京 都 府

 ≪京都市≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪東山区≫
祗園町北側625             八坂神社    7/1〜31    
【山鉾巡行】=7/17
山鉾32基    長刀鉾、霰天神山、占出山、蟷螂山、凾谷鉾、山伏山、木賊山、芦刈山、菊水鉾、白楽天山、保昌山、太子山、月鉾、 郭巨山、綾傘鉾、伯牙山、鶏鉾、 孟宗山、油天神山、放下鉾、岩戸山、舩鉾、北観音山、橋弁慶山、鈴鹿山、浄妙山、鯉山、黒主山、役行者山、八幡山、南観音山、四条傘鉾
※ 朝9:00より長刀鉾を先頭に32台の山鉾が四条烏丸を出発し、河原町通を経て御池通へ。新町通を左折して3時間かけて終着地点へ。
※詳しくは祗園祭のページへ
五条橋東5丁目480 若宮八幡宮社 5/1日曜 子供による神輿巡幸
清水1−317 地主神社 5/5 神幸祭  
剣鉾1本 菊鉾 
午後1時より地主神社の幟を先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。午後2時過ぎには神社に戻ります。
今熊野椥ノ森町42 新熊野神社 5/5 神幸祭 鳳輦、鼓笛隊、稚児武者、獅子神楽、子供奴、子供みこしなど
大和大路通四条下ル小松町125 京都ゑびす神社
公式HPへ
5/3日曜 神幸祭 氏子36ヶ町を巡行。氏子は建仁寺から五条通までの区域であるが、八坂神社・伏見稲荷大社、新日吉神社とも氏子地域が混在。
剣鉾7本 唐扇鉾、兎鉾、博團山、龍鉾、柏鉾、松月鉾、菊鉾 
唐扇鉾、兎鉾、博團山、龍鉾、柏鉾=北御門町
松月鉾=東轆轤町・中轆轤町・西轆轤町。
菊鉾 
妙法院前側町451−1 新日吉神宮公式HPへ 5/2日曜  神幸祭 先太鼓、猿田彦、御供、太鼓、幸御鉾、大榊、鳳輦、御神宝列、崇神組の旗、獅子、稚児 など
剣鉾7本 大宮御鉾(菊唐鉾)、二之宮御鉾、聖真子御鉾、八王子御鉾、客人御鉾、十禅師御鉾、三之宮御鉾
(12:00頃)出立祭
(12:50)巡幸出発⇒氏子巡幸(コースは5つ)⇒(16:00〜16:20)崇神組:ここでお参りの後は七条通を直進
(17:05)神宮還幸
(17:30)本殿還幸祭
巡幸は1655年より始まる。剣鉾を差しての巡幸は昭和30年代以降絶えていたが、六番鉾を使い平成22年(2010)約50年ぶりに復活。ちなみにこの年に私も見学したが、通りにはどこの鉾か1基台車に乗せて飾付けていた。
 【最近の復興】
平成21年:鳳輦御綱役装束(緑直垂)新調
平成22年:御神宝役朱傘新調
平成23年:白袴新調・剣鉾1基奉仕
平成24年:御鳳輦屋根の修復
平成26年:御神宝の修復、剣鉾2基奉仕
平成27年:法被新調
平成28年:剣鉾用法被新調
先太鼓=台車に昭和26年当町記念、修道組(上棟梁組、鐘鋳町、西常盤町、東常盤町、音羽町、石垣町、北棟梁町)と墨書きあり。また上の部材には文久元年と墨書きあり。

猿田彦=面を台車に乗せている。台車には菊浜上三之宮、昭和29年4月吉日とあり。

太鼓=台車に昭和15年、東常盤町当町と墨書き有。太鼓には平成22年、8月、貞教組とあり。

御供=箱に山王町・十禅寺町と記されている。
第一番鉾(大宮御鉾)=菊唐鉾とも言う。

第二番鉾
(二之宮御鉾)=葵鉾とも言う。錺は菊日月。当屋に飾っている。

第三番鉾
(聖真子御鉾)=戦時中の金属供出のためか所在不明?


第四番鉾
(八王子御鉾)=錺は菊。

第五番鉾
(客人御鉾)=錺は龍。

第六番鉾
(十禅師御鉾)=日吉町守護。錺は龍。まねきには文政5年(1822)5月、錺師 建仁寺門前 浦井庄左エ門の銘あり。鉾の当家飾りに使う燭台には明治14年五月の箱書きがあり。

第七番鉾
(三之宮御鉾)=錺は菊桐鳳凰。
三条大橋東三丁目下ル長光町640 大将軍神社 5/17頃の日曜  神幸祭  
粟田口鍛冶町1 粟田神社 10/連休日祝・15 剣鉾18本  
宵宮は御出祭で、剣鉾18基が飾りつけられ阿古陀鉾・地蔵鉾の2基と子供の提灯や小型の十二灯が夜渡り。
本宮の神幸祭には柏鉾が練り歩く。大祭の15日は神輿巡幸。剣鉾18基も出る
阿古陀鉾(瓜鉾)=御神宝。東分木町・東姉小路町・石泉院町の守護。江戸期の作。留守鉾もあり。
 嘉吉元年(1441)に始まるが、応仁の乱にて焼失。その後再興。


地蔵鉾(錫杖鉾)=第一。西村家(中之町)一統の守護。天正7年(1579)再興。

柏鉾=第二。現在は神社にて守護。寛永2年(1625)9月10日新造。元々東町守護の鉾だった。留守鉾もあり。

三鈷鉾
=第三。東町の守護。寛永2年(1625)新造と伝わる。今残る額には享保5年(1720)と文政10年(1827)の銘がある。

菊鉾=第四。堀池町の守護。寛永6年(1629)新造。菊水図綴織吹散は昭和8年作、神坂雪佳原画。吉田伊之助が織る。

弓矢鉾=第五。五軒町の守護。寛永7年(1630)新造。寿老人唐子図刺繍見送り。

鷹羽鉾=第六。東小物座町の守護。寛永11年(1634)新造。

葵鉾=第七。今道町の守護。寛文9年(1669)新造。

橘鉾=第八。分木町の守護。新造年?。橘図綴織吹散は神坂雪佳原画。

松鉾=第九。南西海子町の守護。寛文12年(1672)新造。

元々は松竹鶴亀鉾という鉾名であったが、いつの間にか錺がどんどん減り、松の意匠だけが残ったので、鉾名も松鉾になった。

獅子牡丹鉾=第十。大井手町・今小路町の守護。寛文13年(1673)8月25日新造。

瓜巴鉾=第十一。西町の守護。延宝2年(1674)新造。
神幸列に供奉していた頃、吹散とは別に見送りを付け巡幸していた。その見送りを二枚有していて、一枚は堂本印象画で「松に鷲図」である。


