兵 庫 県【阪神】     

      ≪西宮市、芦屋市≫              

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪西宮市≫
 ◎西宮地区
社家町1−17 西宮神社
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9/21〜23 神幸祭
地車1台(堺型) 宮付き地車。若戎会。
手作り地車1台 震災後出ていない
布団太鼓(大中小)
 ■21日(宵宮祭)
(18:00〜)奉納演芸会:西宮神社西広場
 ■22日(例祭)
(10:00〜)例祭
(15:00〜)稚児行列:戎参道(西宮中央商店街)
(17:30〜)子供樽みこし:戎参道(西宮中央商店街)
 平成27年(2015)は各町の子供会作成の樽みこしが約37基出た。また浜脇中の生徒が女子神輿、布団太鼓 なども出る。
 ■23日(渡御祭)
(10:40〜)陸渡御:西宮中央商店街〜本町筋
(12:30〜)御旅所祭:新西宮ヨットハーバー
(14:20〜)海上渡御:新西宮ヨットハーバー
 神輿を載せた御座船を中心に、10数隻の船団が西宮の海を巡幸し、かぜまつりを斎行する。また2隻の船は和田神社、三石神社へ参拝し、縁ある柳原蛭子神社へも参拝する。
(14:50〜)かぜまつり
 海上の安全を祈願し、八乙女が切麻でお祓いをする。また淡路人形芸舞組、人形芝居えびす座によるえびす舞も奉納され、御当地ゆるキャラなども登場して祭りを盛り上げる。
鳳輦=制作者、制作年 等は不詳。大正期制作という説もあるが?
子供神輿=ジャスコ西宮店が奉納と聞く。ジャスコ西宮店は昭和44年(1969)開店。阪神西宮駅北側にあり地震で全壊。店頭で被災者に生活必需品などを販売した後、約2週間後の平成7年(1995)1月29日閉店。現在、跡地はコインパーキングになっている
太鼓台(大)=令和5年(2023)4月16日、復元修復清祓式・御披露目会。搬入は令和3年(2022)11月27日。
文化庁の補助金による大修復。彫物以外は予算の範囲内で新調。
 元の太鼓は搬入済みなれど、入魂式はしていない。


(中)
=2005年制作。神社指定の宮大工(篠原工務店)の作。
 先代は昭和50年頃創建。阪神大震災で壊れる。


 =2012年制作。神社指定の宮大工と有志の作。
若戎会⇒地車小屋は神社境内。
=堺型。昭和61年(1986)12月27日、泉大津市千原より購入。明治初期の作。彫師は彫又。千原は大正2年に購入。

令和元年(2019)9月8日、修復入魂式。泉谷工務店(泉谷浩文)により、灰汁洗い、締め直し、錺金物鍍金奈緒氏、屋根板葺き替え 等。
搬入前に購入先である泉大津市千原に33年ぶりに里帰りし、現・千原地車と対面。

昭和45年、手作り地車創建。2021年現在、今も保管。
西波止町4−4 住吉神社 7/31(毎年) 舟だんじり 住吉丸
住吉丸=昭和48年7月制作。地元の大工の作。平成3年を最後に一時中断するが、平成17年、創建200周年を記念し平成18年復活。以前は西波止町の子供達だけでだんじりを曳いていたが、復活を期に近隣7町(西波止町、前浜町、泉町、建石町、浜町、宮前町、久保町)の近隣の子供会にも参加してもらっている。
また本社 西宮神社太鼓会の布団太鼓は地元中学生と有志で曳く。
松原町2−26 松原天神社 7/24、25 子供神輿、だんじり囃子    
10/25 子供神輿、だんじり囃子
平成14年よりだんじり囃子奉納。
 ■今津地区
    ◎今津地区
     今津北:津門川町、西水波(=今津水波町1〜7)、中水波(=今津水波町8〜11)、東水波(=今津水波町12〜13)、西住江町(=津門住江町1〜3・8〜11・14)、東住江町(津門住江町4〜7,12〜13,15)
     今津中央:社前二葉(今津社前町1〜4+今津二葉町)、大東町、北久寿川(=今津久寿川町1〜5)、中久寿川(=今津久寿川町6〜11)、南久寿川(=今津久寿川町12)、今津出在家(今津西浜町+今津港町(旧・西谷)+今津出在家町+社前二葉町5〜8)、巽町
     今津南:マリーン今津浜自治会、今津浜パークタウン自治会、真砂高層住民自治会、コート甲子園南自治会(=今津巽町7)、リバーガーデン甲子園南自治会
     甲子園:甲子園高潮町(旧・今津高潮町)、甲子園洲鳥町(旧・今津洲鳥町)、甲子園網引町(旧・今津網引町)

