≪岸和田市≫
東岸和田年番、天神山地区、東葛城地区
≪東岸和田祭礼年番≫ | |||||||||
平成22年(2012)、従来旧・旭・太田年番と旧・修斉祭礼年番は合同で祭礼を行なっていたが、正式に東岸和田祭礼年番として運営するようになった。 | |||||||||
≪行事予定≫ ■1週前の日曜 (13:00~17:00)試験曳き ■宵宮(土曜) (6:00~)11町曳き出し (13:00~17:00)午後曳行 ※(13:00~)真上町は八大竜王神社宮入り (19:00~22:00)灯入れ曳行 ■本宮(日曜) (午前)宮入り ※(9:00~)土生町は土生神社 (10:00~)畑町は波多神社 (9:00~)作才町は岸和田天神宮 (7:00~)神須屋町・真上町・八田町・流木町・極楽寺町は矢代寸神社 (9:00~)土生瀧町・阿間河瀧町・葛城町は意賀美神社 (13:00~)東岸和田駅前パレード |
|||||||||
■旧・旭・太田祭礼年番 | |||||||||
旧・旭・太田年番は土生町、流木町、畑町、極楽寺町、作才町の6地区よりなる。 | |||||||||
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |||||
【宵宮】 6時に5町が土生交差点を出発、東岸和田駅周辺を8の字に曳行。 6時30分に修斎地区と合流後、東岸和田駅周辺を8の字に曳行。 13時に旭・太田地区5町が東岸和田市民センター前に出発、東岸和田駅周辺を8の字に曳行。 |
|||||||||
【本宮】 8時頃に極楽寺町、流木町が矢代寸神社。9時頃に作才町が岸和田天神宮。9時45分に土生町が土生神社へ宮入り。 10時に畑町が波多神社に宮入り。 13時半に東岸和田市民センター前に出発、修斉地区と地車と合流し、11台の地車が東岸和田駅周辺を8の字に曳行。 |
|||||||||
別所町1丁目13-15 | 岸和田天神宮 | 10/連休土日 | 神輿 |
|
|||||
地車1台 | 神社は岸和田祭礼年番地区にある | ||||||||
作才⇒地車小屋は作才町217。 =平成15年(2003)10月5日、購入入魂式。初代である。初年は町内曳行のみ。昭和23年(1948)畑町新調。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。 長さ3.7m。大屋根幅2.24m。内幅1.04m。高さ3.6m。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「岩見重太郎 狒々退治」、右は「中大兄皇子 大化の改新」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。 ≪腰廻り≫ 松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶、義経徴打」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「富士の巻狩り 頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「狩場風景勢子の活躍」。 大連子:正面は「悪七兵衛景清 東大寺に潜む」、右は「?」、左は「巴御前の雄姿」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り 内蔵助の雄姿」。 土呂幕:正面は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「大坂夏の陣」。 |
|||||||||
土生町114 | 土生神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
|
|||||
地車1台 | |||||||||
宮入りは本宮の9:45から。 | |||||||||
土生(はぶ)⇒地車小屋は土生神社内。地車新調に合わせて作る。以前は水利組合の前(信号寄り)にあった。 =昭和31年(1956)制作。大工は田端元一。彫師は木下舜次郎。 最初の年は箱曳きで、一旦解体し、残りの彫物を町内で彫刻作業をしたと云われる。 昭和56年、池内工務店(池内福治郎)が修復。同時に彫物を新調。多くは木下彫刻所、松良は木下頼定。旧松良は会館に保管。 平成14年、大下工務店で大修理。屋根・台木新調。平成16年大下工務店にて屋根新調。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に梅鉢」。 懸魚:「波に朝日」。 車板:正面は「雲に龍」、後ろは「牡丹に三光鳥」。 隅出す:[牡丹に親子獅子」。 枡合:【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神武天皇東征 八咫烏」、後ろは「鎧武者」。 