垣夕顔鉾=第十二。夷町の守護。延宝2年(1674)新造。夕顔が垣根に絡まる様子を意匠に取り入れている。
 留守鉾もあり。

葡萄栗鼠鉾
=第十三。延宝3年(1675)新造。古川町の守護。たわわに実った葡萄の房に、栗鼠(りす)が飛び付こうとしている様を表している。

竹虎鉾
=第十四。堤町の守護。延宝3年(1675)新造。竹林に虎が躍り出る勢いのある意匠の鉾。
江戸時代、粟田祭では白川に架かった石橋の行者橋を、剣鉾を差して渡る「曲渡り(曲差し)」が呼び物であった。

琴高鉾
=第十五。西海子町の守護。延宝3年(1675)新造。鯉之図刺繍見送り。

日月龍鉾=第十六。七軒町の守護。寛永13年(1636)新造。町説では寛永6年。

桐鉾=番外。中之町の守護。菊鉾と同年に造られる。18基の剣鉾中、"番外"として惣鉾の殿を務める。これは番付の事で論争になり、菊鉾が先進と決まった。そこで後進を嫌って惣鉾の殿を務めるようにしたと云われる。
東大路松原上る下弁天町70 安井金刀比羅宮 10/連休 神幸祭 樽みこし  
本町11−718 三嶋神社 9/中旬 神幸祭 神輿、子供みこし
剣鉾3本 牡丹鉾、菊鉾、松鉾
福稲下高松町79 白鳥神社 9/15 例祭

 ≪上京区≫
烏丸通下長者町下る桜鶴円町 護王神社 4/1・日曜(元・4)
(隔年)
神輿(大小)
上御霊前通烏丸東入上御霊前町495 上御霊神社 5/1・18(毎年) 神幸祭
神輿3基 御牛車1輌
剣鉾13本  
 【宝物】
南之御座(小山郷)=文禄4年(1595)8月、正親町天皇の遺勅により後陽成天皇より御鳳輦を御寄進頂き、後年これを神輿に造り替える。台輪寸法1.63m。
 掛声は「ホイットー、ホイットー」。

北之御座(今出川口)=元和5年(1619)、後水尾天皇御譲位の時に後陽成天皇の御鳳輦を御寄進頂き、後年これを神輿に造り替える。台輪寸法1.63m。
 掛声は「ホイットー、ホイットー」。

中之御座(末廣会)=明治10年(1877)に元貴船神社より寄進。台輪寸法1.43m。
 掛声は「エライヤッチャ、エライヤッチャ」。

御牛車1輌=慶長年間(1600年頃)、後陽成天皇御寄進。


※神輿の最古の記録としては鎌倉時代の歌人・藤原定家の日記「明月記」に建永元年(1206)の御霊会に様々な出し物とともに神輿が出ていたことが記録されている。
 御霊祭では、鎌倉時代の永仁2年(1294)に伏見天皇より太刀鉾を頂いたと伝えられる。
室町時代の御霊祭には剣鉾以外にも小さな鉾がたくさんあったとされ、「康富記」には宝徳2年(1450)の御霊祭には「鉾4、50本にも及ぶ」と記されている。
応仁の乱が始まった文正2年(1467)以前新造の鉾は太刀鉾、龍鉾の2本だけなので、4、50本あった鉾は応仁の乱で焼失したと思われる。
また織田信長から上杉謙信に贈られた「上杉本 洛中洛外図屏風」(国宝 狩野永徳筆)には御霊祭が描かれ三本の剣鉾と二基の神輿(北之御座、南之御座)が巡幸する様子が描かれている。
江戸時代には17または19の剣鉾があった。現在は13本の剣鉾がある。
波太刀鉾(刀鉾)=青龍町の守護。現在は出町は出町弁財天に飾られる。
 永仁2年(1924)新造。伏見天皇御寄進。

龍鉾(劔鉾)=今出川町の守護。永享3年(1431)新造。後花園天皇御寄進。

蓬莱鉾(松鉾)=武者小路町の守護。文明2年(1470)新造。後土御門天皇御寄進。

枝菊鉾=玄蕃町の守護。永禄4年(1561)新造。正親町天皇御寄進。

桐鉾=慶長6年(1601)新造。豊臣秀頼公御母堂御寄進。⇒現存しない。

鯱鉾=鞍馬口町、天上町の守護。元和9年(1623)新造。後水尾天皇御寄進。

葵鉾=寛永2年(1625)新造。東福門院御寄進。

菊鉾=室町頭町の守護。寛永3年(1626)新造。東福門院御寄進。

亀鉾=新御霊口町の守護。寛永12年(1635)新造。明正天皇御寄進。錺師は与兵衛。
明正天皇は後水尾天皇の第二皇女で奈良時代の称徳天皇以来の女帝であるが、この時はまだ13歳にあたるので、鉾を寄進されるというのは何事かを祈願されているはずなので、両親の後水尾天皇もしくは東福門院の御意思により寄進だと思われる。

紅葉鉾=徳大寺殿町の守護。寛文9年(1669)新造。新広義門院御寄進。稲穂文様刺繍牡丹唐草錦織吹散。

宝鉾=継孝院町の守護。元禄7年(1694)創建。東山天皇御寄進。

鷹羽鉾=享保2年創建。源昭院御寄進。上木ノ下町。

牡丹鉾=宝暦11年創建。桃園天皇御寄進。上柳原町。細工人は松本芳太郎。

柏鉾=扇町、真如堂前町、表町の守護。当初は中木下町(衣棚通寺之内上る)に預けられる。
昭和38年(1963)頃を最後に行列への参加も当屋飾りも途絶えるが、平成20年(2008)かつて柏鉾を飾っていた町屋が同志社大学の地域活動拠点となったことから、その協力を得て約40年ぶりに当屋飾りが復活した。
 二本の鉾の内、古い方は明和3年(1766)、有栖川宮家五代目職仁(よりひと)親王の妃である辰君様の寄進。辰君は元の名前を二条淳子と言い、関白二条良忠の息女である。この飾りは中央から二本の枝が出て42枚の柏の葉がついている。葉の表面には虫食い跡も表現されている。中央部(受金)には菊の御紋、二条家の藤の家紋、及び梅の紋が付いている。
 新しい鉾は飾りがより立体的で中央から四本の枝が出ていて、三十枚の葉があり、左右の一番上には蝶が止まっている。

