≪神戸市≫ 

    灘区

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪灘区≫
 【六甲ファミリーまつり】
5月下旬土曜、王子陸上競技場前広場で開催。従来は地車が1台か2台来たくらいだが、灘地車保存会発展的解消のためこのイベントに移動した形である。
参加台数は上野・五毛・八幡・篠原・都賀+八幡・都賀の7台(灘区の地車全て)である。
 【灘区制90周年だんじり巡行】
令和4年10月30日開催。灘区では区制〇周年だんじり巡行は初めて。主催は灘区制90周年だんじり巡行実行委員会。
灘区の9台の地車が初めて集結し巡行した。
 【灘のだんじり祭り】
5/中旬(雨天は5/最終日曜)。主催は灘地車保存会。
平成8年から震災復興祈願事業として実施。
令和6年(2023)は上野・五毛・八幡・篠原・都賀の5台の地車が集結したが、灘地車保存会が解散のため本年が最終。
  ≪行事予定(一例)≫
(11:00〜)阪急王子公園前よりパレードスタート⇒水道筋商店街通過。
(11:45〜12:30)山手幹線通過⇒宮前商店街・六甲本通り
(12:40)フォレスタ前
(12:50〜15:00)六甲道南公園
国玉通3丁目6−5 河内国魂神社 5/2、3 神輿 大小
地車3台 五毛、畑原、上野
 ●氏地
五毛:現:五毛・五毛通1〜3丁目・薬師通1〜3丁目・国玉通1〜3丁目・高尾通1〜4丁目・箕岡通1〜3丁目

畑原:現・畑原・畑原通1〜5丁目・赤坂通1〜4丁目・天城通1〜5丁目・福住通1〜4丁目・中原通1〜4丁目・倉石通1〜4丁目・水道筋2〜5丁目
上野:現・上野・上野通4〜8丁目・赤坂通5〜8丁目・天城通5〜8丁目・福住通4〜8丁目・中原通4〜6丁目・五毛通4丁目・国玉通3〜4丁目・高尾通4丁目・城の下通1〜3丁目・薬師通4丁目・箕岡通4丁目・倉石通5〜6丁目・水道筋5〜6丁目
五毛(五毛御燈会)(公式インスタグラム⇒地車蔵は五毛会館(国玉通3丁目1)に併設。
=神戸型幕式。明治39年(1906)、東大阪市稲田橋本町新調。昭和7年正遷宮時に購入。大工は大嘉。彫師は彫清。昭和61年南野孝志(東灘区)により修復。
長さ5.8m。幅2.6m。高さ3.5m。
飾り幕は前が「夫婦龍」、後ろが「宇治川の先陣争い」。

 ≪男屋根廻り≫ 
拝懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚は:麒麟」。
車板・枡合:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪女屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「松に猿」。
車板:「親子唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
脇障子:右は「神武天皇東征」、左は「牛若丸と天狗」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、左右は「勢子 等の活躍」、後ろは「仁田四郎忠常猪退治」。
勾欄:「鳥づくし」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
土呂台:「青海波に玄武」。

 往古は簡単な屋台のようなもの?
 先代は明治25年頃新調するが、44年頃に芦屋打出の個人に売却。現・東灘区小路の地車か?
大佐の「地車請取帳」には明治25年の項に「菟原郡御影 名田五毛村」とあり、先代のことと思われる。
畑原(畑原地車保存会)(青年会インスタグラム⇒地車小屋は平五郎稲荷神社境内(畑原通1丁目4−16)。平成16年(2004)10月17日、地車小屋新築記念曳行。
=神戸型幕式。明治初期、灘区味泥で制作?。幕の箱に味泥村の文字あり。
昭和22年に東灘区呉田区が丹波古市草野より購入し、4年かけて大改修。大工不詳。彫師は松田正幸 他。
平成24年(2012)4月30日、(月=振休)購入入魂式。東灘区呉田区より購入。購入に先立ち杉田組で修復。
平成25年(2013)、男屋根正面の獅噛みを新調。彫師は井波の酒井宏・秀哲親子。
平成27年(2015)、大下工務店にて獅噛み新調・取付け・ガラス目の入替えなどの繕いをする。
長さ2..82m。幅2.03m。高さ3.37m。
 ≪飾り幕≫
幕は地車購入につきぬいや(菅原縫師)により修復。
前幕:絹常の作。「珠取り龍」。赤羅紗生地に寸法を大きくし、雲・波を追加刺繍。
見送り幕:梶内初代の作?。「佐久間玄蕃 秀吉本陣急襲す」。

