大 阪 府
≪岸和田市≫
※山直南地区
山直南祭礼年番は積川、包近、山直中、稲葉東、稲葉西の5地区よりなる。 | |||||
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
【宵宮】 6時半に山直中町を出発し、包近町で2周し、稲葉町をパレード。 14時から山滝地区の地車と、稲葉町・積川町・稲葉町東交差点を結ぶコースをパレード。 |
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【本宮】 9時に包近町を出発し、11時頃に積川神社に宮入り。 14時からは包近町、山直中町の地車は山直地区のパレードに参加。 稲葉町・積川町の地車は山滝地区と合同で宵宮と同じコースをパレード。 |
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積川町349 | 積川神社 | 10/連休土日 | 神輿3基 | ||
地車5台 | 積川、包近町、山直中町、稲葉町東、稲葉町西 | ||||
地車廃絶1台 | 積川東(橋室) | ||||
神輿は3基あり。 最古の神輿は慶長7年(1602)淀君の寄進。平成25年(2013)、元興寺文化財研究所(奈良県生駒市)により修復。積川神社では住友財団からの助成を受けて、この修復を実施したと聞く。 |
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積川(積川西)⇒地車小屋は神社横。 =平成3年(1991)9月8日、新調入魂式。4年9月6日、完全完成入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治。 制作費は9800万円と聞く?。高さ3.83m。 平成18年(2006)大下工務店で修復。屋根新調 等。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后応神天皇平産」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「小桜責め」、右は「逆櫓の争い」、左は「常盤親子都落ち」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「石橋山合戦」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「勢子の狩場風景」。 大連子:【大江山】正面は「酒盛りの場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。 小連子:正面は「源頼政 鵺退治」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。 土呂幕:正面は「安芸の宮島 弁財天神体をあらわす」、右は「巴御前勇戦」、左は「八幡太郎義家 奥州征伐」。 見送り:「灘波戦記」。 先代は明治20年制作。大下工務店経由で堺市市之町へ。現・和歌山県橋本市小原田。 |
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包近町⇒地車小屋は包近町166。平成14年9月16日建造。 =平成14年(2002)9月29日、新調入魂式。大工は(有)植山工務店(植山良雄)。彫師は木彫 岸田、木彫 近藤、木彫 工房筒井。 長さ4.12m。幅2.45m。高さ3.8m。 図柄は≪楠公記≫で統一。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:正面、後ろとも「雲に梅鉢」。 懸魚:正面は「波に御来光」、後ろは「波に千鳥」。 車板:正面は「龍」、後ろは「鳳凰」。 枡合:正面は「戦勝祈願」、右は「桜井の駅」、左は「後醍醐天皇御夢」、後ろは「後醍醐天皇笠置落ち」。 二重枡合:「牡丹に唐獅子」。 木鼻:「籠、子獅子、宝珠、牡丹、桃、桃花」。 虹梁:「菊花流水」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「仙桃」。 勾欄合:「四神獣、十二支、桃、桃花」。 松良:「千破剣城合戦」。 縁葛:正面は「正成、四天王寺未来記を読む」、右は「文観僧正、鎌倉調伏」、左は「足利勢 楠家の間者を探る」。 大連子:正面は「畑六郎左衛門の剛力」、右は「高安三太郎兵衛 楠木家に加勢」、左は「高田傳二郎の勇戦」。 小連子:正面は「多聞丸元服」、右は「楠家 武術の稽古」、左は「恩地左近 赤坂城を探る」。 土呂幕:正面は「多聞丸初陣」。右は「尊氏侍女 於千賀応戦」、左は「和田新発智 奮戦」。 水板:「かねちかとんぼ」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に梅鉢」。 懸魚:「波に浦島太郎」。 枡合:正面は「多聞丸誕生」、右は「多聞丸 弓修業」、左は「多聞丸 林軍太を懲らしめる」。 台輪:「唐草に菊」。 ≪見送り廻り≫ 見送り、脇障子、大脇、は「京合戦」。 見送り虹梁:正面は「正行、如意輪堂」、右は「新田義貞、稲村ヶ崎」、左は「大塔宮の最期」。 兜桁:「梅鉢」。 ≪後腰廻り≫ 縁板:「花菱」。 後連子:正面は「正成 兵庫出迎え」、右は「准后 大塔宮を讒す」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。 半松良:「力神」。 幟台:「長持ち」。 先々代は2台あり、1台は上松方面に売却され、もう1台は曳行されずに小屋に入れていたが、その後の行方は不詳。 先代は昭和12年新調で平成13年10月14日、曳き納め。高石市元町(4区)へ。 |
