大 阪 府
≪岸和田市≫
※山滝地区
山滝祭礼年番は現在は内畑のみ。 以前は内畑、下出、大沢の三地区よりなる。 |
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住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
【宵宮】 8時半頃に大沢町が大沢神社に宮入り。 11時頃に内畑町(下出、内畑)が山直神社に宮入り。 9時から稲葉西、稲葉東、積川の3町と山滝小学校前で式典。 14時から山直南地区の地車と合わせて8台が稲葉町・積川町・積川町東・稲葉町東交差点を結ぶ1周約1kmのコースをパレード。 |
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【本宮】 12時半から山滝小学校前〜内畑町交差点をパレード。 14時から稲葉西、稲葉東、積川の地車と6台で宵宮午後と同じコースをパレード。 |
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内畑町3619 | 山直神社 | 10/連休土日 | 神輿 | あり | |
地車2台 | 内畑、下出 | ||||
神輿は宵宮12時、山直神社に地車が宮入り後に、(内畑町下出・内畑町の順)地車を従え山直神社から沢峰の御旅所まで渡御。 | |||||
かつて内畑5地区(下出、沢峰、西堂、辻堂、山口)に地車があったが昭和30年代前半に例祭の夜に堤燈をつけずに曳いたため衝突事故になり多くのけが人をだしたため休止となりやがて全て廃絶。その後5区合同で地車購入。 やがて下出は独立。 | |||||
内畑⇒地車小屋は内畑町1018。JAいずみの山滝支店近く。 =平成9年(1997)10月5日、新調入魂式。11年5月9日、完全完成入魂式。 大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は萬屋正彦、木下賢治、小西清和、松本幸規。 長さ4.17m。大屋根幅2.455m。内幅1.2m。高さ3.8m。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「山直神社社紋 五三の桐」。 懸魚:「雲・青海波に浜千鳥 夫婦岩」。 枡合:【源平合戦】正面は「牛若丸 鞍馬山修業の場」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「義経八艘飛び」。 二重枡合:「七福神」。 虹梁:「青海波に浜千鳥」。 木鼻:「唐獅子、母子、龍、宝珠、牡丹、瓢箪、鈴」。 ≪腰廻り≫ 番号持ち:「鯛と蜜柑を手にする内畑恵比須」。幟台は「獅噛み」。 勾欄合:「花鳥風月」。 松良:右は「夜襲 倶利伽羅落とし」、左は「頼朝朽木隠れ」。 縁葛:【大江山】正面は「酒盛り」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子との戦い」。 大連子:【頼朝戦記】正面は「鶴ケ岡八幡宮参拝」。右は「富士川合戦」、左は「蛭ヶ島に旗揚げ」。 小連子:【為朝一代記】正面は「源為朝 矢を手取りにする」、右は「源為朝 伊豆大島にて暴れ牛をねじ倒す」、左は「保元軍記 白川殿合戦」。 土呂幕:正面は「手塚太郎光盛 斉藤別当実盛を討取る」、右は「巴御前 畠山重忠との奮戦」、左は「八幡太郎義家 安部貞任を討つ」。 後縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常 猪退治」、右は「勢子等の活躍」、左は「富士の狩場風景」。 後連子:【曽我兄弟敵討ち】正面は「十郎五郎夜討ち血戦」、右は「曾我兄弟 虎御前屋敷の場」、左は「曽我五郎大磯驀進」。 大脇:正面は「薩摩守忠度 梶原景時」、右は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、左は「生田の森 梶原景季」。 ≪小屋根廻り≫ 懸魚:「青海波に浜千鳥、弁財天」。 車板:「青龍」。 小屋根虹梁:「雲に瑞鶴」。 物見:前は「花鳥」、後ろは「牡丹に唐獅子」。 ≪見送り廻り≫ 見送り:「一ノ谷鵯越え」。 見送り虹梁:正面は「須磨寺 若木桜の高札」、右は「義経弓流し」、左は「那須与一 扇の的 功名」。 先代は昭和51年泉佐野市上之郷机場より80万円で購入。平成9年9月14日に曳き納めし、美原町菅生新田に引渡し。 当時の地車小屋は御旅所にあった。 |
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下出⇒地車小屋は内畑町207。 = 平成24年(2012)5月20日、購入入魂式。 昭和28年(1953)上松町新調。大工は天野藤一。彫師は木下舜次郎。制作費用は75万円。 長さ3.79m。正面幅1.36m。高さ3.43m。 新調に伴い売却となり、井上工務店で修復され下出へ。 令和4年(2022)9月25日、曳納め&昇魂式。 諸事情によりお休みか?地車は保有。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「神功皇后三韓征伐」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。 大連子:【源平合戦】正面は「?」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の雄姿」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」。 土呂幕:正面は「加藤清正の勇戦」、右は「武蔵坊弁慶の奮戦」、左は「岩見重太郎狒々退治」。 見送り:「大坂夏の陣」。 先代は平成6年(1994)7月3日に河合町の個人より購入し40年ぶりに復活。 経路は大正8年泉佐野市下瓦屋新調。熊取町の大屋一政氏⇒岸和田市大道町⇒河合町の個人⇒下出へ。 さらに泉佐野市下瓦屋(北出)へ里帰り。 |
