鹿 児 島 県    

     ≪熊毛地方≫

      西之表市
     熊毛郡
[中種子町、南種子町屋久島町]
     鹿児島郡[
三島村、十島村]
     

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ■種子島(たねがしま)
面積は445.05km2。周囲は169.6km。人口は32065人、15697世帯(2012年)。島は西之表市、熊毛郡中種子町、南種子町よりなる。
 ≪西之表市≫
西町(西之表6973) 八坂神社 8/22 太鼓山1台
中目(西之表7597) 栖林神社 1/11 大的始式 県無形文化財
10/18 例祭
大的始式=県指定無形民俗文化財。明応九年、十二代島主種子島忠時公の弓術の指南役として来島した武田筑後守光長が、宮中の御的始め式を伝え、翌年より島内の災難を払い無病息災を祈願して行ったという。18:00篝火を焚いた明かりの中、烏帽子に古装束の射手が「始めさっしゃれ」の言葉を合図に、2人ずつ2本の矢を持ち本座に著き、盛った砂に弓の先で犬の字を書く「犬神祓」をした後、天を仰ぎ地を払うような独特の作法で「ヤァー」の気合いと共に、1、75mの大的に矢を放つ。「満つれば欠ける」の戒めにより、全部は的中させず、わざと一本外す習わしで、これを三番計6人が行う。
納曽(西之表9947) 菅原神社 10/25 例祭
中西(西之表6966) 石清水八幡神社 10/11 例祭
西之表935 伊勢神社 10/16 奉納相撲 旧・郷社
西之表16174 王之山神社 9/28 願成就
国上1053 奥神社 1/15 御的始式(射場祭)
10/29 例祭
御的始式(射場祭)明治以前には島主種子島家の家老が参拝の上奉納して、島内の崇敬を蒐めたと伝えられる。
 現在では午前中、西之表市弓道連盟会員並に中高生の弓道部員により奉納される。
国上345 浦田神社 9/15 例祭 通称は笹の宮
伊関浜脇403 浜脇神社 旧・8/17 例祭
伊関1085 伊関神社 3/26 例祭
沖ヶ浜田3759 沖ヶ浜田神社 1/7 七草祝い(福祭文) 正月行事
4/下旬 神賑
安納1419 安納神社 1/15頃 はま祈祷 境内で的を弓で射る神事
10/3日曜(元・22) 棒踊り 示現流の型を取り入れた勇壮な踊り
安納軍場 軍場(ぐにわ)神社 10/4日曜 棒踊り
現和下御山5962 風本神社 10/最終土曜(元・28) 種子島大踊り
現和武部 向田神社 10/最終日曜 種子島大踊り
安城1262 諏訪神社 10/26 願成就
住吉5199 住吉神社 10/23 深川面踊り、源太郎踊
古田村之町(古田1187) 豊受神社 10/3日曜 獅子舞、棒踊り
古田獅子舞=県指定無形民俗文化財。島では唯一の獅子舞。これは明治末期にシイタケ栽培のために入島した2人の大分県人が伝えた。これは津久見市上青江の菅神社(平岩天神)に伝わる平岩獅子舞だと思われる。
 【種子島鉄砲まつり】
8月下旬開催。天文12年(1543)8月25日、日本で最初に鉄砲が伝来したのを記念して行なわれる種子島最大の祭り。主催は種子島鉄砲まつり振興会(西之表市経済観光課)。2014年で45回を数える。
伝統行事の太鼓山、神輿、時代絵巻をほうふつとさせる南蛮行列などが繰り出し、最後は花火。

