岩 手 県

     ≪気仙地方≫

       大船渡市、陸前高田市、気仙郡住田町

        ※大船渡市の民俗芸能の紹介は大船渡市郷土芸能協会のHPを引用しています。

住所 神社名 祭礼 内容 備考
 ≪大船渡市≫
  平成13年(2001)6/6、大船渡市+気仙郡三陸町が合併。
 【大船渡市郷土芸能まつり】
平成29年(2017)で46回を数える。主催は大船渡市郷土芸能協会。なお加盟30団体のうち6団体が被災、衣装や太鼓が流失した。
現在は気仙郷土芸能まつりの代わりに始まった黄金けせん!民俗芸能大祭!と合同で開催。
入場無料。会場はリアスホール。
 ◎旧・大船渡市
       大船渡町・盛町・猪川・赤崎・立根・日頃市・末崎
大船渡町字猪頭28−10 加茂神社 4/13 例祭
5/3、4(加茂神社五年祭) 神輿 大名行列、稚児行列、権現様、鹿踊、剣舞など
囃子屋台17組、宝船
郷土芸能 明土権現、曲録
 【加茂神社五年祭】
大船渡市大船渡町内にて行われる。加茂神社、八坂神社、月山神社、古峰神社の神輿が渡御され、4年に一度(寅、午、戌年)に行われる。
御神輿・大名行列・稚児行列・権現様・鹿踊・剣舞・曲録など約1、300名、町内17組の山車・道中手踊約2、000名 等が参加する。
山車=下宮組(下船渡町)、浜町組、須崎組、南町組、宮沢組、平組、茶屋前組、屋敷組、永井沢組、台町組、川原組、上山・中央通り組、赤沢組、明神前、明土組、地の森組、地の森権現 など
宝船(蓬莱丸)=平七福神保存会。平成11年(1999)制作。長さ10m。幅2、5mの千石船。船上に白い帆を掛け、米俵・七福神を乗せて練り歩く。
明土権現(あくどごんげん)=太神楽。
 東日本大地震の津波のため住宅の大半が被災し、2013年1月現在立つのは30戸ほど。被災した住民の多くは今も市内の仮設住宅で暮らす。権現様の収蔵庫も被災し衣装・道具類は一切流失。しかし五つの頭は流失を免れた。
2012年7月のスーパー「マイヤ大船渡店」のオープニングセレモニーで震災後、初めて奉納。平成25年(2013)元旦、2年ぶりに悪魔祓い奉納。現在、段階的に再開中で、4年後の加茂神社大祭を本格的な復活の目標としている。

地の森権現
=太神楽。
平七福神(平七福神保存会)=陸前高田市広田町から伝わる。昭和2年御大典記念祝賀会のおり村社に大漁・豊作・家内安全・商売繁盛・無病息災等を祈願して、初めて踊られた。
一時中断されたが、、平成24年10月に復活
盛町曲録(盛町曲録保存会)式年大祭に、曲録、大名行列が取り入れられたのは文政9年(1829)と言われ、当時仙台藩の足軽を招いて稽古したと伝えられている。
祭神は女神(天照大神)であるところから、御神馬(ごしんめ)の背に五色の布団を重ね、その上に48の牡丹花を飾って、その中心に神の依代である金幣を立てる。
御神馬には二人の馬子が轡を取り、その両側に御唄師が6人、その後ろに、「挟箱」(二基)4人、「降魔鉾」(二基)4人、「利天剣」(通称:大鳥毛おおどりげ・一基) 二人がつく。