矢的(やまと)鉾=柳風呂町、松ノ木町、幸神町、上塔之段町、北苑町(下塔之段町と革堂内町)の6町内会により維持されている。
 現在は幸神社に飾るのみで、行列には参加していない。
新旧2本の矢的鉾があり基本の形は同じ、矢と的を飾りとすることから矢的鉾と言うが、この名称は「大和」に掛けた語呂合わせに通じる。
 二本の鉾の内、古い方は御霊神社の古文書によると、慶長10年(1605)に細川忠興(細川幽斎の息子)からの寄進。 
 新しい鉾は安永4年(1755)に後桃園天皇からの寄進。

また吹散が3本伝えられているが、それぞれ文化3年(1806)、光格天皇の御寄附。天保8年(1837)、仁孝天皇の御寄附。文久元年(1861)、孝明天皇の御寄附である。
京都御所が火災になり御霊神社は分断され上御霊神社・下御霊神社に分かれ日本でも最古の祭とも言われている。
1日社頭之儀 5日子供神輿巡行、篝火コンサート。17日宵宮:和太鼓奉納。18日渡御之儀、出御、還御。
巡幸コースは南門を出発して、4コースあり、北東・北西・南東・南西で年により違う。
上御霊神社の南門を神輿3基が13:00頃に出発。
巡幸は御霊祭行列書(現在出ていないのも記載)によると、
先頭に触大鼓。先導(理事・氏子総代)、先払(素襖)、御霊旗、獅子、榊、太刀鉾、龍鉾、蓬莱鉾、枝菊鉾、矢的鉾、鯱鉾、菊鉾、亀鉾、紅葉鉾、宝鉾、牡丹鉾、鷹羽鉾、柏鉾、幸鉾、雑色、御剣行列、八乙女旗、八乙女行列、禰宜(礼装騎馬)、金棒、御弓、御箭、御楯、御鉾、御剣、一鼓、楽人、稚児行列旗、稚児行列、御翳、御錦蓋、御菅蓋、猿田彦神旗、童子、牛車、掛杖、掛竿、武者行列旗、若武者行列、神輿(今出川口)、神輿(末広会)、宮司(礼装騎馬)、神職(礼装騎馬)、氏子総代旗、氏子総代、傘籠、後駆、理事・氏子総代 等である。
智恵光院通今出川上る桜井町102−1 首途八幡宮 5/15頃の日曜   
葦屋町通一条上る 晴明神社 9/22、23 神輿 本社神輿、若神輿
剣鉾2本 菊鉾、扇鉾 
22日はお迎え提灯のお練りと湯立神楽の奉納。23日の渡御は本社神輿・若神輿、少年鼓笛隊、剣鉾2本(菊鉾、扇鉾)、獅子、稚児、飾り馬、八乙女など。
御前通今小路上る馬喰町 北野天満宮 10/1〜4 剣鉾6本、導山 松鉾、梅鉾 
ずいき神輿1基 ずいき神輿保存会
ずいき神輿=最盛期には8基あったと伝わるが、今では「ずいき神輿保存会」の1基のみである。
【行列一覧】
獅子、太鼓、鉄杖、先駆神職、御榊、導山、梅鉢講社社旗、氏子講社社旗、梅鉾、24日講社社旗、御鉾、御盾、錦蓋、梅風講社社旗、25日講社旗、八乙女先達、八乙女傘持、釣台、皆燈講稚児裃、御羽車、童子供舞、御剣、御弓、御矢、水干・男稚児傘持、楽人付太鼓、楽人付鉦鼓、騎馬神職、汗衫、紫翳、御幣持、駕輿丁・綱持、柳箱持、水干・男稚児傘持、紫翳、御幣持、駕輿丁・綱持、柳箱持、宮司・神職、後駆神職、天満宮講社旗、講社長及び総代裃供奉。
 ※御羽車は還幸祭りのみ。
松鉾=見送りの下絵は鈴木松年。
梅鉾
 

北野天満宮の末社「文子(あやこ)天満宮」(京都市上京区)の氏子らでつくる「西之京瑞饋神輿保存会」は、神輿を乗せる「神輿車」を、87年ぶりに大規模修理した。金具の磨き直しなどで製作当時の姿をよみがえらせ、20日実施の文子祭の還幸祭でお披露目する。神輿車は、幅2m、長さ2.8mで、1927年に作られた。文子天満宮の神輿や、五穀豊穣を願う北野天満宮の「ずいき祭」の神輿の渡御の際に使われてきたが、一部が破損するなど老朽化が進んでいた。地域の財産として次の世代に引き継ぐため、保存会が修理を決めた。銅や真ちゅうの金具を取り外して丹念に磨き、漆を塗り直したほか、柿渋を塗装して木を補強。神輿を支える緩衝材も新しくした。一部は交換したが、ほとんどの資材は再活用。修理を終えた神輿車は新調したような輝きを取り戻した。

一条御前西入3丁目西町48 大将軍八神社 10/23頃の日曜 神輿
今出川通堀川東入飛鳥井町261 白峯神宮公式HPへ 4/21 淳仁天皇祭 春季大祭で10:30〜。蹴鞠
9/21 崇徳天皇祭 秋季大祭で11:00〜。薪能
上御霊前通烏丸東入上御霊前町489 猿田彦神社 5/5 例祭
烏丸通下立売下ル堀松町406 菅原院天満宮神社 7/25 例祭
浄土寺真如町53 日吉神社 10月 神輿 日吉子供和太鼓、岡崎中学校ブラスバンド
新町通今出川下ル徳大寺殿町365 霊光殿天満宮社 11/25 火焚祭
寺町通今出川上ル西入ル幸神町303 幸神社 11/25 火焚祭
室町通武者小路下ル福長町538 福長神社 11/8 例祭 式内社

