神 奈 川 県

    ≪平塚市、中郡(大磯町・二宮町)≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪平塚市≫
 ■平塚地区
     ⇒平塚宿、平塚新宿、須賀、馬入
平塚4丁目18−1 春日神社 8/1日曜 神輿 平塚宿の鎮守
トラック山車出た
山車廃絶 柳町、東仲町、西仲町、真土
3/1日曜 祈年祭(春祭り)
14町内が参加する盛大な祭りで、以前は1年おきに本宮の黒部宮まで渡御の「浜降り祭」が行われたが、平成15年(2003)より神輿渡御が中止となる。町内によってはこの日にふれあい祭りをしている。
神輿=江戸期の作。明治中期に彩色。昭和49年(1974)に3度目の修復。浅草・宮本卯之助商店による。
柳町、東仲町、西仲町=明治18年(1885)の大火で焼失。
真土=大正期までは曳いていたが永らく休止し、神社が区画整理にかかり昭和50年頃に処分され彫物の一部が残っているのみ。
浅間町1−6 平塚八幡宮
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8/15 神輿大2基、小1基  
宮屋台(休止中) 境内に小屋があるが例祭日でも扉開かず。
5/5 国府祭
2/17 祈年祭
相模国第五の宮。国府祭には氏子の八幡、新宿、馬入の三地区が輪番で年番を勤める。
かつての神輿渡御は八幡宮の宮神輿と末社の若宮八幡社神輿の2基を出したが、平成9年頃に神輿保存会が解散し、現在では宮神輿を車に載せて廻る。
夕陽丘60−27(須賀) 平塚三嶋神社
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7/20頃の土日 神輿(大2、小7   
屋台5台廃絶 昭和20年7/16の空襲で焼失。
トラック仮装山車2台 三嶋神社太鼓保存会、代官町  
屋台=西、南、北町(=明治21年制作)、中、横の5町会から屋台が出た。明治22年(1889)の大火で1台焼失。須賀村は火災の復興のため4台のうち2台を売却することにし、現・座間市皆原に売却した。
大神輿=昭和54年(1979)制作。制作費は2500万円。
 以前のは昭和20年7/16の空襲で焼失。

中神輿=大神輿完成以前に担がれていた。平成7年(1995)修復し担がれるようになる。

小型神輿=保管中。

子供神輿
=南町、西町、北町、横町、仲町、代官町・夕陽丘
中堂13−3(馬入) 中堂神明神社 4/2日曜
(元・10)
神輿(小2) 浜降祭にも参加
屋台1台 馬入の鎮守 
11/23 新嘗祭
神輿=昭和20年7/16の空襲で焼失。子供用は焼け残り、さらに1基新調した。
屋台⇒屋台小屋は神社移転時に建造。
=明治4年(1871)8月制作。総欅造り。大工は村の人と云われている。彫師の墨書きに菅原義正(一元国造)とある。外輪で金属製。
昭和25年(1950)7/5〜7に見附台公園で行われた平塚復興祭を最後に休止していたが、平成15年(2003)の修復を機に復活。

 先代は元治元年(1864)の火災で焼失。
宝町9−21 山神社 5/3日曜 神輿(大1、小2) 大神輿は音羽会の神輿レンタル
トラック山車 借りてくる
花水台30−6 浜嶽神社 8/1日曜(元1) 神輿(大2、小2 大は飾付けのみ。
昭和25年に春日神社より分祀。西海岸のなでしこ地区で祀る神社。一時は春日神社の神輿と共に浜降りしていたが、現在は子供神輿だけ担ぐ。
神輿=戦後、茅ヶ崎より購入。作者不詳。
諏訪町28−25 諏訪部神社 七夕前の日曜 子供神輿2基 リヤカーに乗せて曳く
1基は昭和7年、高麗で作られた。もう1基は昭和63年、市川市本行徳の業者の作。
中里138(上平塚) 八雲神社 7/25頃の日曜 神輿(大、小   
トラック仮装山車  
11/23 新嘗祭(秋祭り)
神輿=明治6年(1873)6月制作。二宮町山西・杉崎周助政貴の作と伝えられる。明治期に足柄上郡某村より購入。
大正9年(1920)7月、現・平塚市河内の塗師・山崎竹次郎が金箔捺し、赤漆塗り。錺師は大磯町台町の鈴木千代吉で計600円余りで華麗な姿となる。
最近では平成8年に修復。

