大 阪 府【河内】

                    ≪門真市、守口市≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪門真市≫
 ■門真地区
      ⇒門真一番上(現・古川橋)、門真一番下(現・一番)、門真二番(現・月出町)、門真三番(現・小路・堂山町)、門真四番(現・本町)
元町17−11 門真神社 10/連休土日
(元・1
神輿(大1、小3)   
地車1台 小路町
太鼓わく 元町
獅子舞 元町
氏地は門真四番村(現・本町)と門真三番村字小路地区(現・小路地区)。
神輿=元町(大人・子供)、東小路(子供)、四番村[現・本町](子供)
小路(小路地車保存会)⇒地車小屋は神社横。
=大阪型。昭和56年修理復活。
元町(門真神社太鼓臺保存会)=枕太鼓。昭和54年復活。
月出町22−2 天神社 10/16、17(毎年) 神輿
太鼓台 二番
10/17頃の土日・17 三番 三番
氏地は門真二番村と門真三番村字宇治地区。
17日の宮入りは最初は子供の部。子供用枕太鼓(子供太鼓台と書かれている)2台、子供地車、樽みこし。
枕太鼓はコマ付の台車で子供とその父兄(奥さんが主体)が神社境内を縦横無尽に走り廻り、「ギッコンバッコン」としゃくりまくる、しゃくりまくる。さすがにたるみこしは子供だけですが。二台の子供太鼓台と子供だんじり、たるみこしの合わせて4台が5回づつ、計20回の宮入りを行い、
 20:00より太鼓台、地車の宮入りを行う。
二番太鼓台保存会(月出町)=太鼓台、子供枕太鼓、子供だんじり、樽みこし
三番地車保存会(堂山町)=小型神戸型。明治32年神戸市灘区新在家新調。彫師は黒田正勝と伝えられる。
大正元年、三番が購入。初代である。

平成30年(1018)5月12日(土)搬入。河合工務店で修復。
灰汁洗い、本体締め直し、柱取替え、錺金物鍍金直し。
御堂町4−28 八坂神社 10/15頃の土日 地車1台 古川橋
神輿 幸福西町
氏地はは旧・門真一番上村と門真一番下村。現在の御堂町、垣内町、幸福町、古川町、末広町、寿町、速見町、大倉町、一番町にあたる。
古川橋地車保存会⇒古川町12あたり。川沿い。
=北河内型。明治期の作。大工不詳。彫師は相野清七ほか。
守口市南十番は明治6、7年頃に四条畷の雁屋付近より購入と伝わる。
平成5年吉為工務店で修復。
平成30年11月3日、お別れ曳行と昇魂式、その日のうちに嫁ぎ先の門真市古川橋まで曳いて帰る。

 先代は一枚屋根型。平成25年、平成10年代初期に(株)門真建設工業(上野口12−9)の社長が制作した地車を購入し久々の地車復活。地車小屋はまだ無く、以前の(株)門真建設工業の倉庫を借りている。
一番上村=地車があったが、戦前に売却。
大東市押廻(栄和町)の地車は北河内型。制作年は天保年間?。大工は不詳。彫師は小松源蔵。
昭和7年頃門真市古川橋の寺に置いていたと伝わる。これは門真一番下村の地車か?。
一番下村=文久2年(1862)の「地車幕求覚帳」(横地村若中文書)によりこの年に横地村より32両2歩で売却したとある。
太鼓わく=昭和20年代後半より休止。
 ■大和田地区
       ⇒横地、常称寺、野口、打越、北島
宮野町8−34 堤根神社
公式HPへ
10/3土日(元・22) 地車4台 常称寺、打越、横地、北島
子供神輿 野口
氏地は横地、打越、野口、常称寺、横地、北島の各村。
戦後の昭和22年に一斉に地車制作するが、昭和27年〜31年にかけて地車が廃れる。
 ≪2017年の行事予定≫
■宵宮(土曜)
(8;30〜)御旅所祭
(10:30〜)北島地車宮入り
(12:00〜)打越地車宮入り
(13:30〜)横地地車宮入り
(17:00〜)宵宮祭

