大 阪 府
  
   ≪岸和田市≫

    ■南掃守地区

南掃守地区祭礼年番は西之内、下松、八坂、上松、尾生、中尾生、福田の8地区よりなる。
住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 【宵宮=土曜】
 曳行時間は6:00〜22:00。
13:00に上松町、山下町、西之内町、下松町、八阪町の地車が上松町南交差点を出発。上松郵便局付近で尾生町、中尾生町、福田町と合流。14:00頃に下松交番所前を出発、JR下松駅前ロータリーで式典のあと、JR阪和線のアンダーパスを通りパレード。
 【本宮=日曜】
 曳行時間は8:00〜22:00。
 8:30頃に西之内町、下松町、八阪町が兵主神社に、山下町が岸和田天神宮に、上松町が菅原神社(上松町)に、中尾生町、尾生町、福田町が菅原神社(尾生町)に宮入り。
 13:00頃よりJR下松駅周辺を自由曳行。
別所町1−13−15 岸和田天神宮 10/連休土日 地車1台 南掃守年番に参加は山下のみ
地車廃絶 門前
地車廃絶 加守
山下(上松の枝村)⇒地車小屋は平成17年(2005)9月11日、落成式。
=昭和32年(1957)制作。大工は古谷常吉。彫師は木下舜次郎。
長さ3.94m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、左は「神武天皇 東征」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良は「大江山」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「朝比奈三郎 足利義氏の一騎討ち」、左は「「巴御前の雄姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「赤穂義士吉良邸討入り」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「後藤又兵衛の跳槍」、左は「?」。
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「大坂夏の陣」。

 先代は初代地車が廃絶してから2、3年後に熊取町久保より購入。その後、昭和29年磯之上町磯東組へ29万円で売却し現存せず。
 初代地車のきっかけは門前が地車新調したからである。購入時期は昭和初期で御大典より後だと云われている。この地車は阿間ヶ瀧の箱だんじりといわれる小さな地車で土生瀧の個人が購入したものを村の若衆が購入し初代地車となる。しばらく曳いていたが、室戸台風で小屋ごと川を越えて田んぼにまくって壊れたという。
門前⇒上松の枝村。地名は岡部家の菩提寺である泉光寺の門前に因む。行政上、平成18年に門前町として独立。
=地車廃絶。
 明治28年新調するが、諸般の事情で昭和29年に神弥町に売却。経路は門前町⇒神弥町⇒春木中町⇒和泉市黒鳥郷小路⇒太鼓正⇒太子町永田。
この地車の大工は絹井嘉七。彫師は玉井玉陽。
 往古は子供地車があったらしい。
【加守町】
かつて明治38年頃までは小型地車があった。これは当時若衆が地車新調を願ったが世話人が拒否したために、淵に投げ込み廃絶した。この淵は現在空地(3丁目2番)であり、地車小屋もすぐそば(3丁目5番)と言われている。曳行コースは春木川の橋の手前から村の一本道を通り小判田坂を下り墓地を抜け、下野町の天理教の所までを往復したが、興が乗れば岸和田旧市まで行ったと伝えられる。また往古は2、3台の地車があったと伝えられるので各字にあったと思われる。それは奥出(現・2丁目)、渕ノ内(現・3丁目)、川原出(現・4丁目)で加守川(春木川)にはめたり、西之内?に売却したりして1台になったらしい。
 ≪加守町は何地区?≫
鎮守の菅原神社は明治41年7/29に合祀のため、地車は一度として宮入りしていない。
旧市説 地理的にはやはり旧市か?野村中学校区(並松、下野と同じ)にもなるし、南海の線路より下だし、正式では無いが明治期には旧市に行っていた。

南掃守地区説 旧の南掃守村でやはり、南掃守地区として曳くべし。しかし南掃守地区の地車は1台として加守町には入ってこない。同じ小学校区の西之内は遠く山下まで行くが、何故か見せびらかしにも来ない。昔の水利の仲の悪さに因るからか?ちなみに現在4丁目にUターンと云う形で進入するのは八木地区の荒木町だけである。

