京 都 府
  
 ≪丹 後≫
  宮津市、京丹後市、与謝郡〔与謝野町、伊根町〕 

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪宮津市≫
 宮津市は与謝野町(旧・岩滝町)を挟んで南北に飛地になっている。正確には南北を天橋立がつないでいるが、一般車両は天橋立を通れないため、南北間を移動するときは岩滝町内を通過することになる。
南部が市の中心地となり宮津地区・上宮津地区・吉津地区・栗田地区・由良地区で由良地区が旧・加佐郡。他は与謝郡である。
北部は南から府中地区・日置地区・養老地区・日置地区の西側の山間部に世屋地区・養老地区の西側の山間部に日ヶ谷地区がある。
 ◎南地区
 ■宮津地区
    ⇒本町(ほんまち)・魚屋(うおや)・新浜(しんはま)・宮本(みやもと)・万町(よろずまち)・金屋谷(かなやだに)・小川(おがわ)・白柏(しらかせ)・河原(かわら)・住吉(すみよし)・漁師(りょうし)・杉末(すぎのすえ)・川向(かわむかい)・宮町(みやちょう)・蛭子(えびす)・池ノ谷(いけのたに)・万年(まんねん)・万年新地(まんねんしんち)・鶴賀(つるが)・安智(あんち)・外側(そとがわ)・吉原(よしわら)・中ノ町(なかのちょう)・京口(きょうぐち)・馬場先(ばばさき)・松原(まつばら)・木ノ部(きのべ)・京街道(きょうかいどう)・大久保(おおくぼ)・柳縄手(やなぎなわて)・島崎(しまさき)
宮町1408(西地区) 山王宮日吉神社公式HPへ 5/15 神楽・太鼓・神輿
芸屋台 一部の町で芸屋台を出す
万町474 天満神社 5/11 屋台 山王祭りに出す山車蔵あり。
宮津祭(山王祭)=藩政期、『山王祭(国祭り)』といわれ城主自ら音頭をとり神輿を造り、漁師町、白柏町、葛屋町、川原町、川向町、魚屋町、万町、本町などの城下の芸屋台はもちろん、藩内の岩滝、加悦、上宮津、府中、男山、内宮、外宮より、計77人の世話人を選び練りものを出したと記録にある。
 ちなみに宮津の旧城下町は、西堀川を堺に、大きく東町と西町に分けられる。東地区は「和貴宮神社」、西地区は「山王宮 日吉神社」の氏子となっている。
四月の二の申の日に行われていた山王宮 日吉神社の祭礼は、明治の改暦により5月15日に、幕末より始まった和貴宮神社の祭礼は9月11日に行われていたが、第二次世界大戦後、二つのお祭りは同じ5月15日に行われるようになった。
 これにより、東西ニ基の神輿が出るようになり、それぞれの祭礼を行うようになり、例祭日が同日なので宮津祭りとも称されるようになる。
 【往古の祭礼】
 江戸期の宮津祭(山王祭)では神輿巡幸と浮太鼓を漁師町が担当し、神楽を山王下(宮町)が、そしてそれ以外の町内が「屋台巡行」を執り行っていた。
各町は御神体を乗せた「山屋台」と子供歌舞伎を演じる「芸屋台」との二台を所有し、その二台をセットにして山の名が付けられていた。
寛政元年(1789) の「山王祭礼行列覚」では、行列順に「鈴鹿山」(本町)・「三輪山」(本町)・「春日山」(魚屋町)・「高砂山」(魚屋町)・「稲荷山」(万町)・「天神山」(万町)・「万歳鉾」(職人町)・「岩戸山」(白柏町)・「日吉山」(白柏町)・「紅葉山」(河原町)・「蛭子山」(葛屋町)・「住吉山」(猟師町)・「明神山」(川向町)の記述が見られ、26基の山・芸屋台を登場したと分かる。
また天保12年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された宮津祭(山王祭)を描いた「山王祭礼図絵馬」(宮津市指定文化財)にも残されている。
また、絵馬の中の各々の芸屋台で子供歌舞伎が演じられている描写の一部は近年宮津市により複製として復元され、みやづ歴史の館に展示されている。その後、一町に2基ある屋台は1基に統合されてその名を変え、また山屋台は姿を消し芸屋台だけが「山」の名を残したまま伝えられて来た。現在、宮津祭当日に白柏会館には二体の猿の人形が展示されるが、それが白柏町がかつて巡行させていた日吉山の山屋台のご神体である。
萬歳鉾(宮本町)=天保13年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された絵馬に描かれており、宮本町の前身である職人町の所有であることが記されている。
 宮本町では、大正13年(1924)に芸屋台を曳き出して以来、中断されていたが、平成4年の府民フェスティバルに「堀川夜討弁慶上使の場」を上演したのをきっかけに、平成14年の祭礼から不定期なれど萬歳鉾が復活した。

相生山(魚屋町)
=明治43年(1910)新調。
 見送り幕は天保6年3月(1835)に京都の近江屋善右衛門氏から寄付を受けており、この頃既に芸屋台があったものと思われる。
また天保13年(1842)に山王宮日吉神社に奉納された絵馬に、春日山と高砂山の二つの屋台があったと記されているが、この2台が、明治以降一つになり、現在の芸屋台「相生山」となった。


相楽山(白柏)=明治8年3月(1875)に岩戸山と日吉山の2台の屋台を統合して屋台を新調。
天保12年(1842)山王宮日吉神社に奉納された絵馬に記されている。日吉山の御神像が猿であり、明和4年(1767)の木札が付けられている。
そこで宮津祭りに、ニ体の猿の木像を白柏会館玄関に祀られる。
鈴鹿山(本町)、三輪山(本町)、紅葉山(河原町)、住吉山(猟師町)・明神山(川向町)=詳細不詳。

蛭子山(松ヶ岡)=寛政元年(1789)制作。その年に芸屋台で「千本桜四段目」を演じたと記録されている。
 安政3年(1856)、それまで葛屋町という名で呼ばれていた町名が芸屋台の名に合わせて蛭子町に変わった。
宮本428(東地区) 和貴宮神社 5/15 神輿
神楽・太鼓
宮津祭=宮津市東地区の祭礼。宮津の地名発祥の社・和貴宮神社の春の例祭。神楽・太鼓・神輿が町を廻り、夕刻から宮入り芸が奉納される。
 ■城東地区
   ⇒猟師町、鍛治町、惣(そう)、皆原(かいばら)、滝馬(たきば)、波路(はじ)、山中(やまなか)、獅子崎(しいざき)、宮(みや)
惣128 國名賀神社 9/17 例祭
滝馬675 滝馬神社 9/16 例祭 有田村+田中村の合併で誕生
波路230 鍵守神社
山中68 日吉神社 4/15 例祭
宮村八幡98 八幡神社 8/15 例祭
 ■上宮津地区
    ⇒小田(おだ)、喜多(きた)、今福(いまぶく)
小田早栗192−2 愛宕神社 4/3日曜(元・15) 神楽、太刀振り、奴
上宮津祭=府指定無形民俗文化財。小田、喜多、今福が参加。
例祭は4/3日曜(元・15)に開催。3:50に今福が一番最初に出発。4時頃には各地区は出発。南太神楽組が一番に到着し、午前6時に集結。6組〔神楽・太刀振り4組・の芸能を奉納。例祭終了後に各組は在所に戻り、それぞれの氏神の祭礼(地下祭り)を行う。
南太神楽組=2人立ちの獅子舞。「切払い」、「鈴舞」、「乱」の3曲を伝える。