 ≪男屋根廻り≫
拝懸魚:「天日槍悪鳥退治」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪女屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:右は「龍神」、左は「宝珠をかざす人魚」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:【加藤清正虎退治】右は「虎」、左は「加藤清正」。
縁葛:「牡丹に唐獅子」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「義経八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「宇治川先陣争い」、後ろは「平景清錣引き」。
土呂台:「鯉の滝登り」。

 先代は東灘区御影西之町⇒畑原へ。現・地車購入につき200万円で新在家へ売却。
上野(上野宮西会)(公式インスタグラム⇒地車小屋は上野児童館敷地内(赤坂通6丁目1−18)
=神戸型。昭和初期制作。平成28年の修復時に泥台木口の金物裏より昭和3年7月の新聞を発見。昭和7年中島畳店より購入。大工は大石巳代吉。彫師は川原一門。
令和5年(2023)2月23日、搬入。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。大下工務店にて肩脊棒を取替え。
平成28年3月27日、修復入魂式。大下工務店で修復。泥台・猫木・箱棟 等を新調取替。
平成20年4月29日、修復入魂式。宮西会により修復。長さ5.5m。幅2.5m。高さ3.4m。

見送り幕は昭和7年、梶内近一作の「大江山の鬼退治」。
 ≪男屋根廻り≫
拝懸魚:「梅福仙人」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:正面は「宝珠をつかむ青龍」、左右は「竹に虎」。
 ≪女屋根廻り≫
拝懸魚:「鶴に鷲」。
隣懸魚:「雲海」。
車板:正面は「?」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
脇障子:左右とも「獅子の子落とし」。
土呂幕:「義経八艘飛び、頼朝朽木隠れ、宇治川の先陣争い、加藤清正虎退治」。

 上野は南、北、中の3地区に分かれていた。
=明治24年地車新調。東灘区小路に売却という説あり。
=明治25年地車新調。
=明治35年までに中央区の熊内神社の氏子より担ぎだんじり購入。しかし3台とも明治末期に売却。

やがて地車復活の気運となり、昭和7年北と中で中島畳店より地車を購入。残った南は昭和9年に地元の有志で地車を作製。戦後地車復活となるが、2台も地車を曳かれないと言うことで中島畳店より購入の中の地車を曳くことになる。なお南の地車は解体され小屋に保管され、今は祭りの時に使う提灯に木鼻が使われているのみである。
 大佐の「地車請取帳」には明治25年の項に「菟原郡御影 名田上之村 坂本弥太郎様 前田寅吉様」とある。
南が地車購入か?
篠原北町3丁目16−7 厳島神社 5/2、3(元・17) 子供みこし
地車1台 昭和40年河内国魂神社より独立。
旧・篠原村の鎮守。現・篠原・篠原北町1〜4丁目・篠原中町1〜6丁目・篠原南町1〜7丁目・篠原本町1〜5丁目・篠原台・篠原伯母野山町1〜3丁目・大月台・長峰台1〜2丁目
篠原(篠原中老会)(公式インスタグラム⇒地車小屋は厳島神社境内。
=昭和7年(1932)5月制作。大工は「絹屋」こと絹井楠次郎。彫師は佐生武之輔・喜一。長さ6、5m。幅2、8m。高さ4、1m。
平成19年(2007)5月2日、修復入魂式。梶内だんじり店による。地車の洗い、金物磨き、幕の補修そして地車各部分の締め直し・補修が行われた。

