大 阪 府

  ≪東大阪市≫

地名 神社名 祭礼日 内容 備考
 ◎中地区(旧・河内市)
 ■楯津地区
南鴻池町2丁目1−10 産土神社 10/17までの土日 神輿
地車6台 新庄、三島、寺島、鴻池、東楠風荘、北楠風荘
地車廃絶 南楠風荘、西鴻池
例祭日は10/17までの土日。なお本来の本宮の18日は、伊勢からの神楽が各氏子を訪問。夕方より神社で神楽奉納。夜店も出る。
新庄⇒地車小屋は新庄1丁目3.裏からも出入り出来る。
=住吉型。3代目。昭和14年に岸和田の作才の古物商「氏原」より購入。制作年、大工、彫師 等は不詳。
 往古は北の村と南の村に分かれそれぞれ地車を持っていたが。喧嘩して仕方がないので時の村長の命で1台にせよと言われ、大正期に南の村が、続いて北の村が売却。ともに背が高かったと伝えられるので北河内型か?
三島⇒地車小屋は三島老人クラブ集会所隣り(三島2丁目16)。
=住吉型。御大典に合わせて長田西之町が地元の大工が作る。彫師は不詳。
この地車を七軒家が購入。さらに昭和28、9年頃に七軒家より購入(七軒家の聞き取りでは25、6年頃かな言われていた)。
その後休止となり、昭和62年に20数年ぶりに復活。
相次ぐ改修で七軒家当時の彫物は車板くらいらしい。
 現在の地車は大工は大下工務店(大下孝治)、彫師は木下一門。三枚板は小西清和(木下賢治の一番弟子)。
平成2年、大下工務店で修復。三枚板新調「賤ヶ岳の合戦」。木下賢治一門の作。
平成9年、大下工務店で修復。土呂幕新調「源平合戦」。木下賢治一門の作。
平成10年、大下工務店で改修。台木新調。木下賢治一門の作。
令和元年11月17日大下工務店に搬出。令和2年4月26日帰町するも、コロナ渦のため令和4年9月11日、修復入魂式行う。
洗い、締直し、彫物繕い、大屋根を約10〜15cm高くする。このための彫物新調。ブレーキ、芯棒、コマ新調。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛み:「獅子」。
懸魚:「鳳凰」。
車板:「青龍」。
枡合:右は「天の岩戸」、左は「大蛇退治」。
木鼻:「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み:「獅子」。
懸魚:「鷲の猿掴み」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
三枚板:正面は「佐久間玄蕃 賤ヶ岳の合戦」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤孫六嘉吉 浅井吉兵衛討取り」。
枡合:【源平盛衰記】正面は「曽我兄弟の雄姿」、右は「朝比奈三郎の雄姿」、左は「?」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:「太閤記」。
大連子(小連子は無い):【唐子千人遊び】正面は「獅子舞遊び」、左は「狩り遊び」。
土呂幕:正面は「頼朝朽木隠れ」、右は「巴御前の勇戦」、左は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、後ろは「義経八艘飛び」。 
台木:「波に玄武」。
勾欄合:「二十四孝」。


 先々代(初代)は手作り地車だったと言われる。大正期まで曳かれていたが焼失する。

 先代も手作り地車だった。西鴻池方面へ売却と云われる。
寺島⇒地車小屋は南鴻池町1丁目2.こうのいけ憩いの家と記されている。
=岸和田型。岸和田市八幡町より平成3年(1991)9月23日購入。明治初期制作。大工は「絹屋」絹井嘉七。彫師は西岡徳次郎・西岡弥三郎。
元々は絹屋の仕入れ地車だったと思われるが、昭和53年、植山義正により大型に改修されている。
この地車は江戸期に某所新調⇒岸和田市大道町⇒〃摩湯町⇒大道町⇒熊取町の大屋一政氏⇒八幡町⇒寺島。
4代目と聞く
 ≪大屋根廻り≫
枡合:「源平盛衰記」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「曽我兄弟の雄姿」、右は「朝比奈三郎の雄姿」、左は「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「太閤記」。
大連子(小連子は無い):【唐子千人遊び】正面は「獅子舞遊び」、左は「狩り遊び」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「清正山路将監討取り」、右は「加藤孫六嘉吉の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
見送り:「難波戦記」。


 先代は北楠風荘へ。
鴻池⇒住宅表示で言うと鴻池本町。旧住所で言うと東鴻池。
地車小屋は鴻池老人クラブ集会所敷地内(鴻池本町5−8)。
=住吉型。5代目。平成28年(2016)5月3日、購入入魂式。明治初期〜中期新調。大工:川崎仙之助。彫師は彫又一門。
衣摺より購入。衣摺は大正2年(1927)、今の旭区赤川西ノ町より購入。平成27年(2015)11月8日、昇魂式・お別れ曳行。

地内は東西に分かれ昭和30年代前半まで町内地車があったが廃絶した。内1台が岸和田市河合町の山麓苑に展示。山麓苑でそう聞くが、鴻池では聞いたことが無いとのこと。
その後東が町内地車から彫忠の地車を作り鴻池と称していた。町内地車で平成4年4月購入。彫忠作(彫物も)。4代目。
平成7年、三枚板取付け。10年、泥幕追加。平成20年、金剛組により足回り改修。

 購入後、衣摺地車を制作した隆匠で保管されていたが、現・鴻池東地車。
東楠風荘⇒地車小屋は鴻池児童遊園敷地内(南鴻池町4丁目6)。
=2019年9月8日、購入入魂式。河内長野市市町西より購入。
 堺型板高勾欄出人形式。大工棟梁は堺の地車大工か?。彫師は堺の「彫又」(但し元の彫物のみ)で、正面の出人形は後で付け足している。
昭和56年に大阪の太鼓正にて改造修理。平成12年に池内工務店で解体修理。
 経路は西黒山新調⇒堺市上之⇒河内長野市市町西(平成3年〜平成31年(2019)4月21日、昇魂式が行われ)⇒東大阪市東楠風荘へ。
長さ2.4m。大屋根幅1.98m。正面幅1.67m。高さ3.58m。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「龍」。
懸魚:「鷲」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「虎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻:右は「昇龍」、左は「降龍」。
脇障子:「武者物」。
板勾欄:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左右は「?」。
三枚板:正面は「大巳貴命の鷲退治」、右は「鬼若丸の鯉退治」、左は「雄略天皇の猪退治」。

 先代は町内地車。平成5年1月創建。地元の大工作。平成30年(2018)12月9日、お別れ曳行。その後解体。


北楠風荘
⇒地車小屋は南鴻池町2丁目4。看板は第二防災庫と記されている。
=大阪型。3代目。寺島より購入。
南楠風荘=町内地車。昭和59年10月創建。自治会会員有志による手作り地車。
平成29年は宮入りのみ。平成30年は飾付けのみと聞く。平成30年(2018)10月20日、昇魂式。
西鴻池⇒住宅表示で言うと西鴻池。三島の言伝えでは先代もの作り地車を西鴻池方面へ売却と云われる。
なお現・地車は昭和28、9年頃に購入。
 【所曳き】2017年は9/23、24曳行
鴻池東⇒地車小屋は東鴻池町1丁目7−6。
=町内地車。平成4年4月、鴻池新調。彫忠作(彫物も)。
平成27年7月30日、鴻池東校区夏祭りで御披露目し始まる。
平成26年(2016)12月18日、岸和田の地車大工の隆匠より搬出。とりあえず岸和田市地蔵浜町の倉庫に入れ、平成27年3月25日(土)搬入。
平成7年、三枚板取付け。10年、泥幕追加。平成20年、金剛組により足回り改修。
三枚板:正面は「義経 弓流し」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「一の谷鵯越え」。
 ■加納・北宮校区パレード
古箕輪1丁目19−15 古箕輪八幡神社 10/3土日 地車1台 北河内型
古箕輪(古箕輪自治会)⇒地車小屋は境内。
=北河内型。制作年は不詳。明治17年四条畷市南野方面より購入と枚方市星田より購入の2説がある。
ちなみに蔵棟札には18名若中記名と明治8年建立の文字あり。これが購入時か先代の時なのかは不明。
彫師は小松源助・源蔵。
令和4年(2022)3月6日、大改修入魂式。灰汁洗い、屋根、勾欄、柱、担い棒の交換。
彫刻においても獅噛み3面、拝懸魚、桁隠し、縁葛 など新調と彫刻繕い。
藤本工務店の施工。彫師は木彫古澤、木彫松田。
 以前は昭和61年に地元の大工、林師により屋根板の張替え 等の修復を行う。