 ≪中京区≫
御池通神泉苑町東入門前町166 神泉苑
(善女龍王社)
5/3 子供みこし 小型の剣鉾が曳行されて供奉する
剣鉾3本 金鵄鉾、日章鉾、龍鉾 
神泉苑は、真言宗東寺に属する寺院で、神泉苑祭は、神泉苑内に祀られている「善女龍王社」の祭礼である。
寺町通丸太町下ル下御霊町 下御霊神社
公式HPへ
5/1・3日曜 神輿2基 大宮神輿、若宮神輿
鳳輦 大正12年(1923)制作。当時の神職出雲路通次郎が設計・監督。図案は神坂雪佳。
剣鉾12本 石竹鉾、扇鉾、菊鉾、菊桐鉾、橘鉾、葵鉾、重菊鉾、菊折枝鉾
猿田彦神輿=明和7年(1770)後桜町天皇などの御寄付による神輿で神幸列の先導役。延宝4年(1667)明正天皇の御寄付になる猿田彦神面を納めている。
大宮神輿=宝永6年(1709)、東山天皇の御寄付。台輪寸法5尺6寸(1.7m)。安永、天保、大正年間に修理を重ねる。飾付け。
これは前年の宝永5年(1708)38の未明に、京都中心部の大半が焼失する「宝永の大火」により翌年の宝永6年に禁裏より御寄付賜ったのである。

若宮神輿
=宝永以降に狭い道を巡幸するために新造し、寛保3年(1743)に改造されている。台輪寸法は4尺7寸(1.42m)。毎年の還幸祭に使われる。
午前に供奉する剣鉾は扇鉾、葵鉾、菊鉾の3基で、扇鉾と葵鉾は鉾差しを招く。菊鉾は枠造りで曳行。午後は枝菊鉾が枠造りで曳行。神幸列には神社の祭具として三叉鉾を枠造りにした幸鉾も供奉する。
桐鉾(菊桐鉾)=御幸町通丸太町下ル毘沙門町の守護。宝永2年(1705)11月に東山天皇の寄贈。剣先は、享保12年8月に作られている。また留守鉾もある。
壬生郷ノ宮町 梛神社 5/3日曜 神幸祭
御幣山鉾
剣鉾7本 日月鉾、菊鉾、龍鉾、虎鉾、鳳凰鉾、朱雀鉾、橘鉾 
祭列は先太鼓、鼓笛隊、釣台、釣鐘、陣羽織、獅子、猿田彦、御真榊、早乙女行列、剣鉾、御幣山鉾、楽人、神輿、御鉾、御剣、斎主、神職
西洞院通御池上ル押西洞院町614 御金神社 10/1日曜 例祭   
御池通高倉東入亀甲屋町596 御所八幡宮社 9/15 神幸祭  大人1基、子供3基
蛸薬師河原町東入備前島町137 岬神社 6月 例祭 往古、6/10の例祭に神輿が出た
三条大宮西入二筋目下 武信稲荷神社 8/最終日曜 子供神輿

 ≪下京区≫
東山区(所曳き)    新日吉神宮 5/2日曜 崇仁船鉾、曳山各1基
剣鉾6本
平成10年、崇仁地区が京都市に編入され80周年を迎えたのを機に、雨ざらしの状態で放置されていた船鉾を基に新たな鉾を復元新調。「崇仁船鉾」(長さ2、8メートル。幅2、1メートル。高さ4、8メートル)が完成。次いで、だんじりの「崇仁曳(ひき)山」が8/8に復活。
船鉾西ノ町碇組=平成18年(2006)4/22に塩小路通高倉北東角の市営住宅の1階にガラス窓で神輿と共に常設展示。
 かつては西光寺本堂裏に小屋を建てて保管していたが、小屋が朽ちたため、本体を防水シートで覆っていた。
崇仁地区(柳原町)はかつてダンジリが4基(下ノ町西浜組、東ノ町巽組に1基、西ノ町に2基)船鉾が2基(下ノ町西浜組、西ノ町碇組)あり、昭和30年代前半まで神幸祭の祭礼で町内を巡行していたが、引き手などの世話人が離散し、途絶えた。現在はダンジリが東ノ町巽組。船鉾が下ノ町西浜組でかなり老朽化しているが解体保存されている。
東ノ町巽組=転々としたあげく崇仁隣保館で解体保存。そのため傷みが目立つ。
下ノ町西浜組=太鼓に昭和3年、胴掛に「昭和4年5月刺繍。京都 馬渕敬三郎製」とあるので、この頃の製作か?。寂蓮寺横の空地に小屋を建てて保管していたが、小屋の老朽化のため、JR東海道線高倉跨線橋下に保管。状態は悪い。しかし、住宅局で多くの木箱内で保管分の状態はいいらしい。
綾小路通高倉西入神明町 神明神社 9/2土日 子供神輿    
壬生川五条下ル中堂寺前田町 福神社 10/中旬 神幸祭 西地区、東地区を午前・午後に分けて廻る。
仏光寺通猪熊西入ル
西田町615
天道神社 11/3  神幸祭   
剣鉾5本 松鉾、菊鉾、龍鉾、牡丹鉾、桐鉾
剣鉾の出る祭礼では最後で、3ヶ町から5本出る。
七条御所ノ内本町98 若一神社 11/10(毎年) 例祭
大宮通五条下ル
藪之内町617
住吉神社 9/4金土日 神輿 宮神輿、女みこし、子供みこし
剣鉾3本 菊鉾、牡丹鉾、松鉾 
中堂寺六斎 土曜日に行われる
平成14年復活。鉾は文化2年以前の作と云われる。
間之町通花屋町下ル
天神町400
文子天満宮神社公式HPへ 4/3日曜 神輿、稚児行列
寺町通四条下ル
貞安則之町622
京都大神宮 10/17 例祭 明治維新の大教宣布運動を担った伊勢神宮が、地域の強化活動の根拠地とした布教所「風講社」を開設。戦後は京都大神宮と改めて、地域の神社として今日に至る。
諏訪町通五条下ル
下諏訪町351
尚徳諏訪神社 9/2日曜 例祭
西新屋敷下之町1−6 島原住吉神社 9/28頃の日曜 例祭
 島原の鎮守で例祭には太夫・芸妓等の仮装行列「練りもの」が盛大に行われていたが、明治維新の廃仏毀釈により、神社株を持たないとして住吉神社は廃社となり、祭神は当地の歌舞練場内に祀られることになった。
しかし明治36年(1903)に、船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受けて再興した。なれど、現在のような狭い境内地となリ、正式社名も住吉神社は認められず、稲荷神社とされた。ようやく、平成11年(1999)に社殿と拝殿を改修、社務所も新築して境内の整備を行い、同13年(2001)に、社名を「島原住吉神社」と改称して江戸時代以来の伝統ある神社に復することがなった。
寺町通四条下ル
貞安前之町613
火除天満宮 5/25 例祭
綾小路通室町西入ル
善長寺町135
大原神社 11/3 例祭 祇園祭りの間は綾笠鉾の会所となり、境内が飾られ貴重な品が展示される。
仏光寺通新町西入ル
菅大臣町187−1
菅大臣神社 5/2日曜 狂言奉納
剣鉾2本 菊鉾、松竹梅鉾
八坂神社の氏子区域の中にあって、菅大臣町、本柳水町、堀之内町の三ヶ町が氏子。剣鉾が例祭に幣殿に飾られる。
菊鉾堀之内町が護持。額に明治12年(1879)の年期がある。
 明治期には舁いていた。胴掛が残されている。