 2013年の日程では、
墓前祭り(8:20〜8:50)=御坊墓地・時尭像前
太鼓山行列(12:30〜16:30)=八坂神社スタート。海にも入る。
港まつり(14:40〜15:10)=西之表港。漁船パレード。
南蛮パレード(15:30〜17:30)=旧中野自転車前スタート。
演芸大会(18:00〜20:45)=日ポみなと公園。
花火大会(20:45〜21:30)=日ポみなと公園。
 ■馬毛島(まげしま)
面積は8.2km2。周囲は16.5km。最高標高は71.1m(岳之越)。日本で2番目に大きな無人島。
戦後の開拓集落があり、集落名は葉山,高坊,垣瀬。ピークは昭和34年の528人という記録があり、当時は小中学校も開校し、西之表港から定期船も出ていたという。
諸事情により昭和55年、4月21日に全島民離島により再び無人の島になった。現在はタストン・エアポート社(旧・
(株馬毛島開発)の企業所有地で入島には許可が必要。

 ≪熊毛郡≫
 中種子町
坂井6029 熊野神社 4/3 例祭 旧・県社
野間8301 霧島神社 11/19 例祭
坂井3576 豊受神社 11/23 神幸祭(10年ごと)
納官372 納官神社 11/18 例祭
7/中旬 神賑 2013年、13年ぶりに復活
夏祭りは納官小学校児童による校歌斉唱、和太鼓演奏、フラダンス、老人クラブによる歌謡メドレー、三味線演奏、カラオケ大会、婦人会の踊り、ビデオ上映、歌謡ショーなど。
野間5290 野間神社 11/16 例祭
野間伊原 伊原豊受神社 例祭 3年に1回、北の町大踊りを奉納
牧川1347 牧川神社 11/20 例祭
増田4005 増田神社 11/21 例祭
油久2456 油久神社 11/25 例祭
教育委員会文化係に問合せたが、山車、神輿の出る祭礼は無いようだと仰った。
 【星原ふるさと夏祭り】
8月中旬、17:00〜、星原浜津脇漁港広場で開催。最初に星原小の児童によって子供神輿が担がれる。2014年で25回を数える。
子供供スイカ早食い競争、子供氷早食い競争、バンド演奏などのプログラムがある。
 南種子町
平山1608 平山神社 11/16 例祭
河内(中之上500) 河内神社 10/4日曜 なぎなた踊り
なぎなた踊り=娘が12人、与太郎武士が12人、大太鼓が4人、小太鼓が2人、鉦が2人で合計32人で踊りを披露。百姓の娘がしゃかとう村の与太郎武士への父の敵討ちの様子を踊ったもの。
娘の服装は、頭に白くて長いハチマキと色鮮やかな衣装姿の襷がけ、右手になぎなたを持ち、白の足袋を履いている。一番左側の娘の頭はなぎなたというよりは大きなカマの様ななぎなたを持っている。
 与太郎武士は黒の袴姿に白い鉢巻きをして、腰に刀を差し黒の足袋を履いている。太鼓は艶やかな衣装姿、鉦と小太鼓は袴に白の肌着を着ている。娘が一列になり右手になぎなたを持ち、歌にあわせて入場。娘の入場が終わると、今度は武士が左腰に刀を差し入場。そして、娘の頭と与太郎武士の頭が口上し合い、それが終わると本踊りが始まっていく。武士から退場して最後に娘たちの退場で踊りが終了。
下中真所(中之下797) 真所八幡神社 9/15 例祭
3/20 お田植祭 馬を使わない立礼の流鏑馬行事がある。
西之砂坂 砂坂神社 旧・9/9(毎年) 郷土芸能「ヤートセー」奉納 東西ごと実施。奇数年は西、偶数年は東
西海上立石 廣濱神社 旧・9/9(毎年) 郷土芸能「くらまぐち」、「はなのかずかず」奉納 奉納場所は、公民館、神社境内、恵比寿岩屋、公民館で1回ずつ奉納。奇数年は「はなのかずかず」、偶数年は「くらまぐち」。
西海下立石 立石塩屋神社 10/中旬日曜
(元・
旧9/9)
郷土芸能奉納 奇数年は「はなのかずかず」、偶数年は「くらまぐち」。
西海大川 中ノ塩屋神社 旧・9/9 例祭
西海牛野 牛野塩屋神社 旧・9/9 例祭
島間田尾(島間697) 岬八幡神社 11/15 例祭
島間仲之町 宮松原神社 旧・9/9 例祭
島間向方 向方神社 10/中旬日曜
(元・旧9/9)
郷土芸能奉納 隔年。奇数年実施、偶数年お休み。
島間小平山 滝口神社 旧・9/19 例祭
島間697 御崎神社 10月下旬〜11月上旬 郷土芸能奉納
茎永中の町 豊受神社 旧・6/28 六月灯
旧・9/28 例祭
茎永阿多羅経 阿多羅経神社 旧・9/9 例祭
茎永3786 茎永宝満神社 4/3 神楽 茎永宝満神楽保存会
10/4日曜(隔年) 郷土芸能奉納 偶数年実施、奇数年お休み。
 【南種子の郷土芸能】
種子島南種子の座敷舞=国選択無形民俗文化財。平山と島間に残っている。座敷舞は宴の余興で踊られる舞。舞手が簡単な扮装をして、歌いながら物まねをするようなしぐさで、ユーモラスに踊る楽しく味わいのある舞。座敷舞は、笛や太鼓といった鳴物がないことや、歌詞に種子島の方言が多くみられることから、中世の頃、中央から伝わった芸能が元となり、この島でつくられた踊りではないかと云われている。