見送り幕:「賤ヶ岳の合戦」。昭和7年、梶内の作。
 ≪男屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「飛龍」。
車板:正面は「川中島の合戦」、右は「?」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
 ≪女屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚は「朱雀」。
車板:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「児嶋高徳櫻木に歌を詠む」、左は「平景清錣引き」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:左右とも「加藤清正虎退治」。
勾欄:「花鳥風月」。縁葛は「唐子遊び」。
土呂幕:正面は「那須与一扇の的」、右は「義経八艘飛び」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、後ろは「足柄山の金太郎」。。


 往古よりあったらしい。
 先代は明治25年頃に新調するが、大正11年頃に西宮市今津在家町に売却するが、空襲により焼失する。
八幡町3丁目6−5 六甲八幡神社
公式HPへ
10/15頃の土日 神輿 大2、小2
地車1台  
4/14、15 春祭り
八幡(八幡地車保存会)⇒地車小屋は日尾町3丁目3−22(南福寺地蔵尊向い)。
=神戸型。元・大道の地車。昭和3年(1928)制作。大工は大阪の某。平成4年に「太鼓正」で改修。長さ5.1m。幅2.4m。高さ3.5m。

見送り幕:「神功皇后 応神天皇平産す」。
 ≪男屋根廻り≫
箱棟:「雲龍」。
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「青龍」。
車板:正面は「?」、左右は「富士の巻狩り」。
 ≪女屋根廻り≫
箱棟:「雲龍」。
拝懸魚:「青龍」。
隣懸魚:「竹に虎」。
車板:正面は「?」、左右は「富士の巻狩り」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:「兎の戯れ」。
 区画整理完了のため昭和3年に北の町(北所。通称は北)と大道(南之庄。通称は南)の2地区の地車が揃って新調した。北の町の地車は昭和20年6/5に空襲で焼失し、残る大道の地車を昭和51年に16年ぶりに復活し、今は合体して曳いている。

 初代は八幡村(北之町)(北所)=大正8年頃購入され新調時に処分。地車小屋は阪急電車の線路沿いにある梅仙寺の近くにあったらしい。
大道村(南之町)=大正4年頃に前田氏が某所より購入し新調時に部材として使われる。地車小屋は現・地車小屋。
神前町3丁目7−1 春日神社 10/連休(元・7) 神輿 大小
地車1台 都賀(とが)
旧・都賀村の鎮守。現・神前町1〜4丁目・六甲町1〜5丁目・稗原1〜4丁目・琵琶町1〜3丁目・烏帽子町1〜3丁目
例祭日は10/6、7⇒10/9、10(昭和60年頃)⇒10/連休土日
都賀(都賀だんじり保存会)(公式インスタグラム⇒地車小屋は神前町2丁目5−13。
=神戸型。平成6年(1994)9月25日、購入入魂式。初代。
3月に購入し、平間勝利により神戸型に改修。長さ6.3m。幅3m。高さ3.7m。
明治初期?に大阪市平野区野堂北新調。大工、彫師は不詳。野堂北新調の下取のため川合工務店が購入。この地車を購入。
幕は平成8年、川島織物の作。
 ≪男屋根廻り≫
飾目:「やたがらす」。
拝懸魚:「麒麟」。
隣懸魚:「飛龍」。
車板:「新車楽」と書かれた額を中心に上が「昇龍」、下が「降龍」。
枡合:右は「猿とかに」、左は「午」。
 ≪女屋根廻り≫
飾目:「兎の餅つき」。
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「子と酉」。
枡合:右は「亥」、左は「子犬の戯れ」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「馬に乗る猿回し」、左は「牛の背に乗る童子丸」。
土呂幕:正面は「浦島太郎」、右は「海の幸」、左は「鯛・蛸・赤貝」。

