(1882)制作。大工は不詳。彫師は斉藤萬琳斎。

高萩=大工は大歳茂平。彫師は平間勝利、西本舟山。

野田
=???  

立川瀬
彫師は高松彦四郎。

鍛冶屋
=??? 

八幡南
=??? 

八幡中
=彫師は開正藤。

八幡北=彫師は開正藤。
阿万上町385 亀岡八幡神社 4/3日曜(元・15) 神輿2基
布団壇尻15台 [阿万地区] 上町、下町、佐野、塩屋町、中西、吹上町、西町、東町、丸田、伊賀野
[北阿万地区]新田南、新田中、新田北、筒井、高原
 ≪阿万地区≫
上町
=水引幕は櫻井(洲本?)の作。「源四天王図」。

下町=水引幕は小泉久吉の作。「三国志 三顧の礼」。

佐野
=枡合:四方は「鳳凰」。虹梁:四方は「龍」。
水引幕はの作者は?。「双龍」。

塩屋町=平成23年(2011)4/9、改修入魂式。
 だんじり本体と昼提灯は梶内だんじり店。
彫師は高松彦四郎。
枡合:「高砂」、「猩猩」、「頼朝の朽木隠れ」他不明。
 衣装一式新調(水引幕、胴締め、布団締め、宝結び)は姫路の川村刺繍の作。

水引幕は平成23年、往古の幕を復元新調。川村刺繍の作。「源満仲の大蛇退治」。
 往古は明治43年制作。小泉縫師の作と思われる。
 以前のは梶内だんじり店の作。「双龍」。


中西
水引幕は平成6年頃の梶内だんじり店の作。「護長親王幽閉図」。

吹上町
=制作年は不詳。平成12年、台など新調。㈱㈱池田建設 だんじり部 だんじり部で改修。川村刺繍で水引、提灯など新調。
枡合:正面は「吉良邸討入り」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「川中島の合戦」、後ろは「天の岩戸」。虹梁は四面とも「龍」。
水引幕は川村刺繍の作。「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。

西町
=彫師は平間勝利、西本舟山、堀江某 等。
枡合:「神功皇后応神天皇平産す」、「高徳桜木に歌を詠む」、他二面は不明。
水引幕は平成13年に梶内で修復「韓のけつ童子」。

東町
彫師は高松彦四郎。
枡合:正面は「平景清の錣引き」、右は「曽我兄弟仇討ち」、左は「義経八艘飛び」、後ろは「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
虹梁:正面は「?」、右は「頼朝公恩賞の場」、左は「雑兵物語」、後ろは「仁田四郎忠常猪退治」。
水引幕は平成15年頃に梶内だんじり店の作。「護長親王幽閉図」。

丸田=昭和10年代に地元の大工の作?。幕は平成10年頃に川村刺繍で購入?。「双龍」。
 ≪北阿万地区≫
伊賀野=水引幕は大歳屋の作。「龍、武者、?」。

新田南
=昭和3年(1928)制作。彫師は開正藤。平成12年頃に㈱池田建設 だんじり部により下部を大改修。平成16年、梶内で金綱、水引を新調。
枡合:正面は「?」、右は「鶴ケ岡八幡宮放生会」、左は「?」、後ろは「小桜責め」。
虹梁:正面は「黄瀬川の対面」、右は「?」、左は「仁田四郎忠常猪退治」、後ろは「曾我五郎大磯驀進」。
水引幕は梶内だんじり店の作。「神功皇后三韓図」。

新田中
=2代目。平成10年(1998)新調復活。大工は㈱㈱池田建設 だんじり部 だんじり部。
枡合は「楠公父子桜井の駅の別れ」、「頼朝の朽木隠れ」、「小桜責め」、「鎮西八郎為朝の豪弓」。
水引幕は㈱池田建設 だんじり部の作。「楠公一代記」。
 初代は昭和39年の台風で壊れる。

新田北
彫師は開生珉。平成10年頃に㈱池田建設 だんじり部で改修。
枡合:正面は「布引五段目 小桜責め」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「鎮西八郎為朝の剛弓」、後ろは「頼朝朽木隠れ」。
水引幕は梶内だんじり店の作。「宮島参観図」。提灯は日本刺繍。

