熊 本 県

 ≪南部地方≫

八代地域⇒八代市、八代郡[氷川町]

芦北地域⇒水俣市、葦北郡[芦北町、津奈木町]

球磨地域⇒人吉市、球磨郡[あさぎり町、錦町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、五木村、山江村、球磨村]

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ■八代地域
 ≪八代市≫
  平成17年(2005)8/1、八代市+八代郡千丁町+鏡町+坂本村+東陽村+泉村が合併。
 ◎旧・八代市
        太田郷:片野川、片長、日置、萩原、横手、松江、井上
        植柳:植柳、麦島、大福寺
        松高:松崎、上高子原、下高子原
        郡築
        八千把:上野、大村、海士、田中、古閑
        高田:奈良木、豊原、本野、高下
        金剛:高植、弥次、敷川内(しきがわち)
        宮地:宮地、古麓、猫谷
        日奈久:日奈久町、日奈久、千小田
        二見:二見、下大野、洲口、赤松、野田崎
        龍峰:東川田、西川田、興善寺、岡谷川、岡中、岡小路
妙見町405 八代神社 11/22、23 神輿 上宮、中宮、下宮の三宮からなるが、現在は下宮が本宮である。
亀蛇1台 出町
笠鉾9台 宮之町、本町、二之町、通町、紺屋町、中島町、徳渕町・渕原町、平河原町、塩屋町
細川忠興が八代に入城後、寛永13年(1636)に神輿を造らせ、豪壮な祭礼神幸行列を復興させた。忠興の没後、八代城に入城した松井興長が細川家の請祭りとして祭礼を引き継いだと伝えられ、松井直之晩年の元禄期、この神幸行列に百姓衆の奴・町衆の獅子・笠鉾・亀蛇などがお供するようになり、今日の豪華な祭礼神幸行列の原型が成立した。
 ≪お上り行列 行事予定≫
(7:30〜)塩屋八幡宮出発
(8:30〜)ハーモニーホール(出町公園で演舞)
(9:00〜)八代駅前で子供獅子演舞
(9:30〜10:00)八代駅前到着と出発
(11:00〜)八代神社(妙見宮)到着
(11:00〜13:00)宮地小学校グラウンドで笠鉾・亀蛇・木馬・籠を展示
(12:30〜)獅子が砥崎河原で演舞
(13:00〜)行列が砥崎河原へ出発
(13:10〜17:00頃)砥崎河原で紹介および演舞
(14:30〜)獅子・神馬・神輿は中宮へ(中宮神事)
(19:99〜)本町札の辻で獅子演舞
亀蛇「出町」=長さ3m。幅2..2m。高さ2、5m。重さ約130kg。また顔の長さ0.88m。顔の幅0.55m。首の長さ1m。胴体の長さ2.5m。尾の長さ1m。しっぽの毛の長さ2m。明和・弘化時代に始まったと思われる。
 先代は市立博物館に展示。胴体は昭和15年制作。頭部は明治40年制作。
 【笠鉾】 町名、奉納出し物、現在の行政区、由緒、歴史の順。
宮之町「菊慈童」
=通町。戦前は消防組が運営。東組、西組に分かれ、交互に運営。
 菊慈童とは古代中国の皇帝のもとに仕えた少年で、ある山奥で菊の葉したたる水を飲んで仙人となり、700歳になっても子供のように若々しかったことを祝ったもの。
 墨書きで最も古いのは元文3年(1738)。そこでこの年創建と云われている。
明和元年(1764)〜弘化3年(1846)に再び製作か?。また嘉永7年(1854)に上層部、下層部の改造がされた。

本町「本蝶蕪」
=本町1、2丁目(1年交代)。以前は消防組が運営。
 笠鉾の上に本町の「本」という文字、「アゲハ蝶」そして「蕪」が飾られ、本町の商売繁盛と子孫の繁栄などを表している。
「八代紀行」の明和元年(1764)の条に記述されており既にあったことが分かる。 

二之町「蘇鉄」
=本町1丁目。蘇鉄は不老長寿と火除け、そして起死回生を祝う霊木とされ、優れた人物が現れ、土地や家門が繁栄する証として飾られる。
 「八代紀行」の明和元年(1764)の条に記述されており既にあったことが分かる。弘化年間(1846〜)以降は変化無し。 

通町「西王母」
=通町。西王母とは古代中国の神話の中で、崑崙山という西の果ての山に住み、不老長寿の薬を持っているとされている仙人で、人々の不老長寿を現している。
 延享元年(1744)の墨書きがあるので、この年に製作と思われる。また明和年間(1764〜)以降に再び製作または改造したらしい。
安政4年(1857)に大修復。 

紺屋町「猩々」
=本町1丁目。以前は消防組が運営。
 猩々は中国揚子江に住む想像上の動物で、どんなに汲んでも尽き無い酒壺を持ち、親孝行する者に褒美としてその酒壺を与えた。
「八代紀行」の明和元年(1764)の条に記述されており既にあったことが分かる。
ちなみに腕木の墨書きは安永5年(1776)とある。弘化年間(1846〜)に改造され現在に至る。

中島町「蜜柑」=本町1、2、3丁目。以前は中島町内会⇒中島町青少年笠鉾保存会(昭和51年〜)⇒中島町笠鉾保存会(平成3年11月〜)。
 蜜柑は1つ食べると千年も寿命が延びるというめでたい食べ物とされ、八代蜜柑は江戸期に細川家から宮中や将軍家へ、正月の献上品となっていた。
 墨書きで一番古いのが、蛇腹の宝暦3年(1753)で、手斧立とあるのでこの年創建と考えてよい。弘化年間(1846〜)以降にも改造され現在に至る。

徳渕町・渕原町「恵比須」
=本町3、4丁目。以前は消防組⇒徳渕・渕原・蔵の前(三町内の輪番制)⇒徳渕・渕原(二町内の輪番制)⇒二町内の合同(平成元年〜)。
 「八代紀行」の明和元年(1764)の条に作り物が「桐に鳳凰」より「恵比須」に替えたと記述されており、また恵比須頂部の内部の墨書きに、明和元年(1764)に大工 三平次により作られたとされる。また明和年間(1764)〜弘化年間(1846)以前に作り物以外を新調したらしい。