■本宮(日曜)
(9:30〜)湯立神楽奉納、横地地車宮入り
(10:00〜)例大祭
(11:00〜)横地地車御旅所宮入り
(11:30〜)野口子供神輿宮入り
(11:40〜)常称寺地車宮入り
(12:00〜)打越地車御旅所宮入り
(14:30〜)横地地車宮入り常盤町、野里町を曳行
 先代は板勾欄住吉型。堺市家原寺より平成10年2月15日、搬入。堺型。明治初期〜中期に住吉区遠里小野新調。
21年使われ、2019年11月14日、門真市横地に搬出。
大工は不詳。彫師は彫又一門。
土呂幕:「鬼若丸鯉退治」。
見送り(三枚板):正面は「大巳貴命の大鷲退治」、右は「武松虎退治」、左は「赤松円心の大蛇退治」。
横地(横地地車保存会)⇒地車小屋は常盤町自治会館隣り(常盤町4−16)。
=2019年11月14日、搬入。2020年5月5日、購入入魂式。
板勾欄住吉型。明治初期〜中期に住吉区遠里小野新調。
堺市家原寺より平成10年2月15日、東大阪市川島が搬入。
21年使われ、2019年11月14日、門真市横地に搬出。
大工は不詳。彫師は彫又一門。
土呂幕:「鬼若丸鯉退治」。
見送り(三枚板):正面は「大巳貴命の大鷲退治」、右は「武松虎退治」、左は「赤松円心の大蛇退治」。

 先代は一枚屋根型。昭和22年制作。地元の赤間建設(赤間運作)の作。
2019年祭礼最終日に断綱祭を行う。
2020年1月19日、個人に譲渡。その後、栃木県益子町の某町へ。御披露目は令和4年(2022)の例祭に合わせて実施。
 先々代は寝屋川市の国守に売却したと聞く。
文久2年(1862)の「地車幕求覚帳」(横地村若中文書)によりこの年に下村より32両2歩で購入したとある。
打越(打越祭保存会)⇒地車小屋は打越町11(打越排水場隣り)。
江戸末期制作。大工は河村新吾。彫師は相野一門。
明治11年、大佐11代目、川崎仙之助により改修。その時に彫又一門が彫物付け足す。明治44年住之江区安立5丁目より購入。
経路は大阪市住之江区安立5丁目新調⇒堺市津久野中組(明治44年〜平成19年)昭和27年頃里帰りとして安立5丁目で曳かれたこともある)⇒富田林市東板持(平成19年〜24年)⇒同町へ。
令和元年10月1日(火)、修復入魂式。(有)隆匠で施工。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。灰汁洗い、本体締め直し、彫刻繕い、錺金物鍍金直し、妻葺地の入替えなど。
前回は平成15年、大下工務店で修復。
長さ3.46m。大屋根幅2.32m。内幅2.32m。高さ3.78m。(中組の時)。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「鐘馗」。
枡合:三面とも「青龍」。
車板:「天上の鬼」。
 ≪腰廻り≫
幟台:「牡丹に唐獅子」。
柱巻き:右は「昇龍」、左は「降龍」。
火燈窓:「獅噛み、牡丹に唐獅子」。
板勾欄:「牡丹に唐獅子」。土呂幕:「飛龍」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【中国列仙伝】正面は「黄仁欄」、右は「王子喬」、左は「琴高仙人」。

 先代は昭和22年創建。野口の阿部工務店の作。10年ほど曳くが休止。その後打越だんじり保存会を結成し、平成20年に飾付け。翌21年に52年ぶりに曳行復活した。

今も先代地車小屋に保管しているらしい。
常称寺(常称寺町自治会)
⇒地車小屋は常称寺町18。
=一つ屋根の町内地車。
北島(堤根神社お旅所北島氏子会)⇒御旅所隣り(古川町12)。
=平成28年(2016)7月17日、購入入魂式。搬入は4月24日。
明治前期制作か?大工は不詳。彫師は彫清。
経路は某所新調⇒東大阪市稲田南2番(この時背丈縮める)⇒八尾市竹淵⇒東大阪市某社長⇒柏原市老原⇒八尾市竹淵の個人⇒生野区岡⇒個人⇒旭区中宮⇒北島へ。
 ※個人所有時の2011年には西宮市民祭りに登場。塩瀬地車(名塩+生瀬の合同)として曳かれたこともある。
幅1.96m。長さ3.64m。高さ3.2m。
 ≪大屋根≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「牡丹に唐獅子」。
懸魚:「鳳凰」。
桁隠し:「唐獅子」。
車板:前は「宝珠を掴む青龍」。
 ≪小屋根≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
懸魚:「鷲に唐子」(元・今福北ノ町先代地車)。
車板:「牡丹に唐獅子」。
三枚板:「牡丹に唐獅子」。
泥幕:「兎」。
脇障子:「松に鷹」。岸和田より購入の松良?を利用。

