≪山 城≫
 

     八幡市、宇治市、城陽市、京田辺市、向日市、長岡京市、木津川市
     乙訓郡[大山崎町]
     久世郡[久御山町]
     綴喜郡[
宇治田原町、井手町]
     
相楽郡[和束町、笠置町、南山城村]

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪八幡市≫
     八幡町:八幡、川口
     都々城:岩田、野尻、上奈良、下奈良、上津屋
     有智郷(うちごう):内里、戸津、美濃山新開
八幡高坊30 石清水八幡宮公式HPへ 9/15(毎年) 石清水祭 鳳輦3基
勅祭石清水祭=勅祭とは天皇の使いの「勅使」が供え物を渡しに訪れる祭り。京都の葵祭、奈良の春日祭とともに旧儀による三大勅祭である。
 貞観元年に九州の宇佐八幡宮から八幡大神が勧請されてから4年後の貞観5年(863)8月15日、八幡大神が男山の裾を流れる放生川で、「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願い、放生川に魚を放す「石清水放生会(いわしみずほうじょうえ)」として始められた。
 この石清水放生会が勅祭として斎行されたのは、朱雀天皇の時代、天暦2年(948)の勅使御差遣に始まるとされており、生きとし生けるものを憐れみ慈しむ八幡大神の神慮に応え、毎年勅使を差し遣わして、国家の安寧と国民の幸福を祈誓した。 その後、天延2年(974)には、朝廷の諸節会に準じ雅楽寮の楽人舞人が楽舞を奏することなどが定められ、さらに建久2年(1070)には、当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、天皇行幸の儀に準じ弓箭を帯して警蹕を唱え、神輿の渡御を行うなど、荘厳の度を加えることとなった。
 神仏分離以来で仏僧とは離れたが、2004年、137年ぶりに比叡山延暦寺の天台宗高僧が出席、神職とともに生き物を慈しみ、川に鯉や鮒を放つ放生会を行った。
 ≪行事予定≫
(2:00〜)山上の本殿において鳳輦三基に石清水八幡宮の祭神である応神天皇、神功皇后、ヒメ大神の三座の神霊を奉遷する儀式。
(3:00過ぎ〜)鳳輦は本殿を出発、500余人もの神人(じにん)と呼ばれるお供の列を従え、松明と提灯の明かりを頼りに山を下る。
(3:40頃〜)山麓の絹屋殿に着御された後、勅使以下の奉迎を受け、前陣を整える。
(4:15)頓宮に入御。
(5:30頃〜)献饌、供花、奉幣、牽馬など古儀による奉幣祭。
(10:00〜)旧護国寺(現・頓宮)にて神幸祭。
(10:30〜)旧護国寺(現・頓宮)にて法要(導師入場・礼拝、導師表白、放鳥、誦経)。
(11:00〜)安居橋にて狂言奉納。
(11:45頃〜)旧護国寺(現・頓宮)より安居橋へ神幸。此の間奏楽。放生川にて居橋へ神幸、衆僧読経、放魚。
(18:30頃〜)鳳輦は再び山上へと還幸。
(20:00頃)山頂の本殿に着く。
八幡高坊30 高良神社 7/海の日前後
元・18
太鼓御輿5基 石清水八幡宮摂社
子供太鼓7台 6区の1班〜7班 
御輿が作られたのは文政年間(1818〜29)で高良神社の氏子の町衆が集まり、高良神社の例祭に興を添えようと屋形太鼓を作ったのが始まりと伝えられている。
明治維新以後に一時休止していたが、明治の中頃に復活。また、昭和34年(1959)年以来、途切れていた屋形太鼓の巡行が、昭和57年(1982)の3区、昭和60年(1985)年の1区にかけ、それぞれの地域の若衆によって復活した。
1区(志水)=八幡清水井、神原よりなる。昭和35年が最後で、昭和59年に24年ぶり復活。ただし老朽化のため据え太鼓。翌60年完全復活。

2区=八幡馬場、今田、城ノ内よりなる。昭和48年復活。

3区=八幡科手、大谷より2基の太鼓御輿が出る。昭和34年が最後で、昭和57年に22年ぶり復活。平成10年の宮入を最後に休止か?

