京 都 府
≪丹 後≫
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
≪舞鶴市≫ | |||||
◎西地区(旧・舞鶴市) | |||||
■舞鶴地区 ⇒大内(おおうち)・職人(しょくにん)・魚屋(うおや)・丹波(たんば)・平野屋(ひらのや)・本(ほん)・竹屋(たけや)・寺内(じない)・西(にし)・新(しん)・紺屋(こんや)・朝代(あさしろ)・引土(ひきつち)・引土新(ひきつちしん)・堀上(ほりかみ)・吉原(よしわら)、北田辺(きたたなべ)・南田辺(みなみたなべ)・松陰(まつかげ)・京口(きょうぐち)・宮津口(みやづぐち) |
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朝代13 | 朝代神社 | 11/3 | 神幸祭 | ||
屋台休止 | |||||
創建時は不明だが、「竹屋区有文書」によると寛保3年(1743年)の舞台寸法が記されており、さらにさかのぼるものと思われる。 天明3年(1783年)までは、朝代神社の祭礼行事に各芸屋台が勢揃していたが天明4年(1784年)以降は、全国や藩の飢きんの状況から屋台の飾付けは、年番を決めて三台限りとされた。 祭礼の時に「芸屋台」が出て、屋台の上で子供たちの歌舞伎が演じられた。今も舞鶴各町に屋台が保存されているが、歌舞伎を演じる子供がいなくなって祭礼には出なくなって久しい。 ただ『まいづる田邊城まつり』に時おり出ている。 第16回=平成19年は舞鶴公園開園100周年を記念し曳行可能な芸屋台5台と見送り幕が6自治会より出され約50年ぶりに勢揃いした。 その後は24回=平成27年に芸屋台4台(竹屋町・寺内町・魚屋町・新町)が登場した。 |
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【曳行可能な芸屋台】 竹屋町=寛保3年制作。 見送り幕は「鳳凰額唐子遊戯図」「詩句分」は慶応3年9月制作。京都仁和寺御室の職工の作。 寺内町=集会所に併設した保存施設に展示。ガラス張りの扉越しに見ることが出来る。 見送り幕は「石橋図」。江戸後期の作。 丹波町=見送り幕は「楼閣風景図」で朝鮮毛綴。「竜虎図」明治41年6月京都高島屋呉服店より購入。 魚屋町=平成18年(2006)細井建設で修復。 見送り幕は「韓信の股くぐり」。明治5年の作。 西町=安政5年制作。昭和59年、61年に組立られた。 見送り幕は「項羽・劉邦」。明治35年5月の作。 新町=弘化2年制作。倉庫に保存。最近では平成14年に西駅交流センターに展示。 見送り幕は「波に日の出鶴図」。明治5年9月の作。 |
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【解体保存の芸屋台】 紺屋町=昭和25年の朝代神社祭礼が最後の曳き回し。笑原神社の倉庫に解体保管。平成元年、神社で組立てる。部品が全てあるかどうか不明。 見送り幕は「三国志図」。明治15年の作。京都・御室の職人の作。 舞引土町=明治39年10/1新調。公民館の倉庫に保存。昭和59年の公民館落成記念に組立。車輪の傷みが激しい。 見送り幕は「鳳凰牡丹図」。 堀上町=大正期の制作。2009年、約50年ぶりに復元。 自治会館に分解保管。昭和27年に奉賛記念に組立。台風の浸水などで部品が破損。揃っていない。 見送り幕はあるが、詳細は不明。 本町=制作年は不詳。集会所倉庫に保存。昭和58、59年に組立を試みるが車輪は無く部品も揃わなかった。 見送り幕は「鳳凰額唐子遊戯図」。安政5年(1858)の作か?。 |
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紺屋町29 | 笑原神社 | 6/15 | 山車 | 無格社なれど式内社 | |
東吉原小字東吉原町 | 水無月神社 | ? | ― | ||
■余内地区 ⇒円満寺(えんまんじ)、上安久(かみあぐ)、下安久(しもあぐ)、福来(ふき)、倉谷(くらたに)、清道(きよみち)、天台(てんだい)、上安(うえやす)、和田(わだ) |
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上安久48 | 熊野神社 | ? | ― | ||
福来柿谷83 | 三柱神社 | ? | ― | ||
福来大光寺146−1 | 武太神社 | ? | ― | ||
福来宮谷37 | 宮谷神社 | ? | ― | ||
奥ノ谷(倉谷奥谷781) | 三柱神社 | ? | ― | ||
桧ノ谷(倉谷桧谷13) | 朝禰神社 | 6/7 | 神楽 | ||
馬場(倉谷馬場29−1) | 北野神社 | ? | ― | ||
