大 阪 府

  ≪東大阪市≫

地名 神社名 祭礼日 内容 備考
 ◎西地区(旧・布施市)
 ■布施地区
荒川3丁目20−18 都留弥神社 7/15、16
10/15、16
地車3台 岸田堂、永和、足代
地車廃絶 深江新家、菱屋西、長堂、三ノ瀬、太平寺
枕太鼓 荒川
氏地は荒川、岸田堂、永和、足代、深江新家、菱屋西、長堂、三ノ瀬、太平寺
岸田堂⇒地車小屋は岸田堂自治会館敷地内(岸田堂北町8−8)。
平成3年(1991)6月2日、新調入魂式。折衷型。5代目。
大工は富山県高岡市の上野伸。彫師は井波彫刻の柳沢英一、富山県庄川町の大丸敏夫。
 平成29年(2017)7月9日、改修入魂式。大下工務店による。
灰汁洗い、締め直し、錺金物・彫刻の新調入替え。彫物は辰美工芸の作。
長さは4m。幅は2.45m。高さは3.65m。重量3.5トン。
見送り:【難波戦記】正面は「西岸寺の合戦」。

 初代は明治初期にはあり。どこかに売却される。
 二代目は大正元年に神戸市兵庫区新在家より購入するが、大きすぎるので4年か5年に神戸に買い戻してもらう。
 三代目(先々代)は大正8年頃に堺型の地車を和泉市方面より購入するが、大正13年に生野区林寺に売却。(現存せず)。
 四代目(先代)は昭和4年生野区鶴橋岡村より購入し現・地車購入につき尼崎市西桜木へ。
永和⇒地車小屋は永和3丁目1−16。
=平成23年(2011)6月26日、新調入魂式。大阪型三枚板式。大工は河合工務店(河合伸一)。彫師は野原湛水(富山県井波)、山本陽介。
長さ4.25m。幅2.2m。高さ3.5m。制作費は3000万円と聞く。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲」。
拝懸魚:「朱雀」。桁隠し:「松に鶴」。
車板:「青龍」。
虹梁枡合:右は「平清盛怪異を見る」、左は「平井保昌と袴垂保輔」。
木鼻:「唐獅子」。
板虹梁:「雲」。
柱巻き:【羅生門】右は「鬼」、左は「渡辺綱」。
絵振板:「牡丹」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲」。
拝懸魚・桁隠し:「巴御前の奮戦」。
車板:「牛若丸、鞍馬山修行の場」。
虹梁枡合:右は「源義家勿来の関」、左は「源頼義霊水を得る」。
板虹梁:「雲」。
木鼻:「唐獅子」。
間仕切枡合:「兎の餅つき」。
三枚板):正面・隅障子:「ひよどり越」、右は「平敦盛の最期」、左は「梶原平三景時二度の懸」、。
脇障子:【紅葉狩り】右は「平維茂」、左は「鬼女」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「牡丹に唐獅子」。
縁葛:【曽我物語】前正面:「曽我兄弟十番斬り」、後正面:「曽我兄弟由比ヶ浜ノ場」
    右:「曽我五郎時致・朝比奈三郎 草摺曳」、左:「曽我兄弟夜討ち」。
縁隅木:「獏」。
土呂幕:前正面:「熊谷次郎直実、敦盛呼び戻す」、後正面:「頼朝朽木隠れ」
     右前:「那須与一、扇の的を射る」、右後:「碇知盛の最期」。
     左前後:「義経 八艘飛び」。
台木:「波に鯉」。
猫木:「波」。

 初代は詳細不祥。
 先々代は明治40年頃に太平寺に売却。
 先代は大正2,3年に生野区四条より幕地車を約40円で購入。平成22年(2010)10月17日、昇魂式。11月3日、搬出。800万円で売却したと聞く。
守口市大日へ。大日は11月21日、入魂式。
この地車は昭和初期に住吉大佐で修復。その際に三枚板彫刻を入れる。
続いて昭和48年、梶内だんじり店で修復。
平成元年、吉為工務店で修復し、彫刻取替え。
その際に彫刻入替えと縁葛を追加。入れ替えた獅噛み一面、拝懸魚、桁隠し、泥幕、勾欄合 等は町内に保管。
足代⇒地車小屋は足代1丁目12−1。
=平成12年(2000)11月12日、新調入魂式。板勾欄出人形式堺型。
大工は川井工務店(川井正勝)。彫師は松本彫刻、井波彫刻。図柄は先代地車と同じく「大江山鬼退治」で統一。
長さ4.7m。幅2.8m。高さ3.8m。重量3.45トン。
  ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「恵比寿」。
虹梁:左右は「龍」。
  ≪小屋根廻り≫
懸魚:「松に鷲」。
柱巻:右は「一条天皇 源頼光に酒呑童子征伐を命じる」、左は「大江山の道中」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「いざ岩屋へ」、右は「酒呑童子を討つ」、左は「坂田金時鬼退治」。
三枚板:正面は「羅城門に向う頼光」、左は「土蜘蛛との決戦」、

 先代は堺型。大正15年頃に泉大津市上市町より購入し75年使い、昇魂式は平成12年(2000)11月5日にして兵庫県宝塚市小林へ。 
荒川(都留弥神社こども太鼓保存会)=昭和54年新調。枕太鼓。
戦争で中断していた太鼓台を荒川小学校PTA会長を始め有志で復活。荒川小学校6年生が巡行。
 【地車廃絶】
深江新家=平成19年(2007)9月16日、河合工務店に譲渡され廃絶。
 三先代は明治30年新調。大正3年に生野区田島へ売却。
 先々代は昭和5年に生野区矢柄に売却。
 先代は堺型
。元・堺市大鳥か野田の先々代地車?。どちらも植山工務店に下取りされた。