6区=八幡軸、三反長よりなる。
当地区は子供会の太鼓で祭りの伝統をとぎれずにした。現在は大人の太鼓御輿。
1班(ほがらか会)、2班(なかよし会)、3班(あおぞら会)、4班(こまどり会)、5班(南ヶ丘子供会)、6班(ひまわり会)、7班(さくら会)
八幡西島1 春日神社 4/3 例祭
八幡平谷10 相槌神社 例祭
橋本狩尾1 狩尾社 10/25 湯立神事
橋本西刈又33 稲荷神社 10/25 例祭
橋本東原27 猿田彦神社 10/25 例祭
橋本東百反6 和氣神社 10/25 例祭
川口堀ノ内152 川口天満宮 10/2日曜(元・10) 子供神輿
岩田里35 石田神社 10/祝日 例祭
岩田茶屋ノ前75 式内石田神社 10/10 例祭
野尻北ノ口5 若宮八幡宮 10/10 例祭
上奈良御園9・10 御園神社 10/2日曜 ずいき神輿1基 獅子舞
上奈良地区は、「奈良の御園」と呼ばれ、朝廷に献上する瓜、ナス、ダイコンなどの野菜を栽培していた所で、ずいきみこしは、この名残を残し、サトイモの茎で屋根を葺き、その年に採れた30種にも及ぶ野菜で御輿を飾りたて、五穀豊穣に感謝する秋を彩る代表的な祭礼の一つとして、上奈良ずいきみこし保存会によって受け継がれている。
下奈良奥垣内46 天満宮 10/10 例祭
上津屋里垣内77 石田神社 10/10 神輿 神輿庫は境内
氏地は八幡市東部の上津屋の里垣内・浜垣内・木津川対岸の城陽市上津屋東川端の三集落。
神輿蔵は元・宮寺の福泉寺で薬師如来が祀られていた薬師堂だったもの。
ここの文政5年(1822)の薬師堂の普請願書が残されている。ちなみに廃仏毀釈により、薬師如来は同じ里垣内の浄土宗西雲寺に移された。
 創建当初は、北側の出入口に蔀戸があったが、神輿蔵に転用されたときに前扉が付け替えられたといわれる。
内里内1 内神社 10/9 例祭 式内社
戸津北小路124 八幡神社 10/9 子供神輿 江戸期の戸津村は東半分を淀藩領、西半分を石清水領として二分されていた。
美濃山宮ノ背98−2 若宮八幡宮 10/9 例祭

 ≪宇治市≫
      宇治町:宇治町、宇治郷、白川
      槙島
      小倉:小倉、伊勢田、安田
      大久保:大久保、広野
      東宇治:五ヶ庄、木幡(こはた)、菟道(とどう)、志津川、六地蔵、東笠取、西笠取、炭山、二尾、池尾(いけのお)
宇治山田1 宇治神社公式HPへ 5/2日曜・6/2日曜 神幸祭    
神幸祭(5/8、10時例祭、13時神幸祭)、還幸祭(6/2日曜、12時発輿祭於御旅所、市内巡幸の後18時頃還幸祭於神社)、 幣渡祭((6/5、23時御旅所を発輿、県神社を経て午前1時頃宇治神社御旅所へ)
宇治蓮華72 縣神社 1/5 子供みこし “初あがた祭”
6/5 梵天渡御
宇治山田59 宇治上神社公式HPへ 5/1〜6 神輿
宇治御廟72 稲荷神社
宇治下居149 下居神社
宇治神明宮西35 神明神社
公式HPへ
10/連休日曜 神輿、子供みこし 神明、神明石塚、城南荘、開、羽拍子東など
巫女舞 平成16年から始まる
宇治塔川156 山王神社
宇治野神2 野神社 10/18 例祭
宇治東内28 彼方神社 12/6 例祭
宇治又振47 末多武利神社 5/15 例祭
宇治蓮華47 橋姫神社 7/10 例祭
白川娑婆山16 白山神社 10/18 例祭
槙島町石橋28 蛭子島神社 9/30〜10/10 例祭
小倉町寺内31 巨椋神社 10/1〜10 例祭 式内社
伊勢田町若林13 伊勢田神社 10/1〜10 例祭 式内社
大久保町北の山109−1 且椋神社 10/8 例祭 式内社
広野町東裏106 皇大神宮社 10/9 例祭
五ヶ庄古川13 許波多神社 11/3 神輿=昭和末期より担がれなくなる 往古は競馬(くらべうま)の神事あり
木幡東中1 許波多神社 8/8&9/26 例祭 式内社、旧・郷社
志津川龍ヶ坪1 神女神社
笠取稲出町17−2 若宮社
東笠取谷ノ奥4 奥宮神社 5/5 例祭
東笠取平出町47 清瀧宮 11/3 例祭
西笠取黒出26 清瀧宮 11/3(隔年) 神輿
炭山養老14 炭山八幡宮 11/3 例祭
二尾町西縄手68 勢神社 11/寅の日 例祭
池尾北組49 大将軍神社 11/寅の日 例祭