松竹梅鉾
=神社が管理。箱書きに本柳水町とあり、かつては本柳水町が護持していたと分かる。
松原通西洞院西入ル
天神前町351−2
五条天神社 5/10 例祭
10/2月曜 剣鉾2本 菊鉾、扇鉾
氏子は永養寺町と高辻西洞院町の2ヶ町
市比売通下寺町東入ル
本塩釜町593
市比売神社公式HPへ 5/13頃の日曜 神輿 子供神楽、献茶式、斎矢神事など
剣鉾1本 菊龍鉾=天保2年(1831)の作。  
繁昌町308 繁昌神社 5/中旬 神幸祭 平成25年(2013)、1941年以来72年ぶりに神輿巡幸。
神輿=神輿蔵は境内。江戸期作。掛声は『わっしょい、繁昌』。

 ≪左京区≫
岡崎西天王町 平安神宮 10/22(毎年) 行列 明治維新から平安の世までと新しい時代から古い時代へと繰り広げられる一大時代絵巻。
京都御苑内で行在所祭が営まれると、歴史人物の衣装を着飾った華やかな行列は、御所の建礼門から平安神宮までの約4、5kmの道のりをゆっくりと練り歩く。現在の行列は、18列で、約2000人、牛馬70余頭で全長は約2km。平安神宮まで全行列が到着するのに、4時間ほどかかります。
 巡行ルートは正午に京都御所を出発して、堺町御門、烏丸丸太町、烏丸御池、河原町御池と御池通りを通って、河原町三条、三条大橋、三条大橋東詰、三条神宮前と三条通りを進行し、ゴールは平安神宮である。

 ≪時代祭の行列≫
◎維新勤王隊列
  戊辰戦争に参加した山国村の志願兵。この維新勤王隊の奏でる太鼓や笛の音とともにスタートする。

◎幕末志士隊
  明治維新の立役者となった桂小五郎、坂本竜馬ら志士計14人がと登場。

◎徳川城使上洛列
  江戸城に武士が上洛するときの様子を表わす。徳川幕府は大礼や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くした。先頭を行く槍持、傘持、鋏箱の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の行列の面影をしのばせる。

◎江戸時代婦人列
  出雲阿国など江戸時代の有名女性。

◎豊公参朝列
  豊臣秀吉が秀頼元服のため参内。

◎織田公上洛列 
  1568年9月、天下統一のため織田信長が兵をひきいて上洛した時の様子を表しており、織田信長をはじめ、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、柴田勝家なども登場。

◎楠公上洛列
  後醍醐天皇上洛を先導した楠正成の行列。

◎中世婦人列
  京都洛北の大原女や、豊臣秀吉の側室である淀君、源義経の愛妾である静御前が参列。

◎城南宮流鏑馬列
  狩装束の流鏑馬射手など。

◎藤原公卿参朝列
  平安時代中期以降、藤原氏の最盛期の文武両様の参内。

◎平安時代婦人列
  紫式部、清少納言、小野小町などが参列。

◎延暦武官行進列
  坂上田村麻呂など平安初期の武官。

◎延暦文官参朝列
  平安初期の公卿。

◎神饌講社列
  祭りの神饌物を奉納する役。

◎前列
  胡蝶などの衣装の行列。

◎神幸列
  2基の鳳輦(桓武天皇、孝明天皇)など神幸の本列。

◎白川女献花列
  花を売り歩く白川女の行列。

◎弓箭列
  桓武天皇を警護した弓矢隊。
聖護院山王町43 熊野神社 4/29(元・5/16) 神幸祭 神輿(飾付け)
剣鉾1本 烏鉾   
神幸式は神社を正午出発。子供みこし、熊野少年勤皇隊の奉賛がある。
氏子は旧・聖護院村9ヶ町(11町会)で山王町北部、大文字町、下堤町、東丸太町北部、〃東部、〃南部、新先斗町、石原町、秋築町、中川町、東竹座
修学院宮脇町16 鷺森神社 5/4、5 神幸祭    
剣鉾3本 桐鉾、橘鉾、菊鉾 
鹿ヶ谷宮ノ前町1 大豊神社 5/5 神幸祭   
剣鉾7本 扇鉾、菊鉾、観音鉾A、菊鉾、葵鉾、牡丹鉾 
神輿=平成19年(2007)、57年ぶりに巡幸復活。
扇鉾・菊鉾=鹿ヶ谷桜谷町。
観音鉾(龍)=永観堂町