赤澤曲録(赤澤芸能保存会)=式年五年大祭。明治45年7月15日、明治天皇崩御によって大正天皇が即位した。
その間に昭憲皇太后の喪に服すため即位の礼は、大正4年まで延期される。
この年、村社である加茂神社の祭典が挙行された。
その祭典のお供として盛町のように大名行列を出そうと急遽取り組んだのが始まりだと言う。
神馬は2人の馬子が手綱を取り、その両側に唄師5人、後ろに挟ん箱4人、中道具の毛槍(小鳥毛)4人。大道具の毛槍(大鳥毛)2人が就く、曲禄唄(馬子唄)に合わせて行列が進み。道中で掛声に合わせて道具の投げ取りが行われる。
 【盛町灯ろう七夕まつり】
毎年8/6、7にさかり中央通り商店街で開催。盛町七夕まつり実行委員会主催。伝統的な七夕飾りで彩られた町内で威勢の良いあんどん七夕山車の競演や七夕市民道中踊りが行われる。七夕山車は平成18年(2006)は9台登場。
あんどん七夕山車は15:00〜21:00にさかり中央通り商店街を運行。
 参加山車は
上本町七夕組
=平成19年(2007)改修。
本町組、八幡町七夕組、木町少年七夕組、旭町少年七夕組、田茂山1区御山下少年七夕組、田茂山2区・3区少年七夕組、上木町七夕組、吉野町七夕組、愛宕町少年七夕組 など。
盛町字町1−4 天照御祖(あまてらすみおや)神社 4/17 例祭
4/29、30(式年大祭) 神輿   
館山車2台、囃子屋台7台 4年に1度(寅、午、戌年)
 【盛町五年祭】
初日は神輿。中日は大名行列、神輿渡御、稚児行列。最終日は館山車、郷土芸能、道中おどり、獅子舞、道中ばやし
4年に一度開かれる大船渡市盛町の「盛町五年祭」は天照御祖神社の式年大祭の通称で、宝永6年(1709)年に始まったとされている。4年に一度、寅、午、戌の年に行われる。最大の呼び物となっているのは市無形文化財の曲録(きょくろく)。文政9年(1826)年の始まりとされ、曲録唄が流れる中、花飾りやつづらを乗せた馬の後に、大名行列や神輿が続いた。
館山車=木町、下町組。
囃子屋台=下町組、桜場組、旭町組、田茂山組、本町組、吉野町組、上木町組
猪川町字前田90−2 天照御祖神社 7/16 例祭
5/4(式年大祭) 神輿 大名行列、稚児行列、各祭組獅子舞、鹿踊り
山車10台 2013年は大震災の影響で、祭山車や手踊り披露は行わなかった。 
 【猪川町式年大年祭(五年祭)】
神輿渡御を4年に1回行い(最近は2017年)、久名畑、中井、長谷堂、富岡、前田下の5町内より2台ずつ[権現様(獅子舞の一種)の太鼓を吊るすための小型屋台と手踊りの後ろの大型屋台]合計10台の山車が出て小学校の校庭に集まり演芸会をする。
 ≪平成25年(2013)の行事予定≫
(8:00〜)式年大祭斎行(天照御祖神社)
(8:30〜)神幸行列出発
(10:00〜)合同庁舎駐車場にて御旅所神事
(10:30〜)御旅所で余興奉納
(12:30〜)神社帰還
 ※2013年は大震災の影響で、祭山車や手踊り披露は行わなかった。 
前田鹿踊り(前田郷土芸能保存部)=鹿踊りの始祖とされる本吉郡の四郎兵衛の弟子・善九郎から指南を受けたとされている。
これによるならば、市内で最も早く鹿踊りを移入したものとなる。
仰山流を名乗る仰山流本吉派とされる由来書が残され、鹿踊りの芸態に因む故事と、鹿踊り移入・継承の経緯が記されていた。
明治の前半は盛んでしたが、その後衰微し明治末から大正にかけては赤崎村佐野地域・猪川村久名畑地域を指南するのみで、やがて絶えた。
その後も衰微し現在の前田鹿踊りは、昭和52年に復活(復興は、逆に佐野・久名畑からの指導があった。)して今日に至っている。
赤崎町字鳥沢75 尾崎神社 旧・3/16 例祭
5/3(4年に一度) 神輿
船山車6台 上三区、中赤崎、永浜、清水、蛸ノ浦、長崎 
 【赤崎町式年大祭】
大船渡市赤崎町内にて行われる4年に一度の五年祭。寅、午、戌年に行われる。尾崎神社、八坂神社、厳島神社の神輿渡御、海上渡御が行われる。
平成24年(2012)開催。東日本大震災で町民の多くが被災したことから、華やかな余興は自粛。神事を行ったあと、三つの祭組が権現様を奉納し、地元の復興を願った。
上三区獅子舞=佐野・沢田・中井。
 東日本大震災の津波では大きな被害無し。

蛸ノ浦
=権現様。

長崎
=権現様。

赤澤鎧権舞
赤澤芸能保存会)=大船渡町赤沢。
永浜鹿踊り(永浜鹿踊保存会)=赤崎町永浜。赤崎の五年祭の時は、船に乗って海上渡御。をしてきました。でも今はその船 がない。
 東日本大震災の津波で家が約8割流され、公民館も海上渡御の時も船も無くなったが、平成24年(2012)8月19日、震災後初めて披露した。
西磐井郡舞川を中継して住田町有住より伝えられたとされている。
今では文献も紛失し定かではありませんが、舞川獅子踊りと関連を持つ迎山流獅子踊りです。
志田康文氏宅(屋号カシ)が庭元として活動の中心となり、大立・永浜地域の若者たちがその伝統を継承しています。
踊りは中立(ナカダチ)を中心に8人で構成され、踊りの内容はテッテコ(本庭)3人狂い、回り切り、鹿の子のキリを得意とし、その他鉄砲、案山子踊り等種類も多く、その踊る姿は勇壮、活発と言われている


永浜権現(永浜契約会)=太神楽。5年に1回の赤崎町式年大祭にも神輿の先陣として参加、毎年の正月も部落全戸を子どもたちと公民館若衆が「悪魔払い」として回る風習が継承されている。津波で権現様、大太鼓、小太鼓、鼓、衣装が被災したが修復を進めている。
立根町字萱中56−1 五葉山神社 5/3、4 神輿
山車 寅、午、戌年   
手踊り・権現舞奉納は大畑野組、町場組、平田組、和村組、上手組、久保組、菅生組、下欠組、川原組、田谷組。
日頃市町字関谷27−6 五葉山神社 10/連休日曜 神輿 寅、午、戌年。4年に1回(閏年、オリンピック年開催)
手踊り、鹿踊り、太鼓、獅子舞 など 11地区が15の余興を披露
 【五葉山神社5年祭式年大祭】
(7:30〜)神社にて式年大祭
(8:15〜)行列呼び出し先頭出発
(10:00〜)御旅所(鷹生 宇賀神社)到着
(10:30〜)御旅所出発

(11:45〜12:00)神社帰還・全組余興奉納
(12:30〜17:00頃)日頃市小学校校庭にて全組余興披露
 ※雨天時は翌日に順延。
獅子舞=甲子組、鷹生組、宿組、平山組、小通組、板用組、関谷組、坂本沢組、田代屋敷・長岩組、石橋組
その他=川内はしご虎舞、行山流山口派小通鹿踊り、長安寺太鼓、チンドン寺町一座、甲子鎧剣舞、手踊り(長安寺組、関谷組、鷹生組、宿組)
鷹生獅子舞=鷹生。文亀元年(1501)に始まり、五葉山の八合目にある山王権現神社の山岳信仰の流れと伝えられる。
曲目は6種類。渡り囃子から始まり、これは諸々の人達を祓い清める笛、太鼓の音にあわせて大神楽(だいかぐら)舞、権現(ごんげん)舞、御神楽(みかぐら)舞など。