 明治期は提灯行列。
昭和初期より荷車に太鼓や三味線の人を乗せ宮入りした。
昭和7年、神輿購入。前年に神輿蔵建造。平成6年より地車小屋になる。
昭和35年頃には子供みこしも購入。
昭和47年頃〜昭和59年頃、祭礼中断。
昭和60年、子供神輿を担ぎ、祭り復活。
昭和63年、大人神輿を担ぐようになる。
新在家南町3丁目2−25 若宮神社 5/2土日(元・15)
10/17頃の土日
神輿3基 大中小
地車1台      
新在家村の鎮守。江戸期は東大石村と称したこともあり。現・新在家南町1〜5丁目・新在家北町1〜2丁目・大石東町1〜2丁目。
神社名は当初は若宮八幡宮だったが、戦後「若宮神社」に改称。
神輿=絵馬堂の額の神輿新調寄附人名録には明治33年の日付あり?。
平成24年10月7日に聞き取りするが、大は昭和2年、大阪・天王寺で購入。中は昭和38年、京都・烏丸で25万円で購入。小は刑務所の作で震災後、地車潰れたので代用として購入と聞く。
新在家⇒地車小屋は神社併設。以前は社務所横のトイレ前。現在は駐車場で下はアスファルト。
=平成23年(2011)購入。灘区畑原より200万円で購入。
神戸型幕式。江戸末期〜明治初期制作。大工不詳。彫師は相野一門。東灘区御影西之町⇒灘区畑原⇒新在家。長さ4.7m。幅2.3m。高さ3m。

購入つき、地元の人により平成23年(2011)7月吉日、地車改修。
泥台金具:林田工業所。泥台文字:大石看工所。提灯用金具 等:宏和鉄工所。
御幣板字体:湯浅提灯店。飾幕修正:新在家婦人会。
飾幕は「白地に夫婦龍」。見送り幕は「賤ヶ岳の合戦」。明治期の作。平成元年に修復。
 ≪男屋根廻り≫
拝懸魚:「青龍」。
隣懸魚:「雲海」。
車板:「梅の老木」。
枡合:「宝珠をつかむ唐獅子」。
 ≪女屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に兎」。
隣懸魚:「雲海」。
車板:「素盞鳴尊八岐退治」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
土呂幕:「波」。土呂台:「波」。


 初代か?明治32年親子の地車購入。これは絵馬堂の額から判る。
親地車は大正元年に東大阪市岸田堂に売却。⇒新在家(買い戻す。昭和9年再び売却)⇒?。
子地車は大正元年に門真市三番(堂山町)に売却。
 二代目は昭和9年頃に御影西之町より購入するが、大震災により潰れる。今も