天台14 | 竹波神社 | ? | ― | ||
上安899 | 高田神社 | 10/17 | 例祭 | 式内社 | |
■池内地区 ⇒今田(いまだ)、堀(ほり)、池内下(いけのうちしも)、布敷(ぬのしき)、別所(べっしょ)、上根(うえね)、寺田(てらだ)、白滝(しらたき)、岸谷(きしたに) |
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今田津ノ上1010 | 倭文神社 | 9/9(7年毎) | ずいきみこし | ||
布敷 | 池姫神社 | 10/3日曜 | 笹踊り休止 | 氏子は堀・池内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷 | |
■四所地区 ⇒上福井(かみふくい)、下福井(しもふくい)、喜多(きた)、大君(おおきみ)、吉田(よしだ)、青井(あおい)、白杉(しらすぎ) |
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上福井字白鬚 | 白鬚神社 | 7/27頃の土曜 | やぐら、子供太鼓、ビンゴゲーム | かつては相撲、盆踊り、金魚すくい、カラオケ大会もした | |
下福井233 | 和泉神社 | 7/16頃の土曜 | やぐら、子供太鼓 | ||
喜多小字千坂 | 宮崎神社 | ? | ― | ||
大君上迫203 | 上迫神社 | ? | ― | ||
吉田深山208 | 奥上神社 | ? | ― | ||
青井 | 結城神社 | ? | 太刀振りは戦後出していない | ||
白杉奥101 | 白杉神社 | ? | ― | ||
■高野地区 ⇒野村寺(のむらじ)、高野由里(たかのゆり)、城屋(じょうや)、女布(にょう) |
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野村寺3−2 | 日吉神社 | ? | ― | ||
城屋キノフ879 | 雨引神社 | 8/14 | 揚松明 | 屋台もあり | |
城屋の揚松明=府指定無形民俗文化財。20時頃に氏子が集って川で身を清めた後、22時頃から地元の高校生から25歳の男性が小松明を持ち5丈3尺(約16m)以上の大松明にむかって叫びながら投げて点火する。 なお以前は深夜0時頃から始められていた。 城屋地区では水不足に悩まされていた為に、以前から雨乞いの儀式が行われていたが、大蛇を合祀した後、「揚松明」を奉納するようになった。 由来は弘治2年(1556)丹後守護の一色氏が統治していた時代のお話。 ここの城屋地区は一色氏の家臣である森脇宗坡(そうは)が治めていた。 宗坡の娘は隣村にお嫁に行くが、里帰りのため山中の日浦ケ谷を歩いていた時に、大蛇が突然現れてアッという間に娘を飲み込んでしまった。 その知らせを聞いた父親の宗坡は弓と槍で敵討ちに向う。 炎を吐きながら宗坡に挑んでくる大蛇を、死闘の末に退治すると、その胴体を三つに切断。 そしてその三つに切断した大蛇の体を神社に祀った。 その神社は頭:雨引神社(城屋)、胴:中之森神社(野村寺)、尾:尾森神社(高野由里)である。 |
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女布353 | 日原神社 | 7/10頃の土曜 | 神輿 | ||
■中筋地区 ⇒真倉(まぐら)、十倉(とくら)、京田(きょうだ)、七日市(なのかいち)、公文名(くもんな)、引土(ひきつち)、伊佐津(いさづ)、境谷(さかいだに)、万願寺(まんがんじ) |
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真倉小字上ノ段56 | 上檀神社 | ? | ― | ||
十倉59−1 | 山崎神社 | ? | 例祭 | ||
京田56 | 幸谷神社 | 10/17 | 子供神輿 | ||
七日市592 | 九重神社 | ? | ― | ||
公文名83 | 笠水神社 | 10/17頃の日曜 | 花みこし | ||
引土尺間976 | 八幡神社 | ? | ― | ||
引土若宮415 | 若宮神社 | ? | ― | ||
伊佐津307 | 三柱神社 | ? | ― | ||
境谷296 | 境谷神社 | ? | ― | ||
◎東地区(旧・東舞鶴市) | |||||
■中舞鶴地区 ⇒余部上(あまるべかみ)、余部下(あまるべしも)、和田(わだ)、長浜(ながはま) |
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長浜474 | 高倉神社 | 10/17 | 神輿 | ||