新田(菱屋西)=かつてあり。

長堂
FUSE PEGEによると『明治38年三月、長堂村在住の青年たちがだんじり購入を請願したので、有力者(元庄屋)、村の役員などか、協議した結果、金に余裕がなく、貧乏な村であったため寄付を募るのも問題があるということになり、村の親睦の一助になればと発起し、五人の世話役が自前の資金を出すことにし、岸和田まで徒歩で行き、同地で中古の安いだんじりを買い求め、長堂まで引っ張って持ち帰った。その時のすべての費用一切は、五人で分担した。
 購入後、年一回秋祭りだけ旧村を引き回したが、中古品のためよく破損した、なかでも、木製の車輪の心棒も木製であったので、よく折れ、運行中止が再三あった。
 以降戦争が激しくなってきたので戦時中は、運行中止、戦後しばらくは、物資不足のため維持が困難となり、わけても交通事情悪化のため運行中止を余儀なくされた。その間、小屋も雨漏りが激しく危険となり、限界が来たので所有者五人が協議の末、処分することとなった。
 業者や方々の知人に頼んで引き取り手を捜したが、このだんじりを修理して復旧するためには金五百万円ほどかかるということで、引き取り手もなく、業者(昭和35年)にただでもらってもらうこととなった。もちろん、だんじり小屋も業者に依頼し、解体してもらったが、その経費についても一切を世話人五人が負担した』とある
=明治38年頃、若衆が地車購入を要望したので、5人の世話役が岸和田(作才の古物商か?)で中古の地車を購入。
昭和35年頃より休止し45年頃に鶴見区安田に売却。

荒川
⇒地車小屋は神社近くで現在は建売の民家。
=大正15年頃に左専堂(現・城東区諏訪)より購入する。この地車は左専堂の青年団が中古の地車を「大佐」より勝手に買ったが村の反対で持ち帰れない地車であった。
昭和35年まで曳行。その後休止。昭和52,3年に富田林市毛人谷町に売却。太鼓正経由で現・神戸市東灘区東明へ。 
 明治12年に地車の幕を購入した記録「森川家文書 など」がある。

三ノ瀬
=昭和8年頃に富田林方面より購入。昭和25年のジェーン台風で小屋が倒壊してしまう。

太平寺
=初代は江戸期よりあり明治37年頃に現・生野区西足代へ売却。
現地車購入につき、昭和48年解体。
 先々代は明治40年頃に永和より購入。
 先代は大正初期に北蛇草の南小路より購入し昭和48年に羽曳野市誉田の馬場ノ町に売却。現・羽曳野市東大塚。
高井田元町1−5−3 鴨高田神社 10/17 神輿 あり
子供だんじり 平成17年頃制作。子供会主体。
地車廃絶 昭和40年頃、西・東も廃絶
高井田⇒地車小屋は神社境内。
子供地車。彫忠の作?。平成17年頃制作。子供会主体。
令和以降は世話をする人が無く、祭礼日も小屋を閉じている。

往古は手作り地車。昭和10年頃にブームか?3台の地車(新きた、東高井田、西高井田)と一枚屋根の地車(中高井田)の4台の地車になる。祭礼時には近所の荒川、本郷なども訪問に来て大層賑やかだったと聞く。

しかし昭和32年頃に下火になり、各々手放す。それでもどこか1町が近隣の町より地車を借りて来て祭をしていたものだが、それも40年代になり途絶えたと云われている。
森河内西2丁目32−1 森河内八幡神社 10/16頃の土日 地車2台(住吉型) 本郷、新地
本郷⇒地車小屋は本郷青年会館隣り(森河内西1丁目33)。
=大阪型。3代目。明治期の制作と思われる。昭和7年旭区別所より購入。
同地では地車巡行で電線に引っかかるために売却したらしい。
平成19年(2007)9/23、修復入魂式。板谷工務店の作。総費用は2000万円あまりと伝え聞く。
三枚板は「賤ヶ岳の合戦」。

 往古は北と南の2台の地車があった。
 先代は大正13年に上小阪?より購入。
新地⇒地車小屋は森河内西2丁目9。
=住吉型三枚板型式。三代目。明治20年頃制作。
大工は大佐。彫師は彫又一門
某所新調。昭和8年泉佐野市日根野久之木?より購入。
平成14年、彫物以外は新調という大修理。
  ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
隣懸魚:「梅に鴬」。
拝懸魚:「松に鷹」。
車板:「青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:正面は「珠取り獅子」、左右は「牡丹に唐獅子」。
間仕切り:「竹林の七賢人」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「竹に虎」。隣懸魚:右は「梅に三光鳥」、左は「竹に雀」。
車板:「飛龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
脇障子・花戸口虹梁は「竹林の七賢」。
高欄:「二十四孝」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「二十四孝」。
縁葛:「武者者」。
土呂幕:正面は「武者者」、左右は「牡丹に唐獅子」。
下勾欄合:「兎」。
幟台:「牡丹に唐獅子」。
 ≪見送り廻り≫
脇障子:「竹林の七賢人」。
三枚板:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「後醍醐天皇 笠置巡幸」、左は「児島高徳 桜木に詩を詠む」。
隅障子:「武者者」。
幟差し:「牡丹に唐獅子」。

 初代は明治中期より曳かれ明治43年頃に鶴見区諸口へ。
 先代は昭和初期まで曳く。
 ■小阪地区
上小阪4丁目11−18 上小阪八幡神社 10/連休 神輿 あり
布団太鼓1台
子供地車廃絶
上小阪=制作年、大工 等は不詳。昭和58年修復。
子供だんじり(上小阪子供だんじり製作有志の会)=獅噛みは地元の松岡金物店の作。宮入りしていたかは不詳。平成24年11月に御厨に譲る。御厨では子供地車として利用。
中小阪2丁目3−22 弥栄神社 7/中旬
10/連休
地車
中小阪⇒地車小屋は神社境内。
=平成14年(2002)9/29に平野区野堂南より購入。購入時に大下工務店で修復。住吉型三枚板型式。大工は下川安次郎。銘板に「細工人 住吉西だんじり屋 下川安次郎」とあり。
平成23年(2011)大下工務店で洗いと屋根板新調、金具磨き直す。費用は500万円と聞く。
明治17年以降の作か?。明治末期に死亡事故起こし10年ほど曳かれなくなり、大正8年に泉大津市西之町に1000円で売却するが、次に購入の地車がやや小型のため“おんば車”(ベビーカーのこと)と言われたので翌年2000円で買い戻す。

