≪小豆島≫
小豆郡〔小豆島町、土庄町〕、香川郡〔直島町〕
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
≪小豆郡≫ | |||||
【小豆島】 面積は153..25km2。周囲は125.7km。最高地点は816m(星ヶ城山)。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きい島。 人口は25568人(2023年、住民基本台帳)。27927人(平成27年、国勢調査)。30105人(2013年)。 |
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小豆島町 平成18年(2006)3/21、内海町+池田町が合併して誕生。 |
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◎旧・内海町 草壁:上村・下村・片城 西村(にしむら) 安田:安田、木庄(きのしょう)、橘(たちばな)、岩谷(いわがたに)、當濱(あてはま) 苗羽(のうま):苗羽、古江、堀越、田浦 坂手(さかて) 福田:福田、吉田 |
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苗羽甲40 | 内海八幡神社 | 10/15 (元・旧8/15) |
太鼓台6台 小太鼓4台 |
草壁[大小〕、西村、安田[大小]、苗羽[大小]、坂手、馬木[大小] | |
幟さし | 橘、馬木 | ||||
幟さしは太鼓台奉納の露払いとして、江戸期末期に若者が力試しを兼ねて行ったのが始まりとされる。重さ約20キロの幟をさし手たちが高々と掲げたり、額や肩に乗せたりする。最盛期は6地区が競演していたが、現在は橘、馬木の2地区だけである。 | |||||
草壁⇒[大小〕草壁本町、神懸通、片城、南の各自治会。昔は旧下村・上村・片城より大小2台出た]=彫師は宮地弥祐。 西村=狭間は「楠公子別れ櫻井の駅」、「牛若丸と烏天狗」、「張良と黄石仏」。鉢巻きは桃色。 安田[大小]=狭間は「麒麟」。 苗羽(のうま)[大小]=狭間の彫師は川原啓秀。狭間:「唐獅子と牡丹」、「雲と麒麟」、「竹に虎」、「松と漠」。鉢巻きは赤色。 坂手=昭和28年27万円で創建。狭間は「唐子遊び」。 当地区は元々幟奉納だったが、戦時のため休止となる。戦後21年に復活するが22年の練習中に電線に触れて感電事故が起こり中止となった。そこで25年に苗羽より小太鼓を荒神社の夏祭りに奉納。そして27年に他地区より中古購入する。 馬木[大小]=狭間は「唐獅子と牡丹」。鉢巻きは黄色。 |
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福田甲1199−4 | 葺田八幡神社 | 10/11(固定) | 神輿 | ||
太鼓台4台 | 浜、小部、尾崎、岡 | ||||
獅子4頭 | 浜、小部、尾崎、岡 | ||||
浜=昭和3、4年に淡路の志築で購入。購入費用は太鼓台1800円。幕は700円と聞く。鉢巻きはブルー。 小部=大正6年9月4日姫路より購入。売人は姫路市坂本町 荒川政次郎。その後、昭和7年に淡路で改造した。 彫師は二代目花岡正一。墨書きが挟間にあり。挟間:「賤ヶ岳の戦い」。 先代(初代)もあり。 尾崎=昭和12年頃に淡路より総費用2、380円(太鼓蔵建設費も含む)で購入。鉢巻きは豆しぼり。 岡=昭和30年に「梶内」大阪店より40万円で購入。鉢巻きは黄色。 昭和21年に伝馬船に飾りつけた山車。22年に子供太鼓台。24年に獅子を奉納。 |
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◎旧・池田町 池田:池田、蒲生、中山 二生:室生、二面 三都:吉野、蒲野、神 |
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池田1618−3 | 亀山八幡神社 | 10/16 (元・旧8/16) |
大練り | ||
太鼓台14台 | 蒲野、吉野、二面、室生、平木、浜条、迎地、北地、上地、中山、西蒲生、入部、中・東蒲生、輿付 | ||||