 子供神輿=昭和58年、今井武氏が制作奉納。
 ■大野地区
     ⇒南原、中原上宿、中原下宿、八幡、四之宮、真土
南原2丁目16−10 諏訪神社 9/10頃の土曜 子供神輿2基   
トラック仮装山車2台   
2/17 祈年祭
戦前は大人と子供の神輿が各1基あったが、空襲で焼失。南原は7自治会からなる。元々の上町・横宿・鍛冶町(かっちょう)・東町。そして東町から向原。上町から土手新町。1丁目からルネ自治会が誕生した。
中原3丁目20−16 中原日枝神社 9/15直後の土日 神輿(大2、小9    
山車5台 上宿、中宿、御殿、裏宿、下宿
トラック仮装山車4台 上宿、中宿、御殿、伊勢山
2/17 祈年祭
山車は分解して保存。
上宿=昭和62年(1987)9月制作。2021年、車軸の歪み等を日産自動車(株)テクニカルセンターが請け負う。
 先代もあり昭和30年頃、電線が張られ曳き出せなくなるが、昭和55年(1980)曳行復活。

中宿=昭和3年(1928)9月創建。大工は磯部雄三。彫師は山崎竹次郎。平成15年(2003)7月、柱交換。平成17年(2005)タイヤ交換。
 昭和20年代までは中宿(当時は中町)と裏宿は同じ地区で昭和30年に分れる。

御殿=昭和61年(1986)9月、修復。

裏宿=平成4年(1992)9月、お披露目。旧部材も一部利用。平成17年(2005)8月、ゴムタイヤ
  先代もあり昭和30年頃、電線が張られ曳き出せなくなるが、昭和60年(1985)曳行復活。

下宿昭和61年(1986)9月、修復。昭和31年(1956)に改造。
上宿、中宿、御殿=詳細不詳。

伊勢山=平成17年(2005)制作。
 子供神輿は9基
上宿=2基。大=昭和56年(1981)4月制作。大磯の清水千代造の作。190万円。 小=地元の材木屋の大塚氏の寄附。

中宿、下宿、御殿、伊勢山、新町大原、新川端
=詳細不詳。

裏宿=昭和53年(1978)9月制作。大磯の清水千代造の作
中原3丁目20−16 東照権現社 4/17直前の日曜 神輿(大1、小8 借用か兼用
トラック山車3台 借用か兼用
東八幡2丁目6−5 八坂神社 7/14頃の日曜 神輿(大1、小5) 坂戸・尼沼・田端・高野町・上長
トラック山車2台
神輿=江戸期制作。内部右壁に「明治12改製 当国高座郡宮山邨 塗工 三上市五郎 東京弁慶橋元岩井町 錺工 柏原甚吉」。左壁に「昭和29年6月修繕(中略)平塚市駅前 修繕人 極楽堂」の墨書きあり。

子供神輿=坂戸・尼沼・田端・高野町・上長(かみちょう)。例大祭では各町内に分れて巡幸する。
四之宮4丁目14−26 前鳥(さきとり)神社
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2/17 祈年祭
9/27、28 神輿(大2、小3)  
トラック山車1台  
相模国第四之宮。
神輿⇒神輿蔵は昭和39年建造。初めはガラス戸、その後シャッター式へ。当初は大神輿・御霊神社・八坂神社・子供神輿の4基。その後平成28年新造の子供神輿も収納。
=文久3年(1861)伊勢原大山の手中明王太郎景元の作。
四之宮4丁目14−26 八坂神社 7/2日曜 神輿(大1、小3) 子供神輿は前鳥神社と兼用
トラック山車1台  
八坂神社は前鳥神社境内の神戸神社に合祀されており、四之宮全体で祀る。昔は7/9〜14まで神輿を御旅所へ出した。
東真土3丁目5−8 真土神社 4/2土曜 神輿(大1、小1)   
トラック山車1台   
太鼓 夕方より奉納演芸
2/17 祈年祭
地内は大新土(おおしんど)・古新土・今里・三谷
神輿=彫刻に 昭和11年4月12日竣工の墨書きがある。愛甲郡愛川町半原1、637番地、宮大工、矢内稲雄高秀棟梁をはじめ、中村大吉、三浦福太郎、小島榮太郎の作。
永らく白木造りであったが、平成3年4月に愛知県岡崎市の一宮で、箔置、漆掛と修復された。
 ■豊田地区
    8自治会:西町・簀子橋・本宿・豊中・平等寺・宮下・小美袮・打間木
豊田宮下550−イ 豊八幡宮 10/1・1土曜
子供神輿9基
トラック仮装山車8台 西町敬親會、簀子橋和好会、本宿宿和会、豊中親和會、平等寺自治会、宮下親和會、小美袮神友會、打間木自治会
山車廃絶 昭和30年代後半まで出た
2/17 祈年祭
 豊田全体の鎮守は豊八幡宮であるが、部落ごとに鎮守もある。
西町自治会=豊田本郷の西はずれ。祭礼時は西町敬親會と称する。