宿獅子舞=宿。江戸末期より伝わる。明治16年頃より五葉山神社神輿付き権現となる。

平山獅子舞=平山。船神、金刀比羅、八幡三社に祀られている三頭は文久、慶応、昭和の作り。踊りの起源は文久年間と云われる。
川内はしご虎舞=川内。五葉山神社式年大祭奉納&北上みちのく芸能祭 等披露。
 昭和25年、末崎町平地域より習得し、この年の岩手開発鉄道の開通式に参加出演したことに始まる。

坂本沢鹿踊り
=坂本沢。市指定無形民俗文化財。
明和3年(1766)8月、 庭元である屋号:案堵屋敷十二代「卯太郎」が20歳の頃、与力として仙台公に仕えていた当時、宮城県本吉地方へ出入りしており、歌津村与力伝七という人と親交の間柄であった。
伝七は、本吉郡入谷村神崎様御将覧祓入行山流鹿踊り初代行山免四郎兵衛より6代目を相伝しており、卯太郎は伝七の弟子であることの証文を明和3年7月8日、また、後のための相伝のものなりとして明和3年8月吉日、本吉郡伝七より卯太郎殿惣門衆中として相伝状を頂いている。
更にまた、それより22年後の寛政10年(1798)7月、入谷村鹿踊り九代行山免弥惣治という人から、歴代行山免の年代表を授かり、庭元:案堵屋敷に保存されている。
 東日本大震災の津波では、会員は全員無事だが、太鼓1台失う。

小通鹿踊り(小通芸能保存会)(公式HPへ
=小通。市指定無形民俗文化財。五葉山神社式年大祭奉納&各種行事に披露。
 嘉永5年より始まる。初めは宮城県本吉郡の入谷派の流れであり後に東磐井郡大原山口派が取り入れた。 
平成24年(2012)11月、大船渡市郷土芸能まつりで復活公演。
長安寺太鼓=長安寺。昭和46年秋に有名な江戸助六太鼓に着目した地元有志が、湯島天神太鼓保存会の代表小輪瀬(こわせ)氏の教えを受け、以後長安寺太鼓保存会を結成。曲目は大船渡市内の名勝旧蹟を表現した七曲よりなる。

関谷獅子舞=大正初期に知の森流派で始まったと云われている。その後、昭和初期に菅野善助氏の指導により、久名畑流派の流れをくんだ独特の関谷流派をあみだす。
 以前は約30年ほど、虎舞を奉納。

行山流坂本沢鹿踊り=坂本沢。明和3年(1766)に宮城県本吉郡・入谷村六代相伝行山免「伝七」という人から安堵屋敷の卯太郎が伝授された。

大森肩怒剣舞=大森。市指定無形民俗文化財。
 板用剣舞に助っ人で、踊り手、洞踊りとして出演したののを機会に始まり、明治5年に戸数わずか10戸の中で老幼交えて、大森剣舞として踊り始めたが、最近は(平成20年は出さなかった)後継者難のため休止中と聞く。

鷹生八木節
=鷹生。大正時代より日頃市小学校同窓会が7月15日に開催され、各青年団が競って踊りや劇を出していたところ、大正14年に当時群馬県から養蚕教師としてきていた茂木與敬先生が進んで八木節の指導に当たり、青年に伝授したことに始まる。

板用肩怒剣舞
(板用肩怒剣舞保存会)=板用。市指定無形民俗文化財。盆に披露。平成20年の式年大祭には参加せず。

石橋鎧剣舞=石橋。市指定無形民俗文化財。
 慶応年間に石橋・田代・長岩の青年有志が六郎峠を越え上有住檜山地域に通い伝授されたものと云われている。舞は、七稚子(ななつご)・五ヶ棒・中踊り・おんべこ踊り・なぎなた・捲立(まきたて)・高舘(たかだて)・浪(なみ)合わせ・回向の9つからなる。ササラが2面あるのが特徴。平成24年(2012)11月、大船渡市郷土芸能まつりで復活公演。同年、日本財団の助成を受け道具類を新調。

田代屋敷・長岩組=田代屋敷に鎮座する天昭大神と小牛田山神のニ神に祀られる獅子二頭は、大正10年頃より踊り継がれ現在に至っている。長岩獅子舞は、明治12年鷹生獅子舞を基にして踊り始め、その後明治40年代に地の森流派となり、現在に至っている。

甲子鎧剣舞=甲子。市指定無形民俗文化財。五葉山神社例祭・五年祭で奉納。盆に披露。

 ※順番は日頃市中学校HPの郷土芸能伝承活動のページに準ずる。
末崎町字神坂26 熊野神社 旧・10/1 例祭 末崎町には熊野神社が2つあり隔年(神坂と中森)で開催。
末崎町字中森17 中森熊野神社 旧・9/14 神輿
10月下旬か11/3 式年大祭 寅、午、戌年  
 【熊野神社式年大祭】
4年に1度開催。10月最終日曜か11月3日開催。最近は2011年開催。中森に鎮座の熊野神社・八幡神社の式年大祭。参加祭組は船河原、峯岸、内田、細浦、神坂、中野、小細浦、平、小田。神輿や行列が練り歩き、梯子虎舞も出る。
 2012年は碁石地域の梅神、門中(門之浜・中井)、西舘、三十刈、山根、碁石の各祭り組が参加。3.11大震災で甚大な被害を受けてた2地域(泊里、小河原)は、仮設住宅に入居する住民有志や小河原地域公民館の元館長・役員らが復興絆組祭典実行委員会を組織して参加し、被害からの復興がままならぬ泊里浜に代わって門之浜まで練り歩き祭りを盛り上げた。
門中組虎舞(門中組振興会)末崎町。式年大祭・元旦の地域全戸悪魔払い。
 鎌倉時代、末崎泊里浜の麻腐島に神輿・祭器などを積んだ船が漂着。地元の人々は、後にこれを泊里熊野神社に奉納した。その1つの獅子頭をもって、獅子舞を奉納すると、「悪魔を払い、五穀豊穣、大漁の霊験あらたかなるものあり」と、門之浜・中井両地域の氏子たちがその獅子頭の形をとり「虎舞」と改め、現在に至る。