    ◎津門地区
     津門飯田町、津門大塚町、津門大箇町、津門綾羽町、津門稲荷町、津門仁辺町、津門西口町、津門宝津町、今津山中、今津曙町
今津大東町1−28 福応神社 7/2土日
10/3日曜
神輿 旧・県社
舟地車、武者地車、布団太鼓 神社境内に倉庫がある。 
獅子舞
昭和56年に今津港湾(浅尾一雄氏)が舟だんじりを制作し奉納。その後、布団太鼓(昭和61年)、武者だんじり(昭和63年)も奉納され賑やかな祭礼となる。
『武庫郡誌』223Pには「今津村には10/12、13を祭日とし、神輿渡御を行った。地車6台、太鼓1台を出したが、弊害が多いので大正11年には既になくなる」とある。
明治末では、龍や唐獅子の飾り幕の美しい地車6台と神輿1台出て、祝儀をもらうと舞台になる板を引き出し、その家の前で俄をしたという。掛け声は“おーた、おーた”だった。

その後復活するが、戦災で5台の地車(東之町、西之町、北之町、中之町)が焼失。巽之町は半焼したものの、戦後保管場所が無くなり解体となる。
今津上野町7−15 上野神社 7/12、13(毎年) 子供神輿 平成24年(2012)創建
10/13(毎年) 例祭 御餅つき
地車廃絶 立派な地車だったが、戦後しばらくしてなくなる。
津門西口町14−12 津門神社 10/15、16 神輿廃絶 平成7年の震災で壊れる
町内地車
町内地車⇒地車小屋は境内。
昭和40年代に町内の宮大工の作。往古は太鼓
津門大箇町8−31 日吉神社 10/連休 樽神輿、神楽 平成14年復活
 ■大社地区
      ⇒広田、中須佐(旧・中)、越木岩(旧・越木岩新田)、越水、郷免(旧・守具)、森具鷲林寺(じゅうりんじ、旧・鷲林寺新田)、六湛寺(旧・柏堂新田)
大社町7−7 廣田神社
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2/17 祈年祭
4/16&10/16 太々神楽
中須佐町3 須佐之男神社 広田神社境外末社
甑岩町5−4 越木岩神社
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3/4 祈年祭
9/22、23 地車2台 壱番地車、弐番地車
天保2年(1831)奉納の絵馬に楽車が描かれている。
明治中期に地車を購入。大正初期に北大阪方面に売却。
その後、上新田(上越木岩)は昭和初期に曳き太鼓台を制作。大工は田中熊雄。続いて昭和22年に布団だんじりを制作。大工は田中熊雄。永らく保管されていたが、弐番地車新調時にはなかったと聞く。
 弐番地車保管のために処分されたか?
中新田(北越木岩)
は、昭和21年に子供神輿に幕を張り馬力に乗せて巡幸。23年に地車新調。大工は福田福一。61年12/20に芦屋市精道に譲渡するも平成4年に放火で焼失。
下新田(南越木岩)は、昭和23年に馬力に吉井吉松宅の子供だんじりを乗せて巡行。昭和24年に地車新調。大工は福田福一。その後氏子会地車となる。

 昭和36年、青年団が合併して三地区合同で下新田の地車を巡行。37年に最後の曳行して3台とも奉納。その後54年まで中断。55年、19年ぶりに曳行復活。
壱番地車⇒地車小屋は合同で神社横にある。
=氏子会が担当。平成29年(2017)9月10日、新調入魂式。68年ぶりの新調。搬入は8月11日。岸和田の大下工務店作。
彫師は井波の川原和夫・正士。1年目は正面向きの龍1点のみの箱地車、5年をめどに完成へ。