明治初年までは北吸、余部上、余部下、和田、下安久、吉原から舟で太鼓、大刀振が高倉神社に練り込み宮本(長浜)も合せて大刀振を奉納した。 現在は高倉太鼓を先導に、女神輿、男神輿の順で海上保安学校の学生主体で「ヨイサー、ヨイサー」の掛声で中舞鶴地区31町内会の約14kmを約8時間かけて巡幸。 |
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■新舞鶴地区 ⇒泉源寺(せんげんじ)、市場(いちば)、溝尻(みぞしり)、浜(はま)、北吸(きたすい)。行政上は:北吸・官舎・元浜・敷島・中浜・白糸・三条・浮島・溝尻・市場・竜宮 |
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泉源寺小字御靈1005 | 御霊神社 | ? | ― | ||
泉源寺小字堂ノ奥991 | 熊野神社 | ? | ― | ||
泉源寺小字宮ノ奥1126 | 嶋満神社 | ? | ― | ||
市場126−4 | 八幡神社 | ? | ― | ||
溝尻上良1 | 貴布彌神社 | ? | ― | ||
浜520 | 白糸浜神社 | 7/6 | 例祭 | ||
軍用地に転換のため、浜地区の3神社は「白糸浜神社」として合祀され、大正2年8月に河川改修、区画整理された与保呂川東岸の現在地に移転された。 水無月神社跡地は海軍官舎を経て現・近畿財務局舞鶴出張所。稲荷神社跡地は稲荷園市場と演劇場の稲荷座を経て、現在は八島公園。蛭子神社跡地は裁判所出張所を経て現在は、七条商店街の一部になっている。 |
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北吸212−5 | 三宅神社 | 11/3 | 子供神輿廃絶 | 式内社 | |
■倉梯地区 ⇒森(もり⇒森・森町・森本町・丸山町・丸山口町・丸山中町・丸山西町)、行永(ゆきなが⇒現・行永・行永東町・七条中町・倉梯町・倉梯中町・金屋町・北浜町・南浜町・八反田北町・八反田南町)、多門院(たもいん)、堂奥(どうのおく) ※広義では北吸、浜、森、行永、多門院、堂奥、溝尻に当たるが新舞鶴地区誕生のため分れた。 |
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森871−7 | 大森神社(弥加宜神社) | 7/14、15(毎年) | 14日は大名行列、宮衆の参行、子供神輿 | 15日は弓道大会 | |
【2016年の行事予定】 ■14日 (8:00〜)触れ太鼓 (11:00〜)式典 (13:00〜)例大祭祝宴会〔南実業会館〕、子供神輿9基〔各町内出発〕 (14:00〜16:00)大名行列〔南公民館出発〕 (14:00〜)子供太鼓 (18:00〜)奉納太鼓 ■15日 (10:00〜)奉納弓道大会(弓道連盟) |
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行永弥加宜183−1 | 藤森神社 | ? | ― | ||
多門院725−1 | 八幡神社 | ? | ― | 荒倉地区 | |
多門院303−1 | 天蔵神社 | ? | ― | 材木奥地区 | |
堂奥宮ノ谷72−3 | 山口神社 | 10/初旬 | 太鼓奉納 | 宮ヶ谷地区 | |
堂奥天神1329 | 天神神社 | ? | ― | 天神地区 | |
堂奥竹中1371 | 八幡神社 | ? | ― | 竹中地区 | |
■志楽地区 ⇒小倉(おぐら)、鹿原(かはら)、田中(たなか)、吉坂(きっさか)、安岡(やすおか)、松尾(まつお) |
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小倉13 | 阿良須神社 | 10/下旬 | 例祭 | 氏地は小倉・鹿原・田中・吉坂・安岡。旧・郷社。 | |
田中町39 | 鈴鹿神社 | 10/下旬 | 太鼓屋台1台 | 地車タイプ | |
平成15年(2003)9月28日、新調入魂式。氏子の建設会社経営の田端三好さん(58)が設計。市内の大工の作。長さ2m。幅2.9m。高さ2.6m。 | |||||
安岡122 | 安川神社 | ? | ― | ||
松尾149 | 六所神社 | ? | ― | ||
■与保呂地区 ⇒与保呂(よほろ)、常(つね)、木ノ下(きのした) |
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与保呂1261 | 池姫日尾神社 | 11/3 | 太鼓 | ||
神輿(4年毎)、太刀振り・囃子(4年毎) | |||||