 東日本大震災の津波で装束や伝承館が被災したが、伝統を絶やさぬよう一日も早く虎舞を復活し、地域の元気を取り戻そうとしている。

根白虎舞(根白朋友会)=嘉永年間に根白の鎮守である弁天神社のお供芸として作られたらしい。。
一時途絶えた後、明治8年に県令(県知事)がこの地方を巡視する際に途絶えていた「虎舞」を復活させるため、唐丹村(現釜石市唐丹町)大石の花崎与太郎が甲子(釜石市甲子町)で習い覚えた虎舞を教わって演じたものという。

踊り手は(ささら1名・和藤内1名・虎2名・槍使い2名・笹踊り4〜6名)、囃子方4名 (大太鼓一基で両面を使用、 笛2名)

平組梯子虎舞(平組梯子虎舞保存会)=熊野神社大祭、元旦。
獅子頭は宝暦年間、地元の彫師に頼んで獅子頭を作り直し、文政年間、将軍家斉の時代に技匠末崎町平の住人、東四郎屋留蔵・川口屋磯五郎の両名が舞振りを付けたのが「平組梯子虎舞」と言われている。
碁石七福神(碁石芸能保存会)=熊野神社秋祭り。


 ◎旧・三陸町
     ⇒綾里(りょうり)、越喜来(おきらい)、吉浜
三陸町綾里字館34 天照御祖神社 旧・3/16 例祭 綾里地区は11集落
6/3 式年大祭
三陸町綾里字石浜83 市杵嶋神社
10/17 例祭
 【綾里式年大祭】
昭和6年に始まり、5年ごとの大祭は戦時中なども欠かされることなく続いてきた。天照御祖神社と市杵嶋神社合同の式年大祭。本来は旧暦3/16だが、わかめ収穫時期と重なるので変更された。最近は令和5年(2023)に開催、
 大祭は、大漁旗を掲げた船団による海上パレ−ドから始まり、神輿、山車、日本一大きな権現様(桐。長さ2m。横2m。高さ1.2m)などが町に繰り出す。行列では三陸小唄や、手踊りも出る。
(8:00〜)神輿出発
(13:00〜)綾里小学校校庭を御旅所とし御旅所祭を行う。
 ≪2023年の各地区奉納≫
 ●権現様
田浜組(田浜契約会)=天照御祖神社
の宮本。三頭の権現様で緑色の幌幕。

石浜小路組=石浜方正会と小路契約会の合同。市杵嶋神社の宮本の権現様。

野形組(野形契約会)=澤内不動明王の地元の権現様。

野々前組(野々前契約会)=権現様。

宮野組(宮野部落会)=四頭の権現様。

白浜組(白浜契約会)=権現様。

岩崎組(岩崎昇龍権現舞保存会)=昭和50年頃、小石浜より伝授。東日本大震災の津波では会員は全員無事だが道具類や伝承館が流失。県内外の寄付・助成を受けて道具を新調。
 ●小踊り
田浜踊り組、宮野踊り組
野形七福神舞野形地区保存会)=1/2日曜13:00頃〜、主にその年に新築された家や、漁業・農業・商業など事業を営んでいる家に依頼され、地区内の家々をまわる。七福神と五十集屋(いさばや)の8人が、笛や太鼓のお囃子に合わせて舞い、福を呼び込む行事。
三陸町越喜来字肥の田55 新山神社 旧・3/13 例祭
9月上旬(式年大祭) 五年大祭 2006、2010年
 【浦浜五年祭】
浦浜で4年毎に9月上旬に開催。主催は浦浜五年祭実行委員会。神輿、権現様や鹿踊り、山車、などの行列で町へ繰り出す。
浦浜西区権現舞(浦浜西区権現舞保存会)=越喜来。太神楽。正月・五年祭に奉納。
 昭和11年、悪魔払いの旅人より獅子頭を譲り受け、同年地元の森氏により地の森権現舞を伝授される。
 東日本大震災により獅子頭、太鼓共に被災するが、大船渡市郷土芸能協会の協力により太鼓2台新調。

泊権現様(泊部落会)=三陸町越喜来泊。五年祭や正月の悪魔祓いなどに奉納。
大正12年頃に大船渡町地ノ森の有志の方々が1ヶ月ほど越喜来に出向き、泊の若い衆に「地ノ森」という権現舞を習得させたのが始まりとのこと。
その後、地域の人が権現様の「頭」を日頃市町から買い求め、地域のためにその「頭」を寄付されたり、その他にも「頭」の寄付の申込や子供たちへの伝承の為に「小頭」を部落で購入するなどしてその普及が進んだ。
「地ノ森」の権現舞の他にも道中踊りの「小林」という囃子の踊りも綾里の有志の方から教えを仰ぎ、主にこの2曲を中心にして、地域ぐるみで権現様の伝承活動が行われ現在に至っています。