 屋久島町
 ■屋久島(やくしま)
面積は504.89km2。周囲は126.7km。最高地点は1936m(宮之浦岳)。人口は13487人(2013年)。
一湊(いっそう)字八筈山2292 八筈嶽神社 2/15 例祭 古くから八幡様と称した。
海から流れてきた御神体は矢筈の洞窟(幅11m、縦10m、奥行き38m)に祀られているが、明治中期より昭和40年頃までは前日の2/14に岩ごもりと称して一湊の青年団が神様と共に一夜を過ごしていた。平成20年に約40年ぶりに岩ごもりが復活した。
志戸子(しとご)字向平南東576 住吉神社 旧・8/29 例祭
10/1 大人神輿、子供神輿、花くるま
宮之浦字水洗尻277 宮之浦益救神社 4/29(元・10) 神幸祭 旧・県社
9:30〜15:00頃。大屋久杉神輿、子供杉みこし約6基、甲冑行列などのパレードや宮之浦の各地区が趣向を凝らした舞台演芸がある。
楠川字仲町82 楠川天満宮 10/25 演芸
椨川(たぶかわ)字椨川神山1613 椨川神社 旧・9/15 例祭
小瀬田字松山184−イ 小瀬田神社 旧・9/16 例祭
8/1 四ッ竹踊り
長峰 長峰神社 9/23 例祭 長峰は小瀬田から分かれた比較的新しい集落である
船行出口ノ上9−2 船行神社 旧・1/11 例祭
安房104−1 如竹神社 旧・5/25 如竹踊り
如竹踊り=県指定無形民俗文化財。如竹の命日である旧暦5月25日に、県指定史跡にもなっている「泊如竹の墓」の前で踊りを奉納。片手に日の丸の扇子を持ち、浴衣の上に紋付袴をつけ、腰に刀を差し、白足袋を履いて輪になって踊る。唄を中心に、小鼓、鉦に合わせて、両手両足を調子よく動かし、唄の節ごとに踊りの様子が少しずつ変わっていくのが特徴。
春牧 盛久神社
麦生下町727 弓矢八幡神社 11/3 薙刀踊り
麦生森山 大山神社 7/17 例祭
原721−2 益救神社 4/29 子供みこし、余興
旧・6/15 祇園祭 原五調踊り、余興
原五調踊り=「壱越調、平調、双調、黄鐘調、盤渉調」の五調で合わせ、 優雅な踊りであったが、いつの間にか自然消滅の状態となった。
 平成9年、原集落のあるおばあさんが「私もあと1〜2年で100歳だ。ばあちゃんの目が見える内にごちょう踊りを見せてくれないか」と言う言葉で平成11年に復活し、おばあさんの100歳の長寿を祝い踊りを披露した。現在は旧暦の6月15日の祇園大祭に奉納されている。
尾之間字大山977−1 保食神社 旧・9/9 例祭
尾之間温泉横 温泉神社 旧・6/15 棒踊り
小島字小島395 小島神社 1/25 小島棒踊り 天満宮とも称する
小島棒踊り=1901年ごろ、開田作業に来村した職人(日置郡市来方面)が伝授したと言われている。 その後、歌い手として活躍した安楽喜次郎氏の没後一時途絶えたが、消防団が中心となり復活し、 保存会を結成し現在も踊り伝えられている。
 棒踊りの歌には、「鎌の柄が折れた草さんば切りおくれた」と言う詞を歌った鎌の3尺と、 「焼野のきじは丘の背にすむ」と言う詞を歌った6尺の二つの種類がある。
平内字大山458 八幡神社 旧・8/15 平内棒踊り、平内手踊り 夜は綱引き
平内棒踊り=明治初期より踊り継がれる。浴衣姿に鉢巻きを締め、三色の帯を襷に掛けて長く垂らし手甲・脚絆・わらじ履きで6尺棒と3尺刃を持って踊る。