今福太刀組=詳細不詳。

喜多太刀組
=屋台あり。昭和2年(1927)制作。

4区太刀組
=屋台あり。

小香河太刀組
=詳細不詳。


小田奴組=休止中。
 ■吉津地区
    ⇒文珠(もんじゅ)、須津(すづ)
文珠天橋立643−1 天橋立神社
須津1546 須津彦神社 4/最終土日(元・25) 太刀振り 屋台もあり
神楽
 ■栗田地区
    ⇒上司(じょうし)、小寺(こでら)、田井(たい)、島陰(しまかげ)、矢原(やはら)、獅子(ちし)、小田宿野(おだしゅくの)、中津(なかつ)、脇(わき)、新宮(しんぐう)、中村(なかむら)
上司1332−1 栗田住吉神社 10/2日曜(元・12) 神輿 氏地は上司・小寺
屋台廃絶 大正期の記録にあり
田井153−1 多由神社 10/13 例祭
島陰滝盛30 白山神社 4/15 例祭
矢原玉崎77−2 玉崎神社
獅子堂垣226−2 獅子姫神社
小田宿野262−2 久理陀神社
中津宮ノ谷62 浦宮神社 9/13 例祭
新宮狩場100 白鬚神社 10/13 例祭
新宮稲ヶ城167 三神社
中村麻蒔189 豊守神社 9/13 例祭
 ■由良地区
    ⇒由良(ゆら)、石浦(いしうら)
由良宮本2362 由良神社 10/連休 芸屋台2台 旧束崎村(宮本山)、旧松下村(八幡山)
神楽踊 浜野路・港・宮本の鎮守
宮本山(旧・束崎村)=詳細不詳。

八幡山(旧・松下村)
=明治28年9月(1895)制作。台車の内側に墨書きがあり、大工、その当時の区長、世話人等の名前がで書かれている。
由良宮ノ上3537−1 奈具神社 10/10 太鼓踊休止 脇の鎮守。式内社。
石浦大迫230 住吉神社 10/連休
石浦関144 中路神社 10/連休
 ◎北部
 ■府中地区
    ⇒国分(こくぶん)、小松(こまつ)、中野(なかの)、大垣(おおがき)、江尻(えじり)、難波野(なんばの)、成相寺(なりあいじ)、溝尻(みぞじり)
大垣430 籠神社 4/24(毎年) 笹ばやし・太刀振・神楽
芸屋台3台出ていた ※正遷宮奉祝大祭(昭和6年)に芸屋台が出た 『難波野郷土誌』
 【葵祭りの行事予定】
(9:40〜)一番太鼓
(10:00〜)祭典
(11:00〜)神幸祭
(11:30〜)鳳輦による御神幸
(12:20〜)還幸祭
 【奉納神事(地内)】
難波野(9:00〜)神楽
溝尻(10:00〜)太刀振り、笹囃子
江尻(10:00〜)大獅子
中野(11:45〜)太刀振り、笹囃子
大垣(12:10〜)大神楽
江尻(12:15〜)太刀振り、笹囃子
成相寺ヨエン田113 熊野神社
 ■日置地区
日置2464 岩田神社 4/24頃の日曜 太刀振り 屋台もあり
神楽
日置浜=昭和28年5/3を最後に芸屋台を出していない。初めて出したのは明治初期で村祭りの10/17に出した。芸屋台の名称は付けていない。
 ■養老地区
   ⇒里波見(さとはみ)、中波見(なかはみ)、奥波見(おくはみ)、長江(ながえ)、岩ヶ鼻(いわがはな)、外垣(とのがき)、大島(おおしま)、田原(たわら)
里波見宮ノ越87−8 高峯神社
奥波見若宮153−2 白山神社 8/18 例祭
長江古ミド58−3 八幡神社 8/15 例祭
岩ヶ鼻宮山141 日吉神社 10月 太刀振り
外垣向山13−1 胞神社
大島古池564 白山神社 10/15 神楽・太刀振、風流踊の伝統をひく花おどり・槍おどり・笠おどりなどが奉納される。
田原宮ノ谷6−1 岩尾神社 7/16
 ■世屋地区
    畑(はた)、下世屋(しもせや)、松尾(まつお)、東野(ひがしの)、上世屋(かみせや)、駒倉(こまくら)、木子(きご)
畑277 有坂神社 4/23 例祭
下世屋48 山口神社 4/18 例祭
松尾25−1 東神社
上世屋115 世屋姫神社
 ■日ヶ谷地区
      ⇒日ヶ谷(大西・薮田・落山・厚垣の小字よりなる)
日ヶ谷奥谷山2194 粟尾神社
日ヶ谷下垣4609−1 下垣神社
日ヶ谷白石353−15 熊野神社
日ヶ谷宮ノ上5618 大山神社
 【消滅集落】
東野=世屋地区。昭和39年(1964)廃村。明治21年、戸数6。

駒倉=世屋地区。昭和47年(1972)離村。かつて46戸。

=日ヶ谷の散郷。市史によると昭和32年7月、廃村。明治初期10戸。


 ≪京丹後市≫
  平成16年(2004年)4/1、
中郡峰山町、大宮町+竹野郡網野町、弥栄町+熊野郡久美浜町の合併で誕生。
 ◎旧・中郡峰山町
 ■峰山地区
   ⇒峰山泉町、峰山上町、峰山室町、峰山浪花町、峰山呉服町、峰山浪花町、峰山白銀町、峰山泉町、峰山織元町、峰山室町、峰山堺町、峰山富貴屋町、峰山呉服町、峰山御旅町、峰山不断町町、峰山四軒町、峰山古殿町、峰山吉原町
(峰山町泉奥山1165−2) 金刀比羅神社 10/2日曜 神輿 旧・府社
屋台4台  
 昭和2年(1927)3月、丹後地方を襲ったマグニチュード7といわれる大震災は、峰山の町に壊滅的な被害をもたらし、金刀比羅神社社殿もすべて罹災・倒壊した。
その際に屋台も多く損壊したが、明治23年の作の金刀比羅神社祭礼絵額に往古の祭礼が描かれている。画面には本屋台10、竹屋台(芸屋台とも称する)9、吹貫11が見え、先導は不断町の太神楽が先導している。
 現在は10月10日が例祭で、第2日曜に神輿渡御祭があり、神輿が巡行する。また、例祭には町内の大屋台などの山車、曳き屋台、芸屋台など5基の屋台が毎年輪番にくり出す。
上町(春日山)=5輪。長さ3.62m。幅2.82m。高さ4.97m。