簀子橋自治会=元は豊田本郷村の一部で、西町の一部だったが、昭和42年(1967)西町から独立。独立時は戸数は約30。自治会館は北豊田。祭礼時は簀子橋和好会と称する。

本宿(ほんしゅく)自治会=本宿自治会館(豊田本郷1781)。
 子供神輿がある。駒札に昭和55年と書かれている。

豊中自治会=天満宮の東隣りは豊中自治会館(豊田本郷1727−3)があり、ここは元・法藏院の跡である。
鎮守は天満宮。例祭は1月25日。昔は神楽・芝居をした。八幡宮の移動式の神楽殿を借りて行っていた。戦前は約45戸。

平等寺自治会=地内には真言宗東寺破の平等寺(豊田平等寺369)あり。8/16にオヒョウグ。お表具=掛軸をかける祭りがあり、部落中で参加した。戦前は16戸。

豊田宮下自治会=元は約60戸。

豊田小嶺自治会=元禄期に豊田本郷より分村。自治会館は南豊田598。祭礼時は小美袮神友會と称する。

豊田打間木自治会=地内には大神宮様があったが、神社合祀で豊八幡宮に合祀となる。跡地は耕地整理で田と化している。
 やがて八坂神社を勧請した。例祭は8/1、9:00〜11:30で子供神輿を担ぐ。昭和51年(1976)東京で作った。最初は木の神輿。次いでブリキ神輿であった。
往古は28戸だった。
大正8年(1919)頃に電線が張られるようになるまでは山車がでた。当時は小嶺・宮下には山車があり、本宿はよそより山車を借り、他の山車を持たない村は豊作の年に他の村より山車を借りてきて曳き回したと伝わる。山車人形は【那須n与市」や「加藤清正」があったらしい。
 ■神田地区
      ⇒田村、大神、吉際
田村6297 田村八坂神社 7/28直前の土日 神輿
屋台3台(飾りつけ) 上町、横宿、下町
2/17 祈年祭&春祭り
地内は上町・横宿(仲町)・下町に分れる。
上町:鎮守は天獏社。例祭日は2/28。横宿(仲町):鎮守は天神社。例祭日は2月25日。宵宮の24日は太神楽をした。下町:鎮守は諏訪社。例祭日は8月27日。
神輿=昭和57年(1982)7月11日制作。小田原の西山統和堂(梅沢西山輿屋)の作。
 平成11年(1999)、東京神輿センターで修復。昭和61年(1986)、西山統和堂で修復。

 昭和50年(1975)3月27日未明の火災で神楽殿に納められていた大神輿と子供神輿3基は焼失。

昭和52年(1977)神楽殿と子供神輿新調。
 以前は子供神輿は大正15年(1926)に3町競って新調。
上町は町内の斉木伴三の作。横宿は浅草より購入。下町は井上茂蔵の作だった。
上町=明治21年(1888)7月制作。墨書きは「相模国大住郡石田村産 愛甲郡中津村居住人。彫刻師 和田太吉光親 明治21年7月吉日」とある。
大工は中津村の住人。彫師は
石田村の和田太吉光親
 先代は火災で焼失。


横宿=
江戸期制作。言伝えでは天保3年(1832)説もあり。大山・明王太郎の作と伝わる。

下町
=江戸後期制作。作者不詳。横宿より後で制作らしい。
大神4丁目10−2746 寄木神社 10/1土日 神輿(大1、小1)  
トラック仮装山車1台
屋台廃絶 関東大震災で壊れる
地芝居廃絶
2/17 祈年祭&春祭り
11/23 新嘗祭&秋祭り
例祭は9/17⇒10/7(大正頃)⇒10/1土日
神輿=明治12年(1879)6月制作。大山・手中明王太郎景元の作。昭和15年(1940)大改修と漆塗り。景元の息子の明王太郎景尭による。
 昭和59年(1984)9月、浅草の宮本卯之助商店により修復。
吉際63 稲荷神社 4/3日曜 子供神輿  
横内900 御霊神社 9/20頃の休日 神輿(大1、小1)    
トラック山車1台   
2/17 祈年祭&春祭り
神輿=明治26年(1893)8月15日制作。大山・明王太郎景元の作。代金210円。当初は素木。明治31年(1898)8月28日、漆塗り合わせて彫物追加。
 昭和63年(1988)9月3日、浅草の宮本卯之助商店にて修復。
 また神輿保存会の肩均し用の神輿もある。