 初代は明治初期よりあり、小型の町内地車で芸者が三味線 等で囃子ながら曳行したと伝わる。
加納2丁目19−26 宇波(うば)神社 10/3土日 地車2台 加納、川田
子供地車 川田
獅子舞 加納、川田
例祭日前の木曜に川田は18時頃より子供だんじりを宇波神社まで往復。この子供だんじりは木曜のみ。
金曜は18時頃に加納が川田まで迎えに来て、19時頃に2台が宮入り。
加納(加納文化伝統保存会)⇒消防団車庫併設(加納2丁目18)。
=住吉型。昭和27年(1952)9月10日、新調入魂式。
大工は植山工務店(植山義正)で制作。制作費は約700万円。修復時の彫師は井尻翠雲
 平成26年(2014)3月16日、修復入魂式。文化庁認定 地域活性化事業により、大下工務店による修復。
洗い、締め直し、錺金物の鍍金直し など。
彫物図柄は
加藤清正の虎退治と川中島の合戦」。

 初代は舞台付き地車。
 二代目は昭和7年に大東市津野辺より2、300円で北河内型地車を購入。巨大地車で村中を曳行に不向きなので昭和10年頃に河南町南加納に売却し15年ほど祭りが途絶える。

 三代目?は昭和26年に八尾市の「大音」に地車借りる。この地車を購入するという話も出たが、いっそのこと、新調にということになる。
川田(川田郷土芸能保存会)⇒地車小屋は川田2丁目13。
=住吉型三枚板型式。2代目。明治30年頃に松原市上田町より購入。明治25年「大佐」で制作。彫師は小松源助(9代目)。
当初は大東市諸福の地車を購入予定だったが、台風のため中止。
平成6年、植山工務店で彫物以外を全て新調の大修理。
平成17年3月、植山工務店で修復。洗いと締め直し。約400万円と聞く。

平成29年3月19日、修復入魂式。文化庁認定 地域活性化事業で隆匠が施行。彫師は木彫山本。
灰洗い・彫刻繕い・鍍金直し 等。大屋根の獅噛み・拝懸魚・桁隠しを復元新調。

 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「櫛稲田姫」。隣懸魚:「青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:「珠取り獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「猿つかむ鷲」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「平 敦盛」、左は「敦盛呼び戻す、熊谷次郎直実」。
隅障子:右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「羽柴秀吉」。
土呂幕:【源平合戦】右は「平 景清しころ曳き」、左は「義経八艘飛び」。
三枚板:【太平記】正面は「楠木正成の出陣」、右は「楠木正季の勇姿」、左は「楠木正行の雄姿」。

花戸口虹梁:「珠取り獅子」。

 先代(初代)は北河内型の巨大地車と伝わる。現・地車購入以前に処分され彫物の一部が村の地蔵堂(川田2−15)に流用されている。
中新開1丁目11−20 諏訪神社 10/3土日 神輿
地車1台 大阪型
例祭日前の金曜は20時頃より奉納太鼓。神社の周りを担いだ太鼓で奉納。この太鼓は地車の太鼓では無い。
中新開⇒中新開公民館近接(中新開1丁目11)。
=令和2年9月13日、購入入魂式。搬入は4月5日。
折衷型(元は住吉型)。明治期に制作と思われる。制作年、大工は大佐、彫師は彫又と思われる。
経路は某所⇒堺市平井⇒芦屋市の社長(死去につき売却)⇒梶内だんじり店⇒河内長野市西代(昭和39年購入)⇒大東市灰塚(平成17年(2005)9月19日購入入魂式。購入に先立ち北本工務店で改修。また平成22年も改修され折衷型になる)
 購入に先立ち大下工務店で改修。
肩背棒の取替え。錺金物一部新調。獅噛み(先代地車の復元新調)・天蓋彫刻の新調。

 往古は太鼓台。

 先代は大阪型。明治38年若江村?より購入。制作年、大工、彫師は不詳。
現・地車購入につき解体。彫物は地車小屋内に展示。
平成元年に京都府精華町の清水工務店で修復。
吉原2丁目10−33 栗原神社 10/3土日 地車1台
獅子舞
例祭日前の金曜は20時頃より地蔵の所より伊勢音頭を唄いながら練り歩く。21時頃より地車を出して1時間ほど曳く。
吉原⇒地車小屋は神社境内。
=2代目?。昭和13年9月頃に購入。大阪⇒貝塚⇒堺⇒当町へ。
明治中期制作。大工は不詳。彫師は辻田友次郎?。
見送り(三枚板)は「牡丹に唐獅子」。
獅子舞=戦争のため中断していたが、平成4年復活。平成14年、2頭の子供獅子を購入し、親子獅子舞となる。
演目に「荒神払い」、「角切りの舞」、「御幣踊り」、「なまずの踊り」がある。
今米1丁目18−30 春日神社 10/3土日 布団太鼓1台
例祭日前の金曜は18時頃〜21時頃まで村周り。
今米⇒太鼓部屋は神社隣。
=明治17年頃購入。六万寺より購入らしい。
大工、彫師、刺繍 等不詳。
平成22年、四本柱を太鼓正が修繕。挟間:「唐獅子」。
 ■弥栄校区パレード
箕輪1 箕輪八幡神社 10/3土日 神輿
地車1台 堺型
宮入り地に古箕輪橋で青年団X消防団が押し合いする。
箕輪⇒地車小屋は神社境内。
=折衷型。和泉市下伯太新調。平成元年9月10日、新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。
平成14年5月19日、曳き納めし大下工務店での修復(洗い、締め直し、見送り部分を三枚板へ変更 等)する。平成15年8月31日、購入入魂式。
平成17年(2005)に先代彫り物を取り外し、三枚板部分の彫物を入替え。
同時に土台部分の欄干を追加。

 往古は布団太鼓。
2代目は大正末期〜昭和初期製作の町内地車。
 先代は堺型。昭和13年頃に住吉区我孫子方面(我孫子、山之内では言い伝え無し。杉本町と思われる。杉本町は戦時中にどこかに売却と伝えられる)より購入。現・地車購入につき平成15年6月22日、搬出され大下工務店で解体され彫物(三枚板)を現・地車に追加する。
角田3丁目3−12 角田神社 10/3土日 神輿
地車1台 角田地車保存会
宮太鼓
子供布団太鼓 飾付けのみ
地車⇒地車小屋は角田3丁目1。角田神社向かい。消防団車庫と併設。
=岸和田型。岸和田市吉井町より昭和22年10/16に3万5千円で購入。天保か弘化年間作のからくり地車。岸極の印あり。
大工は不詳。彫師は主屋根枡合に岸和田・大手 絹屋権次郎とあるが?。正面土呂幕は堺 彫物 西岡弥三郎、00工 光政。 他に相野藤七もあるらしい。
歴史的には元・岸和田市大北町の地車?と云われる。
これは「だんじり祭関係史料集」に出てくる極印が一致することから考えると、安政3年に制作された中之浜か大北のどちらかの可能性がある。
この中之浜の先々代地車は貝塚市三ツ松町に売却されているので、大北町の四先代地車と言われている。
 なお吉井では大北町の地車に2台の地車の彫物を足したといわれるが、証拠として腰周りなどに、明治以降の全く異なる彫物がある。
言伝えでは3台分の岸和田型地車を組み合わせたと云われている。
平成14年大修復。修復入魂式は10月14日。大工は「隆匠」(田中隆治)、彫師は木彫岸田(左右松良新調)と木彫工房筒井。長さ3.9m。幅2.265m。高さ3.52m。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に角田神社社紋」。
枡合:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「騎乗の武者」、左は「?」、後ろは「鞍馬の天狗と牛若丸」。
車板:「邯鄲」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「養老の滝」、右は「猩々」、左は「?」。
虹梁:「平景清錣引き」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:正面は「福島市松の強力」、右は「日吉丸児守」、左は「藤吉郎初見参?」。
連子:正面は「前田犬千代奮戦」、右は「木村又蔵勇力」、左は「今川義元の最期」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松勇戦」、左は「片桐且元奮戦」。