室町(八幡山)=5輪。長さ3.4m。幅2.8m。高さ4.57m。

呉服町(天神山)=5輪。長さ5m。幅2.5m。高さ4.5m。

浪花町(釜堀山)=5輪。昭和7年制作。制作費2、703円47銭。大工は谷口弥太郎。塗師は井藤栄吉。昭和57年修復。長さ4.97m。幅2.43m。高さ4.37m。

峰山白銀町&峰山泉町(金刀比羅山)=あり。
 【祭礼に出た屋台】
織元町(高砂山)、室町(八幡山)、堺町(稲荷山)、富貴屋町(五幸山)、呉服町(天神山)、御旅町(三輪山)、その他不断町の大神楽等があった。
峰山町長岡下八幡360 八幡神社 10/連休 神幸祭  
太鼓屋台1台  
楽台=4輪。長さ2.35m。幅1.3m。高さ2.36m。
峰山町吉原55 金峰神社 5/4、5 神幸祭  
 ■吉原地区
   ⇒安(やす)、西山(にしやま)、小西(こにし)、菅(すげ)、新治(にんばり)
峰山町安森替83 稲代神社 10/連休 神輿(大小) 式内社
峰山町西山下地100 稲代神社 10/連休(元・9/6) 幟を立てて大太鼓を叩く 山車、三番叟もあったと言うが?
峰山町小西奥地240 神明神社 9/26 例祭
峰山町菅大門崎943−6 久津方神社 10/連休 神輿
峰山町新治エミヤ21 九柱神社 7/30 水無祭=神幸祭
 ■五箇地区
   ⇒五箇(ごか)、鱒留(ますどめ)、二箇(にか)、久次(ひさつぎ)
峰山町五箇山崎596−1 愛宕神社 10/連休 太鼓屋台1台
獅子舞
楽台=4輪。長さ2.14m。幅1.32m。高さ2.4m。
峰山町鱒留540 藤社神社 10/連休 太鼓屋台1台
太刀振り 鱒留は本郷の鱒留、枝郷の大成・大路からなる。
大成(峰山町鱒留) 八幡神社 10/連休 例祭 大成の鎮守。往古は35戸、2014年現在5戸。
大路(峰山町鱒留蛭子堂433) 乙女神社 10/上旬 湯立神事 大路の鎮守。往古は40戸、2014年現在17戸。
峰山町二箇小谷山1−1 八幡神社 10/連休 例祭
峰山町久次宮谷661 比沼麻奈為神社 10/連休 神幸祭 太刀振、獅子舞 
太鼓屋台1台
 ■新山(にいやま)地区
   ⇒新町、荒山、内記(ないき)
峰山町新町 高畠稲荷神社 10/上旬 楽台1台 新町は上・上中・上本・富道・立・家地・中・大道・新道・下東・下西・下地・新西の13の町内に分かれている。
楽台=4輪。長さ2.4m。幅1.34m。高さ2.46m。
峰山町荒山 波弥神社 10/上旬 楽台1台
楽台=4輪。長さ2.3m。幅1.32m。高さ2.46m。
峰山町内記宮ノ奥134 名木神社 10/上旬 楽台1台 式内社
楽台=4輪。長さ2.15m。幅1.3m。高さ2.12m。
 ■丹波地区
   ⇒丹波(たんば)、矢田(やた)、橋木(はしぎ)、赤坂(あかさか)、石丸(いしまる)、杉谷(すぎたに)
峰山町丹波涌田山2 多久神社 10/連休 神輿
楽台1台
楽台=4輪。長さ2.95m。幅1.7m。高さ2.68m。
峰山町矢田谷山332 矢田神社 9/16 例祭
峰山町橋木千原374 からたに神社 10/上旬 太鼓輿1台 式内社
峰山町赤坂家向29 咋岡神社 9/9 例祭 式内社
峰山町石丸宮ノ谷49 熊野神社
峰山町杉谷荒神鼻400 須賀神社 10/上旬 楽台

 ◎旧・中郡大宮町
 ■大宮地区
   ⇒口大野(くちおおの)、奥大野(おくおおの)、上常吉(かみうねよし)、下常吉(しもつねよし)、三重(みえ)、三坂(みさか)、森本(もりもと)、周枳(すき)、河辺(こうべ)
大宮町口大野 大野神社 10/上旬 神輿   
芸屋台、楽台  
山屋台、吹抜け廃絶  
大宮町奥大野 若宮神社 10/10頃の日曜 楽台 神楽、太刀振り、笹ばやし
倉垣太刀振り保存会=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により、太刀振り太鼓屋台コマ取替。
大宮町上常吉入船谷48 冨持神社 10/2日曜 神輿
屋台
神楽、太刀振り
大宮町下常吉天谷110 天神神社 10/上旬 神輿 太刀振り
大宮町谷内 若宮神社 10/上旬 神輿 太刀振り、笹ばやし廃絶
屋台 平成22年(2019)、玉田工務店の作。
大宮町三重 三重神社 10/上旬 神楽、笹ばやし
 地内には三社あり、例祭日も別々であったが、天明6年(1786)に9/21に統一し、明治15年以降は秋分の日とし、さらに10/10⇒10/上旬となる。
また神社合併については諏訪神社境内を拡張し、明治24年3月24日に合祀し三重神社と改称した。例祭日は合祀前の逆鉾神社・三谷神社の跡地から隔年ごとに三重神社へ神事の笹囃子と神楽が練りこむ。
大宮町三坂 三坂神社 10/上旬 神楽
大宮町森本当城328−1 大屋神社 10/上旬 太刀振り、笹ばやし
大宮町周枳1020 大宮売神社 10/上旬 神輿
笹ばやし、神楽、三番叟、太刀振り
例祭日は旧8/2午の日⇒10/10⇒10/1土日へ。笹ばやし・神楽・三番叟・太刀振、神輿などが奉納される。
周枳民芸保存会笹囃組=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により笹ばやし用具の新調。
大宮町河辺 皇大神社 10/上旬 屋台
太刀振り 笹ばやしは廃絶
河辺太刀振保存会=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太刀振り太鼓屋台コマ取替。
 ■五十河地区
   ⇒五十河(いかが)、久住(くすみ)、新宮(しんぐう)、延利(のぶとし)、明田(あけだ)
大宮町五十河 中原神社 10/上旬 太刀振り、笹ばやし休止 平成21年頃より休止
大宮町久住 木積神社 10/10頃の日曜 太刀振り、笹ばやし廃絶
大宮町新宮 三社神社 10/上旬 神楽廃絶
大宮町延利 高森神社 10/連休 太刀振り、笹ばやし 宮津の江尻より習得するが、平成20年代後半より休止
大宮町明田 心木神社 10/上旬 笹ばやし 例祭日は9/5⇒10/5⇒10/10⇒10/上旬と変わる
 ■長善地区
大宮町善王寺竹下925 住吉神社 10/上旬 楽台 神楽
 【消滅集落】
内山=明治初期には16戸あったが、昭和初期には7戸になり、昭和10年(1935)には1戸となる。昭和48年(1973)にはこの1戸も下山し完全に廃村となる。
現在は三柱神社の鳥居のみが残る。昭和55年遷宮。