子供神輿=明治30年(1897)8月21日、制作。代金126円25銭。
 ■城島地区
      ⇒大島、小鍋島、下島、城所(きどころ)、下島第一団地、下島第二団地
大島718 大島八幡神社 4/3日曜 子供神輿
トラック山車1台  
山車廃絶 昭和35年頃まで曳いた
小鍋島965 八幡神社 4/1日曜 樽神輿   
トラック仮装山車1台  
以前はお囃子の太鼓も神輿もなくお芝居があった。戦後に太鼓を始め、樽神輿も登場した。今は樽神輿とトラック山車2台が、演歌を流す花車と共に巡幸する。
例祭は旧8/15⇒9/15⇒4/6⇒4/1日曜。
下島626 八幡神社 3/13頃の土曜 トラック山車1台
山車休止 戦後購入するが、出ていない
八坂神社 7/中旬 子供神輿 末社の夏祭りは神輿を曳く。
山車=終戦直後に豊田打間木とも金目から譲り受けたと云われている。昭和50年頃までは曳いていた。横幅約2m。奥行き約2.5m。屋根は残されていない。保管が困難なため平成30年(2018)廃却予定と聞く。
例祭は旧9/13⇒3/4⇒3/13⇒3/13頃の土曜。
城所343 貴船神社 4/29 子供神輿  
トラック山車2台
山車廃絶 戦後10年ほど牛車の山車を曳いた
2/17 祈年祭
4字は上・下・大門前・小島。下が昭和10年頃に神輿を作る。上などはうらやましいので伊勢原市小稲葉から神輿を借りて夜に担いだ。
山車は豊田村から借りたこともあり戦後10年ほど牛車の山車を曳いた。子供みこしは担ぎ手いないので出ていない。
 ■岡崎地区
     岡崎9村=大畑、矢崎、西海地(さいかち)、北大縄(現・別北)、上入山瀬、下入山瀬、丸島
       ※大句、馬渡は伊勢原市へ編入合併
岡崎3650 岡崎神社 10/9頃の日曜 子供神輿5基    
トラック山車5台   
山車廃絶 矢崎=戦前まで曳いた
2/17 祈年祭
 ※地内は大畑・矢崎・西海地・入山瀬からなる。
大畑=鎮守は八坂神社(岡崎3207)。明治9年(1876)は66戸。

矢崎=鎮守は八幡神社(岡崎4212)。月本菓子店の裏にあった。今は存在しないが、矢崎青年会事務所は八幡神社の建物を移設。
 戦前の戸数は58戸。ただしこれは戦時中に分離した北大縄(現・別北自治会)も含む。北大縄の鎮守は白髭神社(岡崎310)。