 ≪大屋根廻り≫  
鬼板:「楠木正成と恩智左近」。
拝懸魚:「楠木正季」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「干支」。
虹梁:正面は「雲」、左右は「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「熊野の律僧」。
拝懸魚:「結城親光の雄姿」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「名和長年の最期」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「後醍醐天皇」、左は「児島高徳」。
見送り:【菊水三人姿】正面は「楠木正成の出陣」、右は「楠木正行の雄姿」、左は「楠木正季の雄姿」。
土呂幕は「千早赤坂城の合戦」。


 先代は宮司が共通の縁で平成11年横枕の地車を購入するが、老朽化のため曳かれず。
下小阪3丁目5−43 小坂神社 10/連休 地車1台
下小阪⇒地車小屋は神社境内。
=詳細不詳。
先代は大正9年頃新調するが、四条末広に売却。
宝持2丁目7−12 弥栄神社 10/連休の土日 神輿
地車1台
宝持⇒地車小屋は神社境内。
=平成19年(2007)5月27日、新調入魂式。大工は河合工務店(河合伸一)。彫師は中村行宏。長さ約4m。幅約2.5m。高さ約3.2m。
彫物図柄は地名に因んで七福神。制作費は3000万円と聞く。
  ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「朱雀」。
桁隠し:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:正面は「珠取り獅子」、左右は「牡丹に唐獅子」。
脇障子:正面は「猩々」、裏右は「竹に雀」、裏左は「梅に鶯」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「飛龍」。
桁隠し:「獏」。
車板:「張良と黄石公」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
土呂幕:正面は「唐子遊び」、左右は「二十四孝」、後ろは「司馬温公の甕割り」。
三枚板:【七福神】正面は「毘沙門天・弁財天・恵比寿」、右は「寿老人」、左は「布袋・大黒天」。
勾欄合は「二十四孝」。
角障子は「阿吽の龍」。
台木:「波に兔」。

 先代は大正9年頃に八尾市渋川より購入。初代。制作年、大工、彫師 等は不詳。平成18年(2006)12月10日、昇魂式。

河合工務店に引取られ、河合工務店より尼崎市大島太鼓保存会に寄贈される。
 ■意岐部(おきべ)地区
御厨1丁目4−29 御厨天神社 10/18、19 神輿
地車1台 大阪型
7/18、19 子供地車1台
戦前は新家、春宮、荒本の各氏神が合祀されていたので、御厨天神社に宮入りしていたが、戦後は復社して各々地車曳行するようになった。
御厨⇒地車小屋は神社境内。
=平成22年(2010)10月10日、新調入魂式。大工は河合工務店(河合 伸一)。彫物は潟~ドー製作所。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲に鶴」。
拝懸魚:「朱雀」。桁隠し:「日輪に鴉、月光に兎」。
車板:「宝珠を掴む龍」。
枡合:「雲に麒麟、鶴亀」。
柱巻き:「鯉の滝登り」。
天蓋:「天女」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲に鶴」。
車板:「鍾馗の鬼退治」。
拝懸魚:「龍に乗る弁財天」。
枡合:「竹に虎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「富士の巻狩り」。
縁葛:「珠取り海女」。
脇障子:「清盛 布引瀧遊覧、維茂紅葉狩り」。
持送り:前は「波に兎」、後ろは「波に龍」。
物見:右は「青龍」、左は「白虎」。
台木:「波、波に蓑亀」。
猫木:「波」。
見送り(三枚板):正面は「碇知盛」、右は「平将門」、左は「巴御前」。
泥幕:「牡丹に唐獅子」。

往古は村用日記録によると慶応年間にはすでに2台の地車があり、「奥方」は奥ノ町と「堤方」は東ノ町から成る。(東ノ町は南町・北町・東町を合わせた町)に分かれていた。
 初代として奥ノ町は鶴見区中茶屋から購入?、東ノ町は慶応年間には既にあり。
 二代目は奥ノ町は明治38年前後に購入の日露戦争の出人形がついただんじり、明治末期か大正初期に稲田方面に売却?
東ノ町は明治中期作で、板勾欄式出人形型のだんじりらしい?
 三代目は両町合併し、大正9年枚岡の四条より500円で購入するが彫物にけちをつける人がいて2年曳いて某所へ売却。

 先代(4代目)は 大阪型。明治37年古水走制作。大正12、3年古水走より購入。
大阪市生野区岡へ幕・鐘込みで150万円で売却。その後個人を経て平成26年(2014)より旭区中宮へ。
 三枚板:【賤ヶ岳の合戦】。正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左右は「?」。
泥幕:「兎」。脇障子:岸和田より購入の松良?を利用。
子供地車=平成23年(2011)、上小阪子供だんじり製作有志の会の作。
平成24年(2012)11月、上小阪子供だんじり製作有志の会より購入。平成25年(2013)7月18日、購入入魂式。
入魂式に先立ち、彫刻追加。獅子噛三面は地元、松岡彦一氏の作。
 【地車廃絶】
御厨栄町=昭和10年頃に鳳周辺より購入するが、喧嘩が原因で昭和12,3年頃に長田西ノ町に売却。
荒本149−2 春日若宮神社 10/15前の土日 地車2台 荒本、春宮
荒本⇒地車小屋は荒本人権文化センター(荒本2丁目6−1)敷地内。
=大阪型。大工・彫師は不詳。明治37年に日露戦争戦勝祝賀のため、堺市の業者より52円で購入?。
 以前は貝塚?にあったという説や
 明治28年頃に膠で儲けた人が星田のあたりから100円で購入し寄贈したという説もある。 

 昭和59年、太鼓正で修復。
見送り:「朝鮮出兵」。土呂幕:「賤ヶ岳の合戦 七本槍」。
春宮⇒地車小屋は荒本2丁目15。「荒本・春宮地車収納庫」と書かれている。
=板勾欄式出人形式住吉型。明治初期〜中期作。大工は河村新吾?。彫師は彫又一門。
昭和8年堺市大庭寺(大庭寺先々代地車)より購入。初代である。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚;正面は「鳳凰」、後ろは「猿を掴む鷲」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
車板・虹梁:「雲海」。
 ≪小屋根廻り≫

鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚;「猿を掴む鷲」。

枡合:「牡丹に獅子」。
車板・虹梁:「雲海」。

柱巻き:「賤ヶ岳の合戦」。
間仕切り:「猩々舞」。
隅障子:「武者物」。
隅出し:「松」。
旗差し:「珠取り獅子」。
板勾欄:「賤ヶ岳の合戦」。
泥幕:「武者物」。
持ち送り:「山水」。
旗台:「力神」。
台木・猫木:「波濤」。
新家395 菅原神社 10/24、25(毎年) 神輿
地車1台 住吉型
新家⇒地車小屋は境内。
=住吉型。明治20年頃住吉「大佐」作か?。彫師は彫又一門。昭和5年泉大津市田中町より350円で購入。
牛に曳かせて帰ったという。
三枚板:「朝鮮の役」。

 先代は町内地車があったか? 
菱屋東 八剣神社 10/15頃の土日 神輿
地車1台
菱屋東=岸和田型。大工は不詳。彫師は櫻井義國。助は高松彦四郎。明治初期の作か?。からくり跡あり。
昭和28年に八尾服部川「大音」より60万円で購入。
経路は堺市小阪の大工⇒岸和田市田冶米町新調⇒東大阪市某所⇒大音⇒菱屋東と思われる。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「曽我五郎大磯驀進」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「?」。
虹梁:「平景清錣引き」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:「三草山の夜襲?」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、左右は「勢子等の活躍」。
大連子:正面は「大江山道中」、右は「源 頼光の木渡り」、左は「?」。
小連子:正面は「宇治川の先陣争い」、左右は「?」。
土呂幕:正面は「薄田隼人の勇戦」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の雄姿」。
見送りはほとんど欠損しているが「川中島の合戦」と云われている。

 先代は中野より購入の町内地車。
七軒屋12−13 山科神社 10/22 例祭 大正4年(1915)に御厨天神社に合祀されたが、昭和56年(1981)に現鎮座地に復社。
地車廃絶 昭和25年廃絶
七軒屋=御大典に合わせて長田西之町が地元の大工が作る。この地車を購入し、昭和25年頃に、三島に売却。
 ■楠根地区
西堤1丁目11−13 西堤神社 7/25 神輿
10/連休日祝
(元・14)
地車1台
夏祭りは神社境内で飾付け。
西堤⇒地車小屋は境内。
大阪型。4代目。昭和10年、城東区野江中之町より購入。大工不詳。彫師は辻田友次郎。
三枚板は「賤ヶ岳の合戦」。


初代か2代目は不明だが、大佐の「地車請取帳」には明治34年、「中河内郡楠根村大字西堤西之町 岩瀬勘次郎様」とある。
3代目は大正8年頃に堺型の地車を和泉方面より購入するも、大正10年に生野区林寺に売却。
徳庵本町8−11 徳庵神社 10/3日曜 子供神輿 平成13年氏子寄贈
地車廃絶
昭和27、8年頃まで地車があったが老朽化で焼却した。いまでも蔵に彫物がのこっている。
稲田本町2丁目24−36 稲田八幡神社 10/23頃の土日 神輿
地車5台 中町、北町、南町、橋本町、旭町
稲田中町⇒地車小屋は稲田中自治会館併設(稲田本町2丁目27−16)。
=折衷型。昭和11年(1936)制作。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「天の岩戸」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「鷲に猿」。
枡合:【太平記】右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「川中島の合戦」。
枡合:【太平記】右は「名和長年の勇戦」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
出人形:右は「乃木希典将軍」、左は「東郷平八郎元帥」、
脇障子:右は「赤子の応神天皇を抱く武内宿禰」、左は「神功皇后」。
角障子は「賤ヶ岳の合戦」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「上野介召捕り」、左は「内蔵助の雄姿」、後ろは「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「平景清鍜引き」、右は「宇治川先陣争い」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、後ろは「義経八艘飛び」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【豊臣軍記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「後藤又兵衛の勇戦」。

 先代は北河内型か?明治37,8年頃から2,3年曳かれたが大きすぎるので売却。その後馬力を飾りつけたものを曳いたが2,3年で終わる。
稲田北町⇒地車小屋は稲田北自治会館併設(稲田本町3丁目8−13)。
=折衷型。昭和8年(1933)制作。三代目。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎
 令和4年5月5日。修復入魂式。施工は植山工務店。彫師は木彫筒井工房・木彫片山。
以前は 昭和54年、梶内だんじり鰍ナ幕式を三枚板地車に改修。修復時に松田正幸が刻む。
 58年に岸和田の田中三郎がひとまわり大きく改修。正面出人形等を筒井和男が刻む。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:【富士の巻狩り】右は「曾我兄弟祐経陣屋討入り」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:右は「加藤清正の雄姿」、左は「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
出人形:「平景清錣引き」。
勾欄:「風流百花撰」。
縁葛:【太閤記】正面は「矢矧橋 日吉丸、蜂須賀小六の出会い」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。脇障子:「新田義貞 稲村ヶ崎」。
見送り:「秀吉本陣、佐久間の乱入」。

 先代は鴫野方面より購入し3年使うが泉州方面に売却。
 初代は明治期より大正9年頃まで曳かれる。
稲田南町⇒地車小屋は神社向かい(稲田南町2丁目23−4)。
=住吉型で三枚式の幕地車。一番の地車。明治期に中古で購入。大工は川崎宗吉(大佐12代目)。彫師は不詳。
平成15年に平野の河合工務店(大市)にて修復。
見送幕は【朝鮮の役】正面は「加藤清正虎退治」、右は「後藤又兵衛虎退治]、左は「小西行長の雄姿」。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「松に鶴」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
出人形:右は「神功皇后」、左は「武内宿禰」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「松に鶴」。
車板:「青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
出人形:「乃木希典将軍・東郷平八郎元帥」。
勾欄:「兎づくし」。
土呂幕:正面のみ「竹に虎」。