 初代か?昭和31年頃に廃れる。
 神輿を平成3年購入。富山刑務所の作。その後休止するが、平成21年氏子会として運営。
地車購入後は御旅所に飾付け。
 ■四宮地区
      ⇒上馬伏、下馬伏、上島頭、下島頭、巣本、岸和田
上島町42−27 島頭天満宮 10/2土日 町内地車2台 上、下
上島(上島町秋祭り保存会)⇒地車小屋は神社内。
=旧称は上島頭。昭和63年に太鼓正の町内地車を購入。出人形、彫物は太鼓わくの物を使用。
 「門真町史」には、「天保2年(1831)に上島頭村では昔から地車が無く、村の子供中が他村より勝手に地車を銀20匁で買い求め、そのうち5匁を手付金を支払った」とある。これが創建と思われる。
 
先代は昭和36年頃まで曳行するが、38年頃に解体。彫物は保存し昭和59年に先代地車の彫物を使用した太鼓わくを制作。これは62年まで使用。
 神輿=昭和35、6年頃購入。
下島(下島町祭り実行委員会)=旧称は下島頭。昭和62年(1979)、川西氏が太鼓正の町内地車を寄贈。
 先代は北河内型の巨大地車。昭和49年(1974)頃に太鼓正に売却。
岸和田2丁目10−9 産須奈神社 10/15頃の土日 地車1台
元は2台(上下)あり、北南ともいう。現在の公民館の所で分けられた。現在は下を岸和田として曳く上は大東市西之口に売却。
地車小屋は上が神社内か?。下は現在の公民館。
岸和田(岸和田産土神社氏子中会)⇒地車小屋は神社内。
=北河内型。江戸末期の作か?。彫師は相野一門と思われる。長さ3.9m。台幅2.7m。内幅1.19m。高さ4.914m。
は昭和60年、川島織物の作。前幕は「富士の巻狩り」、後ろ幕は「義経八艘飛び」。

平成30年(2018)4月15日、修復入魂式。文化庁認定 地域活性化事業による。
大下工務店(大下孝治)により、屋形一式を復元修復。彫刻の灰汁洗い、欠け継ぎ、錺金物復元修復。

車板:(大)「珠を掴む青龍」、(小)「親子獅子に獅子噛み」。
桁隠し:前は「梅に山鵠」、後ろは「梅に鴬」。
枡合:「麒麟」。脇障子は?。
城垣町1−31 上馬伏産土神社 10/14頃の土日 地車1台 城垣町
子供神輿 青山自治会
氏地は上馬伏村と巣本村。
城垣町(城垣町祭保存会)⇒地車小屋は神社内。旧称は上馬伏。
北河内型。江戸後期の作。戦後まもなくだんじり小屋が台風で潰れた時に数百点の部品に解体され村の有力者に預けられた。その後永らく忘れられていたが、昭和51年に樽みこしで祭を復活したのがきっかけでだんじりを保管していると言われ当時の町会副会長の中尾末冶さん(45)が大工なので部材が無くなっていた屋根、台輪、車輪などを作り、復活にこぎつけた。
青山自治会=自治会館は北巣本町17−9。子供神輿。地元の中尾工務店謹製で奉納。
下馬伏255 菅原神社 10/14頃の土日 地車2台 江端、下馬伏 
江端(江端氏子会)⇒地車小屋は公園内。
= 北河内型。大正期の作?。大工は不詳。彫師は服部清七。平成12年、大東市の寺田工務店で改修。
長さ3.58m。台幅2.165m。内幅1.415m。高さ4.5m。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「獅子噛3面」。
拝懸魚:「鳳凰」。降懸魚:「珠を掴む青龍」。
桁隠し:「梅に山鵠」。
枡合:「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「谷越え獅子」。降懸魚:「鷲の猿掴み松に猿」。
桁隠し:「梅に鴬」。
枡合:「唐獅子」。
木鼻:「獅子・獏」。
下馬伏(下馬伏祭り保存会)⇒下馬伏町8−25(下馬伏公民館隣り)。
=大阪型。平成28年(2016)9月18日、購入入魂式。54年ぶりの復活。
明治中期?、現・大阪市鶴見区鶴見中之町新調。大正末期に守口市南寺方が購入。昭和63年、大改修。
南寺方新調を機に購入。

