兵 庫 県     

    ≪神戸市≫ 
    中央区、兵庫区、長田区、須磨区、北区 
 

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪中央区≫
宮本通3丁目1−5(旧・筒井) 筒井八幡神社 5/中旬(元・15)
10/2日曜
鳳輦 神輿
子供神輿4基  
地車廃絶
地車=大佐の「地車請取帳」には明治31年の項に「ナダ つ々井村」とあり。地車があったか?
神輿=明治期の作。終戦後まもなく休止となるが、昭和60年復活。
熊内(くもち)町 熊内八幡神社 4/29&7/16 神輿(宝船、子供)
8/15 地車廃絶 戦災にて焼失
 「神戸市の民俗芸能」には明治35年頃に名古屋の宮大工6,7人呼んで製作。しかし戦災にて焼失とあるが、
大佐の「地車請取帳」には明治31年、34年の項に「神戸市葺合村大字熊内」とあるので制作にあたったのは、大佐ではないかと思われる。
 往古はかきだんじりで灘区上野の宮西北に売却。
脇浜2−3−6 南宮宇佐八幡神社 10/2日曜
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神輿(大小) 大は3年くらいに1回
地車廃絶 明治中期に廃絶
神輿=大正中期に青年団が主となり中古の神輿を購入したのが始まり。
八幡通4−1−37(小野) 小野八幡神社 10/8頃の日曜 神輿2基 大小
地車廃絶 大正初期に廃絶
神輿=戦後すぐに2基購入。以前は神輿と鳳輦。戦災で焼失。
 なでしこ神輿=平成27年(2015)15年ぶりに復活。
大佐の「地車請取帳」には明治31〜32年の項に「神戸市小の町四丁目百八十番 丹生亀太郎様」とあり地車購入時の記録である。
日暮通2−4−11 中村八幡神社 4/3日曜(元・5/5)&10/3日曜 子供神輿 御神幸あり
獅子舞 戦災にて焼失
中尾町10−20 中尾大神宮神社 4/1日曜(元・7 子供神輿廃絶 戦災のため
菓子撒き
下山手通 生田神社
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4/16頃の日曜 神幸式 猿田彦、稚児行列、梶原武者、高張提灯、神輿、子供神輿、御先太鼓
獅子舞
地車廃絶 和田岬町へ売却
船地車廃絶
神幸式は猿田彦神を先頭に獅子頭、梶原武者、宮司・太刀持ち、子供みこし、稚児、神輿からなりその行列は約2Kmに至るが、御旅所に行くことは無く、当番地区内に設けられた神受所で神事を行っている。
各地区への巡幸と当番地区への移動は、近隣地区を除いて徒歩で行うことが交通事情などにより無理なので、乗用車等に分乗して移動、当番地内の巡幸のみを徒歩で行っている。
生田祭」の歴史は古く、寛文3年(1664)の絵巻物にもその様子が描かれている。
終戦までは、中央区から兵庫区の約30kmを1日がかりで渡御を行ってきたが、氏子地域は中央区・兵庫区の広域にわたるため、昭和30年代に入ってからは、11地区に分割し(当初は12地区。湊地区があった)。
1..宮元地区 2.三宮地区 3.東山地区 4..元栄海・波止場地区(元町・栄町・海岸通) 5.兵庫中部地区 6.諏訪山地区 7..兵庫南部地区 8.下山手地区 9.兵庫北部地区 10..葺合地区 11.兵庫岡方部
各地区で11年に1度の持ち回りで開催されている。
船地車廃絶=和田崎への神幸で神輿の舁き番で中止となり、その後生田神社と兵庫七宮神社との間で氏子争いとなり取りやめたらしい。
多聞通3−1−1 湊川神社
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5/25 神輿 不定期
奉納演芸、神楽、舞楽
地車、布団太鼓廃絶
境内社菊水天満神社 8/24〜26 菊水天神祭 天神燈籠(絵燈籠)、盆踊(天神踊)
 【神戸又新日報より】
明治32年:東川崎6、7町目より檀尻2台 400人で曳く。
明治40年:東川崎町、蒲団太鼓、3000円にて。
       橋通りより底抜け屋台、その他大屋台も出た。
北野町3丁目12−1 北野天満神社 7/25 神楽、浦安の舞
山本通1−3−5 一宮神社 10/3土日 子供神輿、猿田彦、稚児行列
淡路神楽、歌姫
二宮町3丁目1−12 二宮神社
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5/4 御神幸 鳳輦、神輿(大小、ギャル) 
9/敬老の日 秋祭り
神輿=昭和29年、神輿・子供みこし・鳳輦を購入。以前の3基は戦災で焼失。
三宮町2−4−4 三宮神社
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5/吉日(元・13) 神幸式(子供神輿3基 神輿廃絶
10/12、13 秋祭り
中山手通5丁目2−13 四宮神社
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10/2日曜 神輿廃絶(大小) 戦災で焼失
子供神輿 四宮弁財天舞
花隈町6−5 厳島神社 6/17頃の日曜
子供神輿(兼用) 5/3日曜の年もあった)
元町通5−6−1 走水神社 7/24、25 浦安の舞、筆供養、福引、天神踊
東川崎町7−4−12 東川崎蛭子神社 8/10 子供神輿2基 囃子太鼓
中山手通7丁目28−30 熊野神社 7/2日曜(元・6) 子供神輿
山本通1−3−5 一宮神社 10/21頃の日曜 御神幸(子供神輿)
楠町3−4−13 八宮神社 10/9 湯立神楽
諏訪山町5−1 諏訪神社 10/15 神楽、湯立て神事