 往古は一番、二番に分かれていた。
大佐の「地車請取帳」の明治29、30年の項に「北河内若江郡 南ノ町 濱田文四郎様」とある。
稲田橋本⇒地車小屋は稲田本町3丁目27)。
=大阪型幕式。明治39年中古で購入の幕地車。その後改修を重ねた。制作年、大工、彫師 等は不詳。
昭和62年に改修。大工は奈良の宮大工の鈴木。彫師は松田正幸。
 ≪大屋根廻り≫  
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「朱雀」。
車板:「雲海」。
枡合:正面は「青龍」、左右は「鶴」。
出人形:右は「源義経」、左は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「朱雀」。
車板:「雲海」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:「青海波に兎」。

 先代(初代)は明治末期から明治38年まで使われた。今は神戸市東灘区五毛へ。
稲田旭⇒地車小屋は稲田旭自治会館併設(稲田上町1丁目25−9)。
=平成9年に本庄より購入。堺型。元・松原市天美方面の地車。明治初期制作。大工は木村源平。彫師は西岡又兵衛(彫又2代目)。
 ≪大屋根廻り≫  
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」、後ろは「鷹」。
車板:「鶴」。
枡合:「猩々」。
虹梁:「唐獅子、宝珠を掴む青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「猿に鷲」。
車板・桝合:「猩々」。
虹梁:「唐獅子」。

持送り:「松に猿」。
柱巻き:右は「昇龍」、左は「降龍」。
間仕切り:「酒?童子?」。
脇障子:「武者」。
三枚板:「武者」。
摺出鼻:「梅に朱雀・千鳥」。
旗台:「力神」。
勾欄合:正面は「波濤に千鳥・武者」、後ろは「山水草木」。
縁葛:前後は「武者」、側面は「波濤」。側面は改修時に彫変えている。
持送り:前は「山水草木・虎」、左右は「虎・兎・猿」、後ろは「虎・猿」。
土呂幕:前は「竹に虎」、左右は「武者」、後ろは「武者」。
台木:「波濤に鯉」。


 始まりは昭和50年代にテレビ局の懸賞で当選した紙で出来た神輿と他町の人が言われていた。
 先代は小型布団太鼓。地車転換後も永らく保管されていたが、平成18年12月に八尾市福万寺に無償譲渡される。
川俣本町10−38 川俣神社 10/29頃の土日&29 神輿2基焼失
地車1台
川俣⇒地車小屋は境内。
=大阪型。平成24年(2012)8月5日、購入入魂式。
明治初期に守口市八番が天王寺方面より購入。大工は不詳。彫師は彫清一門。八番は平成23年(2011)11月13日、昇魂式。
八番は新調に伴い平野区喜連の河合工務店に引き取られ、総費用約800万円かけ本体の改修、洗い、締め直し、部材の交換、彫物の交換、鳥居をくぐるため30cm縮める 等の改修をして川俣へ。
平成25年(2013)台木新調。彫師は井波の野原湛水。

 初代?(先々代)は昭和初期に地元の大工の石田弥三郎の作。昭和38年頃、放火により完全に焼失。幕地車で幕は現存。

拝殿には、地車の車板のような彫物が奉納されているが、これは初代地車を建造した石田師の息子の作で地車の一部ではない。
 先代は平成16年(2004)7月25日、購入入魂式。長田東之町より200万円で購入。太鼓正(彫忠作)の町内地車。
現・地車購入に伴い守口市瀧井に譲渡された。現在は河合工務店に引取り。
長田2丁目8−18 長田神社 10/21、22・土日 神輿
地車4台 中之町、西之町、東之町、新家西町
曳行日は各町ばらばら。2015年は中之町は10/21,22。西之町は10/17,18,21。東之町は10/17,18,21。新家西町は10/17,18,21である。なお17,18は土日である。
長田中之町⇒地車小屋は神社敷地内。
=住吉型三枚板型式。昭和11年9月に泉大津市宮本町より購入。この地車は明治25年に平野区加美正覚寺で新調。大正2年に売られたものである。
大工は川崎宗吉(大佐12代目)。彫師は彫又一門。
平成13年に池内工務店で修復。
銘板は「細工人 大阪市住吉区住吉町 大佐」とあるが、これは佐太郎の時に修理したので変えられたと思われる。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「猿つかむ鷲」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲にさらわれる雑兵」。隣懸魚:「鴬」。
車板:「大巳貴命、鷲退治」。
枡合:「獅子」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
脇障子:右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「羽柴秀吉」。
見送り(三枚板):【賤ヶ岳の合戦】正面は「加藤清正の勇戦」、右は「毛受照景の勇戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
土呂幕:正面は「虎」、左右・後ろは「武者」。

 往古は提灯台。
 初代は明治初期の作。
 先々代は昭和3年村の大工の作で昭和7年まで使われた。
 先代は2,3年の曳行で蛇草方面に売却。
長田西之町⇒地車小屋は西之町会館敷地内(長田1丁目8−36)。
=住吉型三枚板型式。4代目。昭和12、3年頃御厨栄町より購入。
明治2,30年住吉大佐作。銘板は「細工人 住吉郡住吉村 大佐」とあり。彫師は不詳。
鳳方面⇒御厨栄町(昭和10年頃)⇒西之町へ。
平成26年9月21日、修復入魂式。10年ぶりの修復。平野区の河合工務店で洗いと締め直しを行う。
合わせて太鼓工房河内屋で大太鼓を購入。
平成16年、北本工務店で1、700万円かけ修復。彫物以外新調。金具も新調。担い棒・肩背棒はケヤキにした。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「櫛名田姫」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「猿」。
車板:「牛若丸 鞍馬山修業の場」。
枡合:「獅子」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
幟台は無し。幟差しは「松に猿」。
脇障子:「加藤清正虎退治・雄略天皇猪退治」。
隅障子:「通玄と蝦蟇仙人」。
縁葛:「源平合戦」。
見送り(三枚板)は【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「毛受照景の勇戦」、左は「毛受勝助討死」。
土呂幕:正面は「猩々」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、後ろは「源頼朝と五郎丸」。