見送り虹梁:「牛若丸鞍馬山で修業す」。
見送り:「唐子遊び」。
宮太鼓=明治34年10月5日 三浦太幸堂という墨書きある。三浦太幸堂は大阪市の西浜町中道にあった太鼓店であるが、戦災で焼失。
昭和22年の地車購入以前の秋祭りは長提灯五張りを先頭に大太鼓を前後三名の六名で担ぎ、伊勢音頭に合わせて太鼓を叩きながら村中を練り歩いた。地車購入後は地車が通れない村中を中心に練り歩いていたが、老朽化で飾付けのみとなるが、平成26年に地車の大太鼓と共に石川県の浅野太鼓店で修復。また太鼓台、担い棒、長提灯の金具 等も隆匠で修復し往年の姿を取り戻す。
子供布団太鼓=地元の人の作。以前は村中を子供らに曳かせたが、平成5年頃より飾り付けのみ。2015年に見に行くが、すでに処分されていた。
本庄1丁目4−18 六郷神社 10/15 御神楽、獅子舞 夜店
10/15頃の土日 地車1台 岸和田型
本庄(本庄地車保存会)⇒地車小屋は神社境内。現地車購入に合わせて新築。
=岸和田型。昭和3年泉大津市池浦が作才の古物商の氏原氏より、3台の展示されていた地車のうち1台を購入。大工は山内安太郎。彫師は金山源兵衛、一元正。
昭和57年、植山工務店にて大型化大修理。
平成8年12月8日、購入入魂式。平成28年9月22日、修復入魂式。植山工務店の施工。
長さ3.55m。大屋根幅2.2m。内幅1.38m。高さ3.52m。
看板持ち:「勧進帳」。
土呂幕:「中川清秀の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 往古は明治期に布団太鼓。
 先々代は町内地車で大正〜昭和初期に曳いた。
 先代は昭和22年松原市天美方面より購入し後に稲田旭町へ。


ミニ地車=平成25年制作。保存会一同の作。平成10年代保存会の手により創建。
中野1丁目8−7 日吉神社 10/3土日 地車1台 折衷型
中野⇒地車小屋は中野1丁目19。
=平成13年(2001)4月22日搬入。5月13日、購入入魂式。折衷型。昭和63年泉大津市千原町新調。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治。助は十場祐次郎、松本幸規。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸開き」、右は「神武天皇の東夷征伐」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「弁慶 牛若丸の五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 往古は布団太鼓?。

 先々代は町内地車で菱屋東に売却。
 先代は岸和田型で昭和21年に泉佐野市湊より購入し八尾市西郡(幸町)に50万円で売却。その後堺市東山の有志の団体に行くが最終的に解体となる。
横枕東17 春日神社 10/3土日 地車1台 住吉型
横枕(横枕地車保存会)⇒地車小屋は神社敷地。
住吉型三枚板型式。平成10年(1998)10月11日、高石市羽衣より購入。前日に羽衣の祭りに使われ翌日横枕へ。
大正9年泉大津市西之町新調。銘板は「細工人 西だんじりや 下川安次郎」。
平成26年(2014)9月15日、修復入魂式。板谷工務店による修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
隣懸魚:「朱雀」。
車板:「雲海に青龍」。
枡合:「干支尽くし」。
虹梁:【源平盛衰記】正面は「雲海」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「源三位頼政鵺退治」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「長坂城の趙雲」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「神功皇后応神天皇平産す」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「院庄の後醍醐天皇」、左は「児島高徳桜木に詩を詠む」。
高欄:「二十四孝」。
土呂幕:「豊臣軍記」。
三枚板:正面は「天の岩戸」、右は「楠木正季の雄姿」、左は「楠木正行の初陣」。
扉は「司馬温公の瓶割り」。

 往古は布団太鼓で大正7年に吉田の本郷に売却。
 戦前は町内地車。
 先代は昭和23年頃に大東市灰塚より購入し昭和55年頃まで曳かれていた。現・地車購入につき、宮司の縁で中小阪へ行くが、老朽化が著しく曳かれることはなかった。
 【六郷地区だんじりパレード】
正式名は加納・北宮・弥栄連合地車パレードと言い、平成4年から平成24年(2012)の20年間続いた。地車10台、太鼓台1台のパレードだったが、現在は北地区(北宮・加納校区)と南地区(弥栄校区)の分散開催である。

加納・北宮校区パレード(北地区=加納、川田、古箕輪、吉原、中新開の地車と今米の布団太鼓)が参加。JAグリーン大阪楯津支店前→加納。日曜:11:00〜13:00。

弥栄校区パレード(南地区=箕輪、角田、本庄、
中野、横枕の地車)が参加。横枕北公園⇒角田公園。日曜:10:00〜13:30。
 ■玉川地区
      ⇒西岩田、瓜生堂、岩田、稲葉、菱江
西岩田1−2 三十八神社 10/12 地車廃絶
西岩田=昭和20年代に某所より地車購入するも、2〜3年で曳かれなくなり、野ざらしで解体してしまった。

瓜生堂
=泉州物語2015年4月号は岩田町特集で4ページには戦時中の撮影として岩田と瓜生堂の地車が載っている。
八尾市西郡は昭和37年に東大阪市瓜生堂から購入したと云われている。現・地車購入につき解体され、彫物は地元へ。

なおこの地車は堺型。明治初期の制作。彫師は二代目彫又の西岡弥三郎。
岩田町4丁目11−13 石田神社 10/14、15(毎年) 神輿
地車1台
岩田(岩田町文化財保存会)⇒地車小屋は境内。
折衷型。平成18年(2006)10月1日、購入入魂式。昭和60年堺市深井東町新調。
大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸、中山慶春、木下賢治 等。
購入に先立ち、あまの地車製作所で修復。
 さらに平成23年(2011)4月17日、修復入魂式。大工は北本工務店(北本信広)。
地車本体の洗い・締め直し、担い棒の新調交換(角⇒丸) など。
 平成26年(2014)9月21日、獅噛み新調入魂式が行われた。彫師は木彫前田工房(前田暁彦)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅子噛」。
箱棟:「雲に龍」。
横葺地:「唐草」。
拝懸魚:正面は「松に鷹」、後ろは「雲に鶴」。
隣懸魚:正面は「松に鶴」、後ろは「牡丹」。
車板:「高砂」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后新羅より貢物を受ける」。
枡組:「花・鳥・獅子・龍」。
隅木:「御神紋入唐草模様金物」。
隅出す:「唐獅子牡丹」。
横槌:「花鳥籠彫」。
台輪:「唐草」。
虹梁:正面は「樫井の戦い」、右は「道明寺・誉田合戦」、左は「天王寺・岡山合戦」。
 ≪前腰廻り≫
番号持ち:「八幡太郎義家」。
仕切板:「牡丹に唐獅子」。
柱巻き:「阿吽の龍」。
高欄:「黒檀、金物」、高欄合:「牡丹に唐獅子」。
縁板:「花菱紋地彫」。
縁隅木:「御神紋入り唐草模様金物」。
縁葛:前は「平将門の乱」、後ろは「秀吉本陣、佐久間の乱入」、
    右前は「加藤清正」、右後ろは「福島正則」、左前は「巴御前」、左後ろは「川中島の合戦」。
松良:右は「神功皇后三韓征伐」、左は「楠公子別れ桜井の駅」。
連子:「義経 八艘飛び」。
土呂幕:正面は「川中島の戦い」、右は「木曽義仲の奮戦」、左は「粟津合戦 巴御前の雄姿」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅子噛」。
箱棟:「雲に龍」。
横葺地:「唐草」。
拝懸魚:「五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「竹に雀」。
車板:「雲に鶴」。
枡合:正面は「鶴ヶ丘八幡宮」、右は「小桜責め」、左は「顔世御前、鶴ヶ丘八幡宮に兜を奉納す」。
 ≪後腰廻り≫
後土呂幕:「難波戦記」。
後連子・幟台・下高欄合:「唐獅子牡丹」。
台木:「波濤に鯉」。
猫木:「波濤」。
担い棒:「檜、御神紋入り」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:後ろは「源為朝の剛弓」、左右は「唐獅子牡丹」。
木鼻:「鈴持ち獅子」。
脇障子物見・大脇物見:「唐獅子」。
大脇桁裄:「御神紋入り唐草模様金物」。
見送り・摺出鼻・大脇:「大坂夏の陣」。
脇障子:右は「常盤御前」、「静御前」。
大脇竹の節:「山に獅子」。
見送り天井:「八方睨みの龍」。