二重枡合:右は「日本武尊 野火の難」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 虹梁:「波千鳥」。 木鼻:「獅子」。 ≪腰廻り≫ 番号持ちは無し。 松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。 縁葛:正面は「小六 日吉丸矢矧橋の出会い」、右は「大坂城築城」、左は「秀吉 茶坊主に化け難を逃れる」。 大連子:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「?」、左は「巴御前の雄姿」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「両国橋引揚げ」、左は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」。 土呂幕:正面は「武蔵坊弁慶 藤原泰衡の血戦」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤孫六 浅井吉兵衛討取り」。 勾欄合:「二十四孝」。 松良受・脇障子受:「若葉」。 水板:「波に兎」。 犬勾欄;「牡丹に唐獅子」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に社紋」。 車板:「雲に龍」。 隅出す・小屋虹梁:「牡丹に親子獅子」。 枡合:【源平盛衰記】正面は「義経八艘飛び」、右は「茨木童子片腕奪還」、左は「二条天皇救出」。 二重枡合:右は「おかね(後の巴御前)、左は「?(木曾義仲説も)」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「大坂夏の陣」。 見送り虹梁:右は「那須の与一」、左は「宇治川の先陣争い」。 縁葛:「富士の巻狩り」。 後水板:「波」 連子:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「加藤清正 山路将監討ち取る」、左は「秀吉 尼崎で茶坊主に化け難を逃れる」。 旗台:「牡丹に唐獅子」。 後松良:「物見をする武者」。 明治後期までは土生には3台の地車があったが、何らかの理由で廃絶した。 その3台とは本村の2台(北、南)と土生新田でいずれも小型だった。 先代は大正6年に下野町より購入し別所町に売却され現存せず。 |
|||||||||
畑428 | 波多神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
|
|||||
地車1台 | |||||||||
宮入りは本宮の10:00から。 | |||||||||
畑⇒地車小屋は畑町1丁目5(町会館の裏手)。 =平成15年(2003)8月31日、新調入魂式。 大工は井上工務店(井上英明)。井上師の出世地車。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。 長さ4.26m。大屋根幅2.424m。内幅1.575m。高さ3.77m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に社紋」。 懸魚:正面は「波に富士山」、後ろは「波に千鳥」。 車板:正面は「天孫降臨」、後ろは「神武天皇 東征」。 枡合:【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后三韓征伐」、主の後ろは「波多神社縁起」。 二重枡合:右は「日本武尊野火の難」、左は「雄略天皇猪退治」。 隅出す:「唐獅子」。 虹梁:「菊水」。 木鼻:「物持付唐獅子」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「達磨」。 松良:右は「五右衛門 香炉取り」、左は「醍醐の花見」。 勾欄合:「忠臣蔵」。 縁葛:【太閤記】正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「日吉丸 小六武芸修業を受ける」、左は「日吉丸 信長初見参」。 大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤嘉明 浅井吉兵衛を討つ」、左は「中川清秀 大岩砦の戦い」。 小連子:【太閤記】正面は「富士川の初陣」、右は「高松城水攻め」、左は「山崎の合戦」。 土呂幕:正面は「本能寺の変」、右は「川中島の合戦」、左は「姉川合戦」。 犬勾欄:「唐獅子牡丹」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に社紋」。 懸魚:「波に千鳥」。