 往古は提灯台。
 初代もあり。
 先々代は明治末期〜大正期に曳かれるが120円くらいで和泉方面へ売却。現・四条末広町。
 先代は御大典に合わせて地元の大工が作る。その後七軒屋⇒三島へ。
長田東之町⇒地車小屋は長田東1丁目9。
=大阪型三枚板型式。5代目に当たる。平成16年4月、生野区四条より600万円で購入。平野区野堂南新調。明治初期までには制作か?。
大工、彫師は不詳。令和2年9月13日、修復入魂式。大下工務店で修復。本体締め直し、勾欄の改修、床板張替え、電気配線やり替え など。
 前回は」平成17年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚:「鶴」。
箱棟:「龍」。
車板:「龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲と猿」。
隣懸魚:「鷲」。
車板:「竹に虎」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
見送り板:「唐獅子牡丹」。

 往古は提灯台。
 初代は住吉大佐作の地車か?
 二代目は町内地車らしい。
 先々代は昭和11年9月に城東区中浜より購入され昭和47年頃まで曳行されたが老朽化のため解体処分。
 先代は太鼓正(彫忠作)の町内地車で、30年ほど曳かれ、現・地車購入につき川俣へ。現・守口市滝井。
新家西町⇒地車小屋は藤戸新田2丁目8−2。
=折衷型。平成26年(2014)9月21日、購入入魂式。前日に搬入。
大工、彫師 等は不詳。高石市高師浜(6区)より購入。
経路は経路は奈良の豪農が地車3台を所有。そのうち1台を堺市百舌鳥梅北町に住む親類の石田氏が譲り受け梅北で曳き、昭和5年に500円で大阪狭山市山本に売却。山本は池内工務店での新調の下取りに出す。そこで高石市高師浜(6区)が昭和63年(1988)池内工務店より購入。
平成15年、若野工務店による修復で板勾欄出人形式住吉型より折衷型になる。

 新興町で昭和52年、軽トラックの荷台に鳴物を乗せたトラック地車と樽みこしで祭礼を行う。
 先代(初代)は昭和57年(1982)購入。32年曳かれ、平成24年(2014)5月24日(土)、昇魂式。彫忠作の町内地車。

この地車は芦屋市浜之町に嫁に出され、平成26年(2014)9月15日、購入入魂式。

 ■長瀬地区
衣摺1丁目4−25 長瀬神社
公式HPへ
7/22、23か前の日曜 地車5台 柏田、北蛇草、衣摺、横沼、大蓮
10/15前の土日
町内地車2台 吉松1、2丁目
太鼓台 衣摺南二
氏子は旧・長瀬村(北蛇草・南蛇草・柏田・衣摺・大蓮・吉松・金岡の旧7ヶ村)。夏祭りは7/22、23。秋祭りは10/14、15だが、各町により巡行日は自主的である。
柏田⇒地車小屋は地区安全センター柏田敷地内(柏田本町12−3)。
=折衷型。3代目。平成4年(1992)12月18日、新調入魂式。5年12月20日に完全完成入魂式。
大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下賢治、川原和夫、井岡勘冶。屋根幅は2.3m。高さは3.6m。重量は3.35トン。
平成16年、大下工務店で修復。約2、000万円かけて本体部分改修。
土呂幕・縁葛。勾欄等の彫物新調入替。彫師は木下賢治、中山久義。
平成19年(2007)4月29日、修復入魂式。大下工務店による。今度は200万かけて柱巻きの「夫婦龍」を車板「天の岩戸」に因んだ柱巻きにした。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。彫師は井岡和夫。
箱棟:「瑞龍」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:右は「源頼光の鵺退治」、左は「仁田四郎忠常の猪退治」。
虹梁:「唐獅子牡丹」。
柱巻き:「天の岩戸」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。彫師は井岡和夫。
箱棟:「瑞龍」。
車板:「岩戸神楽の起こり」。
拝懸魚:「鷲と猿」。隣懸魚「松と猿」。
車板:「瑞龍」。
枡合:右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「牛若丸 鞍馬山の修業」。
虹梁:「唐獅子牡丹」。
脇障子:「賤ヶ岳の合戦」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄は「十二支」。
見送り(三枚板):【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤孫六 浅井吉兵衛討取り」、左は「加藤清正 山路将監の血戦」。
脇障子は「賤ヶ岳の合戦」。
泥幕:正面は「堀川夜討ち」、右は「木曽義仲、越後ノ城ノ四郎長茂を責る」、左は「木曽義仲の勇戦 粟津合戦」、後ろは「巴御前の雄姿」。

 先代は明治期に天王寺方面⇒西今里⇒柏田⇒神戸市東灘区西御影
北蛇草⇒地車小屋は寿町2丁目12。
=折衷型。昭和11年(1936)9月制作。大工は植山工務店(植山義正)。彫師は木下舜次郎、玉井行陽、松田正幸など。
平成15年大下工務店で修復。屋形の新調。化粧枡を施し、枡合、懸魚、脇障子、縁葛の新調入れ替え。彫師は木下賢二一門。
以前の修復はには昭和61年八尾市の川井工務店。
幅は2m。高さは3.3m。重量は2.3トン。
 ≪大屋根廻り≫
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「素盞鳴尊、八岐大蛇退治」。
枡合:右は「義経八艘飛び」、左は「頼朝朽木隠れ」。虹梁は「天の岩戸」。
虹梁:正面は「楠公 子別れ桜井の駅」、右は「安宅の関 弁慶 義経を懲打す」、左は「大江山 酒盛り」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「国生み」。
隣懸魚:右は「月輪」、左は「日輪」。
車板:「阿吽の龍」。
枡合:右は「村上義光 錦御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右前は「畠山重忠 愛馬三日月を担ぐ」、右後ろは「毛利勝永の勇戦」、左前は「巴御前の勇戦」、左後ろは「塙団右衛門の勇戦」。
勾欄:「忠臣蔵」。
縁葛:正面は「矢矧橋 日吉丸、蜂須賀小六の出会い」、右前は「高松城水攻め」、右後ろは「お市の方救出」、左前「藤吉郎初陣」、左後ろは「桶狭間の戦い」、後ろは「醍醐の花見」。
土呂幕:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「屋島合戦」、左は「宇治川先陣争い」、背面は「朝比奈三郎勇戦」。
見送り:右は「後藤又兵衛勇戦」、左は「薄田隼人勇戦」、背面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」。