平内手踊り=明治初期より踊り継がれる。一時すたれるが、昭和55年、青年団を中心に高校生と中学生でなる手踊り保存会を結成した。まず八幡神社で奉納。次に海岸の崖に安置された「えびす様」の前で豊漁祈願のおどりを奉納。平内区民への披露はあこうの樹の広場で行う。
湯泊411 湯泊神社 11/23(元・旧12/15) 湯泊笠踊り 町指定無形民俗文化財
棒踊り、手踊り
例祭は、かつて旧暦の12月15日に行われていたが、昭和35年以降は 11月23日(勤労感謝の日)に変更された。
湯泊笠踊り=町指定無形民俗文化財。江戸時代末期から明治の初期ころに、湯泊海岸に漂流した糸満人(沖縄)数名を村人が親身になって介護した謝礼に、残してくれたと言う説と、帆船時代に南風に乗って漁に来たが、北風が吹かないので帰ることが出来ず、湯泊に逗留し、お世話になった御礼に、笠踊りを教えたと言う二つの言伝えがある。
 衣装は浴衣にそれぞれ色の違った5本のタスキがけをし、頭には白の鉢巻きを締め、 裸足で各自1個のバッチョ笠を持ち、青年が2人1組となって歌に合わせて神社の境内で踊る。
栗生字門前1698 栗生神社 2/25(毎年) 浜下り 神様が春の訪れを楽しむため山から下りてきて,再び山へ帰るとの言伝えから行われる
9:00に栗生神社で神事を行ったあと,神輿に御神体を移し、氏子総代を先頭に旗持ちの男性、鎧兜の男性、神輿、子供みこしの順に30人程の行列が集落内を通り、約1km先の浜へ下る。
 浜では御神体を海に向けて安置し、神事を行い,再び行列をつくって神社に帰る。
 午後は住民が公民館に集まって,保育園児の遊戯や各班ごとの歌・踊りなどを賑やかに奉納する。
中間字上町705 中間神社 2/15&旧11/1 中間舞踊
中間舞踊=隔年の大祭に拝殿で奉納。平成10年に約40年ぶりに復活。踊りは白地に紺の模様の入った着物に頬被り姿で踊る「高砂」、紅白の着物に白い鉢巻き姿で踊る「那須の与一」、「花の敦盛」の3種類がある。
永田多々良2797 永田嶽神社 1/5 例祭
永田 田之神神社 旧・9/1 例祭
吉田 森山神社 旧・9/13 例祭
吉田 日高神社 12/28 例祭
 【屋久島の郷土芸能】
麦生なぎなた踊り=1686年ごろ、宮崎より来島した大山忠左衛門によって伝承されたと言われるなぎなた踊りは、従来、盆踊りと呼んでおり、昭和50年代以降なぎなた踊りと呼ばれるようになった。
  浴衣・袴・鉢巻きにたすき掛け、履物は草履のいでたちで現在もお盆の13日と15日に踊られている。
 【尾之間温泉まつり】
7月下旬、尾之間(おのあいだ)の自然休養村管理センター前広場で開催。雨天時は屋根付きゲートボール場。主催は尾之間集落。2014年で19回を数える。
(17:30〜18:00)パレード:集落内の通りで婦人会・老人クラブ・子供会それぞれの踊り連に続いて、子供みこし 等のパレード。
(18:00〜18:15)棒踊り:お祭り広場で小学生・中学生・高校生による棒踊り。
(18:20〜21:30)アトラクション:特設ステージで中学生のブラスバンドや小学生の「せんだん太鼓」・マーチングバンドの合同演奏 など。
(18:15〜21:30)出店:夜店で販売。最後はお楽しみ抽選会。
 【一湊浜祭り】
7月中旬。一湊漁港。4月1日の浜出ばえ、6月3日のみなとまつり(=明治18年6月3日の大火事を忘れないように開催)。この2つの行事を合わせて一湊浜祭りとなる。神事や子供たちによる餅まき、演芸、誰でも乗れる船団パレード、全国唯一と呼ばれるサバのつかみ取り などがある。
 ■口永良部島(くちのえらぶじま)
面積は38.04km2。周囲は49.67km。最高地点は657m。人口は137人、79世帯(2014年)。集落は本村と湯向。
本村(口永良都島字供養ノ向1) 金峯神社 7/連休 男は「棒踊り」、女は「日の本踊り」を踊り奉納