 先々代(初代?)は明治20年頃の作?。大佐の「地車請取帳」によると明治34年9月24日に145円で金物、匂欄新調とある。
大正元年に消防ポンプ購入のため富田林市喜志に売却。その後現・地車復活まで寂しい祭り。
 先代は昭和23年制作。住吉型。大工は「大音」飯田松太郎。彫師は松田正幸。
平成18年(2006)、大阪市旭区日吉神社へ。
稲葉4丁目421 稲葉神社 10/16前の土日 神輿
布団太鼓1台 平成16年頃創建
菱江2丁目2−50 仲村神社 10/日祝(元・16) 町内地車 平成元年購入。
菱江=平成元年10月創建の町内地車。太鼓正の作。

 往古は布団太鼓。昭和初期に六万寺より購入。担いだのは2,3年で後は曳いていたが、昭和25,6年頃に廃絶。
八尾市大竹では布団太鼓を昭和24年新調するが、先代を菱江(=仲村神社)に売却するが現存せずと伝えられるので、菱江の2代目太鼓台かもしれない。
 昭和53年、子供樽神輿で祭り再開。

 ■英田地区
吉田2丁目6−22 吉田春日神社 10/15、16(毎年) 地車2台 吉田川島
布団太鼓5台 市場、下島、艮、、新家、本郷
子供太鼓4台 市場、艮、新家、本郷
夏祭りは7/31で川島の地車のみ出る。
 【地車】
川島
⇒川島自治会館(吉田1丁目6−9)に地車(大小)2台合わせて収蔵する。
は泉大津市上之町より購入。
購入入魂式は2021年4月11日。
折衷型。昭和12年7月に完成するが、日中戦争の勃発により受渡しが遅れ、翌13年8月に船で泉大津港に陸揚げされた。
大工は柏木福平。しかし完成直前に廃業してしまい、吉田国平が責任者になり、仕上げは菅善次郎が後を引き継いで完成したという。彫師は川原啓秀。
平成元年の修復で縁葛を桑名の森西鶴により彫り変える。
 購入入魂式に合わせて修復を梶内だんじり店。大工は佃 昭。肩背棒は丸棒に変更。
彫師は片山晃により施工。番号持ち、柱巻き新調。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「素戔嗚尊 八岐大蛇退治」。
隣懸魚:「阿形雲に麒麟」、左は「吽形雲に麒麟」。昭和53年、川原和夫の作。
車板:「鷺に雀」。
枡合:【曽我物語】右は「大磯驀進」、左は「兄弟の急を聞き駆けつける重忠」。
虹梁:正面は「川中島の合戦」、右は「楠公子別れ 櫻井の駅」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「梅に山鵲」。
車板:「阿形宝珠を掴む龍」。
枡合:【神話伝説】右は「神武天皇東征す」、左は神功皇后 応神天皇平産す」。
虹梁:【太閤記】正面は「尼ヶ崎危難の場」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「修行者藤吉郎を観相す」。
勾欄:「二十四孝」、下勾欄:「波」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」、左は「楠木正成 如意輪堂」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「平影清錣曳き」、右は「義経八艘飛」、右は「宇治川先陣争い」、後ろは「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
見送り・大脇:「大坂夏の陣」。
竹の節:「阿吽の唐獅子」。
物見:「牡丹に唐獅子」。
台木:「波に鯉」。


 子供地車は昭和62年、梶内で制作。彫師は松田正幸。

 初代は昭和23年に岸和田市春木地区より購入。残念ながら昭和35,6年に火災のため焼失。

 二代目は昭和62年頃梶内だんじり店で制作。現・地車購入につき子供地車となる。
 先代は板勾欄住吉型。堺市家原寺より平成10年2月15日、搬入。堺型。明治初期〜中期に住吉区遠里小野新調。
21年使われ、2019年11月14日、門真市横地に搬出。
大工は不詳。彫師は彫又一門。
土呂幕:「鬼若丸鯉退治」。
見送り(三枚板):正面は「大巳貴命の大鷲退治」、右は「武松虎退治」、左は「赤松円心の大蛇退治」。
 【布団太鼓】
市場(市場太鼓台保存会)⇒太鼓蔵は市場集会所に併設。
 =2代目。平成9年(1997)9月14日、新調入魂式。大工は毛利工務店。刺繍は絹常。腰組高欄が特徴。
 【彫物図柄】
狭間:正面は「巴御前の奮戦」、「天神記」、「本能寺の変」、後ろは「鶴ヶ岡八幡宮」。
勾欄合:「十二支」。
 初代は終戦直後淡路より購入し花園本町へ。

 小=平成11年5月購入。大工は毛利工務店。刺繍は絹常。
下島(下島太鼓台保存会)=平成30年(2018)9月2日、新調入魂式。会場は吉田春日公園。
梶内だんじり鰍フ作。彫師は木下彫刻工芸。
 【刺繍】
布団締め:「阿吽の龍」。
隠し額:「滝に阿虎」、「竹に吽虎」。
昼提灯:四獣神
水引幕:「追掛龍」、昼「阿龍」、「吽龍」。
錺金具:擬宝珠柱は「天児屋根命」、「比売御神」、「武甕槌命」、「経津主命」。
 【彫物図柄】
狭間:正面は「天の岩屋戸」、右は「経津主神、武甕槌大神の国譲り」、左は「武甕槌大神の太刀落とし」、後ろは「大化の改新」。
虹梁:正面は「鞍馬山修業の場」、右は「義経八艘飛び」、左は「五条大橋の出会い」、後ろは「義経 弓流し」。

 先代は平成11年5月創建。「彫忠」の作。刺繍、幕 等は姫路の毛利工務店。現・子供太鼓となる。
 戦前は大提灯の宮入り。
艮(艮太鼓台保存会)(本町)
=地内に塞之神神社(吉田本町2丁目12)があり、3/1日曜には子供布団太鼓が奉納。布団太鼓としては大阪府下では最初の登場、
 大
=平成6年(1994)10月9日、新調入魂式。搬入は9月25日。吉為工務店作。彫師は松田武幸。衣装は姫路の川村刺繍。
  往古は提灯の宮入り。
  先代は昭和25年頃制作。縮小して子供太鼓台に改造。

 小=平成6年改造。吉為工務店。3月の塞ノ神のお祭りに奉納。
新家(吉田新家太鼓台保存会)
 =平成18年(2006)9月17日、新調入魂式。梶内だんじり店の作。彫物は先代のものを利用。彫師は松田正幸、木下舜次郎。高さは3.71m。屋根幅は2.22m。
請負は梶内だんじり店。大工は佃明。彫師は松田正幸、木下舜次郎。刺繍は梶内だんじり店。塗師は久保雅裕。金具師は岡田英児。
 【刺繍】
胴幕:赤羅紗地で「追掛龍」、昼提灯:「四神」。
 【彫物図柄】
狭間:正面は「頼朝 鶴ヶ丘八幡宮戦勝祈願」、右は「楠公子別れ 櫻井の駅」、左は「石橋山 朽木隠れ」、後ろは「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
勾欄合:「十二支」。
木鼻:「唐獅子」。
枡組:「小葉天狗、小獅子、力士」。
隅肘木:「象」。