甫嶺獅子舞=越喜来甫嶺。正月・五年祭。
金津流浦浜獅子躍(金津流浦浜獅子躍保存会)=平成12年6月、11人が結集し、金津流梁川獅子躍(奥州市江刺区・岩手県指定無形民俗文化財)に入門。
梁川での稽古を経て、翌年11月「頭渡しの儀」を挙行。
大正後半に姿を消した浦浜鹿踊を70有余年ぶりに「金津流浦浜獅子躍」として新生復活を図り現在に至る。
 これは宮城県大崎市(旧 志田郡松山町・旧次橋村の犬飼清蔵長明によって遠山久左衛門が岩手県奥州市江刺区・旧石関村の小原吉郎次に伝授。
文政11年((1828)、その石関から栗生沢(現・梁川獅子躍)に伝えられいる。
 演目は8で、三光の型(儀式の舞)・礼庭・霧返し・島霧・雌獅子獲り・案山子踊り・鉄砲踊り・土佐。
三陸町越喜来字杉下49 八幡神社 旧・9/15 例祭
三陸町吉浜字上野2−1 新山神社 9/8 神輿
5月下旬 式年大祭
 【新山神社式年大祭(吉浜五年祭)】
五年大祭。5月下旬。往古は10年ごと。最近は4年毎。2016年は諸般の事情で中止となり前々回は東日本大震災で中止で10年も空けるわけにはいかないと、2017年10月7,8日に開催。
(7:00〜)神事開始。新山神社、市杵島姫神社、大海津見神社の三社から神輿が出る。根白漁港までのお通り(新山神社権現舞)。海上渡御、虎舞、手踊りなどがある。


増舘権現舞=吉浜。正月・五年祭。
扇流ゑびす太鼓(扇流ゑびす太鼓保存会)=吉浜五年祭、婚礼等のめでたい席での余興。
扇洞漁港には古くから海上、漁業の守り神である恵比須様が奉られている。
扇流ゑびす太鼓は、この恵比須様を奉る創作太鼓として、昭和51年に誕生。合わせ太鼓に始まり、大漁太鼓、ゑびす太鼓、あばれ太鼓の四部構成
 【三陸町の民俗芸能】
白浜剣舞(白浜剣舞保存会)=三陸町綾里白浜。市指定無形民俗文化財。盆に披露。
明治初期に隣村の日頃市集落から伝えられたと言われており、以来、踊り継がれている。
この間、今日に至るまでには明治29年の三陸大津波による被災と剣舞用具の流失、また昭和8年の再度の津波災害による古文書や諸道具類の喪失、戦時の中断などの試練をうけたが昭和48年に復興を目指して一度保存会の結成をみたが、5〜6で衰退した。
昭和50年代は、中断されたままであったが、再度平成3年7月に保存会を結成。


吉浜鎧剣舞(吉浜鎧剣舞保存会)=吉浜。市指定無形民俗文化財。盆に披露。
鎧剣舞の一つであるが、踊り方が激しく、テンポも急拍子なことから、跳ねけんばいと呼ばれている。
その他に「ガシ剣舞(昔飢饉の時に始まった剣舞という意味)」とも呼ばれた。
記録、道具類を保管していた庭元(屋号「しも」)が1933年類焼火災で焼失したため、詳細は不明である。
庭元は、吉浜の場合「宿(やど)」と称されるが、戦前までは「屋号・横道」だった。
昭和8年頃までは「しも」で戦後復活間もない昭和27年からは、大野地区の人々が中心になり、大野公民館で行うようになった。

踊りを奉納する場所は、最初に地区内の初盆を迎えた家(新仏のある家)を廻り、次にこの踊りを教え伝えた、いわば師匠格の人々の家を廻る。

 ≪陸前高田市≫
     高田町(たかたちょう)
     気仙町(けせんまち):今泉、長部
     広田町(ひろたちょう)
     小友(おとも)
     米崎(よねさき)勝木田+浜田
     矢作(やはぎ)
     竹駒
     横田(よこた)
 【高田町のうごく七夕まつり
旧キャピタルホテル1000から高田小学校通りをメイン会場に毎年8月7日に開催
。東日本大震災以前は陸前高田市高田町内の11集落(森の前、大石、鳴石、駅前、中央、大町、荒町、和野、松原、川原、長砂)と隣接の米崎町沼田がそれぞれの町内会で車輪の付いたうごく山車を制作し、12祭組がそれぞれの形で運行された。

祭りの後12台の山車は、道の駅「高田松原」まで運ばれて8/8〜16まで日替わりで展示された。
 この12地区のうち、8地区が津波によって壊滅した。12台の山車のうち高台の大石と鳴石は無事だったが、9台が津波に流され、1台が損傷。
それでも、震災から約半年後、1日も早い復興を願って、残った山車3台で祭りは行われた。町が流され、住民が散り散りになった地区からも「もう一度、自分たちの祭組で七夕をしたい」という声が上がり、住民有志が山車の復興に向けて動き出しました。そして、多くの方々からご支援を頂けたこともあり、平成25年には12の祭組の山車がすべて復活。なれど平成29年には祭組の1つが休止したため、参加する山車は11台となる。
森の前有志会=山車あり。
山車が無い時は、大石七夕祭組有志会の山車に参加していた。

大石七夕祭組有志会
=有志でうごく七夕に参加。

鳴石祭組
=唯一の自治会での参加。これは高台のため津波は公民館と山車格納庫の近くで治まったためである。しかしながら町内の低地部は被災し、少ないとはいえ、祭組の関係者からや地域住民にも犠牲者が出た。