文化9年(1812)に描かれた「奉懸当社御祭礼之図」には、だんじりの上での芝居奉納や流鏑馬とおぼしき姿が見られる。 | |||||
蒲野=淡路島製の小太鼓。鉢巻きは桃色。 吉野=中太鼓。鉢巻きはピンク色。 二面=狭間は「義経八艘飛び」、「那須与一扇の的」。鉢巻きは桃色。 室生=大は神浦の大工の中岡仙太郎。小は池田中学校の子供太鼓に貸し出し中。鉢巻きは水色。 平木=〔大小〕彫師は平間久吉。鉢巻きは黄色。 浜条=〔大小〕。鉢巻きはピンク色。 迎地=明治35年頃制作。狭間は「新田義貞宝刀流し」、「仁田四郎忠常猪退治」、「神功皇后」、「村上義光錦の御旗奪還」。鉢巻きは橙色。 北地=大工は西蒲生の宮大工。狭間は「龍」、「亀」、「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、「櫛名田姫」。水引幕は明治36年三井呉服店謹製の「海女の珠取り」。 鉢巻きは黄緑色。 上地=狭間は「安宅の関」、「神功皇后」、「頼朝朽木隠れ」、「楠公子別れ櫻井の駅」。水引幕は「天の岩屋戸の変」。鉢巻きは赤色。 中山=明治初期の作。彫師は黒田正勝(姫路)。狭間は「三国志」、「天の岩屋戸の変」、「龍頼朝朽木隠れ」。鉢巻きはピンク色。 西蒲生=鉢巻きは赤色。 入部=昭和8年制作。淡路島の作。大は5段屋根。小は3段屋根。鉢巻きは黄色。 創建は明治20年道が出来た記念に購入。 中・東蒲生=鉢巻きはそら色。 輿付=太鼓の打ち手は午前中は烏帽子を被る。鉢巻きは黄色。 |
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※14地区より太鼓台を担ぐ。池田地区には昭和初期には40台程太鼓台があったが、現在池中(池田中学校)の太鼓台や各地区の小太鼓も含めて約20台程ある | |||||
土庄町 土庄:土庄、鹿島、大木戸 北浦:小海、見目、屋形崎、馬越 四海:伊喜末、小江、長濱、瀧宮 大鐸(おおぬで):肥土山、笠ヶ瀧、黒岩、小馬越 淵崎:淵崎、上庄 大部:大部、小部 |
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大木戸甲5489−1 | 土庄八幡神社 | 10/14 | 太鼓台6台 中太鼓1台 小太鼓4台 |
本町[大中小]、小瀬、千軒、柳、鹿島[大小]、吉ヶ浦、港新町[子供]、大木戸[大小] | |
本町[大中小]⇒太鼓蔵は宝くじ助成金の補助を受け、平成17年(2005)建立。場所は土庄中央グラウンド横。以前のは大正初期に建築。 小瀬=明治期に淡路島より中古を購入。 千軒(せんげ)=制作年等不詳。昭和50年頃復活。 柳=明治期の作。 鹿島[大小]=大は昭和50年頃に淡路島より中古を購入。先代は昭和35、6年頃に担ぎ手がいないので処分する。その後20年ほど空白だった。 小は鹿島の大工と建具屋中心になり素人で作る。 吉ヶ浦=昭和64年創建するが、天皇の御崩御により、翌平成2年より出す。 港新町[子供]=平成8年5月に子供会育成会が寄附を集めて鹿島の建具店の橋本数一さんに作ってもらう。 先代は昭和60年頃に育成会員たちで手作りした。はじまりは昭和57年に港新町が出来て子供会育成会が発足し、手作りタル神輿を出した。 大木戸(おおぎと)[大小]=大正6、7年頃に制作。昭和にはいって岡山・備前より購入。 平成17年、梶内だんじり店により唐木本体修復。 幕は平成18年10/1、お披露目。「八岐大蛇退治」。汲ハい屋(菅原壽一)の作。金縄も新調。 |
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伊喜末1836 | 伊喜末八幡神社 | 10/12、13 (旧・8/13) |
神輿3基 | 伊喜末、大部、七浦 | |
御座舟 | 小豆島唯一 | ||||
太鼓台8台 | 滝宮、長浜、小江、伊喜末、小海、見目、屋形崎、馬越 | ||||
小太鼓3台 | 長浜、小江、伊喜末 | ||||
例祭日は旧暦8月13日だったが、疫病流行のため明治40年頃に旧暦9月13日となり、その後、新暦10月13日となった。 | |||||