 ◎旧・竹野郡網野町
 ■網野地区
網野町網野789 網野神社 10/連休 神輿(子供、初老)  
屋台1台  
 ■浅茂川地区
   ⇒浅茂川(あさもがわ)、下岡(しもおか)、小浜(こはま)
網野町浅茂川 日吉神社 7/30 神輿 境内社の水無月神社の祭り。神輿は明治37年頃の作。
例祭
網野町浅茂川東小路 朝日神社 5/5 子供神輿6基 子供相撲大会
網野町下岡1160 六神社 10/連休 三番叟   
網野町小浜浜道484 八幡神社
 ■島津地区
   ⇒島津(しまづ)、仲禅寺(ちゅうぜんじ)、掛津(かけづ)、三津(みつ)、尾坂(おさか)
網野町島津宮垣1267 春日神社 10/連休 神輿
屋台1台
太刀振り 明治41年(1908)村の青年が宮津市一の宮の太刀振りを習得
例祭日は10/16⇒10/10⇒10/連休へ。神輿渡御・相撲・屋台が曳かれる。また昭和初期までは馬駈けもあった。
網野町仲禅寺宮ノ前543 貴船神社
網野町掛津西山7−1 白瀧神社 10/10頃の日曜 神輿廃絶 昭和30年頃までは黒塗りの神輿があった
太鼓台
(遊)網野町掛津遊谷947 浜田神社 10/10頃の日曜 神輿
太鼓輿 平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太鼓輿修理
網野町三津オテジ2 八幡神社 10/連休 神輿、女神輿 神輿は太鼓輿や女神輿とぶつけ合いをする
太鼓輿
 ■郷地
   ⇒郷(ごう)、切畑(きりはた)、生野内(いくのうち)、公庄(くじょう)、高橋(たかはし)、新庄(しんじょ)
網野町郷2112 大宇賀神社 ? 
上切畑(網野町切畑) 岩崎神社 10/1日曜 三番叟廃絶 戦前は境内で相撲も行われた
下切畑(網野町切畑) 若宮神社 ? 
網野町生野内下大クゴ443 生王部神社 ?  式内社
網野町公庄竹クラベ100 郡立神社 旧9/13 例祭
網野町高橋寺谷811 二宮神社 旧9/15 例祭
網野町新庄引原口841 貴船神社 9/3 神輿 明治13年購入
 ■木津地区
   ⇒木津(きつ)、俵野(たわらの)、日和田(ひわだ)、溝野(みぞの)
網野町木津女布谷217 売布神社 ?  式内社
網野町木津熊谷300 加茂神社 10/連休 山屋台2台 岡田、加茂川
岡田=明治38年に日露戦争奉祝記念に若者宿を中心に購入。昭和3年の昭和天皇の御大典で更に外飾りを施す。

加茂川
=大正初期に峰山より購入。 
網野町俵野136 八柱神社 ? 
網野町溝野111 眞玉神社 10/10 餅まき
 ■浜詰地区
   ⇒浜詰(はまづめ)、磯(いそ)、塩江(しおえ)
網野町浜詰字大成829 志布比神社 10/初旬 太鼓台、子供だんじり 式内社
網野町磯1556 静神社 ? 
網野町塩江 加茂神社 10/9、10 子供神輿 小学生が担ぎ、愛護会が補助して集落を廻る
太鼓山車廃絶 老朽化のため
 【消滅集落】
尾坂
(おさか)=尾坂寺の衰退に伴い門前村としての機能も衰えて、山上での農業経営の困難に加え、昭和34年(1959)の伊勢湾台風の被害のため、全6戸は翌年から離村を始め、同39年尾坂寺の堂守が山を下りたのを最後に全戸離村した。

日和田
(ひわだ)=江戸期は約50戸だったが、24戸となり、昭和36年には20戸となり、さらに昭和38年の豪雪による被害を契機に転出者が増加し、昭和40年には1戸となった。昭和51年より町農協計画の日和田畜産団地ができて、周辺から数人が入植して酪農経営を行っているが住民登録は無いらしい。
 鎮守の威徳神社(網野町日和田435)は残っているが、既に木津の加茂神社に合祀している。かつては例祭は8/24、25⇒10/10で、本社⇒御旅所の大川神社までの約300mを大名行列が渡行した。
順番は幟2本、法螺貝2、剣鉾、大笠、鉄砲、刀、横笛4、太鼓4は腰に付ける、御幣の順で紋付・袴姿で渡行した。

 ◎旧・竹野郡丹後町
 ■間人(たいざ)地区
    ⇒間人は東から岡成・谷・向地・小泊・小間東・小間西・砂方の7地区に区分される。
丹後町間人字岡成稲木原18 早尾神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は9/13
丹後町間人字谷 政勝稲荷神社 10/連休土日 神輿 例祭は9/15
子供屋台 当地区のみ屋台無し
丹後町間人字向地 愛宕神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は8/23
丹後町間人字小泊 秋葉神社 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は9/1日曜
丹後町間人字小間(小間東) 水天宮 10/連休土日 屋台(大小) 例祭は4/24
丹後町間人字小間(小間西) 三嶋神社 10/連休土日 屋台(大小)
丹後町間人字砂方 三柱神社 10/連休土日 屋台(大小)
 ■豊栄地区
    三宅(みやけ)、成願寺(じょうがんじ)、大山(おおやま)、徳光(とくみつ)、岩木(いわき)、矢畑(やばた)、是安(これやす)、吉永(よしなが):
    無住化:一段(いちだん)、神主(こうぬし)、力石(ちからいし)、相川谷(あいかわだに)
丹後町成願寺家の奥80−2 須和神社
丹後町大山白岩922 志布比神社 9/3 例祭
丹後町徳光奥山2187−1 春日神社 対岸の山を越えて竹野川流域に枝郷・西小田(にしこだ)の集落がある
丹後町岩木宮ノ越928 丹生神社
丹後町是安松枝391 松枝神社
丹後町吉永中尾18 吉永神社 内垣・吉永・西谷の3地区に分かれる
 ■竹野地区
   ⇒竹野(たかの)、筆石(ふでし)、宮(みや)、此代(このしろ)
丹後町竹野宮ノ越659 竹野神社 10/10頃の日曜 テンキテンキ
丹後町筆石沖岡117 三柱神社
丹後町宮宮谷245 竹野神社 10/10 神輿 宮1基、竹野2基出す
丹後町此代下路1343 熊野神社 枝村に乗原(のんばら)・牧の谷がある
丹後町此代小字乗原520 八柱神社 10/連休 太鼓台
笹はやし
丹後町此代ワレハ13 八柱神社 10/連休 笹はやし
 ■上宇川地区
      平(へい)、中野(なかの)、遠下(おんげ)、鞍内(くらうち)、井谷(いたに)、畑(はた)
      無住化:三山(みやま)、竹久僧(たけきゅうそう)、小脇(こわき)
丹後町平下地828 八幡神社 神輿 神輿の裏書きに天文3年(1534)とあり
丹後町中野城下236 三柱神社
丹後町遠下風穴1219 依遅神社
丹後町鞍内80 八柱神社
丹後町井谷家ノ上16 八幡神社
丹後町畑家ノ上64 三柱神社
 ■下宇川地区
   ⇒尾和(おわ)、中浜(なかはま)、久僧(きゅうそ)、上山(うえやま)、谷内(たにうち)、上野(うえの)、袖志(そでし)
丹後町尾和400 八柱神社
丹後町中浜愛宕ノ下427 大野神社
丹後町久僧521 豊住神社
丹後町上山166−1 産霊神社 10/12 太刀振廃絶 上山寺の門前集落
丹後町谷内馬ツナギ305 立石神社 上・中・下の三地区に別れる
丹後町上野815 六神社 10/10 例祭
丹後町袖志80 間主神社 10/祝日 曳き屋台
太刀振 神社で例祭の後、最初に万福寺で奉納する
 【消滅集落】
(いかり)=無住の出作耕作地だったが、昭和23年(1948)開拓団が入植し碇開拓村が誕生。戸数は10戸。しかし厳しい環境で昭和28年(1953)に離村し再び出作耕作地となるが、府の碇高原総合牧場建設に伴い、全域が京都府の所有となる。