 往古は北ノ町、中ノ町、南小路町と3台の地車を保有していたが、昭和8年までに売却または解体処分される。
衣摺⇒地車小屋は衣摺1丁目5(神社近く)。
=平成28年(2016)9月25日、新調入魂式。式典会場は長瀬神社。
大工は距イ匠。彫師は木彫山本、許リ下彫刻工芸、辰美工芸梶B
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。 
懸魚・桁隠し:「天の岩戸開き」。
車板:「龍虎」。
枡合:右は「九尾の狐退治」、左は「大江山酒呑童子」。
木鼻:「獅子」。
虹梁:正面は「牛若丸と弁慶 五条大橋の出会い」、右は「安宅の関」、左は「布引の滝」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。 
懸魚・桁隠し:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
車板:「牛若丸 鞍馬山の修行」。
枡合:右は「土蜘蛛退治」、左は「紅葉狩り」。
三枚板:正面は「木曾山中合戦」、左は「仁田四郎 猪退治」、右は「源頼政 鵺退治」。
脇障子:「須磨寺 若木桜の高札」。。
隅障子:右は「茨木童子 片腕奪還」、左は「渡辺綱 羅城布引の滝」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「二十四孝」。
縁葛:「物部氏 蘇我氏、衣摺の戦い」。
土呂幕:正面は「那須与一」、後ろは「碇知盛」、右は「義経の八艘飛び」、「那須与一弓流し」。
台木:「波に鯉」。
柱:前は「龍」、中は「獅子」。


 往古は箱提灯を北・西・東の各町から四張ずつ出した。
 初代は明治24年10/19に新調する。片江村の大工の宮崎喜三郎の作。大正初年まで曳かれたが、解体処分となる。
彫物は辻の地蔵さん(光泉寺南の辻)に欄間となり嵌め込まれている。
 先代は住吉型。大正2年(1927)、今の旭区赤川西ノ町より購入。明治初期〜中期新調。大工:川崎仙之助。彫師は彫又一門。
平成27年(2015)11月8日、昇魂式・お別れ曳行。
現・東大阪市鴻池。
横沼⇒地車小屋は横沼3丁目10−13。
=2代目。住吉型。明治中期制作。大正3年富田林の地車販売業者のぬし辰より約130円で購入。
大工は不詳。彫師は辻田友次郎。幅は2.3m。高さは2.3m。重量2.1トン。
令和3年3月28日、お披露目曳行。三枚板復元新調。辰美工芸の作。
平成4年大下工務店で修復。平成16年、大下工務店で修復。彫師は木下彫刻工芸。内容は本体修復、土呂幕彫刻新調入替。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「?」、右は「神武天皇 東征」、左は「天の岩戸開」。
車板:「夫婦龍」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「?」、右は「?」、左は「日本武尊 野火の難」。
 ≪腰廻り≫
柱巻き:「獅子の子落とし」。
土呂幕:右は「巴御前の勇姿」、左は「?」。
三枚板:【賤ヶ岳の賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島正則の勇戦」、左は「加藤清正の勇戦」。

 先代は明治末期に解体処分。
大蓮(おばつじ)⇒地車小屋は大蓮北2丁目1−31。
=平成21年(2009)9月22日、新調入魂式。二代目。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木彫近藤(近藤晃)、木彫工芸(瀧川千春)。
長さは4m。大屋根幅は2、21m。高さは3、52m。制作総費用は約7000万円と伝え聞く。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「飛龍」。
拝懸魚:正面は「黄泉平坂 大蓮氏神」、後ろは「麒麟」。
隣懸魚:正面は「黄泉平坂 大蓮氏神」、後ろは「風神雷神」。
車板:「福禄寿・毘沙門天・布袋」。
枡合:正面は「船弁慶」、右は「平知徳 入水」、左は「義経百龍昇天」。
枡合天井:「雲海」。
虹梁:正面は「楠木正成初陣」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「湊川の合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「飛龍」。
拝懸魚・隣懸魚:「天の岩戸」。
車板:「寿老人・弁財天」。
三枚板:正面は「幸村 家康本陣急襲」、右は「道明寺の戦い 後藤又兵衛奮戦」、左は「若江の戦い 木村重成奮戦」。
枡合:正面は「神功皇后」、右は「神武東征」、左は「雄略天皇」。
脇障子:正面右は「大黒天」、正面左は「恵比寿」、背面右は「道明寺の戦い 後藤又兵衛奮戦」、背面左は「若江の戦い 木村重成奮戦」。
縁障子:「幸村 家康本陣急襲」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「源平の合戦」。
縁板:「花菱」。
縁葛:「赤穂浪士」。
土呂幕:正面は「桶狭間の奇襲」、右は「川中島の合戦」、左は「賤ヶ岳の合戦」。
勾欄:「擬宝珠勾欄」。
台木:「玄武・波」。
猫木:「波」。

先代は住吉型。初代。明治中期制作。大工は辻田友治郎。大正5年、富田林の地車販売業者のぬし辰より約100円で購入。
平成7年大下工務店で修復。長さは4、1m。幅は2、2m。高さは3m。重量1、8トン。

平成21年(2009)7/26、曳き納め。大下工務店経由で、23年(2011)9/25、兵庫県伊丹市寺本が地車購入入魂式。
吉松新田=以前小型の地車があったが廃絶。
1丁目
子供地車。昭和63年制作。長さは3m。幅は1.8m。高さは2m。重量500kg。

 2丁目
=神輿を載せた簡易地車。平成17年(2005)10/9奉告祭。祭り前に自治会の松岡会長が二週間で製作する。

 以前の簡易地車は組立式。
夏祭りには地車以外に布団太鼓5台、子供みこし3基、子供だんじり1台出るらしい。
衣摺第二布団台(ひまわり布団太鼓保存会)

衣摺(衣摺南二ふとん太鼓保存会)
=昭和55年頃に東大阪市の山手より布団太鼓の枠組みを譲り受ける。
丸太を吉野に買いに行き、枠を町内の関本陳列に制作して頂き、昭和56年7月に完成。
巡行は海の日の前の日曜で衣摺4丁目を巡行する。