 ≪兵庫区≫
和田宮通3丁目2−45 和田神社
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5/2、3(元・24) 神輿 戦災で焼失
子供みこし3基 昭和48年頃購入
地車2台〔大小〕 宮附け地車。大は北河内型。小は神戸型
11/3 子供みこし
は昭和54年(1979)大阪市鶴見区茨田大宮より購入。購入時に地元の大工の岡田忠雄氏によってローラーコマを外コマに、屋根廻りなどの修復する。改修時の大工は岡田忠雄。長さ6.2m。幅2.3m。高さ3.9m。
 平成5年(1993)に金具新調、彫物追加(勾欄合など)、木材追加。
 ≪前屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「梅に鴬」。
車板:正面は「珠取り青龍」、左右は「麒麟」。
 ≪後屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷲」。隣懸魚:「松に鶴」。
車板:正面は「牡丹に親子唐獅子」、左右は「牡丹に唐獅子」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
脇障子:右は「獅子の子落とし」、左は「牡丹に唐獅子」。
は元・金平町で江戸末期の作。昭和53年(1978)5/20に大修理して約30年ぶりに曳行復活。昭和6年淡路の一宮町より購入。
 【地車廃絶】=昭和20年3月の空襲で焼失。
≪曳きだんじり≫
和田崎町(北仲町、大辻)=優位津の内コマ。生田神社の古地車。生田の神紋が残っていた。

和田宮通=昭和10年頃制作。出在家町の地車を真似たと云われる。

今出在家町⇒地車小屋は今在家1−1−7の南あたり。
 大佐作の地車制作以前は3台あり。それらを競売にかけた。1台は淡路の西浦に売られた。

出在家町=大佐の作。今出在家の少し後の作。
 先代は太鼓。

≪かきだんじり≫
上庄通
=先代は曳きだんじり。

新在家町・船大工町
=両町ともかつては曳きだんじり。

関屋町=太鼓。
 大佐の「地車請取帳」には和田神社氏地のことが多く記されている。
南仲町=明治34年8月以降の項にあるが、明治38年(1905)三菱合資会社神戸三菱造船所建設時に立退きとなる。

大辻=明治34年8月に請負。子供地車で制作費は150円。昭和9年東灘区田中へ売却。

今出在家町=記載もあるし、地元では明治34年、地車小屋で2ヶ月かけて組立て。大佐が日光陽明門をモデルに260円で新調。ただし日露戦争後に曳きだす。

上庄通=大正11年以降に記載あり、大正末に淡路より購入。この時大佐経由か?

新在家町=明治34年、36年の項に太鼓とある。大正11年以降に大佐で作事(修復)する。
 東大阪市岸田堂の二代目地車は大正元年に新在家より購入するも大型で曳行支障を生ずるので4年か5年に神戸に買い戻してもらったと伝えられる。

船大工町=明治34年〜大正9年の項にある。
和田宮通3丁目2−51 三石神社
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5/17頃の土日 神幸式 神輿、子供みこし
子供かきだんじり廃絶 昭和15年頃廃絶
兵庫町1丁目4−37 湊八幡神社
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9/14 神輿廃絶 昭和20年3/17の空襲で焼失。
だんじり廃絶
上祇園町12−1 祇園神社
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2/17 祈年祭
7/13〜20 神輿 奥平野村の氏神
かつては本神輿だが、怪我人が多くでるので明治末期でやめる。戦後、樽みこしから子供みこしへ。
山王町1丁目6−5 大山咋神社 5/5 神幸式 子供神輿
獅子舞廃絶
荒田町3丁目99 荒田八幡神社
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6/1土日 夏祭り 福原京まつりと称する
10/14、15 神輿 先代は戦前に焼失。
七宮町2丁目3−21 七宮神社 5/8、9 神幸式 神輿。旧・県社
氏地は東出町、西出町、七宮町、松屋町、匠町、魚棚町、島上町、戸場町、小物屋町、北仲町、西仲町、富屋町、鹿屋町、西宮内町
熊野町3丁目1−1 熊野神社 5/8、9 獅子舞廃絶 昭和40年頃より休止
五宮町22−10 五宮神社 9/12 例祭
永沢町4丁目4−21 厳島神社 5/16 子供みこし
佐比江町30 猿田彦神社 9/16 子供みこし
 烏原貯水池(立ヶ畑ダム)
明治37年、鳥原貯水池築堤のため鳥原村が水没。戸数98戸。人口414人。