 先代地車は江戸末期か明治初期作。請負人は北島の彫師、馬場氏。地車小屋は精米所となる。昭和36年が最後の曳行で元・消防団倉庫に解体保存。10畳の大屋根は焼却処分。(ちなみに岸和田は8畳。江端は6畳だそうである)処理に困っていたが、平成14年7月28日に神戸市の地車マニアのW氏が引き取る。阪神高速の高架下に置いていると聞き見にいくが分解され一部の部材が残っているのみだった。

 まず昭和62年、樽みこしを作り祭再開。
 その後、
手作りの花みこしを出した年もあった。この時に見ているのだが、今となっては写しておけばよかった。
 ■二島地区
     ⇒三ツ島、稗島
三ッ島1374 三島神社 10/3日曜 地車2台 上=北河内型  下=堺型
上(上三ツ島地車保存会)⇒地車小屋は神社内。
=北河内型。江戸末期制作。彫師は相野伊兵衛。 

⇒地車小屋は公民館横。
=板勾出人形型。明治初期制作。大工は大佐。銘板に「細工人 住吉大佐」とあり。彫師は彫又一門。
昭和32年(1957)、80万円で購入。経路は某所⇒淡路方面⇒下三ツ島
  ≪大屋根≫
鬼板:前は「青龍」、後ろは「虎」。
懸魚:前は「松に鷲」、後ろは「雲海」。
車板:「雲海」。
枡合:正面は「宝珠を掴む青龍」、左右は「松に鷲」。
虹梁:「武者」、左は「鎮西八郎大鷲退治」。
二重虹梁:「飛龍退治」。
柱巻き:前は「牛若丸 鞍馬山修行の場」、後ろは「阿吽の龍」。
 ≪小屋根≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「雲海」。
車板:「雲海」。
枡合:三面とも「松に鷲」、
虹梁:正面は「鶴に鷲」、右は「武者」。

三枚板:正面は「漢高祖龍退治」、右は「大貴巳命大鷲退治」、左は「武松の虎退治」。
脇障子:「武者」。
旗元:「珠取り獅子」。
摺出鼻:「雲海・飛獅子」。
旗台:「唐獅子」。
土呂幕:前は「山水草木」、左右・後ろは「武者」。
下勾欄:「波濤に兎」。
台木:「波濤」。

 先代は北河内型。昭和35年頃焼却処分。第二室戸台風で駒がいかれたので処分となる。会所に写真が飾っている。
寛政11年(1799)の「三ツ島村祭礼壇尻費用割賦一件につき返答書」(守口文庫所蔵三ツ嶋村文書)により当時には壇尻があったことが分かる。
稗島422 堤根神社 10/22頃の土日 太鼓わく 稗島
氏地は稗島村と桑才村
稗島=太鼓わく。巡行はしていないらしい。

桑才=無し。

 ≪守口市≫
八雲北町2−15−1 八雲神社 10/3土日 神輿
地車5台 南十番、北十番、八番、下島、南町
南十番(南十番地車保存会)⇒地車小屋は八雲西町1丁目24。
=令和元年(2019)7月14日、新装入魂式。
大工は河合工務店。
大阪市西淀川区野里東之町先代地車をベース(虹梁・木鼻・脇障子 など)に、見送りは東大阪市深江新家地車を利用。
残りの彫物は獅子噛、箱棟、花台、縁葛は井波の野原湛水。
拝懸魚、降懸魚、正面車板、平泥幕、勾欄合6面は新野彫刻店(新野祐一)。
小屋根車板、妻泥幕は木彫森下(森下哲也)。
隅障子は井波の澤義博。
 また屋形のほとんどを一新。

  初代(先代)は北河内型。明治期の作。大工不詳。彫師は相野清七ほか。
明治6、7年頃に四条畷の雁屋付近より購入と伝わる。
平成5年吉為工務店で修復。
平成30年11月3日、お別れ曳行と昇魂式、その日のうちに嫁ぎ先の門真市古川橋まで曳いて帰る。
北十番(北十番地車保存会)⇒地車小屋は北十番連合会館隣り。八雲北町1−14。
=大阪型。昭和45年10/31に吹田市下新田より20万円で購入。大工、制作年は不詳。彫師は彫清、辻田一門と思われる。
彫師から明治期か大正期作と思われるが、屋根から文政3年(1820)と書かれた紙が出てきたので、江戸期に新調され明治以降に彫物足したかもしれない。
 平成16年、隆匠で修復。代金は2、200万円と聞くが。大屋根懸魚、縁葛、正面土呂幕を入れ替えた。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「松に猿」。
車板:「夫牡丹に唐獅子」。
枡合:右は「親子唐獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
出人形:「武者」。
柱巻き:「昇龍、降龍」。
勾欄合:「二十四子考」。
縁葛:正面は「梶原景季 生田の森」、右は「黄瀬川の対面」、左は「景清錣曳き」、後ろは「仁田四郎忠常猪退治」。
土呂幕:「武者」。
見送り:正面は「青龍」、左右は「?」。
脇障子:「昇龍」。