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山直中町⇒地車小屋は山直中町交差点近く。 =昭和14年(1939)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎、松田正幸。 平成15年、腰周り、見送りなどの彫物部分を除くほとんどの部材が新調される。 長さ4.09m。大屋根幅2.4m。内幅1.16m。高さ3.735m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に梅鉢」。 車板:正面は「鹿島立ち」、後ろは「雲に鳳凰」。 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「生田の森(箙の梅 梶原源太景季)」、左は「石川五右衛門 香炉盗り」、後ろは「神武天皇東征」。 二重枡合:「雲に鳳凰」。 虹梁:「波に千鳥」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「菅原道真公」。 勾欄合:「桃太郎伝説」。 松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「富士の巻狩り」。 大連子:正面は「佐藤嗣信 義経の身代わり」、右は「巴御前の勇姿」、左は「八幡太郎義家 安倍貞任を討つ」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げの場」、右は赤穂義士 吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:正面は「加藤清正の九州征伐」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「巴御前の奮戦」。 水板:「波濤」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に梅鉢」。 懸魚:「波に浦島太郎」。 飛檐垂木・地垂木:「梅鉢」。 小屋虹梁:「菊に孔雀」。 枡合:【忠臣蔵】正面は「顔世御前兜改め」、右は「刃傷松の廊下」、左は「村上喜剣 内蔵助を足蹴にす」。 ≪見送り廻り≫ 見送り虹梁:【賤ヶ岳の七本槍】正面は「脇坂甚内安治」、右は「糟谷助右衛門武則」、左は「平野権平長泰」。 見送り・脇障子・大脇は「大坂夏の陣」。 竹の節:「獅子」。 犬勾欄:「唐草」。 ≪後腰廻り≫ 幟台:「雲に龍」。 縁板:「花菱」。 縁隅木:「町名」。 後縁葛は「花菱文様と唐草の伊勢込み」。 後連子:【賤ヶ岳の七本槍】正面は「片桐助作且元」、右は「加藤孫六嘉明」、左は「福島市松正則」。 半松良:【賤ヶ岳の合戦】右内は「柴田権六勝家」、右外は「佐久間盛政」、左内は「羽柴筑前守秀吉」、左外は「小姓」。 半松良受:「波濤」。 水板:「波に千鳥」。 後縁板:「波の浮き彫り」。 往古は上出、下出、三軒家の3台があった 先代は上出、下出の地車を売却し始めて中村としての地車を制作。昭和7,8年頃に額の方に売却。私は貝塚市窪田に売却と思うが。 |
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稲葉町東⇒地車小屋は稲葉町254。 =平成12年(2000)10月1日、新調入魂式。13年(2001)5月13日、完全完成入魂式。 大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸。長さ4.12m。大屋根幅2.495m。内幅1.21m。高さ3.86m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に社紋」。 縣魚:「波に千鳥」。 枡合:正面は「鶴ケ岡八幡宮」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、左は「本能寺の変」。 二重枡合:「神話」。 虹梁:「波に千鳥」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「大黒天」。幟台:「龍」。 勾欄合:「弥地喜多道中記」。 松良:右は「大江山頼光木渡り」、左は「安宅の関」。 縁葛:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「湊川の戦い」、左は「四條畷の戦い」。 