 先代は元・下新田(南越木岩)の地車。昭和24年新調。大工は福田福一。
最後の曳行は平成28年(2016)10月22日(土)のにしのみや市民まつり。
新調につき、購入希望の町会もあったが、老朽化のためとお断りし処分された。 
見送り幕は平成元年新調。「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
弐番地車=青年会が担当。平成16年(2004)9/15新調入魂式。搬入は8/28。梶内だんじり鰍フ作。
見送り幕は平成12年新調。「越木岩縁起物語」。
郷免町2−1 守具須佐之男神社 7/下旬 神賑
10/連休 子供会による樽神輿3〜4基 屋敷、弓場、松下、大谷 など
鷲林寺町4 若宮神社
 ■芝(芦原)地区
    ⇒現・芦原町・神明町・神祇官町・森下町・西福町・両度町・高松町・南昭和町・丸橋町あたり
神明町3−21 神明八幡神社
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5/5 子供まつり 人形劇 など
10/18 子供神輿 平成より始まる。以前は樽みこし多数。
 ■瓦木地区(武庫郡瓦木村)
     ⇒上之町(旧・上瓦林)、上甲子園(旧・下瓦林)、日野(旧・五郎右衛門新田)、荒木(旧・荒木新田)、高木、下新田、助兵衛新田
熊野町3−26 熊野神社 10/15頃の日曜 手作り舟だんじり、枕太鼓 休止中
上之町23 厳島神社 7/7 湯立神楽
10/15 例祭 氏地は旧・上瓦林&助兵衛新田
上甲子園4−4 甲子園八幡神社 10/15 神輿(大小)
町内地車1台 旧・下瓦林
地元の大工作の町内地車。昭和34、5年頃に道路拡張時より休止。ガレージの裏に保管。
日野町2−51 日野神社        7/7 湯立神楽、巫女舞
10/15 例祭
昔より神事のみ。戦時中に馬力を牛に曳かせて地車代用としたが、阪急電車を止めて大目玉を受けたことから、一度だけで終わる。
高木東町233 熊野神社 10/14、15 太鼓 東西合同で祭礼
高木西町48 八幡神社 3月&7月 湯立神楽
10/14、15 神輿
太鼓廃絶
西=地車廃絶。実は1つ屋根の太鼓と思われる。昭和50年の社殿新築時に、日野神社の境内にシート被せて保管していたところ、心無い人に彫物盗られ解体してしまった。他の部材は今も境内に残っている。
 ■甲東地区(武庫郡甲東村)
     ⇒段上、上ヶ原(旧・上ヶ原新田)、門戸、神呪、上大市・下大市・樋ノ口(旧・樋口新田)
段上町1丁目5−2 若宮八幡神社 10/15頃の日曜 だんじり廃絶 震災で潰れた  
手作り子供神輿1基
上ヶ原山手町109 上ヶ原八幡神社 10/15 子供地車休止 昭和40年頃まで出していた 
上甲東園1丁目2ー30 門戸天神社 10/14、15 屋根太鼓廃絶 昭和33年まで担がれた。その後休止し阪神淡路大震災で潰れた    
「ふるさと西宮」2015年、郷土出版社発行の110ページに昭和30年頃の写真がある。これは「門戸の太鼓屋台の西宮神社への遠征途次。現在の西国街道に比べ、沿道の民家の少なさに驚く、屋台は練り歩く時は担ぐが、長い移動は台車に乗せて曳く」とある。
上甲東園4−7(旧・神呪字中谷25) 神呪厳島神社 10/15 太鼓みこし廃絶 昭和33年頃まで担がれた。
若山町3−31 大市八幡神社 10/連休土日(元・15 小型神輿
太鼓台 下太市
地車廃絶 上太市、樋ノ口
太市⇒太鼓部屋は神社境内で神輿と一緒に保管。現在は上大市・下太市・樋ノ口合同で運営。
=三段の太鼓台。挟間:「源平の合戦」三面、「神功皇后 応神天皇を平産す」。
下太市は旧8/15「太鼓入用帳」に明治25年9/27に西灘の浜田徳三郎氏よりに50円で購入とある。
昭和51年(1976)が最後となり休止。その後神社倉庫に保管されていたが、

平成26年(2014)太市八幡神輿・太鼓保存会を発足させ、下太市農会が保管していた太鼓台を修復し、大市太鼓台として。平成28年(2016)10月9日、修復入魂式を行い、全・太市として運行。
 なお、修理時に付け替えられた格天井の板に「保五年」、布団の裏地に「安正」の文字あり。享保5年なら1721年。安政なら1855〜1860年になるが。
上太市=地車(屋台)は昭和30年代初期まで曳かれ神社内で保管していたが、老朽化のため村の人がつぶした。
「下太市今昔物語」(昭和38年発行)には、「例祭は10/15で地車は数年前に廃止」とある。
樋ノ=昭和20年代は出されていたが、すぐに廃絶。小型だったらしい。
 ◎鳴尾地区(武庫郡鳴尾村)
     ⇒鳴尾、小曽根、小松、上田新田
上鳴尾町14−21 鳴尾八幡神社 7/上旬 夏祭り 令和4年(2022)復活
10/下旬(元・20) 宮太鼓休止    
神輿飾付け、子供会みこし
「大佐請取帳」に大正10年頃に記載のある「武庫郡なる尾村」とはここか?。太鼓は戦後は1、2回は出たがその後は自然消滅か?
令和4年(2022)、宮司が西宮神社管轄になり、祭事復活。令和4年(2022)は鳴尾1丁目、〃4丁目、〃5丁目、翌年は甲子園番町、甲子園八番町の子供みこしが参加。
各自治会を巡行し、鳴尾小学校グラウンドに集合。行列して神社に宮入り。
小曽根4丁目7−22 白山姫神社 10/15頃の土日 子供だんじり1台 土日、13〜17時曳行
太鼓=神社境内に小屋あり。昭和20年代まで巡行。休止していたが、コマ付きにしたので、平成18年から担がずに曳いている。平成23年改修。
小松南町2丁目2−8 岡太神社 10/10、11 地車1台 休止中。老朽化ひどい。
太鼓2台 休止中。 
樽神輿 廃絶。14,5台は出たのだが。
一時上臈 平成9年を最後に中断
地車=2代目。昭和20年代の作。家大工の作。今は休止中だが、地車に置かれていたキリンビールの空き缶の賞味期限が1979年(昭和54年)この頃より休止になったと思われる。
 先代は戦時中に小屋の下が土なので、下から腐った。
太鼓=宮付けで2台ある。平成初期より休止。昭和末期よりトラック渡御がメーンで時折担ぐのみ。
樽神輿=最盛期は各子供会ごとに14、5台あったが太鼓終了と共に終わりをつげた。
一時上臈=市指定無形民俗文化財なれど、阪神淡路大震災の影響か平成9年を最後に奉納行列は出ていない。10月11日、南北の講である頭屋が男女のひとがたである御幣を作り、神饌と共に奉納される。往古は頭屋から神社まで奉納行列が行われていた。
甲子園町2−40 甲子園素盞鳴神社 10/19前の日曜 子供神輿、樽神輿 タイガース神社とも言う。
地車は戦災で焼失。戦後、町内地車を作るが昭和30年頃に曳かれなくなり、絵馬殿の部材として使われ平成15年の新・絵馬殿完成まで再利用された。
上田中町48 皇大神宮社 10/3日曜(元・15) 子供みこし 旧・上田新田の鎮守
舟だんじり 以前は手作り太鼓台3台(中町、南町、北町)が出た?
 ◎旧・有馬郡
山口町下山口3丁目14−30 公智神社
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10/連休日曜(元・16) 神輿
地車6台 上山口A、下山口A、金仙寺、中野
布団太鼓1台 名来
獅子舞 名来(古文化保存会神楽部会)
例祭日は往古は10月16日。昭和51年から体育の日に変更。平成12年から10月体育の日の前日に変更。