平河原町「松」
=本町3丁目、同4丁目。以前は消防組⇒平河原町笠鉾会。
松は「相生の松」とも呼ばれ、夫婦ともに白髪が生えるまで長く、そして仲むつまじく暮らせることを願っている。
「八代紀行」の明和元年(1764)の条に記述されており既にあったことが分かる。ただ記述が「孔雀」とあり、屋根形状も八角とある。
 現存の部材の最古の墨書きは上層部の部材「六歌仙」にある文化2年(1850)である。そこでこの頃に作り替えられたと思われる。ちなみに現在の頂部の作り物は「松」。
屋根形状は六角である。

塩屋町
「迦陵頻伽(かりょうびんが=八幡町、北塩屋町、中塩屋町、東塩屋町。行政上は塩屋町、本町4丁目、西松江城町。以前は消防組⇒笠鉾組合⇒昭和61年設立した塩屋町笠鉾保存会が運営で当番制。
極楽にいる大変美しい鳥で、この世が極楽さながらの世界でありたいという願いを表す。
「八代紀行」の明和元年(1764)の条に記述されており既にあったことが分かる。但し笠(屋根)は六角4段と記されている。墨書きでは道具入れが最古で天明6年(1786)である。弘化3年(1864)の絵巻では屋根は六角三段である。そして現在は八角三段と変遷している。
 【行列の順序】
獅子、奴、木馬、鉄砲、毛槍、神馬、篭、神幸奉行、甲冑武者、大麻、大太鼓、神官、笠鉾菊慈童、阿須波神、猿田彦神、奏楽大太鼓、奏楽、四神旗、金幣、弓矢、対のお槍、御太刀、神輿、長刀、紫の翳、菅の翳、中傘、斎主、笠鉾本蝶蕪、笠鉾蘇鉄、笠鉾西王母、笠鉾猩々、笠鉾蜜柑、笠鉾恵比須、笠鉾松、笠鉾迦陵頻伽、亀蛇、飾り馬
萩原町1丁目8−10 萩原天満宮
八幡町1−11 塩屋八幡宮 11/25 例祭 妙見祭の御旅所
上日置町2150 熱田神社 敷川内
植柳元町5248 植柳神社 例祭
郡築六番町48 郡築神社 10/15 例祭
竹原町2223 竹原神社 10/19 奉納相撲、子供相撲
豊原上町3011 豊葦原神社 10/15 例祭
二見本町695 二見神社 旧7/27 神様(御諏訪さん)がお舟でお着きになり、これをお迎えした16人が毎年1回秋祭りで酒を飲むことから始まった
敷川内町1630 大名持命神社
日奈久大坪町1917 日奈久阿蘇神社 10/15 子供相撲
日奈久上西町401 日奈久温泉神社 3/最終日曜 神輿、六郎太鼓奉納、各種演芸 日奈久温泉を発見した浜田六郎に感謝する祭り
11/15 演芸
日奈久竹之内町2677 竹内神社
川田町東2145 熊野座神社
 【日奈久温泉丑の湯祭り】
7/25、26、日奈久温泉で開催。主催は湯の里日奈久振興会。土用の丑の日に開催される「丑の湯祭り」は、日奈久温泉最大のお祭り。この日に入浴すると、「1回で1000回入浴したのと同じ効果がある」と言われている。
 ■前夜祭(25日)
会場は日奈久温泉神社イベント広場(桟敷席)。
壱番丑男(18:00〜。雨天中止)
参道大鳥居〜温泉神社境内までの競争(先着30名)。
抽選券付きうちわ配布(18:30〜)
丑の湯・太鼓フェスティバル(19:00〜。雨天の場合は日奈久中学校体育館)。
日奈久ひょっとこ踊り(21:30〜)。
 ■本祭(26日)
会場は日奈久温泉ばんべい湯(旧温泉センター)前。
神事(9:00)
神輿行列(9:50)
抽選券付きうちわ配布(18:00〜19:00)
丑の湯大綱引き。終了後に大抽選会。(19:00)
二見下大野町2411 二見下大野神社 旧7/27 例祭
 【八代の郷土芸能】
植柳盆踊り
=県指定無形民俗文化財。8月14火の夜に植柳小学校の校庭で踊る。
 江戸時代初期頃から始まったものといわれ、踊り手は黒い頭巾で頭を覆い、白い着物に黒い帯を締め、白足袋に下駄を履く。
 この出立ちからお盆に帰ってくる精霊を思い浮かべることで「亡者踊り」とも呼ばれている。楽器を使わずに口説き歌に合わせて躍るところに特徴がある。
 ◎旧・千丁町
      行政は太牟田(おおむた)、古閑出、新牟田、吉王丸(きちおうまる)
      自治会は16(上土・上外牟田・下外牟田・北村・太牟田塘・北吉王丸・南吉王丸・新牟田一・新牟田二・新牟田三・東牟田・西牟田上・西牟田下・二の丸・八代新地・川開)
千丁町太牟田上土374−1 岩崎神社 4/15 神事、神輿、餅投げ、カラオケ大会 岩崎主馬守忠久公に感謝し、遺徳を偲ぶ祭り。
千丁町古閑出 竜神社 10/5 女相撲
千丁町吉王丸469 日吉神社 2・7・10/9 例祭
 【い草の里まつり】
10月第3日曜、い草の里公園(千丁町新牟田)にて開催。2019年で38回を数える。主催はせんちょうい草の里まつり実行委員会((八代市千丁支所地域振興課内)。
歌謡ショー、い草みこし、子どもみこし、女性みこし、伝統芸能、抽選会など、多くのイベントが催される。
 【千丁の郷土芸能】
新牟田雅楽=市指定無形民俗文化財。新牟田雅楽保存会。明治12年より永年にわたり引き継がれ、八代妙見社、秋の大祭における神幸行列への参列や町の慰霊祭、種々の行事に参加し、郷土芸能として伝承されていまる。