 ≪城陽市≫
 ■久津川地区
     ⇒久世、平川、上津屋一部〔浜上津屋・里上津屋〕
久世芝ヶ原142 久世神社 10/初旬 神幸祭 大篝火神事 
 ※八幡市の石田神社の例祭では神輿が八幡市上津屋から木津川を渡って城陽市上津屋に来て再び帰った。
平川東垣外79 平井神社 10/中旬(元・12) 神輿
かつて7日はオイデ、8日はヨミヤ、9日はマツリ、10日はゴエンとしていた。神輿は飾付けのみの居祭りだった。現在は子供神輿、チビッコ相撲奉納。
明治5年の戸数は久世:83戸、平川:113戸、上津屋:107戸だった。
 ■寺田地区
     ⇒寺田(久世郡)+水主(綴喜郡)
寺田水度坂87 水度神社 9/30〜10/2(毎年) 神幸祭
9/30はオイデで子供みこしにより御旅所へ行き神輿庫に安置された本神輿に遷された。、10/1はヨミヤ、10/2はマツリで本神輿から子供神輿に遷され山の神様へ帰った。10/3はゴエンとしていた。
水主宮馬場30 水主神社 10/1日曜(元・2) 子供神輿 昭和50年代初期より始まる
明治5年の戸数は寺田:410戸、水主:76戸だった。
 ■富野荘地区
     ⇒富野、観音堂、枇杷荘
富野荒見田165 荒見神社 10/1〜5 神幸祭   
観音堂田畑1−12 旦椋神社 10/4、5 例祭
枇杷ノ庄大堀1 天満宮社 10/14頃 神輿、子供神輿
かつて12日はオイデ、13日はヨミヤ、14日はマツリとしていた。昭和16年頃までは堤防上の御旅所から神輿が出た。また活動写真や浪花節があった。昭和42年頃から子供神輿が登場するようになる。
明治5年の戸数は富野:222戸、長池町:118戸、観音堂:64戸、枇杷ノ庄:86戸だった。
 ■青谷地区
      ⇒奈島、市辺(綴喜郡)+中(久世郡)
奈島久保野110 賀茂神社 10/14〜16 子供神輿 昭和30年代に子供神輿始まる 
奈島16−2 松本神社 10/16 例祭
市辺城下88 市辺天満神社 10/15、16 子供神輿 昭和40年頃に樽みこし創建。やがて子供神輿となる。
中黒土66 天満神社 10/16 子供神輿 昭和40年頃創建
明治5年の戸数は奈島:145戸、市辺:84戸、中:121戸だった。

 ≪京田辺市≫
 ◎中部地区
     田辺:田辺、田辺中央、河原、興戸、薪、甘南備台
     草内:草内、飯岡、東
田辺棚倉49 棚倉孫神社 10/体育の日 ずいき神輿 大小
ずいき神輿=瑞饋御輿保存会。サトイモの茎であるズイキをはじめ、米や大豆、トウガラシ、千日紅など、地域で収穫された約30種類の秋野菜や穀物、果実、花などで飾り付けた神輿。重さは380kgほど。
昭和初期に途絶えるが、瑞饌神輿保存会結成により昭和51年(1976)に復活。
 大は2年に一度(西暦奇数年)巡幸、子供神輿は毎年作られる。
河原里ノ内26 天満宮社 10/9 例祭
興戸宮前100 酒屋神社 11/3 例祭 式内社
薪甘南備山10 神南備神社 10/15 例祭
薪里ノ内1 薪神社 10/15 例祭
草内宮ノ後5 咋岡神社 10/15 例祭
飯岡東原62 咋岡神社 10/15 例祭
東鍵田12 水分神社 10/18 例祭
 ◎北部(大住)地区
     ⇒大住〔新興町として大住ヶ丘・花住坂]、松井〔新興町として松井ヶ丘]〔京阪東ローズタウン=山手中央・山手東・山手西・山手南]
大住池平31 月讀神社 10/15 例祭
大住岡村62 天津神社 10/14、15 宵宮に大住隼人舞(市指定文化財)が奉納される
松井向山1 天神社 10/14 例祭
 ◎南部地区
    三山木:三山木、宮津、同志社山手、
    普賢寺:普賢寺(旧称:上)、水取、多々羅、上、天王、高船、打田
三山木ロ駒谷17−1 西山神社 10/18 例祭
三山木野神38 天神社 10/18 例祭
三山木南垣内34−1 芝山神社 10/18 例祭
三山木山崎107 山崎神社 10/18 例祭
宮津佐牙垣内164 佐牙神社 10/連休日祝(元・19) 神幸祭
寿宝寺(真言宗。三山木陶の島29)まで神輿行列が行われる。神輿2基(山本、江津)が寿宝寺に着いた夜、「百味と湯立」が行われ五穀豊穣を祈る。
宮津白山41 白山神社 10/連休日曜 例祭
普賢寺下大門65 地祇神社 10/18 例祭
水取浄楽 浄楽神社
多々羅新宮前 新宮社 10/18 例祭
天王高ヶ峰25 朱智神社 10/18頃 子供みこし
高船里111 石船神社 10/18 例祭
打田宮本91−1 須賀神社 10/体育の日(元・18) 例祭
 ※広報きょうたなべによると、宝くじのコミュニティ助成事業により神輿購入と記されている。
NO510号.2003年11月15日号には興戸区が秋祭り用の神輿。NO518号.2004年3月15日号には東区が神輿購入と書かれている。