 初代は戦災で焼失。
 先代は昭和30年代後半に地元大工により作られた町内地車で現・地車購入まで曳かれ焼却処分になる。
八番(八番地車会)⇒地車小屋は町会館と一体。
=平成24年(2012)9月16日、新調入魂式。大工は河合工務店(河合伸一)。彫物は彫曜(山本陽介)、野原湛水。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚:「鳳凰」。
桁隠し:「梅に鶯」。
車板:「龍」。
枡合:右は「明智光秀 小栗栖の最期」、左は「秀吉 高松城水攻め」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚:「加藤清正 山路将監を討ち取る」。
桁隠し:「雑兵」。
車板:「醍醐の花見」。
枡合:右は「藤吉郎 長短槍試合」、左は「秀吉 味噌擂り坊主に化け危難を逃れる」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻き:「阿吽の龍」。
脇障子:「牡丹に唐獅子」。
三枚板:右は「脇坂安冶の勇戦」、左は「木村重成の勇戦」。
勾欄:「秀吉出世物語」。
縁葛:「雲海」。
泥幕:正面は「波濤」、右は「龍神と乙姫」、左は「珠取り姫と龍神の眷属」。
台木&ネコ木:「波濤」。


 先々代は焼失。大型だったらしい。
 先代は大阪型。明治初期に天王寺方面より購入。新調に先立ち平成23年(2011)11月13日、昇魂式をし下取りされる。
東大阪市川俣が河合工務店より平成24年(2012)8月5日購入。
下島(下島だんじり保存会)⇒地車小屋は下島町2。
=大阪型。嘉永年間(1848〜54)制作。明治39年、大阪天満宮氏子地より購入と伝わる。
2021年3月6日(土)、修復入魂式。地域文化財総合活用推進事業の助成金を活用。大工は(株)大下工務店。
足回りの復元。錺金物鍍金直し。彫刻繕い、飾り幕の復元など。
 前回は平成6年河合工務店で修復。
水引幕:前は「木瓜紋」、右は「牡丹」、左は「唐獅子」。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:前後「鳥衾」。
懸魚:「梅に千鳥」。
車板:「龍」。
枡合:正面は「虎」、左右は「唐獅子」。
天蓋:「鳳凰」。

 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「鳥衾」。
懸魚:「松に鶴」。
車板:「雌雄の鶴」。
枡合:正面・右は「山水草木」、左は「松に千鳥」。

三枚板:正面は「?」、右は「白居易」、左は「神功皇后・応神天皇を抱く武内宿禰」。
間仕切り:「唐草模様」。絵振板:「牡丹」。脇障子は無し。
角障子:前は「唐草模様」、後ろは「唐草模様に梅鉢紋」。
土呂幕:「菱格子4面」。
八雲南町(八雲南地車保存会)⇒地車小屋は公園内。
=2013年9月22日、購入入魂式。会場は八雲南しろはと保育園広場横。入魂式に先立ち平野区の河合工務店で三枚板の彫物はほぼ全面大改修。
ちなみに福田上の昇魂式は平成24年11月4日。
江戸末期〜明治初期の作。大工は堺の木村一門か?。彫師は彫又。
経路は堺市中百舌鳥⇒河内長野市三日市北部(大正9年購入)⇒福田上⇒守口市八雲南

 ≪大屋根廻り≫
飾目:正面は「青龍」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「朱雀」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「朱雀」。
小屋根車板:「司馬温公の瓶割り」。

三枚板(見送り):正面は「楚の項羽、烏騅と云う名馬を得る」、右は「劉邦(高祖)の大蛇退治」とも「人物不詳の蛇退治」と云われる。、左は「鬼若丸の鯉退治」。
花頭窓:「松に鶴」。
土呂幕:「波に兎」。
幟台:「力神」。


 往古は南十番と合同。
 初代は昭和22年創建。
 二代目は昭和26年制作。38年まで曳かれた。芯棒が折れて廃棄に到る。
 次いで花自動車と婦人会の踊りで八雲地車パレードに参加。
 さらに昭和50年代に町内地車作るが不評で2年ほどで終わる。