駅前七夕祭組=平成23年(2011)には手作りで試行錯誤した鎮魂の七夕山車を制作・運行した。
 東日本大震災のため、地区内は全戸、全店が流失。

中央祭組
=平成24年(2012)、独自製作の山車を運行。

荒町祭組
=山車あり。津波で山車は流失したが、梶棒は浄土寺の軒下に保管していたので助かる。
 ミニ七夕山車は地域の高台にある特別養護老人ホーム訪問のためにある。

和野祭組
=平成24年(2012)、自治会として参加決定。

松原祭組=山車あり。

川原祭組=平成24年(2012)、独自製作の山車を運行。
 東日本大震災の津波で約230世帯あったが、高台の光照寺以外は全て流失。そのため、町内会は解散が、うごく七夕の祭り組は存続。お正月は祭り組のメンバーが中心になり、恒例の悪魔払いを「秋葉権現獅子舞」として行った。現在、元の住民はあちこちの仮設に分かれて暮らしている。


大町祭組
=平成24年(2012)、山車はまつり熊本東北応援隊より寄贈。
 東日本大震災のため、大町地区は大部分が商店街だあったが、1戸も家屋・店舗が残っていない。

長砂祭組
=平成24年(2012)、震災前年に新調した山車を修繕。沼田祭組も参加したことがある。
米崎町沼田=町内会自体が無くなる。平成23年以降は別の祭り組と合同として参加。ちなみに平成28年は大町と合同。だが平成29年には祭組も休止となる。
高田町字西和野83 水上神社 5/11 例祭 旧・郷社
高田町字本丸28 天照御祖神社 4/29 例祭
 【高田町五年祭】
氷上神社と天照御祖神社の祭典を統一して昭和30年から始まった、5年に一度のお祭りで10月下旬に行われる。300人以上の神輿渡と風流山車4台、道中踊りなどの行事が目抜き通りで行われる。
五年祭は5年ごとに行われる合同大祭。住民の手作りの山車は京都の華麗な山車を模倣したとされる。
かつては大町に上組、中組、角組の3台。荒町に先陣組、角組の2台さらに長砂組などもあり、常時6〜8台出ていたが、近年は馬場・大石・森前・鳴石組、大町組、荒町組、和田組の四祭組に固定した感がある。
 ■平成17年[2005]の演題
馬場・大石・森前・鳴石組=風流は「義経東下りの件」。見返しは「酔仙」。
大町組
=風流は「義経八艘飛び」。見返しは「花咲かじいさん」。
荒町組
=風流は「義経の出陣」。見返しは「まつけんサンバ」。
和田組
=風流は「那須与一」。
 【気仙町けんか七夕まつり】
8/7開催。気仙町今泉地区の4つの集落(上八日町、下八日町、鉄砲町、荒町)が、一か月半の長い時間をかけて山車4台( (かつては6〜8台)を制作。
その山車と山車とをぶつけ合う激しいお祭り
気仙町字中井1 今泉天満宮紹介HPへ 9/25 神輿流失 津波で神輿と氏子120戸流失。
気仙町字月山25 月山神社 旧・8/16 本吉太々法印神楽 6年ごとに式年大祭があった
気仙町裏1 諏訪神社 10/27 神輿流失 不定期に大祭あった
気仙町字二日町84 鹿島神社 旧・9/10 例祭
広田町字黒崎10 黒崎神社 旧・9/10 例祭
10月初旬(4年に一度) 式年大祭 喜多七福神舞、小袖大名行列、根岬七福神舞、根岬梯子虎舞
 【広田町黒崎神社式年大祭】
10月初旬、4年に1度開催。7地区ごとに手踊り、大山車、郷土芸能を奉納する。2023年開催。
町内8つの祭り組が参加。神輿を先頭に虎舞や喜多七福神舞、小袖大名行列、根岬七福神舞、根岬梯子虎舞、道中おどりを奉納する。
根岬七福神舞=広田。鶴樹(つるき)神社例祭(隔年。1/2日曜)奉納。

根岬梯子虎舞=広田。未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選。市指定無形民俗文化財。正式名称は「風流唐獅子曲乗之体」。広田町黒崎神社式年大祭・鶴樹(つるき)神社例祭(隔年)奉納。
 ≪2023年の各地区奉納≫
長洞⇒広田御祝い、手踊り