春木説 最寄の駅は和泉大宮駅と春木駅である。また1丁目に春木本町と春木中町の地車小屋がある。大阪府が春木川の改修工事の為に代替地として用意された土地だが、両町とも祭り前の練習では太鼓を叩くだけ叩いて挨拶に曳行もしない。
 それに明治7年に南春木(後の大砲試験場)を春木に編入したが、明治期以降も加守村の飛び地が多く見られたが、当該地区の春木南は挨拶にも来ない。

八木説(行基参りに行こう説)
 行基参りとは10月の祭礼2日目に、久米田池の築造に感謝し、行基像が安置されている久米田寺開山堂に御参りし、境内にて一同に会すること。
現在、八木祭礼年番11台(中井、吉井、荒木、下池田、箕土路、西大路、小松里、額(北額)、額原(南額)、大町、池尻)と山直祭礼年番の田治米(昭和55年からの慣例)と今木(昭和61年からの慣例)の計13台の地車が参加する。
 過去、軽部郷の忠岡町北出は昭和31年。忠岡町高月は昭和35年頃まで地車が曳かれており、往時は行基参りを行った。
 さて久米田池郷とは久米田池の維持・管理を目的とした12ヶ町よりなる水利共同体である。
この12ヶ町とは八木郷の(池尻、大町、小松里、西大路、箕土路、下池田、荒木、中井、吉井)と山直郷の田治米、加守郷の加守、春木の12ヶ町で、池郷においては額(北額)は小松里のうち、西之内は加守の内とされる、
 行基参りしている額原は加守郷で池郷には入っていない(ただし久米田池→刈又池→花田池の水を引き使っているが)。
今木は八木郷なれど池郷には入っていない(田治米に流れてきた落水を使用)。
久米田池郷なのだから断固、行基参り行くべし。

 ※とにかく岸和田の番外地というかエア・ポケットである。

西之内町1- 兵主神社 10/連休の土日 神輿
地車3台 西之内、下松、八坂
宮入りは西之内町・下松町・八阪町の順番で毎年固定。
西之内=昭和11年(1936)10月制作。3代目。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎。助は松田正幸。制作費2,700円。
長さ3、72m。正面幅1、33m。高さ3、28m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「日本武尊 野火の難」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「小櫻責」、右は「石川五右衛門 千鳥の香炉盗り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「神功皇后三韓征伐」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「福島正則の勇戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守一騎打ち」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
  ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 初代は明治25年売却。
 先代は明治25年〜昭和11年。作才の古物商に売却。
下松=平成13年(2001)8月26日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢(神社御神紋)」。
懸魚:正面は「雲海に御来光」、後ろは「波涛に兎」。
枡合:正面は「巌流島の決闘」、右は「頼朝鶴ヶ岡八幡宮参拝」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波涛に御来光」。
車板:「雲、組物」。
枡合:正面は「川中島の合戦」、右は「本能寺の変」、左は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「菅原道真公」。
勾欄合:「富嶽三十六景」。
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「一ノ谷鵯越え逆落し」。
縁葛:正面は「曽我兄弟の夜討ち」、右は「五郎 朝比奈草摺引」、左は「曽我兄弟十番斬り」。
大連子:正面は「長篠の合戦」、右は「桶狭間の合戦 今川義元の最期」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」、左は「刃傷松の廊下」。
土呂幕:正面は「木下藤吉郎 富士川の初陣」、右は「関ヶ原 宇喜田秀家と福島正則の戦い」、左は「真田幸村 家康本陣急襲」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。
脇障子:右は「秀吉本陣」、左は「勝家本陣」。
兜桁:「諏訪鶴の丸に唐草」。
竹の節:右は「宮本武蔵」、左は「佐々木小次郎」。
 ≪後腰廻り≫
後縁葛:三方「銭波に伊勢込み」。
後大連子:正面は「若木桜の高札」、右は「義経八艘飛び」、左は「堀川夜討ち」。
後水板:「波に千鳥」。
後半良:右は「石橋山の合戦」、左は「頼朝朽木隠れ」。
旗台:「左甚五郎の眠り猫」。