 先代は大阪型。大正4、5年頃制作。昭和59年、梶内だんじり店より購入。
堺市市之町新調⇒八田南之町⇒当町へ。現・地車購入につき解体処分。

三枚板は滝井の地車が再利用。
大庭町2丁目25−26 八坂瓊神社 10/3土日 神輿
地車1台  
大庭⇒地車小屋は神社裏手。
=令和2年10月18日、新装入魂式。大工は河合工務店。
大阪型。生野区岡先代地車地車の彫物と西淀川区野里東之町の彫物を再利用して新装。

 往古は太鼓わく。
 先々代は子供地車。戦後に地元の大工、田中音吉の作。

 先代は昭和58年高石市綾井新調。平成6年東住吉区育和より600万円で購入。
大日町2丁目31−1 白山神社 10/3土日 地車1台  
子供神輿
大日(大日町盆踊り地車保存会)⇒旧・六番・三番・四番より成る。旧称は大日町連合会盆踊り屋台実行委員会。
地車小屋は大日会館(大日2丁目38−6)隣り。
= 元々は、見送り幕式の地車だったが、幾度となく修理・改修が行われ大阪型へ。東大阪市永和より購入。
元は大正2,3年に生野区四条より購入。
平成22年(2010)11月21日、購入入魂式。800万円で購入と聞く。
神社での式典の後、神社の周り1周は永和の人に曳かせて、その後挨拶の後、大日が曳いた。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「龍」。
枡合:「唐獅子牡丹」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲と猿」。
隣懸魚:「鷲」。
車板:「竹と虎」。
枡合:「唐獅子牡丹」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「十二支」。

 大正期は地車があったが、近隣の村と喧嘩をするため神社より西北へ約300m離れた旧社地である藤の森(大日町4丁目)に埋めたと伝えられる。
 昭和30年代には太鼓わくがあり、新光クラブが担いだ。この太鼓わくを聞いたところ、大阪天満宮の催太鼓のような物と言われるので、太鼓わくとは枕太鼓と思われる。
 町内地車は昭和61年制作。地元の人の作で、近隣のどこかの町に譲ったらしい。
子供神輿=平成10年代に購入。堺の刑務所の作。以前は祭りごとにリースで借りていた。
これは国道1号線で分けられている大日町1丁目に地車の曳行が許可されないため、大日町1丁目に子供神輿で廻るためである。
土居町2−22 守居神社 10/20、21(毎年) 地車1台 土居
10/3土日 地車1台 滝井
土居(土居塞神講)⇒地車小屋は神社内。
=住吉型。大工は不詳。彫師は西岡弥三郎。明治初期制作。平成13年に池内工務店で修復。明治8〜10年頃に東大阪市の鴻池村で水害で土に埋まっていた地車を購入。費用は塞神講の北組と南組の田圃を1反ずつ売却して約100円を捻出。

 先代は野江か内代に売却と伝えられる。
滝井(滝井地車保存会)⇒地車小屋は滝井元町3丁目1−21。滝井東会館横、地蔵併設。
=大阪型に改修。明治初期制作と思われる。大工・彫師は不詳。
元・西宮市名塩大西町の地車で、平成7年新調につき八尾市の川井工務店が下取りし、さらに車楽会が購入。一部、改修していた。
平成16年(2004)7月11日、生野八坂神社に車楽会の地車を奉納してもらい入魂式を行う。
足回りに不安があり、数年でもう1台の地車を購入し、祭礼時の囃子用に使われ神社で囃すが曳行はしなかった。
平成30年7月29日搬出され、大市こと河合工務店で改修され、本体締め直し、三枚板取り付け(守口市八雲南先代地車を使用)、肩脊棒、抜き腕取替えなどをし曳行に差し支えることは無くなった。