 初代は大正期に太鼓台を購入するが、戦後すぐに花園地区に売却。さらに平成10年に転売。
 二代目は昭和24年頃に梶内だんじり店より購入し昭和58年に梶内にて大改修。現・太鼓台購入につき下取り。

小=昭和58年購入。二代目太鼓台修復の折に、梶内だんじり店の展示品を購入。
 大提灯の宮入りもある。
本郷(本郷太鼓台保存会)
 =3代目。平成8年(1996)10月6日、新調入魂式。
大工は大下工務店(岸和田市)制作。彫師は木下彫刻工芸。刺繍は平成25年に梶内だんじり店より購入。
挟間:「八岐大蛇退治」、「天の岩屋戸」、「神武天皇東征」、「神功皇后平座」。
 初代は大正7年に約100円で 横枕?より購入とも昭和天皇の御大典に合わせて購入とも聞くが?。
 先代は昭和27年頃に上六方面より購入八尾市郡川へ。現・兵庫県の西宮神社神輿奉賛講社。

平成18年9月購入。平野区の川井工務店の作。飾り物は京都の日繍
 初代は昭和58年に保存会の会員の手作り。
 【島之内】
昔の村で分けると吉田に入るが、新興地で離れているので、むしろ松原と交流している。例祭日は10月2土日。
島之内(島之内地車好友会)
平成21年(2009)購入。平成13年(2001)大東市朋来新調。朋来自治会の会長の作。
水走(みずはい)2丁目15−45 大津神社 10/2or3土日 布団太鼓 古水走
10/14、15 布団太鼓 町水走
古水走(古水走太鼓台保存会)=太鼓蔵は新調に合わせて落成。
=平成20年(2008)9月15日(祝日=大安)、新調入魂式。
梶内だんじり店で新調。狭間と虹梁の彫物は再利用。不足の分は川原一門。7段屋根。
挟間:「村上義光錦の御旗奪還す」、「巴御前の勇戦」、「曽我五郎大磯驀進」、「楠公子別れ櫻井の駅」。
 また幕(昼・夜)・布団締・錺金具なども梶内にて新調。

 先代は大正14年(1925)制作。彫師は川原啓秀。
町水走=平成17年(2005)9月21日、入魂式。長さ2.181m。高さ2.69m。
梶内だんじり店請負。大工は佃 明他3名。塗師は久保雅裕。刺繍は梶内純治。
彫師:挟間は松田正幸、虹梁は松田正彦、萬屋知里。萬屋三代の銘入りでは初めて。
挟間:正面は「川中島の合戦」、右は「敦盛呼戻す熊谷次郎直実」、左は「安宅の関」、背面は「大江山酒呑童子退治」。
虹梁:【太閤記】正面は「秀吉 小六、矢矧橋の出会い」、右は「秀吉剃髪」、左は「藤吉郎人相」、背面は「四方田の難を逃れる」。
 小太鼓は地区の方の手作り。

 先代は平成17年(2005)3月20日、昇魂式。
明治期には各々共に地車があったが大正期に太鼓台に買い替えた。
松原(松原HPへ)⇒枚岡神社氏地なれど、曳行は10/15に近い土日。15日の例祭はミニチュアを奉納。
北河内型。大工不詳。彫師は小松一門、他の一門も。昭和52年「梶内だんじり店」より購入。
天保年間四条畷市上田原新調。大正末期に布市に売却。その後布市は「太鼓台」購入につき下取りする。

 先代は安政年間に日下村枝郷池之端村(現・日下町)より購入。明治30年頃に大修理し、昭和51年まで曳行し「梶内」で下取り。
 また練り屋台は大正期で昭和30年代まで曳行。
 ■三野郷地区
花園本町11−4−23 津原神社 10/中旬(元・22) 神輿 玉串、花園本町
地車 玉串
布団太鼓2台 花園本町、花園東町
玉串(玉串神輿地車保存会)⇒地車小屋は玉串元町1丁目4−44。
=岸和田型。昭和27年(1952)制作。肩背棒付き。飾目あり。それ以外は完全に岸和田地車。大工は植山義正。彫師は木下舜次郎。助は金光南陽・井尻翠雲。制作費用は約70万円。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「巴御前の勇姿」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 以前は津原神社の神輿で巡行、宮入りした。
花園本町(花園神輿太鼓保存会)=3代目。平成8年9月、吉田市場より購入。
大工、彫師は不詳。吉田市場では終戦直後淡路より購入と云われている。
布団締めはネットワークの作か?。

花園東町(東町太鼓台地車保存会)=令和5年(2023)9月24日、新調入魂式。搬入は7月23日。長さ2.242m。高さ3.082m。
本体・刺繍・金具・塗りなど梶内だんじり店の作。
彫師は木彫古澤(古澤 知貴)。
 【主要図柄】
狭間:正面は「真田幸村 平野地雷火 真田丸」、右は「木村重成 若江岩田の戦い」、左は「薄田隼人 道明寺の戦い」、後は「後藤又兵衛 小松山の戦い」。
虹梁:正面は「楠木多聞丸 初陣 妖怪退治」、右は「楠木正成 千早城の戦い 熱湯岩木攻め」、左は「本間重氏 湊川の合戦 遠矢」、後ろは「楠木正成・正行 桜井駅の別れ」。
木鼻:「唐獅子牡丹」。
欄間:「龍」。
腰板:「青海波」。


 最初は町内地車。今も保管?。

平成12年9月創建。姫路の河野屋台製作所より購入。実は下取り屋台の改造らしい。
現・太鼓搬入時に下取りされる。

 ■若江地区
若江南町2丁目3−9 若江鏡神社 10/10、11(毎年) 神輿 あるが出さない
布団太鼓 舁き棒のみ
地車3台 東部、西部、南部
※かつては提灯の宮入り、神輿かき、布団太鼓であったが、昭和初期に地車となった。
神輿=戦後は舁いていない。
子供みこし=子供会が各自手作りの神輿を日中に舁く。
布団太鼓=往古は布団太鼓。一番初めに西部が地車に変換。
残りの2台のうち1台を某博物館に寄贈するが消息不明。もう1台は社務所に神輿の背後に舁き棒のみ残っている。
若江東部(若江東部地車保存会)⇒地車小屋は神社境内。
明治23年、大鳥郡百舌鳥村大字高田村(現・堺市百舌鳥本町)新調。住吉型。
大佐(川崎宗吉)の作。見送り部分、小屋根を支える柱に『細工人 住吉郡 住吉村 大佐』と記された銘板がある。
彫師は九代目小松源助、赤胴芳松。

昭和22年6月、丸1日かけて牛で曳いて帰る。当村では初代。
令和元年9月22日、修復入魂式。大下工務店で施工。灰汁洗い、本体締め直し、彫刻繕い、錺金物鍍金直し、肩背棒の入替え など。
以前は平成3年、植山工務店(植山良雄)により修復。
若江西部(若江西部地車保存会)⇒地車小屋は神社境内。
=明治20年代制作。住吉大佐(川崎宗吉)の作。彫師は小松源助。
某所⇒大佐経由で堺市釜室が購入⇒若江西部へ。
現・地車購入につき、平成7年大改修。大阪型幕地車を住吉型に改修。また獅噛、摺出鼻、三枚板、屋形一式が新調。
大工は平野の河合工務店。彫師は醒ヶ井の井尻翆雲。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「奇稲田姫」。
桁隠し:「八岐大蛇退治」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
虹梁:右は「九尾狐退治」、左は「鎮西八郎の剛弓」。
枡合:左右は「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「猿に鷲」。
桁隠し:「猿」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
枡合:左右は「珠取り獅子」。

 ≪腰廻り、見送り廻り≫
三枚板:【難波戦記】正面は「木村重成 単騎部下を助ける」、右は「?」、左は「後藤又兵衛?」。
脇障子:「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
勾欄合・縁葛:「太平記」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「平影清錣曳き」、右は「義経八艘飛」、右は「宇治川先陣争い」。
台木:「波濤に玄武」。