 初代?は和泉市黒鳥坊小路より購入したが解体され大屋根は中野市郎兵衛氏の門として永らく使われたという。
 先々代は中井町?より購入したが大正12年頃に小松里町に売却され3年後に解体処分。
 先代は平成12年11/12曳き納めで、昭和7年新調。大工は岩出秀吉。彫師は上間庄平。助は実子貫冶、敦実兄弟。この地車は当時村に地車が無いので若衆が宮にこもってストライキを行って出来たものである。新地車に先立ち和泉市富秋町へ。
八坂=昭和22年(1947)制作。大工は絹井嘉一郎。彫師は木下舜次郎、松田正幸。助は石田利郎。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【忠臣蔵】正面は「箱根詫び証文」、右は「村上喜剣 内蔵助を足蹴にする」、左は「刃傷松の廊下」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「平景清 錣引き」、左は「巴御前の雄姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」。
土呂幕:正面は「本能寺の変」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「?」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は前田庄一郎氏が畑町より45円で購入して町会に寄贈。新調に伴い町貝塚市脇浜に売却。現・香川県坂出市上林田。
 先々代は昭和5年、池尻より購入し春木若松へ売却。現・堺市栂
上松町 菅原神社 10/連休の土日 神輿
地車1台 上松 
本宮の午前8時30分頃に宮入りする。
上松=平成24年(2012)5月5日、新調入魂式。
大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。長さ4.21m。大屋根幅2.47m。内幅1.21m。高さ3.81m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「松菱に天神御神紋」。
懸魚:「波濤に朝陽」。
化粧垂木:「天神御神紋に金物彫り」。
地垂木:「獏」。
桁廻り:「雲に燕」。
桁鼻:「猿をつかむ鷲」。
車板・小屋虹梁(一体):正面は「七福神宝社参宮」、後ろは「唐獅子に跨る鍾馗」。
隅出す:前右は「国生み」、前左は「神生み」、後右は「日本武尊東征」、後左は「天孫降臨」。
横槌:「花鳥」。
虹梁:「波」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞嗚尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。
二重枡合:右は「櫛稲田姫」、左は「神武天皇御即位」。
枡合天井:「雲に龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「松菱に天神御神紋」。
懸魚:「波濤に龍宮珠取り姫」。
隅木:「天神御神紋」。
隅木受:「龍馬」。
化粧垂木:「天神御神紋に金物彫り」。
地垂木:「獏」。
桁鼻:「猿をつかむ鷲」。
車板&小屋虹梁(一体):「牛乗り天神」。
隅出す:「獅子の子落し」。
横槌:「花鳥」。
枡合:正面は「太閤殿下の勇姿(梅)」、右は「醍醐の花見(桜)」、左は「北野大茶会(松)」。
枡合天井:「雲に龍」。
大輪:「葡萄の伊勢込み」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「力石を担ぐ若衆」。
縁板:「松紋地彫り」。
縁隅木:「町名と天神御神紋」。
勾欄合:上は「葡萄(子孫繁栄)」、下は「花鳥風月」。
松良:右は「秀吉 天王山を征す」、左は「小栗栖山 光秀敗走す」。
縁葛:正面は「愛宕連歌」、右は「幸村計略 平野地雷火」、左は「淀君 秀頼出陣を阻止」。
大連子:正面は「山アの合戦」、右は「道明寺の合戦 薄田隼人奮戦」、左は「槍1本六万石」。
小連子:正面は「本能寺の変」、右は「槍摺の鎧」、左は「半田寺山 後藤又兵衛」。
土呂幕:正面は「岩見重太郎 狒々退治」、右は「大坂夏の陣 塙団右衛門の勇戦」、左は真田幸村 家康本陣突入す」。
脇障子竹ノ節:右は「風神彫り込み」、左は「雷神彫り込み」。
脇障子柱:左右は「ぶどうの伊勢込み、花青海波地彫り」。
脇障子受:左右は「唐草(中)、若菜(外)」。
水板:「波に龍」。
犬勾欄:正面(右)は「狒々」、(左)は「人物」、左右は「若草」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「秀吉屈辱を忍ぶ」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「清洲会議」。
脇障子物見:右は「神君伊賀越」、左は「秀吉、光秀の密使を捕える」。
大脇兜桁:「町紋と金物彫り、ぶどうの伊勢込み」。
大脇物見:右は「四天王但馬守」、左は「秀吉坊主頭で危難逃れる」。
大脇竹ノ節:「立ち若葉(中に猿)」。
木鼻:「花鳥」。