上山口、下山口、中野、金仙寺の地車が、各地区を昼過ぎに出発し、金仙寺口に集合。その後連なって13:50頃に下山口の御旅所に集合。
一方、名来の舁きだんじりは単独で御旅所に向う。神社を出発した神輿も御旅所に到着して、担ぎ手はしばらくここで休憩。
神事を行った後、神輿を先頭に下山口(大)、下山口(小)、上山口(大)、上山口(小)、金仙寺、中野、名来の順に御旅所を出発し、宮前通りを神社に向かって進んで行く。
宮入りは15時頃の約30分である。、
宮入り後は、名来(古文化保存会神楽部会)による獅子舞が16時過ぎまで奉納される。

山口町郷土資料館には、下山口は弘化4年(1847)の「壇尻寄進帖」。上山口は安政4年(1857)6月の「壇尻土蔵諸事控」が保管されている。
神輿=詳細は不祥。旧・神輿殿は室町時代の建物で、市指定文化財。
担ぎ手は34人で、各地区で割り当てられる。
上山口=大小2台あり。
 は制作期は不詳。大工は地元の人と思われる。平成6年修復。

平成11年、ダイハツ工業蒲p地を借用しコマ保存池を作る
安政4年(1857)6月の壇尻土蔵諸事控が最古の記録である。
 小だんじり=大阪型を外コマに改修。明治期制作。堺方面から購入。堺の大工の作か?。
令和4年10月1日(土)修復入魂式。大下工務店による修復。文化財総合活用推進事業の助成金を活用。台木・ネコ木・柱・勾欄・肩背棒を取替え。屋根板葺き替え・彫刻補修・錺金物鍍金直し など。
前回は平成5年修復。


下山口=大小2台あり。
 は明治28年(1985)9月1日に上棟し、大工棟梁は小濱村米谷(まいたに)の麻尾徳蔵。細工人は今井寅蔵など4人。彫師は小松源蔵。脇障子裏に銘がある。

弘化4年(1847)の壇尻寄進帳が最古の記録である。
 は幕式。制作期、大工 等は不詳。
平成27年(2015)9月5日、修復入魂式。大下工務店による修復。


金仙寺=制作期、大工 等は不詳。
飾り幕は昭和58年修復。「神武天皇の東征」。
神社より遠距離なのでエンジン付き。
 金仙寺は昭和49年正式に誕生。
明治43年の『檀尻車差出満寿并二提灯基建設願』に(下山口 3「内金仙寺1ヲ含む」)とある。これが金仙寺の地車最古の記録か。