 ≪長田区≫
      ⇒長田、西尻池、駒ヶ林、野田、東尻池
長田町3−1−1 長田神社公式HPへ 10/17、18 神幸式 神輿、子供みこし
氏子は15部20地域に区分されている。奉仕は毎年各部の交代により斎行されるが、各部地区合同奉仕もあり10年に1度の奉仕となる。
地域は長田、池田、長田北(丸山・名倉)、長田東、長田中、長田南、御菅、尻池北、運南(吉田金平・御崎浜中)、尻池南(真野・南協)、西尻池、真陽、西須磨、西代(北・南)、御神楽(北・南)。
黒漆金銅装神輿=(國指定・重要文化財)昭和44年6月30日指定。源頼朝奉納と伝わる。康正三年(1457)修理の棟札があり、足利尊氏奉納とも考えられる。
昭和58〜59年に解体保存修理が行なわれた。
駒ヶ林町3丁目7−3 駒林神社
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2/25 祈年祭
5/2、3(元・16) 子供神輿
屋台1台保存   
現行の氏地は駒ヶ林町1〜6丁目・二葉町5〜10丁目・久保町5〜10丁目・腕塚町5〜10丁目・大橋町5〜7丁目・若松町5〜7丁目・日吉町1〜2丁目
1丁目(旧・東之町[ひがしっしょ])=二見倉庫に一時保管されたが、早くに廃絶。

2丁目(旧・出在家町)=永らく保存されたが、震災で潰れる。小屋は新黒稲荷社の隣にあった。今は海泉寺駐車場に化している。

3丁目(旧・井戸之町[いどんちょ])=八幡さんの裏側の倉庫に保管されていたが、早くに廃絶。

4丁目(旧・仲之町[なかんじょ])=
4丁目37の駒ヶ林4南部自治会事務所に保管されている。

5丁目(旧・堂之町[どのちょ])=5丁目の自治会の倉庫(現・保育所のあたり)に保管されていたが、早くに廃絶。

6丁目(旧・西之町[にしんちょ])=保管するとこが無く、早くに廃絶。
 元々駒ヶ林は証誠神社の御旅所の地にあたり、秋祭りに屋台(コマが付いた地車様の山車)が、江戸期より証誠神社に宮入りした。
ところが、御旅所の八王子社(現・駒林神社)が大正13年に独立し、例大祭が5月に行われるようになり、屋台熱が冷え例大祭でなく、港まつりに出るようになった。
 さて屋台はかろうじて昭和35年頃まで曳かれたが、市道西出高松前池線(俗に高松線)の開通のため神社内にあった屋台蔵が撤去になり、各地区に保管となり曳く気運が廃れたと思われる。
野田7丁目7−1 幸殿神社 9/24 神幸式 神輿と5地区の子供みこしが出る
屋台3台廃絶 北、東、西
みなと祭の時も出し、野田、長楽の屋台は駒ヶ林とよく喧嘩したという。
東尻池町1丁目14−4 射場八幡神社 6/8 例祭
池田寺町7 祇園神社 7/14頃の日曜 屋台廃絶
高取山町1−9 高取神社 4/3 子供みこし休止 昭和40年頃より休止
11/23 浦安の舞

 ≪須磨区≫
      ⇒板宿、大手、池田、妙法寺、車、白川、東須磨、西須磨(現・須磨浦通、須磨寺町、潮見台町、一ノ谷町など)、多井畑
板宿町3丁目15−25 板宿八幡神社
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5/3 神輿
子供みこし
神輿=平成19年(2007)50年ぶりに復活。9/9搬入、9/15搬入。
権現町1丁目3−2 證誠神社 9/23(元・27) 神幸式 大手・東須磨・野田・駒ケ林の五ヶ村の氏神として創祀された。
天神町2−1−11 綱敷天満宮
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7/24、25 神輿1基 平成19年(2007)60年ぶりの復活
子供みこし2基
関守町1−3−20 関守神社 2/初午 子供みこし
須磨本町1−1−44 諏訪神社 10/27 例祭 かつて11/18の例祭日には村民が猪狩の神事を行い、猪肉を食べる習慣があった。
南町3−20 弓場八幡神社 9/23 子供みこし 昭和34、5年頃に京都より購入
若宮町3−18−4 若宮八幡神社 10/15頃の日曜 子供みこし 昭和20年代後半購入
天神町5−2−18
長田神社 子供みこし 長田神社のかき番の年にかつぐ
子供みこし=須磨浦会。昭和6年制作。関守神社に保管。12、3年ごとにまわる長田神社(長田区)のかき番に当たる年にかつぐ
口妙法寺字宮ノ下54−1 北向八幡神社 10/15頃の日曜 神輿借りている 子供相撲
神輿は妙法寺より借りていたが、昭和45年頃より出さなくなったが、今は復活。
奥妙法寺 八幡神社 10/3 子供みこし 妙法寺に保管。昭和42年頃より休止
車字松ヶ原551 大歳神社 1/14 翁舞
10/16 子供みこし 休止中
子供みこし=神社に保管。昭和36年頃に板宿より約5万円で購入。昭和46年を最後に出ていない。
白川字堂の東498 山伏山神社 8/23 例祭
8/23の例祭には、白川の鷲尾一族が集まって朝から神社の清掃をし、神事が終わると鷲尾本家に集まって、一年間の無事を感謝し、親睦を深めた。
白川字宮ノ西373 大歳神社 9/21 例祭 翁舞や天神講、伊勢講などの伝承行事も戦前まで伝えられていたが、今は途絶え、現在は白川小学校内の郷土資料室に展示されている。
須磨浦通4丁目8−11 村上神社 10/19 子供みこし 琵琶の奉納
多井畑字宮脇1 多井畑厄除八幡神社
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4/19 例祭
旧・8/13 神輿廃絶 戦前は出た