 初代は石川型。富田林の寺内町で曳行されていたが、牛3頭で曳いて帰る。
この先代地車が若江初の地車で、平成6年12月に柏原市昭和町に売却。
若江南部⇒地車小屋は神社境内。
=平成19年7月22日、地車購入入魂式。昭和9年、泉大津市下之町新調。久納久吉・幸三郎兄弟の作。彫師は一元正。
購入に先立ち大下工務店で修復。

 先代は昭和23年頃岸和田市春木の業者より購入。住吉型。平成19年10月、弓削神社(愛媛県越智郡上島町弓削下弓削1002)へ売却。

 ◎西地区(旧・枚岡市)
 枚岡地区
出雲井町7−16 枚岡神社公式HPへ 10/14、15(毎年) 神輿
地車2台 豊浦、四条末広
布団太鼓23台 出雲井・鳥居、額田、宝箱、豊浦、喜里川、五条、客坊、河内、四条
10/15頃の土日 地車1台 松原
5/5 子供太鼓 9地区12台
 【地車】
豊浦⇒地車小屋は東豊浦町自治会館隣り(東豊浦町1−1)。
北河内型。地車の墨書きに『文久2年(1862)才9日。北条 大工 幸助。大坂 彫工 福太郎』とあり。
福太郎とは小松一門八代目小松源助である。
 大正12年までは地車で宮入りで太鼓台は無かったが、踏切を横断の際に警手の指示で渡っていたにも係らず、ぶつかりそうに「なり、怒った役員が4時間に渡り踏切内に地車を放置し、後に裁判にまでなった。この事件以来太鼓台購入へと至った。

南四条町(親友会)=大阪型。大正9年頃制作。同市下小阪新調。鉦に「下小阪青年会 大正9年10月新調 大阪高津今村製」とあり、推測される。
地車倉庫内の寄附芳名表には「昭和5年11月吉日付けで4名の世話人のもと、50名から合計1、128円の浄財を頂き」下小阪より購入したと思われ牛に曳かせて運んだと伝わる。
 当時、四条には3台の太鼓台があったが、子供が参加出来るように購入したと伝わる。
松原(松原HPへ)英田地区。北河内型。大工不詳。彫師は小松一門、他の一門も。昭和52年「梶内だんじり店」より1000万円で購入。
天保年間四条畷市上田原新調。大正末期に布市に売却。その後布市は「太鼓台」購入につき下取りする。
間仕切りの裏に「昭和12年3月吉日、 大修繕 細工人 大阪市住吉区住吉町 大佐事 川崎佐太郎」と墨書きがある。

 先代は安政年間に日下村枝郷池之端村(現・日下町)より購入。明治30年頃に大修理し、昭和51年まで曳行し現地車購入の際に「梶内だんじり店」で下取り。
 また練り屋台は大正期で昭和30年代まで曳行。
 【地車廃絶】
宝蔵新家(現・宝箱)=明治19年頃制作。大正末期に布団太鼓に代わる。
彫師は小松源助。吹田市高浜南町に売却。その後、豊中市服部緑地内の現・原野農芸博物館に展示されたが、同博物館は鹿児島県奄美市
住用町山間811−1に移転した。

客坊=明治42年頃に解体され、布団太鼓に組み入れたり、地元の人に配られたり、彫物の一部が瓢箪山稲荷神社に飾られている。

五条=明治42年以降に大東市北条第二(東之町)に売却されるが、昭和26年頃の天理に売却されるが、直後に事故?のため処分される。

額田=1台は大東市赤井へ。もう1台は不明。
 【布団太鼓】
宮入りは出雲井・鳥居→額田→宝箱→豊浦→喜里川→五条→客坊→河内→四条の順で9地区23台宮入りする。
出雲井・鳥居(大小)⇒昭和57年(1982)8月、太鼓蔵再建。
 =平成18年(2006)1月9日、原木祭。平成19年(2007)3月18日、搬入。
平成19年(2007)9月23日、新調入魂式。80年ぶりの新調。
大工は(有)隆匠(田中 隆治)。彫師は澤彫刻店(澤 義博)、木彫 山本(山本仲伸)、岸田師。刺繍は東亜商事。
式典会場は枚岡神社 広庭。
 【彫物図柄】
蒲団台:「雲に瑞龍」。
挟間:正面は「天の岩屋戸」、右は「神武東征」、左は「日本武尊 野火の難」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。
虹梁:正面は「黄瀬川の対面」、右は「巴御前の奮戦」、左は「宇治川の先陣争い」、後ろは「義経八艘飛び」。
勾欄合:「花に鳥」。
縁葛:正面は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、後ろは「楠公子別れ櫻井の駅」。
土呂幕:「親子唐獅子」。
持ち送り:「波に千鳥」。
 【飾り物】
蒲団締め、昼提灯、伊達幕、横綱:東亜商事鰍フ作。
隠し額:菊池金属工芸(有)の作。
高さ4.5m。幅2.7m。長さ7.2m。
 先代(初代)は大正15年(1926)9月、有志が住民の浄財1710円20銭で淡路島より購入。
80年使われ平成18年(2006)11月5日、昇魂式。19年3月18日、堺市石津地区の十三町会に引渡し。

 小
=平成20年新調。大工は(有)隆匠(田中 隆治)。彫師は澤彫刻店(澤 義博)、木彫 山本(山本仲伸)、岸田師。刺繍は東亜商事。
 先代は平成元年(1989)新調。平成20年7月、太鼓工房河内屋に引き渡され、現在は善根寺へ。
額田(額田自治連合会)(大中小)⇒東消防署額田出張所隣。収納庫蔵には大中小と旧・太鼓台の4基収納。
2000年9月吉日建造。施工は樺゚原工務店。設計監理は小南一郎建築研究所。
 =平成12年(2000)10月制作。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。衣裳は(有)ぬい屋(菅原壽一)の作。
挟間:上段は「天の岩屋戸」、「天孫降臨」、「鹿島立ち」、「国譲り」。
下段:「天兒屋根命国土安定祈願の祝詞を奉る」、「粥占神事」、「御親幸」、「注連縄掛け神事」。
木鼻:「親子獅子」。
昼提灯:「枚岡神社」、「春日大社楼門」、「鹿取神社拝殿」、「鹿島神社奥宮」。
布団締め:「昇龍、降龍」。
房は京都・拠b示商店。
金具は京都・宮村製作所(宮村春夫)。
 先代は昭和初期に淡路より中古で購入。明治後期の作。収納庫に保管。彫師は高松彦四郎。

 =平成26年(2014)9月21日、完成報告祭。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は辰美工芸。大太鼓の縮小で彫刻、装飾品 等も同じ。
 先代は昭和48年頃に中古で購入するが、修理や改造で購入時の原型h彫物のみ。

 =平成26年(2014)9月21日、完成報告祭。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は辰美工芸。大太鼓の縮小で彫刻、装飾品 等も同じ。
 先代は昭和61年6月に中古で購入するが、修理や改造で購入時の原型h彫物のみ。


※平成26年(2014)9月21日、完成報告祭では新旧6台の太鼓台が出された。。
宝箱〔ほうそう〕(宝箱自治連合会)⇒太鼓蔵は平成21年(2009)12月6日竣工。
 =昭和63年9月制作。大工は吉為工務店。彫師は木彫筒井工房、木彫岸田。刺繍は川村刺繍。
彫物は「出世太閤記」で統一。布団締めは「虎と龍」。幕は「枚岡神社境内」。
 先代(初代)は大正末期に購入。
 往古は地車。

 =平成9年9月創建。大工は吉為工務店。彫師は木彫岸田。刺繍は梶内だんじり店。
豊浦(豊浦祭禮委員会)(大小豆)
 =令和4年(2022)9月11日、新調入魂式。
大工は井上工務店(井上英明)。
彫師:挾間は賢申堂(河合賢申)。布団台・木鼻は木彫片山(片山晃)。虹梁は木彫岸田(岸田恭司)。
挾間:正面は「名和長年 後醍醐天皇御迎え」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎刀剣」、後ろは「楠木正成 桜井の別れ」。
布団台:正面は「源頼朝 放生会」、右は「牛若丸と弁慶 五条大橋の戦い」、左は「義経と弁慶 安宅の関」、後ろは「源頼朝 富士の巻狩」。
虹梁:正面は「長篠の戦い」、右は「桶狭間の戦い」、左は「山崎の戦い」、後ろは「賤ヶ岳の戦い」。
布団締・幕制作は川村刺繍(川村 定弘)。
水引幕:後ろは「国松を背負う後藤又兵衛」、左は「木村重成」、正面は「真田幸村」、右は「家康を護衛する大久保彦左衛門」。
布団締:正面は「隠岐 次郎左衛門広有 怪鳥退治」、右は「源満仲 龍退治」、左は「加藤清正 虎退治」、後ろは「鷺池平九郎 大蛇退治」。
隠し額:「波に月を背景に兎」。

