兵 庫 県
≪神戸市≫
垂水区・西区
住所 | 神社 | 例祭日 | 内容 | 備考 | |
≪垂水区≫ | |||||
宮本町5−1 | 海神社 | 10/10〜12(毎年) | 神輿 | ||
布団太鼓3台 | 東垂水、西垂水、東高丸、塩屋 | ||||
獅子舞 | |||||
10日 西垂水布団太鼓巡行 子供奉仕による霞ヶ丘・星陵台巡行 11日 西垂水、東垂水、東高丸布団太鼓巡行 西垂水(地区巡行〜瑞丘八幡神社宮入〜垂水商店街〜マリンピア神戸〜垂水漁港〜海神社宮入り) 東垂水(地区巡行〜東垂水御旅所〜垂水商店街〜マリンピア神戸〜垂水漁港〜海神社宮入) 東高丸(地区巡行〜垂水商店街〜垂水区役所広場にて練り〜養勝寺) 塩屋 (地区巡行〜塩屋駅前にて練り) 12日 東垂水による海上渡御祭(お神輿巡行) 海神社〜垂水漁港〜塩屋漁港〜長田沖〜垂水漁港〜西垂水東垂水地区巡行〜海神社 西垂水、東垂水(垂水漁港〜海神社宮入〜地区巡行〜垂水区役所広場にて練り合わせ) |
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神輿=神輿蔵は神社境内。明治初期の作。かき番は西垂水⇒東高丸⇒東垂水⇒下畑・塩屋⇒名谷の順。 | |||||
東垂水=昭和34年購入。平屋根三段の布団屋台。 平成18年に雲板、彫刻の新調。三木市・宮脇建築の作。 狭間:「龍と唐獅子の二面ずつ」。 水引幕:「阿吽の龍」。 高欄掛:退治物三面と「須磨の松岡城」。 昼提灯は「鯉」。衣裳は須磨の細川製。 初代の最古の記録では明治2年、岩屋神社例祭で東垂水の布団太鼓で明石城に入城したと明石市史に記されている。明治38年頃まで練り、塩屋に売却。その後某所へ。 先代は地車。淡路より購入。昭和33年頃まで練り、東灘区本住吉神社の西区へ売却。現在、だんじり資料館に展示。 |
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西垂水=鎮守は地内の瑞丘八幡神社。淡路型で三段屋根。 明治29年、日清戦争戦勝記念に戦勝記念に制作。淡路の五色町の大工が来て西垂水で組み上げた。 昭和30年代中期に中断するが、昭和48年復活。 狭間の彫師は「大坂住 吉田繋冶」と記されている。正面は「天の岩戸」。 水引幕・提灯は「阿吽の龍」。 高欄掛:退治物「甲賀三郎飛龍退治」、「加藤清正虎退治」、「源満仲龍退治」、「九尾狐退治」。 |
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東高丸⇒太鼓蔵は昭和52年2月より養勝寺西端。以前は養勝寺前広場。 =昭和30年頃、「梶内だんじり店」制作。その後布団締め、挟間彫刻 等を追加。 昭和63年頃より休止するが、平成16年より運行復活。 水引幕:「双龍 追龍」。 高欄掛:「大江山 酒呑童子」、「甲賀三郎 飛龍退治」、「加藤清正 虎退治」、「鷲退治」。
昼提灯は「二見ヶ浦の日の出」。 昭和10年頃に淡路より購入し始まるり、昭和29年頃まで練る。 |
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塩屋=平成20年(2008)3月、播磨町本荘より購入。当時は五段屋根。平成21年より運行復活。 平成23年に三段布団新調。本体を大改修。25年に宮入り再開。 狭間:四面とも「龍」。 高欄掛:一の谷の合戦の「平忠度、岡部忠澄」、壇ノ浦の合戦の「平知盛」、退治物が二面。 始まりは明治38年、東垂水より購入するが、昭和43年に某所に売却。現在も現存されているようで「垂水の布団太鼓」平成29年、垂水郷土芸能保存会発行の18ページに写真が載っている。 その後、ギャル神輿を出していた。 |
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西舞子1丁目5−7 | 舞子六神社 (公式HPへ) |
10/連休日祝 (元・9) |
夏祭り | 小学生の絵画・習字の展示、婦人会の踊り、カラオケ大会など。 | |
神輿 | 獅子舞 | ||||
布団太鼓1台 | |||||
神輿を船に積み舞子漁港を海上渡御し、商店街を練り歩く。 | |||||