 ≪北区≫
 ■山田地区(摂津国八部郡)
      奥一里(谷通り):中、上谷上(かみたにがみ)、下谷上(しもたにがみ)、原野(はらの)、福地、東下、西下、坂本、衝原(つくはら)、与左衛門新田
      中一里(尾通り):小部(おうぶ)、藍那、小河(おおご)
山田町中字宮ノ片57 六條八幡神社 9/3日曜 神幸祭 丹生山田郷の総鎮守で13ヶ村が輪番で担当
10/2日曜 流鏑馬 騎射
1/19 厄除大祭(引目神事) 歩射と言って徒歩で的を射る。
4組に分かれた氏子の部落が輪番で神輿を担いで氏神から六條八幡神社まで練り歩き、昼からは六條八幡神社の境内を練りまわる。
厄除大祭(引目神事) =お弓引とか疫神祭とも言う。悪魔を示す文字を書いた的を弓で射る。11時頃からの拝殿での祭典に続き11時半頃から境内で神事が始まる。七社神社の引目祭同様、抽選で選ばれた6人の射手が大石灯籠辺りに据えられた20m向こうの直系約1.3m1.3mの的(裏側中央に「ム」の無い鬼の字3字が書かれる)に向かって1人2本ずつ3巡、計36本の矢を放つ。矢を射る度にはぜの木で作った数取りの木を席の前の砂盛に刺す。秋の流鏑馬の当番部落が催行する。終了後、福娘による餅投げが行われる。
山田町中22 中大歳神社 9/2日曜(元・9) 子供相撲 通称は黒門さん
山田町上谷上字宮開地1 天満神社 7/25 子供みこし
10/2日曜 布団だんじり廃絶
相撲廃絶 昭和20年頃までした
布団だんじり=明治末まで宵宮にかかれていたが、以後は飾付け。しかし老朽化のため大正末期で飾付けもしなくなった。
山田町下谷上字五池谷85−1 箕谷神社 /4日曜 餅まき 当番の氏子夫婦が櫓の上から餅まきを行う
10/1日曜 甘酒と蛙豆の接待
山田町下谷上字砂川39 天津彦根神社 1/2日曜 マト
7/3日曜 餅まき
マト=6人の射手が的(丸い竹組みに表に3重円を書いた半紙を、裏に鬼と書いた半紙を貼り付けたもの)に向かって1人2本ずつ3巡、計36本の矢を放つ(16日に八坂神社で、17日に壽福寺で同様の行事が行われる)
山田町原野字八王子1 天津彦根神社 7/3日曜 夏祭り 餅まき
10/7、8(隔年) 例祭
1/19 厄除祭(引目祭) 御神酒、山海の珍味のお供え、直会の後、弓引き神事を行う。
山田町原野字谷寺口35 八坂神社 1/19 厄除祭(引目祭) 御神酒、山海の珍味のお供え、直会の後、弓引き神事を行う。
/2日曜 餅まき 15:30頃
山田町原野字札場14 愛宕神社 7/3日曜 餅まき
山田町福地101 若王子神社 10/1日曜(元・5) 例祭 通称はどぶろく祭
2/1日曜 祈念祭
山田町東下字翁ヶ谷36 七社神社 10/2日曜 流鏑馬神事 かつての山田全村の鎮守社
輪番に当たった部落がまず七社神社前の参道で流鏑馬を行った後、六條八幡神社までの道程を烏帽子束帯姿や、太鼓、騎乗した射手、流鏑馬の的、挟み箱を担いだ行列が太鼓と「けやり唄」に囃されながら練り歩く。
山田町東下字東所27 大歳神社 10/2日曜 例祭
山田町西下62 天津彦根神社 11/1日曜 例祭
2/11 弓目祭(お弓)
毎年2人の射手が的(直径1.5mの竹組みに表に2重円を書いた半紙を、裏に鬼と書いた半紙をあてたもの)に向かって1人2矢ずつ3度交代して、計12本の矢を放つ。
山田町坂本字丹生山384 丹生神社 5/5 子供相撲 申祭り
申祭り(丹生祭)= 丹生神社に併祭される日吉神社の使いとされる猿にちなんでいると思われ、かつては旧暦4月の申の日に行われていた。
古くから奉納相撲が有名で、氏子の坂本、東下、西下だけでなく、山田郷内はもちろん遠く三木、志染、淡河、吉川あたりからも力自慢の田舎力士が集まった。現在では今は地元小学校の生徒による子供相撲の奉納。
山田町衝原字道南3−14 大歳神社 9/23 例祭
山田町小部字松宮山46 小部大歳神社 10/2日曜 例祭
2/21 弓目祭(お弓)
山田町小部字北の谷76 杉尾神社 10/2日曜 例祭 旧。西小部村の鎮守
2/21 マト
マト=悪魔祓いの行事でビシャとも言う。3地区から2人ずつ選ばれた長男が鬼と書いた半紙をとめた木の枠で作った的に1人2本ずつ3回矢を射る。
山田町小部字西ノ谷58 天津彦根神社 10/2日曜 例祭
2/21 引目祭 境内が狭いので、氏子が同じである杉尾神社境内で行なう。
鈴蘭台北町1−23−1 末広稲荷神社 10/1日曜 子供神輿 小学生、神戸親和女子大学生が子供神輿を担ぐ
 【甲栄台夏祭り】
曳きだんじり
=甲栄台団地が昭和51年3/8、洲本市本村町より購入。最初の予定に反してだんじり小屋が建造されず2、3年で壊れる。甲栄台夏祭りとして8/7、8開催されたらしい。
山田町藍那字北ノ町39 天津彦根神社 10/8 例祭 戦前に子供相撲したことがある
山田町小河字向山24 大歳神社 8/24 例祭 豊作祈願から逃げ腰になる神に村人達が大榊で社殿を叩きながら廻る
1/4 お弓 毎年2人の射手が的(竹組み紙を張り、中心に鬼と書いた後塗りつぶす)に向かって1人2矢ずつ3度交代して、計12本の矢を放つ
 【与左衛門新田】
新田で集落は無かった。兵庫カンツリー倶楽部が全域に相当するが、ゴルフ場の住所は山田町原野になっている。
 【呑吐ダム(つくはら湖)】
昭和61年(1986)、呑吐ダムが完成し、これによって山田町衝原(つくはら)の33戸のうち31戸が水没することになり、これに先立ち昭和53年(1978)に、解村と衝原の東部の新造成地の「衝原地区開解村式」が行われ、水没する31戸のうち18戸の移転と箱木千年家、大歳神社などが移転した。
 ■有馬地区(摂津国有馬郡)
有馬町1908 湯泉神社
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1/2&10/3前の日曜 神輿 男、女、子供、樽 など
だんじり廃絶 上之町の地車は堂になる?
大魚の山車廃絶
湯泉神社を午前10時に出発。男神輿、女神輿、子供みこし、樽みこし、獅子舞3頭の行列。掛け声は良い湯にちなんで、「ヨイト―ッ」と掛ける。
地車=有馬は明治20年頃は8町に分かれていた。さて寛政12年刊の「摂津名所図会」には有馬温泉の明神祭りの図として、中之町の地車が描かれている。しかし、明治になってからは道が狭いということで次第に解体され、日露戦争の奉祝曳行(明治38年)では上之町、寺田町の2台になっていた。
 寺田町地車は稲荷神社旧境内にあったが、神社移転により解体された。彫物は有馬でホテルを経営していたイギリス人に100円で売却。
 そこで上之町地車は明治40年代に現在地に移され愛宕さんのお堂になる。