西海地=鎮守は天照皇大神社(境内末社に疱瘡神社)。現在は岡崎神社境内に祀られている。例祭は3/10。昭和10年代には行われなくなる。


入山瀬=鎮守は城山神社(岡崎5514)。

  ※大句(鎮守は腰取神社)、馬渡(鎮守は菅原神社)は岡崎神社に合祀するが、昭和31年(1956)9月30日、伊勢原町に分村合併したために祭神を旧氏神に返還。
例祭は4/中の申の日・7/28・9/5⇒10/9⇒10/9頃の日曜(平成20年〜)。
岡崎2657(丸島) 駒形神社 4/2土曜 子供神輿 昭和12年制作。
トラック山車1台 平成16年製作
余興(芝居 等)中止
2/中旬 祈年祭
例祭は旧6/21⇒4/15⇒4/2土曜。昭和42年(1967)までは神楽殿があった。戦前までは青年団が余興を担当で芝居師等を呼んだ。
 ■金田地区
     ⇒長持、入野(いの)、寺田縄、飯島
長持532 熊野神社 4/1土曜(元・5) 子供神輿   
山車廃絶 大正初期まで曳いた。浦島太郎が描かれていた。
例祭は旧6/15⇒4/5⇒10/5⇒4/5⇒4/1日曜。昭和35年(1960)頃までは村芝居を呼んでいた。
入野31 八坂神社 4/1日曜 神輿(大1、小1)  
トラック山車2台  
2/23 祈年祭
墨書きより文化9年(1812)3月に江戸本銀町三丁目(現東京都中央区)の仏師森光雲によって再興した西岡田村の神輿で、この神輿は明治27年7月に修理したとされる。西岡田村は明治29年(1896)に入野にこの神輿を売却。
寺田縄1、180 日枝神社 4/1日曜 神輿(大1、小1)  他に先代神輿も保存 
トラック山車2台  
神輿=昭和62年復元新調。昭和57年より着手し6年かけ完成。氏子の手作りの作。金具は浅草の宮本卯之助商店で購入。
 以前の神輿は慶応2年に(1866)三ノ宮比々多神社より錺金物が外され10両で購入。直後と明治28年に作者により改修。大山・明王太郎景元の作。購入時の改造は『寺田縄村山王宮神輿控帳』に記載されている。
現・神輿完成後も例祭に飾られる。
飯島488 八坂神社 9/2日曜 子供神輿 昭和57年(1982)創建
トラック山車1台 往古車に花を飾った簡易な山車を出した
芝居 往古は芝居の役者を呼んだ
例祭は旧6/7⇒9/7⇒9/2日曜。
 ■金目地区
      ⇒広川、片岡、千須谷(せんずや)、南金目(みなみかなめ)、北金目、真田
広川618 広川八幡神社 4/1土曜 子供神輿 飾付け
トラック山車1台   
山車廃絶 戦前まであった
2/17 祈年祭
例祭は旧3/28⇒4/1(明治6年〜)⇒4/23⇒4/1土曜。
山車=明治16年(1883)制作。大工は南久保の片倉甚五郎。これは添田吉則氏の家を建てた欅を使った。昭和40年(1965)代後半に社務所改築の際に取り壊された。現在はトラックの山車に綱を付けて、これを子供たちが曳いて回る。
片岡1241 片岡神社 5/3 神輿(大1、小2) 
トラック山車2台 北、南
山車廃絶
山車廃絶=小田原の彫師による本格的な山車があったが、昭和35年頃不審火による火災で小屋ごと焼失。運よく焼け残った彫物の一部は拝殿内や神輿殿に保管。に奉納。拝殿内部には昭和30年(1955)4月12日や昭和35年(1960)4月24日に撮影された山車の写真がある。
千須谷203 熊野神社 4/1日曜 トラック山車1台   
山車廃絶  
12/9 新嘗祭
例祭は旧9/9⇒4/8⇒4/1日曜。往古は神楽や芝居や剣の舞が奉納されたりした。
南金目2、416 南金目神社 10/2日曜 神輿(大3、小2) 
トラック山車5台
山車4台 保存。ただし老朽化進む
2/28 祈年祭
地内は青柳・坪之内・堀之内・根下・大田の5自治会に分れる。例祭日は旧9/29⇒4/4⇒10/10⇒4/10⇒10/2日曜(平成12年、ハッピーマンデー法制定以降)
北金目3丁目17−11 北金目神社 4/3土曜 神輿(大1、小2)  大人神輿は中久保 
トラック山車3台 大久保、北久保、中久保 
屋台廃絶 昭和30年頃まで曳いた
例祭は旧6/18⇒4/18⇒4/3土曜。
真田1丁目4−36 真田神社 7/2土日 神輿(大中小)   
トラック山車2台  
山車廃絶 明治期にはあった
2/9 祈年祭
神輿=明治24年(1891)白木で制作。大正11年(1922)修復時に漆塗り。昭和50年(1975)、浅草で450万円かけ修復。
 
以前のは厚木市戸田に譲渡。
担ぎ方は昭和55年(1980)頃からどっこいに変わるが、宮入り・宮出しの時は従来の「ヨイヤサー、コラサー」の掛声にする。

中神輿・子供神輿
=昭和49年(1974)購入。中神輿購入のため200万円集める。中神輿が150万円で作れたので残金で子供神輿を購入。掛声は「ヨイヤサー」。
真田1丁目14−1 天徳寺 8/23 万燈神輿 平塚の神輿会が担ぐ
 ■土沢地区
     ⇒土屋:上惣領〔矢沢〕・惣領分〔琵琶を含む〕・大庶子分〔庶子分・小熊・遠藤原〕・大寺分〔寺分・早田・入増〕、上吉沢(かみきっさわ)、下吉沢
土屋227 熊野神社 9/4日曜 神輿(大1、小6)  土屋の総氏神 
トラック仮装山車5台  
太鼓(大9、小20)
流鏑馬中止 昭和10年頃中止。神馬不足の溜
神輿=三ノ宮から譲り受けたという説もある。嘉永7年(1854)6月修理銘あり。二宮町の伊勢松 他により修復。その後は昭和58年(1983)、平成20年(2008)にも修復。
トラック仮装山車=庶子分太鼓連・小熊太鼓連・遠藤原太鼓連・寺分太鼓囃子保存会・人増自治
太鼓の内訳は庶子分(大2・小4)、小熊(大2・小6)、遠藤原(大2・小2)、寺分(大2・小5)、入増(大1・小3)である。
土屋1、958(早田) 造化神社 4/1日曜 神輿 リヤカ−に乗せて曳く
トラック山車1台  
太鼓(大1、小3)
土屋3、100(惣領分) 八坂神社 4/12頃の日曜 神輿  昭和57年、虫窪より寄贈を受ける
トラック山車1台   
太鼓(大2、小4)
土屋3、963(上惣領。矢沢ともいう) 愛宕神社 4/24頃の日曜 神輿  軽トラックに乗せて廻る
トラック山車1台  
太鼓(大1、小2)
上吉沢758 八坂神社
(八剣神社内)
7/3日曜 神輿(大1、小1)  上吉沢、飛谷津、山の神・山田屋敷で祀る 
トラック山車1台 借りてくる
山車廃絶 あったと伝わる
神輿=明治初期に伊勢原・大山より買ったと云われる。
上吉沢758 八剣神社 10/1日曜 トラック山車3台  
上吉沢の鎮守。トラック山車は中吉沢、台・飛谷津、山の神・山田屋敷の3台である。
上吉沢758 八坂神社
(八剣神社内)
7/2土曜 神輿(大1、小1)  中吉沢  
トラック山車1台 借りてくる
下吉沢712 八剣神社 4/10頃の日曜 トラック山車1台  
下吉沢712 八坂神社
(八剣神社内)
7/1土曜 神輿(大1、小1)  大人は祭礼時も収納されたまま
トラック仮装山車1台 借りてくる
例祭は7/7⇒7/7頃の土曜⇒7/1土曜。