根岬⇒梯子虎舞
小袖⇒大名行列
中央⇒虎舞
大陽⇒太鼓
泊⇒虎舞、太鼓、手踊り
中沢浜⇒虎舞
喜多⇒七福神、手踊り
 【海上七夕】
 小友町。8/1日曜、三日市漁港から 9:30に1回、午後に1回出港
短冊やボンボリ、吹き流しなどで飾った漁船が囃子にのって広田湾内をパレードする。船上に3万枚の短冊をつけた竹竿を立てた「バレン船」もある。
小友町字谷地館157 八幡神社 旧・3/15 例祭
 【小友町式年大祭】
10月初旬、4年に1度開催。海上渡御あり。
8:30 社務所演技奉納。八幡神社へ移動、演技奉納。
10時: 式年大祭式(社殿)。1
1時〜11:40 呼び出し 神輿神幸行列。
11:40 御旅所祭 演技奉納。
13:40〜14:20 神輿海上渡幸(蛇ヶ崎沖) 演技奉納。
14:20 御座船還座。14:30神輿還幸 社殿へ。
14:50 還幸祭
 【演技奉納団体】
矢の浦獺沢祭組⇒獅子舞・手踊り
柳沢祭組⇒ 虎舞
只出祭組⇒ 虎舞、手踊り
門前祭組⇒権現舞、七福神
西之坊祭組⇒ 虎舞
三日市祭組⇒虎舞
上之坊祭組⇒権現舞
両替祭組⇒虎舞
茗荷岩井澤祭組⇒虎舞
新山祭組⇒虎舞・手踊り
田束祭組⇒手踊り
松山祭組⇒虎舞
谷地祭組⇒ 虎舞
小友町字矢ノ浦14−1 熊野神社 旧・8/18 例祭
小友町字谷地館164 蛇ヶ崎神社 旧・9/1 例祭
小友町字宮崎50−1 宮崎神社 旧・8/1 例祭
小友町字上ノ坊29 白山神社 旧・10/1 例祭
米崎町字松峯5−2 天照御祖神社 旧・3/16 例祭
11/3(五年祭) 式年大祭 神輿、郷土芸能(8組)
 【松峯五年大祭】
本来は4年毎だが、東日本大震災の影響で、2015年10月7日、8年ぶりに開催。
従来は6つの祭組があり、山車、獅子舞、手踊り等があるが、今回は規模縮小で神輿の後を上浜田祭組、下浜田祭組、脇之沢祭組が虎舞が獅子舞を奉納。
御披露目の場所は拝殿前、脇之沢漁港、米崎小学校仮設グランド。
米崎町字和方21 秋葉神社 11/初旬日曜 式年大祭 神輿、郷土芸能(大名行列)。前回は2017年。
矢作町字神明前65−2 天照御祖神社 11/3 例祭
10月中旬(式年大祭) 大黒舞、鹿踊り、虎舞、手踊り
 【矢作町式年大祭】
10月中旬、5年に1度、(最近は2015年10月18日(日)下矢作小学校に、10時すぎに神輿渡御行列、屋台が到着。
7つの祭組(下矢作の二区、下組、五区、六区、七区と矢作、生出)から、郷土芸能の大黒舞、鹿踊り、虎舞、手踊りなどの余興が奉納され、若衆による樽神輿も出る。
 ≪2015年の行事予定≫
(7:00〜)祭典:天照御祖神社
(8:10〜)神輿渡御
 ■御旅所祭典・余興奉納
(9:00〜)
嶋部公民館(矢作町大嶋部)
(10:10〜)下矢作多目的センター(矢作町字諏訪44)
(13:00〜)矢作多目的研修センター(矢作町字鍋谷6−2)
(14:45〜)生出多目的研修センター(矢作町字二田野36−6)
 ⇒嶋部(唐傘踊り)、下組(虎舞)、六区(風流あばれみこし=樽みこし)、七区(新花笠おどり)、神楽(生出)、矢作(日吉権現=悪魔祓い)

(16:00〜)本殿還座祭
竹駒町字童子87 竹駒神社 旧・2/初午 例祭 式年大祭は7年に1回。最近は2014年。
 【竹駒式年大祭】
7年に1度の大祭。本祭は午の年、12年に一度だが、子の年にも行われるので「七年祭」となる。2014年は4/19(土)開催。
大名行列、新田はしご虎舞、虎舞、七福神舞、道中踊り等が伴う御神幸。行列終了後、竹駒小校庭にて余興披露。

新田祭組・壷澤祭組・矢崎祭組などがトラックに様々な装飾を施し、楽器を中心に機材を積み込んで屋台として運行している。
神社名に駒の字が入るのにちなみ、馬の作り物をトラックの正面上部に飾ったり、大きな馬の張子を飾ったりした物もある。簡単なトラック装飾ではあるが、どの団体も屋根つき囃子屋台の体をとっている。玉桜は半球の状態で竿に張り、先端部分にだけ球状にした桜をを紐吊るしにしたもので、山車の屋根のほか民家・商店の祭り化粧にも使われていた。神輿行列が朝神社を出発し、昼ごろに竹駒小学校に到着して演芸大会(はしごの上で曲芸をする「梯子虎舞」など)を行う。
 ≪2014年の行事予定≫
(9:00〜)祭典:竹駒神社
(10:00〜)神輿渡御
(12:45〜)御旅所祭典・余興奉納:旧竹駒保育園跡地広場。従来は竹駒小学校のグラウンドで行われるが、仮設団地が出来ているため)
 ⇒ 大名行列(壺の沢)、新田虎舞(新田)、七福神舞(矢崎)、手踊り(館・軍見洞)、手踊り(細根沢)、三頭虎舞(仲の沢・坊寺)、手踊り(下沢)
横田字本宿37 熊野神社 10/17 例祭
10/中旬 5年式年大祭
 ≪2016年の行事予定≫
(9:00〜)祭典
(10:00〜)神輿渡御
(11:00〜)御旅所祭典・余興奉納:鹿踊り、剣舞

(12:30〜)2区部落会館前:8区ごとに手踊り 等の余興

 ≪気仙郡≫
 住田町
     世田米(せたまい)
     上有住(かみありす)
     下有住(しもありす)
世田米字大崎94 天照御祖神社 5/3、4(3年毎) 山車3台 愛宕(上組)、曙(下組)、東峰
小府金神楽、内沢鹿踊
  【住田町天照御祖神社式年祭 】
村社になった明治8年に始まり、以降は3年に1度、例祭日は旧暦3/16⇒4/16⇒5月連休に合わせて開催となった。
最近は平成25年(2013)実施。

■3日(9:00〜16:00)上町・下町・東峰等各地区毎の山車・手踊り等
■4日神輿渡御・曲録・大名行列・神楽・権現様・鹿踊り・山車・手踊り
(9:00〜)神社にて祭式[例祭・発興祭]
(11:30〜)世田米保育所前集合
(12:00〜)行列出発:神輿が稚児行列や各祭り組の手踊り、山車などと共に商店街を巡行。曲録、大名行列、神楽、鹿踊り、権現舞などの伝統芸能も繰り広げる。
 ※4日雨天時には5日に延期。
小府金神楽(小府金神楽保存会)=住田町世田米。
大股字大股 八幡神社 大股三社祭(3年毎)
旧・6/16
神輿3基
大股字中井 八坂神社 郷土芸能 大股神楽
大股字津付 山の神
上有住字八日町30 五葉山神社 9/3日曜(元・19)
(式年大祭。4年毎)
山車  
郷土芸能 坂本太神楽、恵山花取り踊り、八幡神社権現様、寒倉鹿踊り
五葉、天獄、八日町、恵山、坂本、両向の6地域が祭組を組織し、見事な装飾で彩られた山車と、郷土芸能を披露する。
四年祭では御神輿2基(五葉山神社と里宮である八幡神社)、猿田彦、五葉山神社大権現舞、五葉山火縄銃鉄砲隊、八幡神社大権現、五葉山神社里宮大権現(天嶽虎舞)、坂本大権現、五葉念仏剣舞、両向通り手踊り、八日町道中踊り、恵山花取踊 などが出る。
恵山花取り踊り=剣舞。