 四先代はベアリングが樫の棒の小型地車があったと伝えられる。
 三先代は泉大津市田中町よりいない地車(上地車)を購入し、その後作才の古物商氏原氏に売却。
 
先々代は昭和12年頃に包近より購入し吉井町方面に売却と伝えられる。 
 先代は 昭和28年(1953)制作。大工は天野藤一。彫師は木下舜次郎。制作費用は75万円。長さ3、79m。正面幅1、36m。高さ3、43m。
平成23年(2011)10月23日、昇魂式。平成24年(2012)5月20日、購入入魂式で内畑下出へ。
 【新興町】
地域的には星和上松台、上松緑町、桜ヶ丘町

尾生町842 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車3台 尾生、中尾生、福田
宮入りは本宮の午前8時30分頃より中尾生、尾生、福田が宮入りする。
尾生=平成12年(2000)7月23日、新調入魂式。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は木下賢治。長さ4.15m。大屋根幅2.52m。内幅1.2m。高さ3.85m。
彫物は太閤記で統一。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢(社紋)」。
車板:正面は「清州会議の場」、後ろは「大徳寺焼香の場」。
飛檐垂木は「梅紋 尾」。地垂木は「阿吽、獅子頭」。
枡合:正面は「醍醐の花見」、右は「桶狭間の合戦」、左は「石川五右衛門千鳥の香炉盗り」。
二重枡合:右は「寺を出された日吉丸」、左は「光明寺の場」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「波」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「青海波 浦島太郎」。
車板:「小田原征伐」。
飛檐垂木:「梅紋 尾」。地垂木:「獅子と獏」。
枡合:正面は「三成、秀吉に仕える」、右は「伏見の大地震」、左は「四国征伐、長曾我部元親」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「豊臣秀吉立像」。幟台:「瓢箪」。
勾欄合は「加藤清正一代記」。
松良:右は「加藤清正 山路将監討取り」、左は「本能寺の変」。
縁葛:【太閤記】正面は「藤吉郎 於祢との祝言」、右は「主水 藤吉郎 長短槍試合」、左は「清洲城修復」。
大連子:正面は「藤吉郎初陣」、右は「姉川の合戦」、左は「山崎の合戦」。
小連子:正面は「光秀、信長怨恨深まる」、右は「勝家、盛政秀吉の腹を探る」、左は「秀吉、屈辱を忍ぶ」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「大坂冬の陣 木村長門重成」、左は「関ヶ原の戦い 後藤又兵衛」。
後松良:「墨俣築城」。
後水板:「波に鬼」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出し、摺出し鼻は「大坂夏の陣」。
虹梁:正面は「高松城水攻め」、右は「秀吉 茶坊主に化け難を逃れる」、左は「四方田但馬守の急襲」。
物見:前右は「龍」、前左は「虎」、後ろは「牡丹に唐獅子」。

 往古はまた明治期にあったと伝えられる。当時は今も盆踊りは中尾生と一緒にするように地車も一緒に曳いていたと思われる。
 先代は青年団が通称、作山に1週間篭り、町内を説得し3円(1100円説もあるが?)で購入。
この地車は明治13年同市宮本町新調。昭和5年和泉市小田より購入。現・地車購入につき同市南上町に売却。現・堺市原田。
 平成11年(1999)11月21日、曳き納め。
中尾生=昭和5年(1930)同市荒木町新調。昭和58年購入。大工は植山宗一郎。彫師は3代目黒田正勝。制作費は2、500円。
長さ3.95m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞 稲村ヶ崎」、右は「平景清 錣引き」、左は「義経八艘飛び」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「巴御前の雄姿」、左は「家康を追う真田幸村」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎の剛力」、右は「本多出雲守の勇戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は大正4年に240円で作才の古物商氏原氏より購入。現・地車購入につき高石市7区(北村)に売却。岸和田市南上町を経て現・堺市中山。
福田=昭和14年(1939)制作。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。助は石田利郎。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征 八咫烏」、左は「神武天皇応神天皇平産す」。

 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「義経八艘飛び」、左は「村上義光錦御旗奪還す」。

 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「巴御前の雄姿」、左は「朝比奈三郎 和田合戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助等の雄姿」。

土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「本多出雲守の勇戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。


 先々代は明治28年新調。先代新調につき積川町橋室で平成13年まで曳かれた。平成19年、和歌山県橋本市原田へ売却。
 先代は昭和11年制作。しかしその年の12月に売却。泉佐野市大西町を経て現・泉佐野市中之庄。