中野=外ゴマ幕地車。制作期、大工 等は不詳。

平成28年(2016)9月10日(土)修理入魂式。大下工務店で彫物を残し、屋根・柱・台木など屋形一式を新調取替する大修理。
名来=三重布団屋根。赤黒赤。制作期、大工 等は不詳。
明治42年の『檀尻車差出満寿并二提灯基建設願』に(「獅子頭 壱頭(名来)」)とあり当時は名来にはまだ舁きだんじりが無いことが分かる。翌明治43年の『檀尻車差出満寿并二提灯基建設願』に「名来架檀尻」とあり43年創建と分かる。
獅子舞名来(古文化保存会神楽部会)。演目は、剣の舞、猿獅子、天狗獅子、牡丹獅子。
山口町船坂594 船坂山王神社 10/4日曜 神輿2基
例祭は11/20⇒11/23⇒10/4日曜と代わった。
10:00に神社を出た神輿は午前に地域内を巡幸し休憩場所8ヶ所でお祓いを受け、下田まで練り歩く。午後になると神社境内で太鼓演奏奉納、餅まき、氏子の抽選会があり15:00頃に祭りは終了。
神輿=昭和56年に山王神社の宮を建て直した時に新調。京都の業者の作。
昭和30年頃までは魚屋やおもちゃ屋などの出店がたくさん出て、ご馳走を食べるだけだった。その後、樽みこし作るようになる。

 また平成22年、財団法人山口徳風会発行の『山口町史』424、425ページには「昭和20年頃、当時の船坂小学校校長が小さな樽みこしを作って地区を練り歩いたのが始まりである。
本神輿は自治会が昭和57年に京都の専門店で購入した」とある。
 昭和45年(1970)に発行された『郷土の昔からのおはなし』には「船坂の土地には昔からお宮さんに「だんじり」がありません。
それは今から100年近く前のことです。山口村は上山口、中野、名来、金仙寺、船坂と6つの村があった。下山口と金仙寺は1つの村で昔は五ケ村といっていました。どの村にもある「だんじり」が船坂にだけないので、山口の山田先生の父が上山口の「だんじり」を新しく作ったので、1つあまってきたから船坂にあげるので使ってくださいと言われた。船坂の村では「そんなんやったらもらおかいえ」といってよろこんでもらいに行った。11月20日の祭りに間に合うように牛に引かせて、もろうて帰った。初めて村に「だんじり」ができたというので、村中がよろこんで20日の祭りに「だんじり」を引いておった。そしたら、その祭りの晩に「だんじり」を引っぱりに行った牛の厩が火事になった。それで、昔から船坂のお宮さんは「だんじり」がきらいや、きらいやといっているのに、もらいに行ったからばちがあたったのやといって、さっそく山口に返しに行った。
それからというものは「だんじり」のことを言い出す者もいなくなったと」
とある。
生瀬町2丁目25−1 生瀬皇太神社 10/22、23(毎年) 神輿
地車1台 地車小屋は神社境内  
生瀬(生瀬だんじりHPへ)=平成16年(2004)9月26日、新調入魂式。
大工は大下工務店。彫師は川原和夫、川原正士、木下彫刻工芸。
令和5年(2023)3月25日、修復入魂式。新調20年につき、文化庁の助成金を活用し、
灰汁洗い・錺金具鍍金直し・彫刻補修・後梃子&シャフト&ドビなどの足廻りの復元修復など。施工は大下工務店。
合わせて木下彫刻工芸にて見送り三枚板の出人形と半松良彫刻を追加。
幅2.6m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「天の岩戸」。
車板:「龍」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神功皇后」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「福久獅噛み」。
懸魚:「五条大橋の出会い」。
車板:「西山上人と生瀬野武士」。
枡合:正面は「那須与一」、右は「弁慶の最期」、左は「安宅の関、弁慶、義経徴打す」。
 ≪腰廻り≫
三枚板:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「一ノ谷鵯越え」、左は「梶原景季」。
脇障子:正面は「須磨寺」、右は「一ノ谷鵯越え」、左は「梶原景季」。

角障子:後ろは「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「一ノ谷鵯越え」、左は「梶原景季」。
虹梁:「七福神、司馬温公瓶割りの場」。
勾欄:「干支」。
縁葛:「忠臣蔵」。
土呂幕:【大坂夏の陣】正面は「真田幸村、家康本陣急襲」、右は「樫井の戦い」、左は「若江の戦い」、後ろは「本多忠朝の最期」。
土呂台:「鯉と波」。

 明治13年に川面西より借りている。初代があったかも?。
 先代は宝塚型3枚板。明治22年に天王寺方面より購入。制作は同15年頃。彫師は辻田友次郎。長さ2.6m。幅3.5m、高さ4.9m。
平成16年4月22日、昇魂式後に解体し、一度大下工務店に引き取られ、その後町内へ。今も彫物の多くが小屋 等に保管。
塩瀬町名塩1丁目2−3 名塩八幡神社 10/20頃の土日 神輿
地車8台 東之町、山之町、北之町、中之町、南之町、西之町、大西町、木之元
神楽廃絶 東久保
 例祭日は10/19、20から平成21年(2009)より10/20頃の土日へ変更。
宮入りは土曜日で東之町(宮本)⇒山之町⇒北之町⇒中之町⇒南之町⇒西之町⇒大西町が基本で当番町が一番で二番目はこの次の順番で廻り、最後に木之元町が鎮守の木之元八幡神社に宮入りしてから、名塩八幡神社に宮入りする。木之元町は帰るが残りの7台は神社で一泊する。
 慶応4年(=明治元年。1868)明治天皇の即位御大典の合わせて今まで地車のなかったこの村が合同で地車購入。※その後各地区ごとに地車購入。
最初に購入した地車は宮本の東之町の物となる。