 先々代は幕式の一つ屋根。昭和26年に滝井東の有志が鴫野方面より購入。

平成25年、大阪市旭区別所へ。
 先代は太鼓正(彫忠作)の町内地車。平成24年(2012)10月初旬の日曜日、滝井にて入魂式並びに先代地車の昇魂式を行う。
東大阪市川俣より購入。元は東大阪市長田東之町。
馬場町1−1−11 高瀬神社 7/22、23(毎年)
10/22、23(毎年)
神輿
地車1台 高瀬
高瀬(世木)⇒地車小屋は高瀬4丁目7。
=高瀬地車保存会。大阪型。大佐の「地車請取帳」には明治26ー28年に「東成郡馬場村 上原信次様 中谷徳治郎様 北野辰治郎様」とあり。この時に大佐が売却説や、明治16年、岸和田の船大工の作とも伝えられる。
平成16年5月、植山工務店で修復。本体・鬼板、飾幕新調。他彫刻は修復。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「孔雀」。
隣懸魚:右は「恵比寿」、左は「大黒天」。
車板:「青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「梅に鴬」。
車板:「夫婦唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
花台:「猩々」。 前部持送り:「力神」。
泥幕:「おしどり」。
前部脇障子:「青龍」。
脇障子:右は「誉田別命を抱く武内宿禰」、左は「神功皇后」。
橋波東之町2−11−8 天乃神社 10/2土日 子供神輿
枕太鼓
地車廃絶?
枕太鼓(天乃神社太鼓保存会)=始まりは不祥。昭和6年(1931)満州事変の年より休止。昭和28年(1953)有志により復活。昭和53年(1978)天乃神社太鼓保存会発足。
 大佐の「地車請取帳」の明治14年10月の項に「北河内 ばし村 地車壱本 但シ ねじ金 又 二重虹梁 三枚 代金三百九十五円」とある。このばし村とはここでは無いだろうか?
大枝東町2−23 大枝神社 7/初旬
10/2土日
地車
獅子舞
大枝(大枝獅子講地車保存会)⇒地車小屋は神社内。
=明治8年制作?。大工は不詳。彫師は長谷川亀蔵。
平成20年(2008)1月1日、購入入魂式。お披露目曳行は7月5日。搬入は平成19年(2007)12月28日(金)。
東大阪市近江堂より購入。
大瀬(現・生野区小路東)⇒近江堂(大正3年〜平成19年)。昭和61年、15年ぶりに修復し復活。⇒平成19年(2007)に守口市大枝へ。
平成31年≪2019)3月17日、修復入魂式。文化庁認定地域活性化事業の助成金活用。大下工務店(大下孝治)による。
灰汁洗い、彫刻繕い、錺金具鍍金直し、屋根板・大屋根正面葺地・柱・縁葛・肩背棒 等の復元修理。

幕:「赤羅紗地。金糸三ッ巴刺繍」。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「鷲」。隣懸魚:「鷲と松」。
車板・枡合:「唐獅子牡丹」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「龍」。
拝懸魚:「鷲」。隣懸魚:「猿と鷲」。
車板・枡合:「唐獅子牡丹」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:「昇龍」。
三枚板:「唐獅子牡丹」。
寺方元町2−8−15 産須那神社 7/3土日
10/4土日(元・21)
神輿
地車2台 南寺方、北寺方
南寺方(南寺方地車保存会)⇒地車小屋は南寺方南通2−17−7。集会所隣り。
=平成28年(2016)10月22日(土)、新調入魂式。前日に搬入。
大工は泉谷工務店(泉谷浩文)。彫師は木彫山本(山本仲伸)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅子」。
箱棟:「雲に千鳥」。
平葺地:「梅花」。
拝懸魚:「菅原道真公 祈願の図」。
桁隠し:正面は「牛車 神牛」、後ろは「雲に鶴」。
車板:「宝珠を掴む龍」。
枡合:正面は「喜左衛門 寺方荘に樋を築く」、左右は「賤ヶ岳七本槍」。
虹梁:「寺方村 提灯踊り」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「追獅子」。
箱棟:「雲に千鳥」。
平葺地:「梅花」。
拝懸魚:「素盞嗚尊 八岐大蛇退治」。
桁隠し:「櫛名田比売」。
車板:「難波大合戦」。
枡合:正面は「難波大合戦」、右は「大阪城」、左は「真田丸」。

間仕切り:「雲海」。
三枚板:【難波大合戦】正面は「本田忠朝 真田幸村一騎打ち」、右は「木村重成勇戦」、左は「鉄砲玉をかわす 長宗我部盛親」。
脇障子:【難波大合戦】右は「組討ち」、左は「雑兵 物見」。
隅障子:【難波大合戦】右は「真田大介 薄田隼人 伊達政宗」、左は「塙団右衛門 明石全登 鉄砲大筒隊」。
勾欄:正面は「桃太郎」、右は「竹取物語」、左は「金太郎」。
縁葛:【太平記】正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「北畠顕家 勇戦」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎」、後ろは「楠木正行 四条畷の戦い」。
泥幕:【三国志】正面は「桃園の誓い」、右は「樊城の戦い」、左は「虎牢関の戦い」、後ろは「苦肉の計」。
水板:「波濤に千鳥」。
台木:「波濤に兎」。