舞子=平成22年、やや反り屋根に改修。平成10年、明石の岩屋神社境内で保管されていた旧・七軒町布団太鼓を譲り受け復活。担ぎ棒は中八木から購入。 挟間は明治39年、松本義廣の作。 高欄掛は退治物。 神輿は明治12年に再建されているがこの時に布団太鼓2台を購入と思われる。 昭和30年代後半に火災により布団太鼓2台が幕、その他一式を焼失。 その後は神輿のみで秋祭り実施。 |
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下畑町城ヶ原1963 | 下畑海神社 | 10/10 | 子供みこし | ||
相撲 | 5〜7歳の男の子による神相撲 | ||||
多聞台2−17−5(多聞) | 多聞六神社 | 10/10 | 神幸式 | 子供みこし | |
獅子舞 | |||||
名谷町字北ノ屋敷3143 | 奥畑大歳神社 | 10/祝日 | 子供みこし | 獅子舞、猿田彦 | |
名谷2350 | 宮野尾神社 | 10/2日曜 | 獅子舞 | 初めにひょっとことお多福が出て唄に合わせて踊り、次に獅子が二人一組で太鼓に合わせて色々な踊りを舞う | |
高丸1丁目3−5(瑞丘) | 瑞丘八幡神社(HPへ) | 10/11 | 子供みこし | ||
獅子舞 | |||||
文化・文政時代から伝わる芸能で陸の自棄獅子と呼ばれていた。平成12年の秋祭で40年ぶりの復活。 | |||||
≪西区≫ | |||||
■伊川谷地区 | |||||
伊川谷町上脇1005 | 伊川谷惣社 | 10/1土日(元・9) | 神輿、鳳輦 | ||
太鼓台4台 | 宮本、吹上、北別府、南別府 | ||||
獅子だんじり3台 | 生田、長坂、前開下 | ||||
だんじり廃絶 | 上別府、南別府 | ||||
獅子舞 | 生田、前開下、長坂 | ||||
櫓太鼓、獅子舞、神輿、鳳輦、相撲、神楽等が行なわれる。 | |||||
宮本=脇・池上の2地区。以前は上脇と称した。平屋根。笹に花を付けている。 吹上=三段平屋根。高砂より担いで帰ってきたと伝わる。 北別府=平屋根型。五段屋根だが、一枚分が非常に薄い。 平成元年に大改修で、水引幕、高欄掛、昼提灯、担ぎ棒 等を新調。 南別府(みなみべふ)=三段平屋根。 平成元年、2年にかけて大改修。布団張り、水引幕、額、高欄、提灯、欄干の金具を新調。 |
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伊川谷町潤和1445 | 赤羽神社 | 10/連休日祝 | 神幸式 | 日曜日 | |
屋台2台 | 白水、井出赤羽 | ||||
獅子舞 | |||||
白水=淡路型の五段屋根。昭和20年代半ばに梶内だんじり店で制作。 狭間は「村上義光 錦の御旗奪還す」。昼提灯は「二見ヶ浦夫婦岩」。 以前は神輿と獅子舞。 井出赤羽=三段平屋根。昭和38年より中断していたが、平成13年、38年ぶりに修復して復活。同時に太鼓蔵も建造。 布団台の彫刻は「海女の珠取り」。狭間は「四神」。 |
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■櫨谷地区 | |||||
櫨谷町長谷75 | 諏訪神社(公式HPへ) | 10/1日曜(元・6) | 屋台1台(宮附) | 三段平屋根 | |
子供みこし5基 | |||||
※明治末期までは各氏子ごとに(寺谷、池谷、長谷、栃木)に布団屋根のかきだんじりがあったが廃絶し、大正9年頃に“太鼓”と呼んでいるかきだんじりを購入し、1年交代で寺谷、池谷、長谷、栃木西、栃木東の順でかく。各地区より子供神輿も集まる。御殿では神楽舞、境内では子供相撲が奉納される。 | |||||
櫨谷町松本803 | 松本若宮神社 | 1/18 | 綱くり神事 | ||
10/体育の日(元・12) | 例祭 | 氏地は松本・菅野 | |||
太鼓(かきだんじり) | 明治末期に廃絶 | ||||
綱くり神事=1/18、五穀豊穣を祈って御神木に綱(注連縄)を掛けた。現在は10本ほどの荒縄に藁と榊を編み込み、捻りながら蛇のように編んだ縄を鳥居に掛けている。この日を契機に春の田作りにかかるといわれている。 | |||||
菅野=太鼓台は明治末期に廃絶。獅子頭は2つ保管。なお太鼓は2020現在保管。文政の銘あり。 | |||||