栃谷(とちだに)=是安の字。明治初期は5世帯。昭和43年(1968)に最後の1戸が離村し無住となる。

乗田原(のたがはら)=行政区としては昭和22年(1947)竹久僧と合併。
明治4年(1871)、4戸。昭和40年(1965)3戸。昭和44年(1969)廃村。

一段(いちだん)大正13年は24戸・130人。豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和45年(1970)に全戸離村。
 神社は五神社。昭和47年(1972)、是安の松枝神社に合祀され、祠のみ残る。

力石(ちからいし)=昭和32年(1957)4月7日未明の大火で26戸のうち24戸が焼失。さらに昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、昭和45年(1970)は2戸・2人となり、昭和50年(1975)に全戸離村。
 平成30年(2018)元の住民とその子孫により「力石集落碑」建立。鎮守は石久々里神社(力石右ヤキ695)。


三山(みやま)=明治17年(1884)、39戸。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和50年(1975)、残った12戸が町と交渉し三宅団地へ集団移転。
昭和50年(1975)「離村記念碑」建立。現在はキリスト教系のボランティア団体のコテージや別荘も出来ているという。
神社は三柱神社(深山畑下98)で三宅の三柱神社に合祀した。例祭日は10/10で、台車に乗せて太鼓輿が神社から出発し、一日中村内を巡行し、夕方神社へ帰ってきた。翌11日は運動会を行った。

神主(こうぬし)=大正13年は11戸・77人。昭和45年は6戸・15人。昭和50年(1975)2戸・12人。昭和53年(1978)に全戸離村。
 三柱神社は昭和44年9月、吉永神社に合祀。

竹久僧(たけきゅうそう)=昭和25年(1950)、12戸・60人。昭和38年(1963)の豪雪で壊滅的な被害を受けその年にうちに集団離村。翌昭和39年(1964)廃村となる。
 跡地は国有林。昭和49年(1974)「離村記念碑」建立。神社は三柱神社。

大石(おおいし)=明治33年(1900)、弥栄町野間から丹後町に移管。昭和25年(1950)には9戸・38人。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、昭和50年(1975)2戸・12人。昭和53年(1978)全戸離村。

小脇(こわき)=明治21年(1888)、16戸。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ、平成元年(2015)廃村となる。
 神社は春日神社(小脇290)。


相川谷(あいかわだに)=往古は6戸。昭和50年は3戸・9人だった。昭和60年(1985)頃に無住となるが、平成25年(2013)頃までは元・住人が通い畑作を続けていたという。
 神社は三柱神社。

 ◎旧・竹野郡弥栄町
 ■溝谷地区
   ⇒外村(とのむら)、溝谷(みぞたに)、等楽寺(とうらくじ)
外村)弥栄町溝谷46−2 溝谷神社 10/連休 神輿2基 氏子は溝谷・外村・等楽寺
太鼓輿、子供の太鼓台
等楽寺にはかつて11の枝郷があって山間部に散在していたが、明治中頃までに岩野(いわの)・ミイガクゴ・芦谷(あしだに)・二俣(ふたまた)・オサズが、昭和20年以降六谷(ろっこく)・中尾引(なかおびき)・吉津(よしづ)・畑(はた)・高原(たかはら)などが廃村となり、現在堀越(ほりこし)の集落だけが残る。
 ■吉野地区
   ⇒吉沢(よっさわ)、芋野(いもの)、堤(つつみ)
弥栄町吉沢家ノ山207−1 早尾神社 10/連休(元・10/13) 子供太鼓台 南約2kmの山中に分村の小原や端郷の表山(おもてやま)がある、表山は昭和34年に廃村となる。 
弥栄町芋野長尾28−1 石上神社 10/連休(元・9/14) 子供太鼓台  
弥栄町提サト182−3 三柱神社 10/連休 例祭
 ■鳥取地区
   ⇒鳥取(とっとり)、木橋(きばし)、和田野(わだの)
弥栄町鳥取宮ノ森305−2 吉田神社 10/連休(元・9/16) 太鼓輿
弥栄町木橋宮山26−2 日吉神社 10/連休 神輿
子供太鼓台
弥栄町和田野上地472 春日神社 10/連休 屋台、太鼓輿
 ■深田地区
   ⇒黒部(くろべ)、船木(ふなき)、小田(こだ)、国久(くにひさ)、井辺(いのべ)
弥栄町黒部深田411 深田部神社 10/連休
(元・旧9/8、9)
神輿2基
太鼓輿
黒部の踊り子
黒部の踊り子=府指定無形民俗文化財。弓持ち1名と傘鉾3基を伴って大太鼓、腰付、ササラ、各6名の踊り子と、鬼1名で構成されている。鬼は厄年の大人がつとめ、これ以外は少年が役につく。
弥栄町船木奈具273 奈具神社 10/連休 船木の踊り子

船木の踊り子=府指定無形民俗文化財。太鼓・カンコ・ササラ各4名の踊り子と鬼1名のほか、傘鉾1基によって構成されている。大太鼓の持ち手は「大将」と称する最年長者がつとめ、この大将が踊り子を統率する。また、鬼以外の役はすべて少年がつとめ、船木の子供達はまずササラ役からはじめて、カンコを経て、大太鼓と順次繰りあがり、大将をつとめて踊り子を退く。

弥栄町小田中地135 八柱神社 10/連休 例祭 旧称は八大荒神。
弥栄町国久石ケ谷214−2 國原神社 10/連休 曳き屋台 昭和63年制作。土日に村内を曳行
三番叟廃絶 大正の頃まで奉納。現在でも面はある
弥栄町井辺穂曽長943 穂曽長神社 10/連休 例祭
 ■野間地区
   ⇒須川(すがわ)、野中(のなか)
弥栄町須川205−3 三吉神社 10/連休 例祭
弥栄町須川味土野125 金山神社 10/連休 例祭
弥栄町須川味土野125−2 聖神社 10/連休 例祭
弥栄町須川大谷74−1 大谷神社 10/連休 例祭
須川=須川・吉野・来見谷(くるみたに)・霰(あられ)・大谷・味土野の6集落より成る。また味土野の端郷に小杉(こすぎ)・三舟(みふね)の2集落がある。明治末期〜昭和30年代にかけて多くの端郷が消滅した。
弥栄町野中1985 大宮神社 10/連休(元・旧9/9) 楽、太刀振、獅子神楽
弥栄町野中住山331−1 丸山神社 10/連休 例祭
弥栄町野中339−1 小金山神社 10/連休 例祭
 【消滅集落】
吉津=昭和42年離村。かつて21戸。