銭太鼓=市指定無形民俗文化財。銭太鼓保存会によって伝承。
天明年間(1781〜1788)、八代地方は3年続きの大旱魃にみまわれた。そこで村の百姓たちは龍峯山に太鼓を持って登り、三日三晩願いを込めて雨乞い太鼓を打ち鳴らしました。
 満願の日、一天にわかにかき曇り盆を返すような大雨となり、村人も作物もようやく生気を取り戻した。
人々は、天の神に感謝し、一文銭を5〜6個入れた竹筒を振りながら舞い踊ったのが始まりと云われている。


女相撲
=市指定無形民俗文化財。千丁町古閑出。女相撲保存会によって伝承されている。随時に披露。
安政2年(1855)、二の丸八代新地の潮止め工事の時に、力士を集めて堤防を踏み固めさせたことから生まれたが、いつから女性が主役の「女相撲とり踊り」になったのかは不祥である。
 ◎旧・鏡町
       鏡:鏡町、鏡村、上鏡、内田、芝口、野崎
       文政:両出、貝洲、塩浜、宝出
       有佐:有佐、下有佐、中島(なかしま)、下村(しもむら)
鏡町鏡村1 印鑰神社公式HPへ 4/7(毎年) 神幸行列 鮒取り神事
鮒取り神事=市指定無形民俗文化財。第14代仲哀天皇(5世紀のはじめ)の頃、石川宿禰が九州平定のため、この地に来られた時悪天候で海が荒れ魚が捕れず地元の若者が「鏡ヶ池」に飛び込み鮒を献上し石川宿禰をもてなしたと言う故事にならう。
 印鑰神社大祭時に実施され、神幸行列のあと太鼓の合図とともに締め込み姿の若者が池に飛び込み鮒や鯉を取ったり、泥を見物人に投げたりする。
 その泥に当ると、無病息災に過ごせると云われている。取られた魚は、印鑰神社(祭神:石川宿禰)に献上される。
鏡町上鏡59−1 上鏡天満宮 9/下旬 獅子舞
獅子舞(上鏡獅子組保存会)=八代妙見祭の獅子舞にならって天保10年(1839)、宮原三神宮に奉納したのが始まりと伝えられ、昭和20年以前は三神宮の祭礼行事に先払いとして参加していた。
平成27年(2015)、宝くじコミュニティ助成事業の補助を受け獅子組衣装一式を新調した。
鏡町内田105 内田松尾神社 6/9&10/9 例祭
鏡町貝洲699 貝洲加藤神社 9/23 神幸行列 肥後大神楽、神馬、巫女舞、子供神輿、柔道大会 など
肥後大神楽=市指定無形民俗文化財。鏡町貝洲。野津手永惣庄屋「鹿子木量平」は、四百町新地の干拓を始める時に、工事が無事完成したならば城造りや干拓工事の名手であった加藤清正公の霊を新地に氏神様としてお迎えし、永久におまつりすることを誓いました。その四百町新地に引き続く七百町新地の干拓工事も無事終わり、清正公の霊は御祭神としてこの地に鎮座された。その神社の奉納として年3回の祭りのときに踊られている。
鏡町塩浜370 生目神社 3/3土曜&10/1土曜 例祭
鏡町有佐602 小路菅原神社
鏡町中島88 中野菅原神社
 【鏡の郷土芸能】
芝口大鞘節=市指定無形民俗文化財。文政4年(1821)の干拓のときに発祥したといわれる民謡を保存伝承している。
 芝口地区では「大鞘節」と呼んでいる。印鑰神社大祭奉納踊り・産業祭などに出演している。


芝口棒踊り=市指定無形民俗文化財。文政4年(1821)の干拓のときに芦北方面の人より伝授される。

 ◎旧・坂本村
        上松求麻:藤本 〔坂本、荒瀬、葉木〕、中津道 (鎌瀬、中津道、市之俣、川嶽)
        下松求麻:西部 〔い、ろ、は〕、深水〔い、ろ、は〕、中谷 〔い、ろ、は〕、鮎帰〔い、ろ、は、に、ほ〕
        百済来(くだらぎ):百済来上、百済来下、田上、鶴喰、川岳
坂本町葉木4370 藤本五所神社 10/25 例祭
坂本町葉木4539 藤本天満宮
坂本町西部い2920 古田阿蘇神社
坂本町百済来下675 久多良木神社 10/9 芸能奉納 臼太鼓踊り、棒踊り、相撲 など
各村が芸能奉納する。現在はカラオケ大会や踊りにわかに変わったが、以前は相撲や芸能を奉納した。
 【坂本の郷土芸能】
鮎帰地区雨乞い踊り=市指定無形民俗文化財。坂本町鮎帰地区で始まったと言われている雨乞い踊り。羽織姿で太鼓を持ちながら、鉦や笛、歌に合わせた踊りである。
元々氏神様への奉納の際や堂祭り、願立て、神事などで踊られていたが、次第に旱魃の時に、雨乞いをするために踊られるようになっていった。 

鶴喰地区棒踊り=市指定無形民俗文化財。文政13年(1830)、鶴喰地区の観音堂建立にあたって奉納されたのが始まりとされている。
 当初は臼太鼓踊りと共に奉納されていたが、現在は棒踊りのみ伝わる。
 代々、地区の長男にしか伝承されず、門外不出とされてきたことから、昭和46年には一時途絶えたが、昭和58年に復活され、神社や観音堂の祭りに奉納されている。
 