筒井=水引幕は梶内だんじり店の作。「双龍」。

高原=昭和初期制作。彫師は松田正幸。

枡合:「神功皇后応神天皇平産す」、「村上義光錦の御旗奪還」、「頼朝義経黄瀬川の対面」、あと一面は不明。
水引幕は梶内だんじり店の作。「双龍」。
灘黒岩472 論鶴羽神社公式HPへ 4/2土曜(元・13) 神輿 神社より論鶴羽山頂の御旅所まで神輿渡御
 【沼島(ぬしま)】
面積は2.71km2。周囲は9.53km。最高標高は117.2m。人口は564人(平成22年)
沼島2522-1 八幡神社 5/3、4 神輿 4日に出る。3日は神輿蔵の中。
曳き壇尻3台 中、南、北
布団壇尻2台 東、泊
 だんじりはまず北傍示が創建し、続いて中傍示、南傍示、泊傍示が作られていき、4地区にだんじり、太鼓台が文化年間に揃う。
例祭日は旧・8/15(放生会として行われた)⇒旧・5/15(1888年に変更)⇒5/3、4(1969年変更)。
中区(中傍示)=昭和30年(1955)制作。三つ屋根。大工は宮本久嗣。彫師は松田正幸。吹き流しは「昇り龍」。

南区(南傍示)
三つ屋根。昭和42年(1967)制作。大工は木村春蔵。彫師は松田正幸。吹き流しは「鯉の滝登り」。
 先代は昭和30年の沼島大火で焼失。


北区(北傍示)
=三代目。昭和47年(1972)制作。大工は沼島の奥村・本村氏。彫師は井波の横山一夢。吹き流しは「北」。
 文化10年頃の創建か?。
 二代目は明治中期の作で、彫師は伊藤菊松。彫物は沼島の船乗り場の待合室に展示。
東区(南谷)=初代。幕は梶内の作。狭間は「龍」二面、「恵比須さん」、「?」。
 昔は子供檀尻もあり、女・子供が担いだ。往古は東区+泊区が合併しており、東区を南谷。泊区を北谷と呼んでいた。

区(北谷)=大正期に某所より購入と云われている。大工・彫師は不詳。
彫師は川原啓秀と云われているがこれは間違い。狭間の鶴岡八幡宮近くに啓秀と墨書きがあるのでそう思われていたが、
鑿あとが川原啓秀と違うし、今まで墨書きは川原啓秀とフルネームなのにこれは啓秀と名前だけなのに不審を抱いた人が川原家に電話すると、作品集に同地区は載っていないと仰っていたので、これはいたずら書きと思われる。
狭間は「神功皇后 応神天皇平産す」、「頼朝鶴岡八幡宮参内す」、「楠公子別れ櫻井の駅」、「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」。
 ☆旧・南淡町全域で44台(布団41台、曳き3台)の壇尻がある
 【南あわじだんじり祭り】
平成18年(2006)始まる。5/3に三原健康広場が会場。19年(2007)は4/29に行う。
もともと行われていた“三原町春祭り”がベース。旧・緑町、西淡町、南淡町の各自治会にも参加を呼びかけ初回は37だんじり、獅子舞7地区集まった。

 ★展示場     
 【洲本市立淡路文化史料館】
洲本市山手1-1-27。℡ 0799-34-3331。9:00~16:30。
休館日は曜日と祝日の翌日、祝祭日が金・土・日の時は火曜日、5月6日(火)~5月9日(金)、年末年始。

展示は舟だんじり2台(元・一宮町江井鍵之町、同郡家浜町)とかきだんじり(元・洲本市川西町)を展示”。
洲本市下屋敷の曳き壇尻は屋外展示だったが自然消滅してしまった。
 【淡路人形浄瑠璃資料館】
南あわじ市市三條880(三原図書館2階)。℡ 0799-43-5037。10:00~17:00。入場無料。
休館日:月曜(祝日の場合は開館)。祝日の翌日。年末年始。
昭和40年代半ばで活動を停止していた、淡路人形浄瑠璃の名門“市村六之丞座”の人形・道具等一式をゆずり受け、平成2年に淡路人形発祥の地(江戸時代の三條村)に開館。
また木下舜次郎の挟間彫刻も展示。