 ■旭地区
     南(山背)地区:出縄、山下、万田、万田貝塚、高根
     北(小中)地区:公所(ぐぞ)、根坂間、河内、徳延、纏:明治9年、久松+松延+友牛
出縄436 粟津神社 4/2日曜 神輿(大1、小1) 
トラック山車1台
屋台廃絶 関東大震災以前はあった
関東大震災以前は神輿と山車があった。その後は神社で芝居と太鼓を打つくらいだった。
神輿=平成2年頃より大磯町虫窪の個人より神輿を借りて担ぐようになり、平成6年(1994)この神輿を購入した。
山下198(下山下) 若宮八幡神社 4/1土曜 子供神輿
トラック仮装山車2台
2/1日曜 祈年祭&春祭り
12/1日曜 感謝祭&秋祭り
山下401(上山下) 八幡神社 4/15頃の日曜 子供神輿 
トラック山車2台
2/3日曜 祈年祭&春祭り
 【山下団地自治会】
昭和35年4月に団地創建と同時に発足。県営住宅。平成28年(2016)現在、633世帯、約1200人、16棟あり。
創建当時より団地祭りがあり7月下旬開催。内容は不明。


 【平塚若宮ハイツ自治会】
昭和58年(1983)8月竣工。県公社。山下3丁目275。312戸ほどあり?。
2024 若宮ハイツ秋まつりは10月20日(日)11〜15時、山下西公園(山下3丁目30)で開催。キッチンカー、模擬店、シャボン玉ショー などがあったが神輿 等はないようである。
万田1、131 愛宕神社 4/1日曜 鳳輦 令和6年(2024)新調
神輿  宮神輿、子供神輿  
トラック山車1台
2/4日曜 祈年祭(春祭り)
地内は上万田(寺山)、下万田、小向に分れる。下万田には熊野神社がある。小向には蔵王神社があり例祭日は10/9だった。また小向自治会館の隣りには厳島神社があり、例大祭で神輿が立寄り神事が行われる。
神輿=明治初期に購入。作者不詳とされていたが、平成30年(2018)4月4日に元・平塚市立博物館館長の土井浩氏を呼び鑑定してもらう。
それには「干時文政元年戌寅六月吉祥日 相陽高座郡大庭之庄菱沼村 棟梁高橋儀右衛門」とあり、文政元年6月に高橋儀右衛門という大工が現・茅ヶ崎市菱沼の神輿を造り、その後万田に譲られたと思われる。