観音鉾(菊)=若王子町

菊鉾
=南禅寺下河原町
葵鉾
=南禅寺北ノ坊町
牡丹鉾
=南禅寺草川町
鹿ヶ谷桜谷町の菊と扇は、毎年巡幸参加し、他の5基は、年番制で5年に一度の巡幸参加をしている。
また戦前には8基の剣鉾があったと伝えられるが?
一乗寺松原町1 八大神社 5/4、5 神幸祭  神輿6基
剣鉾3本 菊鉾、龍鉾、柏鉾 
神輿6基と剣鉾3基が多数の氏子と共に区内を盛大に巡行する。コースは神社から下り松まで降りてきて、街道を北薬師堂まで。Uターンして、今度は旧北白川村の隣接まで下がって、再びUターンして、下り松から神社へ戻る。
区分けは上一乗寺(幟を先頭にヤンサレボウキm、稚児、剣鉾、子供神輿)、下一乗寺(猿田彦を先頭にヤンサレボウキ・稚児・子供神輿、女神輿)、一乗寺自治会(ヤンサレボウキ・神輿など)の3つである。
大原野村町643 江文神社 5/5 神幸祭    
松ヶ崎林山34 八大神社 5/5 神幸祭     
上高野西明寺山34 崇道神社 5/5 神幸祭   
聖護院円頓美町29 須賀神社 5/初旬 鳳輦
剣鉾5本 菖蒲鉾、橘鉾、菊鉾、剣鉾、葵鉾
鳳輦=平成19年(2007)再興。以前のは平成17年(2005)5/8に未明の火災で本殿と共に焼失。
鞍馬貴船町 貴船神社 6/1 神幸祭 
北白川仕伏町42 北白川天神宮 10/7〜10 神幸祭    
剣鉾3本 壱之鉾、弐之鉾、参之鉾 
壱之鉾御所より下賜された「黒鉾」を奉載し、最初に創立された鉾仲間。守護神は八幡宮、剣鉾の錺は薙刀に三蓋松、中央に神号額と兜の拵物を掲げる。兜は第4代将軍徳川家綱公の武を象徴している。
弐之鉾=道晃法親王が天神宮と改号され宮家の御祈願所とされた寛文年間頃、摂社に加茂社が祀られた時に製作したと云われる。守護神は加茂社、剣鉾の錺は青井に菊、中央に神号額を掲げる。葵は徳川将軍、菊は照高院宮を象徴。
参之鉾=弐の鉾が出来てすぐに出来たと云われている。守護神は春日大明神。剣鉾は紅葉。中央に神号額と鹿の拵え物を掲げる。鹿は春日大明神である。
吉田神楽岡町30 吉田神社 10/2土日 剣鉾4本 末社今宮社(吉田地域の氏神)へ神幸祭 
10/最終日曜 神幸祭  摂社神楽岡社(神楽岡地域の氏神)へ神幸祭 
剣鉾4基(松鉾、唐胡麻鉾、矢鉾、?)を平成14年、子供用に短くする。
神幸祭は神輿、稚児、武者、剣鉾などが出る。
岩倉長谷町1117 長谷八幡社 10/体育の日 神幸祭  氏子は長谷、中、花園
剣鉾5本 長谷2本、中1本、花園2本
 例祭日は8/15⇒10/23⇒10/体育の日と変わる。神輿は花園が出す。馬は中が6頭出して3番の馬駈け
銀閣寺町26 八神社 10/24直前の日曜 神輿
剣鉾3本 一之鉾、二之鉾、三之鉾 
延宝9年(1681)刊の黒川道祐著の『東西歴覧記』に5本の剣鉾に神輿1基が従ったと記されている。昭和初期までは剣鉾や神輿は浄土寺真如町の日吉神社まで巡幸した。昭和30年代までは地元の剣差しが剣鉾を差したが、今はトラックの荷台に据えられている。
一之鉾=文化元年(1804)製作。製作費銀百匁。錺は鶴。
二之鉾=錺は菊桐。
三之鉾=錺は菊に鳳凰。 
田中樋ノ口町1 田中神社 10/3日曜 子供神輿、稚児行列
岡崎東天王町51 岡崎神社 10/16 剣鉾11本  
犬鷹鉾、鷹羽鉾、菊鉾、水車鉾、月龍鉾、葵鉾、松鉾、牡丹・葵鉾、当胡麻鉾、栗鉾、菖蒲鉾
鞍馬本町1073 由岐神社 10/22 神輿2基  
剣鉾6本 鳳凰鉾、菊水鉾、蝶鉾、竹虎鉾、葵鉾、菊鉾 
上中下の大惣、僧達、名衆、大工衆の六仲間が鉾を持つ。
鳳凰鉾=下大惣仲間。
岩倉幡枝町1118 幡枝八幡宮 10/23頃の日曜 神幸祭   
岩倉上蔵町302 岩座神社 10/4日曜 神幸祭  “岩倉の火祭”=京都市登録無形民俗文化財
剣鉾5本 名称は無い 
 2時頃より行われる。「朝神事」は夜通し行われ、夜半の直会、献饌、神事により始まる。オス、メスの大蛇をあらわすという2基の大松明に点火される。
 夜明け前、手松明、剣鉾、神輿の祭列が田園地帯を進み、やがて御旅所(旧社地の山住神社)へと到着。この後、「昼神事」により、祭列は御旅所から再び石座神社へ戻る。
浄土寺真如町53 日吉神社 10/24頃の日曜 神輿

 ≪右京区≫
梅津フケノ川町30 梅宮大社 5/3 神幸祭  
嵯峨水尾宮ノ脇町 清和天皇社 5/3 神輿
剣鉾3本 名称は伝わっていない
神輿=昭和47年頃を最後に出ていない。
都の皇女が丹波国北桑田郡弓削村(現在の右京区京北)に猪や鹿の害があると聞き、水尾までは輿で来て、水尾からは駕籠に乗り換えて弓削村に行き、村に多数の矢を作らせて害獣を退治した。水尾では残された輿を台にして神輿にしたと伝わっている。
宮座の古老と職事役、氏子総代、戸主一同が参詣して神輿を飾り、水尾の若者によって寺内の御旅所に遷御した。古老の周りを花笠をつけた男児が摺りささらを鳴らして回る素朴な花笠踊りがあった。
嵯峨愛宕町 愛宕神社 5/4日曜 剣鉾5本 合同祭  
嵯峨野々宮町1 野々宮神社 5/4日曜
嵯峨学区29町内が行う奉賛会で運営。還幸祭は10;30に御旅所出発。嵯峨の町内一巡。15時に嵐山出発。宮神輿2基、子供神輿2基、剣鉾5本、50人の稚児行列。
菊鉾[4区=嵯峨井頭町、西井頭町、小渕町]=享和元年(1801)制作。