 ≪向日市≫
     ⇒向日町(むこうちょう)、鶏冠井(かいで)、上植野、物集女(もずめ)、寺戸、森本
向日北山65 向日神社 5/2日曜 神幸祭 鳳輦、鉾、榊太鼓 等
例祭(五月一日)、氏子祭(神幸祭は五月第二日曜の三日前、還幸祭は五月第二日曜)。
神幸祭(おいで)では、祭礼の三日前に当社から祭神を鳳輦に遷し鶏冠井御旅所(向日市鶏冠井町)を経由して上植野御旅所へ。
還幸祭(おまつり)では上植野御旅所から各地区を巡幸して本社へ祭神がお還りになる。
物集女町長野 御霊神社
寺戸町乾垣内36 千代桜天満宮
森本町前田37 天満宮


 ≪長岡京市≫
      新神足:神足、馬場、開田、勝竜寺、友岡、調子
      海印寺:下海印寺、奥海印寺、金ヶ原、浄土谷
      乙訓:長法寺、粟生、今里、井ノ内
東神足2丁目16−15 神足神社 5/3・5 神幸祭 式内社 
天神2丁目15―13 長岡天満宮公式HPへ 10/下旬 神幸祭 子供みこし
太鼓、獅子舞、神輿の順に出発。神輿は宮神輿で地元子供会が中心で自治会、自警団、体育振興会、氏子青年会が協力する形で巡行する。
勝滝寺西池田7 春日神社 5/2 例祭
奥海印寺走田3 走田神社 11/14・21 神幸祭  
明治初め頃までは小倉神社(大山崎町円明寺)の神輿がこの社まで渡御した。
浄土谷宮ノ谷3 御谷神社 10/10 例祭
長法寺濁り池谷15 稲荷神社
粟生清水谷27 子守勝手神社 10/21 例祭
今里4−214 赤根天神社 1/12 例祭
向日神社の御旅所でもあった頃は今里には神輿があったらしい。
井ノ内南内畑35 角宮神社 5/2日曜 神幸祭

 ≪木津川市≫
 
平成19年(2007)3/12、相楽郡木津町+加茂町+山城町が合併して誕生。
 ◎旧・木津町
       木津:木津町、木津、市坂、梅谷、鹿背山
       相楽:相楽、吐師(はぜ)
木津宮ノ裏285  御霊神社  10/4土日 太鼓台2台 敬神組 、拝神団
敬神組(北大路町・南大路町・橋本町・江戸町・泉町)

拝神団(峠町・燈籠寺町・北畑町・南畑町・上津町・片山町)=昭和2年制作。彫師は川原啓秀。
 先代は焼失。
木津小字大谷1 岡田国神社 10/4日曜 太鼓台2台 社町、義友会
太鼓台休止 神祐組
社町=明治4年(1871)創建。彫師は小松源助。

義友会 (五丁目・三桝町)
神祐組御輿倉で現存するが、保存状態が悪く、組立ては無理かもしれない。
木津田中前34 田中神社 10/4日曜 太鼓台2台 西町、小寺町
西町=平成17年より休止していたが、平成29年復活。

小寺町=平成15年、40数年ぶりに田中神社に宮入り。それまでは町内の白山神社に参拝。
※ 昭和35年までは10/20、21に太鼓台が9台出て2日をかけて三社(御霊・田中・岡田国神社)に参拝し三社祭り"と称していたが、現在は10/4土日。ただし20・21日が土日の場合は20・21日。なお運行は1日のみのことも多いらしい。
運行停止の3台のうち1台は休止。残りの2台は木津交流会館(いずみホール)と府立山城郷土郷土資料館に展示。
二丁目=府立山城郷土郷土資料館に展示。平成3年より寄贈を受け展示。重量は約800kgとか?

四丁目木津交流会館(いずみホール)に開館当時の平成6年より展示。
墨書きによると、明治32年10月19日成工。細工人は大阪市本町4丁目 六代目小松源助 大工方は宮下音吉。とある。
狭間は「龍」。
市坂幣羅坂100 幣羅坂神社 10/4土曜(元・21) 太鼓台1台
梅谷宮ノ谷 天神神社
鹿背山宮ノ谷48 八王子神社
相楽小字清水1 相樂神社 10/17 子供神輿2台 曽根山区、大里区
氏地は北ノ庄、大里、曽根山の三区。
ユーモラスな仕草で豊作を願う1月15日頃に行われる「御田」や餅を竹串にさして花に見立てたものを奉納する2月1日の「もちばな」は、中世の宮座祭祀の様がよく残され、一連の行事は、京都府指定無形民俗文化財となっている。
吐師医王寺48 若宮神社 11/3 太鼓台2台 西吐師、東吐師
まず大宮神社(西の鎮守)に2台の布団みこしが宮入り。その後若宮神社(東の鎮守)へ。ここで解散し西は大宮神社で休憩。東は吐師会館で休憩。その後は町内廻り。
西吐師=太鼓蔵は大宮神社横。平成7年宝くじ助成金で建造。以前は民家で分散保管。掛声は「よいよいよい、そりゃ、よいとまかせ」。狭間:「三国志2面、龍虎2面」。