住山(すみやま)=須川の端郷=昭和38年の豪雪がおもな原因で住民は移転し、無人化となる。
7つの小集落があった。戸数は14戸で、住山(すみやま)5戸・熊谷(くまたに)1戸・尾崎(おざき)1戸・平家(へいけ)1戸・茶園(ちゃえん)2戸・黒川(くろかわ)2戸・出合(であい)2戸であった。
神社は住山・熊谷で丸山神社を拝んだが、離村を機に野中の大宮神社に合祀した。例祭日は10/10で幟を立て太鼓を叩いて祭りを行った。

大石(おおいし)=野中の一部で、八木村成立時に分離編入され、大字となった。
大正13年は8戸・51人。昭和30年は9戸・37人。昭和38年の豪雪で近郷への離村が相次ぎ昭和53年に全戸離村。鎮守は大石神社(大石498)。

川久保=野中の端郷。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境の関係」によると、明治初期7戸、昭和48年4戸、昭和56年より冬期無住世帯1戸、平成元年1戸」とあるが、昭和55年離村との情報もある。

 ◎旧・熊野郡久美浜町
 ■久美浜1区地区
   ⇒西本町区・新町区・向町区・仲町区・土居区・栄町区・十楽区・東本町区・新橋区
新町(久美浜町1314) 神谷太刀宮 10/1か2土日 神輿 あり
太鼓台5台 美城山、松江山、双葉山、神楽山、霧島山
神谷神社とも称する。式内社、旧・郷社。氏地は久美浜1区9集落。西本町区・新町区・向町区・仲町区・土居区・栄町区・十楽区・東本町区・新橋区。
宵宮は簡易な作りの日和神楽が出る。本宮は太鼓台(だんじりともいう)が出る。
美城山⇒西本町・新町区。鉢巻きの色は白。

松江山⇒向町区。鉢巻きの色は紫。

双葉山⇒仲町・土居・栄町区。鉢巻きの色は桃。

神楽山
⇒十楽区。鉢巻きの色は赤。平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業により太鼓台収蔵庫の整備。
 子供山もあり。


霧島山
⇒東本町・新橋区。鉢巻きの色は緑。
=飾蒲団は平成13年復元新調。以前のは大正10年(1921)制作。
 ■久美浜2区(久美谷)地区
   ⇒神谷(かんだに)、河梨(こうなし)、口馬地、奥馬地(おくまじ)、三谷(みたに)、栃谷、甲坂
久美浜町神谷 旗指神社 10/連休土日 太鼓台1台、 子供太鼓台1台 三番叟
久美浜町河梨大谷 熊野新宮社 10/連休土日(元・17) 太鼓台(大小) 三番叟
久美浜町口馬地若宮684 三社神社 10/連休土日 餅まき
久美浜町奥馬地201 村岳神社 10/連休土日 太鼓台1台
口三谷(久美浜町三谷小頃瀬) 小頃瀬(こころせ)神社 10/連休土日 子供だんじり1台
奥三谷(久美浜町三谷宮本) 大森椿原神社 10/連休土日 太鼓台(大小)
久美浜町栃谷 深谷神社 10/連休土日 太鼓台1台 三番叟も行う
久美浜町甲坂1246 山木神社 10/連休土日 太鼓台1台 三番叟
栃谷と甲坂は元は1つの集落だったが、昭和20年代に分離。栃谷区の三番叟は大人の舞、甲坂区は子供が舞っていた。
 ■川上地区
   ⇒市野々(いちのの)、布袋野(ほたいの)、畑(はた)、金谷(かなや)、市場(いちば)、出角(いずすみ)、須田(すだ)、新庄(しんじょ)
久美浜町市野々宮ノ上 天満神社 4/2日曜 子供神輿
久美浜町布袋野 河上三神社 4/中旬(元・15) 三番叟
久美浜町畑菅森 菅森神社 4/中旬 例祭 地内は東畑・西畑に分れる
久美浜町金谷今ゴ田791 三島田神社 4/中旬(元・15) 神輿 氏子は畑・金谷・須田。式内社
だんじり1台
太神楽舞の分担は金谷、たいまつをとぼし太鼓の先触れで神輿を先導する奴は須田、境内での相撲は畑と、それぞれ分担が決まっていた。
久美浜町市場向山 産霊七社神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町出角宮ノ谷718 伊豆志彌神社 4/中旬 例祭 式内社
久美浜町新庄  大西神社 4/2土日 担ぎだんじり1台
 ■海部地区
   ⇒海士(あま)、油池、坂井、友重、品田(ほんで)、橋爪(はしづめ)、島(しま)、芦原(あしわら)、新谷、谷(たに)
久美浜町海士 矢田神社 4/中旬 神輿
だんじり1台、子供だんじり1台 式内社。氏地は海士、橋爪
久美浜町油池下寄 伊吹神社 4/中旬 例祭
久美浜町坂井永助 御陵神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町友重式ノ谷 聽部神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町品田大谷宮 熊野若宮三社神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町島 八立神社 4/中旬 例祭
久美浜町芦原 芦高神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町新谷向畑387 竹谷神社 4/中旬 例祭
久美浜町谷259 三柱神社 4/中旬 例祭
 ■田村地区
   ⇒一分(いちぶ)、大井、関(せき)、三原(みはら)、三分(さんぶ)、平田
久美浜町一分291 持田神社 4/中旬 神輿、三番叟
だんじり1台
久美浜町大井644 広峰神社 4/中旬 子供だんじり1台
久美浜町関家ノ上 蛭子神社 4/中旬 だんじり1台、子供だんじり1台
久美浜町三原坂尻202 八柱神社
久美浜町三原石橋283 伊吹神社
久美浜町三原宮ノ前614 武神社
久美浜町三分 意布伎神社 4/中旬 三番叟
久美浜町平田306−1 八代神社 4/1日曜(元・3) だんじり1台、子供だんじり1台
 ■神野地区
   ⇒甲山(こうやま)、神崎、浦明(うらけ)、長柄、鹿野(かの)
久美浜町甲山1313 丸田神社 4/中旬 だんじり1台 式内社
久美浜町神崎998 雲晴神社 4/中旬 だんじり1台、子供だんじり1台 元・4/15 
久美浜町浦明277 春日神社 4/中旬 だんじり2台
久美浜町鹿野224 八幡神社 9/連休土日 神輿
だんじり1台
 ■湊地区
   ⇒葛野(かずらの)、湊宮(みなとみや)、大向、蒲井
久美浜町葛野416−1 岩船神社 10/連休土日 子供神輿もあり
だんじり1台
湊宮=西天橋(小天橋)砂嘴先端にある湊宮と、その東側の函石、さらに神戸(ししど・しど)の海を隔てた西側の河内(かっち)、廃村になった山内(さんない)からなる。
久美浜町湊宮54 清水神社
久美浜町湊宮109 大福神社
久美浜町湊宮468−10 意布伎神社
久美浜町湊宮1662 蛭兒神社 10/27前の土日 神輿
だんじり1台
磯砂会=1975年、府道建設計画の際、土地所有で神社と湊宮区でもめ、永らく祭礼にしなかったが、2007年和解。2008年、20年ぶりに神輿巡幸、稚児行列復活。2009年、だんじり曳行復活。
久美浜町大向168−1 広峰神社 10/連休土日 だんじり1台
だんじり=平成21年、京都府社寺等文化資料保全補助事業によりだんじり小屋の屋根修理。
久美浜町蒲井437 八坂神社
久美浜町蒲井557−1 旭神社
 ■上佐濃地区
   ⇒尉ヶ畑(じょうがはた)、二俣(ふたまた)、小桑(こぐわ)、佐野、安養寺(あんようじ)、野中(のなか)
久美浜町尉ヶ畑 二宮神社 4/中旬(元・15) だんじり1台
久美浜町二俣順出96 賀子神社 4/中旬 だんじり1台 二俣の端郷に奥山がある。昔は18戸。
久美浜町二俣石本 大森神社 9/16 例祭
久美浜町小桑 八坂神社 4/中旬 だんじり1台
久美浜町佐野地ワ177 矢田八幡神社 4/中旬 だんじり1台
例祭日は旧暦8/15⇒4/15(明治27年より)⇒4/中旬へ。往古は渡御・長刀振・太鼓打・太鼓台・相撲・芝居などで賑わった。
久美浜町安養寺512 三玉神社 4/中旬 例祭
久美浜町野中石峠460 天満宮 4/中旬 太鼓台1台、 子供太鼓台1台
 ■下佐濃地区
   ⇒円頓寺(えんどんじ)、長野、坂谷、竹藤、女布(にょう)、丸山(まるやま)、永留(ながどめ)、郷(ごう)
久美浜町円頓寺 三柱神社 4/中旬 例祭
久美浜町長野北側69 大岸神社 4/中旬 例祭
久美浜町坂谷峠谷60 三柱神社 4/中旬 例祭
久美浜町竹藤森岡89 貴船神社 4/中旬 だんじり2台(大小)
久美浜町女布724 売布神社 4/2日曜(元・15) 神輿 氏地は女布・谷・安養寺・郷・円頓寺・丸山・野中
だんじり2台 女布、丸山
例祭日は9/2牛の日⇒4/15⇒4/2日曜となる。7ヶ村(現在は6ヶ村)合同の祭礼で、以前は郷からもだんじりが来ていたが、現在は丸山のだんじりだけが来る。丸山のだんじり・神輿・女布のだんじりの順に宮本に当たる女布を巡行する。
久美浜町永留213 高岡神社 4/中旬 神輿 地内は本谷・地家(じげ)・茶屋の3地区よりなる。
だんじり1台
久美浜町郷228 大森神社 4/中旬 だんじり1台