隅木:「唐草に社紋」。 車板:「大国主命 國譲り」。 枡合:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「楠木正行如意輪堂の場」。 見送り木鼻:「花鳥」。 ≪見送り廻り≫ 見送り、脇障子、大脇は「一ノ谷の合戦」。 後松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打す」、左は「頼朝朽木隠れ」。 後縁葛:正面は「宇治川の先陣争い」右は、「木曽義仲の戦い」、左は「巴御前の勇戦」。 後大連子:正面は義経八艘飛び」、右は「平景清錣引き」、左は「義経、景時逆櫓争い」。 後水板:「波に龍」。 幟台:「三猿」。 初代は魚屋町⇒貝塚市名越⇒泉大津市豊中⇒作才の古物商の氏原氏⇒畑へ。老朽化のため解体処分。 二代目は明治10年代畑町新調。八坂へ売却。貝塚市脇浜⇒額原⇒現・香川県坂出市上林田。 三代目は大正期の作。大阪市鶴見区諸口に売却。現・大東市大野町へ。 四代目(先代)は昭和23年制作。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。入魂式当日に昇魂式も行い、作才町へ。 |
|||||||||
八田町358 | 矢代寸神社 | 10/連休土日 | 神輿 | あり | |||||
地車2台(旧・旭・太田年番) | 極楽寺、流木 | ||||||||
地車3台(旧・修斉年番) | 八田、神須屋、真上 | ||||||||
宮入りは本宮の8時頃から。宮入り後、神輿は5台の地車を従えて神須屋町の御旅所(諏訪神社跡)まで渡御する。 神輿のカキ順は八田⇒真上⇒神須屋⇒極楽寺⇒流木の順で回り持ち。これは宮出の順にもなる。平成23年(2011)は八田町が担ぐ。 |
|||||||||
極楽寺⇒地車小屋は極楽寺町379-1。以前の小屋は2-12。 原木は滋賀県八日市産。 令和3年(2021)8月9日、新調入魂式。 大工は植山工務店。彫師は木彫山本(山本 仲伸)。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:前は「左三つ巴」、後ろは「龍」。 懸魚:前は「波に千鳥」、後は「波」。 桁・破風尻:「雲」。 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「補鳥部萬、篁に追手を討つ」、左は抗うアルタイ、田村麻呂を撃つ」、後ろは「市杵島姫命」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「閻魔大王」。 勾欄合:「鳥獣戯画」。 縁葛:【檜垣】正面は「沢庵和尚 極楽寺来訪」、右は「応召の鐘 極楽寺を出で立つ」、左は「親鸞上人行状絵伝」。 大連子:正面は「池田屋騒動」、右は「厳島の合戦」、左は「桶狭間の戦い」。 小連子:正面は「池田屋騒動」、右は「瓶割柴田」、左は「巴御前 内田三郎討ち取り」。 土呂幕:正面は「五条の月」、右は「本能寺の変」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。 松良:右は「布引滝 悪源太義平」、左は「大物浦 経文を唱える弁慶」。 ≪小屋根廻り≫ 懸魚:「浦島太郎と乙姫」。 桁隠し:「鶴と亀」。 桁・破風尻:「雲」。 枡合:【一ノ谷合戦】正面は「生田森 梶原景季」、右は「敦盛最期」、左は「鵯越え 畠山重忠」。 見送り虹梁:【忠臣蔵】正面は「内蔵助 花街に遊ぶ」、右は「吉良邸討ち入り」、左は「刃傷松の廊下」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「長篠の戦い」。 脇障子・大脇・摺出受:「長篠の戦い」。 後縁葛:正面は「波に亀」、右は「波に沢蟹」、左は「波に金魚」。 後連子:正面は「川中島の戦い」、右は「加藤清正 新納武蔵守一騎討ち」、左は「人取橋 鬼庭左月の奮戦」。 水板:「波」。 幟差し:「阿吽の蛇」。 幟台:「水沫」。 初代は後ろ梃子の無い小さな上地車だった。 先々代は大正8年頃に泉佐野市北出(下瓦屋)より購入。新地車購入につき5万円で河内の方へ売却。 先代は昭和28年(1953)制作。大工は植山義正。彫師は井尻翠雲。 2019年11月10日、昇魂式とお別れ曳行。和歌山県橋本市原田に売却。 原田は令和4年(2022)9月18日、購入入魂式。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后応神天皇平産」、左は「神武天皇 東征」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。 縁葛:三面とも「唐子遊び」。 大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左右は「?」。 小連子:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。 土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「巴御前の雄姿」。 見送り:上段は「本能寺」、下段は「大坂夏の陣」。 |