八幡神社権現様=獅子舞である。
下有住字高瀬228 月山神社 11/3 例祭  
10/下旬(5年毎) 神輿
山車
郷土芸能 月山鹿踊り、外舘鹿踊り、権現様、新切剣舞い、新切神楽
平成22年(2010)の式年大祭には下有住小学校のグラウンドで開催。8時に例祭。9時過ぎに神輿が渡御され校庭に安置される。
まずは火の土の「虎舞」、「通り剣囃子」の手踊り奉納。月山は「神楽」、「高瀬鹿踊」、「手踊り」。新切は「虎舞」、「大神楽」、「新切剣舞」。外舘は「外舘鹿踊」、「棒踊り」などの手踊りが奉納。
 最後は全員で「住田音頭」の総踊り。
外舘鹿踊り
 【住田の民俗芸能】
 ●神楽・太神楽
小府金神楽=世田米。天照御祖神社例祭(5/3、4)奉納。科白神楽。

高瀬神楽=下有住。月山神社式年大祭(11月初旬)。山伏神楽。

大股神楽(大股神楽保存会)=大股。町指定無形民俗文化財。大股三社祭。山伏神楽。

坂本太神楽=上有住。五葉神社式年大祭(5年毎。9月中旬)奉納。
天保年間(1830〜44)には演じられていた。上有住の長者洞の佐藤善之丞という人が、伊勢参宮をしたおり、習得して帰ったと云われる。

新切太神楽=下有住。月山神社式年大祭(5年毎。11月初旬)。

下在大名行列(下在大名行列保存会)=世田米。町指定無形民俗文化財。天照御祖神社例祭(5月初旬、3年毎)。京都本願寺の行列に通じるともいわれる。

山谷曲録(山谷曲録保存会)=世田米。町指定無形民俗文化財。天照御祖神社例祭(5月初旬、3年毎)。
 ●鹿踊り
内沢鹿踊=世田米。天照御祖神社例祭(5/3、4。4年毎)奉納。科白神楽。

坂本鹿踊=上有住。中断中。

寒倉鹿踊り=上有住。五葉神社例祭(5年毎。9月中旬)。
文化年間(1804〜18)、寒倉の今野家の祖である勘太郎が、横田村舞出(現陸前高田市横田町)の及川卯之松翁から伝授され、同地に伝えられたのがはじまりと云われる。

月山鹿踊り(月山芸能保存会)=下有住高瀬。住田町指定無形民俗文化財。月山神社式年大祭(5年毎)奉納。
 文化七年(1810)、下清水の忠吉が江刺の伊手村に出稼ぎに行き、その折り、伊手町民の神屋敷の遠藤金蔵よりと伝授されたと云われる。

外館鹿踊り=住田町指定無形民俗文化財。下有住。月山神社式年大祭(5年毎)。
下有住の字中上や、十文字の集落に伝えれられている鹿踊り。
宝暦10年(1760)頃に伝えられたのが初めと云われている。明治42年頃に中断したが、昭和34年の秋に50年振りに復活。
 【住田町文化産業まつり「芸能まつり」】
10月下旬、10:00〜。住田町農林会館 大ホール及び屋外で開催。平成24年(2012)で40回を数える。
郷土芸能関係では2012年は外舘甚句芸能保存会、外舘鹿踊芸能保存会、柿内沢鹿踊芸能保存会、大股神楽保存会、五葉念仏剣舞保存会、大平・梅ノ木念仏剣舞保存会、下在大名行列保存会が出演。
 【気仙郷土芸能まつり】
気仙広域連合では、気仙の伝統文化の継承を目的に「気仙郷土芸能まつり」を大船渡市民文化会館(大ホール)開催。
運用資金難で平成26年、15回で終了。
平成24年(2012)の出演団体は気仙管内9団体(大船渡市=坂本沢芸能保存会、前田郷土芸能保存部、川原鎧剣舞保存会、長安寺太鼓保存会。陸前高田市=生出神楽保存会、槻沢芸能保存会、生出鹿踊保存会。住田町=大平梅ノ木念佛剣舞保存会、行山流山口派柿内沢鹿踊芸能保存会。招待団体は2団体。

 ★展示場
 【道の駅 タビック45
陸前高田市古川町28−5。рO192−54−5011。9:00〜17:00。7月中旬〜8月中旬は9:00〜19:00。年中無休だったが、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災により休館中。
けんか七夕の山車が展示。大スクリ-ンと重低音で祭りの迫力を再現する七夕体験コ-ナ-もあった。
 【住田町民俗資料館】
気仙郡住田町上有住字山脈地15−1。 0192−48−2013。9:00〜16:00。休館日:土日祝日・年末年始。入館料は大人210円。
昭和60年、昭和初期の建築様式の旧上有住小学校を現在地に移転して造られた資料館。
展示室は「くらし」として「人々のしごと」のコーナーに分かれており、郷土芸能や庶民信仰、農耕や気仙大工の里など、幅広い面から紹介しており、神輿・鹿踊りを飾っている。