 ≪与謝郡≫     
 与謝野町
 平成18年(2006)3/1、与謝郡野田川町+加悦町+岩滝町が合併。
 ◎旧・野田川町
    ⇒三河内(みごち)、岩屋(いわや)、市場(いちば=幾地・四辻)、山田(やまだ)、石川(いしかわ⇒上地、中地、下地、川上、大宮、亀山、堂谷と七区に分かれている)
三河内1453 倭文神社 5/3、4
(元・25
神輿
大幟、山屋台5台、楽台4台、芸屋台4台、子供屋台6台 梅之町、下之町、表町、 上之町、奥組、中組
各屋台は御旅所に集合し、二輪の台車に大きな幟を立てた大幟を先頭に、神楽殿・山屋台・子供屋台計12基を連ねて神社へと町内を巡行する。
 ◎梅之町(梅谷)
大幟
=御祭神は天羽槌雄之命。昭和23年新調。長さは3、3m。幅1、6m。高さ6m。台車の直径は1、5m。
 宝永5年以来、倭文神社祭典を司るため三河内発祥の地と言われる梅谷の大幟を先等に位置し祭事が進められたと伝えられる。永保5年、大幟を出している。
子供屋台=あり。
 ◎神楽町(下之町、下地)
神楽殿
=御神体は獅子頭。獅子頭を乗せて神楽舞を奉納しながら巡行する。長さ3、65m。幅2、27m。高さ3、65m。
胴幕の水引幕は「獅子に牡丹の花」。
子供屋台=あり。
 ◎表町(大道町)
春日山=御祭神は武甕槌命(鹿島大神)。昭和15年、皇紀2600年を祝して屋台と幕を新調。長さ3、7m。幅3m。高さ4、5m。
水引き幕・胴幕の作者は、四代目絹常小紫雅康か?。水引き幕:正面は「源頼朝と仁田四郎忠常の富士の巻狩り」、右は「坂田金時鯉退治」と「隠岐次郎左衛門鷲退治」、左は「源満仲龍退治」と「加藤清正虎退治」。
 
春日山永代帳には最古の記録は文化3年(1806)である。この年に、担い屋台創建。明治25年山屋台創建。
楽台=あり。
子供屋台=平成16年修復。
芸屋台=昭和35年が最後の巡行。平成15年(2003)11/3、組立技術の継承のため43年ぶりに組立てる。
 ◎中組(中坪)
八幡山
=御祭神は応神天皇(誉田別命)。長さ3、62m。幅2、95m。高さ4、6m。
楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=あるが出ていない。
 ◎上之町(上地)=明治25年、愛宕様と稲荷様を祀る町内が合併して誕生。
浦島山
=御祭神は愛宕の神・稲荷の神。明治15年創建?。長さ4、24m。幅3.31m。高さ4、87m。
楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=あるが出ていない。
 ◎倭文町(奥組、奥地)
倭文山=長さ3.65m。幅3m。高さ4.7m。
楽台=あり。
子供屋台=あり。
芸屋台=平成19年(2007)、組立技術の継承のため約40年ぶりに出す。前回は昭和40年代。
岩屋森谷763 阿知江石部神社 4/4土日 子供屋台4台
神楽1台
 
幾地1098 深田神社 4/4土日 子供屋台1台  
四辻27・28 八幡神社 4/4土日 子供屋台2台  
上山田960 苦無神社 4/4土日 子供屋台1台  
上山田1304 弥刀神社 4/4土日 太鼓屋台1台  
下山田1511 明鏡神社 4/4土日 太鼓屋台1台  
石川字慈観寺 大命神社 4/4土日 笹囃子
石川大宮4990 大宮神社 4/4土日 屋台1台  
笹囃子
石川物部2013 物部神社 4/4土日 屋台1台  
笹囃子
石川堂谷1−1 多田神社 4/4土日 屋台1台  
野田川町ではかつて例祭日は4/24、25だったが、今は4/4土日か5/3、4に変更した。
 ◎旧・加悦町
 ■加悦地区
   ⇒後野(うしろの)、加悦奥(かやおく)
加悦天神山50−1 加悦天満宮 4/4土日 山屋台2台 算所区、上之町
算所区(天神山)=制作年、大工等は不詳。人形は、大正13年修理の記録がある。平成14年修復。

上之町(稲荷山)
御神像として龍神像が残っているが、その箱書に天明6年(1786)に大工冨田平兵衛が制作したことが記載されており、この頃に山屋台が存在したと思われる。
後野31−13 愛宕神社 4/4土日 芸屋台1台 宮本町(愛宕山)
山屋台4台 中之町(大黒山)、下之町(三輪山)、大下町(建部山
愛宕山(宮本町)=平成2年、28年ぶりに子供歌舞伎復活。現在は隔年で上演。
上之町(蛭子山=文久元年(1861)に芸屋台再建の史料があるので、それ以前にあったと分かる。また見送りの箱蓋裏書きに寛政2年(1790)7月とあるのでその頃にはあったと分かる。