大連子:【太閤記】正面は「桶狭間の戦い」、右は「姉川の戦い」、左は「三方ヶ原の戦い」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:正面は「木曽義仲の最期 粟津合戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「今井四郎の勇戦」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「雲に社紋」。 縣魚:「波に千鳥」。 枡合:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「正行 如意輪堂」、左は「伏見香炉盗り」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「大坂夏の陣」。 見送り虹梁:正面は「日吉丸誕生」、右は「光明寺の場」、左は「日吉丸 小六の出会い」。 先代は明治14年創建。新調に先立ち貝塚市脇浜へ。現・岩手県遠野市の遠野郷だんじり会が無償貸与されたいると聞く。 |
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稲葉町西⇒稲葉バス停前。山滝公民館近く。 =平成8年(1996)10月6日、新調入魂式。10年8月完全完成入魂式。 大工は(有)植山工務店(植山良雄)。彫師は木彫 筒井工房(筒井伸、松谷隆司、白井秀紀、中島浩司)、木彫 近藤(近藤 晃)。 長さ4.28m。大屋根幅2.53m。内幅1.21m。高さ3.85m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「雲に菅原神社、梅鉢御神紋」。 懸魚:「開運 御来光」。 車板:「神話伝説」。 飛檐垂木:「扇垂木(西文字)」。 地垂木:「獏、獅子」。 枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「神武天皇、三韓を征す」、左は「天の岩戸」、後ろは「因幡の白兎」。 虹梁:「波濤」。 木鼻:「唐獅子」。 ≪小屋根廻り≫ 懸魚:「波、龍」。 車板:「神話伝説」。 飛檐垂木:「西文字」。 地垂木:「獏、獅子」。 大脇は「関ヶ原合戦」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「菅原道真」。幟台:「横綱の土俵入り」。 勾欄合:「花鳥風月」。 松良:右は「大江山鬼退治」、左は「安宅の関、弁慶義経懲打す」。 縁葛:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「千早城 篭城戦」、左は「楠公の藁人形の計略」。 大連子:【源平合戦】正面は「義経八艘跳び」、右は「鬼神に勝る巴御前」、左は「木曽義仲の最期」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:【太閤記】正面は「桶狭間の合戦、今川義元の最期」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。 後縁葛:【太閤記】正面は「築城用材調達」、右は「清洲城修築」、左は「日吉丸誕生」。 後連子:【太平記】正面は「築城用材調達」、右は「清洲城修築」、左は「中村の日吉丸」。 後半良松:「藤吉郎物語」。 後水板:「波濤」。 ≪見送り廻り≫ 見送りの上段は「関ヶ原の戦い」、下段は「堀川の夜討ち」。 虹梁:「富士の巻狩り」。 竹の節:「親子獅子」。 脇障子、摺出しは「関ヶ原の合戦」。 先代は平成8年(1996)3月31日、曳き納めし、同市葛城町の有志団体へ。その後葛城町の地車となり、現在は堺市中山へ。 |
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積川東(橋室)=橋室青年団を含む各祭礼団体は積川町各祭礼団体に吸収合併。 =先代は昭和24年同市上白原町新調。下池田町(昭和47〜平成15年)。平成16年(2004)購入。翌17年に連合曳きに復帰。 平成27年(2015)より曳行休止。平成29年(2017)に大和高田市日の出町の有志が地車小屋・法被 のみならず装備一式購入し、保存会の名称も橋室地車保存会として誕生。当地の御披露目は平成29年(2017)7月16日。 大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鷺池平九郎 うわばみ退治」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:三面とも「安宅の関」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 縁葛:三面とも「富士の巻狩り」。 大連子:三面とも「源平合戦」。 小連子:三面とも「二十四考」。 土呂幕:正面は「朝比奈三郎の剛力」、右は「富士川合戦」、左は「今井兼平勇戦」。 見送りは「大坂夏の陣」。 四先代は岸和田型で老朽化廃絶。 三先々代は堺型地車で老朽化廃絶。 先々代は明治28年に福田町新調。昭和10年頃に購入時に改作する。大工は不明。彫師は寺田卯之松。平成13年まで曳かれた。 その後、諸般の事情により、2年間曳行休止した。 平成19年、橋本市原田へ売却。 |