|||||||||
流木⇒地車小屋は流木町公民館(流木町175-1)隣り。 =平成25年(2013)9月1日、新調入魂式。。大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に左三つ巴」。 懸魚:「波濤に千鳥、奥に御来光」。 桁鼻:正面・背面は「花鳥」、桁廻りは「雲」。 車板:正面は「神々の誕生」、後面は「神功皇后 応神天皇の平産す」。 二重枡合:右は「草薙の剣」、左は「神武天皇即位」。 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」、後ろは「矢代寸神社(鳥居と神輿)」。 隅出す:【矢代寸神社御祭神】前右は「波多八代宿禰」、前左は「建御雷神」、後右は「建御名方神」、後左は「菅原道真」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「武内宿禰」。 勾欄合:「日本昔話」。 松良:右は「妖怪退治」、左は「大江山 酒吞童子鬼退治」。 縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚」、右は「清水一学の奮戦」、左は「義士討入り」。 大連子:【戦国絵巻】正面は「川中島合戦」、右は「大塔宮 吉野落ち」、左は「福島正則の勇戦」。 小連子:【太平記】正面は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、右は千早城 籠城の奇策」、左は「大塔宮 吉野落」。 土呂幕:【源平合戦】正面は「藤原純友」、右は「楠木正成 千早城籠城の奇策」、左は「俱利伽羅峠の合戦」。 水板:「波に鶴亀」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に左三つ巴」。 懸魚:「波濤に千鳥、奥に御来光」。 車板:「白龍昇天」。 枡合:正面は「静の舞」、右は「義仲 おかねの出会い」、左は「常盤御前 伏見の里」。 横槌:「花鳥」。 見送り虹梁:【太平記】正面は「児島高徳」、右は「楠木正行 如意輪堂」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。 ≪見送り廻り≫ 大脇物見:【太平記】右は「楠公子別れ 櫻井の駅」、左は「村上義光の忠義」。 脇障子物見:【太平記】右は「後醍醐天皇 兵庫出迎え」、左は「後醍醐天皇 笠置落ち」。 脇障子:「紀州征伐」。 見送り:「落合城」。 大脇:【紀州征伐】右は「千石城城攻め」、左は「積善寺城の攻防」。 摺出し受:【紀州征伐】右は「堀秀政勇戦」、左は「高山右近奮戦」。 見送り天井:「龍」。 ≪後腰廻り≫ 縁板:「花菱」。 延隅木:「流木に唐草金物彫」。 縁葛:【唐子遊び】正面は「夏秋」、右は「雪だるま 冬」、左は「春」。 後連子:【信長公記】正面は「本能寺の変」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「石山大合戦」。 半松良:【妖怪退治】右は「狐退治」、左は「鵺退治」。 水板:「波に鶴亀」。 旗受:「雲に鷹」。 幟台:「金剛力士」。 先々代は大正期に泉佐野市長滝地区より購入?。 先代は昭和9年(1934)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は開正藤、生珉親子。助は玉井行陽。 平成24年(2012)11月11日、昇魂式。高石市大園へ売却。 |
|||||||||
■旧・修斉祭礼年番 | |||||||||
旧・修斉祭礼年番は八田町、神須屋町、真上町、阿間ヶ滝町、土生滝町、葛城町の6地区よりなる。 | |||||||||
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |||||
【宵宮】 (6:30~)土生交差点を出発。東岸和田駅周辺を1周。 (10:00))6町がJA有真香支店前を出発、阿間ヶ滝町、土生滝町をパレード。 (13:20)葛城町入口に集合して、葛城町、神須屋町、八田町、真上町の順にパレード。 |
|||||||||
【本宮】 (8:00~)神須屋町、八田町、真上町が矢代寸神社。 (9:10~)阿間ヶ滝町、土生滝町が、10:00すぎに葛城町が意賀美神社へ宮入り。 (13:30~)土生交番所前を出発し。旭・太田地区の地車と東岸和田駅周辺をパレード。 |