とされていたが、平成14年に大東宏彰氏の調査により、この地車祠は腰廻りや小屋根部分が全く残っていないこと、後面に枡合があること等々の理由で一枚屋根の担い地車だと思われ湯泉神社の祭礼には使われていないと断ぜられた。(上地車新報 11号)
長さ1、7m。幅1、6m。台座から獅噛みまでの高さは2、75m。
 ≪前屋根廻り≫
鬼板(二面)は「獅噛み」。
懸魚:前は「鳳凰」、後ろは欠損。
車板:「牡丹に」唐獅子」。
枡合:前後は「波に青龍」、左右は「雲に麒麟」。
木鼻は「唐獅子・獏」。
摂津名所図会:寛政10年(1798)発刊。作者は秋里籬島。画は丹羽桃渓。に明神祭が載っている。紹介HPへこの画には大魚の山車に三所権現と染め抜いた旗が掲げられている。
 ■有野地区(摂津国有馬郡)
有野町有野4435(西尾) 有間神社公式HPへ 10/体育の日 神幸式 神輿
地車 岡場の地車が惣社の有間神社に宮入りする
氏地は五社、田尾寺、結場、馬場、岡場、西尾、切畑、堀越であるが各集落には小宮がある。
神輿=明治15年4月に購入と伝わる。
五社=布団みこし。昭和28年頃に有志により作成。五枚の布団みこしとした。昭和41年には台に乗せ布団だんじりに変えた。しかし交通事情により昭和41年に廃止となる。
有野町有野262(五社) 中尾神社 10/10 布団神輿廃絶 昭和45年頃焼却処分
有野町田尾寺 田尾神社 10/連休(元・11) 獅子舞休止 江戸期にはしていたと伝わる
有野中町3−5−18(結場) 結場八幡神社 10/連休 例祭
有野町馬場 八幡神社 /3 神事の後、直会
有野町有野2302(岡場) 岡場若宮神社 3/16 お富
6/2日曜 例祭
10/日祝 地車1台
岡場(岡場地車保存会)=大阪型。文政12年(1828)制作。大工は太平寺の定。彫師は服部清七。天保7年(1836)7月に兵庫区の新在家より3両1歩で購入。
昭和49年より休止していたが、平成15年には会員の手により、地車の点検、応急修理を行うとともに秋の祭礼には壇尻囃子を復活させ境内での曳行を行った。 
平成16年、(株)谷尾により修復。彫師は赤坂繁。欠損した彫物足して30年ぶりに曳行復活。また近隣の藤原台中町の夏祭り(8/1日曜)でも出した。