 ◎旧・東陽村
       種山:南種山、北種山、小浦
       河俣
東陽町南3466 若宮神社 7/25&10/9 例祭 旧・郷社
東陽町北畑中 菅原神社 消防団員による宮相撲
東陽町河俣2620 河俣阿蘇神社 10/18 稚児舞い、小学生による宮相撲
 【東陽しょうが祭り】
10月下旬、8:30〜15:00、石橋公園(東陽町南1041)で開催。主催は東陽しょうが祭運営委員会事務局。
昭和50年より始まり、2019年で45回を数える。
東陽町の特産品である「しょうが」の販売をはじめ、八代地域の農産物や加工品、特産物などの販売も行なわれる。
その他、しょうがみこしや、園児みこし、お楽しみ抽選会、歌謡ショーなどイベントもある。
 【東陽の郷土芸能】
坂より上棒踊り=市指定無形民俗文化財。河俣。源平合戦に敗れた平家の落人が坂より上地区に住みついて、村びとたちに農民の武術として教え、伝えたのが始まりといわれている。
 落人が亡くなった後、その死を惜しみ、花棒踊りを加えて村びとの平和を祈願して踊りはじめられた。
 ◎旧・泉村
       ⇒柿迫(かきざこ)、下岳、栗木、久連子、椎原(しいばる)、仁田尾、葉木(はき)、樅木(もみぎ)
           ※五家荘は、泉村東部の山あいに散在する久連子・椎原・仁田尾・葉木・樅木5地区の総称。
泉町柿迫4830 柿迫神社 旧・6/15&11/15 岩奥神楽
岩奥神楽=県指定重要無形民俗文化財・市指定無形民俗文化財。
明治43年頃甲佐町の神官赤星氏により伝授されたという。肥後神楽の流れをくむようだ。
踊りは式神楽(三座神楽)、真栄木(手草の舞)、剣弓、二剣、長幣(四すい)、宝剣、羽々天、神宜歌、四剣(八剣)、四方拝(前神楽)、国津(二天の舞)、地鎮の舞の12種類ある。
泉町下岳1569 下岳神社 7/29 保育園児の神輿
神賑 相撲、カラオケ大会など
泉町下岳169 本屋敷神社 11/1日曜 本屋敷神楽 市指定無形民俗文化財
本屋敷神楽(本屋敷神楽保存会)=市指定無形民俗文化財。11月第1日曜。以前は11/14の夜〜15にかけて奉納。
集落には寛永6年(1629)の旗がある。
天照大神の神話に因み、太鼓や笛、シンバルなどが奏でる音楽に合わせて、天岩戸が開き、朝日が差し込んだことを喜んで舞う。
本屋敷地区の小・中学生が御幣を持ち、楽に合わせて拝殿の中を左回り3回、右回り3回を1セットとし、12セットを約6時間かけて奉納する。
泉町栗木2421 栗木六大神社 12/1卯の日 子供相撲 昭和初期までは宮司4名が笛、太鼓で神楽の舞を奉納
泉町久連子70 久連子阿蘇神社 8/15&9/1&11/3 久連子の古代踊り 国選択・県指定無形民俗文化財
古代踊り=国選択・県指定無形民俗文化財。平家の落人達が都を偲んで舞い踊ったものと云われ、久連子鶏の黒い尾羽で飾った笠と袴姿で鐘や太鼓を鳴らしながら舞う。
泉町椎原4 椎原神社
泉町仁田尾118 仁田尾神社
泉町葉木 葉木神社 11/2土曜(元・旧10/17 葉木神楽 市指定無形民俗文化財。24種の舞あり。
葉木神楽=宮崎県の岩戸神楽をルーツとする。昔は33種類あったが、現在24種類残る。
泉町樅木1 樅木神社 10/25 樅木神楽 市指定無形民俗文化財
樅木神楽=在舞われている神楽は「宮神楽」、「飯神楽」、「壱神楽」、「日当て神楽」、「扇」、「剣の舞」、「盛神楽」、「扇の舞」、「柴神楽」、「大神」、「轟」、「鬼神」、「神〆」の十三番。

 ≪八代郡≫
 氷川町
  平成17年(2005)10/1、八代郡竜北町+宮原町の合併で誕生。
 ◎旧・竜北町
         吉野:大野、吉本、高塚、新田
         野津:西野津、北野津、南野津、東野津
         和鹿島:網道(あみどう)、鹿野(かの)、鹿島、
島地
大野690 菅原神社
高塚971 高塚熊野座神社
新田382 新田神社 神輿
野津4063 菅原神社
網道1410 古塘神社
鹿野南鹿野 天満宮 子供相撲
鹿島99 菅原神社
島地880 島地八幡宮
 【竜北の郷土芸能】
雨乞い太鼓=町指定無形文化財。高塚乱橋地区に伝わる。江戸時代の大旱魃の際、水乞いのため農民たちがドラや太鼓を打ち鳴らして、恵みの雨を降らせようとしたものだと思われる。今ある太鼓は明治16年に作られたもので、直径が124cmもある。
 ◎旧・宮原町
        ⇒宮原栄久(旧・宮原町)、宮原(旧・宮原村)、立神、今、早尾、拵(かこい)
宮原492 宮原三神社 10/13(毎年) 神幸行列   
亀1台 原田
三神宮が創建された応保元年(1161)から毎年10月13日に開催される。
獅子・神楽・神興・甲冑武者・奴・子供神輿・亀蛇などの神幸行列(三神宮〜商店街〜川原神社)が行われ、境内では、獅子舞・神楽・巫女神楽が奉納される。
神幸行列=獅子(雄、雌)、神馬(飾り馬)数頭、神輿、祭員(神楽・巫女・氏子総代役員等)、甲冑武者、亀1台。
亀(原田)=明治13年小川町出来町より購入。昭和55年原田の人たち総出で修理。その時に亀の衣装の胴巻きより祭典に奉納の幟旗が出てきて、それには文化7年出来町と書かれていた。
宮原783 井出神社 12/4 例祭
立神974 熊野座神社 10/9 稚児神楽 集落を7組に分けて1年交代
今320 今天神社
早尾454 服巻田神社
 【宮原の郷土芸能】
早尾のすっきょん行事国選択無形民俗文化財。宮原町大字早尾に伝わる。
成人式の奇習で、大きな男性性器の模型が使われている点で、耳目を引き立てるが詳細は不祥である。


川上の餅つき=町指定無形文化財。立神の川上地区。江戸時代の終わりごろ、山伏が困っていた時にこの地区の人が助けたのでそのお礼として教えたとも、某所より習い覚えたとも言われている。
西南戦争の時、餅つきに関する記録や道具類が焼失したため、文面は無いが、今日まで伝わっている。
 その踊りは10人ぐらいの男性が1個の臼の周りを飛び回る動作である。以前の衣装は棕櫚の皮などを纏っていたが、現在では浴衣に変わっている。
 雨乞いの行事に行われているが、慶事ごと(建物の落成祝いや道路の開通祝いなど)にも披露される。