|||||||||
八田町358 | 矢代寸神社 | 10/連休土日 | 神輿 | あり | |||||
地車3台(修斉地区) | 八田、神須屋、真上 | ||||||||
地車2台(旭・太田地区) | 極楽寺、流木 | ||||||||
宮入りは本宮の8時頃から。宮入り後、神輿は5台の地車を従えて神須屋町の御旅所(諏訪神社跡)まで渡御する。 神輿のカキ順は八田⇒真上⇒神須屋⇒極楽寺⇒流木の順で回り持ち。これは宮出の順にもなる。平成23年(2011)は八田町が担ぐ。 |
|||||||||
八田⇒地車小屋は八田町249付近。 =昭和32年(1957)制作。大工は絹井楠次郎。請負は野内勇。彫師は木下舜次郎。平成14年、修復。腰周りと見送り以外のほとんどを新調。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「本能寺の変」、右は「箙の梅 梶原源太景季」、左は「頼朝朽木隠れ」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。 大連子:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「宇治川先陣争い」、左は「朝比奈三郎 足利義氏の一騎討ち」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。 見送り:「大坂夏の陣」。 明治30年頃に同市中之浜町の地車を購入と伝えられるが?。 大正期は1,2年曳いては次の地車を購入ということを続けたと云われる。 先代は下取りに使われ泉大津市我孫子に売却。 |
|||||||||
神須屋⇒地車小屋はオークワ岸和田八田店(八田町368)隣り。 =平成20年(2008)9月28日、新調入魂式。大工は板谷工務店。彫師は木下彫刻工芸。 令和元年(2019)8月25日、修復入魂式。大工は板谷工務店 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に巴」。 懸魚:正面は「波千鳥に御来光」、後ろは「波千鳥」。 隅木:「巴」。隅木受:「龍」。 飛檐垂木:「神」。地垂木:「巴」。 車板:正面は「朱雀」、後ろは「玄武」。 小屋虹梁:「若葉に菱形格子地紋彫」。 外魚鼻:「花鳥」。 枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「石川五右衛門、香炉盗り」、左は「藤吉郎 富士川初陣」、後ろは「日吉丸と小六、矢矧川の出会い」。 二重枡合:正面は「国生み」、右は「青龍」、左は「白虎」、後ろは「組物(龍、雲、コブシ)」。 虹梁:「波千鳥」。 勾欄合:「花鳥」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:【日本書紀】「捕鳥部萬と愛犬マシロ」。 縁隅木:「町名」。 松良:【日本書紀】右は「神武天皇東征」、左は「天の岩戸」。 縁葛:【太閤記】正面は「藤吉郎、信長に初見参」、右は「長短槍試合」、左は「清洲城修理」。 大連子:【山崎の合戦】正面は「本能寺、森蘭丸の奮戦」、右は「佐馬之助、湖水渡り」、左は「光秀、小栗栖にて落命」。 小連子:【清洲会議】正面は「清洲城登城、謁見の場」、右は「秀吉、屈辱を忍ぶ」、左は「大徳寺、焼香の場」。 土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「石山大合戦」、左は「美濃の国合戦」。 水板:「波千鳥」。 松良受:「若葉」。 犬勾欄:「唐草」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に巴」。 懸魚:「浦島太郎 竜宮城より帰館」。 枡合:正面は「醍醐の花見」、右は「光秀、信長への怨恨深まる」、左は「高松城、水攻め」。 二重枡合:「鳳凰に牡丹」。 隅出す:「親子獅子に牡丹」。 見送り虹梁:正面は「北野大茶会」、右は「四天王但馬守勇力」、左は「尼崎の難」。 見送り木鼻:「獅子」。 ≪見送り廻り≫ 大脇物見:「牡丹に唐獅子」。 脇障子物見:「鳳凰に牡丹」。 竹の節:「親子獅子」。 兜桁:「巴」。 見送り:【難波戦記 大坂夏の陣】手前は「真田幸村、家康本陣急襲」、中央は「本多忠朝、荒川熊蔵血戦」、右平は「薄田隼人の雄姿」、左平は「藤堂高虎の奮戦」、奥は「大阪城」。 旗差し:「瓢箪 後水板:「波千鳥」。 後隅木:「町名」。 後半松良:「親子獅子に牡丹」。 幟台:「睨み龍」。 先代は昭和25年(1950)制作.大工は絹井楠次郎。請負は岩出育雄。彫師は上間庄平。 平成19年(2007)11月4日、昇魂式し堺市野々井へ売却。 野々井は平成20年(2008)4月20日、購入入魂式。 |