4年に一度の例大祭、2年に一度の大人神輿、平年は子供神輿。大祭は近年では2008年実施。 大祭は日尾池姫神社での式典から始まり、神楽(獅子舞)で悪魔祓いを行い、奉賛会の方々を先頭に太刀振り連・天狗・ササラ・お多福・鎮守・囃子連・神楽連と巡行し、途中の公民館等で演目を披露する。 |
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■東大浦地区 ⇒河辺中(かわべなか)、河辺由里(かわべゆり)、河辺原(かわべはら)、西屋(にしや)、室牛(むろじ)、栃尾(とちお)、観音寺(かんのんじ)、大山(おおやま)、田井(たい)、成生(なりゅう)、野原(のはら) |
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河辺中354−2 | 八幡神社 | 秋 | 祭礼芸能(鉾の舞、獅子舞、太鼓の舞、馬ずり) | 氏子は河辺谷の諸村(河辺原・河辺由里・栃尾・室牛・西屋) | |
観音寺アマコエ48 | 熊野神社 | ? | ― | ||
大山西山24−19 | 八幡神社 | ? | ― | ||
田井家ノ上17−2 | 八幡神社 | ? | ― | ||
成生平33 | 三柱神社 | ? | ― | ||
成生成生谷38−6 | 鳴生神社 | ? | ― | ||
野原家ノ中928−1 | 若宮神社 | ? | ― | ||
野原八幡町762−1 | 天満神社 | ? | ― | ||
■西大浦地区 ⇒小橋(おばせ)、三浜(みはま)、中田(なかだ)、平(たいら)、多禰寺(たねじ)、赤野(あかの)、佐波賀(さばか)、大丹生(おおにゅう)、瀬崎(せざき)、千歳(ちとせ) |
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三浜685−2 | 松原神社 | ? | ― | ||
中田14−1 | 中田神社 | ? | ― | ||
平140−1 | 八幡神社 | 11/3 | 例祭 | 氏地は平・中田・多禰寺・赤野 | |
佐波賀サコ144 | 天満神社 | ? | ― | ||
佐波賀宮ノ谷294 | 宮谷神社 | ? | ― | ||
大丹生653 | 熊野神社 | ? | ― | ||
大丹生880−1 | 大丹生神社 | ? | ― | ||
瀬崎小谷448−1 | 八幡神社 | ? | ― | ||
千歳村中79 | 北野神社 | ? | ― | ||
千歳脇地307 | 小屋橋神社 | ? | ― | ||
■朝来地区 ⇒笹部(ささべ)、杉山(すぎやま)、登尾(のぼりお)、岡安(おかやす)、白屋(しろや)、長内(ながうち)、朝来中(あせくなか)、大波(おおば)、吉野(よしの) |
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杉山673−1 | 熊野神社 | ? | ― | ||
登尾407 | 八幡神社 | ? | ― | ||
朝来中1ケ683 | 田口神社 | 10/23頃の日曜 | 屋台4台(3年に1度) | 朝来中、大波上、吉野、白屋 | |
大波上70−1 | 北野神社 | ? | ― | ||
◎旧・加佐村 | |||||
■岡田上地区 ⇒桑飼上(くわがいかみ)、桑飼下(くわがいしも)、地頭(じとう)、大俣(おおまた)、滝ケ宇呂(たきがうろ) |
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桑飼上小原605 | 熊野神社 | ? | ― | 小原谷の鎮守。熊野権現。 | |
桑飼上宇谷281 | 宇谷神社 | ? | ― | 宇谷の鎮守。二宮明神。 | |
桑飼上15 | 上村神社 | ? | ― | 上村の鎮守。三宮明神。 | |
桑飼下杉ケ迫216 | 伊智布西神社 | ? | ― | 式内社 | |
桑飼下原谷52 | 原谷神社 | ? | ― | 原谷の鎮守。 | |
地頭宮ノ谷157−1 | 西飼神社 | 10/中旬 | 地頭太鼓 | ||
大俣梅谷625 | 木戸神社 | 10/中旬 | 大俣太鼓 | ||
大俣檀776 | 檀神社 | ||||
大俣嶽709 | 嶽神社 | ||||
地頭太鼓・大俣太鼓=市指定無形民俗文化財。平安時代、一条天皇の勅命により、源頼光が、藤原保昌と四天王(藤原綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光)を従え鬼退治に行く時、戦勝を祈願して西飼神社で打ったと伝えられているのが地頭太鼓。退治した一行の凱旋を祝って嶽神社で打ったのが大俣太鼓の始まりと伝えられている。 当日、大俣太鼓は、木戸神社、檀神社、嶽神社などを練り込みながら西飼神社へと向い、西飼神社では大俣太鼓が先に奉納、その後地頭太鼓が境内までの坂道を綱で引き上げられて奉納。大俣太鼓は、大太鼓(1人打ち)から始まり、舞打ち(1人舞、2人舞)、まわり打ちと続き、最後は、テンポの速い大太鼓で打ち切り。戦勝を祈る意味から、下から上へと打ち上げられる地頭太鼓では、大太鼓から始まり、組打ち、舞打ち、まわり打ちと続き、最後は早打ちで終える。太鼓を載せる屋台も出る。 |