 ■芦北地域
 ≪水俣市≫
      水俣:大迫、初野、陣内、長野、中鶴、石坂川、市渡瀬、宝川内、浜、江添、南福寺、袋、湯出、小津奈木、月浦、長崎、深川、薄原、葛渡
      久木野:古里、大川、越小場
八幡町3丁目3−1 水俣八幡宮 4/18 奉納相撲 浜八幡宮とも称する
古城1丁目13−21 陣内阿蘇神社 4/19 奉納相撲
長野町3−1 水俣諏訪神社 4/20 奉納相撲 旧・郷社
水俣三社祭り=水俣の三社である八幡神社、阿蘇神社、諏訪神社の祭りで、毎年4月中旬に開催される。当日は各商店街は歩行者天国となり、露店が開かれるほか、特設ステージでは郷土芸能大会などが繰り広げられる。また各神社でも奉納舞踊大会などの神賑が行われる。
塩浜町5 塩釜神社 9/24 例祭
往時は当地で製塩を行っており、例祭日は塩田の労働に明け暮れていた人々も、この日は仕事を休み、ごちそうを持って境内で行われる相撲見物に出かけた。現在は、地元19区寄ろ会の皆さんが、年に一度の大祭に合わせて、境内で昔ながらの塩焚きを再現しています。できた塩は神社に奉納され、また地域の方々にも配られる。
祇園町1−27(旧・浜) 祇園神社 7/19 踊り
市渡瀬1264 市渡瀬八幡宮 10/15 例祭
宝川内665 新屋敷神社 10/16 例祭
袋1872 袋村菅原神社 11/2 例祭
小津奈木1360 石神神社 9/21 例祭
深川952 深川神社 11/3 例祭
薄原1097 薄原神社 11/3 例祭
大川 大月山神社
越小場53 久木野住吉神社 10/21頃の日曜 奉納相撲
 【恋龍祭水俣みなと祭り(公式HPへ)】
 水俣の真夏の祭典で、毎年7月下旬に開催される。主催は恋龍祭実行委員会事務局(水俣商工会議所内)。
パレード、仮装、神輿などが出て、夜は海上花火、総踊りが繰り広げられる。
 昭和31年5/1、水俣港が国際貿易港に指定されたことを記念して、汐見町の金毘羅さんに航海安全を祈願する“みなとまつり”が始まり。
 やがて昭和61年に市民みんなが参加出来る祭りにしようと、水俣湾に浮かぶ恋路島の恋と龍山の名を取り“恋龍祭水俣みなと祭り”が始められた。
山の金毘羅さんが雨乞い太鼓の山車に乗り中尾山(龍山)より降りて来て汐見町の金毘羅さんと水俣駅にて出会うという設定である。
 【水俣の郷土芸能】
袋棒おどり=袋。市指定無形民俗文化財。天正12年(1584)3月、島津軍が島原に出兵した際、若き武将の川上左京が袋湾から船出した折に、村人がその門出を祝い、武運を祈って踊ったことに始まるとされる。ちなみに水俣には市街地の古賀をはじめ月浦・湯出方面・久木野方面などにも古くから(注1)棒踊りがあるが一番代表的な棒踊りである。
  (注1)早いものは永禄年間(1558〜1570)。遅いものは明治初期に伝わった地区もあるとされる。

宝川内の臼太鼓踊り=宝川内。市指定無形民俗文化財。文化7年(1810)代官の深水家9代の吉左衛門(頼永)を囲み、豊年を祝って踊ったのが始まりとされる。鎧・兜に身を固めた30人ほどの踊りてが二重の輪になり、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら踊る。
大正12年、宝川内道路完成祝いを最後に永らく途絶えていたが、昭和53年、54年ぶりに復活した。

 ≪葦北郡≫
 芦北町
  平成17年(2005)1/1、芦北町+田浦町が合併。
 ◎旧・芦北町
       佐敷:佐敷、大尼田、桑原、田川、立川、鶴木山、計石、芦北、花岡、乙千屋、白岩、伏木氏、松生、道川内、宮浦、八幡
       吉尾:吉尾、上原、大岩、海路、黒岩
       大野:天月(あまつき)、市野瀬、大野、国見、塩浸、白木、白石、告
       湯浦:大川内、高岡、豊岡、古石、丸山、宮崎、女島(めしま)、湯浦、米田
花岡10 佐敷諏訪神社公式HPへ 4/27、28 神輿
27日は神輿、葦北鉄砲隊、郷土芸能奉納。28日は九州選抜高校相撲選手権大会、赤ちゃん土俵入り
乙千屋574 天子宮
白岩1058 白岩天神宮 旧・9/吉日 例祭
宮浦1221 宮浦阿蘇神社
天月1211 天月神社
宮崎255 湯浦諏訪神社 4/23 女相撲
女島1839 矢房神社
 ◎旧・田浦町
        ⇒田浦町、田浦、小田浦(こだのうら)、海浦(うみのうら)、横居木、波多島(はたとう)、井牟田
田浦町641 浜町八幡宮
田浦1250 田浦阿蘇神社 11/18 神輿、郷土芸能奉納
小田浦2371 小田浦阿蘇神社 11/18 神輿
海浦字前田 海浦阿蘇神社 旧・9/21 神輿
波多島207 波多島矢具神社
井牟田1800 金山神社

 津奈木町
      ⇒岩城、津奈木、小津奈木、千代、福浜
岩城446 津奈木阿蘇神社 4/15 例祭
津奈木790 津奈木諏訪神社
小津奈木 小津奈木神社
福浜195 赤崎日羅将軍神社 11/3 例祭