牡丹鉾〔天龍寺地区=嵯峨天龍寺瀬戸川町、嵯峨天龍寺龍門町、嵯峨天龍寺角倉町〕

沢潟
〔鳥居本町〕=文化12年(1815)制作。

龍鉾
〔大門町〕=享和3年(1803)新造。

麒麟鉾〔中院町〕
梅ヶ畑宮ノ口町23 平岡八幡宮 10/連休日曜 神輿 大小
剣鉾4本 中島鉾、一ノ瀬鉾、善妙寺鉾、平岡鉾
祭典は8時半より始まり、続いて奉納太鼓、10時より「三役相撲」奉納。三役相撲は小学生と大人が行い、必ず小学生が勝つというもの。その後、子供神輿境内巡幸、大神輿発御、剣鉾境内鉾差し。
午後から、トラックに載せて氏子区内を、神輿、剣鉾は巡幸。鉾さしは14:30〜。
錺は龍・鳥、龍・鳥、龍・琴高仙人、鯱の4基がある。
太秦森ヶ東町50 蚕養神社 10/連休日曜 神輿1基 子供神輿10数基  
剣鉾5本
大華公鉾=錺は鳳凰。

稲積大明神鉾
=錺は稲穂。

春日大明神鉾
=錺は下り藤。

山王大権現鉾
=錺は菊。

三光大明神鉾
=錺は日月。
西院春日町4 春日神社 10/2日曜 神輿2基
剣鉾5本 一番鉾〜五番鉾 
江戸初期製作の2基の神輿巡幸と5本の剣鉾巡行は日曜12時半より始まり5時頃に戻る。午後2時15分頃に西大路四条交差点で辻回し・差し上げが見所。
一番鉾[寺之内町・籔ノ内町]=錺は鷹羽。

二番鉾[立倉町]=錺は剣と矢に龍。

三番鉾[車之路(しゃのじ)町]=錺は扇。寛延4年制作。

四番鉾[新在家町の8軒の鉾仲間によって運営]=錺は紅葉。錺師は九郎右衛門。吹散は大正13年、遠山紅葉に鹿図綴織。

五番鉾[今在家町・奥之町]=錺は下り藤。
岡崎東天王町51 岡崎神社 10/16 振鉾飾付け 湯神楽、包丁式
神幸祭 稚児、子供神輿
宇多野福王子町52 福王子神社 10/3日曜 神輿   
剣鉾6本 御室、福王子、鳴滝、山越、常盤、常磐西部〔旧・中野〕  
剣鉾は氏子旧・6ヶ村(御室、福王子、鳴滝、山越、常盤、常磐西部〔旧・中野〕)より出る。各村の鉾宿に祭礼の1週間前の日曜から飾られ、本宮に各村よりトラックで渡御される。昭和57年5月に“宇多天皇御忌1、050年祭”で担がれたのが最後。この大祭で担がれたがこれも20年ぶりくらいである。現在、剣鉾は鉾頭を軽トラックに乗せて巡行。
花園伊町17 花園今宮神社 10/3日曜 神幸祭(トラック渡御) 大神輿1基・子供神輿2基が花園・安井氏子内を巡幸
剣鉾3本 かつては差して巡行。
龍安寺住吉町1 住吉大伴神社 10/3日曜(元・16) 神幸祭
剣鉾1本 牡丹鉾は谷口地区が護持。台車に乗せて巡行。そのため地元では鉾車と称する。 
山ノ内宮脇町 山王神社 10/3日曜  神幸祭  
剣鉾2本 神猿鉾、龍鉾
嵯峨釣殿町28 兒神社 10/上旬 神輿 明治10年制作と伝わる 
嵯峨野宮ノ元町34 斎宮神社 10/17頃の日曜  
嵯峨南野町80 阿刀神社 10/上旬 神輿(中小) 獅子舞
 ≪右京区(旧・京北町)≫
 ■周山地区
   ⇒周山、熊田、下熊田、五本松、矢代中、漆谷、西、宇野、浅江
京北周山町城山28 八津良神社 10/15 神輿、稚児行列 13:30〜
京北熊田町雨ヶ岳9 岩神神社 10/15後の日曜 神幸祭
京北下熊田町菅ヶ谷17 天雅神社
京北矢代町中宮ヶ谷54 日吉神社 10/15頃の日曜 矢代田楽
 ■細野地区
   ⇒長野、余野、細川下、細川田尻、細川上、細川中、細川滝
京北細野町東野垣内15 春日神社 10/15 例祭
京北町細野町北谷17 九頭神社
京北細野町崩山21 大神宮社 10/15 例祭
 ■宇津地区
   ⇒中地、柏原、弓槻、栃本、下宇津、明石
京北中地町中地平15−4 出雲神社 10/15 例祭
京北栃本町宮ノ前48 八幡宮 10/15 例祭
京北下宇津町庄ノ谷62 八幡宮社 10/15 例祭
京北明石町谷2−1 三輪神社 9/28 例祭
 ■黒田地区
   ⇒芹生、上黒田、下黒田、宮、灰屋、片波
京北上黒田町森ノ本20 春日神社 10/10 例祭
京北宮町宮野90 春日神社 10/10 例祭 氏地は宮と下黒田
京北町宮ノ元1 八幡神社
京北灰屋町塩野1 太神神社 10/10 例祭
京北片波町柱ヶ谷口29 八幡神宮
 ■山国地区
   ⇒小塩、井戸、初川、大野、比賀江、中江、辻、塔、鳥居、下
京北小塩町水木1 日吉神社 10/10 例祭
京北井戸町神ノ市75 春日神社 10/10 例祭
京北初川町縄手45 天満宮 10/10 例祭
京北大野町小野ヶ市57 熊野神社
京北比賀江町中西41 日吉神社 10/11 例祭
京北中江町伝土16−2 賀茂神社 5/15 例祭
京北辻町日吉ノ元23 日吉神社 4/14 例祭
京北塔町宮ノ谷28 天満宮社 10/11 例祭
京北鳥居町宮ノ元1 山国神社 10/2日曜 神輿 維新勤王山国隊行進
13時に山国神社を出発。「山国隊軍楽保存会」の鼓笛隊による勇壮な軍楽を響かせながら、錦の御旗を先頭に、勤皇の志士に扮した地元の氏子男性が神輿とともに行進。国道沿いに地区の南から北まで往復した後、17時、御霊神社に神輿を納めて終了。
 ■弓削地区
   ⇒上弓削、下弓削、上中、下中、井崎、塩田、田貫、室谷、赤石
京北上弓削町宮ノ本22 熊野神社 10/15 例祭
京北上中町宮ノ谷5 八幡宮社 10/15 神幸祭 神輿2基、束帯騎馬の幼稚児供奉は勅使参向の風習を伝える。氏子は下弓削、上中、下中。
京北井崎町東山59 八坂神社 10/15 例祭
京北田貫町宮ノ後12−2 白山神社 10/15頃の日曜 神輿 台車に乗せて曳く
 【廃村】
八丁=八丁山は公儀の御留山として立入りが禁じられいたが、元禄14年(1701)周山村吉太夫の請負山となり上弓削村から3名と広河原村から2名が炭焼を職として1町5反3畝の新畑を開き住居、1743年上弓削村の請負山となり5戸の者も上弓削村の山番として定住した。
 やがて明治33年には博習校の分教場も設けられ8人の児童に先生1人が教鞭をとった。
しかしながら昭和8年(1933)から翌年の豪雪で食料が欠乏し病人が出ても医者を呼ぶすべも無く、葬式さえあげられないなど、悲惨きわまる被害が出たので、住民は仕方なく村をあげて山をあとにすることになり、昭和11年(1936)最後まで残っていた1戸も遂に山を降り以来廃村となった。