櫨谷町福谷字五反田3 | 櫨谷神社 | 3/2日曜 | 弓神事 | ||
10/1土日 | 神輿(大小) | 氏子は福谷・友清 | |||
子供すもう | |||||
弓神事=天保の飢饉の時に始まったとされる伝統行事。 福谷・友清地区の青年5人によって直径約60cmの的に一人2本の矢が射られる。的の中心に矢が当たれば豊作、外れれば普通作と占う。占いの判定は氏子の長老が行い、的に当たった矢の本数によって決める。 |
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■押部谷地区 | |||||
押部谷町細田302 | 住吉神社 | 10/連休土日(元・13) | 神輿 | 大小 | |
屋台3台 | 細田、高和、西盛 | ||||
屋台廃絶 | 和田 | ||||
獅子舞 | 細田・高和・養田 | ||||
氏地は押部谷町全域(福住、木津、木見、木幡(旧・小村)、押部、栄、近江、西盛(旧・西村)、細田、高和、養田、和田)と平野町常本。 | |||||
細田(さいた)=三段平屋根。昭和33年制作。 高和(たかわ)=三段平屋根。梶内だんじり店の作。水引幕は「龍虎」。 平成18年、高欄掛・水引幕の改修。 往古は太鼓2台、獅子2体あったが、現在は上が太鼓、下が獅子舞となる。 西盛(にしもり)=三段平屋根。有志により運営。平成11年、中古の部材により細田の大工が組み立てる。翌12年より宮入り。 水引幕・高欄掛などは三木市若宮より譲り受ける。 |
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和田=かく人がいないので潰したと伝わる。 | |||||
■玉津地区 | |||||
水谷3−1−1(旧・玉津町水谷字本屋敷507) | 水谷若宮神社 | 10/連休祝日(元・12) | 屋台1台 | 3段の布団屋根 | |
昭和10年頃に淡路より購入。 先代は明治期購入。大正初期に明石市大久保町山下に売却。 |
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天が岡676 (旧・玉津町二ッ屋) |
二ッ屋若宮神社 | 1/成人の日 | 祈念祭 | 神楽、湯立て、餅まき | |
10/祝日 | 神輿(大小) | ||||
子供太鼓 | 平成8年制作 | ||||
布団だんじり廃絶 | 明治末期まで⇒二ッ屋、丸塚 | ||||
平成7年(1995)に子供神輿。平成8年(1996)子供太鼓も加わり、氏子地域を巡幸する。 | |||||
枝吉4−7−2 (旧・玉津町吉田字城山900) |
神本(こうもと)神社 | 10/2土日(元・13) | 神輿(大小) | ||
屋台1台 | |||||
子供みこし5基 | |||||
獅子舞 | |||||
土曜に、氏子宅などに獅子舞が訪れる。日曜午後、境内で太鼓や神輿のお練りをし、御旅所まで弓矢、槍、刀等を持った天狗(猿田彦) 一行と御旅道中が行なわれる。 |
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吉田(吉田郷土文化保存会)=三段平屋根。制作年、大工、彫師 等は不詳。昭和35年頃より休止していたが、昭和50年代に吉田郷土文化保存会が結成され復活。 | |||||
玉津町出合字辰間ヶ坪257 | 宗賢神社 | 10/1日曜 | 曳きだんじり1台 | ||
出合=平成9年37年ぶり復活。 大正10年頃に青年団が明石市相生町(旧称は東新町)より購入。昭和35年頃まで出ていたらしい。野ざらしになり潰れる。 |
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玉津町森友字見山90 | 宗賢神社 | 10/連休(元・12) | 子供みこし | 昭和53年購入 | |
■平野地区 | |||||
平野町宮前字留山57 | 宇留春日神社 | 10/連休日祝 | 神輿 | あり | |
屋台3台 | 御先太鼓、西戸田、宮前 | ||||
獅子舞 | 大畑 | ||||