 三代目(先代)は平成8年(1996)12/8尼崎市丸嶋より無償で譲渡。しかし泥台(台木)部分の安全面でわずか2、3年曳いたのみで解体の運命。
彫師は彫又。長さ6m。幅2、2m。高さ3、4mだった。
大和町4丁目5−5(徳井) 徳井神社 10/祝日(元・9) 子供みこし 昭和25年、京都より購入。
地車廃絶  
旧・徳井村の鎮守。現・徳井町1〜5丁目・大和町1〜5丁目・記田町1〜5丁目・中郷町1〜5丁目・弓木町1〜4丁目・高徳1〜3丁目
徳井=昭和5年に元は東灘区山田の地車を業者を通じて購入するが、昭和20年6/5に空襲で焼失。地車小屋に現在徳井会館が建っている。
高羽町4丁目2−2 丹生神社 4/9&10/9  神輿飾付け 大小、手作り5基
地車廃絶
2月節分 追儺祭 節分の夜に松明を持った年男が祈祷木札を燃やすお焚き上げ神事が行われる
旧・高羽村の鎮守。昔は「たこう」、現在は「たかは」と称する。
御旅所が楠丘町6丁目にあり楠木があったので楠丘町と名付けられたが、木が倒れ切株だけが残った。この切株を加工して拝殿に置かれている。
現・高羽・高羽町1〜5丁目・楠丘町1〜6丁目・寺口町・一王山町・桜ヶ丘町・土山町・六甲台町・弓木町5丁目・高徳町1〜6丁目
高羽=戦災で屋根が焼失したので東灘区の住之江に売却。
原田通3丁目8−43 王子神社 5/5
10/祝日
神輿 大小
地車廃絶 昭和20年6/5に空襲で焼失
旧・原田村の鎮守。現・原田通1〜3丁目・原田・灘北通7〜10丁目・城内通1〜5丁目・王子町1〜3丁目・青谷町1〜4丁目・中原通6〜7丁目・水道筋6丁目・岸地通5丁目・大内通6丁目
船寺通2丁目1−25 船寺神社 11/1土日(元・3) 神輿2基 大小
地車廃絶 河原
獅子舞 獅子頭が8つ
7/2土日 夏祭り 境内にやぐらを組んで奉納演芸を催す
旧・河原村の鎮守。船寺通1〜2丁目・上河原通1〜4丁目・下河原通1〜5丁目・鹿ノ下通1〜3丁目・灘南通1〜3丁目・灘北通1〜3丁目・千旦通1〜4丁目・神ノ木通1〜4丁目・将軍通1〜4丁目・泉通1丁目・大内通1丁目
河原=現在は地車無し。獅子舞奉納。

 初代?は江戸期よりあり。立派な地車と思われる。売却と同時期だった五毛の地車新調制作費とほぼ同金額からもそう思われる。売却先は不明。
また西宮市中野(公智神社氏地)は江戸末期か明治初期に鳴物を河原地内の杜氏の宿舎に泊り習得したと伝わることから古くから地車があったことが分かる。なお地車小屋は現在のホームセンターコーナンの近くらしい。

大佐の「地車請取帳」には4回記載あり。一番最初は明治26年9月の項に「莵原郡都賀野内河原村にうり」とある。
 先代は明治29年孫の誕生祝いに沢の鶴が新調し寄贈したもの。担い棒に彫金で右に「和」、左側に「清」という字が昭和60年の改修まで残っていた。
なお現在も沢の鶴は大石に会社があるが、阪神大洪水までは現・ホームセンター コーナンの地にあった。
地車寄贈を受け青年会の名称も変更したと聞く。しかし諸事情(孫の死去?)で地車は売却となる。
 大正10年、武庫郡教育会発行の武庫郡誌520ページには「明治30年9月、従来の若衆を改めて清和會と称し、夜学をなして会員相互の知徳を進め、傍ら一致団結して、村内土工の補助並びに氏神祭典の準備等をなし来りしが、明治42年8月河原青年団と改称し」とあるので、憶測だが、明治29年に地車頂いたので、清和会としたものの、地車を売却されたので河原青年団に改称したのではという説もある。