■造り太鼓=太鼓の布団の部分にその年に話題になったことや人物、干支などを造り屋根に載せる。 滝宮=嘉永7年(1854)制作。 小海(おみ)=明治40年頃に牛窓の奥備前より中古を購入。昭和51年に大改修。 造り太鼓は2001年、25年ぶりに復活。1976年の小豆島災害で被害を受けて以来である。 |
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長浜[大小]=平成11年(1999)制作。 先代は大正末期。小太鼓は先代大太鼓より古い。 小江=銅板葺きの入母屋造り。明治14年に大阪で作られる。 伊喜末=大工は池田蒲生の人。 見目=昭和8〜10年頃に淡路島より中古を購入。 屋形崎=明治期の作。 馬越=淡路島より中古を購入。 |
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淵崎甲2471 | 富丘八幡神社 | 10/15 | 太鼓台8台 子供太鼓4台 |
渕崎(大小)、大谷、赤穂屋[大小]、北山[大小]、小馬越、黒岩、肥土山、上庄[大小] | |
舟ダンジリ1台 | 要鉄 | ||||
富丘八幡神社縁起は応永年間(1379〜1427)に記されたろされているが、それには永和元年(1375)に放生会に用いる獅子頭が損壊したので彩色したこと、着物も取替えたので施主名が記載されている。 | |||||
渕崎=〔大小)昭和初期に淡路島より購入。彫師は平間勝利。「劉邦大蛇退治」、「加藤清正虎退治」、「楠公子別れ櫻井の駅」、「忠臣蔵」。 大谷=昭和26年に元・赤穂屋の太鼓台を人を介して5万円で購入。但し屋根がなかった。大工は柏本福平。彫師は平間勝利。狭間は「合戦物」。 往古は太鼓台あり。以前は渕崎の太鼓台を担がせてもらっていた。 赤穂屋[大小]大は昭和8年購入。彫師は開親子。狭間は「曽我五郎」、「小桜責め」、「楠公子別れ櫻井の駅」。 小は昭和10年頃に地元の人が大太鼓を見本に作る。 北山[大小]=詳細は不祥。 小馬越=大太鼓。淡路島製。狭間は「唐獅子と牡丹」、「五条大橋の出会い」。 黒岩=彫師は黒田正勝(姫路)、開正勝(生穂)。狭間は「本能寺の変」、「秀吉本陣佐久間の乱入」。 肥土山(ひとやま)=昭和53年(1978)11月に神浦より購入。初代。狭間は「鷲と猿」。 上庄[大小] =大の狭間は「スサノヲ尊」、「八岐大蛇」、「櫛稲田姫」、「老翁と老女」。 子供は大正15年制作。大工は川口森助。彫師は川原啓秀。狭間は「唐獅子牡丹A」、「竹に虎A」。 |
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要鉄=舟ダンジリ。八幡丸。昭和25年制作。小豆島造船所の船大工の作。だんじり出来るまでは渕崎の太鼓台を担がせてもらった。 | |||||
鹿島 | 鹿島明神 | 11/3 | 子供相撲 | ||
大部甲785 | 天津神社 | ? | ― | ||
【豊島(てしま)】 面積は14.49km2。周囲は19.8km。最高標高は339.82m(檀山)。人口は867人(2015年)。 旧・豊嶋村(家浦、唐櫃、甲生)にあたる。 |
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家浦(豊島) | 家浦神社 | 10/18(毎年) | 神輿 | ちょうさ(小太鼓)とも言う | |
太鼓台(大中小) 壇尻1台 |
太鼓台3台の制作年は明治20年頃? | ||||
家浦には大中小の太鼓台があり、人数に合わせて家浦浜が大、岡が中、硯が小太鼓を担いでいる。 なお太鼓台と称しているが、大は太鼓台(5段。屋根は黒)、中は旗台、小は神輿である。また小学生が壇尻を曳いている。 |
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唐櫃 | 唐櫃神社 | 10/21(毎年) |
神輿1基 | ||
太鼓台1台 子供太鼓台、ミニチュア太鼓台 |
昔は浜・岡の2台の太鼓台があったが、現在は唐櫃で1台の太鼓台を担いでいる | ||||
昭和59年に子供太鼓購入。それを見て今度は青年団を中心に手作り太鼓台を制作。3年程担いで昭和64年購入。初担ぎは平成になってから。 | |||||
【小豊島(おでしま)】 面積は1.1km2。周囲は4.3km。最高標高は133m。 人口は10人(2023年、住民基本台帳)。10人(平成27年、国勢調査)。7世帯・人口は16人(2006年)。 |