御先太鼓(宮付き)=三段平屋根。平成8年新調。宮前・印路・西戸田・大畑の輪番でかつぐ。 布団締めは「黒地に金の千鳥」。高欄掛・水引幕は「竹に虎」。 西戸田⇒鎮守は皇大神社(平野町西戸田字石塚521)。 =平成16年新調。三段平屋根。河野屋台製作所の作。彫師は明石の橘 正義。衣裳は京美刺繍。9年で一回り。 挟間:「源頼義霊泉を得て官軍の渇を助く」、「四王天但馬守大勇馬を抛る」、「川中島の合戦」、「太閤本陣、佐久間の乱入」。 先代の制作年は不詳。屋根を乗せず笹を付けていた。 宮前=三段平屋根。昭和24年頃に御影より屋台購入。27年に加東市古瀬で水引幕・高欄掛・布団屋根を新調。平成20年に布団新調。 |
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平野町慶明184 | 平野八幡神社 | 10/2土日 | 神輿 | 大小 | |
御先太鼓 | 宮太鼓 | ||||
かきだんじり廃絶 | 各地区にあった | ||||
御先太鼓=平成15年、姫路より購入改修。氏子9地区(慶明、向井、福中、下村、芝崎、大野、田中、居住、小山)で担ぐ。高欄掛は「武家物」。水引幕・昼提灯・布団締めは「龍」。 往古は各村にあったらしい。 |
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平野町芝崎字樋ノ口290 | 高良神社 | 10/10 | 獅子舞 | 子供相撲 | |
平野町黒田392 | 堅田神社 | 10/連休 | 獅子舞 | ||
平野町繁田558 | 堅田神社 | 10/連休 | かきだんじり廃絶? | ||
獅子舞 | |||||
昔は氏子青年団の祇園囃子、獅子舞、神事の角力が行われ、最近まで相撲の地方巡業の催しがあったという。現在は青年団の獅子舞を御神前で舞う程度であると記されている。 また一説に約70戸あった戸数が10戸を割ったので、だんじり太鼓を奉納出来なくなったとあるがこちらの方が信憑性が薄い。 |
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平野町中津字中山137(中村) | 住吉神社 | 10/連休 | 太鼓廃絶 | ||
大正中頃に三木より購入するが、昭和20年10/8の台風により小屋ごと流失。小屋跡はバス停。昭和の末期まで神社境内に太鼓が野ざらしで残っていた。私も見たことがある。 | |||||
平野町中津字丸山137(中村) | 八幡神社 | 9/連休 | 子供相撲 | ||
平野町中津字大歳663−2(上津橋) | 中津宗賢神社 | 10/祝日(元・15) | 太鼓、子供相撲廃絶 | ||
境内に倉庫があり、そこに太鼓山車が保管されていた。太鼓山車は戦後、池にはまって損壊し、今では祭礼道具を保管するようになるが、現在は神賑も無く役員数名の直会のみと聞く。 | |||||
■神出地区 | |||||
神出町東1180 | 神出神社 | 10/連休土日(元・11) | 神輿(大小) | ||
太鼓(布団だんじり)2台 | 明治までは各村落(11台)あったが、今は宮太鼓2台を出し氏子8地区の輪番である。 | ||||
獅子舞 | 吉生、老之口、北、池下 | ||||
御先太鼓=@五段平屋根。平成初期に淡路より購入。 A三段。昭和28年より使用。 ※東、老之口と田井の当番の年は2台担ぐ。 当番は8年に1度で、@東、老之口A南上、南下B田井C北D神納E池下・吉生(よしい)F広谷・山西G古神、五百蔵(いおろい)、勝成(よしなり)の順である。平成24年(2012)の当番は神納。 |
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江戸期は氏子の5ヶ村に太鼓があったが、明治末期の飢饉により全て廃絶した。このうち元・東の太鼓が北区の淡河八幡神社を経て現在はフルーツフラワーパークに展示されている?。 | |||||
■岩岡地区 | |||||
岩岡町181−2 | 岩岡神社 | 10/連休日曜(元・17) | 神輿 | ||
お先太鼓 | 神社所有。14地区が輪番。 | ||||
布団だんじり7台 | 南古、上村、赤坂、野中、南場、上新地、上北古 | ||||
獅子舞 | 秋田、上新地、新々田、池田 | ||||