 ※明治13年頃説も聞くが
東之町⇒地車小屋は平成6年9月15日建造。神社横。
=平成15年(2003)月28日、新調入魂式。2代目。大阪型。大工は大阪市平野区の大市・河合工務店(河合伸一)。彫師は岸和田の松本彫刻(松本幸規)。
長さ4.9m。屋根幅2.2m。高さ3.6m。
 ≪屋根廻り≫
車板:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、背面は「牛若丸鞍馬山の修業」。
大屋根枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「日本武尊 野火の難」。
小屋根枡合:正面は「常盤御前 吉野落ち」、右は「義経 須磨寺の高札」、左は「木曽義仲 おかねとの出会い」。 
中仕切板は「雄略天皇猪退治」。
 ≪腰廻り、土台廻り≫
三枚板:正面は「八幡太郎義家 安部貞任を討つ」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の勇戦」。
脇障子:右は「神功皇后 応神天皇平産す」、左は「応神天皇を抱く武内宿禰」。
勾欄は「花鳥物」。台木は「波に鯉」。

 初代は江戸後期か明治初期作。村が合同で地車購入。その後各地区ごとに地車購入したので、最初の地車は宮本の東之町の物となる。
 二代目?。明治15年、吹田方面より購入。平成15年、芦屋市三条に売却。平成15年(2003)7月6日、購入入魂式。
山之町=宝塚型。平成12年頃、八尾の川井工務店(川井正勝)で修復。台輪、ちょうさい棒、彫物以外は新調らしい。彫師は相野一門 他。幕は梶内。
北之町=宝塚型。明治初期制作と思われる。
水引幕一式は昭和11年購入。高島屋製。
彫師は小松福太郎と思われるが、地元大工の箱谷勘三師による一部改修の灰汁洗いの際に銘は消えた。
令和3年度の文化庁補正予算で修復。令和5年3月25日、清祓式。
桁隠し追加。前は「阿吽の応龍」、後ろは「松に阿吽の鷲」。阿形は河合賢申の作。吽形は河合師仕手。片山晃師の作。
水引幕を復元修復。(株)梶内だんじり店の作。「源満仲 龍退治」、前幕は「鳳凰」。
曳き綱環・座金彫刻追加。片山晃師の作。

 令和元年9月23日、修復入魂式。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。施工は(株)井上工務店。彫物の修復は賢申堂(河合申仁)。
原形を損なわない復元修復で、彫刻灰汁洗い・繕い など。

中之町
⇒地車小屋は中之町会館横。平成29年(2017)4月23日、地車蔵竣工式を行う。
以前の小屋は昭和55年建造。真横から入れていた。
=宝塚型。明治期制作と思われる。大工 等詳細は不詳。
平成27年(2015)3月8日、修復入魂式。文化庁認定 地域活性化事業で大下工務店により施工。
屋根の葺地・台木交換、彫刻の洗い・繕いなど。
前回の修復は平成5年頃、地元の箱谷勘三により修復。

南之町
=宝塚型。平成4年頃、八尾の川井工務店(川井正勝)により修復。
幕は梶内。以前の幕は大丸か高島屋に注文した。今は東山小学校に寄贈。

西之町=宝塚型。制作年・大工は不詳。
令和3年7月18日、修復入魂式。(株)井上工務店による施工。「地域文化財総合活用推進事業」の助成金を活用。
屋形一式復元修復。灰汁洗い、彫刻繕い、鍍金直し。
 以前は平成3年頃、地元の箱谷勘三により修復。幕は梶内。 

大西町=平成7年(1995)制作。宝塚型。大工は八尾の川井工務店(川井正勝)。幕は梶内。

 先代は車楽会に売却。平成16年に生野区・生野八坂神社に奉納。
木之元(このもと)⇒地車小屋は木之元会館隣接。鎮守は木之元八幡神社。
=昭和32年(1957)購入。大阪型。梶内だんじり店の作。店内にあった3台のうちの1台を選ぶ。彫師は松田正幸。
令和元年10月13日、修復入魂式。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。施工は大下工務店。
本体・彫刻灰汁洗い、本体締め直し、彫刻繕い、錺金物鍍金直し、屋根板・縁葛・片背棒の取替え など。
 先代は昭和40年焼失。
東久保=往古より獅子舞があったが、明治25年に獅子の曲乗りの芸をしようとしてけが人が出たので休止。
その後大正天皇の御大典に合わせ獅子舞を復活しようと雌雄2体購入するが、自然消滅。うち1体が東久保会館に保存。
神輿も同時期に地元で制作するが、消滅したらしい。