 ≪前屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」(新調)。
車板:「青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪後屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。
車板:「竹に虎」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
縁葛:「波濤に兎」。
脇障子:「雲に鶴」。

三枚板:正面は「唐獅子の谷渡り」、右は「虎と青龍」、左は「漢の高祖龍退治」。
木鼻:獅子(新調)。勾欄合:「十二支」。
有野町有野3988 五社八幡神社 1/19 厄除祭 戦前は地狂言や地元青年団の芝居。現在は夕方より餅まき。
9/15 子供相撲休止
有野町上唐櫃536 山王神社公式HPへ 10/連休祝日(元・26) 神輿(大小)
有野町下唐櫃 山王神社 10/連休日曜(元・14) 例祭 昭和初期まで子供相撲をした
有野町二郎字上之宮89 大歳神社 10/連休土曜(元・11) 獅子舞
 ■八多地区(摂津国有馬郡)
      ⇒中小名田、下小名田、上小名田、吉尾、柳谷、屏風、深谷、附物、西畑
八多町下小名田234 八多神社
公式HPへ
10/16頃の土曜 神輿 子供みこし
地車1台
巫女舞
獅子舞 昭和47年までは行った
神輿、地車は中下小名田、上小名田、吉尾の4部落が1年交代で担当。子供みこしは八多保育園が担ぐ。
地車=一ツ屋根。明治12年9月制作。大工は地元の大工の前田竹三良。彫師は不詳。前田竹三良自身が彫ったのではという識者もあり。
 【主要彫物】
鬼板は「獅噛み」。拝懸魚:前は「雲海」、後ろは「雲海に菊花」。
車板は「雲海」。
枡合:妻は「宝珠を掴む龍」。平:右は「松に鶴」、左は「鳳凰」。
板支輪;右は「龍」、左は「雲海」。
木鼻:「獅子鼻」。
八多町柳谷1090 柳谷八王子神社 9/15 お當行事
10/2月曜(元・15) 担い壇尻1台
お當行事=当日、神前に氏子全員が参列して神事を行った後、神社前の公民館に移動し、新旧當人の交替儀式を行なう。女人禁制などの特別な習慣はない。お當行事の夜には、境内で小・中学校生徒による子供相撲が奉納される。
八多町屏風字頓行司362 八王子神社 10/8 神輿廃絶 戦前に廃絶
地車廃絶 戦前に廃絶
八多町深谷字杉尾920 八王子神社 10/7 獅子舞
八多町附物361−2 八王子神社 10/祝日(元・9/2) 子供みこし 子供相撲
獅子舞 言伝えはある
村芝居 昭和20年代までは青年団の芝居や買芝居があった。
西畑滝(八多町西畑) 住吉神社 10/16 例祭
西畑本郷(八多町西畑403−2) 西畑神社 10/連休(元・9) 例祭
西畑鳴川(八多町西畑) 感神社 10/1 例祭
 ■大沢(おおぞう)地区(摂津国有馬郡)
      上大沢、中大沢、日西原、簾(すだれ)、市原、神付(かんづけ)
大沢町上大沢字岸ノ奥下552 素盞鳴神社 10/2土日 練込み
布団だんじり1台
布団だんじり=明治初期に淡河八幡神社で使っていたのをもらったと云われる。
練込み=順序は弓張提灯、警護(弓)、御幣・三宝(御神酒)、天狗、お多福、猿、締太鼓、奴(子供)、鉦(子供)、締太鼓、天狗、お多福、猿、参列者。
大沢町中大沢606 素盞鳴神社 10/12直前の土日 練りこみ
獅子舞 舞の種類は9種で、秋祭り祭典終了御に舞う
渡御(練りこみ)、獅子舞、最後に餅まき。
獅子舞=「有馬郡誌」(昭和4年刊)に「寛文7年(1667)大旱魃にて挿秧すること不能、時に本村に傅兵衛といふ者あり。五穀豊収雨乞の祈願あり。始めて獅子神楽を奉納せり。」とあり、大旱魃の際に、正直伝兵衛とあだ名される村人が雨乞いのため一週間身を賭して参拝祈願したところ、雨が降り田植を無事終えることができ、伝兵衛も神への御礼として獅子神楽を奉納したことに始まるとされている。
大沢町日西原2413 天満神社 10/2月曜(元・11) 練りこみ
獅子舞 舞の種類は12種類だったが、現在は10種類。秋祭り祭典終了御に舞う
地車1台 戦時中より休止。例祭日は扉を開く
練込み=順序は天照大神の大麻を納めた神楽堂、獅子頭、金幣持、御神酒持各1人(各戸順番による長男)、大名1人、大天狗1人(魔物払い)、猿面冠者1人(魔物払い)、小天狗8人(棒振り)、鉦摺り4人、太鼓叩き4人(両親揃いの男子)、弓飾り4基、音頭唄い20余人。
大沢町簾292 天満神社 10/2月曜 子供みこし
大沢町市原631 豊歳神社 10/2日曜 子供みこし 13:00頃に宮出し、16:30頃に宮入り。
馬駈け 昭和30年頃より休止
子供みこし=平成2年購入。前身は昭和51年より始めた樽みこし。
大沢町神付(かんづけ) 素盞鳴神社 10/連休祝日(元・10) 供相撲餅まき
だんじり解体
練込み廃絶
だんじり蔵は神社本殿の斜め前にあった。大正3年に八多神社に合祀したので、だんじりを解体した。大きさは約2m、高さ約2、5mと伝わる。
 ■長尾地区(摂津国有馬郡)
      ⇒上津谷(こうづ)、宅原(えいばら)
長尾町上津字二反田4288(岩谷) 長尾神社 10/初旬(元・13) かきだんじり 昭和40年頃より休止
子供みこし 餅まき
昭和40年頃まではケヤリを唄いながら、だんじりが宮入りし、子供相撲も奉納されていた。
子供みこし=平成12年(2000)新調。以前は昭和55年より樽みこし。
長尾町上津谷字袋谷2030(上津上) 大歳神社 10/連休日曜(元・17) 地車1台
子供みこし2基
地車=幕式。二代目。大正3年(1914)に三田市鍛冶屋町より購入。この時に外コマを内コマにする。この地車は元は神戸・住吉で使われていたという。
平成2年200万円かけて改造され小さくなる。長さ3.6m。幅1.9m。高さ3.6m。