|||||||||
真上⇒地車小屋は真上町公民館隣り。真上町200。 =昭和32年(1957)9月新調。大工は植山義正。彫師は木下舜次郎。昭和63年修復。修復時の彫師は筒井和男。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。 ≪腰廻り≫ 松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「一ノ谷鵯越逆落とし」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。 大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「朝比奈三郎 足利義氏の一騎討ち」、左は「巴御前の雄姿」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「赤穂義士 吉良邸討入り」。 土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「本多出雲守の勇戦」、左は「加藤清正勇戦」。 見送り:上段は「本能寺」、下段は「大坂夏の陣」。 初代はいない(上)地車。 先々代は大きすぎて1年のみ。先代は和泉市伯太方面より購入するが、昭和25,6年に神於町に売却され現存せず。 |
|||||||||
土生滝町17 | 意賀美神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
|
|||||
地車3台 | 土生滝、阿間河滝、葛城町 | ||||||||
宮入りは本宮の9:00頃から土生滝、阿間河滝が宮入り。10:30頃に葛城町宮入り。 | |||||||||
土生滝⇒地車小屋は成願寺(土生滝町771)近くの広場。 以前の小屋は実行組合作業場(土生滝町442)の隣りの空き地。 =平成29年5月21日。青池広場で原木祭。令和4年(2022)9月11日、新調入魂式。 大工は植山工務店。彫師は賢申堂(河合賢申)。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:正面は「雲に丸に剣片喰」、後は「雲に瀧紋」。 懸魚;「波千鳥」。 桁鼻:「雲」。 飛檐垂木:「丸に剣片喰」。地垂木:「瀧」の紋」。 車板:「国生み」。 小屋虹梁:「天照大御神 稲穂を与える」。 隅出す:「唐獅子牡丹」。 枡合:正面は「為朝豪邁」、右平は「安宅の関 弁慶義経徴打す」、左平は「大江山」、後ろは「意賀美神社縁起」。 二重枡合:右は「安宅の松」、左は「大江山酒宴」。 虹梁:「浪」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に丸に剣片喰」。 懸魚:「雲間から拝み龍」。 隅木:金物彫りに「丸に剣片喰」。 飛檐垂木:「丸に剣片喰」。地垂木:「瀧」の紋。 車板&小屋虹梁:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 枡合:【太平記】正面は「楠公父子 櫻井の駅」、右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」。 見送り虹梁:正面は「親子龍」、右は「唐獅子手毬」、左は「唐獅子群雄」。 木鼻:「唐獅子」。 妻板:「天の岩戸」。 ≪腰廻り≫ 勾欄合:「四季巡り」。 番号持ち:「意賀美神社 主神」。 松良:右は「義士討入り」、左は「仮名手本忠臣蔵」。 縁葛:正面は「後藤又兵衛 家康を討つ」、右は「矢矧橋の出会い」、左は「桶屋市松」。 大連子:正面は「樫井川合戦 塙団右衛門の最期」、右は「新納武蔵守の勇戦」、左は「姉川合戦」。 小連子:正面は「淀君 秀頼出陣を阻止」、右は「信長 相撲上覧」、左は「石川五右衛門 香炉取り」。 土呂幕:正面は「真田幸村」、右は「川中島合戦」、左は「四国征伐」。 水板&松良受け:「波」。 犬勾欄:「若葉」。 ≪見送り廻り≫ 大脇物見:「神獣」。 脇障子物見:「獏」。 脇障子竹ノ節:「宝尽くし」。 脇障子受:「波」。 大脇竹ノ節:「逆さ獅子」。 見送り&大脇&脇障子&摺り出し鼻:「桶狭間の戦い」。 見送り天井板:「雲に龍」。 見送り下がり:妻は「松に鷹」、平は「松に鶴」。 犬勾欄:「波」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「狩場風景」。 大連子:【屋島合戦】正面は「平景清 錣曳き」、右は「弓流し」、左は「那須与一 扇の的。 後松良:右は「梶原景季 箙の梅」、左は「若木櫻の制札」。 水板:「波」。 旗台:「獅子噛」。 奥家文書によると文政7年(1824)土生瀧村、檀尻を新調。宮入等につき阿間河滝村と紛糾とある。 三先代は担い地車。 