中之町(大黒山)、下之町(三輪山)=詳細不詳。

大下町(建部山
=昭和21年制作。
加悦奥1328 一宮神社 4/4土日 太鼓屋台1台  
加悦奥365 二宮神社 4/4土日 太鼓屋台2台
加悦奥中屋492 七谷神社
 ■与謝地区
   ⇒与謝(よざ)、滝(たき)、金屋(かなや)
与謝510 宇豆貴神社 4/24 例祭
与謝2294 下宮神社 4/4土日 担い屋台2台
滝小字畠中 畠中神社 4/4土日 子供屋台1台
滝204−1 厳島神社 4/4土日 子供屋台1台
滝2593 鎌倉神社
金屋9−2 国守神社 4/4土日 子供屋台1台
 ■桑飼地区
   ⇒温江(あつえ)、明石(あけし)、香河(かご)
温江1821 大虫神社 4/最終土日 神楽、太刀振り
温江103 小虫神社 4/最終土日 神楽、太刀振り
大虫神社氏子は温江の虫本、奥手、湯之谷の3地区で(温江の残りの地区は小虫神社の氏子)、祭礼は小虫神社と合同で行われ、神楽と太刀振りが奉納される。例祭は10/30⇒4/21⇒4/24、25⇒4/最終土日〔平成13年(2001)より〕と変遷した。
明石599 須代神社 4/4土日 屋台3台 式内社
明石2123 日吉神社
庄ヶ崎=太鼓屋台。大正元年制作。
棒賀=太鼓屋台。昭和9年制作。
香河175−1 三谷神社
香河425−1 一之坂神社
香河480−1 山添神社 7/24 例祭
加悦谷祭りは、毎年4月末に加悦町民が総出で行う伝統的な祭礼行事である。江戸時代から伝えられて、明治中頃に現在の形態になったと推定される。祭礼は、屋台巡業と神楽舞を基本とする。かつて例祭日は4/24、25だったが、今は4/4土日に変更した。
 【消滅集落】
深山(みやま)=滝の枝村。

大田和(おおたわ)=滝の枝村。7、8戸あったらしい。昭和46年に最後の1戸が離村。

鹿熊(かのくま)=滝の枝村。5戸あった。

 ◎旧・岩滝町
   ⇒岩滝(いわたき)、男山(おとこやま)、弓木(ゆみき)
岩滝582 板列(いたなみ)稲荷神社 5/1(毎年) 神輿
子供神楽 浜町・立町・藪後・東町
男山178 板列(いたなみ)八幡神社 5/1(毎年) 例祭
弓木408 木積神社 5/1(毎年) 神幸祭 太刀振
山車
神輿=明治29年制作。
 【消滅集落】
蛇谷(じゃたに)=男山の端郷。論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期10戸、昭和29年3戸。昭和36年に無人化。

 伊根町
 ■伊根地区
   ⇒平田(ひらた=西平田・東平田・大浦)、亀島(かめしま=高梨・立石・耳鼻・亀)、日出(ひで)
平田(亀島宮山3) 八坂神社 7/27、28 神輿
船屋台4隻 ※大祭の時に出す。昭和期に4回出した
太刀振り、神楽  
 例祭には平田は稚児舞、亀島は棒振り・太刀振り・神楽、日出は神輿が巡幸。
大祭は明治期に7回、大正期に5回、昭和期は9年(1934)、26年(1951)、45年(1970)の3回。最近では2012年に7年ぶりに1艘出た。

大祭の年は平田地区は大和舞・人長舞・芝居・狂言等の演劇等を奉納。亀島地区からは船屋台4艘が海上を渡御する。
亀山区(宝来山)=制作年代不詳。

耳鼻区(稲荷山)
宝暦11年(1761)湾内で捕獲した鯨の収益金で作られたと言われる。

立石区(神楽山)
=明治初年に再建。

高梨区(蛭子山)=明治20年頃に再建。
 ■朝妻地区
   ⇒
大原(おおはら)、新井(にい)、井室(いむろ)、六万部(ろくまんぶ)、泊(とまり)、津母(つも)、峠(とうげ)、畑谷(はただに)
大原岡ノ上431  八坂神社 4/15 子供の手作り神輿
太刀振り、相撲、雅楽廃絶
新井松川8−3 新井崎神社 4/15 太刀振り、花の踊り
泊宮垣36 七神社 4/15 太刀振り、花の踊り 井室から神楽、六万部から相撲が奉納された
津母小川64 八坂神社 4/15 太刀振り、花の踊り
峠上山194−1 三柱神社 4/15 太刀振り休止
 ■筒川地区
   ⇒菅野(すがの)、野村(のむら)、本坂(ほんざか)
菅野宮山1991 上山神社 4/25頃の日曜 太刀振り、神楽  
越山(菅野宮ノ前1191−1) 越山神社
滝根(菅野滝根1757−1) 中山神社
成(菅野成100) 八幡神社
菅野は菅野・越山・滝根・湯の山・成・足谷・福の内・入リ道を含む農山村地域全体で、各集落は田原川およびその支流沿いに散在。すでに廃村と化している集落もある。
野村寺領3493 猿田彦神社
野村271 八幡神社
野村5253 大山祇神社
薦池(野村) 三柱神社 10/5 例祭
河来見(野村) 三柱神社 4/25頃の日曜 太刀振り、花の踊り休止
野村は筒川地区から碇峠を越して上山に通ずる道沿いに集落がある農山村地域で寺領、薦池、河来見、朴丸、野村、吉谷、田坪などの集落が点在する。
本坂175−2 八重垣神社 3/3 例祭
 ■本庄地区
   ⇒本庄浜(ほんじょうはま)、本庄上(ほんじょうあげ)、本庄宇治(ほんじょううじ)、野室(のむろ)、長延(ちょうえん)、蒲入(かまにゅう)
本庄浜191 宇良神社 8/3頃 太鼓台  
太刀振り、花の踊り
 ■土曜
(20:00〜)宵宮
 ■日曜
(9:00〜)祭礼奉納奉告祭(太刀振り・花の踊りが奉納)
(12:30〜)直会
 ■月曜(=地下祭)
各地に帰って、鎮守(本庄上は地内今田26−2の三柱神社、野尻258の三柱神社、殿村800の八柱神社。本庄宇治は三柱神社)に同じ太刀振り・花の踊りを奉納。
 ■火曜
(11:00〜)例祭
 現在は本庄浜、本庄上、本庄宇治の祭礼で、本庄浜と本庄上から太刀振りと花の踊りが奉納される。
往古は本庄・筒川・朝妻地区にわたる13ヶ村の郷社で大正の頃まではそれらの村々から多彩な芸能奉仕があった。また戦前までは蒲入や長延が参加していた。
野室宮ノ後95 八柱神社
長延宮坂1219 古森神社 8/6 例祭
蒲入真島92 真嶋神社 8/3、4 太刀振り、花の踊り
 【消滅集落】
吉谷=野村の散村。昭和52年離村。かつて39戸。

田坪=野村の散村。昭和42年離村。かつて16戸。

足谷=菅野の散村。昭和55年離村。かつて22戸。神社は下山神社(足谷1147−1)。

福之内=菅野の散村。昭和44年離村。かつて18戸。神社は桑飼神社(福ノ内3562−2)。