子供神輿=昭和57年(1982)小向子供会として作られた地元の人による手作り神輿だが、後に万田全体の子供神輿となる。
 【アメニティ湘南平】
万田602にある県営住宅。詳細不詳。
高根116 岩戸分神社 4/1日曜 子供神輿 
トラック山車1台
かつて太鼓も神輿も無く、例祭日に神社に集まりお酒を呑んで過ごしていた、芝居は例祭日が同じ4/3の下山下に見に行った。やがて昭和末期に子供神輿とトラック仮装山車を購入した。
公所148 公所神社 4/7頃の日曜 神輿(大1、小1)  明治6年、熊野社を改称
トラック山車1台   
例祭は4/7(大正15年〜)⇒4/7頃の日曜⇒4/1土曜⇒4/7頃の日曜
神輿=平成10年、町内の渡辺格一の手作り神輿。
根坂間148 八剣神社 9/27頃の土曜 トラック山車1台   
根坂間404 八坂神社 7/15頃の日曜 神輿(大1、小1)  浜降祭にも参加   
トラック山車1台 借りてくる
山車廃絶 昭和30年頃まであった
八坂神社は八剣神社の境外末社にあたる。八剣神社と八坂神社を通じる道は東海道新幹線の土手で切れて繋がっていないらしい。
神輿=江戸末期か明治初期に近隣某村より譲り受けたと云われる。作者不詳。
河内146 神明神社 10/2日曜 子供神輿   
トラック仮装山車
山車廃絶 大正期にはあった。
4/1日曜 祈年祭&春祭り
徳延369 徳延神社 4/3土曜 トラック山車(花車)2台 午後より花車が南北に分かれて廻る
山車廃絶 大正期にはあった。
3/13 祈年祭&春祭り
纒89(久松) 纒神社 4/28頃の日曜
(元・7/25)
子供神輿  
トラック仮装山車  
2/17 祈年祭
纒224(松延) 松延神社 4/28頃の日曜
(元・10月)
子供神輿2基  松延、川井の2地区 
トラック山車2台  
2/17 祈年祭
纒553(友牛) 八坂神社 4/28頃の日曜
(元・5/28)
子供神輿  
トラック山車  
2/17 祈年祭

 ≪中郡≫     
 大磯町
    大磯:大磯、東小磯、西小磯、高麗(こま)
    国府:国府本郷、国府新宿、黒岩、虫窪、西久保、寺坂、月京、生沢
大磯978 神明神社 7/14 例祭
西小磯279 八坂神社 7/2日曜(元・10) 神輿
山車2台 東、西 
東、西=分解して保管。外輪。 
高麗2丁目9−47 高来神社
公式FBへ
4/18頃の土日 山神輿
7/3日曜 神輿
船山車2台 隔年、西暦偶数年に出す 
氏子11町と神社名:高麗〔高來神社〕・山王町〔日枝神社〕、神明町〔神明神社〕、北下町〔浅間神社〕、南下町〔熊野神社〕、茶屋町〔愛宕神社〕、裡道〔白山神社〕、南本町〔南本町公民館)、北本町〔樟葉神社〕、東町〔福祉会館〕、長者町〔老人憩の家〕
山神輿(高麗山神輿保存会)⇒昭和53年(1078)3月25日、保存会発足。
平成9年(1997)修復。春祭りで御披露目。

 万灯神輿=昭和59年(1984)会員制作し、本会に寄贈。昭和60年(1985)1月1日、御披露目担ぎ。
平成13年からは夏祭りの宵宮で春祭りに渡御しないコースを担ぐようになる。
村神輿=明治5年(1872)松崎周助の作。大正11年(1922)大磯町山王町の塗師、中川師により漆塗り。平成6年(1994)3月27日、修復御披露目。

子供神輿=昭和4年(1929)御大典記念に制作。高橋守造の作。平成8年(1996)修復。春祭りで御披露目。
大磯1825(山王町) 日枝神社 1/15 神楽 隔年
大磯978(神明町) 神明神社 7/14 例祭
大磯1592(北下町) 浅間神社 4/8 神楽休止
大磯1532(神明町) 熊野神社 4/17 神楽休止 何も行われていないらしい
大磯1146(南本町・茶屋町) 愛宕神社 5/24 例祭
大磯1253(裡道) 白山神社 7/6 例祭
大磯1061(北本町) 秋葉神社 1/19&5/18 例祭
東小磯1006 御嶽神社 9/9頃の日曜 例祭
国府本郷995 六所神社
公式HPへ
9/4頃の日曜(1日除く) 神輿
5/4 国府祭
【国府祭】
県指定無形民俗文化財。5/5午前10時半頃、大磯町国府本郷の神揃山に相模の一宮・寒川神社(寒川町)、二宮・川匂神社(二宮町)、三宮・比々多神社(伊勢原市)、四宮・前鳥神社(平塚市)、五宮・平塚八幡宮(平塚市)の神輿が参集し、五穀豊穣を祈願する祭典が営まれる。そして正午の合図とともに『座問答』が始まる。
これは寒川神社と川匂神社が一之宮の座を争い、比々多神社の「いずれ明年まで」という仲裁の言葉で円満解決するというもの。仲裁の言葉以外は終始無言で行われるのが特徴。
 その後、祭場は神揃山南方の大矢場に移される。ここで六所神社からの神輿と五神社の神輿が集結し、総社である六所神社に納められる「対面の儀」が執り行われる。