 ≪鹿児島郡≫
 三島村(みしまむら)
竹島、硫黄島(鬼界ヶ島)、黒島の有人3島と新硫黄島、デン島の無人2島の合わせて5の島々で成り立つ。
 ■竹島(たけしま)
面積は4..2km2。周囲は12.8km。人口は76人、41世帯(2012年)。
竹島マゴラの上18 聖神社 1/21、22 馬方踊り 無形民俗文化財
旧8/1、2 竹島八朔踊り
9/9 例祭
馬方踊り=古来疱瘡で死ぬ人が多く、竹島では、享保11年(1726)と寛政5年(1793)がひどかった。享保11年の死者は住民の25%、寛政5年には25戸のうち8戸は疱瘡で死亡し、1戸は島外に逃げ移った。そこで翌年から疱瘡を鎮めるための婦人の踊り「馬方踊り」がはじまった。聖神社境内の御伊勢様の前で踊る。踊り手は婦人で、チョンマゲ、手ぬぐいをかぶり、浴衣姿で背に脇差しを差し二人一組になり二人で馬の手綱になぞられた帯を持って踊る。見物人の整理のためアク玉の木で作った東西棒を持つ旦那が二人即興的な文句をどなりながら踊り場の周囲を廻る。

竹島八朔踊り=豊祭(ほぜ)踊りともいう。太鼓の踊り手についてまわる高面(たかめん)は竹島特有のものである。
 ■硫黄島(いおうじま)
面積は11.65km2。周囲は19.1km。最高地点は704m(硫黄岳)。
明治以来、地元唯一の経済の支えであった硫黄鉱山が、硫黄の需要減から昭和39年(1964)に閉山になり、大規模な人口流失となり、昭和35年(1960)、604人の人口が2012年現在、119人、64世帯となる。
人口はかつて(2012年)。別名は鬼界ヶ島とも薩摩硫黄島ともいう。
硫黄島宮之馬場80 熊野神社 旧・8/1、2 八朔太鼓踊り
旧・9/1 九月踊り
八朔太鼓踊り=県指定無形民俗文化財。慶長3年(1598)朝鮮出兵の時、島津義弘公に従い、硫黄島から3人が従軍し、泗川の戦いで戦功をたてた。これにより恩賞を賜り大いに面目を施したので、その凱旋祝としてこの踊りを奉納するようになったと云われている。
矢旗を背負い太鼓を抱えた踊り手と、鉦を持った歌い手による太鼓踊りの途中、仮面神「メンドン」が現れ、踊りの中に加わったり、手にした神木で暴れ回り島の悪霊を祓う伝統行事。