 先代は昭和13年以降制作。令和4年(2022)5月8日、昇魂式。現在も保管。
大工は八尾市服部川の「大音」こと飯田松太郎。彫師は松田正幸。
挟間:四面とも「戦記物」、土呂幕は「卯」。
布団締め:「白地に下藤、波の刺繍」。

 =大太鼓と合わせて制作。彫物一式は彫健(堀 健二)。
先代は制作年、大工 等は不詳。昭和37年頃に長老数人が縄手四条村より3万円で中古を購入。
当時は子供太鼓は豊浦だけだった。やがて長老だけでは管理運行が困難なため小太鼓を祭禮委員会に譲渡した。
 新調に伴い万願寺へ。

 =平成10年9月創建。吉為工務店の作。
喜里川(大小)
 =昭和7年制作。3代目。梶内だんじり店の作。彫師は川原啓秀。刺繍は川村刺繍。
令和5年(2023)10月1日、改修お披露目、
布団締めは「昇龍、降龍」。

 小=平成17年(2005)9月創建。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢冶)。刺繍・幕は川村刺繍・鍛示商店。
五条(大小)
 大=
明治39年創建。彫師は小松一門。平成16年(2004)彫物以外一新の大改修。


 小=平成14年4月、新調。大工は玉輝工房。彫刻は筒井工芸。大太鼓の2/3のスケール。
子供太鼓は鎮守の五条八幡宮に9/3日曜(元・18)の8時〜15時に担がれる。
 先代は大正5年創建。五条村の大栄こと澤田栄蔵の作。初代の太鼓台は京都市右京区の羽束師坐高御産日神社に献上。
客坊(大小)⇒鎮守の客坊神社例祭(秋郷祭の前の日曜)に大小太鼓台が宮入り。春祭り(4/1日曜)に小太鼓台が宮入りする。
 =平成21年(2009)9月22日、新調入魂式。
大工は玉輝工房。彫師は松谷隆司。
 先代(初代)は明治42年頃に水走より70円で購入。

 =平成15年(2003)3月制作。
昭和52年に客坊実行組合が4月の客坊神社(客坊弁財天)春祭りに奉納する小太鼓台を購入。その後秋郷祭にも宮入りするようになる。
河内(河内太鼓台保存会)(大小)=昭和町・旭町・本町・桜町・瓢箪山マンションよるなる。5町会祭り(10/1日曜)には河内地区を曳行。
 =令和3年(2021)10月10日、新調入魂式。大工は姫路の毛利工務店。彫師は6代目立川流 立川芳郎尚富。
先代は昭和60年制作。梶内だんじり店の作。彫師は奈良の和気氏。
当初、河内土地会社太鼓台。3段だそうです。無くなってから33年後に復興と聞くが。
現在は柏原市今町へ。

 =平成14年(2002)創建。姫路市の毛利工務店の作。
四条(四條太鼓台保存会)(大1小4)
 大=江戸末期は近在の村では地車を奉納していたが、四條には地車がなかったが、地形的に難しいので太鼓台ならと思いついた。
そこで4、5人の若衆が密かに太鼓台を購入し既成事実を作ろうと話しわずかな手付金で太鼓台を購入した。
仕方なく村の有力者が残金を支払った。
私の聞き取りでは明治期に中古を淡路より購入と言われたが勘違いであろう。
子供太鼓台は棚林、東小路、末広、瓢箪山の4基。

 ●棚林(四條棚林小太鼓保存会)⇒上四条町・四条町=平成11年(1999)10月制作。4代目。大工は植山工務店(植山良雄)。刺繍は川村刺繍。雄太鼓と称する。
初代は大正2〜4年頃に地元大工の大鶴の作と伝わる。
2代目は初代より大きめを大鶴で作る。
3代目は昭和34年に梶内だんじり店の作で本格的になる。この先代は某所に売却。

 ●四條東小路(四條東小路小太鼓保存会)=平成15年制作。八尾の玉置工房の作。平成19年、彫物追加。蔵園一光の作。刺繍は額田の西口呉服店。 
  棚林と比して雌太鼓とも称する。また天蓋に龍が描かれているので龍太鼓とも称する。先代もあり。

 ●四條末広町(四條末広町子供太鼓台保存会)=昭和61年9月制作。梶内だんじり店の作。平成9年11月修復。
平成52年創建。

 ●瓢箪山(四條瓢箪山小太鼓台保存会)=昭和62年7月制作。二代目。太鼓正の作。平成13年、姫路の河野屋台で大改修。
 【明治35年の年中私祭儀式取調書】
地車6台⇒枚岡村大字豊浦、同村大字額田の内宝蔵新家、枚岡南村大字客坊(河内ノ内)、同村大字河内五条、枚岡村大字額田(2台)
太鼓台2台⇒四条、喜里川
明治42年に大軌(今の近鉄奈良線)の開通により地車の宮入りが不可能になり、行動しやすく高さ制限の無い太鼓台に変わっていった。出雲井が大正末期に淡路に布団太鼓を買いに行った当時は既に四条、喜里川の他に額田、五条、客坊の計5ヶ村が太鼓台に変わっていた。
 【枚岡小太鼓まつり】
平成17年から、小太鼓台だけが参加するお祭として始まる。開催日は5/5。11時宮入り、15時宮出。
初年度は、6地区9台から始まり、平成19年度は9地区12台と充実してきている。
特徴は小・中学生が主人公。宮入りは抽選による。
瓢箪山町8−1 瓢箪山稲荷神社 7/17、18(毎年) 布団太鼓1台   
地車(北河内型) 客坊の地車の一部が解体保存。
瓢箪山稲荷神社=昭和52年7月、瓢箪山町が新調。大工 等は不詳。子供会で管理していたが、神社で保管となる。
池島町3丁目8−8 池島神社 10/21、22(毎年) 神輿
布団太鼓4台 乾町、本町、巽町、橋詰町
地車廃絶 辻合
乾町(乾町保存会)⇒太鼓蔵は神社隣。
=制作年、大工 等は不詳。大正4年頃に大阪市内より購入。馬力で持ち帰った。
彫師は美濃村松雲。平成15年大下工務店で修復。房はサカタ商店。
土呂幕の「源義経]に「東区本町四丁目 彫刻師 十代目小松事 美濃村松雲」と銘があり。
本町(池島町)⇒太鼓蔵は参道。元は辻合の地車小屋。
昭和22、3年頃に東之町と辻合が合併して本町が誕生。
東之町の太鼓を使用。太鼓蔵は現在は町倉庫。
大正8年創建。大工は不詳。彫師は開正藤。平成8年、植山工務店で修復。
辻合の地車は某所に売却。地車小屋は現・太鼓蔵。
巽町(池島巽町町会)
=平成8年制作。吉為工務店の作。彫物は先代を利用。彫師は柳原清三郎(4代目彫清)、開生a。
幕は元々、日本刺繍の作だが、平成13年、京美刺繍が修復。「竹に虎」。
 大正12年、村の有志により購入。村の大工の大駒の作。
橋詰町⇒太鼓蔵は泉證寺近く。
=大正15年(1926)創建。大工は柏木福平。彫師は川原啓秀。