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【沖之島(おきのしま)】 面積は0.18km2。周囲は2km。最高標高は34m。神社は若宮神社。 人口は57人(2023年、住民基本台帳)。60人(平成27年、国勢調査)。22世帯・人口は79人(2006年)。 |
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≪香川郡≫ | |||||
直島町 ⇒積浦、宮浦、本村 |
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【直島(なおしま)】 面積は7.82km2。周囲は21.7km。最高標高は123m(地蔵山)。 人口は2911人(2023年、住民基本台帳)。3105人(平成27年、国勢調査)。3104人(2017年)。 |
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積浦(618) | 崇徳天皇神社 | 10/1土日 | 太鼓台1台 引きだんじり5台 |
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太鼓台は土曜日の夕方から夜にかけてのみの運行。日曜は演芸大会。 | |||||
宮浦(2203) | 住吉神社 | 10/2土日 | 太鼓台1台 子供太鼓台1台 引きだんじり1台 |
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本村733 | 直島八幡神社 | 10/3土日 | 神輿 | 28人の氏子が担ぐ | |
あばれ太鼓(枕太鼓) | 太鼓同好会 | ||||
子供太鼓台1台 引きだんじり1台 |
子供会は樽神輿 | ||||
【向島(むかえじま)】 面積は0.74km2。周囲は4.5km。最高標高は80m。 人口は12人(2023年、住民基本台帳)。15人(平成27年、国勢調査)。9世帯・人口は22人(2001年)。 |
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【屏風島(びょうぶじま)】 面積は0.12km2。周囲は2.6km。最高標高は31m(金毘羅山)。昭和8年に、東対岸無人島の喜兵衛島と堤防で繋がれた。神社には太鼓台保管。 人口は18人(2023年、住民基本台帳)。19人(平成27年、国勢調査)。13世帯・人口は47人(2001年)。 |
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【家島(えじま)】 面積は0.28km2。1960年頃離島。人口は30人だった。 |
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【京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)】 面積は0.34km2。戦後の開拓集落。1960年頃離島。人口は7人だった。 |
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【喜兵衛島(けへえじま)】 面積は0.17km2。1970年頃離島。人口は100人強だった。 |
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【牛ヶ首島(うしがくぼじま)】 面積は0.36km2。戦後の開拓集落。1995年頃離島。神社は天満宮。今も神社には神輿が安置されている。 |
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【柏島(かしわじま)】 面積は0.48km2。戦後の開拓集落。1960年頃離島。人口は10人強だった。 |
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【寺島(てらしま)】 面積は0.23km2。戦後の開拓集落。1960年頃離島。人口は10人弱だった。 |