先々代は明治期に村の若衆が3年かかりで雨の日の縄作りをした費用で地車を購入。大屋根が上下する「からくり地車」だった。阿間河瀧が新調したので新調することになりこの地車を新在家(現・岡山町)方面に売却。 先代は昭和8年(1933)制作。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰、木下舜次郎。 令和3年11月14日、昇魂式。植山工務店に下取り。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后応神天皇平産」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「布引滝」、右は「義経八艘飛び」、左は「源三位頼政 鵺退治」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。 大連子:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「?」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。 見送り:「大坂夏の陣」。 |
|||||||||
阿間河滝⇒地車小屋は阿間河滝町1577。 =昭和58年(1983)制作。大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸。助は井尻翠雲、前田正三 等。 平成14年、あまの地車制作所(天野三郎)で修復。彫物は木下彫刻工芸で主枡合を新造した。 長さ4.115m。大屋根幅2.46m。内幅1.18m。高さ3.825m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に御神紋」。 懸魚:正面は「波千鳥に来光」、後ろは「波濤」。 車板:正面は「司馬温公の瓶割り」、後ろは「牡丹に小鳥」。 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」、後ろは「日本武尊野火の難」。 虹梁:「波に千鳥」。 木鼻:「唐獅子」。 勾欄合:「東海道五十三次」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に御神紋」。 懸魚:「波千鳥に龍宮より帰る浦島太郎」。 車板:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。 枡合:正面は「牛若丸鞍馬山の修業」、右は「小六 日吉丸矢矧橋の出会い」、左は「楠木正行の母」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「大黒さま」。幟台:「唐獅子」。 松良:右(妻)は「渡辺綱 羅城門禁札立て」、(平)は「茨木童子片腕奪還」、左は「一ノ谷鵯越坂落し」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常 猪退治」、右は「曽我の仇討ち」、左は「工藤祐経白鹿を射る」。 大連子:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松鹿戸ノ濱にて奮戦す」、左は「加藤孫六 浅井吉兵衛討取り」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り 内蔵助陣太鼓を打つ」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:正面は「千早城の攻撃に楠木正季奮戦す」、右は「義経八艘飛び」、左は「八幡太郎義家 安部貞任を討つ」。 後縁葛:「銭波地彫に唐草彫伊勢込み」。 後連子:正面は「木村重成初陣」、右は「大坂城炎上 木村重成の最期」、左は「春千代いくさ遊びをす」。 水板:「牡丹に唐獅子」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「大坂夏の陣」。 脇障子:右は「千姫を救い出す坂崎出羽守」、左は「大野冶長の奮戦」。 大脇物見:「牡丹に孔雀」。 竹の節:「親子獅子」。 木鼻:「唐獅子」。 犬勾欄:「波濤」。 先々代は箱だんじりと呼ばれ担い棒の付いた上だんじりと云われている。土生瀧の人に売られ、さらに山下町に売却されるが、室戸台風で小屋ごと川を越えて田んぼにまくって壊れた。 先代は昭和6年制作。堺市平岡町に売却。現・堺市菱木東。 |
|||||||||