東吐師=以前は有力者の武田氏が分散保管。挟間:「龍虎」。東の方が古い。なぜなら1度西が廃絶?したため。以前の例祭日は10/16、17で担いでいたが、昭和40年代より10年ほど休止して11/3に例祭日変更して復活。

 ◎旧・加茂町
       加茂:兎並、大野、観音寺、里、銭司(ぜず)、高田、法花寺野(ほっけじの)、美浪、北
       当尾(とうの):辻、尻枝、南下手、北下手、森、高去(たかさり)、勝風、大畑、岩船、西小(にしお)、東小上、東小下、南大門、北大門
       瓶原(みかのはら):例幣(れいへい)、西、河原、岡崎、井平尾、奥畑
加茂町兎並寺山41 御靈神社 10/17 例祭
加茂町大野大野1 勝手神社 10/17 例祭
加茂町観音寺清水111−1 三十八神社 10/17 例祭
加茂町里口薬井17 春日若宮社 10/17 例祭
加茂町銭司宮小谷36−4 春日神社 10/17 例祭
加茂町高田上垣内38 白鬚神社 10/16 例祭
加茂町東井手口40 春日神社 10/16 例祭
加茂町法花寺野里1 八幡宮
加茂町北鴨村47 岡田鴨神社 11/30 例祭 式内社、旧・郷社
加茂町辻下垣外21 国栖神社
加茂町北下手北下手 愛宕神社
加茂町森陀羅尼田1 八幡宮
加茂町大畑榴谷64 白山神社
加茂町岩船上ノ門94 白山神社 10/16(毎年) おかげ踊り 15:00〜15:15
加茂町例幣後山1−1 加茂神社
加茂町例幣瓦釜2−1 四ノ宮神社
加茂町例幣マメロ19−1 祇園神社
加茂町西宮ノ東35 恭仁神社公式HPへ 10/3日曜 子供神輿
加茂町西南谷45 春日神社 10/17 例祭
加茂町岡崎東垣内74−1 春日神社
加茂町井平尾岸ノ上24 春日神社
加茂町奥畑宮ノ上16 八幡宮

 ◎旧・山城町
      ⇒綺田’(かばた)、上狛、北河原、神童子、椿井、平尾
山城町綺田神ノ木48 高倉神社 10/3土曜(元・17) 例祭
山城町綺田山際16 綺原座健伊那太比賣神社 10/3土曜(元・17) 太鼓台(布団)1台
山城町北河原北谷13−1 永寿神社 11/23 例祭
山城町北河原古屋敷52 春日神社 10/17 例祭
山城町神童子不晴谷177 天神神社 10/上旬 例祭
山城町椿井松尾41 松尾神社
山城町平尾小島48 春日神社
山城町平尾里屋敷61−9 和伎座天乃夫岐賣神社涌出宮) 10/3日曜 子供だんじり 数台
2月 居籠(いごもり)祭 国の重要無形民俗文化財

 ≪乙訓郡≫
  大山崎町
     ⇒円明寺、大山崎、下植野
円明寺鳥居前83 小倉神社 11/3 神輿2基
令和元年、57年ぶりに神輿巡幸復活。コースは長岡京市調子の御旅所から神輿出発。大山崎町円明寺⇒阪急西山天王山駅前(長岡京市友岡)⇒jJR長岡京駅前⇒神足小学校前(長岡京市神足)。
高槻市安満の磐手杜神社の神輿は明治15年(1882)に小倉神社から譲り受けたと云われている。
大山崎小字天王山 酒解神社 5/5(隔年) 神輿2基
神輿庫は鎌倉時代の建築でわが国にある板倉では最古の例で国指定重要文化財である。板倉は切妻造り本瓦葺きで、構造は分厚い角材を組み上げた形で非常に珍しい建物である。
下植野小字宮脇18−1 白山神社