衣摺中町布団台

長瀬東子供みこし保存会(長瀬東校区連合会)=子供神輿と布団太鼓台。
 子供神輿=昭和27年の夏祭りに合わせて保山常吉氏より寄贈。
昭和37年頃より長瀬神社で保管、神社造営時に引き出し、昭和46年以降は校区内を曳行。
 布団太鼓=平成15年7月、入魂式。梶内だんじり店の作。山本ハツ氏の寄贈。
長瀬大蓮南 …新興地のため宮入りせず。例祭日は10/2土日。住吉型。大正期の作。平成2年8月21日、堺市片蔵より購入。
長瀬町1丁目10−9 波牟詩曽神社 7/23頃の土日
10/23頃の土日
地車1台 大阪型
長瀬⇒地車小屋は長瀬3丁目4−3。
=戦後に長瀬神社より独立
村の旧称=東蛇草。
地車は万延元年(1860)の作。大阪型。大工は不詳。彫師は辻田庄兵衛。
令和2年(2020)3月29日、修復入魂式。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。施工は大下工務店(大下孝治)。
締め直し、彫刻繕い、屋根板の葺き直し、太鼓の張り直し 等。
長さは5m。幅は1.8m。高さは3m。重量3.3トン。

三枚板:正面は「漢の高祖の龍退治」、右は「天竺の班足王」、左は「大巳貴命の鷲退治」。
 ■弥刀地区
      ⇒近江堂、小若江、友井
近江堂1丁目12−15 弥刀神社 10/20頃の日曜 神輿
地車1台 住吉型
近江堂⇒地車小屋は神社境内。
=平成20年(2008)10月13日、新調入魂式。大阪型。制作総費用は約3000万円と伝え聞く。
大工は河合工務店(河合 伸一)。彫物は御堂製作所。題材は「源平合戦」。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「日輪月光」。
箱棟:「雲」。
車板:「宝珠を掴む青龍」。
木鼻:「獅子」。
柱巻き:「義経 鞍馬山修業」。
虹梁:「雲」。
虹梁桝合:右は「義仲の最期」、左は「生田の森」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「釣鐘弁慶」。
隣懸魚:「烏天狗」。
箱棟:「雲」。
車板:「安宅の関」。
脇障子:右は「羅生門の鬼」、左は「頼政 鵺退治」。
見送り三枚板:正面は「鶴ヶ岡八幡宮 放生会」、右は「巴御前の勇戦」、左は「鵜越坂落とし」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
勾欄合:「牡丹に唐獅子」。
縁葛:四方は「富士の巻狩り」、隅は「力神」。
土呂幕:正面は「大物の浦 亡霊知盛出現の場」、右平前は「那須与一 扇の的」、右平後は「義経 八艘飛び」。
左平前は「宇治川合戦 先陣争い」、左平後ろは「屋島合戦 義経弓流し」、後ろ正面は「壇ノ浦合戦 碇知盛」。
持ち送り:「波に兎」。
台木:「波に鯉」。

 往古は提灯台。東町で6本、西町で9本の提灯が氏神まで練って行った。
 東西両町の合併の時に、記念に地車購入としたのが始まり。
 明治38年に南蛇草より購入するが45年に解体処分される。

大佐の「地車請取帳」には明治37年以降に「中河内郡弥刀村大字近江堂 十一月十三日若中来ル 和田善之介様」とある。購入時に作事(修復)したか?
 先代は大正3年大瀬(現・生野区小路東)より200円で購入。制作年、大工等は不詳。
昭和61年、15年ぶりに修復し復活。平成19年(2007)に守口市大枝へ。
小若江1丁目10 御剣神社 10/連休土日 神輿
地車1台 小若江=住吉型
小若江⇒地車小屋は小若江4丁目11−8。
=住吉型。昭和32、3年頃に八尾市服部川の≪大音≫より約70万円で購入。某所新調。
制作年、大工等は不詳。彫師は≪彫清≫こと柳原清蔵あるいは柳原清三郎。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「夫婦龍」。
柱巻き:「牡丹」。
欄間:「青龍」。間仕切り:「鳳凰」。
脇障子:右は「?」、左は「真田与一、俣野五郎組打ち」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄間:「二十四孝、十二支 など」。
縁葛:正面は「頼朝、義経、黄瀬川の出会い」、右は「平景清錣引き」、左は「?」、後ろは「忠信碁盤投げ」。
土呂幕:「竹に虎」。
見送り(三方):「獅子の群雄」。


 先代は明治期に新調。昭和24年に羽曳野市の誉田八幡宮の西ノ口町に売却。
平成8年に現・地車購入につき、尼崎市新三和の個人に?。
友井3丁目11−1 御剣神社 7/3土日 神輿 大小
布団太鼓4台 北之町、西之町、中南之町、新町
北之町平成14年5月創建。彫忠(田中 忠)の作。

西之町
=平成7年6月創建。彫忠(田中 忠)の作。刺繍は中村刺繍。

中南之町
=平成12年6月創建。彫忠(田中 忠)の作。平成24年6月、とんぼ新調。

新町=制作年、大工 等は不詳。刺繍は中村刺繍。元・宮太鼓。4町に分かれた時に受け継ぐ。
 【布施地車パレード】
 現在は4/29に定着。近鉄布施駅北口 交通広場に集合。
布施連合加入の地車は9台。2016年は足代・北蛇草・柏田・横沼・大蓮・新地・岸田堂・稲田・永和・城東・中川・腹見の12町の地車が参加。

始まりは平成元年の長瀬地区地車パレード。また秋の祭りの一部であり、当番町に集合だった。
 近鉄布施駅から勝山通りまでの道路が開通したので、平成6年頃の5/3日曜に三ノ瀬公園に集合となり、布施地区連合地車パレードとなる。

平成7年は秋の祭りの一部となり、当番町(大蓮)に集合だった。
平成8年は5/5開催。
平成9年は5/2日曜の東大阪ふれあい祭の一部であった。
平成10年は東大阪ふれあい祭から離れ5/下旬開催。
平成11年以降は4/29開催が定着。
平成13年より近鉄布施駅北口交通広場に入場となる。これは三ノ瀬公園が災害用施設として整備されたために使えなくなったことによる。
平成23年は東日本大震災により自粛。