京 都 府

 ≪京都市≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪伏見区≫
深草藪之内町68 伏見稲荷大社 4/20頃の日曜
5/3
神輿5基 田中社(不動堂)、上之社(東九条)、下之社(塩小路、中堂寺)、中之社(西九条)、四之大神(東寺、八条) 
曳山廃絶  
 神幸祭は4/20に最も近い日曜日であり、11時に神幸祭が行われ5基の神輿に神霊が移され、14時に神輿車は本社を出発し、氏子地域を巡回し、14時40分頃、南区九条の御旅所に到着する。
 神幸祭から一週間後の日曜日には、5基の神輿が各氏子地域を巡回する氏子祭が行われる。氏子祭は御旅所に駐輿期間中の中日の日曜に、旧村毎に神輿巡幸が行われる。五社とも、御旅所を13時発御の予定。各神輿と地域は、田中社(不動堂)、上之社(東九条)、下之社(塩小路、中堂寺)、中之社(西九条)、四之大神(東寺、八条)である。
 還幸祭は、5/3の14時に御駐輦の神輿5基がそれぞれの神座車に奉載され、御旅所を出発し、産土地区を巡幸し、16時頃に伏見稲荷本社に還御される。
六角神輿=下之社。
千木型神輿=上之社・中之社・四之大神・田中社。
天狗榊(下京区山川町)=懸装品は寛政5年(1793)に調達。お迎え提灯の廃絶に伴い,明治24年8月に付属品(懸装品10点=前懸もしくは後懸が2点,見送幕2点,胴懸2点,水引幕4点)を下京区山川町肝煎り名連署で奉納。
 山車は安永期の復活の頃に制作された可能性がある。『都名所図会拾遺』(天明6年(1786)刊)には,「稲荷御迎挑燈」として,お迎え提灯の様子が描かれている。その特徴は@山車は四輪であり,曳き子,音頭取りがいること。A胴懸(左右),前懸,後懸の4面に懸装品がかけられ,左右胴懸上部には水引幕がかけられること。また真木から見送幕が垂れること。B山車には,鉦,笛で囃す人物等が乗っていること。C真木上部に榊がつけられ,上から順に,それぞれの山車特有の飾り物,稲荷大明神の額と幣,横木,さらにこの横木に見送幕と飾提灯が2基取り付けられている。
長久元年(1040)の「春記」には、『蜜々見物云々』と書かれ、また嘉吉元年(1441)/13の稲荷祭は『風流の結構、祗園会の如し』「東寺執行日記」といわれ、「ホク36本、作山10、ホク毎ニ作山ヲシテ渡之」と記される。翌年には「山鉾五十色許有之、七条ニハ立車、二条殿様、其外車多、鉾ノ内ニテ色々ノ舞有之」と賑っているが、応仁・文明の乱後は衰退するが、天明7年(1787)発行の「拾遺都名所図会」には大きな堤燈を付けた曳山が巡幸したが、寛政元年(1789)の京都大火を期に衰退する。
深草鳥居崎町609 藤森神社 5/5 “藤森祭 神輿3基、武者行列の巡行と境内では駈馬神事を行う
剣鉾1本 瀧尾神社の剣鉾1基が奉賛
深草郷、宮本下之郷=詳細不詳。
東福寺郷=平成20年(2008)新調。
久我石原町3−27 菱妻神社 5/2日曜 還幸祭
羽束師志水町219 羽束師坐高御産日神社 5/2日曜 還幸祭 神輿2基
神輿は江戸中期の作。また子供神輿2基(低学年・高学年)も出る。
桃山御香宮門前町176 御香宮 9月末の土曜〜10/初旬の日曜
(9日間)
神輿 かつて九郷の一郷ごとに神輿を出していた
花笠約30基 “伏見祭”とも“花傘祭”とも呼ばれる。
金鉾9基 一番基〜9番基
曳山休止 占出山
花傘行列は約20余りの町内から約30台ほどが趣向こらした花傘で大手筋を練りながら参宮した。最盛期の昭和30年前後には百数十本出たとされる。
瀬戸物町、納屋町商店街、銀座町4丁目、弾正島平戸町、パークテラス桃山、豊後橋町、向島西本丸町、向島中島町 など
 【江戸期の祭り】
氏子地域を南北2組に分け、南組5組(六地蔵、材木町、小屋町、本町筋、新町筋の内1組)北組7組(高田組、聚楽組、御小人組、小屋組、坪井組、両替町筋、本町組の内1組)からおのおの山鉾のような練物を出し、それにつき当番町はいろいろなものを考え出したと云われている。
金鉾=剣鉾とは少し仕様が異なっている。鈴(りん)の代わりに大きな鈴(すず)がブラ下がっている。
9基あるが、平成2、3年を最後に飾付けもしていない。
占出山=神功皇后が新羅侵攻に際してその戦勝を鮎を釣ることで占った故事による。宝暦12年(1762)、北組御小人組8丁組の内の6丁(東町、鷹匠町、片原町、紺屋町、肥後町、南裏町)によって始められた。当番は2ヶ町ずつ3年1回とし、山鉾に建てる松は古御香山より切り出し、9/5組立、6日曳初め、8、9日に町内の本曳きが明治まで続いた。明治になってからは、初年と29年、40年4月の正遷宮奉祝記念の曳き出しである。
最後は昭和2年の御大典だと思われる。
 現在は等身大の神功皇后の人形が肥後町の倉庫で保管され、祭礼の期間中はその保管庫で飾られるのみ。なお人形以外は平和酒造鰍ェ所蔵していたが、酒蔵がマンション(パークテラス桃山)になったのでどうなったのか不明。
 