 ≪前屋根廻り≫
拝懸魚:「牡丹」。
車板:正面は「牡丹」、左右は「麒麟」。
 ≪後屋根廻り≫
拝懸魚:「牡丹」。
車板:正面は「牡丹」、左右は「雲海」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
縁葛:「波濤に兎」。
脇障子:右は「松に鶴」、左は「鯉の滝登り」。
長尾町上津96(上津下) 熊野神社 10/連休日曜 神楽
百石踊り 明治の末頃までをやっていたが、大正期に中止となる
宵宮は、朝から獅子が氏子の家々をお祓いして廻る。
本宮は境内で舞い、最後に餅まき。
獅子舞(長尾町熊野神社神楽保存会)=大早魃に見舞われたとき、雨乞いと五穀豊穣を祈願するため、越後国から獅子舞神楽を招いて奉納したのが始まりという。
獅子舞の演目は、「本神楽・剣の舞・寝獅子・五尺踊り・猿獅子・御多福獅子・鼻の舞・京句・天狗獅子・背継獅子」。
長尾町宅原1271 宅原一之宮神社 10/連休日祝(元・17) 神輿
布団だんじり1台 上宅原若衆
子供みこし2基
獅子舞 下宅原神楽講中
布団だんじり=明治32年頃に灘で買って当時の青年たちが六甲越えで担いで持ち帰ったと云われる。昭和37年頃より休止。
子供みこし=昭和53年(1978)に2基で140万円で購入。以前は樽みこし。昭和47年より始める。
 ■道場地区(摂津国有馬郡)
      ⇒塩田、道場(旧・道場川原)、日下部、平田、生野
道場町塩田2218 塩田八幡宮 10/3日曜 神輿、子供みこし
布団だんじり4台廃絶
獅子舞
道場町道場45 愛宕神社 地車廃絶 地車恵比寿あり
元禄14年(1701)の『摂陽郡談』には「愛宕神社 道場川原新町口ニアリ、火産霊尊ヲ祀ル」と書かれている。
 明治44年6月にに塩田八幡宮に合祀され、ここの社殿は御旅所となった。
 昭和27年に、近辺の人たちの要望によって、塩田八幡宮より御神体を奉遷し、八幡宮の境外摂社として祀られた。現在は地元の自治会によって行事などが守り継がれている。
境内に祀られている道場戎神社があり、古くは、現在の道場町塩田にある道場郵便局のあたりの個人宅にお祀りされていたが、明治43年に塩田八幡宮に合祀。
昭和18年に火災のため類焼し、野ざらし状態になっていたが、昭和25年ごろに地元有志らの手で現在の愛宕神社境内に遷座。
この時に、愛宕神社の倉庫に永年に渡り眠っていた地車を社殿として建てられたと伝わる。
この地車戎は『上地車新報』第30号の記事で紹介され存在が分かった。
道場町と隣接する西宮市山口町にある下山口の大地車と同様の巨大な『幕式』地車であると思われ、
屋根ですっぽり覆われ、大屋根・小屋根・柱などを残し、勾欄部分から下は全て取り外され、壁や扉が取り付けられているため、一見「地車」とは分からないが、彫刻は、獅噛み・懸魚・車板・枡合・木鼻など、ほぼ全てが現存している。
道場町日下部字宮ノ後905 日下部天満神社 11/25 獅子舞廃絶
子供みこし
道場町平田966 枚田稲荷神社 10/3 餅まき
布団だんじり廃絶 大正7、8年頃に廃絶
獅子舞廃絶 昭和35、6年より休止
道場町生野882 春日神社 10/8 子供樽みこし 昭和51年より始まる
獅子舞廃絶 戦時中に途絶える