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滝ケ宇呂31 | 春日神社 | ? | ― | ||
■岡田中地区 ⇒岡田由里(おかだゆり)、西方寺(さいほうじ)、富室(ふむろ)、上漆原(かみうるしばら)、下漆原(しもうるしばら)、長谷(ながたに)、河原(こうら)、下見谷(しもみたに) |
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岡田由里313 | 枝宮神社 | 10/中旬 | 練りこみ | ||
岡田由里212 | 気比神社 | 練りこみ | |||
西方寺馬場135(下) | 猪藏神社 | 10/中旬(元・9) | 大名行列 | 地内は上・下・平の地区に分かれる。 | |
河原・下見谷が氏子として参加していた当時は太鼓踊り奉納。相撲は昭和中頃まで奉納。 | |||||
富室岸本476 | 八幡神社 | ? | ― | ||
富室中村106 | 新枝神社 | ? | ― | ||
上添原鎌倉315 | 白髭神社 | ? | ― | 東部の鎌倉の鎮守 | |
上添原仲田663 | 白髭神社 | ? | ― | 西部の仲田の鎮守 | |
下添原宮ノ廻379 | 日吉神社 | ? | ― | ||
河原281 | 河原神社 | ? | ― | ||
下見谷茶ノ木原246 | 下見谷神社 | 10/8 | 例祭 | 茶ノ木原地区の鎮守 | |
下見谷寺尾4 | 寺尾神社 | 10/3 | 神輿、獅子舞 | 寺尾地区の鎮守 | |
■岡田下地区 ⇒久田美(くたみ)、大川(おおかわ)、志高(しだか) |
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久田美中島1566−5 | 熊野神社 | ? | ― | 枝村に真壁 | |
大川589 | 大川神社 | 4/29 | 神幸祭 | 旧・府社・式内社 | |
(11:00〜)本殿祭・神幸祭 (14:00〜)野々宮祭・還幸祭 |
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志高318 | 志高神社 | ? | ― | ||
■八雲地区 ⇒水間(みずま)、中山(なかやま)、上東(かみひがし)、下東(しもひがし)、三日市(みっかいち)、和江(わえ)、丸田(まらた)、八田(はった)、八戸地(はとち) |
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水間342 | 八幡神社 | ? | ― | ||
中山1 | 八幡神社 | ? | ― | ||
上東藤津3 | 藤津神社 | ? | ― | ||
下東寺ノ谷195 | 八幡神社 | ? | ― | ||
三日市192 | 熊野神社 | ? | ― | ||
和江122 | 和江神社 | ? | 笹囃し、太刀振り | ||
丸田142 | 麻良多神社 | 10/3日曜 | 例祭 | ||
八田宮ノ谷25 | 松尾神社 | ? | ― | ||
八戸地508 | 白鬚神社 | 10月 | 練りこみ | ||
■神崎地区 ⇒神崎(かんざき)、蒲江(かまや)、油江(ゆご) |
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西神崎湊新403−2 | 湊十二神社 | 10/2土日 | 神幸祭 | 神輿、 |
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太鼓屋台 | |||||
相撲廃絶 | |||||
蒲江尼ヶ坂232 | 山王神社 | 10/中旬 | 蒲江の振物・踊り太鼓 | 府指定無形民俗文化財 | |
油江上路 | 天久神社 | ? | ― | ||
【消滅集落】 長内(ながうち)=朝来地区。昭和14年、海軍第三火薬廠の敷地として全戸(6戸)強制的立ち退きとなり廃村となった。現在は火薬廠跡の国有地になって夏草だけが茂っている。 岡安(おかやす)=朝来地区。 昭和15年、海軍第三火薬廠の敷地として全戸(13戸)強制的立ち退きとなり廃村となった。現在の青葉山麓公園やグリーンスポーツセンターの広い敷地の谷が村地であった。 笹部(ささべ)=朝来地区。昭和47年、岡安へ集団移転し廃村となる。笹部神社(笹部92)があった。 |