横大路下三栖城ノ前町83 三栖神社 10/16頃の日曜 剣鉾5本
剣鉾5基出たが、昭和36年の第二室戸台風以来、御旅所に飾りつけのみだったが、平成23年より行列に加わるようになる。
中島鳥羽離宮町7 城南宮 10/3日曜 神輿3基   
剣鉾3本 松鉾、竹鉾、梅鉾  
往古あったが廃絶し、昭和初期復活。神輿と共に松(下鳥羽地区)、竹竹田地区)、梅(上鳥羽地区)から出された。今も神輿舎内に保管なれど、現在は飾付けのみ。
 【神輿】
昔の流鏑馬神事に起源を発し、流鏑馬や胡蝶舞などの装束での3基の神輿行列が城南宮周辺の氏子地区を練り歩く。
松神輿(下鳥羽・塔ノ森)=段ノ上、大宮、松、小枝・赤池・中島、西芹川・上之町よりなる。12:00〜。

竹神輿(竹田)=西部、東部、南部真幡寸、東部真幡寸よりなる。12:30〜。

梅神輿上鳥羽)=地上町、城薬町、橋裏町、南町、上之町、中之町、新田町よりなる。12:45〜。
※昔は御香宮を皮切りに三栖神社、城南宮と三週続いて祭があった。
久我森の宮町8−1 久我(こが)神社 4/1日曜 例祭
久我石原町3−27 菱妻神社 5/2日曜 神幸祭 子供みこし
子供みこし=平成元年創建。以前は樽みこし。中世の祭礼には、猿楽や競馬などがあったと言われる。
御香宮門前町173 天満宮社 6/25 例祭
淀下津町51 伊勢向神社 8/16 神輿
淀本町164 稲葉神社 9/20 例祭
淀本町167 與杼神社(与杼神社)(公式HPへ 11/3 神輿
神輿⇒神輿蔵は平成19年(2007)10月建造。神輿は向って左側より西社、中社、東社と並んでいる。
=3基あり。神輿渡御は明治の淀城跡への移転後に、水垂の旧神社跡に向けて3基の神輿が担がれた。当初は船に乗せられて桂川を渡っていましたが、この「船渡し」の形態と御旅所(水垂の旧神社跡)への往きと戻りが、神輿のすれ違いができないために順序が逆になることとともに珍しく、「あとが先になる淀祭り」と言われた。
昭和33年の事故により中断したが、平成14年に45年ぶりにまず1基が復活。平成18年に2基目が修理し復活。平成20年度に3基全ての神輿が巡行するようになった。
淀新町75 天満宮 7/24 神輿
横大路北ノ口町47 豊田神社 10/1日曜 神幸祭
横大路天王後51 田中神社 10/2日曜〜3日曜 神幸祭 横大路御旅所より鳳輦・稚児行列、下鳥羽御旅所より神輿が出御し氏子地区を廻る 
八角御鳳輦は元・八坂神社鳳輦。金銅装神輿は1基
深草笹山町15 伏見神宝神社 4/18 例祭
淀生津町一丁道1 天満宮 10/9
三栖向町773−1 金井戸神社 10/16頃の日曜 松明祭 “三栖祭”と呼ばれる
淀美豆柳ノ木3 凉森神社 10/21 例祭
深草大亀谷万帖敷町141 神明神社 10/24 例祭
横大路柿ノ本町11 飛鳥田神社 10/3日曜 例祭
下鳥羽城之越町6 飛鳥田神社 10/3日曜 例祭
下鳥羽六反長町 一切神社 10/3日曜 例祭
羽束師鴨川町368 神川神社 10/24 例祭 式内社
醍醐赤間南裏町21 長尾天満宮 11/3 子供神輿

 ≪南区≫
久世築山町367 菱妻神社 5/1日曜〜2日曜 神幸祭・還幸祭  
壬生通八条上る八条町509 六孫王神社 10/祝日 神幸祭
宝永4年(1707)に徳川家の援助により、神輿をはじめとする祭礼用具が揃えられたので、宝永祭と呼ぶ。
13:00より巡幸。神幸列の先頭は青・白・赤・黒の4匹の鬼で、金銀の御幣、盾、弓矢、太刀、稚児、神輿が巡幸。途中の西九条比水城町の大通寺で読経を受ける。
唐橋西寺町57−1 鎌達稲荷神社 5/3か5 子供みこし
吉祥院中島町1−1 松尾神社 9/15 例祭
吉祥院政所町3 吉祥院天満宮 4/25・8/25 吉祥院六斎念仏
10/13頃の日曜 火焚神事、湯立神楽
吉祥院石原町71 松尾神社
久世大薮町125、127 木下神社 5/2日曜 例祭
久世上久世町446、773 綾戸國中神社 7/17、24 祇園祭稚児供奉祈願
久世中久世町704−1 嚴島神社 5/2日曜 例祭
久世東土川町30 倉掛神社 5/2日曜 例祭
東九条東札ノ辻町33 宇賀神社 9/3日曜 子供みこし 芸能奉納
子供みこしの巡幸や芸能奉納(三味線、民謡踊り、歌謡大会、詩吟 等)がある。