氏地は岩岡町の野中上村、野中下村、北竜ヶ岡、南竜ヶ岡、秋田、天ヶ岡、南古新田、赤坂と神出町新々田、池下、広谷神納、北古新田、池田の14ヶ村である。 | |||||
天狗が現れて愛嬌を振りまき、神輿、お先太鼓をはじめ7台の布団太鼓や、ご神燈「ねりあんど」が木遣り音頭に合わせて宮入りする。獅子舞が舞い、夕方には布団太鼓が電飾に浮かぶ。 | |||||
お先太鼓=三段平屋根。昭和11年、北場が購入。大工、彫師 等は不詳。 昭和52年(1977)に、先代の御先太鼓は台風で無残な姿になったので、練り手が少なくなった北場が寄贈した。衣装は絹常の作。 布団締めは「三つ葉葵紋」。水引幕は「向龍」。高欄掛は、「那須之原白面金毛九尾の狐退治」。 当番の順番は新々田、池田、南古新田、野中上村、天ヶ岡、赤坂、上新地・北場・南場、広古・秋田、野中下村、上北古、下北古である。 |
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南古(みなみこ)=三段平屋根。昭和11年再建。大工、彫師 等は不詳。 雲板は「雲龍」。水引幕は「昇龍」。昼提灯は「竹に虎」。高欄掛は「須磨一の谷の合戦」。 上村(かみむら)=当神社唯一の五段平屋根。制作年、大工、彫師 等は不詳だが、平成19年、梶内だんじり店で本体・水引幕の新調、布団締め・隠し額のの修復。 挟間は「源頼光大江山酒呑童子酒宴の場」。 布団締めは「海老」。布団締め隠しは「月に玉兎」。日輪に八咫鴉の金具がつく。昼提灯は「鷹、鯉」。水引幕は「龍虎」。 赤坂=三段平屋根。制作年、大工、彫師 等は不詳。 昭和11年に、本体を某所より購入し、水引幕や水引幕などを付けて始まる。 平成13年、柱・土台を新調。平成21年、水引幕・高欄掛 などを新調。 挟間は「龍」。高欄掛は絹常の作。「富士の巻狩り」。 野中=三段平屋根。平成24年(2012)制作。梶内だんじり店の作。ただし挟間は先代を利用。布団台は五段。 挟間は「巴御前の勇戦」。布団締めは「虎」。 南場=三段平屋根。平成14年(2002)制作。大工は河野屋台製作所。彫師は不詳。挟間は「楠公子別れ櫻井の駅」。 衣裳は京美刺繍。高欄掛は「龍、虎、鷲、鯉の退治物」。 昼提灯は「二見ヶ浦の日の出」。 創建は昭和10年、五段屋根。 上新地=三段平屋根。昭和29年制作。大工、彫師 等は不詳。衣裳は絹常の作。 平成21年、水引幕・高欄掛修復。 雲板は上下段とも雲龍。狭間は「頼朝朽木隠れ」、「生田の森 梶原景季箙の梅」、「川中島の合戦」、「?」。 幕は「向龍」。高欄掛は「宇治川の先陣争い」。 上北古=三段平屋根。地元の大工の作。三代目。 太鼓の胴の裏側に弘化元年(1844)と墨書きあり。 |
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【廃絶】 北場=昭和52年(1977)に、先代の御先太鼓は台風で無残な姿になったので、練り手が少なくなった北場が寄贈した。 印路=明治12年の旱魃で戸数が減って廃絶。 神出町新々田=文政年間よりあったが、明治45年頃に消防ポンプ購入のため売却した。 |
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秋田(獅子講)=毎年7月9日の夏祭りと秋祭りの2回獅子舞を奉納。 元禄年間の頃から継承されていると伝えられ、古い太鼓や衣装箱が現存。獅子の油単や天狗の衣装はこの付近では珍しい黒地に牡丹の花模様。 上新地=昭和2年(1927)10/17の秋祭りに、岩岡神社に奉納して始まる。4月第3土曜の春祭では上新地の八幡神社と竜が岡の大歳神社に、10/連休土日の秋祭りでは岩岡神社に奉納する。 |
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岩岡町西脇1079 | 地守神社 | 7/4土曜 | スイカ祭 | ||
10/連休土曜 | 獅子舞 | ||||
スイカ祭=元は7/24。青年団の仕事の都合から7/3土曜へ、さらに平成19年に7/4土曜になる。20時から約1時間獅子が舞われる。スイカの収穫時期にあたり、必ずスイカを神前に供えるため、スイカ祭りと呼ぶようになる。 | |||||
竜ヶ岡2−15 | 龍ヶ岡大歳神社 | 10/連休土曜 | 太鼓 | ||
獅子舞 |