 ≪久世郡≫     
 久御山町
     御牧:森、中島、相島(おじま)、東市口、西一口、釘貫、藤和田、北川顔、封戸、坊之池、島田、野
     佐山:佐山、市田、田井、下津屋、佐古、林
森小字宮東1 玉田神社
公式HPへ
10/連休(元・9) 神輿2基 昭和19年を最後に出ていない
神幸祭  
祝日は16:00頃から還幸祭。玉弓座・本当座・御幣座・御箸座・明主座・森座・北相島座・中相島座の各当家は烏帽子・狩衣装束で座の宝物を捧げ、座員は裃で青竹の杖を持って警固する。宮座の行列の次に宮総代・宮世話・奉賛会の役員も加わって列を整え、参道を練り歩く。
 氏子地域には8つの当座があり、それぞれ氏神に捧げる御神宝を預かっており、秋の例祭じにはその年の当家が御神宝を抱いて社参する。東一口は本当座、御幣座、御箸座。坊之池は玉弓座。相島は北相島当座講・中相島当座講。中島は明主座である。
藤和田馬場崎36 藤和田 10/連休(元・9) 例祭 氏地は藤和田
北川顔馬嶋1−1 大藤神社 10/連休(元・9) 子供みこし 氏地は藤和田・北川顔
野村小字野村1 常磐神社 10/17頃の土日 神幸祭
佐山双栗55 さぐり神社 8/31 八朔祭 式内社、旧・郷社
市田小字珠城2−1 珠城神社 8/31 八朔祭 神饌を供え、高張提灯を立てて参拝
10/中旬 神幸祭
田井小字荒見49 荒見神社 10/連休 子供みこし 平成26年、宝くじの助成金を利用
下津屋小字室ノ城98−1 室城神社 10/連休 樽みこし
3/6 矢形餅の神事
矢形餅(やかたもち)の神事= 聖武天皇の御代、山城一円に疫病が流行し、毎日多くの人が亡くなりました。天皇は深く悲しまれ、自ら悪病退散の祈願をするため、奈良を出発して木津川を下り、天王山の宝寺(大山崎町の宝積寺)に参詣の後、下津屋に行幸し、室城神社に弓矢を奉納されたといわれている。
 この時以来、室城神社では、弓と矢を形どった餅を作り、氏子や参詣人に与えて疫病除けのまじないとしている。
 3月6日10時、神前に供える人参と大根のなます、目黒魚(アジかサバで代用)、そして弓餅と矢形餅を釣台に載せて宮総代が担ぎ宮司を先頭に筆頭総代の家から神社まで行列する。釣台の神饌を神前に供え、悪病退散の祈願が行われた後、矢形餅は氏子、参詣人に与えられます。この餅を食べれば疫病除けになるといい伝えられ、今日も神事は簡素化することなく続けられている。
 【府営下津屋団地】
下津屋川原44。10月連休に子供みこしを出す。
佐古小字内屋敷25−1 若宮八幡宮 10/中旬 神幸祭  
6/5 野神の神事
野神の神事=6月5日の午前零時に行われる。灯かりを消した暗闇の中で、音を立てず、声も出してはいけないという神事で、暗闇の奇祭と呼ばれている。
 野神は、佐古の若宮八幡宮の西側、30坪ほどの境内に古い石塔を集めて祀られています。
 神前に供えられる神饌は野趣に富んだもので、真菰で巻いた37本のちまき、淡竹(はちく)の竹の子3本、へくそづる、塩、洗い米、味噌、干かます、桑の箸です。ちまきは、直径約10cm、長さ約70cmの大型のもので、真菰の香りが匂う風雅なものです。
 5日午前零時、宮司を先頭に宮総代たちが供物を捧げて野神に社参する。街灯などは覆って暗くし、宮司は声を出さずに祝詞を奏上する。柏手も音を立ててはいけないので、両手が合うところで止められます。
 暗闇の中で行われる神事は30分ほどで終わり、参列者はちまきだけを荷って引き揚げる。このちまきは、佐古自治会全戸の数に切って、夜明けまでに各戸の玄関に置かれる。この場合も、声は出せず、人に出会っても挨拶を交わすことはできないしきたりになっている。

 ≪綴喜郡≫
 宇治田原町
      田原:荒木、南(老中・符作・名・切林)、郷之口(上町・下町)、立川(贄田・糠塚・大道寺・平岡)、高尾
      宇治田原:岩山、禅定寺、湯屋谷、奥山田、立川
荒木字天皇38 大宮神社 10/体育の日の前の木曜〜日曜(元・7) 神輿
南宮ノ上西76−1 御栗栖神社 神輿
立川小字立川31−1 三宮神社 神輿
 【田原祭り(三社祭)】
 主催は田原祭実行委員会。田原祭は、三社明神(大宮明神・御栗栖明神・三ノ宮明神)を氏神とする当時14ヶ村の住民氏子によって行われ、三社神輿が御旅所へ渡御する神幸祭と還幸祭からなることから三社祭とも呼ばれている。
起源は藤原秀郷(俵藤太)が平将門の反乱を鎮圧した功績で、田原郷の領主となり、それ以来「村の平和」を祈るため毎年神輿が担ぎ出されるようになったと云われている。