 ≪西京区≫
嵐山宮町3 松尾大社 4/20以降の日曜日に出御、それから21日目の日曜日に還御 神輿 大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社
唐櫃 月読社
古くは松尾の国祭と称せられており、3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後4月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和36年からは4/20以降の日曜日に出御、それから21日目の日曜日に還御する。
月読神社松室山添町。
櫟谷神社
⇒嵐山中尾下町61。旧・京街道の西七条筋の15町内が氏子。
神輿=宝暦13年(1763)制作。
 以前のは宝永3年(1706)制作。二宮神社(丹波市市島町)購入後、弘化2年(1845)、福知山市三和町の王歳神社へ。今も鏡の裏に「松尾櫟谷大名神」の刻銘がある。
大原野南春日町1152 大原野神社 4/8(毎年) 例祭
吉祥院政所町3 吉祥院天満宮 4/25 菅原町子供神輿   
六斎念仏  
菅原町子供神輿=町内のみ練る。昭和28年購入。
樫原杉原町12−1 三ノ宮神社 5/1日曜 神幸祭  
川島玉頭町61 三ノ宮神社 5/2日曜 神幸祭    
大枝沓掛町7−52 大枝神社 5/20頃の日曜 神幸祭 子供みこし
大枝塚原町2−2 児子神社 5/20頃の日曜 神幸祭 子供みこし
牛ヶ瀬青柳町22 春日神社 1/28 御当式
大枝中山町12−13 三ノ宮神社 5/21頃の日曜 例祭
大枝西長町3−79 千丈天満神社 5/20頃の日曜 例祭
大枝西長町21−6 九社神社
大枝東長町3−51 稲荷神社
大原野石作町40 八幡宮社
大原野石作町586 石井神社 10/21 例祭
大原野上羽町192 入野神社 2/22頃の日曜 御弓
大原野北春日町1019 道祖神社
大原野外畑町63 松尾神社
大原野灰方町575 大歳神社 10/3日曜(元・21) 奉納舞
大原野南春日町813 樫本神社 1/16
桂巽町39 春日神社 10/23頃の日曜 子供みこし 千代原神輿会
千代原神輿会=平成20年(2008)子供みこし誕生につき発足。子供みこしは8/17、お披露目。場所は太田良典様ガレージ 千代原の小川横。同町在住の稲生舜一(83)と、長男の茂一(54)の手作り。
桂徳大寺町1 三ノ宮神社 10/中旬 例祭
桂久方町47−1 御靈神社 5/18頃の日曜 神輿
桂上野中町2 産土神社 10/23頃の日曜 例祭
上桂西居町48 御靈神社 10/18頃の金曜・日曜 神輿
川島北裏町125 大宮社 1/16 例祭
川島玉頭町61 三宮神社 5/2日曜 神幸祭
御陵鴫谷10 三宮神社 1/14 例祭
下津林楠町103 五社神社 1/26 例祭

 ≪山科区≫
西野山岩ヶ谷町1 三ノ宮神社 10/3日曜 神幸祭 神輿3基
早朝から16時頃まで、神輿が氏子区域をくまなく巡幸する。
四ノ宮中在家町17 諸羽神社 10/3日曜 神幸祭 神輿2基
四ノ宮・安朱・竹鼻の鎮守。
(8:30)神社出発
(13:00頃)山科大丸付近
(14:40頃)神社帰還
大宅中小路町67 岩屋神社 10/3日曜 神幸祭 神輿3基、子供みこし
トラックにて大宅、大塚、椥辻、井上町、小野、厨子奥、日の岡、御陵の氏子区域を三社の神輿が巡幸する。
西野山中臣町25 折上(おりがみ)稲荷神社 6/1日曜 神輿 「折上」の名から、境内や子供神輿をキツネの「折紙」で飾り、子供はキツネのお面をかぶり神輿を担ぐ。大人神輿もある。
大塚大岩町4 天神社 10/3日曜 神輿
音羽森廻町36 若宮八幡宮 10/3日曜 神輿
上花山旭山町14 六所神社 10/3日曜 神輿
北花山大峰町52 六所神社 10/3日曜 神輿
川田前畑町14 八幡宮 10/3日曜 神輿
勧修寺御所内町94 吉利具八幡宮 10/3日曜 神輿
栗栖野華ノ木町4 朝日神社 10/3日曜 神輿
東野八反畑町60 三之宮 10/3日曜 神輿
 【山科祭り】
 山科では「山科祭り」と称して10/16に各神社から神輿が発輿し、氏子区域をねり歩いた。近年10/10(体育の日)になったが、平成12年度より10/3日曜に変更された。