 ■球磨地域
 ≪人吉市≫
      人吉:人吉町五日町、老神町、鍛冶屋町、上新町、紺屋町、九日町、下新町、新町、大工町、寺町、土手町、中城町、七日町、二日町、灰久保町、原城町、麓町。南町、願成寺町、南泉田町、鬼木町、北泉田町、鶴田町、上青井町、瓦屋町、駒井田町、下青井町、城本町、中青井町、井ノ口町、合ノ原町
      藍田:木地屋町、古仏頂町、浪床町、東間上町、東間下町、東間上町、西間下町、蓑野町、赤池原町、赤池水無町、蟹作町、七地町、東大塚町、上漆田町、下漆田町、東漆田町、大畑麓町、大畑町、矢岳町、上田代町、下田代町、段塔町、大野町
      西瀬:田野町、西大塚町、下城本町、上薩摩瀬町、相良町、宝来町、鹿目町、上戸越町、下戸越町、上永野町、下永野町、矢黒町
      中原:上原田町(字に上原・牛塚・尾崎・尾曲・菖蒲・馬氷・馬草野)、下原田町(字に荒毛・上野・瓜生田・嵯峨里・西門・羽田・堀)、中神町(字に大柿・小柿・城本・段・段山・馬場)、温泉町、上林町、下林町、中林町
上青井町118 青井阿蘇神社公式HPへ 10/3〜11 神幸式 おくんち
9日の御神幸行列がメイン。チリン旗を先頭に、獅子、御神宝、神輿、神馬、稚児などの長い行列が、人吉の中心市街地を練り歩く。
チリン旗=剣鉾のこと。九州では数少ない。往古は例祭日に一般民衆の境内立ち入りが許されず蓮池の周りだけを巡幸する静かな神事だったが、大正から昭和にかけてに現在の祭礼に変更した。この時に導入したと思われる。
井ノ口町949 井口八幡宮 11/5 虎踊り
東間上町3799 岩屋熊野座神社 11/29 例祭
赤池水無町590 赤池菅原神社
下田代町1335 中島阿蘇神社
上薩摩瀬町335 薩摩瀬神宮 11/28 例祭
下戸越町1056 唐渡神社 11/25 例祭
矢黒町1765 矢黒神社 10/29 例祭
中神町659 白木神宮
中林町610 遙拝阿蘇神社 10/19 球磨神楽

 ≪球磨郡≫
 あさぎり町
      上:上東(上村上甲)、上北(上村上乙)、上南(上村上丙)、上西(上村上丁)、皆越(上村皆越)
      岡原:岡原北(岡原村宮原)、岡原南(岡原村岡本)
      須恵;覚井(石坂・上手・覚井・今村)、屯所(屯所・湯原・浜の上)、阿蘇(阿蘇・諏訪原・平山・松尾)、寺池(中島・竹原・川瀬)
      深田:深田北、深田西、深田東、深田南
      免田:免田東(免田町甲)、免田西(免田町乙)
           ※()内は旧称
上南3029 上村白髪神社 11/3 球磨神楽
神賑 子供みこし、弓道大会、球磨拳大会、子ども会による相撲大会
皆越324 皆越白髪神社 11/28 球磨神楽 中宮にあたる
岡原南62−3 岡原霧島神社 10/30 球磨神楽
須恵2737 須恵諏訪神社 10/26 球磨神楽
深田(下里791) 深田阿蘇神社 球磨神楽
免田東4121 築地熊野神社 球磨神楽
免田西1579 岡留熊野座神社 11/8 球磨神楽
 ●球磨神楽
国選択無形民俗文化財。秋例大祭前夜に奉納される神楽で、あさぎり町では須恵諏訪神社、岡原霧島神社、深田阿蘇神社、上(村)白髪神社、岡留熊野座神社、築地熊野神社、皆越白髪神社の7神社に奉納。三番神楽、棟方、笛揃、大幣など17番を伝承し、採物舞(とりものまい)という古風なもので、神懸かりの要素を強く持った神楽。

 【あさぎりの郷土芸能】
塚の脇虎踊り=町指定無形民俗文化財。上西 塚の脇で伝承。虎退治の踊り。虎、旗持ち、太鼓、六部、武士、唐団扇、太刀持ち、槍持ち、棒持ち、商人の役がある。
第1景は道踊りで鉦太鼓を打ちながら庭入りし、第2景は商人、六部の会話。第3景では武士が虎に襲われ虎を取逃がすが、六部の祈祷、村人の力を踊りで表現し虎退治が終結する珍しい踊り。


植深田臼太鼓踊り=町指定無形民俗文化財。球磨地方に伝わる球磨の臼太鼓踊りの一つ。深田東、植の里、深田の植深田・下里・庄屋の3地区に伝承。
頭・脇・関の役がありそれぞれに鉦打ちの子供が付添う。源平の戦いを表現するとされ、仮想敵は仮鬼と称し、同じく頭・脇・関役がある。平家の落人が昔を偲んで神の前で踊ったのが始まりと云われる。


久鹿の太鼓踊り=町指定無形民俗文化財。免田東、久鹿で伝承。
球磨地方に伝わる臼太鼓踊りのひとつで、起源は明らかでない。平家が壇ノ浦の合戦で敗北し、京都の生活を偲んで踊ったとも、また、人吉の元昌和尚(犬童氏)が日向国臼杵郡に伝わる太鼓踊りを西藍田に持ち帰って教えたものが各地に伝わったとも云われる。臼太鼓踊り、ガンガラ踊りの2種類がある。


九州相良古代踊り=町指定無形民俗文化財。二子地区に伝承。人吉藩主相良氏が踊りの名を命名したという。
球磨地方に伝わる太鼓踊りの一つで起源は明らかでないが、士気を高める目的で踊られたという。
踊りは、太鼓を抱き、リズミカルで躍動的なガンガラ踊り(左先、右先、もらし(間の手))である。二子地区では、継承活動として町行事で披露している。


才園太鼓踊り=町指定無形民俗文化財。永才才園地区に伝承。ガンガラ踊りという。起源については明らかでない。雨乞い、豊作祈願で踊られた。頭(カシラ)、脇(ワキ)、関(セキ)が一緒になり円形の一列になって踊る。唄は羅生門の歌詞で、「音に聞こえし羅生門 さて また聞こえし大江山 大江山と申するに 鬼人が住んでわざをなす・・・・」と唄う。現在では、妙見祭で披露されている。

草津山の棒踊り=町指定無形民俗文化財。草津山地区に伝承。隊列を組み、中央列は鎌と太刀を持ち、その左右列は棒を持ち唄に合わせて踊る。踊り歌には、地現流、鎌倉流、三八流があり、唄の変わる毎に踊りの動作も変わる。鹿児島県姶良郡出身の田中喜左衛門が、明治10年の西南戦争で、郷里に帰る事ができず草津山地区に数年逗留し姶良郡の棒踊りを伝えたという。