 先代は住吉型。明治中期に鶴見区鶴見中之町新調。鶴見の大工の作。大正末期に購入。
新調に伴い、
門真市下馬伏へ。
北寺方(北寺方地車・神輿保存会)=擬宝珠勾欄住吉型。大正15年(1926)和泉市黒鳥上泉新調。大工は地元の立石庄一郎。彫物は以前の地車(府中より120円で購入するが、わずか数年で立石弥太郎宅の横で彫物以外は焼却処分した)のを使用。彫又一門の作。費用は1、800円と云われている。
平成20年(2008)4/20、搬入。5/18、購入入魂式。
平成29年(2017)4月23日、修復入魂式。
泉谷工務店(泉谷浩文)により板勾欄出人形式を擬宝珠勾欄に改修。

 以前は太鼓台。大小2台あり昭和30年代後半まであったらしい。
 平成13年、神輿・太鼓台新調し祭礼復活。平成15年には北寺方神輿保存会結成。
金田町6丁目15−6 津島部神社 10/16頃の土日  神輿廃絶  
地車7台廃絶 金田、大久保東、大久保北、梶、藤田、対馬江、黒原
町内地車2台 金田、梶
神輿=拝殿の南東横にある小石組に埋めて廃絶に到る。
地車=明治18年(1885)の淀川大洪水までは15日の15時〜17時までに神社に地車7台宮入りした。全部の氏子が宮入りすると、一斉に提灯に灯を入れた。明治中期までは境内に地車小屋が残っていた。
 昭和31年発行の寝屋川市誌には「明治15、6年頃までは檀尻9台が宮入りした。氏子は黒原、対馬江と庭窪町金田、〃東、〃北、梶、藤田の7ヶ村」と書かれている。
金田=金竜寺横に地車小屋があったと伝わる。昭和初期に四条畷市砂に売却。
 また寝屋川市史第8巻264ページには「明治28年(1895)に守口の金田より100円支払って中古のものを購入」とある。

=町内地車。昭和60年、100年目にして中古自動車の台車を利用した手作り地車を作る。
長さ3m、幅1.5m。高さ2.8m。重さ0.5トン。
 先代は明治18年の淀川大洪水で地車が壊れた。

対馬江
=大きな太鼓を昼間は車の台に乗せて小学生が村中で曳き廻し、夜は大宮
津島部神社)に担いで行く。
 鎮守の神社(若宮神社)が洪水で流れたので、地車部材で小宮(若宮神社を建てた

黒原
=太鼓を車に乗せ太鼓台として子供会が曳く。
組立式地車。昭和3年の御大典以来休止。
 【梶四東まつり】
9月中旬開催。梶町4丁目東町集会所前児童公園と周辺で開催。
昭和54年(1979)より始まる。
日曜にだんじり(実際は5段の布団太鼓)が曳かれる。昭和54年町内の個人の手作り。
佐太中町7丁目16−25 佐太天神宮 7/25 神輿、子供神輿5台  
太鼓 休止   
神輿は六角形で元禄6年(1693)制作。これは神輿に付いている鏡より判明した。現在は神社境内を何周か廻る。
子供神輿が一番、二番、五番、府営住宅、スカイハイツより出る。
 往古の祭礼】
宝永4年(1707)の古文書には「往古より佐太天満宮の夏祭りには五番御旅所まで神輿の渡御をしていたが、道路も悪い上、神輿も損じたので、境内壱の鳥居の浜にて渡御祭をしたい」と大阪番所に届けた記録があるという。
 6/15の夜に御旅所(現在は淀川拡張のため河川敷に)まで神輿と太鼓(枕太鼓)が巡幸したが、戦後は太鼓は出ていない。今も神社倉庫に分解保管しているらしい。
 【守口市だんじり祭】
平成19年より始まるイベント。主催は守口市地車連絡協議会。
第4回より5月2日曜、トークテイ守口(京阪守口市駅前)で行われることになる。
以前は会場は京阪守口市駅前、大枝公園、下島公園で行われた。
参加予定は守口市地車連絡協議会に所属する滝井・高瀬・北十番・南十番・八番・八雲南・下嶋・北寺方・南寺方・大枝・大日の11台の地車。