 ■淡河地区(播磨国美嚢郡)
     淡河:淡河町、勝雄(かつお)、萩原、木津、南僧尾、北僧尾
     上淡河:行原(ぎょうのはら)、東畑、北畑、中山、野瀬、神田、神影(みかげ)
淡河町勝雄47 淡河八幡神社 2/11 御弓神事
10/1日曜(元・5) 神輿 あり
布団太鼓1台 三枚、平屋根 
御弓神事=県指定重要無形文化財。大鳥居に架けられた直径2mの的の中央に「鬼」の字を書いて黒く塗る「鬼封じの儀」があり、その後に奉納4人の射手が矢を放ち、悪霊を射抜き、五穀豊穣と厄災解除を祈願する。
淡河八幡神社は、鎌倉時代の頃に鶴ヶ岡八幡宮の分社となり、その時に「御弓神事」も直伝された。
祭礼は4地区の輪番で4年毎に順番が廻ってくる。 勝雄の天満神社を御旅所として2kmを渡御する。三段の布団太鼓と往古よりある稽古屋台と称する御殿屋根の太鼓もある。
この稽古太鼓は前週に担がれる。屋根の部材に正徳年間(1711〜16)の墨書きがあると聞く。
(10:00〜12:00)太鼓、神輿練り。
(12:00〜12:30)浦安の舞。
(13:30〜16:00)御旅神事。
氏子は旧・淡河庄16ヶ村で、祭りも4つの当番区で行われる。
宮元は勝雄・淡河・本町・萩原。
七村は南僧尾、北僧尾、北畑、中山、木津、東畑、行原。
野瀬神田は(神田、野瀬、神影)。
戸田三津田は三木市志染町戸田、〃三津田)である。
太鼓=三段平屋根。明治13年制作?。狭間の裏の墨書きより。38年神出方面より購入。狭師は橘正義。
高欄掛は「菱柄模様」。布団締めは「白地に金糸で五三桐の刺繍、源平合戦」。水引幕は「源平合戦」。
本町(淡河町淡河821) 歳田神社 10/2月曜(元・9) 子供神輿
太鼓(布団太鼓) 三段平屋根
曳きだんじり 明治末期廃絶
曳きだんじり=明治末期まであったらしい。部材が昭和10年頃に潰した能舞台の天井にあったと伝わる。
淡河町勝雄1434 中山神社 12/13 餅まき
淡河町木津331 大歳神社 7/16 例祭
 
淡河町行原3 山平神社 12/23 例祭 氏子約35戸
淡河町東畑563 厳島神社 9/16(毎年) 獅子舞 「剣の舞」など7種の舞がある。
子供相撲 戦前はしていた
淡河町北畑333 北畑三十八社 7/23 例祭 例祭の夜は、全戸住民揃って参拝の後、直会を共にする。
淡河町中山444 大歳神社 1/1 花ふり神事 氏子戸数40戸全員が参拝した後、宮当番にならい、一同小石を結んだ木の小枝を打ち振る当社独特の豊作予祝の年頭儀礼。
7/10 例祭
例祭は夜祭で、夕刻、氏子が小餅・菓子・果物等を持参したものを、宮当番が神前高く盛り供える。祭典終了後は御供撒き。直会は公会堂で行なうが、小皿盛りのキュウリの酢のものを肴に神酒を戴く習いとする。 過去に播州音頭踊り・映画上映を神賑行事としていたが、最近は専らカラオケ大会である。
淡河町野瀬2032 大歳神社 9/13 例祭 町内中央を流れる川を境界として、南・北野瀬に分けている。その南野瀬地区70戸が氏子である
淡河町神田253 八雲社 7/1 例祭
淡河町神田916 素盞鳴神社 7/1 例祭
淡河町神影785 神影天神社 7/25 例祭