木曜日の「神幸祭」では三社から神輿が御旅所(郷之口小字北堂山)まで巡幸し、日曜日の「還幸祭」では神輿が御旅所から三社に戻る。
 還幸祭当日は御旅所前に「宮座」(「郷士」の子孫の一族)が集まるテントが建てられ、「せいのう」「獅子舞」「田楽」「王の舞」の芸能が奉納され、「駆け馬」の後、神輿が出発する。
 宮座による運営や奈良春日若宮おん祭に似た芸能など、中世的要素が色濃く残り、資料的価値も高い祭礼である。
郷之口小字紫坊25 齋田神社
高尾小字牛駄ケ原76 神明神社 11/上旬 例祭
岩山小字中出7 春日神社 10/16 例祭
岩山小字上田13 雙栗天神社 10/16 例祭
禅定寺小字粽谷44 猿丸神社 9/13 例祭
禅定寺小字建藤89 建藤神社 10/10 例祭
湯屋谷小字空広22 大神宮神社 10/17 例祭
奥山田小字宮垣内150 天神社 10/17 例祭
立川小字通峯31 熊倉神社 12/11 例祭
立川小字宮ノ前39 大道神社 9/15 例祭

 井手町
    井手:井手、多賀、有王
    多賀:多賀
井手小字東垣内63 玉津岡神社 10/15、16 おかげ踊り
多賀小字天王山11 高神社 10/日祝(元・16) 神輿(大小)
醍醐天皇の御代には神輿が三基あったと記されているが、現在は小学生主体で大人が補佐で男用、女用にして運行する。掛声は“ワッショイワッショイ”。

 ≪相楽郡≫
 精華町
     狛田:下狛、菱田
     祝園(ほうその):祝園、菅井
     稲田:北稲八間(きたいなやづま)、南稲八妻(みなみいなやづま)、植田
     山田荘:山田、乾谷、柘榴、東畑
下狛長芝24 鞍岡神社 明治16年に天満宮から鞍岡神社に改称
下狛本庄1 春日神社 10/17 宮座2組
菱田縄添31 春日神社
菱田宮川原58−2 春日神社
1/10 弓始式
祝園柞ノ森1 祝園神社 11/3 樽神輿 西北区、東区、中区、南区
布団みこし(南区) 5段の布団太鼓
1月 いごもり祭 山城地方の奇祭。音なしの祭りともいわれている
樽みこしは昭和30、40年代より始まる。これ以前に稚児行列もしてみた時期もあり。
西北区=西区と北区の合併で誕生。宮本に当たる。バス停もある。集会所は小字国友

東区=旧称は佃。長楽寺がある。集会所は小字水車にある。

中区=西方寺がある。集会所は小字神木殿。

南区=新屋敷とも称する。これは江戸期に川の氾濫で移転したため。場所は駅近辺で大阪側。南区公民館は小字榊ヶ坪。旧村は小字一之坪。
布団みこしは9:30出発。午前中で町内のみ。昭和56年3月吉日創建。太鼓正の作。
13:30〜樽神輿で宮入り。
 【いごもり祭り】
 毎年、正月の申の日から3日間行われる。1月に申の日が3回あるときは、中の申の日、2回のときは初めの申の日になる。
崇神天皇10年(紀元前88年)、朝廷に反逆を企てた武埴安彦が祝園地区で討伐された。しかし以来、悪病の流行が相次ぎ、田畑の荒廃が著しく、人々は飢えと悪病に苦しむことになる。それは、討伐の悲運のなかに亡くなった高貴の人々、武士たちの魂のたたりであるとされましたので、その人々の亡魂を丁重にお祀りし、神力により災いをなくそうという民俗信仰が生まれた。

その名のとおり、神を迎え祭るために氏子がこぞって忌み籠もるところに特色がある。二日目の夜(19時頃)は、重さ80kgにおよぶ大松明が、2km離れた祭場へ担がれていく。直会に唐辛子をたくさん入れた名物の豆腐汁が振る舞われる。
翌日午後は、竹で作られた特別な縄で綱引きが行われ、その年の農作物の豊凶が占われる。 
菅井西ノ辻1 天王神社
北稲八間北垣外45 武内神社 11/3(元・10/17) 子供神輿、子供相撲 往古は競馬、角力があったが廃れ、昭和44年、樽みこしが復活。50年にあかつき会が子供神輿奉納
植田上山122 稲植神社
山田医王子3 新殿神社 10/2日曜 例祭 かつては植樹神社と称した
乾谷小字金堀1−1 八大龍王神社
柘榴向井109 日出神社
柘榴垣内124 東谷神社
東畑小字嶽ヶ93 東畑神社 4/初旬 当屋祭
10/連休日祝 当屋祭と秋季例祭 日:神輿巡幸(13:30〜15:30)。祝:神前御幣奉納