九月踊り=県指定無形民俗文化財。かつて旧暦8月1日に奉納していたが、現在は9月1日になっている。
この踊りは、面踊り・相撲踊り・大名行列・長刀踊り・弓矢踊りの5種からなる。この中で特徴的なものが「面踊り」で由来ははっきりしないが、子孫繁栄と五穀豊饒を祈る踊りといわれている。
 ■黒島(くろしま)
面積は15.37km2。周囲は20.1km。人口は176人、97世帯(2012年)。江戸期には4集落あったが、現在は大里と片泊の2集落。
黒島大里63 黒尾神社 2/9・9/10・11/10お盆 例祭
弓矢踊り、太鼓踊り、婦人踊り
黒島大里八朔踊り=9/1。腰にひょうたんをぶら下げて仮面を着けた踊り手たちが、生産と繁栄を象徴する、すりこぎとしゃもじを打ち鳴らしながら隊列を組んで踊る。

黒島片泊太鼓踊り=
8月15日に4種類の盆踊りが行われる。その、中心をなすのが太鼓踊りである。「カネ」、「ナカダイコ」、「ジュウテ」、「ヘヤ」からなる。
 十島村
屋久島と奄美大島の間に点在し、トカラ列島と呼ばれ、北から口之島、中之島、平島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、宝島の有人7島と、臥蛇島、小臥蛇島、小島、上ノ根島、横当島の無人5島の合わせて12の島々で成り立つ。
 ■口之島(くちのしま)
面積は13..33km2。周囲は20.38km。人口は119人、83世帯(2012年)。トカラ列島の入口。集落は口之島、西之浜。神社は八幡神社。
 【口之島盆踊り・狂言】
旧暦の盆(7月15日)開催。午前は殿地(とんち。集落の集会所)、午後はテラ(墓地)で先祖の供養として踊る。
内容は小学生以下の子供が踊る小おどり、先おどり、天下泰平、サンサ節、ドンドン節、狂言からなる。
 【霜月まつり】
旧暦11月に新米で作った酒やサトイモを供え、お宮を回って家族の健康と豊作を祈るまつり。
 ■中之島(なかのしま)
面積は34.47km2。周囲は31.8km。最高地点は979m(御岳)。人口は136人(2013年)。トカラ列島の中で一番大きな島集落は船倉、寄木、里村、楠木、日の出(高尾・池原)。
八幡神社では大踊り(俵踊り、相撲踊り)、狂言(恵比寿舞い、三太、田の神、八兵衛)が奉じられる。
 ■平島(たいらじま)
面積は2.08km2。周囲は7.23km。人口は55人、34世帯(2012年)。集落は平島。神社は島立神社。
トカラ列島の中でも、昔ながらの風俗が最も守り続けられており、祭りなども全て旧暦で行われる。中世の世から続く元服の儀式が、今も当時の形式をほとんど変えずに行われているのは平島だけである。
 【十五夜】
旧暦8月15日、綱引きと相撲が行われる。19時に大庭と呼ばれる広場に島民が集まり、満月の月明かりの下で、子供同士、親子、職域などの対抗戦が行われる。綱引きが済むと、綱で土俵を作り相撲の対戦が行われる。
 【カセダウチ】
旧暦12月14日開催。1年中雨がよく降り豊作であるように,また,島民の無病息災を祈って行われる行事。
枇榔の葉を体にまとい,頭にはかぶり笠を身につけた福徳神(フットコジン)が、島の全家庭をまわる。福徳神を迎える家庭では鱠に刺身をのせた料理とお酒を準備して、家族全員が並んで福徳神を待つ。
家にやってきた福徳神は,島に伝わる数え歌を歌いながら,魚の付いた竿を振り,各家庭の幸福を祈願します。
 その御礼にと,各家庭では準備した料理とお酒で福徳神をもてなす。 