 ≪芦屋市≫
東芦屋町20−3 芦屋神社
公式HPへ
10/2土日 鳳輦
地車4台 山芦屋、西芦屋、中之町、濱之町
地車廃絶 東芦屋
鳳輦=昭和初期の作で、昭和40年代までは曳かれていたが、交通事情で休止となる。平成30年(2018)3月25日、正式復活。復活に備えて平成26年、27年は試験曳きが行われた。
山之町(山芦屋)=運営は山之町地車愛好会。範囲は山芦屋町と西山町の北半分にあたる。
神戸型地車。明治4年(1871)制作。明治34年和田岬の倉庫に保管の中古の地車(今出在家町)を400円で購入。牛に曳かせて持って帰る。
大工は不詳。彫師は銘が無いが、平間勝利師の作ではないかと言われている。
昭和36年〜48年にかけて曳行は断続的になり、山之町地車愛好会を結成に曳行を復活。
平成23年(2011)9月18日、修復入魂式。梶内だんじり店によりコマ、担い棒新調、金具の再メッキ、締め直し。

 初代は江戸後期より現・地車購入時に某所に売却。
西之町(西芦屋)⇒地車小屋は阪神高速道路の高架下。
=運営は西之町地車同好会。現在の西芦屋町・月若町・西山町あたり。
大阪型(外ゴマ・三枚板式)。大正6年吹田市新町新調。昭和59年購入。大工は大歳。彫師は平間勝利。
長さ5、5m。幅2、65m。高さ3、7m。

 先代は戦災で焼失。

 昭和57年、西之町地車同好会を発足し、東灘より地車を借りて巡行。
中之町⇒地車小屋は阪神高速道路の高架下。
=令和6年7月14日、地車改名式典および御披露目曳行。改名は4月1日で従来の中之町とする。旧名は精道地区地車愛好会。
大阪型。外ゴマ・二枚幕式。平成5年尼崎市築地大官町より購入。大工、彫師 等は不詳。長さ5.6m。幅2.5m。高さ3.5m。
飾り幕は梶内近一の作で「宝珠を取る夫婦龍」。見送り幕も梶内近一の作で「素盞鳴命八岐大蛇退治」。ともに平成12年1/10に神戸市東灘区御影西之町より購入。

 昭和62年、芦屋消防団精道分団の団員を中心の有志が、越木岩より地車を借りてきたのが復活の始まり。
 先代は昭和63年に西宮市北越木岩(中新田)より譲渡されるが、平成4年12月、中学生のシンナー遊びにより焼失。
濱之町=運営は濱之町地車愛好会。濱芦屋=現在の竹園町や伊勢町、浜芦屋町、松浜町あたり。
神戸型幕式。2代目。明治初期の作。神戸市東灘区平野が昭和3年に淡路北淡より250円?程で購入。その時に住吉・吉田の大工大石巳代吉より改修。
91年曳かれた。令和元年(2019)6月2日、昇魂式の後、山手幹線を曳行し、JR甲南山手駅前広場で芦屋市濱之町に引渡し。その後芦屋神社で購入入魂式。
令和5年(2023)9月23日、修復入魂式。吉為工務店の施工。解体締直し、シャフトの取替えなど。
長さ5m。幅2.4m。高さ3。43m。
 ≪飾り幕≫
見送り幕は昭和10年頃購入。「巴御前馬上の雄姿」他。

 ≪前屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「群雲に日輪・月輪」。
車板:正面は「親子青龍」、左右は「牡丹に親子唐獅子」。
 ≪後屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「群雲」。
車板:正面は「龍に虎」、左右は「夫婦飛龍」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
脇障子:左右とも「獅子の子落とし」。
勾欄:「干支に花鳥風月」。
縁葛:「牡丹に唐獅子」。
土呂幕:「波濤に兎」。土呂台:「竹に虎」。


 初代は住吉 大佐の「地車請取帳」の明治26〜28年頃の記載に「菟原郡濱芦屋村 惣代 山村吉蔵」と記述があり、住吉 大佐より購入と思われる。
しかしながら戦災で焼失。
戦後しばらくは東灘区魚崎の子供地車を借りたこともあるが、諸種の事情で借りれなくなった。
その後津知と合同で“精道”として地車を曳いたが、平成4年、中学生のシンナー遊びにより焼失。。
 先代は平成26年(2014)9月15日(祝)、購入入魂式。約60年ぶりの復活。入魂式に先立ち地元大工らが外ゴマ、張菜棒を付けるなどの改修。
制作年不詳。彫忠の作。東大阪市新家西町新調で同町より購入。令和元年(2019)5月19日、芦屋神社に奉納。
東芦屋=戦災で焼失。
昭和32年、神戸市より地車を借用して巡行中、阪急芦屋川駅北側交差点付近で屋根を転落して死亡者を出す事故以来曳かれていない。
春日町1−21 打出天神社 7/24、25 地車1台 飾り付けのみ
10/2土日 曳行する
打出(打出地車愛好会)⇒地車小屋は神社境内。
=神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式
大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。助は阿保文康。幕師は梶内近一。
平成8年に平間利夫により改修。長さ6.3m。幅2.65m。高さ4.05m。