 和束町
   中:釜塚、別所、南、杣田(そまだ)
   東:中、原山、門前、園
   西:石寺、白栖(しらす)、撰原(えりはら)、下島
   湯船:湯船
釜塚小字岩ノ畑17 八王子神社 10/2土日(元・9) 例祭
別所小字東山12 熊野神社 10/2土日 例祭
別所小字上山52−2 八王子神社 10/9 例祭
木屋小字塚谷 熊野神社 10/2土日 例祭
中米山13−2 稲荷神社 10/2土日 例祭
中菅谷37 八坂神社 7/7 例祭
園小字大塚4 和束天満宮 10/2土日 神輿 子供神輿
稚児行列の後、子供と大人神輿が境内を練り歩く。
石寺小字大谷37−1 春日神社 10/2土日 例祭
白栖小字鳥ヶ畑4−2 八王子神社 10/2土日(元・9) 例祭
撰原小字中尾垣内42 大神宮社 10/2土日 例祭
下島小字古橋64−2 大神宮 10/2土日 例祭
湯舟小字五ノ瀬308 白山神社 10/18 例祭

 笠置町
   笠置:北笠置、南笠置
   切山
   有市:上有市、下有市
   飛鳥路
笠置小字栗栖43 栗栖神社 10/2土日 子供神輿
布団みこし 三段。赤白青の三色。令和6年(2024)を最後に休止 
車みこし トラック仮装山車
笠置小字西通144 三神宮 10/2土日(元・16) 布団太鼓1台 飾付け
切山小字京通1 八幡宮 10/2土日(元・9/1) 競馬奉納廃絶
有市小字井手7 住吉神社 10/2土日 例祭
有市小字地砂ケ谷31 三太夫神社 10/2土日 例祭
有市小字中尾谷39 八幡宮 10/2土日 例祭
有市小字平ノ畑56 有市國津神社 10/2土日 車みこし トラック仮装山車
子供みこし 子供樽みこしのこと
有市小字横川口9 山神社 10/2土日 例祭
飛鳥路小字東綴 天照御門神社 10/2土日(元・16) 例祭

 南山城村
    大河原:南大河原、北大河原、野殿、童仙房
    高山:高尾、田山
南大河原小字湯矢畷92 天満宮 10/21 例祭
北大河原小字北垣内4−2 國津神社 10/20 戦前に宮座無くなる
北大河原小字広手24 六所神社 10/21 例祭
野殿小字宮ノ前1 六所神社 10/20 宮座は八人衆
童仙房小字道宣1 童仙房大神宮 10/17頃の日曜 神輿 樽みこし
高尾小字木戸31 春日神社 10/17 神幸式
田山堂山1 諏訪神社 11/3 宮座 宮座は宮本座、中間(ちゅうげん)座、九日(くにち)座。
田山花踊り
田山花踊り=府指定無形民俗文化財。大正13年以来永らく行われていなかったが昭和38年復活。 残る床机から安永2年(1773)には行われていたと分かる。
 田山花踊りの神事は諏訪神社で9:00に行われる。
旧田山小の校庭では、道化(天狗)が、子供達に菓子を配っている。
13:00より旧田山小学校の校庭でまず子供たちの入端太鼓。

続いて踊り手12人がまず「愛宕踊」前半部を踊り、「入端(いりは)」と呼ばれる道中行列が出発する。
法螺貝と太鼓が鳴り響くなか、警護の武士、棒振りの少年、道化、山伏、唄い手ら総勢100人近くが、氏神である諏訪神社まで約300mほどの距離をおよそ1時間かけて練り歩く。
境内に着き「愛宕踊り」の後半部を踊る。そして神夫知(しんぶち)と呼ばれる口上役の少年が願掛けの言葉を述べた瞬間、「ドドーン」と打ち鳴らされる太鼓を合図に花踊りが始まる。
踊り手の背中に色とりどりの房と造花を挿し、太鼓と唄の拍子に合わせて、あでやかで勇壮な踊りが次々と演じられる。

花踊りが終わると、最後は餅撒き。
 【高山ダム(月ヶ瀬湖)】
昭和44年(1969)完成。ダムサイトが京都府、水没地域が奈良県と三重県に及び、196世帯が水没した。南山城村では川畑と広瀬(田山地区広瀬の対岸)の2部落が水没。

展示場     
 【ふるさとミュージアム山城(京都府立山城郷土資料館)】(公式HPへ
木津川市山城町上狛千両岩。рO77−486−5199。9:00〜16:30。休館日は月曜(ただし祝日は開館し、翌日休館)。年末年始(12/29〜1/4)。一般200円。
 “入口に木津町の太鼓みこし(元・一丁目)を展示” 
 【木津川市中央交流会館(いずみホール)
木津川市宮ノ内92。 0774−72−8800。9:00〜22:00。休館日は毎週月曜。年末年始(12/29〜1/3)。
“元・四丁目の太鼓みこしを展示”