葛城町=地域で言うと矢代寸神社だが、昭和44年誕生の新興町のため当社に宮入り。しかし正式には進入路の前でお払いを受けるのみ。 大正6年(1917)岸和田市北町新調。大工は要卯之介。墨引きは卯之助の師匠の櫻井義國。彫師は櫻井義國。 平成20年(2008)3月30日、購入入魂式。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后応神天皇平産」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「節分」、右は「太田道灌 山吹の里」、左は「太田道灌 山吹の井」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「勧進帳を詠む弁慶」。 松良:右は「新田義貞の鎌倉攻め」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。 縁葛:正面は「朝比奈三郎 曽我兄弟を救う」、右は「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」、左は「加藤虎之助の武勇」。 大連子:正面は「曽我兄弟の義勇」、右は「前田犬千代の勇戦」、左は「真柄十郎左衛門の勇戦」。 小連子:正面は「曽我兄弟祐経陣屋討入り」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「原彦次郎長頼の殿戦」。 土呂幕:正面は「曽我五郎時致の早馬」、右は「堀尾茂助の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「川中島の合戦」。 初代の子供地車は平成3年、有志10人で実物の1/3の大きさで制作。彫物は池内工務店に頂く。 平成8年11月3日、和歌山県橋本市清水の子供会に譲渡。お礼として10万円頂いたらしい。 これは新地車購入の話を聞いた私が橋本市の祭り友だちに連絡し、彼より清水に伝えたことによる。 私も御礼に菓子折り頂く。 平成21年(2009)10/18、橋本市高野口町名倉に嫁入りされるが曳かれなかったようだ。 最終的に高野口町伏原113の古物商の紀州屋(現在は廃業)の平成26年(2014)5月27日に行われた紀州屋 創立50周年競り市で某所に売却のようだ。 先代(町会の地車という観点では初代)は明治15年同市稲葉西新調。平成8年3/31に有志により1000万円で購入。大工は櫻井義國。彫師は玉井行陽。平成12年池内工務店にて屋根廻り、土台などを修復。 地車購入後、2年間は町内曳行し、平成10年(1998)より修斉地区の祭礼に参加。11年からは東岸和田駅前十町パレードに参加した。 平成19年(2007)11月3日、昇魂式。そのまま堺市中山へ搬入。中山の入魂式は平成20年(2008)5月4日。 |
|||||||||
≪天神山地区≫ | |||||||||
八田町・真上町・神須屋町・流木町から囲まれた独立丘陵を造成、近代的住宅が誘致された所。昭和54年、天神山町1丁目~3丁目の町が誕生。天神山小学校・幼稚園がある。 天神山連合町会に所属の町会は天神山府営第一自治会、天神山府営第二自治会、天神山公社A自治会、天神山公社B自治会、天神山2丁目自治会、天神山3丁目F団地自治会、天神山3丁目G団地自治会、荘苑自治会より成る。 |
|||||||||
新興町のため地車を曳いたことは無いが、8月初旬に天神山小学校で行われる天神山夏まつりにおいて、マイ だんじりが展示陳列されて子供を喜ばせた事がある。 | |||||||||
■東葛城地区 | |||||||||
河合町1893 | 東葛城神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
|
|||||
地車廃絶 | 河合、神於、白原 | ||||||||
氏子(地車曳いたこと無し) | 相川、塔原 | ||||||||
河合=先代は大正12年同市五軒屋町より購入したが、事故のため永らく休止し昭和44年に80万円で堺市鳳南町(長承寺)に売却。 初代は外コマの付いた「いない地車」だったが池にはめたのが原因で中止。 神於⇒鎮守は布引神社だった。 地車小屋跡は国道170号線沿いの倉庫になっている。 =地車は昭和24、5年頃に真上町より購入するが、ブレーキ設置義務化のため3、4年で曳行をやめ、この地車を彫った彫師が買い取ったと云われるが?。 ちなみに真上町の記録によると、地車を新調するも大きすぎて町内を曳けないので、現・地車を新調したとされている。 初代は明治期に河内型地車を購入。昭和24,5年に町内の谷口組が購入。今も見送り、獅噛みがあるという。 白原=地車は昭和24年に新調するが、ブレーキ設置義務化のため3、4年で曳行をやめ、町会館建設費用捻出のため昭和47年に500万円で同市下池田町に売却。同市橋室⇒現・大和高田市橋室。 先々代は昭和15年頃に、永らく放置されていたこの地車を開正藤が、「この地車は、親父の彫物だ」といい、1台そのまま買い受け、淡路に持ち帰ったと云われている。 |