国府本郷753(中丸) 八坂神社 7/1日曜 神輿(大小)
神輿=昭和45年(1970)頃、東京・浅草で修復。修復寄附で700万円集まったので、子供神輿を購入。
国府本郷1120−11(馬場) 守公神社 7/最終日曜 神輿 昭和60年(1985)頃購入。
例祭は6/20⇒7/20⇒7/最終日曜。馬場の自治会は「豊美丘・豊美丘西・神山東・神山西・南町・桜見北・桜見南・祇園塚北・祇園塚南」。
国府新宿 八坂神社 7/2日曜 神輿
国府新宿767(上町) 日吉神社 7/2日曜 神輿
『日吉神社神輿改装修復趣意書』には昭和7年7月15日新調、大工師 加藤音吉 彫刻師 山崎竹次郎。昭和53年9月吉日、神輿修復とある。
黒岩512 池野神社 4/9頃の日曜 神輿
芝居中止
2/26 祈年祭
例祭は旧9/8⇒10/9⇒5/9⇒4/9⇒4/9頃の日曜。集会所は元・神楽殿の跡に建造。戦前は芝居を買ってきたという。
虫窪354 菅原神社 3/最終日曜 神輿
余興
天王さん 子供神輿
例祭は旧9/25⇒3/25⇒3/最終日曜(31日を除く)。集会所は元・神楽殿の跡に建造。戦前は芝居を買ってきたという。余興は芝居を買った。戦後10年くらいは素人演芸をした。
西久保124 飯綱神社 4/4頃の日曜 例祭 往古は芝居を買った
天王様 7/15頃の日曜 子供神輿
天王様の子供神輿は昭和28年(1953)熊沢正幸の作。当初は子供の手作り。その後樽神輿。
寺坂771 八坂神社 4/1日曜 神輿
2/26 祈年祭
地内は4字「薬師下・薬師向・天神下・根下」からなる。例祭は7/9⇒4/9⇒4/1日曜。
生沢1401 鷹取神社 7/1日曜(元・8) 神輿(大中小)
トラック仮装山車2台
地内は「谷戸・東・西・月京」の4字あったが、月京は分離独立した。例祭は旧6/8⇒7/8⇒4/3(4/8の年もあり)⇒7/8⇒7/1日曜
大神輿=昭和58年、氏子の竹内師の作で奉納。
中神輿=中古を譲り受けたらしい。
子供神輿=氏子の竹内師の作で奉納。

 二宮町
    ⇒二宮(富士見が丘)、中里、一色(いしき。ニュータウンでは緑が丘・百合が丘)、山西〔字として梅沢・釜野・茶屋・越地〕、川匂(かわわ)
二宮86 八坂神社 7/2日曜 神輿
二宮峯岸1138−ロ 八坂神社 7/3日曜 神輿
二宮981(上町〔通り3町〕) 浅間神社 4/2日曜 例祭
二宮下浜瑞249(仲町〔通り3町〕) 守宮神社 4/2日曜 例祭
二宮稲荷台2209(下町〔通り3町〕) 秋葉神社 4/2日曜 神輿(中1、小1,子供4) 7月の八坂神社例祭に使用
トラック仮装山車
山車1台 昭和2年(1927)頃制作
通り3町で1基の神輿。また下町に神輿・トラック仮装山車・山車があるが八坂神社例祭に出す。
中里宮ノ窪886 明星神社 7/3日曜 神輿
トラック仮装山車
山車廃絶 老朽化廃絶。戦前はあり。人形は「加藤清正」。
一色兎沢625−2 八坂神社 7/16 神輿   
一色宮根1058 神明神社 7/3日曜 神輿   
神輿=明治26年(1893)川勾神社から10円の包み金で譲り受けたと伝わる。それ以前は神輿があったかもしれない。
山西宮ノ前759(山西) 八坂神社 7/2日曜 神輿  
例祭日は7/7⇒7/2日曜。元は八幡神社と称した。八坂神社は別の場所にあったが、一緒に祀るようになる。
山西宮山2122(川匂) 川勾神社
公式HPへ
10/2日曜 神輿 式内社、旧・県社
5/5 国府祭 相模国二宮の神輿
国府祭の神輿=昭和16年(1941)紀元2600年を記念して謹製。大山の宮大工の作らしい。以前のはもう少し小さく軽いと伝わる。
 【民俗芸能のつどい】
町内の雅楽や祭囃子、獅子舞、民謡踊りなどさまざまな民俗芸能を一同に会して発表する。
10月下旬、二宮町生涯学習センターラデ
アン ホールで開催。入場無料。令和6年(2024)で50回を数える。