庄屋の猿踊り=町指定無形民俗文化財。庄屋地区に伝承。
竹と紙で作られた笠を被り、赤の股引を着用し、猿面を付けた親猿1人と多数の小猿によって構成。踊りは、唄に合わせて親猿が踊り、小猿がそれを真似て踊る。その仕草がひょうきんで喜劇的。所用時間10分。

浜ノ上臼太鼓踊り=町指定無形民俗文化財。須恵、浜の上地区に伝承。現在、休止中。
旧相良藩の武道奨励と士気鼓舞のため、源平合戦の再現、農民の五穀豊穣の祈願だとする説がある。太鼓、鉦打ち、仮鬼で構成される。

 
 多良木町
      ⇒多良木、奥野、久米、槻木、黒肥地
多良木281 多良木菅原神社
恵比須神社 10/20、21(毎年) 大人神輿9基、子供みこし6基
奥野1411 奥野白木神社 11/中旬 球磨神楽  
久米1098 久米熊野座神社 11/5(毎年) 神輿
神輿渡御や太鼓踊りから始まり、神賑として球磨拳大会や居合演武、剣道大会、子供相撲大会、地元の園児による和太鼓、国の指定無形民俗文化財である「球磨神楽」の奉納が行われ、神楽の後に餅まきもある。
槻木716 槻木菅原神社 11/24、25(毎年) 子供神輿
球磨神楽
前夜祭:竹灯籠が並ぶ境内で19時頃から神事。その後に餅投げ。
本祭:奉納弓道、子供神輿、ビンゴゲーム、カラオケ大会、夜には舞の奉納、ひょっとこ踊り、エイサー太鼓、民謡、三味線の演奏、ダンスなどの神賑。
黒肥地1278 王宮神社(黒肥地神宮) 11/9(毎年) 神輿 縁日
 【多良木の郷土芸能】
臼太鼓踊り=県指定無形民俗文化財。中原、青木、伏間田。十五夜踊りが風流化したものが起源とされています。
江戸時代の人吉藩主によって、武道奨励・士気鼓舞のため踊られていたと伝わり、内容は源平合戦等を表現したものである。


太鼓踊り=町指定無形民俗文化財。葛沢、東光寺、上槻木。
背中に「からいもん」と呼
ばれる矢旗を背負って踊る。
元々は念仏踊りで旧暦の8月15日に十五夜行事として踊られていた。宮崎地方から伝えられたとされ、明治の頃にはすでに踊られていた。


大久保の棒踊り=町指定無形民俗文化財。3列縦隊で踊るこの踊りは、両側が6尺棒を持ち、真ん中が鎌を持つ。江戸時代後期から明治初め頃、八代市高田の踊りを受け継いだと言われている。

 錦町
   ⇒西・一武、木上(きのうえ)
     ※区分は公民館
   【公民館の区分】
 ■西
第1分館⇒無田の原・一丸・上一丸・京の峰・久保宇野
第2分館⇒大正・木揚・今山
第3分館⇒上黒辺田野・下黒辺田野・鍋山・永野
第4分館⇒上大鶴・下大鶴
第5分館⇒上井手の口・下井手の口・指杉
第6分館⇒上松里・下松里
第7分館⇒中福良・下須・駅通り
第8分館⇒久保・内門・大王三条
 ■一武
第9分館⇒上平岩・下平岩・浜川・東方
第10分館⇒土屋・覚井・元忠ケ原・小川
第11分館⇒栄・上忠ケ原・中忠ケ原・下忠ケ原
第12分館⇒東下原・西下原・原田川
第13分館⇒昭和・切原野・狩政・別府
第14分館⇒上本別府・下本別府・中島・山仁田
第15分館⇒横山・中原
第16分館⇒東原・西原・内村
第17分館⇒上福島・下福島・駅通り
第18分館⇒上平良・下平良
 ■木上
第19分館⇒平野
第20分館⇒平川・目郎・荒田
第21分館⇒高原
第22分館⇒覚井・馬場・岩城
第23分館⇒迫・野間・滝の水
第24分館⇒山下・由留木・上十日市・下十日市
第25分館⇒新立・白坂・緑ケ丘
第26分館⇒平岩・村松
西1138 西村大王神社 11/18 大王三条踊り 第八分館
一武1193(第16分館) 一武八幡宮 11/20 子供みこし 戦前は相撲、神楽、弓道 などで賑わった
子供みこし=11月20日の一武八幡神社例祭に合わせて実施。平成初期に上忠ヶ原地区の班行事として始まり、その後11分館子供会の行事となる。例祭の早朝、6年生の児童が一武八幡宮に参拝し、2 基の神興と共に御祓いをうけ、その後二手に別れて分館内を練り歩く。行列には6年生児童だけではなく、子供会の児童とその兄弟も加わる。
 なお2基の神輿は当時の保護者による手作りである。
一武3381 山神社 6/18 例祭
木上2294 木上加茂神社 11/23(元25) 例祭
木上東字荒田705 荒田大王神社
木上東282(第22分館) 木本神宮 12月 例祭 馬場・岩城の鎮守
由留木(木上西字加茂2294) 加茂神社
 【消滅集落】
大平=一武の字。昭和55年頃に無住化。最盛期の昭和29年は45戸、171人。

大平尾=一武の字。昭和40年頃に無住化。営林署廃止の影響。最盛期の昭和35年は161人。
 【錦の郷土芸能】
七分館建築踊り=戦後間もなく下須の女性が今の相良村梁瀬よりその当時2円で踊りを伝授してもらう。当時は下須建築踊りの名称。一時途絶えるが、昭和52年、7分館全ての地区が加わり、7分館建築踊として再出発。