 神社は八幡宮であった。

 ≪北区≫
平野宮本町1 平野神社 4/10(毎年) 神幸祭
10時に神事、11時に花山天皇陵参詣し、13時より神幸が始まり、神輿、騎馬や織姫、武者、王朝姿、元禄風俗の乙女などが練り歩く。
紫野今宮町21 今宮神社 4/2日曜 今宮やすらい祭 風流傘
5/5・5/15頃日曜 神幸祭 神輿3基
剣鉾12本 千本鉾8本
京鉾4本
鎮花祭とも呼ばれ、桜や椿で飾った風流傘を中心に、赤毛をつけた子鬼(子供)2人、鬼4人が鉦や太鼓の囃子で踊りつつ町内を巡行し15時頃に神社到着。巡幸コースは今宮神社→千本北大路→北大路旧大宮→社通芦山寺→智恵光院芦山寺→千本芦山寺→七本松五辻→千本今出川→千本寺之内→大宮寺之内→御旅所
※鉾は神幸祭に松鉾、琵琶鉾、牡丹鉾、柏鉾、菊鉾の5基。還幸祭は松鉾、剣鉾、葵鉾、龍鉾、扇鉾の5基が出る。剣鉾を護持するのは西陣地区である。戦前までは12ヶ町より剣鉾が出た。また“居祭”と称して巡幸に加わらず町内に飾るだけの場合もある。
 【千本鉾】=元禄以前に新造される。
沢瀉(おもだか)鉾=千本今出川上ル上善寺町。差し鉾。

龍(りょう)鉾
蛇鉾とも言う。千本五辻下ル五辻東町。山鉾。

牡丹鉾=千本五辻上ル牡丹鉾町。差し鉾。

柏鉾
=千本上立売上ル作庵町。差し鉾。

枇杷鉾
=千本寺之内花車町。山鉾。
江戸中期に有栖川宮家から下賜されたものと云われている。平成18年(2006)胴掛けを修復。台車のために新調された鳳凰、菊、枇杷の胴掛けの布地の破れが激しく、修繕の必要があったため、修理に対して助成を行った。

松鉾=富之松鉾とも言う。寺之松北裏大宮西入ル歓喜町。差し鉾。

菊鉾=寺之松北裏大宮東入ル西千本町。差し鉾。

扇鉾
=寺之松北裏知恵光院西入ル東千本町。山鉾。  
 【京鉾】=元禄以降に新造される。
剣鉾=剣菊鉾とも言う。五辻大宮西入ル五辻町。差し鉾。

蝶鉾=五辻大宮下ル観世町。担い鉾。

葵鉾=五辻大宮東入ル東石屋町。差し鉾。

蓮鉾五辻大宮上ル芝大宮町。担い鉾。
紫竹西南町46 總神社 4/2日曜 やすらい踊り 8時30分神社出発、13時30分今宮神社に参る
10/23頃の日曜 神幸祭
西賀茂川上町 川上大神宮社 4/2日曜 やすらい踊り
やすらい祭の日、「川上やすらい花」は神社で11時にやすらい踊りを奉納。町内を巡行した後、14時頃に総神社(紫竹西南町)を経て今15時過ぎに宮神社に参る。
小山元町25 石井稲荷神社 5/3〜5 神幸祭
紫野雲林院町1 若宮神社 9/15 例祭
紫竹西北町55 貴船神社 10/23頃の日曜 神幸祭
紫竹下竹殿町 久我神社 11/3 神幸祭 神輿1基、子供神輿2基
等持院中町53 六請神社 10/最終日曜 神幸祭 神輿1基、子供神輿2基
衣笠天神森町10 わら天神 4/1日曜 神幸祭
大宮玄琢北町 八坂神社 7/14頃の日曜 例祭
大森東町1 大森賀茂神社 10/15頃の日曜 神輿 神輿庫は安楽寺にあり、式典も同所で行われ、巡幸はせず直会の後、14時頃に餅撒きをする
剣鉾 天保8年(1837)に紫野今宮神社の氏子の五辻町(上京区)より譲られたと箱書きより分かる
小野下ノ町170 岩戸落葉神社 10/25 例祭 小野郷(小野下ノ町)の氏神
上賀茂西後藤町61 貴船神社 10/23前の日曜 神幸祭
上賀茂本山339 賀茂別雷神社 10/23 例祭
西賀茂角社町129 大將軍神社 10/23前の日曜 神輿
西賀茂氷室町 氷室神社 6/15 例祭
雲ヶ畑出谷町138 惟喬神社 5/12頃の日曜 例祭
11月 火焚祭
雲ヶ畑中畑町54 嚴島社 5/12 例祭
杉坂道風町1 道風神社 10/15 例祭
紫野北船岡町49 建勲神社公式HPへ 10/19 船岡祭り 祭神の織田信長が永禄11年(1568)初めて入洛した日を記念した祭典。神殿祭の後、信長公ゆかりの「敦盛」の仕舞、舞楽奉納がある。

 展示場     
 【三井住友銀行京都文化財展示室】
下京区四条通烏丸東入長刀鉾町8。 075−231−8438。
昭和59年10月開設。17年間開館されていたが、諸事情により平成14年5/31で閉鎖。
“京都三井ビルディング2階にあり、旧・三井銀行関係の諸資料及び祗園祭の諸文物を展示していた”