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【往古の5町】 下出=昭和初期に若衆が宮司に金を借りて中古地車を購入。昭和38年に同市上大沢に売却。その後昭和48年に古物商に売却された。 沢峰=曳行休止後に会場横の大塚氏が購入し、その後焼却処分される。 西堂=初代は上地車。 2代目は極楽寺?より購入し河合の小山建設に売却。 3代目は昭和25年に貝塚市久保より16万5千円で購入しその後磯之上?に売却されたが焼却処分。 辻堂=和泉市府中馬場之町? とすると現・香川県坂出市上林田。 山口=昭和47年に堺市八田北町に売却。現・堺市美木多上北。 先代は明治20年代新調。現・和歌山県橋本市南馬場。 経路は内畑町山口⇒新在家山出小路⇒下大沢⇒春木中町⇒南河内の焼肉屋⇒高石市高陽⇒橋本市南馬場。 |
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大沢町439 | 大沢神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
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地車1台 | かつては上大沢・下大沢の2台あり | ||||
大沢⇒地車小屋は大沢神社前。交番の裏。 =平成25年4月20日、購入入魂式。搬入に先立ち隆匠で修復。彫師は木彫山本(山本仲伸)番号持ち、幟台新調。 昭和13年(1938)貝塚市堤新調。大工は絹井楠次郎。彫師は石田兄弟と松田正幸。長さ3.73m。高さ3.45m。 令和5年(2023)をもって連合を脱退。曳き手の減少と内畑町が新調して地車大型化以来1回?くらいしか来てくれないからとか。 一度はレッカーに牽引して内畑まで下りたがよその町が来てくれないのに遠いのに無理して行くこともないという理由らしい。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武東征 金鳶飛来」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「太閤記 本能寺の変」、右は「源平合戦 常磐御前の都落ち」、左は「源平合戦 箙の梅」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 二重枡合:「武者物」。 隅出す:「花鳥」。 横槌:「花鳥」。 木鼻:「唐獅子」。 松良:【大江山鬼退治】右は「頼光 木渡り」、左は「酒呑童子 酒盛りの場」。 縁葛:正面は「司馬温公 甕割り」、右は「唐子遊び 車曳き」、左は「唐子遊び 雪遊び」。 大連子:正面は「矢矧橋 日吉丸と小六の出会い」、右は「木村長門守 片桐且元 長柄堤の訣別」、左は「後藤又兵衛の奮戦」。 小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「吉良邸討入り」、左は「吉良上野介召し取り」。 土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、左は「粟津合戦 巴御前の奮戦」。 番号持ち:「戸隠山の鬼女」。 幟台:「頼朝 朽木隠れ」。 見送り:「難波戦記」。 先代は昭和57年(1982)制作。(一部に古い彫物があり)大工は吉野為雄。彫師は筒井和男。上大沢、下大沢の有志が共同で20年ぶりの復活として新調に踏み切る。現・地車購入につき隆匠に下取り、その後堺市の古物商に販売。 ≪大屋根廻り≫ 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:正面は「新田義貞稲村ヶ崎」、右は「牛若弁慶五条大橋の出会い」、左は「曽我兄弟夜討ち」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 松良:右は「紅葉狩り」、左は「頼朝 朽木隠れ」。 縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「富士の巻狩り」。 連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。 土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「巴御前の雄姿」、左は「加藤清正の勇戦」。 見送り:「大坂夏の陣」。 地車は明治28年勝福寺の鐘を売って購入したのが始まり。当時の道は舗装されておらず、事故がよく起き、事故が起きると前梃子と後梃子が喧嘩になった。昭和8年喧嘩の果てに的場の橋から川へ落としてしまった。 【上大沢】 当時の地車小屋は現地車小屋に隣接し斜めに建造。 昭和38年、内畑町下出より購入。その後曳行休止し昭和48年10/21に古物商に5万円で売却。 先代は和泉府中の材木商の矢野元町氏より昭和9年9/20に50円で購入し昭和38年5万円で売却。現・堺市菱木白木。 【下大沢】 当時の地車小屋は勝福寺薬師堂(大沢町2594)の敷地内。 昭和11年〜48年まであった。経路は内畑町山口⇒新在家山出小路⇒下大沢⇒春木中町⇒南河内の焼肉屋⇒高石市高陽⇒橋本市南馬場。 |