浜川太鼓踊り=一武字浜川。公開日 等は特に決まっていない。

下原女相撲=一武字下原。江戸時代に農業用水路「百太郎溝」の開削工事の休み時間に、女性たちが遊びで. 始めたのが起こり。

福島虎踊り(17分館福島虎踊り保存会)=一武字福島。町指定無形民俗文化財。公開日 等は特に決まっていない。人吉市井口町より伝わったとされる祝いの踊。

岩城の臼太鼓踊り=木上字岩城。公開日 等は特に決まっていない。
 【錦町ふるさと祭り】
11月初旬土日、錦町民グラウンド(一武1587)で開催。主催は錦町ふるさと祭り実行委員会。2023年で46回を数える。
子供みこし、サンバdeにしき 総踊り、芸能ショー などがある。

 湯前町
    町内に大字は存在しない
5131−11 安牧神社
下城3280−1 里宮神社公式HPへ 11/14、15 神輿
球磨神楽、太鼓踊り、浅鹿野棒踊り
地元中学生が「球磨神楽」、「太鼓踊り」、「棒踊り」を奉納。
どっこい祭=県内第二の高山、市房山 (1、772m)の中腹、球磨郡水上村湯山に鎮座する市房山神社の遥拝所を移したもので、祭は山岳信仰の古式を伝えて、前夜、球磨地方全域から道者と称せられる登拝者がお岳参りを行い、上り下りに「お岳ご参詣ドッコイ、お岳参りというて家を出たが、お岳名付けてじつは気慰みよえやードッコイ」とたう。祭当日、神輿が里宮を出て町内を巡行するが、ここでも駕與丁が「お岳ご参詣ドッコイ…」の歌を歌うので、どっこい祭と呼ばれる。球磨地方の民俗芸能の棒曲や太鼓曲も奉納される。
 【湯前の郷土芸能】
浅鹿野棒踊り=町指定無形民俗文化財。明治38年頃、多良木町前原より林田芳太郎氏が習い伝えたと云われている。
演目は道あげ、鎌倉、次源次棒揃、太刀棒揃、帰り唄。大人4人が棒、子供2人が釜を持ち、これを一組として三組18人が三味線・太鼓・笛・唄に合わせて踊る。

 水上村
    ⇒湯山、岩野、江代
湯山413 茂間ヶ崎神社 12/14 球磨神楽
湯山1426 市房山神宮 12/14、15 球磨神楽
上楠(岩野3053) 岩野霧島神社 11/3 球磨神楽 上楠臼太鼓踊り
江代1364 白水阿蘇神社 9/23 白水神楽
  【郷土芸能】
上楠臼太鼓踊り
=村指定無形民俗文化財。岩野上楠。こうやまち踊りとも言われ、口伝により踊り手の役は農家の長男に限られていた。踊り用の太鼓(頭、関、脇)や鐘(小児用)兜や衣装等一切の道具が残り、人伝えで継承されている。昔より岩野八幡神社の大祭や雨乞い、時には村内の大行事、郡内の寺等に奉納されている。

川内平家踊り=村指定無形民俗文化財。岩野川内。平家の落人によりその昔をしのんで歌い踊ったものを明治中期頃、衣類かぶり物を踊りに合わせ作られたと伝えられている。

白水神楽=村指定無形民俗文化財。江代平谷。宮崎県椎葉村の小崎地区に伝えられていたものを同地区出身の服部氏が古屋敷地区に移住され、満40歳の厄入りの記念として白水神社に奉納されたのが始まりといわれ、以来地元青年により受け継がれ、10人の舞子により伝承されている。白水阿蘇神社例祭に奉納。

千ヶ平虎踊り=村指定無形民俗文化財。江代千ヶ平。大正初期頃、谷山亀治氏(当時50歳)が千ヶ平の広瀬に牛山(牛で木材等を運搬すること)に来ていて、古屋敷小学校の屋根葺替えの落成式にと、千ヶ平住民に13種目の踊りを指導されたと伝えられている。落成式等に奉納されてきた。

 
 相良村
    川:川辺、深水、柳瀬(
    四浦
永江(川辺5886 雨宮神社 12/2日曜(元・旧12/18) 子供神輿
永江臼太鼓踊り
川辺2444 川辺厳島神社 11/20 例祭
深水2180 山本神社
柳瀬2240 十島菅原神社 11/3 神賑(カラオケ大会、太鼓 など)
井沢(柳瀬271) 井沢権現社
柳瀬 蓑毛菅原神社 旧6月・8/25 例祭
晴山(四浦1598) 北嶽神社 9/23 ひひ踊り
ひひ踊り=古くから伝わる「ひひ退治」の伝説を、戦後、晴山出身の作家小山勝清が演劇として上演。その後途絶えるが、勝清の子女、小山ナヲエが中心となって新しく創作し、昭和57年11月の初申日(猿祭り)に30年ぶりに復活。その後は毎年、秋の大祭で奉納されている。
 五木村
    大字は存在しないが、村内は甲・乙・丙の3地区に分かれている
甲2997−39 五木阿蘇神社 10/15 例祭
平成16年、川辺川ダムにより水没予定地の三社、旧頭地の下手地区の東俣阿蘇神社、旧頭地の久領地区の西俣阿蘇神社、清楽の白木神社を合祀した。

 山江村
    ⇒山田、万江
山田甲1514 山田大王神社 11/4 例祭
万江甲18 万江阿蘇神社 11/10 球磨神楽
 球磨村
     一勝地:一勝地、三ヶ浦
     神瀬:神瀬(こうのせ)、大瀬
     渡(わたり)
一勝地丁259 柴立姫神社 旧・3/4 例祭 お茶、御神酒のふるまい
一勝地甲421 一勝地阿蘇神社 11/9 例祭
神瀬甲820 岩戸熊野座神社 4/3 神事、直会、子供相撲など 洞窟に鎮座
神瀬乙4 神瀬住吉神社 11/9 例祭
大瀬268 大瀬阿蘇神社 11/12 例祭
乙73 渡阿蘇神社 11/15 例祭
 
 ★展示場
 【八代市立博物館 未来の森ミュージアム】(公式HPへ
八代市西松江城町12−35。TEL0965(34)5555。10:00〜〜1700(入館は16:30まで)。休館日は月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日〜1月3日)その他臨時休館あり。入館料は大人400円。
妙見祭祭礼神幸行列人形模型、亀蛇展示。