 ※この情報は兵庫地車研究会の人から聞く。研究会も大勢はこの通りであるが、一部に東灘区岡本説を取る人がいるので発表されていない。
この地車の経緯は河原⇒泉大津市上之町⇒泉大津市森(昭和21年〜。昭和60年の改修で跳勾欄から擬宝珠勾欄に改修。「清」「和」の金具交換。)⇒羽曳野市西浦(平成11年〜。平成23年(2011)石川型風に改修)⇒東灘区反高林
灘北通5丁目6−6 稗田水神社 10/中旬日曜 神輿 休止
布団だんじり廃絶 明治35年頃まで出た
旧・稗田村の鎮守。現:灘北通5〜6丁目・灘南通5〜6丁目・泉通5〜6丁目・大内通5〜6丁目・岸地通4〜5丁目・水道筋4〜6丁目にあたる。
神輿=子供みこしがある。昭和23年頃に購入。
以前は大中小3基あった。大・小は大正3年頃、中は明治43年頃に購入するが戦災で焼失。
岸地通2丁目2−13 素佐男神社公式HPへ 5/5 神幸祭 猿田彦、神輿、子供みこし、樽みこし
境内社  白玉稲荷神社 2月 初午祭 釜鳴神事、餅まき
旧・鍛冶屋村の鎮守。現・岸地通1〜3丁目・泉通2〜4丁目・大内通2〜4丁目・水道筋1〜3丁目
神輿(大小)は大正期に京都より購入。購入時に神輿か地車か議論して神輿購入に踏み切ったと聞く。
灘南通4丁目3−8 猿田彦神社 4/中旬 例祭
旧・森村の鎮守。現・灘南通4丁目・船寺通3〜4丁目・都通1〜2丁目
大佐の地車請取帳に明治30年頃として「武庫郡西灘村の内 森村」という記載あり、ただこれが地車か神輿か何かは不明。
岩屋中町4丁目1−8 敏馬神社
公式インスタグラム
10/土日(元・13) 神輿6基 岩屋・大石・味泥
布団だんじり廃絶 岩屋
地車廃絶 大石=住吉神社例祭に出した
鳳輦廃絶 戦後しばらくして消滅か?当時は鳳輦をだんじりと称したらしい。そのため神社西側の坂道をだんじり道と称した
獅子舞 岩屋
7月 神輿飾付け
御旅所は住吉神社(大石南町1丁目1−20)。例祭は5/5(戦前は6/5)。大正期には大石はこの時に地車を出したが、昭和13年の阪神大水害で流された。
昭和以前は宮神輿1基を岩屋・大石・味泥の順に舁き番の年に担いだ。ある年に喧嘩があったので子供にも担いでもらおうとなったが、神輿が大きすぎて子供には担げないので昭和5年(3年説もあり)に売却となり、この頃に各地区で大小の子供神輿を買うようになり、3地区合計で神輿が6基となる。
 昭和20年6月5日の神戸大空襲で神社に神輿を保管していた岩屋・味泥は神社ごと焼失。大石は酒蔵に保管していたので無事。
戦後焼失した岩屋は布団太鼓。味泥は樽みこしを出す。
昭和30年頃に2地区とも大小神輿購入。これに伴い布団だんじりを明石市岩屋神社氏子の東戎町に売却。
 ≪行事予定≫
 ■土曜
(10:00〜)例大祭
(11:00〜18:00)獅子舞・岩屋地区の神輿が巡幸

 ■日曜
(9:00〜)発輿式:獅子舞・岩屋・大石・味泥の順に神輿が出る
(10:00〜)御旅所神事:日中は各氏子地域を巡幸
(18:30〜)獅子舞宮入り
(19:00〜20:30)岩屋・大石・味泥の順に神輿が宮入り
神輿は大小6基あり、岩屋地区・味泥地区・大石地区で大小の神輿が巡幸する。
岩屋=昭和30年頃に大小神輿購入。平成23年修復。提灯は「岩屋若中」と「宮」。鳥居の扁額は「敏馬神社」。

味泥(みどろ)=昭和30年頃に大小神輿購入。震災前に梶内だんじり店で修復。
 提灯は「敏馬神社」と「味泥若中」。鳥居の扁額は「敏馬神社」。

大石=昭和5年頃購入。

 提灯は「敬神」。鳥居の扁額は前後は「敏馬神社」、左右は「住吉神社」。
布団だんじり=現在の岩屋北町6丁目にあった地区(今はJRの宿舎、用地)が神社に奉納。昭和15年、紀元2600年奉祝記念にかき納めをし、その後姫路市別所町にある日吉神社に譲渡される。
鶴甲3丁目15−24(水車新田字宮坂) 大土神社 4/11 例祭 水車新田の鎮守
旧・水車新田の鎮守。水車新田は水車新田・大土平町1〜2丁目・六甲台町・鶴甲3丁目にあたる。