 令和5年(2023)9月24日、修復入魂式。
大工は井上工務店(井上英明)。幕は川村刺繍(川村定弘)。
六万寺町3丁目14−31 梶無神社 10/22、23(毎年) 布団太鼓3台 上六万寺、下六万寺、櫻井
宵宮の宮入りは櫻井、上六万寺、下六万寺の順。本宮は下六万寺、上六万寺、櫻井の順である。
上六万寺⇒太鼓部屋は上六万寺町5−22。昭和62年10月、上六万寺町の菊田一建設株式会社の建造。
 以前の太鼓蔵は昭和41年に検討されたと云われるので42年建造か。
=昭和39年に青年団が梶内だんじり店より中古の太鼓台を購入。
4年くらいしてから自治会に寄贈。昭和44年に上六万寺太鼓台保存会発足し、保有している。
 子供太鼓は昭和54年創建。太鼓正請負。彫忠(田中忠)の作。
 往古は地車。
先代は大阪型。明治中期に購入するも、昭和36年の第二室戸台風で小屋ごと西側の池に崩れ落ちて壊れる。その後4年間太鼓無し。
下六万寺⇒太鼓部屋は下六万寺町1丁目10。
=聞き取りでは明治10年頃に購入か?。また大正3年に改修。彫師其野庄助の銘あり。
公式では大正末期〜昭和初期に淡路で購入とも地元の大工の作とも伝えられる。
平成27年、梶内だんじり店で修復。

 子供太鼓は平成4年、太鼓正より購入。彫忠(田中忠)の作。現在の豆太鼓が先代である。中学生主体で担がれる。

 豆太鼓は昭和30年頃、淡路で購入。梶内だんじり店の作。彫師は松田正幸。子供太鼓として購入され、現在の子供太鼓購入後は曳行されなくなったが、平成23年に大太鼓と小太鼓の宮入りを分けてから曳行復活。小学生主体で曳行。
櫻井⇒太鼓蔵は平成元年11月に太鼓台小屋新築発起人会が発足して建て替えた。上六万寺町の菊田一建設株式会社の建造。
 以前のは六万寺1丁目6−29にあった。個人の敷地。
=江戸末期に質屋に入っているのを買い付けたと伝えられる。
平成3年修復。

 子供太鼓は平成2年、太鼓正より購入。これは太鼓蔵建造費の余剰金である。
創建は昭和22、3年頃で地元の大工の片山氏の作。

 豆太鼓もあり。
横小路町2丁目1−10 大賀世神社 10/2土日(元・24) 布団太鼓
(大中小)
 
横小路町(大賀世神社ふとん太鼓保存会)(大中小)
 大=昭和10年頃創建。大工は乾浅冶郎。彫師は不詳。

 =昭和50年頃創建。大工は乾工務店(乾 正忠)。

 子供太鼓=昭和40年頃創建。当時の青年団を主に乾工務店が手助けして制作。
東石切町1丁目1−1 石切神社公式HPへ 8/3、4
10/22頃の土日
神輿 あり
布団太鼓4台 芝、植附、日下、 辻子
小型太鼓 上石切町(昭楠会)
夏は神輿かき番の1地区が担ぐ。秋は残りの3地区で担ぐ。令和元年の秋祭りは新元号記念と言うことで55年ぶりに4台登場。
芝太鼓台(東石切町)=平成20年(2008)9月27日、新調入魂式。搬入は9月6日。
淡路型。高さ4.3m。台棒7.2m。担い棒2.7m。重さ1.5トン。
工務店に一括発注ではなく、個別に発注した。
大工は河合工務店。彫物は御堂製作所。飾りは川村刺繍。房は岡本啓助商店。
挟間:【信長公記】「正徳寺 道三会見」、「幸若舞『敦盛』」、「桶狭間の合戦」、「本能寺の変」。
虹梁:【太閤記】「醍醐の花見」、「富士川の初陣」、「大徳寺焼香の段」、「賤ヶ岳七本槍」。
天蓋:「風神雷神」。
勾欄合:「太閤記『秀吉出世物語』」。
縁葛:【難波戦記】「大坂冬の陣、大坂夏の陣」。
布団締め:「阿吽の龍」。
隠し額:「大鬼神」。
伊達幕:「熊谷直実」、「源義経」、「武蔵坊弁慶」、「平敦盛」。
 先代(初代)は平成20年(2008)3月、昇魂式。下取りされる。
大正期に某所より購入と伝わる。
植附(植附太鼓台保存会)=西石切町
平成11年10月新調。淡路型。梶内だんじり店の作。
 先代は明治初期には曳行されていたと聞く。淡路の梶内だんじり店で保管。
日下=2021年7月4日、新調入魂式。
本体:梶内だんじり店の作。彫物:二代目 平間勝利、(有)木下彫刻工房。
飾り幕:「川中島の合戦図」。

彫物は再利用。また新しくつぎ足す。
挟間:正面は「神功皇后 三韓征伐」、右は「武田信玄と上杉謙信 龍虎相討つ」、左は「姉川に花火を散らす木村又蔵」、後ろは「源頼義 霊水を得る」、
土呂幕:【一ノ谷の合戦】正面は「熊谷次郎直実」、右は「佐々木高綱」、左は「平 敦盛」、後ろは「梶原 景季」。

明治23年創建と云われている。2019年10月20日、秋祭りの最後に丹波神社で昇魂式。大工は不詳。彫師は平間勝利、玉井行陽。
布団締めは梶内だんじり店の作。幕・昼提灯は太鼓正で復元新調。
辻子[ずし](東石切町)=平成16年(2004)7月18日、新調入魂式。搬入は6月27日。3代目。
大工は吉為工務店。彫師は木下彫刻工芸。刺繍は岸和田の千野屋。
 先々代の辻子の太鼓台であろうと云われるものが、土呂台より上の部分を利用し、額田地区の地蔵尊の社として存在。

 先代は参道筋(十三屋と大仏の間)の献牛庫に献牛祭の牛みこしと一緒に展示していたが献牛庫が取り壊され、現在は町内の倉庫に保管。
江戸末期〜明治初期の作と思われる。大工は不詳。彫師は相野・小松一門らしい。
上石切町(昭楠会)太鼓蔵は石切神社上之宮の一角。
=辻子谷地域は石切神社の氏子で、祭礼には辻子地区の太鼓台を神社に奉納しているが、地域の道は大変細いので太鼓台が地域に入ってくることが出来ない。
 そこで昭楠会は昭和60年に、自分たちの手で地域の事情に合ったサイズの「小太鼓台」を制作。

この小太鼓台は祭礼に神社に奉納していないが、辻子太鼓台が上之宮に巡行するときに、お迎え太鼓とじて迎える。
 昭和60年8月、昭楠会会員の東中工務店が制作。刺繍は小松久仁子。
なお本体は昭和58年東小路小太鼓台をが更新するにつき、中古で譲り受け、布団の寸法に合わせて本体を制作。
また太鼓台本体の材木は、昭和55年に解体修理された大槻能楽堂の関連施設に使われた欅の古材を転用。
 孔舎衙地区
善根寺町6丁目7−67 春日神社 10/15 例祭 御神酒醸造し振舞う
10/15前の日曜 地車1台
太鼓台
善根寺⇒地車小屋は神社敷地内。
=北河内型(讃良型) 。江戸末期の作。大東市四条ノ町先々代。大工は大重。彫師は小松福太郎、源蔵。

平成28年(2016)9月4日、修復入魂式。河合工務店で修復。屋根・柱・台木などを新調取替の大修復。
 先代(初代)もあったらしい。
布団太鼓=平成24年、太鼓工房河内屋より購入。
平成元年(1989)出雲井・鳥居町新調。平成20年7月、太鼓工房河内屋に引き渡された。
布市町3丁目8−64 春日神社 10/29と直近の土日 布団太鼓(大小)1台
子供地車
布団太鼓=平成5年(1993)新調。彫忠(田中 忠)の作。請負は太鼓正(1993)。
地車=平成17年6月新調。彫忠(田中 忠)の作。請負は太鼓正。

 神戸市東灘区吉田区の地車は江戸後期〜明治初期制作だが、昭和6年11月1日に布市より購入?と伝えられる。この時に大改修。
先代は「太鼓台」購入につき下取りされ現・松原の地車。
河内屋南新田=大東市南新田と合同で南新田の地車を曳き、坐摩神社に宮入りする。