福徳神が各家庭を移動する際、島の子供ちは,神様めがけて水を掛ける。これは,福徳神に水を掛ければ、1年中雨がよく降り豊作になると言われるからである。 
そのお返しに,福徳神は子どもたちを追いかけて捕まえ,顔に炭を塗る。炭を塗られた子どもは,一年間健康に過ごせるという言い伝えがある。
 ■諏訪之瀬島(すわのせじま)
面積は27.66km2。周囲は27.15km。人口は58人、31世帯(2012年)。十島村で二番目に大きい島。
島の中央の御岳(おたけ)は活火山で、文化10年(1813)の大噴火は50余戸の全島民が隣の悪石島、中之島に移住した。明治16年に奄美大島からの入植開始まで70年間は無人島だった。集落は諏訪之瀬島。神社は八幡神社。
 ■悪石島(あくせきじま)
面積は7.49km2。周囲は12.64km。最高地点は584m(御岳)。人口は59人、33世帯(2013年)。集落は上村とやすら浜の2つ。
悪石島は八幡様を奉ずるヤマト文化的な島人と、琉球文化的、または海洋民族的な先住の人々が混在すると言われる。

神社は奇船大明神、金山神社、八幡神社、女神山神社、乙姫神社など。
 【仮面神ボゼ】
旧暦7月7日から16日まで行われる盆行事の最後に現れる「仮面神ボゼ」は精霊を幽界へと戻し、死霊漂う人々の心を日常の世界へ引き戻す役割を担い、盆の幕を引くとされている。この風習があるはインドネシアなどにある風習と似ている珍しいものである。
旧暦8月には八幡宮・恵比須神社・迫尻神社・霧島神社と金毘羅権現を合祀している島立初神(秋葉神社)などを、男神役のホンボーイとダイクジ、セイクジを中心に奉り祈祷する。
 ■小宝島(こだからじま)
面積は1.0km2。周囲は4.74km。人口は61人、32世帯(2012年)。集落は小宝島。
神社は小宝神社。1/10頃の吉日に花やだんごを供え、お百度を踏んでその年1年の豊作と健康を祈る。
 ■宝島(たからじま)
面積は7.14km2。周囲は13.77km。最高地点は292m(イマキラ岳)。トカラ列島の有人島では南端の島。人口は117人、71世帯(2013年)。集落は宝島。神社は玉寄権現神社。鎮守神社。
 ■臥蛇島(がじゃじま)
面積は4.07km2。周囲は約9km。臥蛇島灯台が完成した昭和15年には島の人口が133人という記録があるが、台風の被害や地理的条件の厳しさなどから人口減となり、艀作業が出来なくなり、昭和45年(1970)7月28日、最後の4世帯16人が鹿児島市、岡山、大阪などに移住し無人島となった。島への上陸は公には認められていない。
島の総社は八幡神社。大祭は8月にあった。
また御嶽神社(御岳の山頂)、若宮神社などの宝物や祭具等については、中之島にある中央公民館や黎明館(鹿児島市)に保管されている。
 ■小臥蛇島(こがじゃじま)
面積は0.5km2。
 ■上ノ根島(かみのねじま)
面積は0.54km2。周囲は3.76km。最高地点は280m。無人島。
 ■横当島(よこあてじま)
面積は2.76km2。周囲は10.2km。最高地点は495m。トカラ列島最南端の島。
この島は女神の島で、島が近くを通る際は順風であるように、選任の人数分の男根を作って島に供えたと江戸末期の『南島雑話』に書かれている。