飾り幕は「珠取り夫婦龍」。見送り幕は「酒呑み童子鬼退治」。
 ≪前屋根廻り≫ 
鬼板:「獅噛み」。箱棟:「雲海」。
拝懸魚:「朱雀」、隣懸魚:「きつつき」。
車板:正面は「降龍」、右は「天の岩戸」、左は「神武天皇東征」。
 ≪後屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「きつつき」。
車板:正面は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「頼朝朽木隠れ」。
 ≪見送り廻り、腰廻り≫
脇障子:【神功皇后応神天皇平産す】右は「神功皇后」、左は「武内宿禰と応神天皇」。
縁葛:「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、「頼朝と五郎丸の裾野にて応戦」。
勾欄:「花鳥風月」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
土呂台:「波に鯉」。

 創建は江戸期後期。明治期は村は4地区に分かれ寺の町(阪神打出から東で浜街道以北)、東の町(阪神打出から東で浜街道以南)、西の町(阪神打出から西で一番通りまで)、西蔵町(一番通りから西で芦屋村境まで)で地車を曳いた。しかし、大正初めに、一人の若者が酒の勢いで巡査を池にほりこんだ。それに対して警察も厳しい態度を示したので、地車4台売却となった。
岩園町43−1 岩園天神社 10/17(毎年) 社務所で直会
三条町1−2 八幡神社 10/2土日 神輿
地車1台 大阪型
三条(三条地車愛好会)⇒地車小屋は阪神高速道路の高架下。
=大阪型(外ゴマ、火燈窓三枚板式)。平成15年(2003)7月6日、購入入魂式。4代目。西宮市名塩東之町より購入。元は吹田方面より購入。大工は不詳。彫師は相野一門。
長さ6m。幅2.7m。高さ3.8m。
平成30年(2018)5月19日、改修入魂式。大工は岸和田市春木の小田工務店。彫師は松本彫刻(松本幸規)。
本体・彫刻灰汁洗い、本体締め直し、大屋根平葺地取替え、彫刻繕い。錺金物鍍金直し。
合わせて獅噛み2面、大屋根 拝懸魚・桁隠し、台木を彫る。
改修の御披露目曳行に合わせて先々代の大阪市平野区長吉六反地車が50数年ぶりに里帰りし合同曳行を行う。
鬼板:「獅噛み」。車板:「鳳凰」。三枚板:「中国物」。勾欄:「十二支」。脇障子:「虎」。

 初代は江戸後期か明治初期に創始。他村の資料では明治12年が最古の資料なのでこの時にはあった。大正初期に解体され、彫物は分配。
 二代目は昭和3年に住吉の中島畳店より購入するが、昭和39年に35万円で万徳商事に売却。現・大阪市平野区長吉六反。
 平成2年に西宮若戎会の手作り地車を借りて34年ぶりに祭りをしたことが、購入につながり、三代目として、岸和田型地車を平成3年9月1日泉佐野市下瓦屋南町より搬入。9月29日、購入入魂式。
平成16年12
月19日
に愛知県常滑市小鈴谷の個人に売却。この人は伊勢湾台風で流失した地区に貸そうとする心意気で購入と聞く。
やがて平成23年に同市古場区囃子保存会に奉納し、車輪、車軸、曳き綱、輪掛を新調、梶棒を改良してだんじり型を知多型にして平成24年より曳き廻している。
なおこの地車の搬入と搬出のマッチングに私が絡んでいる。
津知町1−9 日吉神社 10/2土日(元・15) 地車廃絶 かつては保久良神社の祭礼(5/13,14)に出した。
最盛期には芦屋市内には、多くの地車があった。打出(騒動前は4台)、津知、三条という旧集落に各1台、芦屋村内の5集落(山芦屋、東芦屋、西芦屋、茶屋芦屋、浜芦屋)の5台。
しかし戦災で
津知、西芦屋、茶屋芦屋、浜芦屋の地車が焼失した。
 【あしや秋祭りの見所】
◎土曜
15時頃、津知公園前で三条、精道の2台が練り廻し。
◎日曜
10〜11時は精道小学校北東側道路で5台の地車が練り廻し。18時頃に阪急芦屋川北側の旧・みなと銀行前で三条、山之町、西之町の3台で合同曳行。

 ★展示場     
 【山口町郷土資料館
西宮市山口町上山口2−11−27。рO78−904−3451。旧山口村の財産を管理する財団法人「徳風会」が開設。
入館無料。土日祝日、年末年始はお休み。10時〜16時に開館。第3展示室は祭りのコーナーで毎年1地区ずつ交代で展示。平成21年をベースにすると、下山口⇒名来⇒中野⇒上山口の順。